CAT NAPにコテンコテン






 仲居の介入を予め断わっていたため、布団もヒカルが自ら敷いた。
 二組敷いたが、電気を消して横になりしばらく経つと、もぞもぞとアキラがヒカルの布団に入り込んできた。
 ふんふんと匂いを嗅ぐ素振りを見せて、ヒカルの肩に頭を擦りつけてくる。それからすぐに大人しくなった。落ち着いて眠れる場所を見つけたらしい。
 はあ、とヒカルはため息をつく。
 ――バカ塔矢。俺がその気になってんのに、お前こんなんじゃエッチもできないじゃん……
 すうすう聞こえてくる寝息には何の下心も感じられず、純粋にヒカルを慕ってくっついてくるアキラがもどかしくて、物足りない。
 二人きりで。一組の布団に寄り添って眠って。離れの静かな部屋で、誰の邪魔も入らない絶好のシチュエーションなのに、アキラにその気が全くない。
 仕方がない、相手は猫だ。今は発情期でもなんでもない。年中ちょっとした情緒の変化ですぐに発情モードに入れる人間とは違う。
 ――もしも塔矢が一生このままだったら。
 そう考えると、胃がちりちり焼け付くような痛みを感じた。
 このままだったら、どうしよう。
 話せない。碁も打てない。人前に出すこともできない。
 今まで通りの生活はできなくなり、ひょっとしたらマスコミなどに面白おかしく追いかけられるかもしれない。アキラ一人ではどうすることもできない問題が溢れるほど湧いてくるだろう。
 その時自分はどうしたらいいだろう? ヒカルは暗がりの中で徐々に慣れてきた目を凝らし、気持ちよさそうに眠っているアキラに視線を向けた。
 ヒカルに身を寄せるアキラは、何の恐れもないような幸せそうな寝顔を見せていた。寝顔は人間の頃と変わらない。時折大きな耳が不規則に震え、ヒカルの頬を掠ることはあるけれど。
 ヒカルは自然と苦笑いを浮かべていた。
 ――どうもこうもねえな。塔矢は塔矢だ……
 どれだけ変わってしまっても、この男は自分が愛した大切な存在だ。
 胸に棲まう愛しい想いは変わらない。アキラにそれが伝わらなくとも構わない。
 こんな姿になってしまったのだ、もう自分以外にこの男に手を差し伸べる物好きなどいるわけがない。
「……どっか、山奥ででも二人で暮らすか」
 闇に混じった呟きに、アキラはニャ、と寝言で返事を寄越す。
 微笑んだヒカルは気持ちよさそうに眠るアキラの黒髪を優しく梳いてやった。
 ぴったり閉じられた瞼が開く気配はない。相変わらず規則正しい寝息に合わせて僅かに上下する猫のアキラの寝顔を、ヒカルは初めて可愛らしいと思った。




 ***




 傍らで蹲るアキラの尻尾にくすぐられてこそばゆさに身を捩じらせ、目を開いた午前六時、意外に頭はすっきりしていた。
 アキラは未だ丸くなって寝息を立てている。しかし何か夢を見ているのか、布団をめくり上げてみると尻尾がぱたぱたと動いていた。口元もむずむずとピクついていて、あどけなさにヒカルは苦笑した。
 こうして眺めていると実にのどかな気分になるが、のんびりしてはいられない。ヒカルは、人間の時は自分より遅く起きることなど滅多になかった恋人を揺すり起こした。


 さすがにアキラを背負ってチェックアウトするのは怪しすぎるため、一旦アキラをおぶったまま風のように宿を出たヒカルは、アキラを車に乗せてすぐに戻るからとよく言い聞かせ(半ば無駄だろうとは思いつつも)、ドアのロックをしっかり確かめて再びフロントへ戻った。
「あの、塔矢先生具合でも悪いんでしょうか?」
「いや、あの、ちょっとね、アハハ」
 一昨日とは随分違うヒカルとアキラの様子に女将は心配顔だったが、ヒカルはひたすら笑ってごまかした。
 精算を済ませ、財布をしまいながらヒカルはおもむろに女将に尋ねる。
「あのですね、一昨日……猫、いましたよね。あの守り神ってやつ」
「え? ああ、ハイ、あの猫が何か?」
「あの猫って普段どの辺りにいるとか……知りませんか?」




『飼い猫ではないのではっきりとどこにいるかは……』
 ヒカルは草を掻き分け掻き分け、足場の悪い上りの斜面を滑らないように踏みしめていく。
 対してアキラは四つん這いであるのにひょいひょいと身軽く、多少の草丈など物ともしないでヒカルの脇を進み、時に追い越して振り返ったりしていた。
『でも、ここを出て少し行った右側に神社があるんですけどね。その神社の裏側の山から猫が下りてくるのを見たという話は何度か聞いたことがありますよ』
 そこに住んでいるかどうかは分かりませんが――
 女将の言葉を思い出しながら、ヒカルは予定外だった山道を黙々と上っていた。
 とても山登りに適した格好ではないし、すっかりインドアな職業に慣れてしまった身体には少々きつい斜面だった。囲碁は持久戦、体力だけなら自信があるが、実際に身体を動かすと運動不足が骨身に染みる。
 奥に入れば入るほど草の丈が伸びていく。進みながら注意深く周囲に視線を走らせてはいるが、たとえ猫がいても見落としたっておかしくない草深さだ。
 アキラはヒカルの苦労など知らず、草の中に顔を突っ込んでは虫を追いかけたりして山道を楽しんでいる。他の誰でもない、本人にこの衝撃映像を見せてやりたい――ヒカルは苦い表情で無邪気に揺れるアキラの尻尾を睨んだ。
 上り始めて三十分も経っただろうか、ヒカルはじんわり額に浮かんだ汗を拭って立ち止まった。
 こんなふうに闇雲に探して果たして見つけられるだろうか? 不安は累々と募る。やはり下の町でもう少し手がかりを見つけ出してからのほうが良いかもしれない……今、民家に猫が下りていない保障もないのだ。
 やはり戻ろう、と決意したヒカルだったが、アキラの姿が見えないことに気がついた。
「塔矢?」
 耳を澄ましてみるが、草を掻き分けるガサガサという音さえ聞こえない。
 ぐるりと四方を見渡した。傍の草むらを手で払って探したりもした。しかしアキラはどこにもいない。
「塔矢! どこだ!」
 大声で怒鳴るように呼んでも、それに応える音はなかった。
 ヒカルは青ざめ、そこら中を掻き分け始めた。
 ――あのバカ、デカい図体してるくせにやけに身軽に飛び跳ねやがって……
 やはり本能が猫のせいか、山道を登り始めてからアキラはずっとはしゃいでいた。目を離した隙に遠くまで行ってしまったかもしれない――そう思うとヒカルの心臓はばくばくと速度を上げて焦燥を知らせるのだった。
「塔矢! 塔矢〜!」
 上へ行ったか、それとも脇に逸れたか。
 一応獣道まがいの山道はあるにはあるが、アキラが忠実に上っていったかどうかは怪しい。ひょっとしたらネズミでも見つけて追いかけていったかもしれない。
 どこを探すべきなのか、ヒカルはぐるぐると周囲に忙しなく目を走らせながら途方に暮れた。
 どちらに行っても行き違うような気がする。
 それともここで待っていれば戻ってくるだろうか? はぐれたことに気づいてヒカルを探してくれるだろうか?
 ――ああ、もう……!
 大きく舌打ちしたヒカルは、決意して山道を登り始めた。
 なんとなくとしか説明できない直感頼みだが、じっとしているよりは精神的にいい。
 アキラの名前を呼びながら、ゆっくりゆっくりと泥道を踏みしめる。すっかりスニーカーも汚れてしまった。だけどそんなこと構っていられない。
「塔矢ー!」
 何度目になるのか、ありったけの大声でアキラを呼んだ時、傍の草むらでがさがさと音がした。
 はっとしたヒカルは飛びつくように太股にも届きそうな草を掻き分ける。
「塔矢!?」
「にゃあ」
 ヒカルは目を見開いた。
 ……あの黒猫がどっしりと佇んでいた。






やっぱりビジュアル想像すると厳しいですね……
ヒカルは偉いな……大好きなんだろうなあ……