CHANGES






 昼休みと放課後、それから土曜日と日曜日。元気が湧いてくる、楽しい楽しい時間。要するに、授業以外はみんな楽しい、ある意味充実している毎日。
 今日も楽しい放課後の時間がやってきた。
「進藤、今日どこ行くんだよ?」
 クラスメートの和谷が鞄を肩にかけながら、ふたつ机が離れた席から立ち上がろうとしているヒカルに声をかける。
 ヒカルはホームルームの名残である大きなあくびをひとつしてから、にやっと笑って答えた。
「今日はバスケ。冴木さんと約束してんだ」
「混ぜてもらうだけじゃねえだろ、冴木さん今年で引退だから熱心に勧誘してるって話じゃねえか」
「あー、部活はパスだよ。俺は適当に混じって遊ばせてもらうだけ〜」
「まあ、お前は競争率高いからな。陸上部もサッカー部もバレー部も、みーんなお前を巡って火花散らしてんだろ。モテモテじゃん進藤」
「嬉しくねえ〜」
 けたけたと笑いながらヒカルは和谷に手を振り、勢いよく教室を飛び出した。
 風のように廊下を駆け抜けるヒカルが通り過ぎて、のんびり歩いていた生徒たちがぎょっとしたように道を避けた。
 今日はこれから夕飯の時間までバスケ部で時間を潰そう。夕飯が終わったら長風呂して、和谷たちの部屋に行って……寝るギリギリに自分の部屋に戻ればいいや。
 そんなことを頭で考えながら、軽やかにヒカルは廊下を走る。
 最後には必ず戻らなければならない自分の部屋のことを思うと、少しだけ心が曇ったけれど。



 都会の喧騒から少し離れて、長閑な田園風景が続く田舎道をバスで一時間ほど揺られたところにその学校はあった。
 周りの風景に少々ミスマッチな、真新しく近代的な校舎の外壁は落ち着いたクリーム色で、春の新緑とよく合っている。
 広いグラウンドからは部活動に励む生徒たちの声が響き、太陽の光を浴びて元気いっぱいに走り回っている。
 放課後のため教室には生徒が少ないが、図書室などに顔を出して有意義な時間を過ごす勤勉な生徒も少なくない。
 しかし、部活動のない生徒の大半は、授業が終われば真っ直ぐに隣接された寮へと戻るのが定番だった。
 ここは私立海王学院。全寮制の男子高校である。
 生徒数三百強とそれほど大きな高校ではないが、卒業後の進学先や就職先で実績があることで有名だった。
そのため受験時の倍率はそれなりに高いが、多岐に渡る部門で推薦枠が用意されているため、その受験ランクに見合わない成績の生徒がぽんと入学することも珍しくはなかった。
 進藤ヒカルも例に漏れず、推薦枠で入学したあまり頭の出来はよろしくない生徒である。
 中学時代に県大会での短距離走記録保持者ということで推薦を受けたが、当の本人は入学後も陸上部には入部していない。それどころか、部活動自体を面倒くさがってどこにも所属していないのだ。
 持ち前の運動神経で、あらゆる部活に顔を出して練習に混じる日々。各部活から助っ人として大会に呼ばれるのはすっかり慣れっこになっている。
 最初こそ渋い顔をしていた学校側も、助っ人でヒカルが参加した部が良い成績を出していることを認めた後は何も言わなくなった。才能をひとつの場所に留めておくのは惜しいと判断したのか、それともそんなキレイな理由ではなかったかもしれないが。
 そんなふうにヒカルの一年は慌しく過ぎていった。新たに春を迎え、二年生となったヒカルは、相変わらず放課後の部活ジャックを繰り返しているが、最近はやけにその参加時間が長くなっているようだった。
 部活動が終われば風呂や食事や友人の部屋に入り浸り、なかなか自室に戻ろうとしない。
 どうやら、今年から同室者になった相手に問題があるようだった。



「そろそろ消灯だぞ。もう帰れよ」
 和谷にそう言って追い出され、とぼとぼ廊下を歩きながらため息ひとつ。
 はあ、戻りたくねえ。
 ヒカルは弱々しい独り言を呟きながら、陰鬱な表情で自室への道を足取り重く歩いていく。
 授業以外は全て楽しいはずの日々の暮らしで、自分の部屋に帰ることが何より憂鬱だなんて――できるだけゆっくりと足を進めても、和谷たちの部屋と同じ階にあるヒカルの部屋には数分も歩かないうちにすぐ到着してしまう。ドアの前でしばらく浮かない顔をしていたヒカルだったが、戻る場所がここしかないことを悟っているせいか、やがてえいっとばかりにドアを開けた。
 室内は明るく、ドアの開いた音で、机に向かってこちらに背中を向けていた青年がくるりと振り返る。
 青年は顎まで伸びた黒髪を揺らしながら、神経質そうに目を細めてぽつりと呟いた。
「……今日も、遅かったな」
「消灯までには戻ってきただろ。文句あんのかよ」
 喧嘩を売るような口調で言い返してきたヒカルに対し、青年はふっとあからさまなため息をついて、ただ肩を竦めてみせた。
 その仕草までもがカンに触ったのか、ヒカルはぷいと青年から顔を背けて真っ直ぐにベッドに向かった。
「歯は磨いたのか?」
「ガキ扱いすんな!」
 それだけ怒鳴って、あとはすっぽり布団の中に隠れてしまう。
 青年はやれやれともう一度ため息をつきながら、椅子から立ち上がって部屋の入口に向かい、電灯のスイッチに手を伸ばした。
 パチ、という小さな音と共に室内は暗くなり、後は青年がごそごそと自分のベッドに潜り込む音が少しだけ、それから部屋は静かになった。



 進藤ヒカルの同室者である、塔矢アキラ。彼はヒカルのクラスの委員長でもある。
 受験時にトップの成績で合格したという彼は、頭脳だけでなく容姿も実に華やかで、性格も穏やかで礼儀正しい、教師のお墨付きを文句なく頂戴する優等生だった。
 今年の三月に、四月からスタートする新しい寮の部屋割りが発表された時、ヒカルは辺りも憚らずに「げっ!」と潰れた悲鳴をあげた。
 人目を気にすることなくあからさまにアキラとの同室に嫌悪を示したヒカルに対して、きっとお堅い委員長と一緒になったのが嫌なんだろう、程度に周りは解釈していたのだが。
 アキラに対するヒカルの嫌がり方は、どうもそれだけではないようだった。
 とにかくとことん顔を合わせないようにしているのだ。同じ部屋なのだから会わない日があるはずもないのだが、実に必要最低限にそれを抑えてヒカルは毎日逃げ回っている。
 誰かが、「なんでそんなに嫌なんだ?」と尋ねた時、ヒカルはきっぱりと「アイツが嫌いなんだ」と答えた。
 その噂は学年中の誰もが知っているから、アキラ本人だって知らないはずがないだろう。
 他の誰かも、アキラに「なんで嫌われてるんだ?」と尋ねたことがあった。しかしアキラは素直に「分からない」と答えていた。
 アキラはヒカルにこうまで嫌われる理由が分からなかった。一年生の時に特に話した記憶もないし、ろくに絡みのない相手がどうして自分を嫌悪しているのか。彼にとってもヒカルの態度が解せず、そして不愉快なことであるようだった。
 ヒカルは二人で部屋にいることを出来る限り拒否し、毎晩遅くまで帰ってこない。休日は朝から何処かへ出て行ったきり、やはり遅くにならないと戻っては来なかった。
 最初こそ理由を聞こうとヒカルを捕まえるべく躍起になったアキラだったが、取りつく島もないまま一ヶ月が過ぎようとして、すっかり諦めの気持ちのほうが強くなってしまったらしい。今では先ほどのやりとりの通り、会話らしい会話もない険悪な現状に甘んじている。
 しかし、この状態が居心地の良いものではないということはお互いの意見が一致しているだろう。
 ヒカルはとにかくアキラと一緒にいたくない。アキラはヒカルとできれば和解したいが、そもそもの原因が分からない。
 そうして時は五月を迎えようとしていた。






目指せBL!と思ってスタートしたは良いのですが、
お話の設定位置がちょっと手前すぎて、なんだか序章のように……
心残りはあれど、学園もの第二段です。ちなみにBLは挫折しました。
「海王学院」で参考ネタが分かる方もいらっしゃるかもですね。