CHANGES






 さて、アキラは前述の通り非の打ち所のない模範生ではあったが、その割に周囲の生徒たちから敬遠されるといったことはほとんどなかった。
 持ち前の柔らかい表情がそうさせるのか、親しみやすい雰囲気につい声をかけたくなってしまう。また、頭がよく回転が早いので、クラス内で大小問わず困ったことが起きたりすると、必然的に頼られる存在でもあった。それはアキラが一年生の頃からの日常のひとつであった。
 その日も、日曜の午前中からアキラの部屋には来客があった。
 アキラの部屋ということはヒカルの部屋でもある。普段は休日と言えば朝から部屋を飛び出しているヒカルだが、偶然にも携帯電話を忘れて渋々取りに戻ったところだった。コンコンと部屋をノックする音に、机に向かっていたアキラも、机に置きっぱなしだった携帯電話をポケットに突っ込んだヒカルも、同時に扉を振り向いた。
「どうぞ」
 アキラが声をかける。
 扉がキイと小さな音を立てて開き、中から顔を出した生徒が、
「あ、塔矢くん……」
 とアキラに向かって躊躇いがちな笑顔を見せ、ふと部屋の中にヒカルまでもがいることにぎょっとして顔を強張らせる。
 ヒカルとアキラの仲違いの噂は学年中に広まっている。ヒカルがアキラと一緒の部屋にいることを嫌っていることも。
 そのため、まさか休日にまだヒカルが部屋にいようとは思いもしなかったのだろう。あからさまに驚いたクラスメートに対して、ヒカルはむっと口をへの字に曲げた。
「おい、なんだよ。俺がいたらマズイってのかよ」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「だったらなんで変な顔しやがったんだよ!」
 ヒカルがクラスメートに詰め寄ろうとする、その間にアキラがずいと身体を割り込ませた。
「よせ、進藤。仕方ないだろう、キミは普段朝から飛び出していったっきりじゃないか。彼が驚くのは当然だ」
 何処ぞのヒーローのように正義感を光らせ割って入ったアキラを見て、ヒカルはあからさまに顔を顰めた。アキラの言い分はまるでヒカルが全面的に悪者のようで、それがまた面白くない。
 ヒカルは不機嫌丸出しに眉間に皺を寄せて、ぷいと顔を逸らせた。子供じみた仕草にアキラはため息をつく。
 半開きの扉の隙間で呆然と状況を見守っているクラスメートに振り返ったアキラは、穏やかな表情で彼に入室を促した。
「ごめんね、驚かせて。進藤はすぐ部屋を出るから。さ、遠慮なく入って」
 その言葉が再びヒカルを刺激した。
「おい、なんだよ、俺にとっとと出てけって言うのか!?」
 アキラとクラスメートが同時に目を丸くする。
 アキラは呆れたような表情でヒカルに向き合った。
「そうは言っていない。でも、キミは現にすぐ出て行くつもりだっただろう?」
「言い方がむかつくんだよ。俺がいるのが邪魔だってのか?」
「だから、そんなつもりはないと」
「おい、俺が聞いてマズイ話でもするのかよ!」
 アキラの言葉を遮って、ヒカルはクラスメートを睨みつけた。
 その眼力にヒッと肩を竦ませたクラスメートは、ぶるぶると首を横に振る。ヒカルは満足げに腕を組んでみせた。
「よし、じゃあ俺も話聞いてやるよ。どうせまたくだらない相談なんだろ」
 携帯電話を取りに戻っただけのヒカルは、携帯をポケットに突っ込んだまま床にどっかりと座り込んでしまった。
 アキラとクラスメートは顔を見合わせたが、てこでも動きそうにないヒカルの様子にお互い小さくため息をつき、仕方なく同じように腰を下ろした。


 ヒカルも、アキラがこんなふうにしょっちゅうクラスメートからの相談事を請け負っているのは知っていた。
 誰と誰が喧嘩したから仲裁に入ってくれ、あの教師の対応はあんまりだから何とかして欲しい、上の階のヤツがうるさくて眠れない……等々。
 それらの細々とした問題を、アキラはいつも嫌な顔一つせず鮮やかに解決していたのだ。まったく暇なヤツだと毒づくが、要はその采配ぶりでアキラの人気が上がるのが面白くないのだ。
 なるべく面倒な厄介ごとには関わりたくないスタンスのヒカルが彼の話を聞く気になったのは、偏に子供っぽい対抗心のせいだった。
 怖い顔で睨みつけてくるヒカルよりも、若干アキラ側ににじり寄りつつ、クラスメートは恐々口を開いた。
「実は、……ボクは囲碁部なんだけど。」
 ぴく、とヒカルとアキラの身体が揺れた。
 その小さいながらも不自然な反応にお互い思わず顔を見合わせて、すぐにぷいと背ける。
 囲碁部だと告げたクラスメートの名前は夏目。おっとりとして目立たない存在の夏目は、四月から新しくクラスメートになったヒカルにとってはあまり馴染みがなかったが、一年生の時から同じクラスだったアキラはそうでもないらしい。「囲碁部」の発言に少し戸惑ったような顔を見せたアキラだったが、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻って先を促した。
「囲碁部が……どうかしたのか? 夏目くん」
「四月に入ってから、部室でちょっと問題が起こって……」
「問題?」
 同時に聞き返したヒカルとアキラの声がハモり、二人はまた顔を見合わせてはつんと背けた。いちいち敵対する二人を前に、夏目は言いにくそうに話を続けた。
「部室に、幽霊が出るって……」
 夏目が告げた途端、今度はびくりと大きくヒカルの身体が跳ねた。あまりに大袈裟な動作に、アキラも夏目も驚きに目を見開いてヒカルを見る。
 肩を跳ね上がらせたまま硬直しているヒカルに対して、アキラが思わずふっと鼻で笑った。
「なんだ、進藤? 幽霊なんかが怖いのか?」
 アキラの言葉に、ヒカルはきっと鋭い目つきを投げて寄越した。その無言の迫力に、思わずアキラが息を飲む。
 ヒカルは夏目に向き直り、真剣な表情で尋ねた。
「夏目。……その幽霊、どんな幽霊なんだ……?」
 あまりに真顔で問い掛けるヒカルに怯みながらも、夏目はたどたどしく説明する。
「その……、新入部員が見たっていうだけで、ボクは見たことないんだ……。で、そんな騒ぎのせいで、せっかく入った一年生が辞めるって言い出して……」
「それで、ボクのところに相談に?」
「うん……」
 申し訳なさそうに上目遣いを寄越す夏目の前で、アキラは困ったように首を捻った。
 幽霊などという非現実的なものは信用していない。対人関係の揉め事ならいくらでも相談に乗るものの、幽霊だなんてそんなありえないこと、何をどう追及しろというのだろう。
 おまけに囲碁部の問題だなんて――あまり気乗りしない様子のアキラに代わり、ヒカルがずいと身を乗り出した。
「夏目。その問題、俺が調べてやる。俺に任せろ」
 鼻息荒く解決を買って出たヒカルを見て、ついついアキラはむっと眉を寄せた。
 元はといえば、夏目は自分のところに相談に来たのだ。それをたまたま意地を張って話を聞くことになったヒカルが首を突っ込むなんて、あまりいい気はしない。
「待て、進藤。夏目くんはボクに相談に来てるんだ。キミは関係ないだろう」
「うるせえ! お前、面倒くさそうな顔しただろ。お前はいいよ、俺がやってやる」
「誰が面倒くさそうな顔をした! 非科学的な話にちょっと驚いただけだ!」
「どうせ幽霊なんかいねえって面してんな。お前なんかに解決できるもんか! 素直に俺に任せとけ!」
「そういうキミが解決できるとは思えないね! 幽霊って聞いただけで過剰に反応しているキミが!」
「黙れ、別にビビってるわけじゃねえよ!」
 言い争いを始めた二人の前で、夏目はおろおろと青ざめて小さくなった。
 片やあらゆる体育系部活動をジャックしている校内の有名人。片や真面目で優秀なクラス委員長。そんな二人がぎゃあぎゃあと大声出して怒鳴り合っている。
 普段から口汚いヒカルはともかく、穏やかなアキラまでもが同じ剣幕で言い返しているものだから、可哀想な夏目は口を出せずに二人の波が収まるのを待つことしかできなかった。
 やがてアキラよりも大幅に語彙の少ないだろうヒカルが先に疲れたのか、くるりと夏目を振り返って詰め寄った。
「夏目、とにかく囲碁部に案内しろ! 俺が確かめてやるから!」
「待て、キミが出張る必要はない! ボクが行く!」
「お前は黙ってろ!」
「キミこそ首を突っ込むな!」
 夏目はアキラにこの件の相談を持ち込んだことを、少し後悔した。






また夏目くんにご協力をいただきました。
本当はもっとわんさとクラスメートや先輩後輩を出して
BLっぽくわいわいやってみたかったのに……!
ちなみに海王学院の制服はブレザーで。似合わないけど(ヒカ)