DAY DREAM BELIEVER






 レセプションは予定通りの時刻に行われた。
 日中韓と三国の選手が揃い、壇上で来賓の大人達を見下ろす。さすがに四度目ともなれば、幾人かは見知った顔だと分かるものだな、とヒカルは人前でも落ち着いていられる自分に少しだけ驚いていた。
 各国のチームから一名ずつ代表で行う挨拶は、日本からは今年もアキラがマイクを握ることになった。それは事前の打ち合わせで倉田から指示された通りだったが、だからと言ってアキラがそのまま大将であるかどうかはまだ分からず、ヒカルは微かな不安を拭い切れずにいる。

『何度も言ったよな、実力順で決めるって』

 倉田の言うことはもっともだ。
 今のアキラが、韓国や中国の代表選手相手に全力を出し切れるかどうか。
 国際棋戦という手前、アキラなりに真剣にはなるだろう。しかし気持ちが入らない碁は駆け引きの部分で劣る。相手の踏み込みを見極められない。率先して勝ちに行こうという姿勢は必然的に影を潜める。
 若手とはいえそれぞれの国でトップ争いに加わる棋士たち相手に、そんな生温い状態で勝ちをもぎ取れるはずがない。それは、過去三度行われたこの大会で充分思い知らされている、ヒカルも、アキラも。
(でも、アイツは――塔矢なんだ)
 社の言ってくれた言葉の通りだ。
 塔矢行洋の息子として、「塔矢」の名を背負いながらもその名に恥じない功績を残して来たアキラ。
 いつだって真直ぐに前を見て、他の追随を許さない速度で上へ上へと走り続けて来たアキラが。
(こんな形で俺達に庇われるなんて――)

『お前、大将いけるか?』

 並びたいと思っていた。越えて行きたいと思っていた。
 でも、こんな形で越えて行きたい訳じゃない。
 涼やかに挨拶を終えたアキラの隣で、ヒカルはひっそりと歯噛みする。




 その後、各チームの団長による抽選が行われ、大会の組み合わせが決定した。
 初日の午前中は日本対中国、午後は中国対韓国。二日目に日本対韓国。
 中国からは恐らく昨年の三将が、韓国は洪秀英が大将席に座ることになるだろう――合宿での倉田の言葉は棋譜研究を行ったヒカルたちにも容易に予想できるものだった。
 昨年、中国の三将に対し粘りながらも敗北を記した社。どれほど再戦を願っていたか知れない。
 それなのに、社は全て分かっていた上でこう言ったのだ。

『それでも、俺よりアイツのほうが上やと思うてます』

 だから、レセプション後の日本チームによるミーティングで倉田が「中国戦の大将は塔矢」だと言った時。
 手放しには喜べない複雑な表情で、ヒカルは思わず社を見てしまった。






 その日の夜、夕食を終え、部屋でシャワーを浴びたヒカルがベッドに腰掛けて髪を拭いていた時、ピンポンと軽快なチャイムの音が鳴り響いた。
 肩にバスタオルを引っ掛けたまま、ヒカルがそっと扉の覗き窓から外の様子を伺うと、未だスーツ姿のアキラが立っている。ドアを開いて顔を出したヒカルにアキラは静かに微笑んだ。
「ごめん、シャワー浴びてた?」
「いや、もう出たとこだったから大丈夫。……入る?」
 アキラを中に招き入れ、ドアを閉める前にヒカルはそっと廊下に誰かいないかを確認した。他意があるわけではなかったが、半ば無意識の行動だった。
 アキラは部屋の奥へ進み、投げ出されたヒカルのリュックからぐしゃりとはみ出た中身を見て苦笑を見せる。
「相変わらずだな。いくら一人部屋だからってもう少し整理していたほうがいい」
「いいんだよ、きちっとしてると落ち着かねぇの。お前こそまだスーツ着てたのかよ? よく肩凝らねえな」
 タオルで頭をすっぽり包み、がしがしと髪を拭きながらヒカルは答える。
 なんとなくアキラの顔を直視することが躊躇われて、タオルは丁度良い隠れ蓑になってくれた。俯きがちにひたすら髪を拭き続けていると、ふとアキラが「進藤」と声のトーンを落として呼び掛けて来る。
「――キミ、納得していないだろう。ボクが大将の位置に座ることに」
 ヒカルは手を止めた。
 数秒の間を経て、ヒカルは頭を覆っていたタオルを肩へ落とし、それからゆっくりとアキラを振り返った。
 アキラは静かな表情で、ベッドに座りもせずに立ったまま、黙ってヒカルを見つめていた。
「……大将を決めるのは俺じゃねぇ。倉田さんだ」
「でも、キミはボクでは務まらないと考えている。違うか」
「……」
 ヒカルは返事をせず、じっとアキラを見つめ返す。
 アキラの口調は遅すぎず早すぎず、至極冷静なものだった。その落ち着いた様子がヒカルの腹の底をくつくつと小さく煮立たせる。
「ボクは、キミが大将でいいと思っている。今から倉田さんに進言したって構わない」
 何故落ち着いているのかと。
 あれほど力強く輝いていた勝ちへの執着は何処へ行ったのかと。
 気を緩めればアキラを責める言葉が湯水のごとく溢れ出て来るだろう。
 しかしヒカルがいくら怒鳴っても、アキラはその言葉の真の意図を理解し得まい。
 ……例えヒカルの言葉を聞き入れたとしても、他の人間に耳を貸さないようでは意味がない。
 アキラの目がヒカルだけに向けられている以上、どんなに諭したところで事態が変わるとは思えない。
 ヒカルは沸き起こる感情の波をぐっと堪え、額にへばりついた前髪を掻き上げて、低く答えた。
「……俺は。お前が本気を出せば、どんなヤツにも負けないと思ってる。」
「……」
「だから、明日も本気を出しさえすれば……お前は誰にも負けないはずだ」
「それで、副将の位置に甘んじると?」
「俺だけじゃない! 社だってお前の下で堪えてんだ!」
 思わず声を荒げたヒカルを、アキラは表情を変えずに見つめている。
 ヒカルは口唇の端を噛み、その黙した瞳を見ていられなくてアキラから顔を逸らした。
「俺も、社も……お前の力を信用してる。お前の強さを信じてるから、何も言わねえんだよ」
「ボクが本気を出せる保証もないのに?」
「……!」
 ヒカルは肩に引っ掛かっていたタオルをベッドへ投げ捨て、アキラへと詰め寄った。動かないアキラの右肩を乱暴に掴み、静かに口唇を結んでいるアキラを正面から睨み付ける。
「お前は……、お前は、何のために碁を打ってんだ!」
 自然と口をついて出た言葉は、何処かで聞いたことのあるフレーズを含んでいた。
 ヒカルが怒りよりも哀しみを強く表してアキラを見つめているのに、アキラは僅かに眉間へ皺を刻むのみ。
 その薄い口唇が小さく開いて、淡々としていながらもきっぱりと告げた、
「――キミのためだ」
 アキラのその言葉に、ヒカルは瞼を開いていられずに苦渋の表情のまま目を閉じた。
 きつく掴んだアキラの肩に額を乗せ、奥歯を噛み締める。失望が色濃く表れた顔をすぐに上げることはできなかった。
 アキラはヒカルの前髪で肩が濡れるのも厭わず、ヒカルを突き返したりしない代わりに抱き返しもせず、先ほどの言葉を告げた時と同じように淡々とした調子で呟いた。
「明日。……全力は尽くすよ。できる限り」
 ヒカルは返事をすることも、頷くことさえ出来なかった。





 ***





 日本対中国戦――

 一番手で勝利を手にしたのは三将の社だった。
 大会初日の緊張も見せず、先手必勝とばかりに果敢な攻めで相手を圧倒した社が開始三十分で中押し勝ちをもぎ取ったのだ。
 次いで副将のヒカルが終始優勢に盤面を進め、危な気なく六目半の勝ちを得た。
 整地も終わって結果が出たヒカルは相手に頭を下げるとすぐに立ち上がり、その背後で行われている大将戦へと顔を向ける。すでに対局を終えていた社が傍らでじっと碁盤の様子を見守っているようで、近寄ったヒカルは思わず問いかけるような目で社を見た。
 ヒカルの視線に気付いた社は、微かに顔色を曇らせ――緩やかにへの字を描いた口唇を静かに噛んでみせた。
 社の表情の意味を悟ったヒカルは、ざわめく胸を押さえて盤面を覗き込む。
 まだ終局までには何手か残っているが、……ここからのアキラの挽回は難しいだろう。
 眉を顰めたヒカルは、静かに静かに瞳を閉じた。






対局の内容はさくっと端折ってしまいました……
中国や韓国のオリキャラ選手はどうせ名前だけになるから
変に登場させないでおこうと決めていました。と言いつつ
本当は名前が考え付かないからですごめんなさい。