ぎゃあ〜! その隣の部屋、つまりヒカルの部屋でぼんやり室内を見渡していたヒカルは、ガチョウが首を締められたような悲鳴を聞きつけて飛び上がった。 なんだ、何事だとアキラの部屋までやってきて、戸口で呆然と佇んでいるアキラの後ろから部屋の中を覗き込み――絶句した。 部屋の八割が馬鹿でかいベッドに占領されていたのだ。 「な、なんだこれは……」 「で、でけえ……」 一人用にしてはあまりに大きい。二人用にしたって奮発しすぎではないだろうか。 そもそもこの部屋に全くサイズが合っていない。見れば、部屋には備え付けのクローゼットの他には家具らしいものがほとんどなかった。 かろうじてベッドサイドに小さなキャスターがあり、囲碁の本が数冊立てかけられている。それだけだった。どう見ても、この部屋はアキラの部屋というより単純な「寝室」だった。 二人はしばらく部屋の入口で立ち尽くしていた。そして、不審気に視線を合わせた。 「……、お前、実はすげえ寝相悪いとか? ありえないだろ。このサイズ」 「そ、そうなんだろうか……? き、キミの部屋は?」 「俺の部屋はフツーだったよ。ちっちゃいパイプベッドが置いてあった」 「……そうか……」 アキラは愕然とベッドを見つめ、分からない、という顔をしていた。 全く理解できなかった。この部屋にこのベッドが必要な理由が、いくらそこそこ身長のある男の身体だとしても、ここまで広さを要する意図が。 どうやって組み立てたのかも疑問に思うほど、部屋中がベッドだ。この大きなベッドで一人で眠っているのだろうか? ――二人ならともかく。 (二人……?) アキラは眉を寄せる。 まさか、自分がこの部屋に誰か連れ込んでいるなんてことがあるだろうか。 ひょっとして、恋人とかがいたりして――その人を招き入れているとか? わざわざベッドを買うことが必要になるほど頻繁に? この自分が? 想像できない、とアキラは肩を竦ませた。 「なあ、このベッドきっとすっげー高いよな。なんでお前だけこんなんで寝てんの? 俺んとこなんて硬そーなベッドだったのにい」 驚きに不満を混ぜた声でそう告げたヒカルは、固まりっぱなしだったアキラの脇をすり抜けてベッドに近づいた。 そしてえいっとベッドに飛び乗るように腰掛け、ぼよんぼよんとスプリングに揺られるのを楽しんでいる。 「すげー! これ、すっげえ寝心地良さそう〜! って、あれ……?」 興奮で輝きかけたヒカルの顔が、そのままぴたりと止まる。ヒカルの視線の先をアキラも追い、あっと目を丸くした。 ベッドに置かれていた枕は――二つだった。 ヒカルは二つの枕を凝視し、それから気まずげにアキラに顔を向ける。二人の視線が居心地悪く絡まった。 「……、お前、誰連れ込んでんの?」 「いいいや、ボ、ボクはそんな」 「この部屋……ベッドの他にほとんどろくなもんねえよな。まさかただのヤリ部屋……」 「そんな!」 ヒカルの口から出て来たとんでもない言葉を否定しようと、アキラは顔を真っ赤にして首をぶんぶん振った。 しかし目にしている証拠と言えなくもない品々を前に、全力で否定しようにも言葉は出て来なかった。 ヒカルは白々しい目線をアキラに送り、そうしてわざとらしく部屋の中をぐるりと見渡す。 「本気で余計なもん全然ねえし。お前ホントにヤリ部屋にしてるんじゃ……」 そう言いながら、ヒカルは何気なくベッドの枕傍に備え付けられた小さな引き出しに手を伸ばし、中を覗いた。 「……!!」 引き出しの中を見るなり顔を引き攣らせ、ざっとベッドの端まで飛びのいたヒカルの反応を不審に思い、アキラもそろそろと開けっ放しの引き出しを覗き込む。 「……!!?」 一瞬引き出しの中に整然と並んでいる箱が何か分からずにぐっと顔を近づけて、アキラもまたヒカルと同じように目を剥いて仰け反った。 それほど大きくない引き出しには小さな小箱……コンドームの箱が少なくとも十箱は収められていた。 更にその隣に転がっている瓶……英字で書かれた商品名はぱっと見何だか分からないが、ガラスの中の怪しいピンク色の液体はどう考えても健全なものとは思えない。 「……!!」 「……!?」 二人は声にならない悲鳴を上げてばたばたと腕を振り回したり髪を掻き毟ったりした。 やがて少しは現状を受け入れる気になったのか、ベッドの端で身を竦めたヒカルが顔いっぱいに軽蔑を表してアキラを睨みつけた。 「お前……、サイテー……」 「な! 何故ボクが!」 「だってこの量半端ねえぞ! しかも、なんだよその不気味な色のローション……! 変態!」 「し、知らない! ボクはこんなもの知らない!」 「知らなくても何でもお前のもんだろうが!」 ぎゃあぎゃあと言い争ったところでお互い譲る訳もなく、とうとうヒカルは四つんばいの全速力でベッドを降り、アキラから随分距離を取って部屋の出口へと向かった。 そして出て行きざまにアキラを振り返り、据わった半眼で吐き捨てる。 「お前、あんま俺に近づくなよ」 そうしてバタンと閉められた扉の向こうで、アキラが顔を真っ赤にしてわなわなと震えていた。 逃げるように自室に飛び込んだヒカルは、まだ先ほどとんでもないものを見てしまったショックから立ち直れずにアワアワとベッドの上によじ登る。アキラの部屋のベッドとは大違いの硬いマットに落胆しつつ、それでもあの部屋にいるよりマシだと身を震わせた。 ――なんだ、アイツ。真面目そーな顔しやがって、とんでもない変態なんじゃねえか!? あんな枕元に常備して、おまけにあのだだっ広いベッド……何のためにベッドを用意したのか言わずと知れたことではないか。 信じられねー、あんなのと何で同居してんだようと小ぢんまりしたベッドに突っ伏したヒカルは、枕の下に何やら硬いものが埋まっていることに気づいた。 「……?」 疑問を感じるままに枕の下に手を突っ込み、硬質かつ棒状のものが確かに隠されていることを手の感触で確かめて、何ら警戒せずにえいっと引っ張り出してみる。 手にしていたのは恐らく持ち手部分。その尻からだらんとコードが垂れ下がった。揺れるコンセントに目をやり、それから視線をどんどん上に移動させて…… ……先端部分のこの生々しい形は…… ……ナニ? この電動のオモチャ…… ぎゃあああ――!! 現状を認めきれずに呆然とベッドの前で突っ立っていたアキラは、今度は隣の部屋から響き渡った蛙が潰れたような悲鳴に飛び上がった。 「な、なんだ、どうした!」 「は、入ってくんなー!」 ヒカルの部屋のドアを開けた途端に枕が顔面を襲い、心配して駆けつけたにもかかわらずドアは無情に閉ざされた。 枕をぶつけられた弾みで派手に尻餅をついたアキラは、眼前に立ちはだかるドアを唖然と見上げた。貧相な枕を抱えたまま。 ――全く! 人を変態呼ばわりした挙句、枕をぶつけるなんてどういう了見だ……! どすどすと床を踏み鳴らしながらアキラが戻ってきたのは自室ではなく、リビングだった。 どうもあの大きなベッドが占領する部屋に一人でいる気になれない。これまであのベッドの上でどんなことが行われていたのか……いけないと分かっていながら想像してしまいそうになって、とても冷静でいられない。 リビングのソファに深く背中を凭れさせて、アキラは大きなため息をついた。 こんなことなら、親がいなくとも実家に帰ると言えばよかった……。 マンション暮らしを始めたのは二年ほど前らしい。それまでも両親が不在がちの家にほぼ一人暮らし状態だったようなのに、何故わざわざこんなマンションに引っ越してくる必要があったのだろう。 ――まさか、進藤の言うとおり、ヤリ部屋…… 「そ……そんな馬鹿な……」 項垂れて髪を掻き毟る。そんな欲求があるのだろうか? 自分の中に? 記憶を失う前の自分は、「変態」と罵られても文句を言えないような生活をしていたのだろうか? ――否! アキラはきっと顔を上げ、拳を握り締めた。 あれは正しい性生活の証だ。男の責任、男の義務。咎められる筋合いはない。寧ろ、重要なのは自分にそういう相手がいるということではないか。 無理やりに自分を納得させたアキラは、それではと携帯電話を取り出した。 身体の関係がある相手――つまり恋人がいるのなら間違いなく携帯に登録されているだろう。その人からかつての自分の様子を探ることもできる。 恐らく何人かは登録されているだろう女性に、片っ端から当たってみようかとメモリをチェックし始めたアキラだったが…… 「……一人だけ?」 登録されていた女性の名前はたった一人、市河晴美。 もしやこの人が、あのどでかいベッドで睦み合っていた(と思われる)相手……? 艶かしい想像をしかけて、ブンブン首を振ったアキラは、とにかくこの人とコンタクトを取ろうと電話をかけてみることにした。 |
長さの都合上ここで区切りましたが、市河さん絡めて
どたばたってのはないので身構えないで下さいね。
ヒカルのオモチャはアレです、アキラ出張対策(サイアクだ…)
アキラの寝室も探せばもっといろいろ出て来ます……