ファンタジア






「ねえ、可愛いと思わない?」
 明子の微笑みに、塔矢門下生一同は苦笑しつつ、しかし心底本気で頷いた。
 目の前にいるのは、愛らしく晴れ着で着飾ったアキラ。
 しかしその表情がどこか憮然としているのは、その晴れ着というのが袴ではなく振り袖であるからだろうか。
「私の小さい頃の晴れ着なのよ。いつか女の子ができたらって取っておいたものだけど、アキラさんによく似合うわあ」
 上機嫌でアキラの髪を梳く明子だったが、アキラは先程からじっと口唇を引き締めたまま何も言わない。
 黙ったままのアキラが少々心配になったが、芦原や緒方といった塔矢門下の面々は師匠の奥方の話につき合わざるを得ない。
「本当に可愛いですね。アキラくんは」
「何処から見ても女の子みたいですよ」
 およそアキラ本人にとっては褒め言葉とは受け取れない賛辞を次々に口にし、明子が満足する様を見てほっと安堵の息を漏らす塔矢門下一同。
 そもそも、発端は七五三の話だった。
 通常七五三は、男児は三歳と五歳、女児は三歳と七歳の時に子供の健やかな成長をお祝する儀式である。
 数え年で七歳のアキラにとって、七五三とは過去のイベントであるはずだった。
 しかしそんなことを知らなかった門下生の一人が、研究会終了後に明子が運んで来たお茶と菓子を頬張りながら、アキラの七五三はもう行ったのかを尋ねたことが始まりである。
「男の子には七歳のお祝いはないんですよ。アキラさんは、ちゃんと数えで三歳の時に袴、五歳の時に羽織を着せてお祝いを済ませているんですもの」
「そうなんですかあ。知らなかったなあ、男の子と女の子でお祝いする歳が違うんだあ」
 頭を掻いて恥じる彼のみならず、他の門下生たちもほほうと物珍し気な相槌を打っていた。ここに集まっている門下生たちは十代〜二十代の歳若い棋士(とその卵)たちが多く、子供を持つ年齢でもないため、そんな知識はからっきしな人間ばかりだったからである。
 明子は顎に手を添えて、ふう、とため息をついた。
「袴も羽織もとても可愛らしかったのよね。でも、欲を言えば女の子の振り袖もみたかったわあ」
 塔矢夫妻にはアキラという一人息子しか子供がいない。今になって、女の子も欲しかったわと呟く奥方に、緒方が気を利かせたつもりでこんなことを口走った。
「アキラくんなら振り袖も似合うでしょう。そこらの女の子よりずっと可愛らしいですよ」
 はっとした明子の目がきらりと輝き、それからものの数分と経たない内に奥の間で芦原と対局中だったアキラを引っ張って来て、自分の部屋へと拉致していったのだ。
 二十分後、戻って来た明子に手を引かれてやってきたアキラは、それはそれは愛らしい晴れ着を身に纏っていた。
 その姿はお世辞抜きで、緒方の言葉通りそこらの女の子では歯が立たない可愛らしさだった。
 アキラがむっつりとしているので多少魅力が半減しているが、これでにっこりと微笑まれてしまった日には、誰もがこの子の将来をいろいろな意味で期待し、心配したことだろう。
「本当に可愛らしいわ。アキラさんは何を着せても似合うのね」
 にこやかにアキラの振り袖を整える明子にも、アキラは何も答えない。
 芦原はだんだん心配になってきた。アキラが何も言わない時は、大体が機嫌の悪い時である。
 対局で負け続けた時も、最初こそ躍起になって再戦を望むが、そのうち自分自身に腹が立つのか無言になってしまう。そういう時のアキラは、結構タチが悪いことを芦原は知っていた。
「あ、明子さん、アキラくん……帯が苦しいんじゃないかな? そ、そろそろ脱がせてあげたほうが……」
 芦原が何とかアキラに救いの手を差し伸べてあげようとするが、明子はいいえと首を横に振る。
「お写真撮ってからにしましょう! アキラさん、こっちへいらっしゃい」
 いそいそとアキラの手を引く明子と、黙って手を引かれるアキラ。
 その後ろ姿に子供ながら哀愁が漂い、芦原ははらはらと二人の様子を見守った。


 ようやく明子がアキラを解放し、元通りの男の子らしい服装に戻ったのは一時間後。
 芦原は対局が途中だったこともあって、アキラが戻って来るのを待っていた。
 アキラは浮かない顔をしていた。むすっとしているというより、落胆の表情であるといったほうがより近い表現である気がした。
「アキラくん……、お疲れさま……」
 思わず七歳も年下のアキラにそんなことを言ってしまうほど、アキラは疲れた顔をしていた。
 ふと、芦原を見上げたアキラは、何だか哀しそうな顔をして芦原の服をぎゅっと掴む。
「あしわらさん。ボクは、おんなのこにうまれたほうがよかったのかなあ……」
「ええ?」
 芦原は驚いて腰を屈め、アキラと目線を合わせてやった。
 アキラは今にも泣き出しそうな目をふるふると揺らしている。
「おかあさんはほんとうはおんなのこがほしかったんだって。おじいさんからきいたんだ。だからボクはいつもおんなのこみたいなかみをしてるんだって」
「アキラくん……」
「ボクがおとこのこだから、おかあさんはがっかりしたのかな……」
 そう言ってぎゅっと口唇を噛み締める小さなアキラを見ていると、芦原もどんどん目尻が下がって泣きたくなって来た。
 アキラの頭に手を乗せて、優しく髪を撫でてやる。
「そんなことないよ。お父さんもお母さんも、アキラくんのことが大好きなんだ。この髪も、アキラくんにはよく似合ってるよ。お母さんは、アキラくんが可愛くて仕方ないからいろんな格好をさせたがるんだよ。」
「ほんとう? あしわらさん」
「本当だよ。アキラくんが男の子でも女の子でも、お父さんとお母さんはすっごく喜んだと思うよ! 二人とも、いつも俺たちにアキラくんの自慢をしているからね〜。」
「ボク、おとこのこでもいいのかな?」
「アキラくんはそのままでいいんだよ!」
 ようやくアキラの表情が明るくなった。
 どうやら、周りが思っていた以上にアキラは自分の格好を気にしていたらしい。
 無理もない。いくら小さな子供とはいえ、アキラのようにおかっぱにしている男の子は見かけたことはない。普段の服装が女の子じみているわけではないから間違われることはないにしろ、芦原が初めてアキラに会った時は「ひょっとしてこの子を女の子として育てようとしているんじゃ……」なんて疑ってしまったことも事実だった。
 しかし何のことはない、後日明子にさりげなくアキラの髪型を尋ねてみると、
「ああ、あれ。切り揃えるのに楽な長さなのよ」
 なんてあっけらかんとした答えが返って来た。
 つまり、あのおかっぱに明子の何らかの意思表示がある訳ではないらしい。それがアキラを悩ませているとは露知らず。
 思いがけずアキラの振り袖姿を見られた上、自分が男であることに罪悪感を感じているアキラを慰めてあげることができた芦原だったが、芦原の「そのままでいい」という言葉を無邪気に信用したのか、アキラはそれ以来ずっとおかっぱ頭を貫き通している。
 恐らく本人も何故自分があの髪型をし始めたのか分かっていないだろう。分かっていないうちにあの頭が定着してしまったため、今更ヘアスタイルを変えるなんてことを思いつきもしないのだろう。
 しかし、すでに少年というよりは青年という部類に入る程、背丈が伸び体格も良くなって、顔立ちも女の子めいた母親似の面影よりは父親の風格が現れ始めて来たアキラだというのに、あの髪型がやけに似合っているものだからどうしようもない。
 周囲も止めない。本人も気にしない。
 ひょっとしたら、塔矢アキラは死ぬまでおかっぱなんじゃないだろうかと時々心配になるほど。




 ***




「ええ〜、俺も見たかったなあ、塔矢の着物」
「もうね、あんまり可愛くてあの時はちょっとだけアキラの性別を呪ったね。今はしっかり男っぽくなっちゃったし、アキラも覚えてないんじゃないかなあ」
 ヒカルは芦原の言葉にちょっとだけ不安を覚えつつも、確かに今では女性めいた部分が一切ないアキラを思い起こして肩を竦めた。
 長身である父親に似たのか、アキラの身長はヒカルよりも高く、その分肩幅なども勝っている。何より手が大きくて、長く節ばった指が男らしいとヒカルは何度か検討中に見蕩れてしまったことがあった。
 同じ歳でありながら自分より大人の男に見えてしまうアキラに若干の嫉妬もあったが、そんなアキラの男らしさにも惚れているのだからどうしようもない。
 とはいえ、小さな頃の可愛らしいアキラも見てみたい。
「塔矢のおばさん、その七五三の写真も持ってるかな?」
「あー、絶対あるよ。明子さんはそういうのしっかり保管してるから。きっとウキウキしながら出してくれるよ」
「うわあ、見てえ。すげえ可愛いんだろうなあ、今のアイツからは想像できないくらい!」
「今のアキラが振り袖着たら相当な大女になるだろうねえ……」
「……それもちょっと見てみたいかも」
 目を輝かせるヒカルに、本当に進藤くんって面白いねえと芦原が歯を見せて笑った、その時。
 ぐら、と軽く二人の身体が揺れた。






うわっ期待外れですいません。
もーこれ以上無理無理!
上の七五三云々は適当に調べた結果なので間違ってたりして(汗)