――まったく、酷いことになってしまった。 苦虫を噛み潰したような表情で、緒方は愛車のハンドルを握っていた。 こんな悪天候の中、ドライブするのは趣味ではないが、せざるを得ない状況になってしまった。 千葉で行われたイベントから戻ったばかりで、くたくたに疲れた身体に鞭打って雨の中を運転し、ようやく辿り着いた自宅のマンション。すぐにでも熱いシャワーを浴び、ベッドに寝転がりたい気分だったというのに。 マンションの駐車場に入ろうとした緒方は、愛車の中から見てはいけないものを見てしまった。マンションに横付けされた二台の車……色といい、ぼんやり見える車内の装飾といい、明らかに見覚えがある。 慌てて車をUターンさせた。――どうやら二人の女が鉢合わせしてしまっているらしい。今頃緒方の部屋の前で主不在の修羅場が繰り広げられているのかと思うと、恐ろしくてとても戻る気になれなかった。 最近あまり構ってやらなかったら、すぐこれだ。全く女ってやつは面倒で困る。自分の素行の悪さを棚に上げ、緒方はぶつぶつ呟きながら不機嫌丸出しの表情でハンドルを握り直す。 彼女たちがいつ諦めてくれるかは分からないが、少なくともこの雷雨が収まらないことには帰る気にもならないだろう。要するに、天候が回復するまで、緒方は逃げ続けなくてはならないということだ。 しかしこの大荒れの天気の中、長く車に乗っているのも辛い。視界は悪いし、タイヤがスリップして事故でも起こしたら洒落にならない。 何処か慣れたホテルにでも逃げ込もうと通りを走らせていたら、ふいに辺りの電気が消えた。どうやら停電になったらしい。先程から落雷が酷かったから、無理もないことだろう。 あまり走っている車も見当たらなかったとはいえ、信号までもが消えてしまい、緒方はこれ以上運転を続けるのは危険だと判断した。 幸い、緒方はそこからあまり離れていない場所に、師匠である塔矢行洋が経営する碁会所があることを思い出した。まだ時刻は午後の八時前。通常なら碁会所が開いている時間である。 停電から復旧するまで、碁会所で時間を潰していればいい。そう思って愛車を碁会所前の道路に横付けしたのだが―― 「……なんだ、誰もいないのか?」 てっきり碁会所が真っ暗なのは停電のせいだと思っていたが、中に人影らしきものが見えない。 ひょっとしたら今日はこんな天気でもあることだし、早々と閉めてしまっていたのだろうか? だとしたらついていない。 肩を落としながら念のために自動ドアに手をかけると、ガタン、と少し隙間が開いた。 緒方は目を見張る。この自動ドアは、停電時に手動モードに切り替わることは緒方も知っていた。しかしそれは鍵がかかっていない場合のみだ。 ドアが開くということは、停電前にこのドアは何もロックされていなかったことになる。もしや中に人がいるのだろうか? 緒方は隙間に手を差し込み、力を込めてドアを引いた。からからと音を立てて、ドアは呆気なく開く。 空が眩しく光り、ガラガラと激しい落雷の音がする。どこか近くに落ちたかもしれない――緒方はそんなことを思いながら碁会所の中に足を踏み入れた。雷の光に照らされた碁会所の中に、やはり人の姿は見当たらなかった。 「誰かいるか?」 声をかけるが、返事はない。ただ、雨と雷の音が耳障りに響くのみだった。 「……市河さんが鍵をかけ忘れたのか?」 そう呟いてから、普段の彼女の働きっぷりを知る緒方は、考えにくい結論だと眉を顰める。何しろ、碁会所には高額な中身ではないにしろ金庫だってあるのだから、しっかり者の市河がそんなくだらないミスをするはずがないだろう。 ひょっとすると、今は何処かに出かけているが、すぐ戻ってくるつもりなのだろうか。この悪天候の中、何処かに出かけなければならない理由が思いつかないが、緒方はそんな結論で自分を納得させることにした。 であれば、市河が戻るまで留守を預かるほうがいいだろう。緒方は念のためカウンターの内側に隠れている金庫に異変がないかを確認し、手近な椅子を雷の稲光を頼りに引き寄せて腰を下ろした。 それにしても酷い空だ。いつまでも車を路肩に置いておいたら、何か飛んできて傷を作るかもしれない。 早く停電が復旧し、市河が帰ってくるといい――緒方はそんなことをぼんやり考えながら、胸ポケットから取り出した煙草に火をつけた。 (……おい、座り込んじゃったぞ) (……) 一方、先程睦み合っていた場所から一足飛びで碁会所の奥に引っ込んだヒカルとアキラの二人といえば。 相変わらず下半身だけを外気に晒したまま、間抜けな格好で身を寄せあって隠れていた。 幸い雨と雷の音がうるさくて、二人が小声で話しても緒方には聞こえていないようだ。 しかし、緒方がいつまでここにいる気なのかは知らないが、もしも電気が復旧してしまったら、いくら二人が気配を殺していても脱ぎ捨てた衣服が見つかってしまうだろう。 服が見つかれば、自分たちの存在にだってきっと気付かれる。酷く恥ずかしい格好のまま、緒方に発見されることを想像してヒカルは身震いした。 (どうすんだよ。もしこのまま停電直っちゃったら、俺ら絶対見つかるぞ) 先程まではかなり乗り気でアキラに絡んでいたくせに、まるでアキラが悪いと言わんばかりの口調でヒカルはアキラの腕を揺さぶった。 アキラはしばし無言で緒方の様子を伺っていたが、やがて意を決したように口を開く。 (……追い出そう) 低いアキラの呟きに、ヒカルはへっと間抜けな息を漏らした。 この大荒れの天候の中、どんな理由があって緒方が碁会所なんぞにやってきたかは分からないが、その理由も聞かずに「追い出す」とはいくら何でも乱暴な了見ではないだろうか。おまけに、仮にも相手はアキラの兄弟子である。 ところが、テーブルの脚の隙間から煙草を燻らせる緒方を睨み、雷に照らされるアキラの横顔は真剣だった。 (追い出そう。久しぶりに手に入れた貴重な時間を奪われてたまるか) (お、追い出そうっ……て、どうやって?) (ボクに考えがある) 二人はひそひそと囁きあい、雨音に紛れて作戦を練り始めた。 ヒカルはスースーする下半身と、先ほど遠くまで吹っ飛ばしてしまったアキラのトランクスの行方を気にしながら、アキラの告げた作戦内容にげんなりと顔を顰めることになった。 |
二人とも下だけ裸のままです……
それにしても停電長いな。