LOVE & GAME






 翌日の検査の結果、脳に異常はなし。全ての数値が安定し、足の捻挫以外はアキラは全くの健康体ということになった。
「頭を打った弾みで記憶が混乱しているのかもしれませんね。ふとしたきっかけでぽんと記憶が戻った例もありますし、あまり悲観せずにしばらく様子を見てみましょう」
 医者の言葉は母を勇気付けるだけでなく、アキラの計画の後押しも兼ねてくれたようだった。
 経過観察のためにもう二、三日入院しましょうとの医者の提案をアキラは突っぱね、慣れていたであろう家に帰りたいと記憶を失って不安なフリをしてみせた。結局数日通院して状況を報告することになり、アキラは退院の準備をするべく意気揚揚と病室に戻っていった。
 車椅子は大仰なので断わり、松葉杖でぎこちなく廊下を進んでいると、隣で付き添っていた母がふと前方を見て「あら」と声を上げた。
 アキラも釣られて顔を上げると、アキラの病室の前に人が立っている――ヒカルだ。
 思わず目を輝かせかけて、アキラは慌てて顔を伏せる。あまり喜びすぎると変に思われる。なんたって今は記憶を失っているのだ。
「進藤くん、今日も来てくれたの。ありがとう。もうお仕事は終わったの?」
 母がにこやかに話し掛けると、ヒカルはリュックサックを背負ったままぺこんと頭を下げた。
「はい、今日は対局だけだったから……。塔矢、大丈夫ですか?」
 心配そうな声が胸に染みるが、感動に浸ってはいられない。アキラは心の中で気合を入れ、作り笑顔でヒカルに顔を向ける。
「大丈夫だよ。ええと……進藤くん、だっけ」
 アキラがそう言うと、ヒカルは確かに傷ついた顔をした。アキラは思わず声を詰まらせそうになる。しかしここでへこたれてはいけない。
 ヒカルは少し戸惑ったように目線を泳がせながら口を開いた。
「……進藤ヒカルだよ。お前、俺のこと進藤って呼んでた」
「そうか。……じゃあ、進藤って呼んでもいい?」
「……うん」
 まだ瞳は哀しそうに揺れていたけれど、少しだけヒカルの表情に安堵の色が浮かんだようだった。
 ごめんね、とアキラは心の中で何度も何度も謝った。
 母とヒカルに伴われて病室に戻ったアキラは、一旦ベッドに腰を下ろしてふうと一息つく。
 慣れない松葉杖は思ったよりも肩や腰に負担がかかる。しかし本来松葉杖を使うほどの捻挫ではないため、世話になるのも病院の中だけだ。
 しばらくは右足が不自由だが、十日で治るのだからそれくらいなら我慢できる。アキラは軽く右足を動かし、鈍い痛みに顔を顰めながらもその程度を確かめていた。
「え、塔矢もう退院しちゃうの?」
 さくさくと荷物をまとめている明子に対し、ヒカルが驚いたような声をあげた。明子はヒカルを振り返り、「アキラさんが退院するってきかなくて」と苦笑い気味に説明した。
「記憶を失って不安みたいで、家に帰りたいって。でも、そのほうがいいかもしれないわね。いつもの景色を見たら何か思い出すかもしれないし……」
「そう、ですよね……」
 ヒカルもなるほどと思ったらしい、それならばと退院の準備を手伝い始めた。
 とは言っても昨日やってきたばかりなのだから、大した荷物があるわけではない。もしかしたら退院が長引くかも、と思って明子が揃えたお泊まりグッズはほとんどが未開封で、そのまま紙袋に入れてしまえば荷物の整理は完了だった。
「受付で精算してくるわね。すぐ戻りますから」
 明子はそう言ってヒカルに頭を下げ、病室を出て行った。二人だけになったところで、アキラははたと自分の格好に気付く。
 荷物はまとめたものの、未だに自分は入院着のままだった。着替えなければ、とベッド脇に揃えて置かれている荷物のひとつを指差す。
「進藤、すまないがあのバッグを取ってくれないか」
「これ?」
 ヒカルが手渡してくれたバッグを受け取り、中から着られる服を探る。恐らく事故があった時に着ていた服は汚れてしまったためか見当たらず、明子が用意しておいてくれたのだろう普段着をようやく見つけて引っ張り出した時、ヒカルがはっとした。
「き……着替えんの?」
 ああ、と答えかけて、アキラはヒカルの頬が微かに赤く染まったのを見た。
(え……?)
 ヒカルは戸惑いながら、「じゃ、じゃあこっち向いてる」とぎこちなく告げてアキラに背を向けてしまった。
 アキラの胸がどきどきと音を立て始めた。
 ――別に男同士なのだから、目の前で着替えたって普通なら意識することもないはずだ。キミは、やっぱり……
 思わず頬が緩みかけたが、いや、まだだと気持ちを引き締める。
 単にヒカルが見かけに寄らずシャイなだけかもしれない。判断材料のひとつにはなろうが、決定打とはなりえない。
 ならばと上下のセパレートになっている入院着の上をがばっと脱ぐと、もっとオシャレなトランクスを履いておけばよかったと内心舌打ちしつつ、下にも手をかける。そして、ヒカルに声をかけた。
「進藤」
「な、なに?」
「手伝ってくれないか」
「え?」
「包帯が邪魔でうまく脱げないんだ」
 アキラの言葉にヒカルは恐々首を回して、半裸の姿にぎょっと肩を竦めた。先程よりも顔が赤くなったのは気のせいではない。
 アキラはいいぞとガッツポーズを作りたくなる気持ちをぐっと堪え、ヒカルの反応を待った。ヒカルの喉が大きく上下したのが見え、少し間があった後、ヒカルが小さく頷いた。
「わ、分かった……」
 掠れた声でそう言ったヒカルは、ゆっくりとアキラに近寄ってくる。そして腰を屈め、膝辺りまでずらされている入院着のズボンに手をかけた。
 実にぎこちない手つきでそろそろと引き下ろされていくズボンに、アキラはかあっと身体の芯が熱くなってくるのを感じてしまった。
 ヒカルに脱がされるというシチュエーションを迎える日が来るだなんて……!
 自分で仕掛けたとはいえ、あまりに刺激的で心臓に悪い。おまけに腹の下のものがじわりと反応しかかっている。ヤバイ、とアキラは下腹に力を込めた。
 ヒカルもやけに息が荒く、ズボンひとつ脱がすのにやたらと時間がかかっている。見れば指先が震えていて、アキラの言葉通り右足に巻かれている包帯に布が引っ掛かってうまくはかどらないようだ。乱暴にすると足が痛むと思っているのだろう、ゆっくり、ゆっくりとズボンは脛を下り、足首を辿って爪先から引き抜かれる。
 二人の頬は不自然に蒸気していた。
 アキラは若い自分の分身を宥めながら、ここで攻撃の手を緩めてはならないと呼吸を整える。そうして意を決してヒカルに告げた。
「それ……履かせてくれないか」
 指差したのはたった今取り出したばかりの新しい服。ヒカルの喉が再びごくりと音を立てた。
 ヒカルの中でも何か葛藤があったのだろうか、表情を迷いを見せて、それでもヒカルは確かに頷いた。
 ズボンを手にとり、アキラの足に宛がう。左足は難なく脛まで通ったが、足首から膝下にかけて包帯が巻かれている右足はやはり手間取った。
 苦心しながらもじわじわズボンを履かされ、ヒカルがやりやすいように太腿を軽く持ち上げながら、アキラは渦巻く身体の熱と必死で戦った。
 ――ああ、脱がされるのもいいけど、履かされるのも……いい……
 本来の目的とは違った手ごたえを感じつつも、ズボンが太腿まで到達したその時。
「遅くなっちゃってごめんなさいね。受付が込んでいて」
 朗らかな明子の声と共に、焦ったヒカルがぐいっとズボンを引き上げた。
「いっ!」
「あ、わ、わりっ!」
 裾にかかとが引っ掛かって激痛が走った右足を、ヒカルが申し訳なさそうにさすってくれる。大丈夫、と涙目になりながらもアキラは引き攣った笑みを見せた。
「あら、着替えを手伝っていてくれてたのね、進藤くん。ありがとう。ホラアキラさん、ぼうっとしてないでさっさと着替えておしまいなさい」
「は、はい……」
 名残おしさを感じつつもズボンを腹まで引き上げ、シャツに袖を通す。
 思いがけなく素敵な体験をしてしまった――アキラが横目でヒカルの表情を盗み見ると、ヒカルはシャツの胸元を摘んでぱたぱたと風を送っている。その顔は赤い。
 ただの友人同士なら、着替えを手伝うくらいでこんな顔をするはずがない……アキラは期待に高鳴る胸と中途半端に刺激された下半身を気力で押さえながら、ヒカルと母に見えない位置で小さなガッツポーズを作った。






おかしい、こんな変態要素はリクエストになかった……
すいません……