「どんな人やろな。なんかあたしキンチョーしてきたわ」 「……どうせむさいオッサンやろ」 東京駅に向かう新幹線の中、いつも遊びに行く格好よりも若干気合の入った服装の少女二人は落ち着かなくシートに座っている。 美冬の隣に座っている花恵は中学に入学してすぐに仲良くなった親友だ。日頃実冬が兄に対して悪態をつくのをにこにこと聞いてくれる穏やかな彼女は、兄の言葉通りどこかぼうっとした天然少女でもあった。 渋谷行き計画は、健気にも夏休み前から二人で企てていた一大イベントだった。 彼女たちくらいの年になれば、東京くらいの距離なら臆せず遊びに行くことも珍しくない。しかし二人は地元でさえ近場に買い物に行く程度の狭い行動範囲しか持たない、遊び慣れしていない大人しい少女たちだった。 二人にとっての東京は、家族旅行でも滅多に行かない遠い夢の場所。年頃の少女らしくファッション雑誌などをめくっては、憧れの地に思いを馳せる。 この靴可愛いなあ。あ、このスカート、欲しいなあ…… 『なあ、ここの新作、年内に限定発売やって。ええなあ、買いに行きたい』 『せやけど渋谷店限定やんか。なんでこっちでも売ってくれんのやろ』 『……渋谷、行ってみたいなあ』 『……行ってみたいなあ』 他愛のない会話から派生した渋谷行きが、少女たちのお喋りのパワーを得て徐々に膨らんでいく。 『年内って、いつ頃やろ。冬かなあ』 『受験前やね……怒られるかな』 『でも、息抜きになるんちゃう?』 『せやね……』 最初は冗談交じりに話していた内容が、東京までの新幹線は何時間、お店の地図はこれ、と次第に充実していき、それにかかる費用をざっと計算した結果、これからお小遣いを貯め続ければいける、と結論が出た時の二人の表情の輝きようは見事なものだった。 普段真面目に勉強しとるし、これくらいええよね。うん、東京なんてすぐやもん。みんなしょっちゅう行っとるし――こうして地道に資金を集めて、恐る恐る申し出た親には意外にもあっさり了承の返事をもらい、初めての友人との東京行きに浮かれていたのも束の間。 親より煩い美冬の兄の詮索が入ってしまった。 高校生のくせに囲碁なんておかしな職業を並行する、変わり者の兄貴。見た目はヤンキー崩れのようで、黒いスーツを着ると時々ホンモノに見えてしまうガラの悪さが美冬は嫌でたまらなかった。そんな兄とそっくりと周りから言われる事もたまらなく腹が立った。 学校の友達はともかく、囲碁関係で連れてくると言えば、兄よりも年上のオヤジのようなむさくるしい男ばかり。そんな面々が集まって小さな碁盤を囲み、ちまちまと石を打っている図が美冬にはどうにも耐えられない。 両親は兄が碁打ちになることに随分反対していた。実になるはずがないというのが大きな理由だったのだろう。それくらいまだ中学生の美冬にだって分かる。あんな博打のような職業、成功するはずがないではないか。 その反対を押し切って、兄はプロになった。本当は高校も行きたくなかったらしい兄の考えが全く理解できない。普通、高校くらい当たり前に出るものだろう――彼女の中の小さな常識を平気で超えようとする兄の行動はいちいち美冬を苛立たせた。 その兄も、ようやく碁で活動していくことに両親の許しを得て、来年には家を出て行く。 せいせいすると思いながらも、あっさりと一人暮らしを決めた兄の薄情な決断にまた不思議な腹立たしさを感じる。 豊秋なんか、春兄ぃにあんなに懐いてんのに。あたしのお弁当、これから誰が作るねん…… 居たら居たで口煩く、居なければそれも腹が立つ。このやり場のないもどかしさのせいで、兄と顔を合わせるたびにくだらない言い争いばかりしてしまうのだ。 ――春兄ぃが煩いから悪いんや。まだ十八やのに、ほんまオッサンくさい…… 『美冬、俺の友達に頼んどいたで』 『は?』 『お前らだけやったら人攫い以前に迷子になるかも分からんからな。渋谷に詳しいヤツに案内お願いしたったから』 『なんでそんな勝手なことするん! どうせまたオッサンみたいな人なんやろ? 嫌や!』 『いやいや、オッサンやないで。俺とタメやし』 『……、まさか、塔矢さん?』 『あー、塔矢にも一応声かけたんやけどな、アイツ対局あるから無理やって。まあ、アイツと渋谷の組み合わせも想像つかんけどな。大丈夫や、頼んだのは違うヤツ。アイツなら俺なんかよりずっと向こうに詳しいし、それにいろいろ安心やからな……』 本当に余計な手回しばかりしてくる兄だ。女二人の冒険旅行に水を差そうとは。 花恵だって見知らぬ男の同行など嫌がるに違いない。花恵が嫌だと伝えたら、いくら兄でも諦めるだろう……そう思っていた美冬だったが。 『お兄さんと同い年ってことは十八歳!? ほんま!? なんかドキドキする〜!』 ……意外にも花恵がノリノリになってしまった。 確かにクラスメートの少年たちに比べて、十八歳という年上の男性にちょっと興味を持つ気持ちは美冬にも分かる。しかしあの兄の友人なのだ……どうせむさくるしい男に違いない。 「でも、先月遊びに来た人はすっごいキレイやったんやろ?」 「せやけど……あの人はなんか特別な人みたいやし。あんなの滅多におらんと思う」 「今日来る人もカッコ良かったらええなあ。でもあたし、美冬の兄ちゃんもカッコええと思うよ」 「はあ? あんなんただのヤンキーやろ」 薄ら頬を赤らめた美冬は、場をごまかすように腕にはめた可愛らしいピンクの時計を覗きこんだ。 あと十五分――目前に迫った東京を思って胸が高鳴る。そして、兄が用意したという案内人を想像しながらため息をつくのだった。 「こんだけぎょうさん人いて、ちゃんと会えるんかな……」 花恵が心細そうにぼそりと呟いた。 美冬もそれは同感だったが、口にしてしまうと余計に不安が募ってしまうので、きゅっと口唇を引き締める。 『目立つ前髪しとっから、すぐ分かると思うで。』 兄の言葉通りの人間を探す。 年は十八歳、身長は兄よりは若干低いがそこそこあって、服装は基本カジュアル、そして何より特徴的な金色の前髪…… あ、と美冬は口を開けた。 見渡していたある方向に、兄が説明した通りの容姿の男が一人――と思ったら、彼は間違いなく美冬たちのほうに顔を向けていて、真っ直ぐ近づいてくる。 その場に固まって動けない二人の目の前までやってきた彼は、軽く背を屈めてにっこり笑った。 「もしかして……美冬ちゃん? 社の妹の」 美冬は声を出すことができず、ただ呆然と頷いた。 彼は安心したように目を細めると、屈託のない笑みで二人を優しく見下ろした。 「良かった、すぐ見つかって。俺、進藤ヒカル。お兄さんから話聞いてるよね?」 「は、はい」 ようやくか細い声が漏れる。隣の花恵はぼうっとヒカルを見上げて微動だにしない。少しずつ冷静さを取り戻しつつあった美冬は、あからさまにヒカルに見惚れる花恵を気にしながらも上目遣いに兄の友人を観察した。 話に聞いた通りの金色の前髪。確かに目立つが、想像していたほど品のない金髪ではなかった。思わず眉を顰めてしまうようなそんないやらしさはない。やけににこやかな笑顔がそう見せるのだろうか…… 「よし、じゃあ行こうか。まずどっかお茶でも飲む? 疲れただろ?」 ヒカルの言葉にはっとした美冬は、慌てて隣の花恵を振り返る。花恵は相変わらずぼんやりした目でヒカルを見上げていた。 ダメだ、と判断した美冬は、改めてヒカルに向き直って「はい」と頷いた。 |
とりあえずお約束の展開で行きます。
ちなみにこの時点で美冬は14歳、中学3年です。