Maybe Tomorrow





「ん……」
 肌寒さに身を捩り、そうして漏れた自分の声にアキラは薄らと目を開く。
 隙間から入り込んできた光が眩しくて、再びアキラはきつく目を瞑った。それでも一度覚醒した意識はそれ以上逆戻りせず、アキラは夜明けを迎えてしまったことを理解した。
 アキラの動きに、腕の中にいたヒカルもまた身動ぎする。
 金の前髪を微かに揺らして寝ぼけた眼を開くヒカルに、アキラは微笑んで口唇を寄せた。額に小さなキスを落とすと、ヒカルの口元がふにゃ、と緩んだ。
「おはよう、進藤」
 肩に頬を摺り寄せてくるヒカルの身体を優しく抱き締めながら、アキラはふっと頭上の窓を見上げた。
 外はすっかり明るくなっている。夜明けから随分時間が経ったような空だ。
「今、何時だろう」
 部屋を見渡しても、時計らしきものは見られない。携帯電話を見るしか時刻を知る方法はなさそうだが、胸にくっついているヒカルを手放してしまうのが躊躇われる。
「何、お前今日手合いとか?」
「いや、今日は何の予定もないみたいだけど。家のほうが……」
 アキラは昨夜仕掛けてきたベッドの中の人型毛布を思い出し、苦く眉を寄せた。
 アキラの起床が遅ければ、母は様子を見に来るだろう。
「マズイな」
「待って、今時間見る」
 ひょいっと身体を起こしたヒカルは、全裸のままベッドから飛び降りた。光に照らされた素肌は、寝起きのアキラの目には少々眩しい。思わず顔を逸らしてしまったアキラに、ヒカルは自分の携帯を取り出してあっと声を上げた。
「……塔矢。九時、だ。」
 青ざめて振り向くヒカルに、負けず劣らずアキラも青い顔で息を呑む。
「……帰るよ」
「ああ、そのほうがいい」
 周囲のあの様子なら、捜索隊が出ていたっておかしくない。
 アキラはベッドから下りて脱ぎ散らかした服を掻き集め、ヒカルもトランクスに片足を突っ込んだ。
「お前が帰ったら、俺ちょっと出かける」
「? 何処に行く気だ」
 ヒカルはトランクスをすっかり穿いて首をぐるぐる回しながら背伸びする。
「じいちゃん家」
「おじいさんの?」
「うん、ちょっと確かめたいことがあって」
 ヒカルがそこまで言った瞬間、薄っぺらな扉が乱暴に叩かれた。
 二人は弾かれたようにドアを見る。
 叩き壊すつもりなのかというくらいにガンガンと響く音の合間に、「進藤! 開けろ!」と聞き覚えのある怒鳴り声。
 ヒカルとアキラは顔を見合わせた。
「……和谷だ」
 ヒカルの呟きを聞くまでもなかった。
 アキラは思わず天を仰ぎ、額に手を当てた。――逃避したってどうにもならないことはよく分かっているのに。
「……ボクを探しにきたんだ」
 和谷に届かないように極力小声で、アキラは諦めに似たため息混じりでそれだけ言うのがやっとだった。
 やはり脱走がばれたのだ。おまけに、和谷がここに来たということは、実家だけではなく芦原や伊角にもアキラ脱走の情報が伝わっているということなのだろう。
 そんなアキラの横で、ヒカルがトランクス一枚でドアをじっと睨んでいる。その真剣な眼差しに、アキラはふと不安を覚える。
「……進藤。やり過ごそう。和谷くんはキミをよく思っていない。誤解されるぞ」
「……あいつがここに来たってことは、お前がいなくなったら俺のところにいる可能性があったってことだよな」
 アキラの提案とは全くずれたヒカルの言葉に、アキラは奇妙な顔をしつつもはっとした。
 そうだ、どれだけ和谷たちがアキラを探し回っていたか知らないが、アキラがここにいるという可能性が僅かでもあったからこそ、和谷がここに来たに違いないのだ。
 何度も、「ヒカルのことは忘れろ」と忠告された。
 あいつに何をされたか分かってるのか、とも。
 ヒカルがアキラに何かしたことは間違いない。それでも尚、アキラがこの部屋にやってくる可能性を彼らが捨てきれないということは。
「……「ボク」は、キミが好きなんだろうな」
 けたたましいノックの中で、アキラはまるで自分がまだ夢の中にいるようなフワフワした表情で呟いた。
 ヒカルは答えなかったが、厳しい目に否定の色はない。
 きっと、そうなのだ。だからこそ、彼らはあんなに必死になってアキラの傍にいたのだ。
 どんなに引き離そうとしても、どんなことをされても、「アキラ」はヒカルの元へ行こうとしていた。
 「アキラ」が、「ヒカル」を好きだから……。
「進藤! いるんだろ、開けろ!」
 和谷は諦めない。ドアを叩く勢いは衰えることなく、このままでは本当にドアが破られかねない。
 ドアを見据えて立ち尽くしていたヒカルが、ふいに一歩踏み出したのを見て、アキラが慌ててその腕を掴む。
「おい、進藤」
「……」
「……開ける気か? よせ」
「だって、俺ら悪いことしてねぇ」
 揺れるドアから目線を外さず、ヒカルは短く吐き捨てた。
 アキラは少し目を丸くして、気を取り直して更にその腕を引く。
「それはボクらの話だ。この世界ではそうは思われない」
「どの世界だって同じだ。お前が俺のことを好きだってんなら、俺だってお前のことを好きなはずだ」
 その、やけにきっぱりとしたヒカルの口調に、アキラの力は思わず緩んだ。
 時々、妙に不思議なことを言う――こんな時だというのに、アキラはヒカルの真っ直ぐな横顔に見惚れてしまう。
 ヒカルの根拠のない自信は、アキラの弱った心の奥まであっという間に染み込んで胸を震わせる。その、アキラの一瞬の躊躇をヒカルは逃さなかった。
 アキラの手を解き、ヒカルはしっかりした足取りでドアへと向かう。アキラが止める間もなく、ヒカルはドアノブに手をかけていた。
 もう、間に合わない。アキラが慌てて下着だけを身に着けた瞬間、ドアは開いた。
 やかましい音がやむ。
 ヒカルはアキラを背に庇うように、黙って部屋とドアの間に立ちはだかっていた。