「……進藤」 沸々と怒りが沸く和谷の声がヒカルの肩越しに聞こえてくる。 アキラはこの狭い空間で無駄だと知りながら、なるべく部屋の隅に身体を寄せた。 「何か用か」 アキラまでもがどきっとするような低い声で、ヒカルはそう尋ねた。 「とぼけるな! ……いるんだろ、塔矢」 「いるよ」 アキラはぎょっとしてヒカルを振り返った。 何故馬鹿正直に答えてしまうのか。 ヒカルは自分に負い目がないと思っているのだろうが、この世界の和谷にそんな話が通じるはずがない。病院で殴られたことを忘れてしまったわけでもないだろうに。 せめて、服を着ておけば――アキラが慌てて残りの服を手繰りよせようとした時、ガタンと音がして、ヒカルの「おい!」という和谷を制止する声が聞こえた。 アキラは服に手を伸ばしたままの格好で、無理やり室内に入ってきた和谷と顔を合わせることになってしまった。 アキラを見た和谷の表情が驚愕を表し、続いて僅かに哀しそうに歪んだ。アキラまでもを責めるような目に、知らずアキラの胸も痛む。 何ともいえない気まずい沈黙を経て、最後に和谷の顔はみるみる憤怒で赤くなっていった。 「進藤、てめえ!」 ヒカルとアキラは裸同然で、どのようにだって誤解できる。実際誤解ではないが、和谷が思っているような状況とは違うだろうから、やはり誤解だと説明しても無駄だろう。 和谷はそのままヒカルを振り返って、殴りかかろうと拳を上げた。 アキラは咄嗟に和谷の腕と背中にしがみついた。 「離せ、塔矢!」 「やめてくれ、進藤は悪くない!」 「悪くないだって!? だったら誰が悪いってんだよ!」 和谷はアキラを振り解こうともがくが、アキラも馬鹿力を発揮してそう簡単には離れない。部屋の中央で暴れる二人を前に、入り損ねたヒカルが半ば呆然とその様子を見ていた。 「お前は分かってねぇんだ! こいつが、進藤がどんなやつなのか!」 「違う、違うんだ、進藤は、進藤は――」 進藤はボクの恋人なんだ――と言ってしまえれば、どんなに楽か。 言ったところで和谷は信じないだろうし、実際この世界での二人の関係なんて詳しいことは分かっていない。 ところが、そんなアキラと和谷を尻目に、ヒカルがなんでもないことのように言い放ったのだ。 「よせよ、和谷も塔矢も。俺と塔矢は恋人同士だ。何の問題があるんだよ」 アキラも、和谷も、得体の知れないものを飲み込んだような顔でヒカルを見た。 二人の視線に挟まれたヒカルは、怯むことなく堂々としている。それがかえってアキラを混乱させた。 (馬鹿、どうしてそう事をややこしくするんだ――) 動きを止めた和谷が、力なく拳を下ろす。 そのまま、床に膝をついて項垂れた和谷を、アキラは恐る恐る覗きこもうとした。 「……恋人同士……だって……?」 振り絞るような声がアキラの耳を掠めていく。和谷の肩は小刻みに震えていた。 「……だったら……、だったら!」 顔を上げた和谷の両眼に、今にも溢れそうな涙が溜まっていた。 「だったら、なんであんなことするんだよ! なんであんなことしたんだよ! お前は、塔矢がどれだけ傷ついたか分かんねぇのか!? なんでそんな適当なこと言える!?」 「あんなこと……?」 ヒカルが眉を顰め、和谷の言葉を反芻するように呟いた。 アキラもまた、ごくりと唾を飲み込んで、頭の中で和谷の言葉を繰り返す。 あんなこと、あんなこと。この世界の人間にしか通じない言葉。取り残されたアキラとヒカルは、何度も感じたやりきれなさを今まさに実感していた。 なんだか、何もかも面倒臭くなってきた。ひょっとしたらヒカルもこんな気持ちになっていたのかもしれない。アキラはこの世界での自分の立場も忘れて、和谷に詰め寄った。 「和谷くん。どういうことだ。進藤が、ボクに何をしたというんだ」 焦れたアキラが和谷の肩に手をかけるが、和谷は答えない。ただ、じっと濡れた目に憎悪を込めてヒカルを睨みつけている。 当然ヒカルには和谷の言葉に心当たりがあるはずもない。ヒカルは、静かに和谷を見下ろしていた。その目はやけに穏やかで、向き合う奇妙な三人の中で一番落ち着いて見えた。 やがて、和谷も二人の様子がいつもと違うことに気づいたのだろうか。顔色ひとつ変わらないヒカルに、訝しげに眉を寄せ始めた。 「進藤……、棋院のは……お前じゃ、ないのか……?」 「棋院……?」 アキラとヒカルが同時に聞き返す。 その純粋な疑問の呟きを耳にした和谷は、二、三度瞬きして、確かめるように尋ねた。 「棋院の、写真は……お前じゃ、ない……?」 なんのことか分からない、というようにヒカルは首を横に振る。 分かるはずがない。アキラもヒカルも元々この世界に存在していない二人なのだ。 分かるのは、和谷がここまで怒りを顕にするような、二人に関係する何かがあったということだけだ。 「和谷くん。棋院で何があった」 「……」 「写真って何だ」 「……」 口唇を噛んで黙り込む和谷に、痺れを切らしたアキラは立ち上がった。 掻き集めていた服を取り、身に着ける。ヒカルもまた、散らばっていた服を拾い始めた。 「棋院に行こう」 「ああ」 頷きあうアキラとヒカルに、和谷だけが取り残されたような顔で呆然と二人を見上げている。 「お、おい……お前ら」 「和谷、鍵閉めてなくてもいいから」 どうせ盗まれるもんねーし、と告げたヒカルに続いてアキラも玄関に向かう。和谷の悲痛な声が背中に届いた。 「おい、塔矢! お前は行くな、お前は……!」 アキラは和谷を振り返り、優雅に微笑んでみせた。 ――もう、どうにでもなれ、だ。 「大丈夫。ボクらはそれほど弱くない」 絶句した和谷を残して、アキラもドアの向こうへヒカルを追って飛び出した。 |
なんかだんだん説明的な台詞が増えてきました。
やっぱり最初に謎ありきの小説は無理だったかも……
幽霊カミマイの時と同じ過ちを犯してる気がします。
ここから先、更に説明的な流れになりそうなんですけど
な、なるべく自然に、かつアキヒカらしく頑張りたい。
(2006.09.01/10〜18UP)