「……」 「……」 「……」 「……おい、なんでコイツまで連れていくんだよ」 車内の気まずい空気を破ったのは和谷だった。 助手席のアキラは、苦々しい表情で後部座席を振り返る。 向かって右端にぐったりした芦原、真ん中は和谷、そして左端にはちゃっかりヒカルが乗っている。 無理もないだろう。階段から落ちた怪我人のヒカルを、和谷は有無を言わさず突然殴りつけたくらいにヒカルを嫌っている。どう引っくり返っても仲良く出来ない相手と、隣り合って座るなんて考えられないことだろう。 おまけに向かっている先はアキラの家である。一連の事件に悪い意味で関係している(と思われている)ヒカルを連れて行くことに、納得できるはずがない。 「よせ、和谷。俺が一緒に来るよう頼んだんだ。静かにしていろ」 芦原の代わりにハンドルを握る伊角が、静かだがきっぱりした口調で和谷を嗜めた。伊角には弱いのか、和谷は不貞腐れた表情のままそれきり黙ってしまった。 アキラはため息をつき、隅っこで身体を小さくしているヒカルに目線で合図した。それに気づいたヒカルは、僅かに頷いてくれる。 ――どうにかなるさ。 そんな感じの目だった。 アキラは肩を竦め、前を向き、これから行われる話し合いを思って頭を痛めた。 「……つまり、夕べは一晩中進藤の家にいた、と。そういうことだな、塔矢」 「……ハイ」 アキラとヒカルは一人分の間を空けて並び、小さく正座したまま頷いた。 その前にずらりと並ぶ伊角、和谷、少し顔色の悪い芦原。 逃げられない。重苦しい空気に二人は時折お互いを見やり、苦虫を噛み潰したような顔を見合わせた。 ついさっきも、家に到着した途端、迎えに飛び出してきた母親が泣き崩れて一騒動起こった後なのだ。父親が不在でこれほど良かったと思ったことはない。 息子の帰宅に安堵した母親はそのまま伊角に介抱されて寝込んでしまい、代わりに芦原がようやく一人で歩けるまで復活した。 そうして、アキラとヒカルは三人にがっしり捕まえられ、昨夜の行動から言い訳をスタートさせなければならなくなっていた。 「信用できねえ。お前が無理やり塔矢を引っ張り込んだんじゃねえのかよ」 和谷の言葉に、ヒカルはただ黙っていた。今ここで自分が何を言おうとも、立場が悪くなるばかりだということぐらいはヒカルにも分かっているのだろう。 アキラが代わりに口を開く。 「違う。ボクが自分から行ったんだ」 「なんでだよ。俺にはさっぱり分かんねーよ。お前、ずっとひどいことされてたんだろ。なんで黙ってコイツの言いなりになってるんだよ」 アキラは伊角の厳しい表情と、今にも泣き出しそうな不安げな芦原の表情を順に見た。 それから、怒りと哀しみを顕にしている和谷を見て、覚悟を決めたようにごくりと唾を飲み込み、誰ともなく、三人に向かって語りかけた。 「……ひどいことというのは、あの写真に写っていたようなことですか」 和谷が、伊角が、芦原がはっとして気まずそうに目線を泳がせる。 ヒカルもまた、心配そうに様子を伺っているのが分かる。アキラはなるべく言葉を選びながら、慎重に続けた。 「……でしたら、誤解です。あれはお互い合意の上だ。心配する必要はない」 アキラの言葉に、ヒカルを含めた全員がぎょっとしてアキラを見た。 アキラは、ヒカルが「馬鹿!」というような顔をしているのを見てむっとする。 (自分だって和谷くんの前で俺たちは恋人同士だとか言ったくせに!) 本当のアキラとヒカルがこの世界でどうだったのかなんて、最早考えてやる余裕はなかった。 今の自分たちがこの世界でいかに生きていくか、それを最優先に持ってきたら、自分たちの望む方向にレールを曲げることしか浮かんでこなかった。 そう、半ば諦めていたのかもしれない。――懐かしい場所に帰ることを。 それでも、どんな世界でもヒカルが傍にいてくれれば、自分はきっと生きていける。アキラはもう、その逞しくも浅ましい自信に頼るしか道はないと覚悟していた。 「……嘘だ」 しかし、和谷は納得しなかったらしい。 驚きに見開かれていた目をきつく吊り上げて、和谷はヒカルが思わず眉を顰めるほどの鋭さでヒカルを見据えた。 「じゃああの写真はなんなんだ。お前が撮ったんだろ。合意だって? 合意でなんであんな変態みたいなことすんだよ。あれは……あれはレイプだろ!」 「和谷」 伊角が和谷を止めようとするが、和谷はヒカルに殴りかからんばかりの勢いで立て膝をついた。身構えたヒカルは、それでも口唇を噛んでぐっと堪えている。恐らくこの場で和谷が拳を突き出したとしても、ヒカルは黙って殴られる気なのだろう。 かといって、ヒカルが何か言い訳できるはずもない。写真を撮ったのは間違いなくヒカルだと自分自身理解していても、そんなことをする理由までは分からないのだから。 アキラは何とか時間を稼ごうと、ヒカルと和谷の間に腕を滑らせた。 「待ってくれ、少し進藤と二人で話をさせてくれ」 「話す必要なんかない! どけ塔矢、離せよ伊角さん、コイツを殴らせろ!」 「よせ、和谷、落ち着け!」 アキラ、和谷、伊角がヒカルの前で押し合いになる。芦原はおろおろと涙ぐむばかりで、役に立ちそうもない。ヒカルはどう口を挟んでいいか分からず、じっと耐えながら成り行きを見守っているようだ。 「いい加減にしろ、和谷!」 伊角の一喝で、和谷がびくりと身体を竦ませた。 「進藤をここに連れてきたのは俺だ。まず俺が話を聞きたい。……進藤」 ヒカルを振り返った伊角は、ヒカルの心の奥底まで覗くような深い瞳で、ゆっくりヒカルに問いかける。 「俺が、お前と塔矢がそういうことをしていると聞いたのはもう随分前だ。その時は、タチの悪い噂だと思っていた。だが、お前が彼らと関わりがあると分かったあの日、……そう、お前たちが階段から落ちたあの日だ。俺は、それが事実で、乱暴の上に成り立っている行為だと判断した。」 ヒカルは何も言わず、じっと伊角を見返したまま聞いている。時折小さく頷く仕草を見せるヒカルの目は、話の内容とは裏腹に酷く澄んで見える。 「俺は、お前の口から聞きたい。お前が、塔矢をどう思っているのか。ただの暇潰しの玩具だと言ったあの時のお前の言葉を、俺も和谷も塔矢も聞いている。あれがお前の本音なら、俺たち全員、今の塔矢の言葉を信用するわけにはいかない」 ヒカルが眉を寄せた。 アキラは胸の奥がズキンと音を立てたような気がして、思わず手のひらを当てる。 ――そうか、もうずっと前から。 長い間、人々の噂になるほどに自分たちは身体を重ねていた。 だからこそ、アキラを陥れようとした彼らはヒカルに写真の話を持ちかけたのかもしれない。 乱暴されてセックスをしているわけではないことは、アキラにはよく分かっていた。……あの写真の中の自分を見た時から。 写真の中のうつろな自分の目は、抵抗に必要な嫌悪も拒絶も何ひとつ見当たらず、それどころか空っぽだった。 全てを諦めたような、酷く淋しい、哀しい目をしていた。あれがこの世界の自分なのかとゾッとするほど。 無理やりに抱かれているわけではない。……しかし、愛情を受けているとは到底思えない。 もしもこの世界のヒカルが、「アキラは暇潰しの玩具だ」と言ったのなら、それは本当のことなのではないかと思ってしまうのだ。 ひょっとしたら、全ては「アキラ」の独りよがりなのではないかと。 アキラが胸を苦しめてそんなことを考え始めた時、突然ヒカルは床に手をつき、三人に向かって深く頭を下げた。 |