Maybe Tomorrow







 ふと、がらりと襖が開いて、疲れた顔をしたアキラが部屋に戻ってきた。
 ヒカルと和谷は一瞬気まずげに視線を交わし、そうして黙り込む。アキラはそのおかしな様子には気づいていないようだ。なんだか精根尽き果てた、そんな顔をしている。
「塔矢、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
 ヒカルが声をかける前に、和谷が心配そうにアキラを見てそう言った。
 アキラは力なく笑い、大丈夫だと首を横に振る。
「少し疲れたんだ。なんだか眠くて」
「そりゃそうだよな、お前普段ならぶっ倒れてたっておかしくないぜ。少し横になってこいよ。」
「大丈夫だよ。大したことない」
 アキラはそうは言うが、顔色が明らかに悪い。
 ヒカルは少し考えて、立ち上がった。
「塔矢、俺帰るよ」
「え?」
 途端にアキラは心配そうな顔になってヒカルを見た。
 自分の具合が悪い時に、俺の心配なんかするなよ――ヒカルは苦笑し、なるべく明るく振舞ってみせる。
「俺がいたら、お前ゆっくりできないだろ。俺も帰って少し休むから」
「でも、帰るって……あそこに?」
「……近いうちに親とちゃんと話し合うよ。だから、心配すんな」
「進藤……」
 アキラは少し躊躇って、小さくため息をつき、頷いた。
「分かった。そこまで送るよ」
「玄関まででいいよ」
 部屋を横切るヒカルとアキラを呆然と眺めていた和谷に、ヒカルは振り向いてそっと笑いかけた。
「和谷、いろいろありがとう」
 和谷が目を見開き、ぽかんと口を開けたのを見届けて、ヒカルは部屋を出る。
 ちょうど、伊角が廊下の向こうからお茶を持ってくるところだった。
「あれ、塔矢、進藤? どこに行くんだ?」
「俺、帰るよ」
 ヒカルは伊角にも静かに笑顔を見せて、塔矢はそこまで送ってくれるだけだから、と付け加えた。
「伊角さん、心配してくれてありがとう。俺、もう迷惑かけないようにするから」
「進藤……」
 和谷と同じく目を見開いて口を半開きにさせた伊角に、じゃあね、と軽く手を上げたヒカルはそのまま廊下を通り過ぎた。アキラがその後を慌てたようについてくる。
 玄関で靴を履くヒカルの後ろで、アキラがふうっとため息をつく音が聞こえた。
 振り返ったヒカルの目に、毒気を抜かれたようなアキラの顔が映る。
「……キミは、本気で「進藤ヒカル」の罪を被る気か」
「だって、どうしようもないだろ。俺じゃないったって皆聞いてくんねーだろうし。いろいろやっちまったもんはしょうがねえよ。これからやらなきゃいいんだ、俺が」
 ようやくアキラは少し笑った。
「頼もしいな、キミは」
「何言ってんだ、お前のがよっぽど頼もしいよ。……一緒に頭下げてくれてサンキュ」
 後半は小さな声で、ヒカルは少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
 なりふり構わず土下座したヒカルに、アキラは付き合ってくれた。
 アキラはいつもそうだった。突拍子もない自分の行動に呆れつつも、黙って傍にいてくれる。
 そんなアキラが男らしくて、大好きだった。
 アキラが、眉尻を下げて微笑む。
「礼なんて、言うな。……ボクはキミが好きだ」
「……俺もお前が大好きだよ」
 ヒカルははにかんで、アキラに腕を伸ばす。
「帰る前に、ちょっとだけぎゅってして」
 アキラは口角を美しく吊り上げ、優しい目をしてヒカルの身体を包んでくれた。
 アキラの胸の中、暖かさにヒカルは目を閉じる。
 優しくていいニオイがする。本当はずっとこうしていたい。
(でも俺、行くよ。確かめないといけないことがあるから)
 そっと身体を離した二人は、小さなキスを交わした。
「じゃあ、帰る。お前、ホントにちゃんと休めよ」
「分かってるよ。キミも」
「ああ、バイバイ」
 ガラガラと引き戸を開き、その扉が閉まるまで、隙間から見えるアキラの顔をじっと見つめた。
 引き戸を完全に閉め、ふっと息をついたヒカルは、顔を上げて塔矢邸に背を向ける。門を出たところで、ちょうど塔矢邸に横付けしようとしている派手な赤い車に出くわし、ヒカルは思わずげっと呻く。
「進藤」
「……緒方先生」
 スポーツカーから降りてきたのは、予想通り緒方だった。
 ふわりと煙草の臭いがヒカルの鼻に届く。ヒカルは顔を顰めた。
(そうか、緒方先生も塔矢のこと探してたのかな)
 芦原辺りが連絡をしたのかもしれない。ヒカルはあまり顔を合わせないように、少しずつ緒方との距離を広げるように横歩きした。
「……塔矢なら、中にいるよ。でも、疲れてるから早めに休ませてあげて」
「……お前」
「その、俺急ぐから」
 さよなら、と背を向けようとしたヒカルの腕を、緒方がぐっと掴んだ。
 ああもう、なんだよ。弱りきった顔で振り向くと、緒方もまた眉間に皺を寄せて奇妙な顔をしている。
「……驚いたな。芦原の言ってたことは本当だったのか」
「な、何のこと?」
「アキラが見つかったと芦原から電話があってな。その後の説明が何とも要領を得ないものだった。あいつがあまりに日本語に不自由なのかと思っていたが、そうじゃなかったようだ」
「だから、何のことかって……」
「『進藤くんが昔に戻った』」
 ギクリとヒカルが顔を強張らせる。
「お前が俺と口を聞いたのは三年ぶりだ。あの夜、セミナー会場のホテルでお前と打った一局以来」
「え……」
 ヒカルはもがくのを止め、まじまじと緒方を見た。