Maybe Tomorrow







 アキラの母の目を避けるように、慌ただしく塔矢邸を出た二人は、有り金を確認しながら真直ぐに大阪駅を目指すことになった。
 突然大阪に行くと言い出したヒカルに、アキラは面喰らっていたようだったが、社から電話があったことを話すとすぐに乗り気になったようだ。
 乗り込んだ新幹線で、アキラはすぐにヒカルの携帯電話に自分の番号を登録し直した。「また消されるかもよ」なんて、あまり笑えない冗談をヒカルが笑いながら言うと、「そうしたら何度でも入れ直す」とアキラが真顔で答えてくれた。
 アキラの話は実にシンプルだった。
 三日前、ヒカルが塔矢邸を後にしてから、酷い眠気に襲われたアキラはそのまま自室で寝入ってしまったらしい。
「……目が覚めたら三日経ってた」
 アキラは渋い表情で、重いため息をつきながらそう告げる。
「……隣に綺麗なお姉さんとかいなかった?」
「何の話だ?」
「……いや、別に」
 きょとんとヒカルを見るアキラに、ヒカルはなるべくさり気なさを装って呟く。それから、迂闊なことを口走る自分を心の中で叱咤する。
 アパートでの一件をアキラに知られるわけにはいくまい。たとえ今のヒカルに覚えがなくても、アキラがそれで納得するはずがないのだから。大阪までの長い道のり、隣でずっと仏頂面をされるのは居心地がよろしくない。
 ヒカルは気持ちを切り替えるためにふっと大きく息をついた。
「それでお前、俺がいきなり来ても何も言わなかったんだ」
「何もって?」
「だって、三日も連絡してなかったから絶対何か言われると思った。お前も……三日前で時間止まってたんだ」
「ああ……」
 アキラは何処か遠くを見るようにぼんやり宙を見上げ、それからがっくりと肩を落とした。
「その三日の間に、ひとつ手合いを落としたんだ」
「え、まじ?」
「……体調が悪いから休むと、ボクが言ったんだそうだ。」
「あらあ……」
 苦虫を噛み潰したようなアキラの横顔を見て、ヒカルは思わず苦笑した。
 笑ってはいけないのだろうけれど、何となく笑ってしまう。あの塔矢アキラが、深刻な病気でもないのに手合いを休むだなんて、ヒカルの知っている世界ではありえないことだった。
 ありえないこと。……それはつまり、ヒカルの知るアキラが眠っている間に、別のアキラが起きていたことになる。
 恐らくヒカルにも同じことが起こっていたのだろう。
 二人とも、それを理解していながら、あえて口には出さなかった。
 口にしてしまえば、その事実についてもっと深く考えなくてはならなくなる。
 ヒカルとアキラが眠っていた三日間、二人の身体を動かしていたのは……誰なのかということを。
(本当の「俺」と「塔矢」……?)
 ヒカルは苦々しく口唇を噛む。
(「本当」って、一体何なんだよ)
 彼らが顔を出し始めたのなら、今の自分たちはどうなってしまうんだろう?
 そもそも、二人は何故こんな世界に迷い込んだのかも分からないままなのに。
 もしも、彼らが――完全に、戻って来てしまったら。
(……俺たちは?)
 アキラも似たようなことを考えていたのかも知れない。
 二人は外の景色を見ながらぽつぽつと会話を交わすものの、あまり盛り上がることなくどの話題も中途半端に切り上げてしまっていた。
 胸を覆う不安が、怖くないと言えば嘘になる。
 だからあえて、先のことを見越さないようにしようと思った。この先何かがあっても、その時にならなければどうすることもできない。
 今は、この世界のヒカルとアキラの鍵を解くための重要な存在、社に会うことだけを頭に置いて、ヒカルは悶々とした思考をクリアに切り替えた。
 いつの間にか、シートに投げ出していた手がアキラに握られていて、ヒカルは微かに目を細めた。





 大阪駅に到着する三十分ほど前に、ヒカルは社へ一通のメールを送っていた。

 ――あと三十分くらいで塔矢と一緒に大阪駅着くからよろしく! 着いたらとりあえず飯食えるとこ連れてって!

「……ちょっとこれは緊張感がなさすぎじゃないか」
「そうか? ダチだったらこんなもんだろ?」
 手慣れた様子でメールを打つヒカルの手の中の携帯電話を覗き込んで、アキラが腕組みしながら首を捻る。
 この世界で唯一(と思われる)ヒカルの友人だという社に会うということは、今まで知らなかったヒカルのことを聞けるかもしれない。そんな大事な相手に対して、こうもくだけたメールを送っていいのか、とアキラは言いたいらしい。
「大丈夫だって。あんま身構えるなよ、社だぜ?」
「それはそうだが……、しかし、本当にボクらのことを話すつもりか?」
「ああ。電話でも言っちゃったし。信じてないかもしんねえけど」
 アキラはやはり心配そうな顔をしている。
 どうもこっちの世界に来てから、アキラのこんな顔ばかり見ているな、とヒカルは苦く微笑む。
 確かにあまりにいろいろなことがありすぎて、落ち着く間もなかった。ヒカルに宛てがわれていたアパートは快適とは言い難いものだったし、周囲から覚えのない叱責ばかりを受けるヒカルをアキラはずっと守ろうとしてくれていた。
 だから今回も、不安なのだろう。社に全てを話すと言ったヒカルに、アキラは驚いて目を丸くしていた。
(大丈夫だよ、塔矢)
 ヒカルには妙な自信があった。
 あの電話の会話だけで、自分を「ヒカル」ではないと断言した社のことを――ヒカルは元いた世界の社と同じくらいに信用していた。
 アイツなら、きっと力になってくれる。
 きっと、このとんでもない話を信じてくれる……

 期待を胸に降り立った大阪駅のホーム、ヒカルとアキラは少し落ち着かない視線を彷徨わせながら、人込みに紛れて改札を潜る。
 先に送った一通のメールを皮切りに何通が社とやりとりをし、待ち合わせに指定されていた場所へと二人は足を向けた。
 そこで憮然とした表情を隠さずに立っていた、周りの人間より頭ひとつ分ほど飛び出た身長の男が二人を見て口をあんぐりと開けるのを、ヒカルは悪戯っぽい笑顔で、アキラは躊躇いがちな笑顔で確認することになった。