「よ、社! 迎えに来てくれてありがと」 「お、お、お、お前ら……」 「急に押し掛けてすまない。進藤は言い出したらきかないから」 ヒカル、社、アキラの順に発した言葉はどれも噛み合わない。 混雑する大阪駅のはしっこで、それぞれに個性の違った青年三人が顔を見合わせて複雑な表情をしている。 間違い無く二人が知る社と同じ姿をした人間は、忙しなくヒカルとアキラを交互に凝視していた。 薄ら額に汗を滲ませて、目玉が今にも飛び出しそうな程に瞼をひん剥いて。会った時から開きっぱなしの口を閉じようともせず、思い出したように「お前ら……」を連呼する。 「なあ、ここで立ってるのもなんだし、なんか食いにいかね? 俺ずっと何も食ってないんだよ」 ヒカルの提案に、社は未だ珍妙な顔を戻せずにいながらもぼんやりと頷いた。 じゃあ、と躊躇いがちに二人を先導しようとした社がもう一度振り返り、 「……ヒカルと……塔矢、やなあ……」 夢でも見ているような声で呟いた。 ヒカルとアキラは何も言わず、ただ苦笑を浮かべて答えの代わりにした。 生憎時刻が遅く、社オススメの店は閉店一時間前という微妙な営業状態で、話も長くなりそうなことから三人はどこにでもある24時間営業のファミリーレストランへ移動した。 目が覚めてから何も口にしていなかったヒカルはボリュームのあるハンバーグセットを注文して、アキラは幕の内弁当を、社は豚の生姜焼き定食を。 温かい食事を黙々と咀嚼しながら、ヒカルは自分たちが何者なのかを始め、突然この世界にやってきてしまったあの日から、二人に起きた出来事を淡々と社に説明していく。時折、ヒカルの拙い説明に怪訝に眉を寄せる社のため、アキラの翻訳ならぬ解説を挟まなければならないこともあったが。 振り返ってみればたった数日間の出来事だったとはいえ、説明は思った以上に長くかかった。 突拍子もない二人の話を、しかし意外にも社は真剣な顔で聞いていた。 「……つまり、お前らは別の世界からやってきた……っちゅうわけか」 長い長い話の末、社が躊躇いがちに告げた言葉に、ヒカルは正直戸惑った。アキラも目を丸くしていたから、きっとヒカルと同じように感じていたのだろう。 「その……、お前、信じてくれんの?」 思わずヒカルがそう聞き返してしまうほど、社は呆気無く事態を飲み込んだ。 それはそうだ、こんなとんでもない話、にわかには信じ難い。時間をかけて説明すれば分かってくれるかもしれないとは思っていたが、ここまですんなり受け入れられるとかえって動揺するものだ。 しかし、社は真顔で頷いた。 「信じないわけにいかん。お前らは、俺の知ってるヒカルと塔矢やない……」 低い社の呟きに、ヒカルとアキラは思わず顔を見合わせる。 確かに、この世界に迷い込んでから多くの人に驚かれ続けてきたけれど、その中の誰一人、ヒカルとアキラが別人であるという結論に達したものはいなかった。 何しろ外見にはほとんど違いがないようである。……ヒカルの左手首の傷だけは、元の身体にはなかったが。 二人が面喰らっているのを見て、社はその理由を説明してくれようとした。さすが、状況の飲み込みの早さは二人の知る社に共通するものがあるらしい。 やはり、自分の勘は間違ってはいなかった――ヒカルはわざわざ大阪まで社を尋ねて来てよかったと、強く実感する。 「あのな。俺の知ってるヒカルと塔矢は、こんなふうに並んでモノ食ったりするような仲やなくなったんや。二人で連れ立って尋ねて来ることもあらへん。あいつらが前みたいにつるまなくなってから、もう四年近く経っとんのや」 ヒカルは息を飲み、アキラは神妙な顔つきで社を改めて見据えた。 社はまじまじと二人の顔を見比べて、それからおもむろに口唇を噛んで顔を歪ませる。 「なんや……、お前らがこやって一緒にいるとこなんか、もう見れへんと思ってたわ……。泣かすな、阿呆」 そう言って袖口を目元に押し当てた社に、ヒカルは声を詰まらせる。 何と言っていいものか分からない。ヒカルとアキラにしてみれば、二人が一緒にいることは至極当然のことで、一緒にいないこの世界のほうが不自然なのだ。 何も言えないヒカルに代わり、アキラは感極まったらしい社の様子をしばし見守ってから、大きな身体を不規則に揺らす社を嗜めるように、ゆっくりと尋ねた。 「社……、良ければ、ボクらの間に何があったのか話してくれないか。キミの知っている範囲で構わない。ボクらは、知りたいんだ。この世界で何が起こったのか」 社はぐいと目を擦り、厳しい表情で少しの間押し黙り、やがて黙って頷いた。 「お前らはヒカルと塔矢やないけど、……でももう一人のヒカルと塔矢や。さっきの話聞いてたら、いろいろ不便なこともあったやろ。俺の知ってることは教えたる。せやけどな……」 社は一旦言葉を区切り、息を深く吸って続けた。 「俺も、なんであいつらがあそこまで仲違いしたかはよう知らんのや。でも、そのきっかけは知ってる」 「教えてくれ」 「頼む、教えてよ」 身を乗り出した二人に、社は分かった分かったと手のひらを見せて落ち着くよう示してから、語り始めた。 社の知る、この世界でのヒカルとアキラのことを…… 「――俺とヒカルは幼馴染みなんや」 とうに食事を終え、水の入ったコップを握り締めながら、社は昔を懐かしむような表情を見せた。 小さい頃、この世界の社はヒカルの家の近所に住んでいた。 小学四年生の時に父の転勤が決まり、東京から大阪へ引っ越しを余儀無くされた後も、ヒカルと社の友情は続いていた。 「ヒカルはそらもークソガキやねん。バケツいっぱいのカエル集めたり、よそん家の柿の木昇って勝手にもいで食べたり、まあ、そんなことばっかやって毎日一緒に遊んでたなあ。引越す時は、そら寂しかったで。でも、ちょこちょこ電話したり、俺も親戚が東京やさかい、たまに帰る時は必ずヒカルんとこに顔出したしな。離れてても、疎遠になるっちゅうことはなかったんや」 自分のガキ大将ぶりにも耳が痛い部分があるが、何より小さい頃の社を想像して、ヒカルは少し苦笑する。きっと、今の社がミニチュア化したような、目つきの悪い子供に違い無い……そんなことを考えると、僅かに緊張していた気持ちが解れる気がした。 社は身ぶり手ぶりを加えて説明を続けた。社が大阪に引っ越しした後、新しい家の近くに碁会所があったこともあり、社は碁に興味を持ち始めたらしい。 「親父が碁好きでな。俺も見よう見まねでやり始めたっちゅうわけや」 「マジで? こっちの社、親に碁打ちになるの反対されてたんだけど……」 「ほんまか? 俺も苦労しとんのやな」 思わず横槍を入れてしまったヒカルに社は一瞬目を丸くして、続きを話し始める。 「まあ、そんで碁を覚え始めて、すっかりハマってしもたわけや。ヒカルにも勧めたんやで、おもろいでってな。せやけど、ヒカルのやつ、碁なんてじいちゃんのやるもんやっつって全然ノッてこんかった。まあ仕方ないやろな。まだ小学生やし。でも、それが、小学六年になったある時期に、突然ヒカルから連絡が来たんや。『俺、碁やり始めたぜ』って」 ヒカルの胸がどきりと音を立てた。 思わず息を飲んでしまって、それから目立たないように隣のアキラへそっと目線をずらす。 アキラは真直ぐ社を見ていて、ヒカルの反応には気付いていないようだ。 ヒカルはごくりと唾を飲み込んだ。 小学六年のある時期―― (間違い無い) ――佐為、だ。 |