Maybe Tomorrow







 家々の灯りもとっくに落ちた窓の外。
 カーテンをめくってぼんやりガラスの向こうの薄暗い景色を見ていたアキラは、ふと感じた人の動く気配に後ろを振り返る。
 見れば、眠っていたと思った社が上半身を起こしてアキラに顔を向けていた。
「すまない、起こしたか?」
「いや、勝手に目ぇ覚めた。お前、寝とらんのか?」
「ああ……そろそろ寝ようと思っていたよ。悪かったね、ボクらのせいで窮屈になって」
 社の部屋は決して広くはないワンルーム。ベッドを置くスペースが勿体無いからと布団を使っていたようだが、そのお陰でギリギリ男三人が雑魚寝をする場所は何とか確保できていた。
 ヒカルははしゃぎ疲れか、三人の中で一番早く眠りに落ちて今もすうすうと寝息を立てている。ど真ん中に寝てしまったヒカルを中央に、窓際にアキラ、ドア側に社と川の字で横になっていたのだが、二人が寝たのを見計らって毛布から抜け出したアキラはどうもすぐに寝つける気分ではなかった。何をするでもなく窓の外を眺めていたら、社に気付かれたと言う訳だ。
「元々狭い部屋や。気にすんな。修学旅行みたいで賑やかでええわ」
 社の言葉にアキラはふっと笑う。
 灯りの落とされた部屋で互いの表情もぼんやりとしか分からないが、社も少し笑ったような気配があった。
 アキラはカーテンから手を離して、そっと自分に用意された毛布の中へと足を滑り込ませる。
 時刻は分からないが、あと一、二時間で夜明けが来る程度の時間にはなっているだろう。下半身が毛布の中で暖められると、思っていたより自分の身体が冷えていたことに気付き、アキラは小さく身震いした。
「落ち着かんか?」
 ヒカルを挟んで社がぼそりとアキラに尋ねる。
 ヒカルを起こさないように配慮した掠れた小声だが、アキラは思わず耳を澄ませてヒカルの寝息に乱れがないかを確認してしまった。何ら変化がないことを認めると、曖昧にいや、と首を振ってみせる。
「何となく、目が冴えててね。じっと横になっているのが退屈だったんだ」
「そうなん? 枕が変わると眠れんタイプなんかと思うた」
「そこまで繊細に出来てないよ」
 アキラの言葉に、社が静かに肩を震わせたようだった。
 ヒカルは寝息どころか、時折鼾混じりで気持ち良さそうに眠っている。どうやら起きる気配はなさそうだ。
 アキラも社も、あまりヒカルに気遣いせずにぽつぽつと会話を交わし始めた。
「……明日はすぐ帰るんか?」
「ん……? ああ、そうだね。進藤はともかく、ボクの周りがうるさいから……」
「せやな。お前昔から弱っちかったさかい、みんな心配しとるんやろ」
「とんでもない過保護ぶりに辟易してるよ。あまりボクを甘やかさないで欲しいものだ」
 アキラが肩を竦めてみせると、社も小さく笑い声をあげる。
 ヒカルの頭上でこうして他愛無い言葉を投げ合っていると、どことなく靄のかかった気分が少しは晴れる気がした。
 聴こえて来る安らかな寝息。ヒカルは今、何の不安もなく眠っているのだろう。
 アキラは薄闇の中そっと手を伸ばし、隣のヒカルの前髪に手の甲で優しく触れた。微かに撫でる仕種をしても、ヒカルは身じろぎひとつしない。
 あの部屋で一人きりで眠るのは辛かったはずだ。ましてや昨夜まで数日間の記憶がなかったのだから、眠ることに抵抗もあっただろう。
 こうしてアキラや社に挟まれてぐっすり眠っているヒカルを見ていると、自分達の置かれている状況が全て夢ではないのかと錯覚を起こしそうになる。ヒカルの隣に身を横たえて、穏やかな眠りについた後は何もかもが元に戻っているのではないかと――
「……お前ら」
 社が少し躊躇いがちにぼそりと呟いた。
 アキラはヒカルの前髪を静かに撫でながら、顔だけを社に向ける。
「その、お前ら……、ひょっとして……」
 言いにくそうに言葉を選んでいるらしい社の様子を察し、アキラはふっと目を細める。
 元々隠そうとは思っていなかった――アキラはヒカルに触れた手を引っ込めようとはせずに、穏やかに口を開く。
「ああ。ボクらは恋人同士だ」
「あ……、そ、なんか。やっぱ。」
 社が拍子抜けしたように肩を竦める仕種をしたのが分かった。
「やっぱり、ってことは傍目から見てすぐ分かるという意味かい?」
「んー……、まあ、なんちゅうか雰囲気がな。バレバレっちゅうわけでもないんやけど……なんとなく、なあ……」
 社の言葉はやけに辿々しい。
 アキラは社がまごついている意図を察し、ふいに手の動きを止めた。
「――こちらの「ボクら」と比べて、ボクたちは何が違う?」
「……」
「キミの知っている「ボクら」は、ボクらのような関係ではないのか……?」
 思いきって尋ねたアキラの質問に、社は一瞬息を詰まらせたようだった。
「……、……俺も、よう分からんのや……」
 社は俯いて、立てていた膝に肘を置いた。
「周りはただの仲ええ友達同士やと思っとったと思うけど。俺はある程度お前らの近くにおったから。その……塔矢がヒカルを見る時の目ぇは、……今のお前そっくりやった。本人に聞いたことはないけど、そうなんかなあって俺は思っとった。ヒカルが何考えてたかはよう分からんけど……」
「……「ボク」は「進藤」が好きだったと思うよ。「進藤」がボクをどう思っていたかは分からないけれど。でも、ここにいる進藤は……」
 ヒカルを見下ろし、アキラは優しく微笑んだ。
「「ボク」が「進藤」のことを好きなら、「進藤」もまた「ボク」のことが好きなはずだと言ってくれた」
「……!」
「ボクもそう思いたい」
 きっぱりと告げると、アキラは目を閉じる。
 何故だか、社には隠し事をしようとする気持ちが働かない。
 元の世界でも、ありのままの自分達を受け入れてくれていた男だからだろうか。巻き込んでしまって申し訳ないと思わなくはないが、社なら他の誰よりヒカルとアキラのことを理解してくれそうな気がする、そんな甘えがあるのかもしれない。
「……お前らは……信じあっとんやなあ……」
 社がため息混じりに囁いた。
 ふと、ヒカルが身を竦め、何事かむにゃむにゃと口の中で呟いた後、仰向けの格好からアキラのほうへと寝返りを打って背中を丸める。そのあどけなさにアキラの表情が和らいだ。
「ボクたちは、キミの知っている「ボクら」と本質は変わらないと思っている。進藤は、素直で快活で一生懸命で……純粋だ。きっとこの世界の「進藤」も、そうだったんだろうと信じている。それは……キミのほうがよく知っているだろう?」
 社をゆっくり振り返ると、社もまた俯いていた顎を上げ、アキラに向かって顔を向けた。
 そして、薄暗い中でもはっきりと分かるように大きく頷いて、恐らく笑顔を見せてくれたのだろう。
「……ああ」
 社の力強い頷きに、アキラもにっこり微笑み返した。