え? 俺がなんで碁始めたかって? ひみつ! ん〜……でも、お前なら……話してもいっかなあ……? いつかね。 いつか。 そんな顔すんなよ〜。 あ、じゃあこれだけ。 お蔵にね、……があるんだ。 ……それはね、ないしょ。 ないしょだよ…… *** 「じゃあ、気ぃつけてな。なんかあったらいつでも連絡してくれ」 「いろいろサンキュ。マジで助かったよ。」 「本当に世話になった。キミも元気で……」 大阪駅にて名残惜しく別れの挨拶を交わし、ヒカルとアキラは社に手を振った。 長身の社が、随分遠くに離れても二人にぶんぶん手を振ってくれているのが見える。ヒカルもアキラも何度も振り返りながら、その度に手を振り返した。 新幹線に乗り込んで、シートに深く身を沈めると、どちらともなくため息が漏れた。 「……社、いいヤツだったな」 「ああ、ボクらの知っている彼と変わらなかった」 「また会えるかなあ」 「どうだろうね……」 社にとっては、次に会う時の二人は、幼い頃から社が親しくしていた本当の二人であるべきなのかもしれない――アキラはそんなことを思いながらも、流れて行く窓の外の景色に静かに目を向けていた。 無事に東京に帰り着き、駅ですぐにアキラは自宅に電話を入れた。 勿論一泊するとあって昨夜のうちから何度も連絡を入れていたが、相変わらず過保護な母親から心配でたまらないという声を聞かされる度にうんざりする。 戻って来た旨を電話で伝え、今にも受話器の向こうで泣き崩れそうな母親を宥めて電話を切ると、横でヒカルが苦笑していた。 「早いとこ家帰ってやれよ。おばさん心配してるんだろ?」 「ああ……、でも」 「俺は大丈夫だよ。また、部屋で大人しくしてるからさ……」 ヒカルの微笑がかえって苦しくなり、アキラは眉間に皺を寄せた。 「あの部屋に戻るのか」 「言ったろ、そのうち親と話し合うって。しょうがねえよ、今の俺にはあの家しかねえんだから」 「キミさえ良ければうちに来てくれたって――」 「無茶言うな。俺なんか来たらおばさんホントに心労で倒れちまうよ。大丈夫だから」 ヒカルは大きく口を開けて笑顔を見せ、アキラの肩をぽんと叩いた。 アキラはその手のひらに自らの手を重ね、じっとヒカルを見る。 その意味ありげな視線を受けたヒカルが少し顎を引いた。 「塔矢……こっち」 ヒカルは開いた手でアキラの腕を掴み、軽く引っ張った。 アキラはヒカルに引かれるまま駅構内を横切り、人込みを擦り抜けて地下へ地下へと降りて行く。ヒカルは首をきょろきょろ回しながら、どこか人気のない場所を探しているようだった。 ようやく人目につかない階段を見つけたところで、ヒカルはアキラを振り返り堪え切れないというようにその胸に頬を寄せて来た。 「あんなとこでそんな目すんなよ……抱き着けもしねえじゃん」 アキラはヒカルの身体を優しく抱き締め、柔らかい髪にキスをする。 数日ぶりのヒカルの強い匂いに心が満たされて行く。 「キミこそ、無理して笑うな。ボクの前で強がったりしないでくれ」 「強がりじゃねえよ……大丈夫だって……」 アキラの鎖骨に額を擦り付けるヒカルの顎に触れ、その顔を覗き込むと、ヒカルは確かな笑顔のままだった。 真直ぐにアキラを見上げた目に、アキラは適わないと苦笑する。 「分かった。でも、今まで以上にこまめに連絡は取ろう? 何があるか分からないから……」 「うん。そだな。お前心配性だから」 「この状況で心配しないほうがおかしい。ましてやボクらは数日記憶がなかったんだ……」 アキラはそっとヒカルの両頬を手のひらで包み、至近距離で澄んだ瞳を見つめる。 ヒカルは微笑を浮かべたまま、僅かに目を伏せた。そして小さく口を開き、囁くようにアキラに告げる。 「俺、な。なんか、俺らがここに来たのって、意味があるような気がするんだ」 「意味?」 「ああ。なんかさ、ちょうどこいつらがぐっちゃぐちゃになってる時に俺らが入れ替わっちゃっただろ? それってさ、ひょっとしたら必然なんじゃないかって思ったんだよ。俺らにはできることがあるのかもしれない」 「ボクらにできること……」 ヒカルは再びアキラと視線を合わせ、頷いた。 少し細めた目が大人びて見えると、アキラは小さく息を呑む。 「だからさ、俺は俺のできることをする。お前もお前が今できることをしろ。不安がってたって仕方ねーんだ、俺たちが今いる場所はここしかないんだから。……タイムリミットは近いのかもしれないけど」 「進藤」 アキラはヒカルを強く抱き締めた。 やはりヒカルもアキラと同じことを考えていた。 この身体の本来の持ち主である彼らが、いつか完全に戻って来てしまうのかもしれない。――その時弾き出された自分達はどうなるのか分からないけれど、きっとそれがタイムリミット。 不安でないはずがない。けれど、確かにヒカルの言う通り、不安がってみたところで事が改善されるわけではないのだ。 ――キミの強さにどれだけ救われていることか。 更に力を込めたアキラの腕の中、ヒカルはもぞもぞと身じろぎして両腕を這い出し、アキラの頭を掴んで口唇を寄せて来た。 いつ誰が来るとも知れない階段の傍で、深く口づけを交わす。 ひとしきり互いの口唇を貪った後、額を寄せあった二人は、ゆっくり身体を離した。 「……じゃあ、行くな。何かあったら、すぐ連絡する」 「ああ。……何もなくても連絡するよ」 「ん……待ってる」 ヒカルは歯を見せて笑い、ふわりと身を翻してアキラに背を向けた。 軽やかに駆けて行く背中を見送って、アキラは僅かに顔を顰める。 アキラがずっと見つめているだろうことを分かっているから、ヒカルは決して振り返らない。ヒカルに強さを強いているのは自分かもしれない――アキラは鈍い痛みを感じて胸を押さえた。 今回の社との出会いで、ヒカルもヒカルなりに考えをまとめたはずだ。恐らく、ヒカルにしか図り知れない謎もあるのだろう。 「ボクにできること……」 アキラは呟いて、ヒカルの姿が見えなくなった方向を名残惜しく見つめた後、迷いを断ち切るように顔を背けた。 自分が進む道を違えないように。 |