睨み合いはほんの数秒だっただろうか。 決して外すまい、と力を込めていたアキラの視線を受け、ヒカルの表情が僅かながら訝し気に変わっていく。 「アキラ」ならば、決してヒカルを正面から見つめるようなことはすまい。それはアキラの確信だった。 あの写真の中のうつろな瞳。ヒカルの心を取り戻せずに、ずるずると不毛な関係を続けている彼は、まともにヒカルと向き合えてはいないのではないだろうか? それは「ヒカル」も同じことのようだった。アキラがじっと彼の目を見据えると、居心地が悪そうに黒目を泳がせる。 この二人は、恐らくもう随分と長いことお互いを見ることがなかったのだ。 アキラにとって、自分がヒカルから目を逸らすだなんて考えもつかないことだった。もうずっと昔から、思えば初めて出逢ったその時から、アキラはヒカルだけを見つめて来たのだから。 追って、追われて。その都度、互いの目をしっかり合わせてより高いところを目指して来た。アキラは自覚していた。ヒカルを見る時の自分の瞳がいかに雄弁であるかを。ヒカルもまた、自分自身の瞳についてアキラと同じように思っているからこそアキラを正面から見つめ返してくれるのだろう。 なのに彼らにはそれができない。 その理由は、彼らにしか分からない。 アキラはその糸口を手に入れるため、微かに動揺が伺えるヒカルに対して口調を緩めずに続けた。 「何故あんな写真を渡した? あの写真が表に出て、キミに何のメリットがある? 彼らがボクを狙っていた理由は聞いた。それにキミが同調したとは考えにくい」 「……」 「単純にボクを陥れたかっただけなら、何故階段から落ちたボクを助けようとした? 放っておけばよかっただろう。打ちどころが悪ければ今ここにいることもなかったかもしれない……」 「……何? やけに喋るじゃん」 ヒカルはぱちんと携帯電話を閉じて、アキラに背を向けた。 その背中に確かな拒絶を感じたアキラは、尚もヒカルに食って掛かる。 「キミの行動の理由を知りたい」 「――」 「ボクにはどうしても理解できない。キミがこんな生活を送りながら、今だってボクを歓迎している様子はないのに……ボクを排除しきれないキミが、何を考えているのか」 早口でまくしたてていたアキラは、背を向けたヒカルが僅かにアキラに横顔を見せたのに気付いて口を噤む。 薄暗い部屋の中で、ヒカルの目に宿る濁った光を見たアキラは、もしも「アキラ」だったらどうするかを考え始めた。 今この部屋でヒカルの前に立っているのが「アキラ」ならば、余計な口は開かないのだろう。何らかの事情でヒカルと決裂しながらも、繋がりを捨て切れず、こうしてヒカルに度々逢いに来ている。先程アキラを迎えたヒカルの様子からして、アキラがやってくることは珍しいことではないようだ。 アキラは考え続ける。 何故「ヒカル」は「アキラ」を拒絶しないのか。 社の話では、ヒカルはアキラの話題すらも拒んでいたと言う。ヒカルが手首を切った日、二人の間で何かがあったのは間違いない。ヒカルを助けながらも、社にヒカルを任せたアキラ。 『……ボクでは、彼の心のケアまではできない……』―― 「アキラ」はヒカルの心に触れることを怖がっている。だから身体を捧げた。きっとそれが、唯一ヒカルと繋がっていられる方法だと思っていたはずだ。 そんなアキラを、何故ヒカルは完全に突き放さないのか。 アキラは尚も考え続ける。 初めて出会ったこの「進藤ヒカル」は、アキラが想像していたよりもずっとフランクだった。感情表現は極端に乏しいものの、ぺらぺらと喋るアキラに対して僅かとはいえ不愉快そうな様子を見せているし、全く口をきかないということもない。 今も、アキラの言葉に対して凄んでみせているらしい彼は、アキラを追い出そうとまではしない。 その矛盾が、彼らの溝を知る鍵であるとアキラは考えた。 すなわち、「ヒカル」もまた「アキラ」との繋がりを断ち切ろうとしない矛盾。 (そうだ、何故今までそれに気付かなかったんだ) アキラだけが一方的にヒカルを想い続けているだけなら、こんな関係などとっくに壊れてしまっているだろう。 ずるずると続いている、それこそが一方的ではないことへの証拠になるのではないだろうか? つまり、ヒカルが初めに言っていたように―― 『お前が俺のことを好きだってんなら、俺だってお前のことを好きなはずだ』 あの言葉を、信じても良いということだろうか―― 「……何しに来た」 ヒカルの低い声が、一人思考の渦に身を任せていたアキラを元の世界へ呼び戻す。 横顔だけを向けているヒカルの眉間に、少しだけ皺が寄っているのが見えた。 「くだらねえことくっちゃべりに来たんなら帰れ。ヤるんなら脱げ。早いとこどっちか選べ」 その声にちらちらと見え隠れする不機嫌そうな調子が、かえってアキラの心に落ち着きを取り戻させた。 「アキラ」が何も言わないから、「ヒカル」も何も応えなかった。ひょっとしたら、ただそれだけのことだったのかもしれない。 打てば響く――少なくとも、アキラの知る進藤ヒカルという男はいつもそうだった。 (進藤。キミの力説を信用するよ。彼がボクを好きだろうと、そうでなかろうと、キミの力強い言葉を前提に彼と向き合ってみよう) ――そして願わくば。「キミ」が戻って来ますように―― アキラは薄ら微笑を浮かべた。ヒカルがはっきりと怪訝そうな表情に変わる。 「どちらも選ばない。ボクがここに来た理由は、さっき話した通りだ。キミの行動の理由を知りたい」 「……お前」 「キミがボクを拒否しないのは、本当は……ボクを必要としているからじゃないのか?」 「……ッ」 勢い良く振り返ったヒカルの目が憎々しく歪んでいることを確認し、アキラは更に口角を釣り上げた。 ――どうやら当たりだったようだ。 (キミは図星を突かれた時、いつも下口唇を噛む癖があったね……) 目の前のヒカルにそれと同じ仕種を見つけて、アキラは目を細める。 当たり前だ。彼だって、紛れもない「進藤ヒカル」その人なのだから。 さあ、戦いを始めようか。アキラは緊張で少し乾いた口唇を舐め、臨戦体勢を整えた。 |