Maybe Tomorrow






『塔矢!? 今どこにいんだよ!』


 耳に当てた途端に携帯電話を破壊せんばかりの勢いで聞こえて来た怒鳴り声。
 アキラは顔をしかめて咄嗟に耳から携帯を遠ざけた。
 腕の長さいっぱいに離した携帯から、和谷のわめき声がきゃんきゃんと響いて来る。どうやら相当に御立腹のようだ――アキラは苦々しい溜め息をつきながら、少しだけ携帯を手元に引き寄せ、まるでトランシーバーに応答するように「もしもし」と声をかけた。
「和谷くん……、落ち着いて。もう少し小さい声で。」
『落ち着いてられるか! お前、何でまた黙っていなくなったりするんだよ!』
 和谷は聞く耳をもたない。厄介なことになったと思いつつ、アキラは何度か和谷を宥めようとできるだけ静かな声で囁きかけた。
「それは悪かったと思ってる。反省もしてる……」
『あの時言っただろ、心配かけることは二度としないって! あれからほんのちょっとしか経ってねえのに、お前はまた……!』
「和谷く……」
『だからアイツなんて信用できないって、何度も言ったじゃねえか! 俺らがどんな思いでお前のこと……』

「うるさいっ!!」

 こちらの話を聞こうともしない和谷への苛立ちがピークを迎えた。
 つい、和谷に負けないどころか余裕で競り勝つ大音量で怒鳴り返して、アキラは思わず口唇を噛む。
 シーンと沈黙が広がった。恐らく、携帯を握り締めたまま和谷は絶句しているに違いない。
(また、やってしまった……)
 もうこちらの「アキラ」の体面などどうでも良いと思いつつ、彼のイメージと掛け離れた行動をとる度に申し訳ない気持ちも浮かんで来る。
 しかしいちいち肩を落としている訳にはいかない。和谷の気持ちも分かるが、今のアキラだって相当に気持ちの余裕がないのだから。
 ヒカルがいなくなったのだ。アキラにとって、ヒカル以上に優先されることなどこの世の中に存在するはずがない。
「……大きな声を出してすまない。でも、言い合ってる時間が惜しいんだ」
『あ……、う……』
「和谷くん、教えてくれ。……進藤から何か、聞いていないか?」
 ボクに向けたメッセージを――
 しかしあうあうと間の抜けた声を漏らす和谷は、やはり「あうう?」と妙な相槌を返すだけで、アキラは自分の僅かな期待が儚くも裏切られてしまったことを悟る他無かった。
 やはり、ヒカルは誰にも連絡していない。
 アキラが「アキラ」に心を奪われた後、恐らくこの部屋でヒカルと逢って――それがヒカルなのか「ヒカル」なのかは分からないけれど――何かのやりとりがあって、アキラが一人裸で眠っているような事態に陥ったのだ。そこに至るまでの経緯は、どう考えても浮かびようがないのだが。
 ヒカルのいないヒカルの部屋で眠っていたアキラ。行方の分からないヒカルと、部屋に残るヒカルの気配。
 そうなれば考えられることはただひとつ。
(「彼」が出て来たんだ)
 そうだ、間違いない。今目覚めているのは「ヒカル」のほうだ。
 それがどうしてこんなにもアキラを焦らせるのか、アキラ自身にも分からない。ただ、無性に不安でたまらないのだ。これは予感なんかじゃない、直感だ。虫の知らせというやつかもしれない。早くヒカルを見つけなければいけない――そんな思いがアキラを容赦なく急き立てる。
 一体何処を探したら、とアキラが途方に暮れかけた時、携帯から遠慮がちな声が届けられた。
『と、塔矢……、お前、進藤と一緒にいるわけじゃないのか?』
 そういえば、和谷と電話中だった。すっかり和谷の存在を忘れてしまっていたアキラは、慌てて言葉を取り繕う。
「あ、ああ、一緒じゃないんだ。……連絡がとれなくて」
『……またどっかの女のとこにいるってオチじゃねえのかよ』
「彼はそんなことはしない」
 きっぱり言い返したが、内心どうだろうと眉を顰めたくもなる。「ヒカル」ならば保証はない。
 しかしそんな素振りを見せるのは悔しいので、あえて和谷には断言してみせた。彼が未だ感じているだろう、ヒカルへの不信感を取り除くべく。
 和谷はしばらく黙っていたが、やがて溜め息混じりにアキラに帰宅を誘った。
『とりあえず、お前一度家に戻れ。みんな心配してんだ、緒方先生も芦原さんも伊角さんも来てるんだぞ。……お前、今どこにいるんだ?』
 和谷の問いかけと、全員揃っているという知らせに頭を抱えたくなったが、アキラは平静を装って「分かった」とだけ答えた。
 こうなったら一度帰宅する他ないだろう。彼らが全員で追跡して来たら後々面倒なことになる。
 アキラはまだ何か言い足りなさそうな和谷を無理に宥め、強引に電話を切った。どっと疲れが汗になって噴き出て来る。また、お説教を受けなければならないのだろうか。
(――いや!)
 今はそんな場合じゃない。
 そうそう良い子でいてやれない。
 ヒカルを探さなければ。なんだか、悪いことほどよく当たってしまいそうな気がするのだ。
 和谷の言うように、女のところに行っているのならまだマシだ。でも胸を支配する不安はそうではないとアキラにシグナルを打っている。
 帰宅する道すがら、電話やメールでひっきりなしにヒカルへの呼び掛けを続けながら、応答のない相手を思ってアキラは歯がゆさに顔を顰めた。






 戻って来た自宅では、出迎えてくれたのは母ではなく、アキラを心配して集まって来た面々であった。
 その揃った顔ぶれにアキラは気付かれないように溜め息を漏らし、表情ばかりは引き攣った笑みを浮かべてみせる。どうやら、母はまた倒れてしまったらしい。申し訳ない気持ち半分、情けない気持ちもう半分で心中は複雑だ。
「……ご心配おかけしました」
 自宅だというのに何故か客間で、アキラは緒方・芦原・伊角・和谷のずらりと並んだ四人に向かって渋々床に手をつき頭を下げた。
 彼らが心配していたというのは本当だろうから、一応の謝罪はしよう――しかしこれ以上の時間は奪われまいと、がばっと顔を上げたアキラの目が血走っていたせいか、芦原も和谷もぎょっとしたように目を丸くした。
「無断で外泊したことは謝ります。でも、皆さんが心配するようなことは何もありませんから、どうぞお引き取り下さい」
「アキラ! そんな言い方ないだろ」
 泣きそうな声で横槍を入れた芦原に、きっと鋭い視線を投げる。手加減なしで睨み付けたせいか、ヒッと息を詰まらせた芦原が仰け反った。
 アキラは改めて正面を向き、四人を順に睨みながらも、自然と視線の照準は表情を変えずにアキラを見据える緒方へと合う形になっていた。
 この世界の緒方に出会ったのはこれが初めてだと言うのに、彼は驚くどころか実に冷静に構えている。そんな緒方に状況を説明するのが手っ取り早いと悟ったのだろう、アキラは淡々と無茶な理由を語り始めた。
「ボクには時間がないんです。……探さなくては」
 緒方が軽く目を細める。
「探す? ……進藤のことか」
「そうです。彼がいなくなった」
「アイツがふらふらしてるのはいつものことだろう」
「あなた方にとってはそうでも、ボクにとっては深刻な問題なんだ!」
 苛立たしく大声をあげたアキラに、それまで眉を顰めながらも黙ってやりとりを見守っていた伊角でさえ驚きに瞬きを繰り返している。
 芦原、伊角、和谷と円のみのパーツで構成されたような顔が並ぶ中、緒方は驚くどころかアキラに鼻で笑ってみせた。
「言うようになったな、お前も。で? 何処を探す気なんだ?」
 軽く顎を持ち上げた緒方の上からの目線に、アキラはぐっと口唇を噛んだ。
「……何処かを、探します」
「見当もつかない、か。威勢はいいが、空回りして無駄に体力を使うこともないだろう」
「ボクをからかう以外にここにいる目的がないのなら、さっさと帰って下さい!」
 たまらず怒鳴り声をあげたアキラを見て、緒方は口元を押さえて軽く肩を揺らす。
 小馬鹿にした様子にカッとなったアキラは、
「もういい! あなた方が出て行かないのなら、ボクが――」
 言いかけながら立ち上がろうとして、くらりと襲われた目眩に足元をよろけさせる。
「アキラ!」
 咄嗟に身体を浮かせた芦原に腰を支えられ、どうにかその場で堪えたアキラは、チカチカする目をぎゅっと瞑って訪れかけた闇をやり過ごそうと頭を押さえた。

 ――まただ。また、この目眩……




『ひみつがあるんだ。』


『それはね、ないしょ。』


『とても、大切なものだから』






 ――お蔵にね、ひみつがあるんだ――