*Autumn* 強い風に煽られた枯葉が店先でくるくると舞う午後、厨房で立ち尽くしたマッシュはやっとのことで声を絞り出した。 「今……、なん、て……」 すっと冷えた背中が湿る感覚を不快に思う余裕もなく、マッシュの口から呆然と落ちた質問に対し、師であるダンカンは厳つい顔を曇らせながらはっきりと答える。 「あの男はお前の双子の兄だ。間違いない……」 低く重々しい声で断言したダンカンを前に絶句したマッシュは、何か言い返そうとして口を開きかける。しかし否定の言葉を考えるより前に、頭の何処かに引っかかっていたものがストンと落ちて足りない部分に嵌ったかのような感覚もあり、結局は何も声にならなかった。 「お前が遠縁の忘れ形見と言うのは嘘だ」 「え……」 「お前はこの国の生まれではない……あの山の向こう、砂漠の国から来た女性から託されたのだよ、マッシュ」 ダンカンが告げた内容に目を見開いたマッシュは、これまで聞かされていた自身の出生を覆す師の言葉に半開きにした唇を微かに震わせる程度にしか反応できなかった。 「二十七年前、赤子を連れた婦人を偶然お助けしたのだ。何者かから傷を受け酷く衰弱していた。残念ながらそれが元で間も無く亡くなられたが……地味な身なりをしていても品を感じさせる、恐らくは身分のある貴婦人だった」 ダンカンは軽く瞼を伏せ、過去を思い出しているのか眉を苦しげに寄せながらゆっくり目を閉じる。 「今際の際に言い遺された。この子は特別な血を引く子供なのだと。そしてもう一人、──双子の兄がいると」 ──あの子を連れた仲間とはぐれてしまった……この子と同じ、脇腹に大きな痣がある金の髪に青い目の子供です……名前は…… 「兄の名はエドガー。お前は……産着に刺繍が施されていた。お前の本当の名はマシアスというのだ」 「……そん、な……」 「どうかこの子を頼むと遺して息を引き取られた。状況が状況なだけに周りに悟られないよう遠縁の子として育てることにしたが……本当のことを話すべきか迷い続けた二十七年間でもあった……。しかし」 ダンカンは言葉を区切り、何かを諦めるように肩の力を抜きながらフッと短く溜息をついた。 「すでに出会っていたのだな。運命の導きか……」 声を詰まらせたまま何も言えずに瞬きだけを繰り返すマッシュを見て優しく目を細めたダンカンは、おもむろに立ち上がる。マッシュに少し待つよう手の動きで示し、室内から姿を消した。 一人残されたマッシュは、向かい合う人間がいなくなったことで頭を整理しようとダンカンの言葉を初めから思い起こすが、そのどれもが好き勝手に点滅をしてバラバラに主張するため纏まるどころか混乱が増す一方だった。 これまで詳しく聞いて来なかった、いや自ら聞かないことを選択していた自分の素性。今まで考えたこともなかったあの山の向こう。本当の名前。そして── コツ、と靴音に弾かれたように頭を上げると、戻って来たダンカンがゆっくりとマッシュに歩み寄り、手の中に握り締めている金属らしい何かを差し出して来た。マッシュは少し躊躇い、無言のままの師を見上げてその目の色から察し、微かに震える指でそれを摘み上げる。チェーンがさらりと手の甲を滑り落ちた。 古ぼけたペンダントには見たことのない紋章のような図と、文字のようなものがいくつか彫られていた。 「お前が首にかけていたものだ。ようやく返すことができたな……。あとはお前の望むまま、自由に生きるといい」 マッシュは困惑をありありと浮かべたままの表情で、何度も育ての親と手にしたペンダントを見比べた。 そしてこの腕にもう何度も抱き締めた愛しい人を思い浮かべ、軋む胸にペンダントを押し付けて唇を噛み締めた。 師の口から聞かされた内容が頭の中でぐるぐると回る。そんな、まさかとぶつぶつ小声で呟きながら帰り着いたアパートで迎えてくれたエドガーは、動揺に視線を泳がせるマッシュから根気強く話を聞き出してくれた。 エドガーは言葉を詰まらせながらも説明に努めたマッシュを真剣な眼差しで見つめ、特に目を見開いたり眉を顰めたりすることなく、最後に落ち着いた様子でゆっくりと頷いた。 「やはりそうか。……俺たちは双子の兄弟という訳か」 やはり、の前置きにマッシュは多いに驚く。分かりやすく目を丸くしたマッシュを見て微かに苦笑したエドガーは、その形の良い唇で歌うように理由を教えてくれた。 「まず、お互いにはっきりとした身寄りがないこと。この国では珍しい髪と瞳の色、何よりも揃いの腹の痣……。体格は違うが顔立ちも似ているだろう? 一緒にいてこれほど無条件に安心感を得られる相手はそうはいない。血の繋がりがあるのかもしれないと薄々感じていた」 さらさらと語るエドガーの冷静な眼差しを呆然と見守るマッシュは、自分では全く考えもしなかったことをエドガーが想像していたと知って、ただ驚きに瞬きをするばかりだった。 エドガーは一呼吸置いて、顔から笑みを消して言葉を続ける。 「そして俺が調べていた文献に、数千年前に滅びた国を統治していた最後の王が双子だったと読み取れる記述があったんだよ。それを見た時、もしかしてと思ったんだ。直感のようなものだがな」 「滅びた、国……?」 「飛空艇の調査で行き着いてね。その国の滅亡がこの世界から飛空艇が消えたことに関係している……と、俺は踏んでいる」 軽く細めた瞼の下で自信に満ちた青い瞳が煌めき、探究者の顔になったエドガーに一瞬見惚れたマッシュは、思い出したようにダンカンから受け取ったペンダントをポケットから取り出してエドガーに渡した。 エドガーは物珍しそうにペンダントの表裏を眺め、へえ、と小さく声を漏らす。 「紋章のようだな。これは……文字か。手持ちの文献で見たことがあるかもしれない。何より興味深いのは……この金属が何なのか分からないことだ」 「エドガーでも分からないのか?」 「ああ、初めての素材だな。見た目よりずっと軽い……この金属ならあるいは……」 遠くに照準を合わせるように片目を細めたエドガーは、ペンダントの両面をもう一度確認して軽く頷き、マッシュにそっと戻した。 「ダンカン殿はそれがお前の首にかけられていたと言ったんだな。俺に残されていたのは名前の刺繍が入った産着だけだった……元々持たされてなかったのか、それとも誰かに奪われたのか……」 顎先に曲げた人差し指を当てて何かを考え込むエドガーの横で、マッシュは力が抜けたように椅子の背凭れにどっかりと体重を預けて天を仰いだ。 エドガーと兄弟だと聞かされて、……愛した人が兄だなんてと絶望すら感じたというのに、エドガーのこの落ち着いた反応はどうしたことだろう。まるでそんなこと大したことではないと言いたげに、彼の心はすでに未だ見たことのない高い空を駆ける乗り物に乗ってしまっているではないか。 まるで普段と変わらないエドガーの態度。想い続けることは許されるのだろうか。このまま兄弟としてではなく、唯一の相手として愛しても良いのだろうか。 「マッシュ」 呼びかけられ、ぼんやりと天井を眺めていたマッシュはのろのろ顔を起こしてエドガーを見る。エドガーの瞳には、何かを決意した光が宿っていた。 「もうすぐ冬が来る……雪山を越えるのは厳しいが、年が明けて雪が溶けたら……俺はあの山の向こうに行こうと思う。真実を知るために」 きっぱりとした口調はマッシュに有無を言わせず、その決断にマッシュが別れを感じて顔を強張らせた時、エドガーは手を伸ばしてそっとマッシュの二の腕に触れてきた。 「一緒に来てくれないか。マッシュ……」 思いがけない言葉にマッシュが目を見開くと、エドガーは少し照れ臭そうに視線を逸らして小さく笑った。 「俺とお前が本当に兄弟であるのか、俺たちは互いに出生の秘密を知る権利があるだろう。お前をダンカン殿に託した女性は山の向こうから来た。……実は飛空艇の手がかりもあの山を越えた地にあるかもしれないと、セッツァーと目星をつけていたんだ。いつかは行きたいと思っていた」 そして再びマッシュを見つめたエドガーは、僅かに眉を下げてマッシュの腕を掴んだ手に力を込める。 「俺はお前と離れたくない……。一緒に来て欲しい。マッシュ、頼む」 「……エドガー……」 マッシュは腕を掴むエドガーの手の甲に自分の手を重ね、不安げに懇願するエドガーに向かってほろ苦く微笑みかけた。 「……ああ。行くよ、一緒に」 「……マッシュ!」 顔を輝かせたエドガーがマッシュの胸に飛び込んで来る。衝撃を受け止めたマッシュは、抱き返したエドガーの柔らかい髪を撫でながら耳元で苦笑しつつ囁いた。 「……兄貴でも、好きでいていいのかな」 マッシュの胸に頬を寄せたエドガーは、ふふっと肩を竦めて笑い、うっとりと目を閉じてマッシュに体重を預けてくる。 「喜ばしいじゃないか、恋人と家族がいっぺんにできた。なに、大した問題じゃない。愛する人と一緒にいるより大事なことなどあるものか……」 そうして甘えるように額を擦り寄せながら顔を上げたエドガーに、マッシュも肩の荷を下ろしたように息をついてから愛おしげに口付けた。 秋風が隙間から入り込む古いアパートの一室でも、二人は互いの熱で寒さを感じることはなかった。 靄のような霞に包まれた景色が少しずつ晴れていく。 靴音が何処までも響くような乾いた空気の中、岩壁に囲まれた大きな空間の中央で男が手にしたランプの灯りだけがゆらゆらと闇を撫でていた。 「兄貴」 青いリボンを長い金髪に結んだ男が、呼びかけにゆったりと振り向いてマントを払った。現れた長身の男は冷気が漂う地下にしては軽装で、向かい合う男と同じ髪と瞳の色を持っていた。 「プリシラたちは無事にフィガロを出られたみたいだ。伝書鳩が着いた」 「そうか……。最後のフィガロの血族だ。彼女らに幸あらんことを」 寂しげに微笑んだ男は、再び後方を振り返りランプを高く掲げて空間の奥を照らした。暗闇にぼんやりと浮かび上がる大きなシルエットは全景が見えず、それが何であるのかはよく分からない。 「……やはりお前にプリシラ護衛の命を出すべきだった」 「言いっこなしだぜ、兄貴」 長身の男は兄貴と呼ぶ男の肩に手を置き、優しく低い声で静かに囁く。 「最後まで一緒だ」 「……ああ」 二人は前方に居座る巨大な何かを眺めながら、しばらく無言で佇んでいた。ふと、ランプを手にした男が眼差しを鋭く細めて口を開く。 「『これ』はここに封印する。セッツァーが命懸けで守り抜いた彼の友の翼……決して悪しき力に利用されることがあってはならん」 掲げていたランプを下ろし、闇と化したその先をそれでもじっと睨みながら、男は迷いのない目に威厳を湛えて言葉を続けた。 「プリシラに託した二つのペンダント……そしてフィガロの血がなければここを暴くことは不可能だ。この俺が直々に手掛けた機械仕掛けの迷宮を潜り抜けられるのはフィガロの血を引く人間だけ……。いつか、これが争いの種とならない時代が来た時に……」 男が首だけで振り向くと、後ろにいた長身の男もその動きに応えるように身を屈め、触れるだけの長い口付けを落とした。 唇が離れると、もう一度だけ前方を睨んだ男は不敵に笑い、背筋を伸ばして踵を返す。 「さあ、フィガロの誇りを見せてやろう。機械王はそう簡単にはくたばらんぞ」 男の後ろで手のひらに拳を叩きつけた長身の男もまた頷き、マントを翻して颯爽と進む男の後に続いた。 ランプの揺らめきと共にコツコツと遠去かる足音が過ぎて行くと、世界に真の闇が訪れる。 それは、目が覚めたら朧げにすら記憶の中に残らないような、まるで掴み所のないいつも通りの夢の一部だったのだけれど── |