腹ごしらえをしてから、三人で部屋とマンションに横付けされた芦原の車を往復すること数回。 ほとんどが衣類と少量の本だったためそれほど苦労はなかったが、アキラのパソコンを運び入れる時は若干気を使った。 それでも芦原の車に乗っていた荷物は全て部屋の中に迎えられ、それぞれ今後の置き場となるであろう場所へと簡単に配置されたところで芦原のタイムリミットがやってきた。 あんまり無理するなよと二人に釘を刺した芦原を見送って、さて部屋に戻って来たヒカルは、アキラを振り返って目を据わらせる。 「なんかヘンだと思ったんだよ。塔矢アキラの引っ越しだってのに、門下が誰も手伝いに来ないなんてな。……お前、全員のスケジュール調べてやがったな」 「人聞きの悪い。家から運ぶ荷物も少ないし、午後からの大物は全部宅配業者が持って来るから、大した人手はいらないなと思っていただけだよ。どうせキミは丸一日空いているんだし、一人いれば充分だろう?」 「ああ、空けたよ! お前のリクエスト通り!」 アキラから引っ越しをカミングアウトされた直後、ヒカルは翌月のアキラの誕生日はスケジュールを空けておくよう何度も念押しされていた。今年からはお互い誕生日に何も贈らないことにしていたが、引っ越しの手伝いなら仕方がないかとヒカルも快諾していたのだが。 「俺が聞いてたのは、「他に誰も手伝いに来られる人がいないから」って話だぞ」 「だから、その通りじゃないか。師走はみんな忙しいんだ」 「だったら、なんで芦原さんがいる午前中に家具とか家電とか運んでもらうよう手配しないんだよ!」 途端にアキラはしれっとした顔でヒカルから目を逸らした。 わざとらしい振る舞いを見たところ、ごまかす気もないらしい。 「……ホントは芦原さんが来るのも予定外だったんだろ」 「さあ、ね」 「ったく。ガキかお前は……」 呆れたようなヒカルの呟きに、ちらりと視線を寄越したアキラが婉然と微笑む。 そしてヒカルにそっと歩み寄り、伸ばした手のひらでヒカルの両頬を優しく包んだ。 「ボクの家へようこそ、進藤」 美しい微笑が近付いて来る。 ヒカルはため息ひとつ、瞼を閉じた。 十八にもなった男が、なんて子供っぽい主張だろう! ――ヒカルは口唇で柔らかい熱を受け止めながら、渋々、しかしそれなりにしっかりとその動きに応える。 ――でも、これではっきりした。 この部屋は、アキラとヒカルのために用意された場所だ。 ヒカルもまたアキラの髪に指を差し入れながら、そんなことを考えていた。 甘いひとときはすぐに終了を告げた。 芦原がギリギリまで荷物運びを手伝ってくれたため、彼が帰宅した時点ですでに時刻は午後を回っていた。 その後続々と運ばれて来る大物たちを迎え入れるため、ヒカルもアキラも腕まくりをして宅配業者に立ち会わなければならなかった。 まだヒカルがこの部屋に入った時には敷かれていなかった、ふわふわした手触りのシャンパンベージュのラグが中央に腰を据え、それを中心にひとつひとつ家具が増えて行く。 窓際にはシンプルな黒のAVボード、その上に小振りの液晶テレビ。コンポはヒカルが使用しているものと同じメーカーだったから、恐らく以前ヒカルがオススメしていたのを覚えていたのだろう。ろくに音楽も聴かないくせに。 冷蔵庫に電子レンジ、炊飯器。軽く見下ろす高さの食器棚。寝室に使うのだろう、奥の部屋にはクローゼットと小型のタンス。それから本棚。次々と配置されていく家具のおかげで、何もなかった部屋には随分生活能力が備わってきたようだった。 アキラに言われるがまま荷物を運んだり家電製品の梱包を解いたりしていたヒカルは、終盤に現れた巨大な荷物にぎょっとした。 「ベッドは部屋の中で組み立てるんだって。少し時間がかかるみたいだから、業者の人に任せようか」 ヒカルがちらりと見たところ、ヒカルの部屋にあるような簡素なベッドとは大きさの規模が違うようだった。リビングに戻ってから、ひっそりアキラに耳打ちする。 「お前……あのベッド、やけにデカくねえ?」 「大したことない、セミダブルだから」 「なんでそんなデカいの買う必要があんだよ」 「ボクだってそれなりに身体が大きいからね。多少の広さがあったほうが寝心地がいいだろう?」 にっこり笑うアキラに対して、ヒカルはげんなりと目を据わらせた。 「実家でシングルの布団に寝てたヤツが、よく言う……」 「何か言った?」 「べーつに」 さて、カーテンが開け放たれたままの窓からオレンジ色の光が覗き込むようになった頃、ようやく宅配業者のラッシュも終わりとなり、部屋は荷物でいっぱいになった。とはいえ、二人だけでは動かすのが面倒な大型の荷物はすでに所定位置へしっかり配置されているため、残った整理は案外楽に済みそうだった。 ヒカルは大量に発生した空の段ボールを片っ端から潰し、ビニール紐でまとめてふうと額の汗を拭う。 「お疲れさま」 飲み物を買って来ると部屋を出て行ったアキラが、スポーツドリンクのペットボトルを二本抱えて戻って来た。汗ばんでいるヒカルの頬にペットボトルが当てられて、冷たさにヒカルはぎゅっと目を閉じた。 「エントランスに自販あるのって便利だな。いつでも買いに行けんじゃん」 「まあ、種類は少ないけどね。ボクよりキミのほうがよく利用しそうだ」 アキラの言葉はもっともだと、ヒカルは肩を竦める。 アキラから受け取ったペットボトルのキャップを外して、喉が欲するままにごくごくと冷たいスポーツドリンクを流し込んだ。 室内は絶えず適温に温められているため、多少身体を動かしただけでもそれなりに汗をかく。ましてやこれだけの重労働の後だ。こんなことなら半袖でも良かったな、と季節外れなことを考えて、ヒカルはまだ整頓し切れていないリビングを見渡した。 「……これ、ほとんど新品だよな」 「まあね。電化製品は実家からは持ち出していないし。今まで買い替えたものもそれほどないから、心機一転には丁度良いだろう」 新顔ばかりが並んだリビングは、ヒカルの知らないニオイが仄かに漂っていた。これらが直に、アキラのニオイに変わっていく。アキラと――ヒカルの。 アキラは自分用のペットボトルにふた口ほど口をつけて、すぐにキャップを閉めてしまう。見れば確かに汗をかいた様子はあまりないものの、艶やかな黒髪が少しだけ乱れていてヒカルはふっと笑った。 手を伸ばし、絡まったアキラの髪をちょいちょいと解いてやる。アキラは少しくすぐったそうに目を伏せ、それからヒカルを見つめて微笑んだ。 「……少し休憩したら、買物につきあってくれないか?」 「買物?」 「ああ。この部屋にはまだろくな食器がないんだ。食べるものも。買物して、何処かで夕食をとろう」 なるほど、確かに冷蔵庫や食器棚はあっても中は空だ。ヒカルは頷いてにやっと笑う。 「こういう時、クルマあるのって便利だよな。感謝しろよ〜」 「一月前のキミの運転ならこうまで気軽には頼めなかったけどね」 「このやろ、乗せねえぞ」 「ふふ、それならボクが代わりに運転しよう。今年中には取ってみせるから」 順調に免許取得の道を進んでいるらしいアキラにべーと舌を出すと、いきなりうなじを掴まれて口唇が舌ごとアキラの口に包まれた。ふいうちにしてはやけに濃厚なキスを交わしてから、口元を拭うとお互い苦笑が漏れる。 冷蔵庫の中に入った第一号は、二人の飲みかけのスポーツドリンクだった。 それから、適当に食器を選んで、ファミリーレストランで食事して。スーパーへ寄って、アキラが食材を選ぶ横からヒカルが菓子をこっそり付け足して。帰りにコンビニで二つ入りの小さなショートケーキを買って、まだ慣れないマンションの駐車場に車を停めるのに少々苦労して。 残ったスポーツドリンクと、買って来たケーキでひっそりとアキラの誕生日を祝い、まだ散らかっているリビングでもつれるように腕を絡ませ合って、倒れ込んで。 せっかく買ったばかりだからとアキラに促されたベッドには、いつの間に準備していたのかカバーもシーツもしっかり整えられていて。 心底呆れた顔を見せながら、ヒカルはアキラに抱き締められるがままにベッドの上にダイブした。 |
ヒカルが一生懸命段ボールとかまとめてる間に
アキラさんも一生懸命ベッド整えてたのかと思うと
なんか泣けてくる……