So Deep






 性急に飛び込んだアキラの部屋には、さすがに布団も何も敷かれていなかったのでそのまま床に転がった。
 いや、本当はアキラが何か敷こうと押し入れに向かいかけたのだが、ヒカルがそれを留めてアキラを離さなかった。ほんの一瞬でも気が削がれるのが嫌だった。目を逸らさずに自分を見続けて欲しかった。
 口唇と舌を絡め合って、背中にひんやりした畳の感触を感じながら、ヒカルはアキラの熱に身を委ねる。
 着ているものを苛ついた手で乱暴に取り払い、早く素肌を合わせたいとアキラの服にも手をかけた。
 アキラの指が、舌が、胸を滑り敏感な皮膚を刺激する。
 その感触がヒカルに掠れた息をつかせる。アキラにも何か返してあげたくて、引き締まった肩や背中に手を伸ばして撫で回した。顔が近付く度、しつこいくらいのキスをして。
 アキラとこんな関係になってから今まで、何度抱かれたかもう分からない。
 初めは受け入れるだけで精一杯だった身体も、今ではアキラの動きに合わせて充分開くことができる。
 その変化が少しだけ怖くて、不安だった時期がなかったと言えば嘘になる。
 しかしアキラの愛撫に確実に快楽を感じる今、ヒカルはもうこの身体がアキラのものにしかなり得ないことを認めようと思った。
 自分達を取り巻く環境が変わって行く。ただ碁を打っていればそれでよかった、子供の頃とは違う現状。
 行動に自覚と責任を促され、今日のように見知らぬファンに囲まれることも当然のように受け流さなければならない。
 あかりがずっと自分を見ていてくれたように、知らない誰かが同じように自分を見ているのかもしれない。周囲は当然のように異性と恋愛して、やがてその恋を成就させるだろう。結婚して、子供を儲けて、ごく普通の家庭というものを作って。
 アキラがヒカルに対して漠然と感じている不安には、そんなものの影も含まれているのかもしれない。
 だけど、ヒカルもアキラも、碁の道と同じくただ好き合っていればよかった子供ではない。
 この腕が欲しいのだと、ヒカルは痛いほど実感した。
 自分を強く抱き締める腕と胸。その激しさと熱さ。誰もが当たり前に描く将来なんかより、欲しくてたまらないものがここにある。
 アキラが好きで、アキラの全てが欲しい。この想いの強さはきっとアキラと同じ。
 アキラの瞳の中に棲まう獣が、ヒカルの中にも確かに存在する。
 ともすればアキラを食らい尽くすような獣であることを、ヒカルは自覚した。
 それなのに、アキラはそんなヒカルに気付かずに一人迷い怖れている。
(馬鹿野郎)
 アキラの耳に歯を立てながら、ヒカルは腰を揺らして呻き声を漏らす。
(俺はもう、初めてお前に抱かれた頃の俺じゃねえんだぞ)
 アキラが欲しい、もう戻れない。
 アキラと一緒にもっともっと高いところまで昇りたい。
 でも、アキラが自分を信じてくれなければ、二人の翼は完成しない。
(どうしたらいい?)
 身体の一番深い部分に熱い塊を感じて、ヒカルは顎を仰け反らせた。
(どうしたら、お前は怖がらずに俺に向かって来る?)
 何をすれば、アキラの不安を取り除いてやれるだろう――……
(俺はこんなにお前のことが好きだってのに!)
 心も身体も、髪の毛一本すら自分のものでなければ嫌なほど。


 未来を思う度に沸き起こる理由のない不安。
 それなら、自分にだって覚えはある。
 それでも、その不安を引っ括めて塔矢アキラと一緒にいることを選んだ。
 行洋と対局したあの日、アキラに待っていて欲しいと告げた時、ヒカルの心は決まったのだ。
 なのに、アキラは何を怯えている?
 何を焦って、怖がっている?
 アキラの想いを自分が受け止めきれないとでも?

(見くびるなよ、塔矢)
 ――俺の中にも獣はいる。
 欲張りで、我が儘で、でも純粋な獣が。


「アッ……」
 ぎゅう、と力を入れて身体の奥を締め付けた途端、アキラの形の良い眉が歪んだ。
 そのまま自分の中でびくびくと痙攣するアキラの熱を感じて、ヒカルは一旦身体を弛緩させる。
 ヒカルから自身を抜こうとするアキラの腕を掴み、ヒカルは首を横に振った。
「ヒカル……?」
 掠れた声で聞き返すアキラに、ヒカルもまた絶え絶えの呼吸の合間に乾いた口唇を動かす。
「……もっと」
「ヒカル」
「もっと、くれよ……」
 アキラの喉が大きく上下する。
 萎えていたものが、ヒカルの中で再び硬度を保ち始めたのが分かった。
 ヒカルは腕を伸ばし、アキラの頭を抱え込むように引き寄せて、その額と瞼にキスを落とす。
 自ら足を広げて、もっと奥にアキラを受け入れようとアキラの腰に足を絡めた。
「アキラ」
 切羽詰まった声でその名を囁くと、アキラに深く口唇を塞がれた。
 強く突き上げられながら、切な気に自分の名前を呼び続けるアキラの声にうっとりと目を閉じる。
 ……アキラはきっと純粋すぎるのだ。
 ヒカルさえいれば、何もいらないと本気で想ってくれている。
 ヒカルしか見えていないから不安になる。だからヒカルの想いの強さに気付かない。


 ……でも俺はもっと欲張りだから。
 お前が欲しくて、お前との幸せな時間も欲しい。
 そのためには、お前が今のまま怖がってちゃダメなんだ――……





 ***





 気怠い身体を起こした時、一体今が何時なのか分からなかった。
 いつのまにか用意されていた布団の中にヒカルは寝かされていた。服こそ身につけていなかったが、どことなく身体がさっぱりしているのはアキラが後始末をしてくれたせいだろう。
 隣にいるはずのアキラの姿が見えず、ヒカルは少しふて腐れた顔で布団から這い出る。
 布団脇に畳まれた服を掴んだ時、からりと襖が開いた。
「起きたのか」
 すでに着替えたアキラが立っていて、ヒカルは頬を膨らませてみせる。
「なんだよ、俺も起こせよ。目ぇ覚めた時に一人でいるのヤなんだよ」
 アキラは全裸のヒカルに苦笑して、ごめんと小さく謝った。
「よく寝てたから。……疲れてた?」
「ん? ……ああ……」
 どこか様子を伺うようなアキラの口調に気付き、ヒカルは自分がいつもと少々違う雰囲気でこの家に押し掛けたことを思い出す。
 アキラは何故、ヒカルがあんなに性急にアキラを求めたのか分かっていないだろう。
 ヒカルもその理由を説明するつもりはなかった。
 アキラの前で服を着ながら、どこか他人事のように今日の日を振り返る。
「棋院でさ。お前の言った通り、すげえプレゼント届いてた。びびったよ」
「ああ、やっぱり」
「おまけに入り口んとこで女の子集まってて。裏口から出て来た」
「……そうか」
「俺もあんなふうに誰かに追っかけられるんだって思ったら、ちょっと怖くなった」
 ちらりと横目でアキラを見ると、アキラはどこか納得したような顔をしていた。
 うまく誤解してくれただろうか。ヒカルはすっかり服を着込むと、アキラに向かって腕を伸ばす。
「俺、お前が好きだよ」
「……うん」
 アキラはヒカルの腕をとり、優しく抱き締めてくれた。
 激しく身体を絡め合った時とはまた別の、暖かさに心が絆される。
(……でも)

 ――俺はもう、お前を甘やかしたりしない。
 俺だってお前が欲しい。
 お前が俺の気持ちに気付くまで、俺はどうすべきかずっと考えてやる。
 俺たちが、どうやったらこのまま幸せになれるのか。


 アキラはヒカルの髪をそっと撫で、「誕生日おめでとう」と囁いた。
 ヒカルは微笑み、顔を上げてアキラを見つめる。
「まだ日付け変わってない?」
「ああ、まだキミの誕生日だ」
「よかった。ケーキある?」
「あるよ。……あるけど」
「けど?」
「あまりいいケーキじゃない」
 ヒカルは瞬きする。
 アキラのことだから、ヒカルのために良い店でケーキを取り寄せたのだと思い込んでいたため、アキラの言葉は意外だった。
 そんなヒカルの考えていることが分かったのか、アキラは少し気まずそうにヒカルから目を逸らし、心無しか頬を染めてぼそりと呟く。
「実は……ボクが作った」
「ええ!?」
「初めてだったから、あまりうまくいかなかったんだ……」
 ヒカルは目を丸くして、恥じらうアキラをまじまじと見つめた。
 確かに最近料理に凝っているのは知っていたが、まさかケーキまで作ってしまうとは。丸くさせた目が輝き始めるまで時間はかからなかった。
「すげえ、食べたい食べたい!」
「でも、本当にうまくいかなかったんだ。思った以上に膨らまなかったし、なんだか固くて」
「いいんだよ、それくらい! お前すげえよ、超嬉しい」
「でも……」
「あー、もういいから行こう! 多少まずくっても全部食うから!」
 躊躇うアキラの背中を押して、ヒカルは笑顔で前進した。
 優しいアキラ。アキラはきっと優しすぎる。
 そんなアキラが大切で、でも少し歯がゆくて、……やっぱり愛しかった。






初めて作ったケーキって大抵悲惨ですよね……
たぶんガチガチですよ。若のスキルじゃ。