息を切らせてホールへ向かう廊下を走ってきたアキラは、入口で真っ青になっている夏目を見つけて眉を寄せた。 夏目もまた、アキラが来たことに気づいて更に顔色を変える。 「ふ、副会長……」 「どうした? 何かあったのか……」 そう言いながら潜った入口の向こう、大きなステージの光景にアキラは目を見開く。 ずらりと並ぶコンテストの候補者とそのパートナー、彼女たちの前にぽつんと立たされている少女が一人。 柔らかいブラウンのロングストレートに淡いピンク色のふわっとしたパーティードレスを着込み、一見とても可愛らしく見えるその少女の顔には……見覚えがあった。 「進藤!?」 思わず声を出したアキラに、夏目がすっかり焦った様子であわわわと意味不明な言葉を漏らす。 アキラは夏目を振り返り、そして詰め寄った。 「どういうことだあれは。彼は何をやってるんだ」 「ぼ、ぼ、僕もよく分からなくて……、なんか、飛び入り参加だとかって、会長が……」 「飛び入り……!?」 そんな話は聞いていない。アキラは再びステージを振り返った。 ステージの中央で、すっかり萎縮して凍ってしまっているヒカル。遠目とはいえ明らかに動揺が伝わるその様子に、アキラはこの飛び入り参加があらかじめ予定されていたものではないことを悟る。 ひそひそと囁きあう嫌な空気が会場に蔓延していた。 『会長、これからダンス審査なんですが……パートナーは用意していただけました?』 確かに揶揄を含んだ司会者の口調に、アキラは全てを理解した。 (そういうことか……) ミス・コンテストを企画したのは、やはりヒカルを陥れるため。 彼を出すことで場の雰囲気を壊し、全てを台無しにした罪をヒカル一人に被せる気なのだ。 これが通常の学校の馬鹿騒ぎのイベントなら問題はなかっただろう。しかし仮にもここは海王学園。伝統と秩序を重んじる窮屈なこの学校で、おまけに学園に多く投資しているスポンサーのお偉方も揃い、おちゃらけた空気は許されない状況。 現に、すっかり会場の雰囲気が冷め切っている。 ヒカルもそれを理解しているのだろう、どうすることもできずにただ立ち尽くす様子が痛々しかった。 『会長、審査が始められないんですけど……』 くすくすと忍び笑いが漏れる。 アキラはもう黙っていられなかった。 『会長〜、このままじゃダンス審査できませんよ〜』 ヒカルは身体に力を入れ、両脚で立っているのが精一杯だった。 気を緩めると涙が出そうで、それどころか倒れてしまいそうだった。ステージの上で更なる失態は避けたい。 これ以上、無駄な時間を引き延ばすことはできない。いい加減観客も苛々している頃だろう。 もう、どうやったって壊れた空気を元に戻すことは無理だ。せめて謝ってしまうしかない――ヒカルは勇気を振り絞り、硬直した身体を動かして頭を下げようとした。 その時、先ほどとは別のざわめきが客席から聞こえてきた。 思わず顔を上げたヒカルの目に、客席後方から真っ直ぐステージに向かって歩いてくる男の姿が飛び込んできた。 背筋を伸ばし、黒い髪を靡かせ、迷わずに彼は歩いてくる。ヒカルはそれがアキラだと分かった瞬間、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 (塔矢、ごめん……イベント台無しにしちゃった……) 自分の不注意で、彼らの策略にしっかりハマってしまった。 アキラは用心するよう伝えてくれていたのに、軽視した自分が悪い。 ひょっとしたら、怒ってステージから引き摺り下ろす気なのかもしれない。そうなっても仕方がない。寧ろ、そうしてくれたら観客も「ヒカルが独断で馬鹿なことをやった」と思い込んでヒカル一人が恥をかくだけで済むだろう。 飯島を始め、生徒会の塔矢派がこんなことをしたことが外部に知れたら、アキラだってただでは済まないだろう。事態がこうなった以上、自分の責任だけで事が落ち着くならそうして欲しかった。 (塔矢、俺……覚悟できてるから、思い切りやってくれちゃっていいぜ……) 表情が見える位置までアキラが近づいてきた。 その表情が、怒りすら見えない無表情であることに気づいたヒカルは、目の前が真っ暗になったような気がした。 アキラは黙ってステージ脇に取り付けられた階段を上がってくる。司会者はアキラの行動に対応できず、声を失ったままだ。観客のざわめきを背負ってステージに立ったアキラは、ふいにヒカルを見てにっこりと微笑んだ。 (えっ?) ステージに立っている全員が目を丸くしただろう。 犬猿の仲と言われるこの二人、間違っても副会長が会長に微笑むところなんて見たことがないはずだった。 驚くヒカルをよそに、アキラは微笑んだまま、 「遅れてすまなかった」 そう告げた。 そして、実に優雅な仕草でヒカルに向かって跪き、その手を差し出したのだ。 会場がどよめく。司会者も狼狽えている。ヒカルもまた、目の前で自分に向かって手を差し伸べているアキラが信じられずに瞬きを繰り返す。 アキラは迷いなくヒカルの手が置かれることを待っていた。 (塔矢……) ヒカルはごくりと唾を飲み込み、震える手をそっと差し出して、アキラの手のひらに重ねた。 その冷たい指先をぎゅっと握られて、ヒカルの胸が切なく疼く。 アキラはヒカルの手をとり、すっと立ち上がった。その姿は、制服姿だというのに、後ろでタキシードに身を包んだ候補者たちのパートナーの誰よりも貴公子然としていた。 アキラはそうしてきつい眼差しで司会者を睨み、進行を促す。びくりと肩を竦めた司会者はその迫力に気圧されて固まってしまった。 仕方なく、アキラはステージ後方を振り返った。二階席の上部にある音響室を見上げ、誰がいるともそこからでは見えないはずなのに、鋭い視線を向けた。 やがてアキラの意図が伝わったのか、会場にゆったりとした音楽が流れ始めた。 アキラの手がヒカルの腰に伸びる。ぎょっとしている間もなく引き寄せられ、取られた手を掲げられて、ヒカルはアキラがダンスの体勢をとったことを悟った。 それを見てはっとしたように、候補者たちもダンスを始める。ヒカルは焦ってアキラに小声で話しかけた。 (お、おい、俺ワルツなんか踊れねえよ) (大丈夫。ボクに合わせて動いていればいい) (で、でも……) (心配しないで……ボクに任せて) 至近距離で優しく微笑むアキラに、ヒカルは思わず見蕩れてしまった。 軽やかで、厳かで、でも華やかなワルツのリズム。 広いステージとはいえ、これだけの人数でぶつからないように踊るのは至難の業だった。 足場を気にするペアの中で、アキラに支えられたヒカルは滑るように男女の間をすり抜けていく。 ヒカルだけを見つめる優しい目を前に、ヒカルもまた周囲の反応から身を守るためにアキラだけを見ていた。 人前でこんなに穏やかな顔を向けられたのは初めてだった。それが照れ臭く、こんな状況だというのにどこか嬉しく思っている自分がいる。 アキラの巧みなリードに揺られ、頼もしい腕に身を任せて、ヒカルはワルツのリズムに酔う。 二人だけの世界に意識を飛ばしたヒカルの耳には、会場のあちこちで漏れるうっとりとしたため息の音は届くことがなかった。 音楽が止み、ダンスが終了する。 そこでようやくはっとしたヒカルは、腰に回されたままのアキラの腕に気づいて赤くなる。 アキラはヒカルに優しく目配せして、するっと手を離し、ステージの傍らで硬直したままの司会者に近づいてマイクを奪い取った。 そうして客席に向かって花も綻ぶような微笑を見せる。 『お目汚し失礼致しました。生徒会が用意したちょっとした余興はいかがだったでしょうか?』 凛としたよく通る声が会場に響き渡った。 ヒカルも司会者も候補者たちも、そして観客も唖然としてアキラを見ている。 『それでは皆様、引き続き本当のミス・コンテストをお楽しみください』 そう告げて司会者にマイクを返すと、アキラはつかつかとヒカルに歩み寄り、未だ呆然としているヒカルをいきなり抱き上げた。会場にきゃあと黄色い声が響く。 「うわっ!」 思わず声をあげたヒカルに構わず、アキラはヒカルを横抱きにしたままステージを横切って、階段を下りていく。 「お、おい、塔矢っ」 「どうせ余興だ、派手に行こう」 耳元の囁きにヒカルはぞくりと背を竦ませて、揺れも伴って思わずアキラの首筋にしがみついた。歓声があがり、どこからともなく聴こえてきた拍手が広がっていく。 会場中の拍手と注目を浴びて、ヒカルを抱いたアキラは軽やかに客席の間を駆け抜けていく。 二人が消えたホールでは、しばらくどよめきが止まなかった。 会場を出たアキラは途中でヒカルを降ろし、そのまま廊下を走り続けた。 ヒカルはアキラに手を引かれるまま後を追い、二人は生徒会会議室へ飛び込んだ。 中に入った途端にほっとして床に膝をつくヒカルの後ろで、アキラが扉に鍵をかける。 座り込んだヒカルの足からハイヒールがころりと脱げた。足を締め付ける窮屈な靴がなくなって、ヒカルは初めて踵がじんじん痛んでいたことに気付く。どうやら慣れないヒールで靴擦れを起こしていたようだ。 「わ……、悪い、こんなことになって……」 ヒカルは息切れに肩を上下させながら、振り返った先のアキラの表情を恐れて俯いた。 アキラまで巻き込んで、怒っているかもしれない――そんな不安に胸を痛めた時、ふと暖かい手が背中に触れる。 思わず振り向くと、アキラは先ほどステージで見たときと変わらない優しい笑顔を湛えていた。 「お疲れ様……、怖かっただろう?」 「と……塔矢……」 「気づくのが遅くなってすまなかった。キミをこんな目に遭わせて……」 「塔矢あ」 耐え切れずにヒカルが腕を伸ばすと、アキラはしっかりとヒカルの身体を抱き締めてくれた。ヒカルはアキラの胸に顔を埋めて、ステージの上ではずっと我満していた嗚咽を漏らす。 「ごめんね、進藤……怖かったね……」 顔を上げると、アキラにそのまま口唇を奪われた。 何度か啄ばまれて、離れたアキラの口唇を見るとべったり口紅がついている。 「あ、ご、ごめんっ」 慌てて見下ろしたアキラの白い制服の胸元にも、ピンクベージュのキスマークがついてしまっていた。しかしアキラは特に焦るふうでもなく、まじまじとヒカルの顔を真正面から見つめてくる。 ヒカルも至近距離のアキラの端正な顔にどきんと胸を震わせた。 「驚いたよ……。キミが、あんまり可愛らしい格好をしているものだから……」 「あ……、お、俺、知らない間にこんなカッコしてて……」 「誰かが勝手に着替えさせたのか? 許し難いな……キミに触れていいのはボクだけなのに……」 「あ……、と、とうや、ん……」 首筋に噛み付いてくるアキラに諍いきれず、ヒカルは床に背中をつく。 力の入らない腕でアキラを押しのけようとするが、キスを受けるたびにぞくぞくと全身が震えてどうしようもなくなってしまう。 「塔矢、待って、へ……閉会式が……」 「大丈夫、生徒会のメンバーは優秀だ……。こんなに可愛いキミの姿を見るチャンスは滅多にないからね……」 ヒカルは観念して目を閉じた。 ホールではきっと、残された役員たちが青ざめながらコンテストを軌道修正すべく躍起になっているだろう。 おまけに騒動に副会長も一枚噛んだのだから、ヒカルだけに全責任を押し付けるようなことはするまい。 これだけ引っ掻き回してしまったのだから、今更か…… ヒカルはアキラの体重を受け止めた。 *** その後の閉会式では、雲隠れした生徒会長と副会長に代わって書記の越智が憮然としたまま挨拶をし、無事に学園祭の幕を下ろした。 コンテストでの騒動は、普段仲が悪い会長と副会長の身体を張ったパフォーマンスと認識され、前例にない思い切った行動に何故か評価が集まっていた。 飯島はひっそりと歯噛みしていたようだが、二人が受け入れられた理由のひとつにアキラの凛々しさとヒカルの意外な可愛らしさがあったことは間違いない。 余談だが、ミス・コンテスト本選における一般投票で第一位を獲得したのは、飛び入り参加の会長・副会長ペアだった。 |
6周年記念リクエスト内容(原文のまま):
「パラレルでもいいなら、遅漏のアキr…ゲフン!…学園物がいいです。
アキラが生徒会長とか風紀委員長って言うのはよく見かけるんですけど、
逆にヒカルが生徒会長でアキラが副会長とかだと面白いかな〜?と思います。
どんな議題でも「面白そーじゃんやってみようぜ!」って
通しちゃうヒカルに「キミはもっとよく考えてから…」と嘆きつつ、
ヒカルの思うとおりに実行してしまう敏腕副会長・アキラ…。
しかし夕暮れの、誰もいなくなった生徒会室で
ヒカルを思うとおりにしてるのはアキラであった…!
あぁ〜愛の下剋上萌え〜〜。」
(プラス、アキヒカダンスシーンをリクエストして下さった方が
いらしたのでくっつけてしまいました……すすいません……)
なんだかもうどこから謝ってよいのやら……
閉会式出ろよお前ら!
ぐだぐだでホントすいませんでした!
リクエストありがとうございました!
(BGM:TEENAGE EMOTION/BOΦWY)