TEENAGE EMOTION






「会長はどこに行ったんだろう……」
 おろおろと頼りない声を出し、学内ホールの入口で図書委員長の夏目がきょろきょろ辺りを見渡していた。
 ミス・コンテストの審査員を務めるはずであったヒカルは、コンテスト開始時間になってもホールに現れなかった。
 コンテストの企画は飯島筆頭で進められたため、スタッフはほぼ塔矢派のメンバーで占められている。
 その中で唯一進藤派の夏目としては、大黒柱であるヒカルが来ないことに焦りを隠せなかった。
 ヒカルのためだけに時間を延ばすわけにはいかず、つい先ほどコンテストは予定通り開始された。
 夏目はホールの入口を陣取り、ヒカルの姿が見えないかを健気に待っていたのである。
「まさか忘れてるとかじゃないよなあ……」
 ズボラな性格のヒカルではあるが、この学園祭の間は人一倍きっちりと働いていた。そんなはずがないと思いながらも、もしヒカルのミスで自身の仕事をすっぽかしたとなれば、ヒカルの立場が悪くなってしまう。
 かといって、手強い塔矢派の面々を相手にヒカルをフォローするだけの度胸も勇気も話術も、夏目は何ひとつ持ち合わせてはいなかった。
 ただ、ヒカルがやってくるのを信じて祈るのみ。夏目は両手の指を組み、まさしく祈りを捧げるポーズをとった。
 ホールのステージの上には、すでに最終候補に残った女子生徒五人がダンス栄えするドレスを纏って並んでいる。傍らにパートナーの男子生徒を従え、さながら小さな女王たちである。
 さすが、最終候補に選ばれただけあって、五人とも華やかで美しく、そして生家の影響力も抜群の令嬢ばかりだった。一般生徒は立ち入る隙のない、そして恐らく優勝者も内定している出来レースとはいえ、生徒や来校者の関心は強く、ホールは二階席まで満員。立ち見さえ出る始末だ。
 平穏無事にコンテストが終われば、大成功だと言えるだろう。ただひとつ、ヒカルが来ないことを除いては。
「会長〜〜……」
 夏目はひたすら祈り続けた。










 ――……腹が痛え……


 鈍い痛みを感じて、ヒカルは顔を顰めた。
 腹だけではない、何故だか全身が重くて怠い。頭がぼーっとして、まるで寝ているところを無理やり起こされたような感覚だった。
 尻に硬い床の冷たさを感じ、ヒカルは身震いしながら瞼をこじ開けようとした。
 ―― 一体今まで何をしていたんだっけ……?
 痛む腹を押さえながら、徐々に記憶を取り戻す。
 そういえば、会議室に向かった。そこで和谷と伊角と出会い、軽く会話を交わして、それから……
 ヒカルははっと目を見開いた。
 それから、変な男たちが入ってきて――殴られた。
 腹が痛むのはそのせいだと、思わず押さえた腹を見下ろした瞬間、ヒカルは見慣れないものを見て眉を顰める。
 淡いピンク色のふわふわした手触り。殴られる前まで制服だったはずの格好が、何故だか可愛らしいパーティードレスに変わっている。
「うえ!?」
 我が目を疑い、ヒカルは慌てて立ち上がった。全身を確かめ、明らかにドレス姿の自分に愕然とする。
 おまけに、パニックを起こして触った頭には美しいロングストレートのかつらが被せられていた。
「な、な、なんだこれ」
 すっかり混乱したヒカルは、とにかく状況を理解しようと辺りを見渡した。ビロードの美しい幕に囲まれた、見覚えのあるこの場所は……そう、学内ホールのステージ袖。
 そして、耳にはマイクで語られる男子生徒の声が届く。
『……以上、五名の最終候補者の紹介でした。この中からミス海王が選ばれます』
 ヒカルは真っ青になる。
 ――もうコンテストが始まっている……
 幕の隙間から顔を覗かせると、ステージに女子生徒たちとそのパートナーが並んでいるのが見えた。本来なら、審査員としてステージ前の席に座っているはずの自分が、何故こんなところにこんな格好で取り残されているのだろう。
『まず最初の審査はダンスになります。曲目はワルツです。優雅で美しいダンスをお楽しみいただく前に……もう一人、飛び入り参加の候補者をご紹介いたします』
(え?)
 あらかじめ預かっていた台本にない司会者の台詞に、ヒカルが眉を寄せる。
 その時、今までどこに隠れていたのか、現れた男子生徒二人がヒカルの腕を両側から抱えた。
「お、お前ら!?」
 塔矢派の役員だとすぐに分かった。が、彼らは暴れるヒカルを乱暴に引き摺り、ヒカルは抵抗虚しくステージに向かって突き飛ばされる。
 カンカンカンカン!
 無理に履かされていたヒールの靴がステージの上で派手な音を立てる。
 薄暗い舞台袖から一転、全身に浴びるスポットライト――……
 ヒカルは頭が真っ白になった。


 会場のどよめきが耳に痛い。
 広いステージのど真ん中に突き出されたヒカルは、呆然と満員の観客と対峙していた。
『飛び入り参加者は、なんと、我らが学園生徒会長進藤ヒカルさんです!』
 ざわざわと会場内が騒ぎ出す。
 ヒカルは背中にびっしょりと汗をかき、今自分が置かれた状況がどんなものかを嫌でも理解しなければならなかった。
(――やられた……)
 満員のホール。お偉方も大勢見に来ている。伝統ある海王学園の目玉企画で、おふざけなんか許されない。
 前代未聞の事態だろう。生徒会長が率先して、しかも女装して品格あるコンテストに乱入したのだ。外部の人間も多い中、ハメられたと訴えるわけにもいかないし、たとえ訴えても信じてはもらえまい。
 会場のざわめき全てが、ヒカルを非難しているように聞こえる。きっと後ろにいる候補者の女生徒たちも唖然としているだろう。その父親である大企業の社長様方は、恐らくもっと……
『会長、これからダンス審査なんですが……パートナーは用意していただけました?』
 からかうような司会者の声に、会場から失笑が漏れた。
 ヒカルは真っ赤になり、どうすることもできずに立ち尽くす。
 とても笑ってごまかせる雰囲気ではない。おふざけでした、と道化を演じようにもすっかり脚が竦んでしまっている。
 誰かの助けが入らないかと一縷の望みをかけるが、こんな時に頼りになりそうな和谷や伊角は今講堂にいる。思えば、コンテストのスタッフはほぼ塔矢派のメンバーで固められていたことを思い出した。
(最初から仕組まれてた……?)
 ヒカルの脚が震え出した。
 会場にいる観客の目全てが、場違いなヒカルを責めているように感じる。
(どうしよう、俺、寒すぎ……)
 フォローの言葉も出てこない。
 萎縮した身体は動かない。
 恥ずかしくて、情けなくて、何より大事なコンテストに穴を開けてしまったことが悔しくて、ヒカルはじわりと浮かんできそうな涙を堪えて口唇を噛んだ。……香料のきつい口紅の味がした。
『会長、審査が始められないんですけど……』
 前から後ろからくすくすと聞こえる笑い声が全身に刺さる。
 ヒカルは未だ動けずにいた。
(どうしよう)
 何とか場を切り抜けなければ。……でもどうやって?
 どうやっても取り繕えない。冷たい視線を一身に浴びて、せいぜい逃げ出すことぐらいしか……
(塔矢ぁ……)
 お前の言うこと、ちゃんと聞かなくてゴメン……






コメント苦しいのでさくっと次へ!
ヒカルいろいろごめんな……