時の色






 最初にアキラをうまく嵌めたことで充分だと思ったのか、それからヒカルは派手なアトラクションを勧めるようなことはしなかった。
 道の途中で甘い匂いを漂わせていたポップコーンを購入して、歩きながら食べるヒカルに行儀が悪いと注意しつつも、差し出されてしまえばアキラもつい口に入れてしまう。
 気づけばそこら中で人々が何かしら食べながら道を闊歩し、たとえ汚しても近くのスタッフがすぐに清掃に駆けつけている。その手際の良さに感心しながら、かつて来たときは日暮れ時だったためによく見えなかった景色を堪能した。
「よく出来ているね」
「ホントだよな。な、今度あれ乗ろ。あのグルグル回るやつ」
 すっかりポップコーンを平らげたヒカルが指差す方向へ、アキラは苦笑しながらついていく。
 ヒカルがじっとしていられないのは昔からだが、それでも最近は随分落ち着いてきた。
 公の場での言動に気をつけるようになったし、囲碁を前にした時の腰の据わり方はやはりプロのそれ。静かな気迫で相手を圧倒する貫禄は、少年時代にはまだ培われていなかったものだ。
 顔立ちもぐんとシャープになり、背も伸びた。忙しさに多少痩せたとはいえ、しっかりした背中は大人の男のニオイがする。
 三年前、この場所でヒカルと並んで歩いた時は、もっとずっと小さな身体だったはずなのに。
 自分だってそうだろうと言われてしまえばそれまでだが……
「塔矢。列、あそこ」
 振り向く笑顔の面影だけは変わらない。
 微笑み返しながらも、アキラは胸を小さく突く棘の存在を感じている。
 今はこんなに心が近いから、余計にあの日の記憶が苦しいのかもしれない。
 楽しくて楽しくて、哀しくて仕方がなかった三年前の夢のような一日。
 なんだか心が引き戻される――……






 それからの時間はアトラクションはほぼおまけ状態となり、テーマによってがらりと雰囲気を変えるパーク内をのんびり歩きながら、ヒカルが目に付いたワゴンから何かしら食べ物を買うという流れが主になっていた。
 甘いものも辛いものも何でも平気なヒカルは、珍しいものを見つけるとすぐに食べてみたくなるらしく、ソーセージドッグにチーズケーキ、チュロスを齧りながらドリンクは三杯目。
 最初こそ律儀にアキラと二人分を購入していたヒカルだったが、そろそろアキラの胃袋の許容量が限界を迎えると分かっていたのだろう。やがて自分の分だけ買ってきて、一口目をハイとアキラに差し出すようになった。
 苦笑いして、甘いチュロスの先端を齧ればヒカルが嬉しそうに微笑む。人前でこんなことをしているなんて普段なら考えられないことだが、冬の早い日没に紛れて悪戯っぽい冒険を楽しむのも悪くない。
 3Dで飛び出てくるランプの魔人のショーを楽しんでから屋外に出ると、空はすっかり深い紫色に変わっていた。
 地鳴りのような音が聴こえて来る。無意識に高い場所を睨んだ視線の先、パークの中央に聳える火山が炎を吐き出していた。
 思わず立ち止まって気を取られたアキラの隣で、ヒカルも楽しそうに噴火を眺めている。
「なあ、あの下でなんか食うか」
 秘め事を囁くように提案された言葉には色気の欠片もなく、アキラはついつい噴き出した。




「前もここ入ったよな。覚えてる?」
「覚えてるよ。足が立たなくて大変だった」
 自らの失態を皮肉っぽく告げると、ヒカルが歯を見せて笑う。
「お前、マジで絶叫系ダメだったんだよなー。ここならまだ他にも見るもんあるけど、遊園地とか行けねえよな」
「行かないよ。この年で乗れるものがメリーゴーランドだけなんて洒落にならない」
「乗れよ、超見てえ。あ、馬車じゃなくて馬のほうな、たぶんあんま違和感ねえぞ」
「キミは全く……」
 火山の地熱発電所内に作られたという設定のレストランは薄暗く、しかし中は意外に広々としている。座席も多く、混雑している店内でも二人はテーブルを確保することができた。
 麻婆豆腐をほとんど噛まずに飲み込みながら、ヒカルは携帯電話を取り出して時刻を調べ始めた。
「あーもうすぐ六時かあ。食ったらちょっと走るぞ」
「え? 走るって……何故?」
「雪辱戦。前来た時見れなかったからな」
 もごもごと口を動かしながらヒカルが独り言のように返した言葉は、チャーハンを運んでいたアキラのスプーンを一瞬止めた。
 前、ということは間違いなく三年前のことだ。――そうだ、確かあの時――何かショーを見せようとヒカルが予めガイドブックで時間やら場所やらを調べてくれていた。
 結局、直前に乗ったアトラクションの激しさに腰を抜かしたアキラの回復が遅くて、見ることはできなかったけれど。
 面倒くさがりのヒカルが、アキラを楽しませようとスケジュールを考えてくれていたことを思うと、今でも胸が優しく騒ぐ。
 手を繋いで走ったのだ、あの時。
 たなびく息が白かった。紅潮したヒカルの頬の鮮やかな色に見惚れた。
 幸せで幸せで、どうしようもなく苦しかった。
「とーや、早く食っちまえよ。また間に合わねえぞ?」
「あ……、ああ、うん」
 急かされて慌ててスプーンを口に運ぶが、冷めたチャーハンの味がよく分からなくなっていた。
 今の自分たちと、あの頃の自分たちの関係は明らかに違う。一方通行でしかなかった想いが、しっかり繋がっていると確信できる。
 ヒカルもアキラもそれぞれの道に迷い、悩んで苦しんで壁を越えてきた。ごく自然に二人でいること、その喜びは何にも代え難いものだとよく分かっているし、今の状況がどれだけ幸せなことか身に沁みている。
 それでも、心が引っ張られるのだ。
 よほどあの日のショックが大きかったのか、――ヒカルとアキラの想いにはっきり差があると思い知らされたあの日――子供みたいに泣きじゃくって夜を堪えた淋しさが、忘れてはいないぞとアキラの胸を叩く。
 あの夜があったから、迷わずにヒカルを想って来られた。それは分かっているのに、告げたくても告げられなかったたった一言が喉に渦巻く古い記憶は、どうにも負の感情ばかり連れてくる。
 早くここを出たい、思わずアキラはそんなことを考えていた。
 まだ昇華し切れていないのだ。いつか、完全に胸の中で素敵な思い出に変わることができたら、その時はヒカルと二人で同じ場所に立っていることを心から嬉しく思うだろうに。
 こうして一人で過去の世界に浸ることで、ヒカルにも迷惑をかけてしまう。そもそも今日はアキラの誕生日で、もらったチケットが勿体無いからと言いつつ、ヒカルがアキラに随分と気を遣っていることはよく分かっている。
 せっかく今日の日を選んでくれたヒカルのためにも、こんな気持ちでいてはいけない。笑わなくちゃ――義務を命じる頭の中の声が誰のものなのかはよく分からない。
 アキラは最後の一口を無理やり飲み込んで、喉に引っかかったすっきりしない思いと一緒にウーロン茶で流し込んだ。






行ったことある方は彼らのルートを
何となく辿っていただければ、行ったこと無い方は
それっぽいルートをご想像いただければ……