レストランを出た時には六時を過ぎて、ショーの開始時間まではあと五分程度しか残っていなかった。 それまでショーのことなど一言も口にしなかったヒカルが、開始時間について何も見ずにすらすらと説明したことから、アキラは彼が最初からチェックを入れていたことを察する。 今日はガイドブックは持ってはいないけれど、それでもあの日の彼と同じ――何かしらアキラが喜ぶだろうことを企もうとする優しさを感じてまた少し胸を疼かせたアキラに、一歩前に立っていたヒカルが振り向いて手を差し出す。 一瞬戸惑ったアキラに向かって、ヒカルは屈託なく笑った。 「手。繋ご!」 驚いて目を丸くしたアキラの手を、了承も取らずにぐいっと掴んだヒカルは、がっちり指を絡めてもう一度微笑んだ。そして前を向き、走り出す。 腕を強引に引っ張られて走る。いつかと同じ光景。薄暗い岩肌の間を全速力で走り抜け、さっき食べたばかりのものが胃の中で踊ろうがお構いなしに、トンネルを潜り抜けたら景色が変わる。 人の数も随分増えていた。どうやらショーを目当てに集まってきているようだ。 手を繋いだまま人込みに突っ込んでいったヒカルは、隙間をすり抜けて見やすい場所を探している。その間もずっと繋がれたままの手がアキラを動揺させる。 確かに人々はこれから始まるショーに期待して、誰も自分たちの手元など気にしてはいない。しかしここまで人が多くいる中、堂々と手を繋いで突進して行くだなんて――アキラは握り締めたヒカルの手が、強く自分の手を掴まえていることに目を細めた。 ――逢えない間も、この手はずっと繋がれていた。 ヒカルが迷わなかったから、彼の元に戻って来られた。ヒカルは口では何も言わず、しかし全身で力いっぱい叫んでいた。ここまで来い、と。 その力強さが愛しい。繋いだ手は暖かい。 ヒカルは真っ直ぐ前に進む。惑うアキラの手を離さずに、どうしても背中を引かれがちなアキラを導くように。 「ここなら見えるかな」 立ち止まったヒカルが呟いた。 パークの中央、火山の麓に位置する小さな海の周りをぐるりと囲む人だかりの中に、女性が多くて頭ふたつ分ほど小さい集団があった。その後ろに立つと、ショーを行う水際には距離があるものの、視界を遮るものがほとんどないため全体像を見渡せる。 「見える?」 振り向いたヒカルの顔が、薄闇に溶けてどんな表情か分からない。 咄嗟にアキラは頷いたが、立ち止まってもヒカルが手を離さないことに気づいた。はっとして思わず視線を下ろすと、まるで離すことを拒否するようにヒカルがぐっと手に力を込めてくる。 アキラは顔を上げ、驚いてヒカルの横顔を見た。 ヒカルは真っ直ぐ水面に目を向けて振り返ろうとはしない。 「始まる」 その呟きが合図だったのだろうか――アキラが錯覚するほどのタイミングで、暗い水上に光が灯り始めた。 空にはまだ煙が泳ぎ、レーザー光線も完全には消えていない。 しかしショーが終わった水面を眺めている人間は少なく、集まっていた人々は再びゆったりと散らばり始めていた。 人だかりが崩れ始めた頃、アキラはヒカルの手からふっと力が抜けたことに気づいた。静かに手を引くと、さっきまであれほどしっかり繋がれていた手は呆気なく解ける。 三年前と似た光景だとアキラは思った。 あの時はショーが終わった後にここにたどり着いたけれど、宴の後の淋しさに取り残された二人の構図は良く似ている。 終わってしまったショーを悔やみながら、最後にヒカルがアキラを誘った夜空を彩る美しい花火。華々しく空に散った光の残像を追って、まるで自分の心のようだと浸って一人で胸を熱くさせていた――愚かなほど一途だった。 やり場のなかった想いはもう救われているのだと納得していても、こうして同じ景色を見つめていると淋しさがしつこく影を引く。 アキラは黙ってヒカルの隣にいた。周りにいた人の姿もまばらになり、人垣が消えたために海風の冷たさが戻ってきて頬を刺す。それでもヒカルは動かずに、ただ水面を見つめている。 アキラも光を反射してうねる波の動きを見ていたが、少しだけ様子を伺おうと横目をヒカルに向けた途端、ヒカルの口唇が小さく動いた。 「……見た?」 「え?」 風でうまく聞き取れなくて、アキラが聞き返す。 するとヒカルはアキラを振り返り、薄ら微笑んでもう一度尋ねた。 「見た? ショー。ちゃんと見えた?」 ずっと隣にいたのだから何を今更、と瞬きしたアキラだったが、質問に正しく答えようと頷いてみせる。 「ああ、見えたよ。綺麗だった」 「そっか、良かった。見せたかったんだ。前は、見せてやれなかったから」 それはボクのせいで、と言いかけた口が止まる。 ヒカルの静かな微笑みが、やけに大人びて見えて一瞬息をすることを忘れた。 「帰ろうか」 次いでヒカルの口から零れた言葉に、アキラははっきり目を丸くした。その反応が分かりやすかったのか、ヒカルは笑ったまま首を傾げる。 つい視線を泳がせたアキラは、何故か言葉を詰まらせながら尋ねた。 「……花火、見るんじゃないのか。この後、上がるんだろう?」 てっきり三年前と同じコースを辿ると思っていたアキラがそう口にすると、ヒカルは笑ったまま首を横に振る。 「いいよ。半日遊んでお前疲れただろ。もう帰ろう」 「でも、キミ……花火好きだろう?」 少し呆けた顔をしたアキラの質問に、ヒカルは今度はにっこり笑って答えた。 「俺が好きなのは、お前だよ」 アキラが瞬きした目の中に、ヒカルの笑顔が映っている。 「お前の喜ぶ顔が見たかった。本当にそれだけだったんだ……」 愛しいものを見つめる笑顔だった。 |
ここから先は伝わるかどうか全く自信がないので
生暖かく遠巻きに眺めて頂けたら有り難いです……