堕ちた薔薇





 夜のうちに荷物を纏めると、マイクロトフは人目を憚るようにして教会を出ようとした。
 外はあいにくの雨だ。横殴りの激しい雨の雫が地面を叩き、視界はとても悪い。
「こんな夜に、どちらにお出かけですか?」
 ぎくりとしてマイクロトフは周りを見渡した。
 教会の軒下には、亡霊のようにカミューがゆらりと立っている。まるでマイクロトフが逃げ出すことを予測していたかのような待ち伏せだ。
「ま、街に用事があるだけだ」
 嘘ではない。そう心の中で言い訳しながら胸の前で十字架を切った。
「逃げる気ですね?」
「そ、そんな、俺は!」
 強く両腕の付け根辺りを掴まれると、強引に講堂の中に押し返された。手にしていた荷物が奪われ、遠くに投げ捨てられる。
 カミューは怒っている、当たり前か。約束をしておいて、破って逃げ出そうとしたのだから。
「マイクロトフ神父、あなたは自分の罪をわかっているね?」
「ち、違うんだ、カミュー!」
「ふふ…やっとあなたの声を聞いたような気がします。神の声ではなく、あなたの声をもっと聞かせてよ」
 どんと突き飛ばされると、やはり綺麗な顔をしているといってもカミューは男だ、マイクロトフはよろけて転びそうになる。それをカミューは何度も突き飛ばして、祭壇の前まで追い詰めた。
 カミューの濡れた髪から、衣服から、雨水がポタポタと絨毯を濡らした。
「あなたは私に罪をあがなわなければならない。そうだろう?」
 何時から外で待っていたのか、濡れた白いシャツはカミューの肌を透かして見せた。女たちが泣いて悦びそうな色っぽい仕草で前髪を掻き上げて、カミューは迫ってくる。
「確かに俺は逃げようと思った。それは神の前で懺悔するべきだろう。だが、お前はもう手に負えない」
「私が聞きたいのはそんな言葉じゃないよ。マイクロトフの声で、言葉で、言ってごらんよ」
「…俺はお前が恐い」
「私を煽ったのはマイクロトフじゃないか」
 雨足はますます酷くなる。時折、遠くから雷も聞こえてきた。ここで大声で叫んでも、村人たちにの耳には届かないに違いない。
 マイクロトフは首から下げた十字架を手に取ろうとすると、カミューに鎖ごと引き千切られた。こんなものに何の力があるのかといった顔で、カミューは床に投げ捨てる。
「煽る?俺はお前に罰を与えただけだ。婦人たちが苦しんだように、お前も苦しんで、改心することを願っていた。けれどお前は…」
「マイクロトフ神父に心酔している。計算外だった?」
「予想以上の性悪だ。お前は精神科にかかるべきだ」
 悪口を言われようが、うわべだけの神の言葉より随分とましだ。
 きっとマイクロトフは神父として番人を等しく愛する姿勢においては優秀だったであろう。村人の評判は上々だ。そんな神父をここまで追い詰め、悪態を吐かせたことにカミューは心から酔いしれていた。
「逃げるな、マイクロトフ神父。あなたは約束を守らなければならない。私に慈悲を与えなければならない。その体を差し出さねばならない」
「先に約束を破ったのはそっちだろう!」
「気持ち良くて、イっちゃったくせに」
 神父としてのペルソナを付けている時ならば、こんな卑猥な言葉も聞き捨てられる。だが、今のマイクロトフはただの男だった。神父としての自信も失い、最後の頼みであった胸の十字架もない。
 服の奥までも見透かすようなカミューの視線に、どうしようもなく動揺し、マイクロトフは余裕なく祭壇に取り縋った。
「おやおや。私を誘った淫魔が、今更になって往生際の悪いこと」
「だ、誰が淫魔だ!」
 一気に距離を詰めてくると、祭壇にマイクロトフを押し倒した。前回の時のような手加減はなく、のしかかる体重に身動きが出来なくなる。
 カミューはするすると手を下肢に伸ばすと、外套の上からマイクロトフの幹を探った。先日、マイクロトフにされた時のように少し乱暴に弄ぶ。
「こんな風に、私の体をいじったくせに」
「そ、それはお前に罰として…ふぁっ…」
「いつもより感じているんじゃない?あぁ、そうか。マイクロトフは神様が居ないとダメな人なんだ」
 からかわれてマイクロトフの顔が一層赤らんでくる。耳まで真っ赤にしたそれを、カミューは甘噛みし、たっぷりと唾液をつけた舌で耳の中を犯した。
「わ、わかった。俺は逃げない。だからやめるんだ」
「約束を破棄したのはマイクロトフの方じやないか」
 今になって都合よく願いを聞き入れることはできない。
「明日、お前の禊を見届ければ、お前の好きにしていい。だから今夜は…んぁっ!」
 強く陰嚢を揉まれてマイクロトフは仰け反った。
「昼間の時より感じているんじゃないの?」
「た、頼む…」
「逆らわれると、ヤりたくなるのが人情っていうものじゃない?」
「…ぅくっ…ふっ…ぁぁっ!」
 目に涙を浮かべられて哀願されても、カミューは愛撫をやめようとしなかった。喘ぎ声を絡めるように口付け、舌を無理やり捻じ込める。相手は男だ、少々乱暴にしたって構わない。
 押し入った咥内を散々に舌で味わい、逃げるマイクロトフの舌を絡めてるように深く口付ける。初めて見た時から気になっていた厚い唇も甘噛みに。
「キスの味はどうだった?」
「…はぁっ…はぁ…」
 慣れていないのか、息継ぎが巧くできなくて息が上がっている。恨めしそうに睨まれても、カミューはどこうとしなかった。
「私はね、あまり婦人とはキスをしないことにしてるんだ」
「…んっ…やめ…ぁぁっ」
「何故かって?別に彼女たちのダンナや恋人に後ろめたいからじゃない」
 笑ってカミューは、マイクロトフのぽてっとした唇を舌でなぞった。少しだけ、夕飯に食べたのかミートソースの味がする。
「女は口紅をするからね。ディープキスなんてした日には口の周りが血まみれみたいになる。けれど相手が男だと、それも気にすることもないから楽だね」
 手探りで外套のボタンを外し、中の衣服もさっさと暴いてゆく。神父にしておくのは勿体無いくらいの逞しい肉体が露になると、胸の突起を捜して顔をずらせた。
「んっ…くふっ…カミュー…頼む、これ以上は…」
 下履きの中に手を入れると、熱に脈打つ竿を直に握ってやる。
「んぁぁぁぁぁっ」
 大袈裟に叫んで、マイクロトフの体から力が抜けていく。手の中にはベッタリと淫液が吐き出された。己の痴態を恥じているのか、マイクロトフの目から遂に涙が零れた。強気だった視線は、助けを求めるようにふらふらとさ迷っている。
「俺の行為がカミューを多少なりに傷つけたかもしれない。ならば謝る。神父という立場を利用して、心汚くお前に罰を与えていたのは事実だ」
「だとしたら、君は大罪人だね。神の名を借りた、大したペテン神父だ」
「過ぎた行為だったと今は反省している。だが、俺の言い分も…」
「やだね、聞きたくないね」
 手に受けた精液を指に絡めて、より奥にある後口を捜した。固く力が込められた双丘を押し広げて、口の周りを丁寧になぞった。
「力を入れない方がいい。痛いのは君だ」
「何をする気だ…」
「セックスするんだよ」
「な…」
 マイクロトフは絶句して目を大きく見開いた。
 どういった環境で育ってきたか知らないが、男と男がセックスするなんてこと、信じられないといった顔。
「俺は男だぞ!」
「あぁ、知っているさ。女にはこんな立派なモノは付いてないからね」
「だったら…」
「でも好きなんだよ。私の心に火を点けたのマイクロトフ神父だからね」
「そんな、まさか…冗談だろう」
 冗談でこんなことまでするものか。
 今までカミューの告白を何だと思っていたのだ、この男は。再三、好きだと告白してきたのに、まだわかってなかったとは。
「やめ…カミュ…本当に…お願いだから」
「泣いてお願いすれば、聞いてあげなくもないけれど?」
 高慢な態度だった神父がまさかプライドを捨ててまで縋ってくるとは思いもしなかったが、マイクロトフは目の前ではらはらと泣いてみせた。
 少しイジメ過ぎたかな。
 ぺろりとカミューは舌を出す。
「参ったな、そんな顔をされて抱くわけにはいかない」
 神父の化けの皮を剥げたのならば、収穫はあったと言えるだろう。今日のところは勘弁してやるか。
 カミューは体を離すと、半裸にされた格好のままでマイクロトフはズルズル床の上に落ちていった。安堵して、まだ我を失って、呆然としてる。
「私はマイクロトフの本当の顔が知りたかったんだよ。こんなに可愛い正体があると知っていたら、意地悪はしなかったのに」
「…」
 まだポカンとしているので、丸出しになったままの服の前を留めてやった。まだマイクロトフは涙を流して、怯え切っている。
「私もちょっと、やり過ぎたかな。でもまぁ、おあいこって事で」
「どういう…ぐす…こと…」
 泣かない、泣かないと頭を撫で撫でしてあげる。
 まるで大きな子供だな。
「私が堕ちていく様子、恐かった?動揺した?」
「お前…まさか、ずっと正気だったのか…」
「ふふ…騙された?」
「…ぐすっ…なんという…ぐす…ことだ」
 神よと、マイクロトフは胸の前で十字を切る。
 精神科医まで連れてこようと思いつめたくらいだから、それが演技だと知った衝撃は計り知れない。
「今夜はマイクロトフの涙に免じて許してあげよう。けれど、逃げようとしたのは反則だからね?」
「うう、すまん…だって…お前、恐い」
 あの神父とは同一には見えないな。
 カミューもすっかり犯す気分は萎えてしまったので、優しくマイクロトフを抱き締めるだけにしておいた。
 化かし合いはお終いにしよう。
 明日からは、きっともっと素敵な恋ができる。
「マイクロトフ、明日からもまた教会に通っていいかい?もっとマイクロトフの言葉が聞きたいよ。神父の言葉ではなく」
「そ、それはだな…ぐす、カミュー、俺は…ぐす」
「今日はもう帰るよ。あ、逃げたりしたら、どこまでも追いかけて犯しにいくからね?」
「……」
 マイクロトフに手を貸して立ち上がらせると、居住区の方に連れていった。そして一人になるや、カミューは思わず堪えていた笑みを口に浮かべた。
 勝った!
 今度こそ、勝ったぞ!
 あのマイクロトフの驚いた顔、泣いた顔、震えていた顔!
「くく…可愛いなぁ」
 あまりの可愛らしさに犯すのを躊躇ってしまったが、これだけ神父を乱れさせたのだから本来の目的はほぼ到達していると言えるだろう。それに恐がらせて村を立ち去ってくも欲しくない。
「あんなにおもしろいおもちゃ、滅多にないものね」
 カミューは意気揚々として自宅への帰路についた。


 既に日課になってしまった早起き。元々低血圧なのでかなり体にムチ打って起きるのだが、マイクロトフと朝の逢引だと思えば安いもの。
 いつでも、どんな時でもみなりをきちんとするカミューは、ノリのしっかり利いたシャツを纏って表に飛び出した。
 昨晩と違って、良い天気である。まるでマイクロトフとの新たな関係を祝福するような、そんな快晴だった。それに加えて、今日からあの辛い禊をしなくて済むと思うと、自然に足取りも軽くなるというもの。
 何度となく通い詰めた教会までの道のりを辿り、胸を弾ませながら教会の扉を開けた。
「おはよーマイクロトフっ」
 昨日あれだけのことをしてたというのに、カミューは明るい声で挨拶しつつ入っていった。いつものようにマイクロトフの黒装束姿は祭壇の前に。祈りを終えて、ゆっくり振り向く。
 どんな顔をしているだろうか。恥ずかしくて、真っ赤にしている?それとも、怒っているだろうか。
 マイクロトフがどんな反応をするのか楽しみにしていたのに、振り向いたその顔はいつものポーカーフェイスだ。
「おはよう」
 その一言だけ。
 スネている?
「ねぇ、マイクロトフ。昨日のことは御免よ。でも、お互い様だろう?今日からは関係を一から始めよう」
「神はあなたの行為を赦すでしょう」
「だから、そういうのやめようよ。私の前では普通にしてくれないかい?」
「俺は普通だ」
 マイクロトフは目だけにやりと笑うと、何か含んだ笑みを浮かべてから背中を向けた。手にしていた布巾で祭壇や飾りを磨きだす。
 あらら、これは相当スネてするな。
 カミューは後からマイクロトフの肩に腕を回し、耳元で色声を使って囁いた。
「昨日はあんなに淫らに喘いでいたのにね」
 鼻で笑い飛ばし、マイクロトフは顔色を変えない。
「マイクロトフの×××、もう一回しゃぶってみたいな」
「それでお前が救われるのならば、喜んで体を差し出そう」
 挑戦するかのような態度に、カミューはカチンとくる。
 だからもう化かし合いは終わっただろう。
「へぇ、そんな態度だったら、本当にしゃぶっちゃうよ?」
「ふっ…哀れな」
 馬鹿にされた!
 また、振り出しに戻っているこの状況にカミューは堪忍袋の緒が切れた。だったらやってやろうと、マイクロトフの前に跪く。スカートのように長い黒装束の中に潜り込むと、ぱくりと男性器を口に咥え込んだ。
 さぁ、泣け、さぁ、鳴け。
「神は誰にでも救いの手を与える」
 いつまでそのすかした態度がもつか見ものだったが、果てる時までマイクロトフは一切の悲鳴を上げることはなかった。事が終わると、哀れむ目でカミューを見つめてくる。昨日泣いていたマイクロトフの面影はない。
「やるじゃない、マイクロトフ神父」
「満足したか?」
「いいや、ちっとも。今度は後のお口を提供してもらおうか、神父?」
「好きにするがいい」
 ねっとりとした粘質な視線がカミューを見つめる。逆に誘っているかのようだ。
「もう泣いて謝っても止めないからね?祭壇に手を突いて、脚を広げてよ」
「…っくっ…待て、カミュー、違うんだ…これは…」
 もう根を上げるとは。そんなことなら始めから素直になっていればいいのに。
 マイクロトフは頭を抱えて祭壇に突っ伏した。激しく何度も頭を振って、終いには頭をガンガンと打ち付け始めた。
「マ、マイクロトフ?」
「しっかりしろ、しっかりしろ!」
「そんなに頭をぶつけると怪我をする!」
 やめさせようと後から羽交い締めにした。まだ暴れるマイクロトフを必死で腕の中に抑えていると、疲れてきた頃にマイクロトフは肩越しに顔を向けた。
 真っ赤になって、今にも泣きそうな顔だ。
「意地を張るからだよ」
「だから違うんだ!聞いてくれて、俺は…トランスするんだ」
「…トランス?」
「…うう、くそっ」
 マイクロトフは胸の十字架のペンダントを外し、黒装束の上着も脱ぎ捨てた。祭壇で打ち付けてコブになったおでこを涙目になって手で覆う。
「俺は神父の装束を着ると…自分が自分でなくなるんだ。神父という催眠状態に陥る」
「…だって…神父だろう?」
 どこがおかしいのだ。
「…時々自分が恐くなる。本当の自分は心の奥に閉じ込められて、神父の仮面だけが一人歩きをして…」
 いつか自分が自分でなくなるのではないかと思っていた。けれど人々が救いを求めて教会を訪れる間は神父を辞める気はない。それに神父という仮面は楽だった。
 マイクロトフの性格からいって、もし金に困ったという者が来ればありったけの財産を与えるだろう。人殺しの罪を告白しに来たならば、何故そんことをするのだと感情を露に殴りかかるだろう。だが、それは神父の仕事ではないのだ。
 この神父のペルソナはそういった心の葛藤が生み出したものなのかもしれない。ペルソナはマイクロトフを楽にしてくれる。
「カミューから逃げたいと思ったのは…このことが知られるのが恐かったからもある…俺は自分自身も救えない男だ。それなのに、人には偉そうに説法など…俺は…俺は…」
 カミューの腕に引き寄せられると、軽く触れられるだけのキスをされる。落ち付くようにと背中を撫でられ、マイクロトフは縋りたくなって彼の胸に顔を埋めた。
 こんな時にだけ縋ろうとするなど、自分はなんというご都合主義なんだろう。それなのにカミューは優しく抱き締めてくれる。
「辛かったんだね、誰も話せなかったんだね」
「カミューが傍に居ると、少しずつ仮面が剥がされていくのがわかった…恐かった」
「いいじゃないか。私は素のマイクロトフの方が好きだよ?そうだ、ねぇ、こうしたらどうだろう。これからずっと、私と一緒に居るんだよ。そうすればマイクロトフはマイクロトフで居られるんじゃないかな?」
 マイクロトフは返事をせず、ただカミューの腕に体重を預けていた。いつ自分のペルソナがバレるのではないかという不安も怯えも、カミューの腕の中に居ると忘れられる。
 この村の女たちが、どんなにカミューに手酷くされても、嫌えない理由がわかったような気がした。
 何時の間にかカミューに心酔してしまっていた。




神楽坂あおさんからこんなにステキな魔性SSを頂きました!
チャットにて私が「魔性〜神父〜」と喚いていたのにノって下さったのです。
有難うございましたあおさん……!
そしてこのお話にはおまけがあるのです……。
(2002.02.02UP)