「おやすみ」 「おやすみ~」 共同生活のために購入した大きなベッドに並んで横たわり、就寝の挨拶を交わす。 いくら同棲しているからと言って、年がら年中盛っているわけではない。明日は早い時間に仕事もあるし、ただ隣で眠るだけで充分な夜もある。と思えば、いくら翌朝が早くてもその気になってしまう罪な夜もあるのだけれど。 身体を横たえて数分経つと、右隣からアキラの寝息らしき呼吸音が聴こえてきた。規則正しいささやかな寝息は、闇の中で独りぼっちではないことをヒカルに伝えてくれる。 そんな他愛のない幸せにしばし胸をときめかせながら、アキラが身じろぎしないことを確認して、ヒカルはそっと手を伸ばしてみた。 指先でアキラの左手を探る。初めは手の甲に触れ、思い掛けなく近くにあったことに少し驚いてすぐ離し、それからゆっくりと手のひらを重ねた。 アキラは反応しない。呼吸に乱れもない。……深い眠りに入っているようだ。 息を殺してアキラの様子を伺いながら、ヒカルは静かに指先を忍ばせる。アキラの左手に重ねていた自らの右手の人差し指で、目標物である薬指の爪に触れ、そこからそろそろと付け根に向かって下ろしていく。 優しく指の付け根を撫でながら、再度アキラの気配に何らかの変化がないかを探った。 耳に心地よい寝息のリズムは崩れない。 よし、とヒカルは人差し指をアキラの指の間に潜らせて、そのまま付け根に巻きつけた。 親指と人差し指で円を作って、薬指の外周を測ろうとしたのだが……これがなかなかうまくいかない。 (もうちょっと……指持ち上げてくんねえかなあ……) だらんと垂れた手には当然だが力がなく、細い薬指を測るのは苦労した。 おまけに大体の感覚で円を作ってみたものの、これで指輪のサイズが分かるかと問われたら、ヒカル自ら首を傾げてしまいそうだった。 (やっぱちゃんと測んないとダメか……これじゃ大雑把過ぎて分かんねえ……) 諦めて違う方法を考えようと手を放しかけた時、 「うー……ん」 さすがに弄くりすぎたのか、アキラが小さな唸り声を上げて首を動かした。 ヤバイ、と顔を引き攣らせ、ヒカルはターゲットが薬指だということをごまかそうとして焦った挙句、アキラの左手をがっしりと握ってしまった。 その動作にはっきりと目覚めたらしいアキラがもぞもぞと動き、闇の中こちらに身体を向けた。 「……進藤? どうした?」 「あ……、あの、その……」 アキラの手を握り締めたまま、ヒカルは言い訳を探して口ごもる。 アキラは少しの間無言でヒカルの返事を待っていたようだが、ヒカルがもごもごと躊躇っている間にヒカルの手を握り返してきて、じりじり身体を近づけて来たかと思ったらもう片方の手が伸びて来た。ぐいっと抱き寄せられて、アキラの胸に顔を埋めたヒカルは一瞬息が詰まって喉を鳴らす。 「……眠れないのか?」 耳元で熱っぽく囁かれ、あっと思った時はすでに顎を掬われ、口唇を塞がれていた。 どうやら誘っているのと勘違いしたらしい……確かに指を絡めてもじもじしていたのだからそう受け取られても仕方がないかも知れない。 ヒカルは思いつきの企みが失敗したことに肩を落としつつ、アキラの胸にすっぽり包まれて、顔や首やあらゆるところにキスを落とされて煽られて……まあいいやと理性を手放し、アキラの背中に腕を回すことにした。 *** さて、正確な指輪のサイズを測るにはどうしたらいいか―― 翌日、暇さえあればよい方法はないかと首を捻っていたヒカルだったが、やはり紐や紙を巻きつけて長さを測るくらいしか思いつくものはなかった。 しかし果たしてアキラに気づかれずに遂行できるだろうか? 昨日のようなもたもたした手つきではまた目を覚ましてしまうかもしれない。 素早く巻きつけ、素早く印をつける、機敏な動作が要求される。それも本人が気づかない間――眠っている間に。 (……できっかなあ) 布団の中では素早い動作は難しいかもしれない。しかしアキラはヒカルと違ってリビングでうたたねなどしないので、その隙にこっそりというのもまず無理なシチュエーションだ。 (待てよ。……無理矢理眠らせりゃいいんじゃねえか?) 名案を思いついたとばかりににやりと笑ったヒカルは、早速作戦を実行するべく準備に取り掛かった。 「塔矢おかえり~!」 帰宅するとメールが届いてからきっかり三十分後、穏やかな笑顔で帰って来たアキラを玄関で出迎えたヒカルは、さあさあと背中を押してやや強引にリビングへ案内した。 「ど、どうしたんだ? まだ、荷物も置いてな……」 「俺ムチャクチャ腹減ってんの! 早く飯食おうぜ、早く!」 急かすヒカルを困ったように笑って宥めたアキラは、今すぐ手を洗ってくるからと洗面所へ消えていった。 唐突な行動を疑っていないアキラの背中を見送ったヒカルは、いざ作戦決行の時を迎えてほくそ笑む。 今日の夕飯はヒカルがありあわせの材料で適当に作った不思議料理だ。見た目だけでなく、時折味も微妙なことはあるが、今回は料理の良し悪しなどどうでも良い。 肝心なのは、料理の他に用意した――アルコールだ。 「お待たせ。じゃあ、食事にしようか……、進藤、何かあったのか?」 「え? な、なんで?」 リビングに戻ってきたアキラがテーブルを見て首を傾げるのに対し、実にぎこちなくヒカルは尋ね返した。 「だって、もうビール出してるから。お風呂上りが一番美味しいって言ってなかったっけ」 「そ、そうだけど、た、たまにはいいじゃん」 「まあ、悪いとは言わないけど……。ボクにも用意してくれたの?」 「う、うん。一緒に飲んだほうが旨いじゃん?」 料理の隣にどんと置かれたコップとビール瓶。 瓶にしたのは理由がある。缶だと自分がどれだけ飲んだか把握しやすく、アキラが途中でストップをかけてしまう恐れがあるが、瓶ならば空き瓶を回収してしまえば次々注がれるビールの正確な量など分かるまい。 ヒカルの苦しい言い訳をそれほど疑問に思わなかったのか、アキラが不思議そうな顔を見せたのはほんの少しで、それじゃあ食べようかと食卓についた時にはいつもの優しい笑顔になっていた。 何の記念日でもないけれど、それぞれビールを注いだコップを手にして乾杯し、和やかな夕食がスタートする。 ――さあ、飲ませまくってやる。コップ空ける暇なんて与えてやんねぇからな―― 心の中で舌を出しながら、さあさあとアキラにビールを勧めるまでは良かったのだが…… 「進藤、寝るならベッドに行こう。ここで寝たら風邪引くよ?」 「うー……」 ソファにぐったりと体重を預け、押し寄せる睡魔と必死に格闘――しているのはヒカルのほうだった。 アキラはヒカルの優に三倍の量のビールを飲み干しながら、けろっとした顔で潰れたヒカルを揺さぶっている。 (忘れてた……コイツ、ザルだった……) 眠らせるどころか、返り討ちにあってしまった……ヒカルは自分の計画の浅はかさを呪いながら、薄れゆく意識をそれ以上追いかけることができず、容赦ない眠りへの誘いに陥落することになった。 |