……、頭、冷たい…… なんだろ……ひんやりして気持ちいい…… 薄ら瞼を開くと、まず飛び込んできたのは暖かな光を遮る影。 目を開けたことで睫毛が皮膚をくすぐったのか、ヒカルの額に触れていた手のひらがそっと退けられる。 「起こした? ごめん」 いつの間にかベッドに横たわっていたヒカルの傍ら、アキラが中腰でヒカルの額に手を当てていたようだった。 寝起きで状況がすぐに掴めなかったヒカルは、ぼんやりとアキラを見上げて何度か瞬きしてみせた。 見れば部屋は薄暗い。小さなオレンジ色の明かりだけが天井にぽつんと灯り、優しくヒカルを見下ろすアキラの顔もほんのりオレンジに染まっている。 「少し悪酔いしたみたいだな。苦しそうだったから、薬を飲んだほうがいいかと……身体、起こせる?」 落ち着いた低い声で囁きかけながら、アキラは寝乱れたヒカルの前髪を撫でた。 少しずつ、この事態に至るまでの出来事を思い出してきたヒカルは、すっかり自分が潰れてしまったことを理解して渋い顔になる。 アキラの手を借りながら上半身を起こすと、頭の奥にズンとした痛みが走った。どうやらすでに二日酔いの症状が出てしまっているらしい。 「大丈夫か?」 アキラは再び手のひらをヒカルの額に当てた。 冷たい指先が心地よくて、ヒカルは自ら頭を押し付けるようにアキラの手を追う。 ふと、その手の冷たさが気になって、ヒカルはそっとアキラの手に触れた。まるで額から剥がすように手にしたアキラの左手は、指先だけでなく全体的に冷たくなっている。 「お前、なんでこんなに手ぇ冷たいの……?」 「さっき洗い物してたんだ。キミがぐっすり寝入ってしまったからね」 「……悪かったな」 むすっと口唇を尖らせて、それから自分が手にしているアキラの手のひらをまじまじと見つめる。 大きな手。でも、指はすらりとして細い。節も目立たないし、綺麗な手だなあと改めて思う。 ――この、薬指。どうやって測ったらいいんだろう。いっそ、測らせてくれって言ってしまおうか……でも、やっぱりナイショにしておきたい…… 「……ボクの手に何かついてる?」 あんまりじっと見つめていたせいか、アキラは中腰の少し辛い体勢のまま首を傾げて尋ねてきた。 ヒカルは慌てて手を放そうとして――待てよ、と自分の右手をアキラの左手に重ねてみた。 アキラがきょとんとしている中、ヒカルはアキラの左手と合わせた自分の右手を、甲の部分からじっと睨んだ。 手のひら全体は、ヒカルと比べるとアキラのほうが少しだけ大きい。そして指も長い。……だけど太さはほとんど変わらないように見える。 「……お前、手、デケーな……」 どきどきと逸る胸を押さえながら、平静さを装って呟いてみる。 「こうして合わせたら、キミより少しだけ大きいね。父も大きかったから、似たのかな」 「うん……、先生も手ぇデカそう……」 相槌を打ちながら、そっと手のひらを離した。 ……目見当だが、指の太さはほぼ同じに見えた。 「ここに薬持ってくる? それともリビングに戻るかい?」 今のやりとりを特別には思わなかったらしい、アキラは離れた手のひらでヒカルの髪を梳いて、酔っ払いの介護に努めようとしているようだった。 ヒカルはここで飲む、と答え、アキラが部屋を出るのを見計らって自分の右手を改めて見つめる。 ――たぶん、同じくらいだ。うん、きっと何とかなる…… 正確さには欠けるが、関門を突破したことでヒカルはほっと肩の力を抜いた。 その途端、頭の中で蹲っていた痛みが飛び跳ねる。 呻きながら、ヒカルはアキラに付き合って無茶な飲み方をした自分を呪った。 *** デパートのチェーン店、露店、通信販売…… あらゆる場所をイメージしてみたが、どうせならちゃんとしたものを贈りたい……そんな思いが、ヒカルの足を必然的に老舗の宝石店へ向かわせた。 普段なら素通りする店の前、漂ってくる空気はそれまでヒカルが知るどの店とも空気が違っている。 店の外からも伺える、きらびやかなショーケース。あの中で丁寧に磨かれた宝石たちが、ぴかぴかと美しさをアピールしているのだろう。 その奥に控えている店員の佇まいは落ち着いていて、黒で統一されたスーツがそう見せるのか、気軽に店の中に入ることを許さないような雰囲気を感じる。 つい、何も考えずにジーンズ姿でやって来てしまったヒカルだったが、場違いだろうかと入り口前ですっかり怖気づいてしまった。 (で、出直して来ようかな……ひやかしに思われねえかな?) 不幸にも、店の中には先客は見当たらない。 このまま店に入って行ったら、店員の注目を集めてしまうことは間違いない。 (ああ、どうしよっかなあ……でもあと二週間くらいしかないし、今日見ておかないと明日からそこそこ忙しいしなあ……) 「何かお探しでしょうか?」 天を仰いでうんうん唸っていると、頭ひとつ分低いところから柔らかい女性の声が聞こえて来た。 顔を下ろしたヒカルの目に、穏やかに微笑む背筋の伸びた女性の姿――モノトーンの制服と品良くアップにされた髪、一目で宝石店の店員だと分かったが、驚きでヒカルはそのまま固まってしまった。 入り口の前で立ち止まっていたのだから、中に用があると思われるのは当然だろう。あ、う、と声を詰まらせるヒカルに、女性店員は優しく続けてくれた。 「よろしければ中でご覧ください。下見もできますよ」 「あ、そ……ですか?」 店内に入ることを勧められ、場違いかと不安に思っていた気持ちが若干和らぐ。 店員はにこにこと微笑み、ヒカルを邪険に扱う様子はなかった。営業スマイルかもしれないが、少なくとも客として迎えてくれるつもりであることにほっとする。 じゃあ、と中に進む素振りを見せると、女性は入り口傍に立ってヒカルを誘導してくれた。初めて入った宝石店――眩い光に目をチカチカさせたヒカルは、指輪を買うということ以外何の見当もつけていなかったことに気がついた。 「何をお探しでしたか?」 助け舟を出すように声をかけてくれる店員に、ぎこちなくも「ゆ、指輪です」と答える。 「贈り物でしょうか?」 「え!? いえっ、その、……自分の、です」 咄嗟に口から出た言葉は上ずっていた。 店員は特にぎこちないヒカルに追求することなく、飽くまで穏やかに微笑んだままこちらです、とある一角にヒカルを案内してくれた。 ヒカルは不必要にドキドキ音を立てる胸を気にしながら、思わず否定してしまった自分を心の中で慰める。 ――だって、自分の指使ってサイズ調べてもらおうとしてんのに、プレゼントなんて言ったら変に思われるよな…… ヒカルの内心の焦りに気づいているのかいないのか、店員は指輪が並ぶショーケースの傍らに立って再び尋ねてきた。 「石の入ったものをお探しでしょうか?」 「い、石?」 「こちらのようなタイプです」 指し示された指輪の先端には、そもそもの発端となったテレビの中で見た、タレントが指にはめていたものと同じように大きなダイヤらしき宝石が輝いていた。 ヒカルは慌てて首を横に振る。 「い、いえ、何も……ついてないやつです。その、ただの輪っかになってるやつ……」 「でしたらこういったタイプですね。素材は何かお考えですか?」 「そ、素材……?」 やりとりは僅かだったが、店員はヒカルの指輪に対する知識のレベルを悟ったようだった。 それではまずお座りくださいと、奥の椅子を勧められ、恐る恐る腰掛けるとお茶まで出されて、恐縮しているヒカルの前で店員は指輪の基礎知識を丁寧に説明し始めた。 用途や予算に合わせて選んだり、デザインを重視したり、例えばこの素材は安価である代わりに傷がつきやすかったり、多少値段は高めでも手入れが楽だったりと、時折ショーケースの中からいくつか指輪を取り出して目の前で見せてくれながら、店員はヒカルにも分かりやすいように言葉を選んでくれる。 最初こそ緊張と戸惑いで小さくなっていたヒカルだったが、店員が親身になって接してくれていることに気づいてからは随分リラックスしてその説明を耳にしていた。 サイズが分からないと伝えると、店員は指のサイズを測るリングゲージを出してくれた。いくつかゲージを右手の薬指に入れて、これだというサイズが判明すると、今度は実際にショーケースの中の指輪をはめてみることになった。 |