Unstoppable






 それからも一人暮らしの良いこと悪いことなど、飽きることなく喋っているうちに目的の駅で電車が停まる。すっかり薄暗くなった住宅街を三人並んで歩き、ある家の前で社は足を止めた。
 玄関でピンポン、とチャイムを鳴らした社は、スピーカーから聴こえる「はーい」という女性の声に向かって「来たで」、と一言だけ返した。
 社の後ろに控えていたヒカルは、そっと横のアキラに耳打ちする。
「社の母さんってどんな人?」
 アキラは口元に手を添え、そっと囁き返した。
「社とそっくりだ」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ぱたぱたと中から足音が聞こえてきて、玄関のドアが勢い良く外側に開く。
 間一髪でドアの攻撃を躱した社が軽く仰け反った向こう、開いたドアから女性が溌剌と顔を出した。
「あらあら、塔矢くん久しぶりやねえ〜! さあさ、中入って、どうぞどうぞ。何や、前よりちょっと大人っぽくなったんちゃう〜?」
 勢い良く口を動かす社の母を前に、アキラは苦笑い、ヒカルは圧倒されて顔を強張らせ、息子の社は憮然と鼻に皺を寄せた。
「久しぶりの息子に挨拶はなしかい……」



「一年ぶりくらいかしらねえ。新聞とかでは見かけてたんやけどねえ、やっぱり本物の方がええわあ」
 まずはと通されたリビングのテーブルに落ち着き、社の母が運んできた煎茶を受け取りながら、アキラはご無沙汰していますと軽く頭を下げた。
「今日は突然お邪魔してしまって……ご迷惑ではなかったでしょうか?」
「迷惑だなんてとんでもない。このうるさいバカ息子が出て行ってから、うちもすっかり静かになって……賑やかになって喜んどるんよ。そちらも清春のお友達?」
 ふいに目を向けられて、空腹を紛らわすために煎茶に口をつけていたヒカルは慌てて顔を上げる。
「あ、進藤ヒカルです。はじめまして」
「ああ、進藤くん! お名前はよう聞いとるわあ。いつもうちのバカ息子がお世話になって」
「い、いいえ、こっちこそ」
「枕詞みたいに「バカ」つけんのやめてくれんか……」
 頭を下げあうヒカルと母を半眼で見据えた社は、そのまま台所方面に視線をずらした。
「で、まだ夕飯の支度中なんやな?」
 息子の指摘に顔を赤らめた母は、左手で口元を覆って右手をひらひらと振った。
「ごめんねえ、今作っとるから。もうちょっと待っとって」
「そんなことやろうと思ったわ。せやから男三人はキツイ言うたやん。決めたのついさっきやし」
「材料はあるから大丈夫や! もうちょっとやからね〜それじゃごゆっくり」
 鋭い言葉は息子に、後の二人には柔らかい笑顔を見せて、社の母は鼻歌を歌いながら台所へ消えていく。
 その後姿を呆然と見送ったヒカルは、ずっと苦笑しているアキラと苦虫を噛み潰したような顔の社を交互に見た。
「なんか、スゲエ迫力だな。逆らえる気がしなかった……」
「社とそっくりだろう? 面白いんだ、親子の会話が常に漫才みたいで」
「別に面白さを提供してるつもりはさらさらないで。……ったく、俺支度手伝ってくるわ。進藤の腹の虫がうるさいやろうし」
 あまり名誉に思えないことを真顔で話し合う二人にいたたまれなさを感じたのか、早々に立ち上がった社に続いてアキラも同じくソファから腰を上げた。
「じゃあボクも手伝おう。突然お邪魔したことには変わりないんだし」
「ええんやで? 毎度毎度手伝うてもらわんでも」
「いや、じっとしているのも悪いから」
 ちょうど一年ほど前のような構図に社は苦笑して、それではと台所へ向かおうとした二人の後ろで、きょとんとしていたヒカルもまた悪びれずに口を開いた。
「そんじゃ、俺も手伝――」
「キミは来るな!」
 鋭く振り返り、ぴしゃりとヒカルの言葉を遮ったアキラの一言がその場の空気をカチンと凍らせた。
 あまりに強い語調でヒカルの参加を遮ったアキラの顔は真剣だった。あからさまな拒否を受け、凍り付いていたヒカルが呆然と口を開く。
「な、なんで、」
「いいからキミは来るな。そこで大人しく座って待っていろ」
 文句を言う隙さえ与えないアキラの口撃に、ヒカルの顔がじりじり赤味を増し始めた。
 意外な険悪ムードに焦った社は、強張った笑顔で慌てて二人の間に滑り込む。
「な、なんや怖い顔して。ええやん、そら狭い台所に男三人はきっついけど、大した手伝いするわけやなし、進藤が来たって」
「キミは進藤の料理の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ。キミのご家族にまで被害を拡大させるわけにはいかない……分かってるな、進藤」
 ぐっと口唇を噛んで顔を真っ赤にしつつも、ヒカルが何も言い返せないのはアキラの言葉に自覚があるからなのだろう。
「せやけど、手伝いくらいで大した影響もないやろ」
「甘く見るな。何を入れるか分かったもんじゃない」
 容赦のないアキラの言葉を受けても、ヒカルは何も言えないようだった。どうやらアキラは相当痛い目を見ているらしい……対局中のような鋭いアキラの眼差しを横から眺めた社は、今度はこのアキラにそこまで言わせるヒカルの料理を想像して身震いする。
 ヒカルの無言を了承と受け取ったアキラは満足げに頷いているが、この微妙な空気をどうフォローすべきか社が頭を抱えた途端、小さな足音が近づいてリビングの扉が開いた。
 三人が注目した扉の向こうから、学生服を着た輝く少年の笑顔がぱっと現れた。少年は期待に満ち溢れた表情だったが、扉を開いてすぐ目に付くリビングのソファ周りに、見知らぬ人間を含んだ男三人が不思議な構図で突っ立っているのを見て驚いたように固まってしまう。
「豊秋」
 社の声にアキラも反応し、ああ、と何度か大きく頷いた。
「豊秋くん、大きくなったね。覚えてるかな?」
 がらりと表情を変えたアキラが向けたにこやかな笑顔に豊秋の硬直も解けたようで、ぺこんと音がしそうなほど大きく頭を下げて「こんにちは」と挨拶をした豊秋は、社に顔を向けて嬉しそうに笑った。
「春兄ぃ、おかえり」
 その素直な喜びの表情に、社も思わず頬が緩む。
 社はアキラとヒカルの間をすり抜け、まだまだ兄には追いつかないが、ここ数年で随分背が伸びた弟の前まで足早にやってきた。
「元気やったか。久しぶりやな」
「うん! 玄関に靴あったからびっくりした」
「今帰って来たんか。部活やっとるんか?」
「俺バスケ部や! 中学入ってから身長五センチ伸びた!」
「ほんまか! 兄ちゃん抜かされるかもしれんな!」
 大げさなほど驚いてみせる社に、豊秋は実に嬉しそうににんまりと口元を緩めている。微笑ましいやりとりに、先ほどまで睨み合っていたヒカルとアキラも穏やかな顔で目配せし合った。
 久しぶりの弟との再会に目尻を下げた社だったが、すぐにはっとして名案とばかりにヒカルを振り返った。
「進藤! すまん、弟の相手したってくれんか?」
「え? お、俺?」
 ふいに話を振られて目を丸くするヒカルがそれ以上の反応を返す前に、社は先手を打つべく弟の両肩にどんと手を置いた。
「豊秋、あの兄ちゃん面白いで〜。進藤さんや。兄ちゃんちっとオカンの手伝いしてくるさかい、進藤さんに遊んでもらえ。な!」
 ぽかんとしたヒカルと豊秋の目が合う。
 二人はまるで絵に描いたかのように同じ顔でしばし見詰め合っていたが、ふと豊秋がぽつりと口を開く。
「進藤さん、ゲームできる?」
 数秒、豊秋の言葉を理解すべく動きを止めていたヒカルだったが、すぐににっと笑って握りこぶしを見せた。
「任せろ! ゲームなら俺の得意分野だ!」
 力強い宣言に豊秋はぱっと顔を輝かせ、社は安堵のため息を漏らし、アキラはやれやれと肩を竦める。
 ゲーム、ゲームと二階にある豊秋の部屋へ騒々しく消えていった二人を見送り、社は疲れた顔でアキラを振り返った。
「お前なあ、言い方キツないか? 空気凍ったで」
「あんなのしょっちゅうだ。いちいち気にするな」
「気にするわ! なんや、そんなに酷いんか、アイツの料理」
「酷いなんてもんじゃない。やらせなければ腕が上がらないのは分かっているが、出来ることなら永遠に台所に立たせたくないくらいだ」
 冗談の片鱗も見せずに真顔で語るアキラの前で、社は背筋が寒くなるのを感じた。
「……そんなにか」
「そんなにだ」
 実感のこもったため息混じりに呟かれ、社はアキラの苦労を悟る。アキラがそこまで言うのなら、相当に……なのだろう。
 豊秋をヒカルに、もといヒカルを豊秋に任せ、二人は袖を捲り上げながら台所へ向かう。
「それにしても、練習させたらそのうち何とかなるんちゃう? アイツ、車かて最初は酷かったんやろ?」
「ああ、あれも酷かった」
 アキラは軽く目を伏せ、穏やかな苦笑いを見せた。
 その眼差しに溢れる優しい感情をしっかり確認した社は、ほっとして笑みを浮かべる。ところがすぐに真顔に戻ったアキラを見て、その笑みも強張った。
「しかし今回は車の比じゃないんだ。お世辞にも食べ物とは言えない……一種の才能じゃないかと思う」
「アイツ、どんだけ凄いもん作んのや……」
 呆れつつ、ヒカルに対して遠慮のない態度をとったアキラをどこか嬉しく思いながら、久々に一家の主夫として社は母に声をかけた。
「オカン、人手増えたで。何やったらええ?」






もうこの流れはいいよ!って方にはスイマセン……。
また怪しい大阪弁でごめんなさい……
アキラはヒカルの料理で心中計画を疑ったそうです。