ヤサ男の夢






 ヒカルとアキラがプロとなり、いくつかの棋戦を経て周囲から特別なライバル同士と認識されるようになった頃はこんなことはなかったのだ。
 二人で連れ立って芹澤九段の研究会に出向いたり、碁会所でプライベートに打ったりしているとの噂もあり、彼らは親しい友人同士だ、と受け取られるようになってからそれほど時を待たずに。
 唐突に、それまでの態度が嘘のように互いを敵視し始めたのだ。それはもう、碁の上でのライバルという清々しいものではなく、それぞれの粗探しをして罵り合うという実に見苦しい関係に変わっていたのである。
 誰も理由を知らなかった。あまりに突然なので喧嘩をこじらせただけだろうと軽視していた近しい人々も、その異常な態度が数カ月経っても一年経っても変わらないことに気づくといよいよ心配し始めた。
 本人たちに尋ねても口を割らない。何かがあったことは間違いないのだろうが、それが分からないので周りは二人をどう扱うべきか分からず困惑した。
 仲直りさせようとお節介にも仲介を買って出た輩が何人かいたが、二人に激しく突っぱねられて全て失敗に終わっている。そのうち、ヒカルとアキラの仲をどうにか元に戻そうと骨を折るものはいなくなった。
 とにかく寄ると触ると何かしら争うので、彼らの仕事は極力被らないように関係者は奔走した。しかしトップ棋士である二人が公式戦で対面しないはずがなく、彼らが直接ぶつかる日は棋院中がピリピリと緊張し、日記録係や時計係に選ばれた若い棋士に胃を痛める者が続出するほどだった。
 それでも、仕事であればそこまで派手な火花は散らさない。厄介なのは、先ほどのように意図せぬところでばったり出会ったパターンだった。
 今日はまだ(遅すぎたとはいえ)フォローを入れるチャンスがあったが、人の目など全く気にせず喧嘩を始める二人がどこで戦争を開始するのか、関係者の悩みはつきない。
 その上、二人が相手を侮辱するネタというのが専ら互いの女性関係であるからタチが悪かった。


 丁度二人の仲が険悪になった頃から、ヒカルもアキラも多数の女性と交友を持つようになった。
 勿論公に女遊びをしているとなると何かと問題も出て来るため、本人たちは飽くまで「親しい友人の一人」としか説明しない。その中には深い関係になっている女性もいないはずがないだろうに、周囲も知らぬフリをしなければならない。
 ヒカルは主に年上の女性にウケが良く、元々人懐こい性格が気に入られやすいのか、傍から見ればヒモとしか思えない調子で次々大人の女流棋士の間を渡り歩いている。
 一方アキラは年下の女性を好むようで、まだ少女めいた女性たちを優しくエスコートしては著名人ご用達のお店に案内して夢を見させている。
 要するにどっちもどっちなのだが、二人はあんなやつと一緒にするなと激しく自己を主張する。
 周りからすれば目くそ鼻くそである上に、彼らが繰り広げる舌戦はどちらもギリギリの内容で、外部に漏れたらどう対処すべきかと棋院上層部の頭を悩ませ続けている。
 共にタイトルを持つ日本棋院の看板棋士。メディアへの露出もそれなりにあるというのに、女性関係が華やかすぎるのはよろしくない。
 それを隠そうにも、本人たちは宿敵を見つけるや否やああだこうだと批判を始めるのだ。目立って仕方がない。しかし彼らは誰の忠告も聞き入れず、よせばいいのにここぞとばかりに罵倒し合う。
 できれば二度と顔を合わせないでくれ、とすでに神頼みの域に入っている周囲の嘆きなど知らず、ヒカルもアキラもマイペースに日々を過ごしていた。



 事務局に立ち寄り、戻ってきたヒカルの表情は険しかった。ロビーで待っていた和谷と伊角が不安げに出迎え、明らかに機嫌の悪そうなヒカルの様子を伺う。
「……どうした? 何か言われたのか?」
 和谷の問いかけにヒカルはちっと舌打ちし、ぼそりと
「……仕事が被った」
 低い声で呟く。
「え?」
 思わず聞き返してしまった和谷に向かって、ヒカルは今度はロビーの壁を揺らすような勢いで怒鳴りつけた。
「被ったんだよ仕事が! あの野郎と!」
「ええっ!?」
 和谷と伊角が同時に叫び、唖然とした顔を見合わせた。
 あの野郎、とヒカルが言うからには――アキラしかいないはずだが、棋院側は極力二人の接触を避けてスケジュールを組む努力をしていたはずだ。一体どうしたことだろうと二人が声を失っている中、乱暴にポケットに手を突っ込んだヒカルは、肩を怒らせながらずんずんロビーを突っ切っていく。
「飲みに行くんだろ。早く行こうぜ」
 苛立ちを隠さない声に、和谷と伊角は今日何度目か分からないため息をついた。
 どうやら楽しい酒はお流れになってしまったようだ。愚痴を聞かされることを覚悟した二人は、肩を落としてヒカルの後に続くこととなった。




 ***




 名高いライバル同士でありながら、見目麗しく女性からも人気の高いお二人に是非取材を――


 こんな文句で依頼が来ることは珍しくない。
 実力も年齢も比較されやすい二人は他から特出し過ぎて、どうしてもセットに捉えられやすかった。
 大抵はスケジュールが合わないので、と断りを入れ、二人の特集記事でも取材は別々になるよう調整が入る。
 今回それができなかったのは、二人を同時に撮りたいというテレビ番組からの要請があったこと、インタビューに当たる予定の人気女子アナウンサーが二人のファンだと公言していること、更に番組の口利きをした棋院にとっても重要なスポンサーがその女子アナの大ファンだったことなど、面倒な理由が重なってしまったためだ。
 何とか彼らを離せないかと奮闘した棋院側だったが、スポンサーの圧力に逆らうこともできず、顛末を怖れながらも二人への同時取材を承諾した。
 顔を顰めたのは本人たちである。




 取材時間はほんの三十分、定型のインタビューに二、三答えるだけで、後は笑っていれば済むような仕事だから――

 簡単に言ってくれる、とヒカルは取材場所となる棋院を見上げて顔を渋く歪める。
 できることなら被らせるな、とこれまで何度も要請していたし、棋院側だって頼まれなくてもそうするといった調子だったから、まさか対局以外で顔を合わせる仕事が回ってくるとは思わなかった。
 ――マジで気ぃ重いな。あ〜病気になりてぇ……
 顔はいかにも不機嫌そのものだが、いつもの砕けた服装と違ってきちんとスーツを着込み、格好だけなら取材準備も万端だ。ヒカルは小さく舌打ちしながら、渋々といった様子で棋院の中に入って行った。
 濃紺に控えめなストライプが入ったスーツを着こなして、颯爽と歩くヒカルを女性たちがちらちら振り返る。条件反射で流し目を送るヒカルは、自分の見た目が悪くないことを自覚していた。
 軽く誘いかければ大抵の女性が嬉しそうな顔をするし、実際について来た女性は決して少なくなかった。中には本気に取られて厄介な目に遭うこともあったが、ターゲットを年上に変えてからはほとんどそういうことはなくなった。
 甘やかしてくれる上に、後腐れがない。向こうも遊びとして楽しんでいるのだと分かった後は、遠慮なく甘ったれて女遊びに拍車がかかった。
 美人で、オシャレで、遊び上手な年上のお姉さん――好みを聞かれたら迷わずそう答えるヒカルは、しかしこれまで一度も恋人と呼べる女性と付き合ったことはなかった。
 理由を尋ねると「面倒だから」と答えるヒカルに周囲は呆れたが、それはアキラも同じことだった。
 アキラもまた、棋院前で停まったタクシーから降りて、自動ドアが開く一歩手前で小さなため息をついていた。
 もう随分、対局以外で一緒に仕事をしていない。はっきり言って迷惑な取材だった。
 ――台本は出来ているんだろうな。用意された言葉以外口を開くもんか……
 どうせライバルだなんだと囃されるだけで、くだらない質問に相槌を打つ程度の取材だろう。編集が入って番組的には数分もコーナーを裂くかどうか……たったそれだけのために並んで取材を受けなければならない現実が、アキラの顔を顰めさせる。
 しかし仕事は仕事だと、キッと顎を上げたアキラは背筋を伸ばして歩き出した。風を切って髪を靡かせ、グレイのスーツを堅実に着こなして棋院を闊歩する。
 年若い女性が憧れの眼差しを向ける。静かに微笑を見せたアキラもまた、自分の容姿が人目を引くことを理解していた。
 気後れする女性たちの手を取って、世界を広げてやるのは悪い気分ではなかった。中には勝気で付き合いにくいタイプもいたが、ターゲットを控えめな年下に変えると、大抵はべったり頼ってこちらの言うことをよく聞く過ごしやすい相手ばかりだった。
 可愛らしく、世間知らずで、これから遊びの面白さを知る成長途中の少女たち。彼女たちを本気にさせないよう、かつうまく自分に懐かせるように付き合うスリルを覚えたアキラは、ゲームを楽しむように女性を連れ歩くようになった。
 優しい子がいいです。年下で、守りたくなるような――好きなタイプはとの質問にそう答えるアキラだが、ヒカル同様恋人は作らず、女性たちにも勘違いされないようその点は注意しているらしい。
 恋人だと、重くなるから。普段からさらりとそんなことを言ってのけるアキラは、取材場所となる一室のドアの前に立ってため息ひとつ、軽く二回ノックをした。






注意書き甘かったのですが、ちょっと
女癖が悪い?二人です……。
それから懲りずにまたオリキャラが出て来ます…