ヤサ男の夢






「……キミが女性と付き合いだしたから、ボクはもう……本当に、望みが全くないんだと」
「な、何言ってんだよ、先にお前が年下の彼女作ったんじゃねえか。だから俺、マジでもう駄目だと思って」
「違う、キミが五歳も年上の女流棋士と付き合っていると聞いたから、腹が立ってボクも女の子と」
「なんだよそれ、違えよ、お前が先だろ、俺それ聞いてムカついて遊ぶことにしたんだもん」
 キミのせいだ、お前のせいだと責任を押し付けることで本題から少しでもポイントをずらそうと躍起になる。今更照れまくったところでどうにもならないのだが、僅かでも優劣をつけようとする様子は仲違いしていた頃と変わらない。
 いよいよ声を張り上げるネタがなくなり、沈黙に見舞われるのを恐れて真っ赤な顔を強張らせた二人だったが、意を決したアキラがぐんと胸を張り腕を伸ばす。
 ヒカルがはっとした時には左腕ががっしりと捕らわれていた。アキラは怒ったような強い眼差しで了解を求めるようにヒカルを睨み、ヒカルはただ動揺した。
 その曖昧な表情をどう受け取ったのか、アキラはヒカルの腕を引っ張って部屋の奥へとずんずん進む。ジュニアとはいえスイートルーム、ドアを潜ってすぐに見える景色は大きなソファが悠然と構えるリビングになっていて、L字型に曲がった部屋の奥には夜景の煌めく窓の下に――ベッドルームが備えられている。
 戸口からは死角になっていた場所に大きなダブルベッドを見たヒカルは、その先を即座に予想して顔色を変えた。
 まさか、と足を踏ん張ると、腕を掴んでいるアキラの力が強くなる。いよいよアキラの目的を察したヒカルは、咄嗟に腕を振り解こうとした。
「ふ……ざけんなよ、お前、女と使おうとしてたんだろ!? 何考えてんだよ!」
 アキラの肩がびくっと揺れる。
「俺が喜んで乗っかるとか思ってんのか!? 最悪、だからお前は空気読めてねえって言うんだよ!」
 ぶんぶんとヒカルは腕を振ったが、アキラは手を放さない。
 まるで岩のように動かなくなったアキラが、前を向いたまま低い声で告げた。
「確かに彼女をここに連れて来たのはそういうつもりがあったからだ。それは否定しない……でも」
 すうと息を吸い込んだアキラは、くるりとヒカルを振り向いて目を吊り上げる。
「元はと言えばキミがあんな勝負を持ち掛けたからだ! 何だってあんな挑発するようなことを言ったんだ!? こんな形で止めに来るくらいなら、最初から勝負などしなければ良かったんだ!」
 もっともなことを大音量で怒鳴られて、おまけに腕を拘束されているためにほんの少し仰け反ることしかできなかったヒカルは、顔をくしゃっと顰めて子供のように反論した。
「ムカついたんだよ! 俺の顔見てむすっとしたくせに、女相手にころっと態度変えるお前に! へこましてやりたかったんだよ! お、お前がフラれたら笑ってやろうと思ったのに……」
「……進藤」
「俺には……仏頂面しか見せないくせに……」
「それは――」
 言いかけたアキラはそこで唐突に口を閉じた。
 恐らく、言い返せばこれまでのやり取りを延々と繰り返すだけだということに気づいたのだろう。アキラは引っ込めた言葉の代わりを泳ぐ目で探しながら、ヒカルの腕を掴んでいる力をやんわり緩めて言い訳するようにぼそぼそと告げる。
「キミだって、ボクを見たらすぐ顰めっ面になるじゃないか。だからボクはずっとキミに嫌われていると思っていた……でも」
 ヒカルが口を挟まないように「でも」を大きく発音したアキラは、短く息を吸って続きを一気に吐き出した。
「――ボクを好きだというのは、こういう意味だと……思っていいのか」
 そしてえいっとばかりにヒカルの身体を引き寄せ、ぎゅっと抱き込んだアキラの腕の中で、目をチカチカさせたヒカルが否定も肯定もできずに固まっていた。
「ずっと、ずっと触れたかったんだ。我慢できないくらい、ずっと」
 絞め殺すような勢いでぎゅうぎゅうと力を込めて来るアキラに、パニックによる石化状態から徐々に酸素が足りない現実問題に直面させられたヒカルは、苦しい、と意思表示をするべく僅かに身を捩らせた。
 その動きがまるでアキラに甘えて身体を擦り寄せているようで、それをOKサインと受け取ったアキラは、一度がばっと身体を放して熱っぽい目でヒカルの顔を覗き込んだ。
 ヒカルが息を呑む。――キスされる。直感は瞬時にヒカルの中で確信に変わり、思わずそのまま目を閉じた。
 じっとアキラからのアクションを待つ……が、なかなか口唇は下りて来ない。
 これは自分から仕掛けたほうが良かっただろうか? 顔を真っ赤に染めながらそんなことを考え始めていたヒカルは、ガチガチに固まっていた身体がふわっと重力に逆らうのを感じた。
 闇の中でアキラの反応を待っていたため一切抗うことができず、引っ張られながら身体を反転させられて、ばちっと目を開いた時には天井を背景にアキラの顔があった。そして背中に感じるスプリング。
 頭が真っ白になったヒカルは、目を閉じて顔を近付けて来るアキラの顎を条件反射で押し上げていた。
「な……、な……、」
 喉仏がはち切れそうなほど顎を押し上げられ、アキラが呻き声を漏らす。しかし潰れたような苦痛の訴えなど耳に入っていないヒカルは、呆然とした表情のまま叫んだ。
「なんで俺が下なんだ!!」
 手に更なる力を込めたヒカルは、顎を支点に浮き上がったアキラの胸をもう片方の手で押し退け、広いダブルベッドの脇へと転がした。
 咽せながら仰向けに倒れたアキラは抵抗されることを考えていなかったようで、事態を把握できずに唖然とヒカルを見上げようとした。が、膝立ちになったヒカルに上から押さえ込まれて、ようやく意図を察したらしい。
 顔色を変えたアキラが、覆い被さってくるヒカルを腕で突っぱねた。
「ま、待て! なんで逆転してるんだ、キミがこっちだろう!」
「ふざけんな、どう考えてもお前だろ! ムード吹っ飛ばしてひっくり返しやがって!」
「間違いなくキミだ! 体格差を考慮しろ!」
 そう言うなりアキラは膝を素早く立てて、ヒカルのみぞおちを強めに突いた。うっと背中を丸めたヒカルの力が緩んだ隙をつき、押し返していた腕に力を込める。
 先ほどとは真逆の構図で、アキラがヒカルをひっくり返した形になった。
 腹を押さえながらそれでも起き上がろうとするヒカルの肩を掴み、アキラが息を切らせて暴れる太ももに膝を乗り上げる。
「観念しろ。不意打ちの代償だ」
「ふ、不意打ちって……」
「あんな唐突にキスなんかして。ボクがどれだけ混乱したと思ってる! ただの悪ふざけだったなら、首を絞めたいとまで思ったんだぞ!」
 声を荒げたアキラはヒカルの胸元に手を伸ばし、シャツの襟をぐいっと持ち上げた。引っ張られて糸が切れそうなボタンを、指で弾くように上から外していく。ぎょっとしたヒカルは咄嗟に肘を尖らせ、下からアキラの額を突き上げた。
「痛!」
「冗談じゃねえ、そんなことでヤられてたまるか! 大体俺が仕掛けたんだから最後まで主導権は俺だ!」
 眉間に硬い一撃を食らい、顎を仰け反らせたアキラの髪を乱暴に掴んで引っ張り、傾いた身体をヒカルは膝で蹴り上げた。膝は脇腹に当たり、その鈍い音からも痛みは相当なのだろう、アキラが思わず瞑った目尻に薄っすら水滴が光る。
 怯んだアキラに飛びついて、身体を倒さんとヒカルが肩に爪を立ててくる。左手で何とか衣服を剥がそうともするのだが、どうも脱がしにくいタイトなタートルネックのセーターは捲り上げるのも難しい。
 てこずっている間にアキラががしっとヒカルの頭を正面から大きな手で掴み、こめかみを握り潰さんばかりに指に力を入れてきた。そのままゆっくり後退させられる頭を、ヒカルも必死で押し戻そうと歯を食い縛る。
「一度奪われた主導権をボクが納得して手放すと思うか……!? 大人しくキミが下になれ。悪いようにはしない……!」
「い、や、だ……! 俺だって、ずっとお前に触りたかったんだから……!」
「それはボクの台詞だ!」
「人の台詞取んな!」
 大声を出せば自然と力は緩み、その隙に襲われまいと一度素早く身体を離した二人は、至近距離でそれぞれ腕を独自に構えて相手を威嚇する。
 ふいを突かれないよう、目線を外さずに。獲物を狙う猛獣と同じギラギラした光を携え、睨み合いはしばらく続くかと思われた。
 しかしスピードに勝るヒカルが先手を取り、アキラの懐に飛び込んでタックルを仕掛けた。骨に守られていない腹部分に頭突きを食らって息を詰まらせたものの、そのまま倒れ込むのを堪えたアキラは上からヒカルを押し潰す。
「ぎゃ!」
 うつ伏せに潰されたヒカルが状況に見合った潰れ声を漏らすが、構わずにアキラはその背中に飛び乗った。尻に馬乗りになり、羽交い絞めにするように覆い被さる。
「キミの負けだ」
 囁いて耳に齧りつくと、ヒカルの首が大袈裟なほど縮んで硬くなった。






あれ、ひょっとしてバトルってこういう意味じゃないのかな(汗)
たぶん読みにくくて目が滑ると思うのでフィーリングで。
(フィーリングって都合いい言葉だなあ)
馬鹿馬鹿しいことほど大真面目に……