気づけば随分離れた場所で、金魚すくいを覗き込むあかりと二人。 (なんで?) 「ねえヒカル、金魚欲しくない?」 (なんで俺、あかりと一緒に金魚すくい見てんの?) あかりと共にヒカルを強引に引き摺った黒い浴衣の女の子は、アキラたちと距離が離れたことを確認すると「ごゆっくり〜」と含み笑いで消えてしまった。 呆然としたヒカルと、どことなく照れ臭そうなあかりの間に気まずい空気が流れる。 あかりとしてはそんな空気を何とか打開したくて金魚の話題を出したのだろうが、ヒカルは金魚なんかに興味はないし、そもそもこの強引な行動に我満がならなかった。 「おい、あかり」 低い声にあかりの小さな背中が竦んだのが分かる。 「お前、ちょっとやりすぎじゃねぇのか」 「……そうかな」 「そうだろ! アイツの気持ち無視して、乱暴すぎる」 「……」 黙ってしまったあかりに、もっと何か言ってやろうとヒカルが息を吸い込んだ。ところが、そんなヒカルを振り返ったあかりの泣き出しそうな顔を認めて、ヒカルの息がぐっと止まる。 「ヒカル……、……美咲のこと好きなの?」 「はあ?」 真剣な顔して何を言うかと思ったら――ヒカルはすっかり呆れた顔で、目の前の幼馴染にため息をついた。 「あのな、どこをどうやったらそういう会話の流れになんだよ。俺はお前らが塔矢にしたことをだな、」 「だって、美咲と塔矢くんを二人っきりにするのが嫌なんでしょ? それはヒカルも美咲のことが気になるからじゃないの!?」 今にも涙を零しそうな脆い表情のくせに、はっきりとしたあかりの強い口調にヒカルは圧倒された。 あかりの真剣さが、ヒカルには分からなかった。 ただ、言葉を探して焦りが募ると、忘れていた足の痛みを思い出す。 ずきずきする足で、ヒカルはあかりに何も言えずに立ち尽くした。 ふと、頬に冷たいものが触れる。ヒカルは天を仰いだ。 ついに空は泣き出した。 頭上を見上げた人々が、めいめい急ぎ足になる。袋を頭に掲げたり、周到に用意してあった傘を開いたり。露店でもあらかじめ雨を見越していたのか、ちらほら傘を販売するところが現れた。 ヒカルとあかりは無言で向かい合い、小雨に打たれていた。 黙ったまま動かない二人の間で、怒りとも悲しみともつかない視線が交わされる。 やがて、ヒカルははっと短くため息をつき、隣の出店で傘を売り出し始めたのを見て、傘を二本購入した。そのうち一本をあかりに差し出すが、あかりは受け取らない。 焦れたヒカルは、傘を開き、無理やりあかりに透明なビニール傘を押し付けた。あかりは押し返そうとしたが、ヒカルがきつい目で凄んだのを見てしまったのか、ふいに怯えたような顔をして傘を握る。 ヒカルはもう一度ため息をつき、自らも傘を開く。 「……あのな、あかり。お前の言ってることは俺はよく分かんねぇ。ただ、俺も塔矢も別にあの子に興味があるわけじゃない。お前がよかれと思ってしたことでも、傷つくヤツがいるかもしれないんだ」 「……」 「俺、行くぜ。アイツ、マジでヒマじゃねーんだ。お前だって分かるだろ」 そうしてあかりに背を向け、痛む足で走り出したヒカルには、 「……傷ついたよ、私も」 あかりの呟きは届かなかった。 傘をさしながら走るには、人込みと風が邪魔をする。 ヒカルはアキラから借りた浴衣が濡れてしまうことに躊躇いを覚えたが、やがて傘を閉じて脇に抱えた。 鼻緒がヒカルの足をぎりぎりと締める。ひょっとしたら皮がもう剥けてしまったかもしれない。それでもヒカルは足を止めずに、首をきょろきょろさせながら走り続けた。 出店を一通り走り抜けたのに、アキラの姿が見えない。人目をひくあの姿を見落としたなんてはずがない。ヒカルはふと、神社の向こうにちらりと見えたカラフルなジャングルジムに気づいた。 神社の裏手に回ったヒカルは、そこで雨に濡れたままベンチに座り込むアキラと、その前でおろおろと立っている美咲を発見した。 「塔矢!」 思わず大声を上げたヒカルに、弾かれたように美咲が顔を上げた。 ヒカルは神社に隣接された小さな公園に入り、二人の傍に駆け寄る。ベンチに腰掛けたアキラの顔色が悪い。 「進藤くん……」 美咲が頼りなげに突っ立っているのを見て、思わず苛立ったヒカルは彼女に食ってかかった。 「おい、何があったんだよ!」 美咲は怯えたように肩を竦ませ、その目尻に薄ら涙を溜める。 「よせ、進藤……。ちょっと気分が悪くなっただけだから」 弱々しくも美咲に気遣いを見せる声で、アキラはベンチに捕まりながら立ち上がる。ヒカルが慌ててアキラの身体を支えた。 「お前、やっぱり具合悪いんじゃん。だから無理すんなって言ったのに」 「大丈夫だよ……。急に走ってちょっとくらっときたんだ。体力がないな、ボクは」 そう言って笑ったアキラの顔が疲れていて、ヒカルの胸がぎゅっと痛む。やっぱりアキラが痩せたと思ったのは気のせいではなかった。 ヒカルは美咲を振り返り、持っていた傘を渡す。 「俺、こいつ連れて帰るから。ごめん」 彼女に有無を言わせないきっぱりした口調で、ヒカルは美咲とアキラの間に立った。美咲の瞳が哀しげに歪んだが、それでも彼女は首を縦に振った。 ヒカルは幾分ほっとして、アキラに肩を貸しながらその場から離れる。アキラは大丈夫、とヒカルの肩をぽんぽん叩いて、軽く美咲を振り返って会釈をする。 「自分で歩けるよ。本当に大丈夫」 「だって、お前、顔色悪すぎ」 「軽い貧血みたいになっただけだから。少し休めばすぐ戻るよ」 強さを増した雨に打たれながら、二人は神社を離れて道路に出た。タクシーを拾い、シートに腰掛けて、思った以上に全身が濡れていたことに気づく。 アキラは疲れた様子でふうと細く息を吐き、ゆったりシートに凭れて目を閉じた。そんなアキラを心配そうに見つめていたヒカルは、アキラの手がそっとヒカルの手を握ってきたことに幾分心の強張りを解く。 早くアキラを休ませてあげたかった。 (塔矢が具合悪かったの知ってたのに、俺。あの子とのことばっかり気にして……) 身体を気遣ってやれなかった自分に腹が立つ。 タクシーは雨の中走り続け、塔矢邸に到着した頃、空の黒雲は時折不気味な光をチカチカと覗かせていた。 大丈夫を連発するアキラを無理やり支え、ヒカルは廊下を歩く。 「進藤、本当に大丈夫だ。タクシーの中でだいぶ休んだから」 「ダメ! お前寝かしつけないと」 「もう平気だって。それより、ボクらすっかり濡れてる。着替えよう?」 アキラはヒカルがアキラを支えているつもりだった腕をひょいっと取って、くるりと身体を返した。 「着替え、あっちに置いてあるよ。おいで」 そう言ってヒカルの手を引くアキラの笑顔は確かに青みが消えていたが、ヒカルはまだ疑わしげにアキラの後に続いた。 アキラの体調が悪いのは、やはり全て自分のせいのような気がしてきたのだ。 元々忙しいアキラが、身体に無理をさせてまで優先するのはいつだってヒカルのことで。 そんなふうに思うなと言われても、どうしようもない事実だと思うのだ。 「進藤、こっち。帯解いてあげるから」 アキラは縁側に面した襖を開け放しながら、ヒカルを手招きした。 開放された襖が開いて、景色は雨に濡れる庭に変わる。雨に打たれた日本庭園は見るからに涼しげだが、室内は締め切られていたためか湿気がこもっていた。 直に聞こえる雨の音と、流れてくる風で、部屋の熱気が外に逃げていくような気がする。ヒカルはざあざあと激しさを増す雨の真直ぐな線をぼんやり眺めた。 アキラに呼ばれるまま縁側に立ったヒカルは、着付けてもらった時と同じように、屈んでヒカルの腰に手を回すアキラを見下ろしていた。 「足の指、擦りむいてる。下駄きつかった? 痛むだろ?」 手当てしないと、とヒカルの足をそっと撫でたアキラの手のひらの熱にヒカルは目を閉じた。 「……ごめん、塔矢」 ふいに呟いたヒカルに、アキラは不思議そうに顔を上げる。 「俺、ホントは……すげえ嫉妬してたんだ。あの子に」 「進藤……」 アキラの手が止まる。見上げるアキラを、ヒカルは雨が降り出す前の空みたいに曇った顔で見つめ返す。 「あの子、可愛かったし。お前と二人にすんのヤだった。ホントはそんなことより、お前の身体のほうを心配しないとなんなかったのに」 「……進、藤」 ヒカルの言葉は続かなかった。 ぐっとアキラに腰を引かれて、膝をついた格好のまま、アキラに深く口付けられていた。 力強く包まれた口唇の中に、アキラの熱い舌が滑り込んでくる。その覚えのある熱にヒカルはぎゅっと目を瞑った。辿々しくも自分の舌で応える。 離れた口唇の間に、細く透明な糸が通る。見つめ合った二人の瞳に、ゆらゆらと情欲の炎が蠢き始めた。 「……キミの言葉ひとつでボクはどうにかなりそうだ」 吐息交じりのアキラの声に、ぞくぞくと背中が震えた。 「あまり嬉しいことを言わないでくれ。抑えられない」 「とうや」 でも、お前、具合は。――続きは言葉にならなかった。 再び口唇を合わせてきたアキラに、ヒカルも全身で応えた。アキラの頭を抱きこみ、上から押さえ込むようにキスをする。 止まっていたアキラの手が、ヒカルの帯を解く。するする落ちる帯がくたりと床に倒れる。もどかしく紐も解かれて、ヒカルの浴衣の前がはらりと肌蹴た。 「進藤」 確かめるようなアキラの声に、ヒカルは目を細めたままキスすることで返事の代わりにした。 こういうとき、キスは便利かもしれない――ヒカルはトクトクと高鳴る胸に言葉を押し潰された言い訳をする。 アキラはヒカルから手を離して立ち上がった。自らの腰に巻かれた帯を手早く解いて、浴衣と襦袢の隙間から現れたその肌の色にヒカルの喉がごくりと音をたてる。 脱ぐ様すら絵になる。ヒカルはアキラの動きひとつひとつに見惚れた。まだ日暮れではないのに、雷雲が空を覆って辺りは薄暗い。薄闇に浮かぶアキラの裸身が眩しくてたまらない。 アキラの伸ばした手に諍わず、ヒカルは肩に濡れた浴衣をひっかけたまま畳に倒れこんだ。圧し掛かるアキラの体重にぐっと息が詰まる。 身体は汗ばんでいたが、シャワーを浴びる余裕なんてなかった。首に、胸に口付けてくるアキラの動きに息があがりっぱなしだ。 「進藤、ボク……少しは勉強したから」 キスの合間にアキラが囁く。 「前よりは、上手に……できると思う」 耳元で吐息混じりに響いた声が、そのままヒカルの耳たぶをそっと噛んだ。 「あっ」 思わず上げてしまった声に、ヒカルは慌てて口を手を覆う。 その手をやんわり外しながら、アキラはヒカルに跨ったまま愛おしそうに見つめて、もう一度深く口付けた。 |
そうか、浴衣でえっちが書きたかっただけか。
アキラさんフラついてたのにすっかり元気です。
原作を見てると、あかりちゃん結構不憫ですね。
物凄く直接的に言わないとヒカル気付かないだろうなあ。
それこそアキラさん並みに追ってこないと。