「ボクと間違えただって? 体格が随分違うだろう」 「だから、後姿しか見てなかったの! あんな頭してんのお前くらいしかいねえじゃん、塔矢だって思った時には投げられてたよ」 碁盤を碁笥を用意しながらのヒカルの状況説明に、アキラは堪えきれずに噴き出した。 「笑うな」 「だって、さくらに背後から近づくなんて無謀だ」 ようやく堅苦しい客間を辞してアキラの部屋へ移動し、背伸びをしたヒカルは思った以上にあの場で自分が緊張していたことを実感した。 仕方がない、会えると思っていなかった行洋だけでなく、アキラの親戚にまでぎこちなく挨拶をすることになってしまったのだ。なんだか肩が凝った、とヒカルは首を回す。 「それにしてもお前のイトコ、お前そっくりだなあ。女塔矢だよ、あれじゃ」 「小さい頃はそんなに似ていなかったんだけど。今では双子と間違われたりするよ」 「双子! まあ、そう言われてもおかしかねえな」 「両親の帰国も、叔父たちの来訪も今朝早くに連絡があってね。キミに知らせる時間もなかったんだ。待たせて悪かった」 「いや、それはもういいけどさ。んじゃ打とうぜ」 アキラの部屋の中央に据えた碁盤を囲み、二人は一礼する。 それから二時間ほど対局に費やし、軽く検討をして、そろそろとヒカルは立ち上がった。 普段なら帰宅の時間など気にせずに遅くまで打つのだが、今日は塔矢邸にはアキラの他にも人がいるし、その状況でくつろぎきれるほどヒカルも図太くない。それが分かっているのだろう、アキラも残念そうな顔をしながらヒカルの帰宅を引き止めようとはしなかった。 玄関に向かう二人が進む廊下、反対側からアキラの叔父と明子の姿が見える。その荷物の様子を見て帰り支度だと察したヒカルだったが、さくらが傍に見えないのを不思議に思った。 「ああ、アキラ。そろそろお暇するよ。急に悪かったね」 「叔父さん、もうお帰りですか? さくらは?」 アキラも同じ疑問を持ったようで、見送りと思われる明子の他に人がいないのを気にしている。 「さくらはしばらくこちらで厄介になることになった。迷惑をかけるがよろしく頼むよ」 優しく微笑んだアキラの叔父の言葉に、ヒカルとアキラは同時に「え!?」と声をあげる。叔父の視線を受けて、ヒカルは慌てて口を押さえて真っ赤になった。部外者の自分が驚くのも変な話だよな、と身を縮こまらせるが、叔父は特に気を悪くした様子はなさそうだった。 「本当に利かない娘で困ったものだ……。お義姉さん、申し訳ないですがしばらくさくらを頼みます」 「あらいいんですよ、うちは男の人が多いから華やかになるわ。責任持ってお預かりさせていただきます」 叔父は安心したように微笑し、ぽかんとしているヒカルとアキラに一礼すると、その前を通って玄関へと向かっていった。明子も続き、廊下で二人は取り残される。 「……なあ、お前のおじさん、なんか急用で来てたんだろ? 何の用事だったんだ?」 「さあ……ボクも用件は聞いていないんだ。何だったんだろう。しかもさくらを置いていくなんて……」 顔を見合わせたヒカルとアキラは、そのまま不思議そうに首を傾げ合った。 それから少し遅れてヒカルが玄関まで来た時、すでにアキラの叔父の姿はなかった。 叔父を見送ったらしい明子が二人の姿に気付き、あら、と声を上げる。 「進藤くん、ひょっとしてもうお帰り? まあ、お夕飯作ってたのよ。良かったら食べていって頂戴」 「え、あ、でも……」 「今日はさくらちゃんもいるし、食卓が賑やかになると思っておばさん楽しみにしていたのよ。それとも何かご用事があるのかしら?」 尋ねられれば、いいえ、としか返事ができない。 ヒカルは助けを求めるようにちらりとアキラを横目で見たが、アキラも母親には逆らえないらしく、ヒカルと同じような困った顔をしていた。 しかたなく、ヒカルは分かりましたと頷いた。明子は実に嬉しそうに笑って、美味しいごはん作るわね、と台所に戻ろうとする。 行きかけてふと足を止めた明子は、二人を振り返って告げた。 「そうだわ、お夕飯の支度ができるまでさくらちゃんのお相手してあげてもらえるかしら? アキラさん、客間に碁盤用意してさしあげて」 「碁盤?」 明子の言葉に聞き返したのはヒカルだった。 アキラは母に頷いてからヒカルを振り向き、 「さくらも碁を打つんだよ」 とにこやかに告げた。 「さくら、入るよ」 声をかけたアキラが静かに襖を開く。その後ろで碁盤を持たされているヒカルは少々ふくれっ面をしていた。 「碁盤用意しろって言われたのお前じゃん。なんで俺が全部運ばされてんだよ」 ぶつぶつと口の中で文句を言いながらアキラに次いで部屋に入ると、控えめな荷物の傍にちょこんと正座をしていたさくらと目が合った。 さくらは僅かに頬を赤く染め、きゅっと眉間に皺を寄せてツンと顔を逸らす。その態度にヒカルはむっとしたが、同時に胸にもやっとした不快感を感じたような気がして、その微かな感情に思わず首を傾げた。 ――なんだろ、俺、投げ飛ばされたの思ったより根に持ってんのかな…… 「しばらくうちにいるんだって?」 アキラが碁笥を床に下ろしながらさくらに尋ねると、さくらは小さく頷いた。 「ああ。今は夏休みだから。」 その朴訥な口調にヒカルは眉を寄せる。 切れ長の黒い瞳に長い睫毛、薄い口唇は形良く艶やかで、真っ直ぐな黒髪が白い肌に映える、まるで日本人形のような美少女だというのに。 その可愛らしい口唇から出てきた言葉がやけにぶっきらぼうで、そのギャップにヒカルは顔を顰めた。 そして話を続けるアキラとさくらを前にして、ヒカルは酷く奇妙な光景を見せられているような気分になってしまった。 この二人、見た目が似ているだけではない。口調や雰囲気もそっくりなのだ。 勿論男女の違いはあるから何から何までという訳ではないが、知らない人が見たらまず間違いなく双子の兄妹だと思うだろう。 いくら親戚とはいえここまで似ているなんて……と不躾にまじまじ二人を眺めていたら、視線に気づいたさくらがまた顔を赤らめた。それから怒ったように眉を吊り上げてぷいと顔を背ける。 どうやらすっかり嫌われただろうか? ヒカルはまいったなと頭を掻きながらも、二人の間に碁盤を押し出してやった。 さくらまでもが碁を打つとは意外だったが、行洋の姪であるし別におかしいことではない。アキラと打つのだろうと思って対局の様子を見せてもらうべくついてきたつもりだったのだが、 「進藤、さくらと打ってみないか?」 「え?」 アキラの提案にヒカルとさくらは同時に聞き返した。 アキラはさらりとヒカルに対してさくらとの対局を勧めたのだ。予想していなかった展開にヒカルは戸惑ったが、さくらもそれは同じだったらしい。 さくらは無を装おうとしているが、その表情に若干の落胆を隠し切れずにいる。ヒカルはすぐにピンときた。 ――ああ、ひょっとしてさくらは…… アキラは悪びれずに碁盤をヒカルの前に移動させた。まるきり分かっていない鈍い男にヒカルは肩を竦める。 「でもお前、久しぶりなんだろ。お前ら打てよ。俺部外者だしさ」 「いや、これでさくらはなかなかやるんだ。キミと打つときっと面白くなると思う」 つらっとそんなことを言うアキラにヒカルは嘆息した。ダメだ、この男は。囲碁のことしか考えていない。 気の毒に、とさくらを横目で見ると、さくらは僅かに目を細めて碁盤を見据えていた。そのまま静かに口を開く。 「……いいよ。アキラがそう言うなら打とう。お願いします」 そう言ってちらとヒカルを見たさくらの目の鋭さにヒカルはびくりと身を竦ませた。 どうやら負けず嫌いな性格も似ているらしい……ヒカルは真剣勝負の時のアキラを彷彿とさせるさくらの目に遅れをとりつつも、それではと碁盤に向き直った。 ちりん、と風鈴の音が耳に涼をもたらす。 加えて不規則に聞こえる碁石を打つ音が、暑い空気を割るような清涼感を部屋に与えていた。 そんな風流な対局で、ヒカルはじっとり嫌な汗を掻いている。 盤面はヒカルの持つ白優勢。それは分かっているが、終盤を迎えてなおぐいぐいと隙に押し込んで来るさくらの強気の攻めは決して無謀なだけではなかった。 予め三子の置き石があったとは言え、かなりの腕だということは打ち始めてからそれほど時間を待たずにすぐ察した。 おまけに後半に耐える底力もある。このままの展開で押し切る自信はあるものの、ふと気を緩めてしまえば思いもよらないところから引っくり返されそうな恐ろしさがあって、ヒカルは最後まで緊張を解くことができなかった。 結果はヒカルの五目勝ちだが、この五目が決して大きな差ではないことをヒカルは実感した。 ――こりゃ、プロになれんじゃないのか。女流ならかなりいいとこ行くだろう…… ヒカルの院生時代の仲間で今年女流枠でプロ合格した奈瀬がいるが、さくらの実力はその奈瀬よりも若干上かもしれない。 思わずアキラを振り返ったヒカルだったが、アキラは真剣な顔で碁盤を見下ろし、なにやら考え込んでいる素振りを見せる。 「さくらのここのツケ、悪くはないが、進藤ならそれをうまく押さえることくらいここまでの展開で分かっていたはずだ。ここはこっちよりも、こう……」 そしてマイペースに検討を始めてしまった。さくらの棋力に何の疑問を持っていないアキラの様子にヒカルは軽くこけながらも、始まってしまった検討に耳を傾ける。さくらも真顔でアキラの言葉に頷いていた。 そうして三人が碁盤の前に張り付いてからゆうに三時間が経過した頃、夕飯を告げる明子の登場で即席の研究会は終わりを告げたのだった。 |
イトコに名前をつけるのに非常に時間がかかりました。
最初はアキラの「アキ」あたりを被らせようかと思いましたが、
なんかどの名前もしっくりこなくて「ラ」を被らせることに…
しかしカタカナにするとくのいちっぽいのでひらがなで。
オリキャラの名前って何だかつけるたび申し訳ない気分になります…