「すみません、なんのお手伝いもしなくて」 ずらりと豪華な料理が並んだテーブルを前に、さくらは顔を赤らめて申し訳なさそうに頭を下げた。 手伝いのことなど全く考えていなかったヒカルは、こういった様子を見るとやはりさくらは女の子なんだなと感心してしまう。 「いいのよ、さくらちゃんはお客様なんだから。さあ座って、いただきましょう」 明子はにこにこと三人を促し、すでに食卓についている行洋もまた穏やかに微笑んでいた。 「三人で打っていたそうだね。私もお邪魔したかったよ」 残念そうに告げる行洋に、明子はぴしゃりと釘をさす。 「あなた、ご本の原稿の締め切り、これ以上延ばせませんよ。週末取りにいらっしゃるそうですからね」 「分かっているよ。厳しいな」 食卓に苦笑が響く。 明子に勧められるままテーブルに腰を下ろしたヒカルは、普段自宅の食卓には上がらないような豪勢な料理の内容に目を輝かせた。 遅くなったから駅まで送ると言われ、ヒカルとアキラは並んで駅までの夜道を歩いていた。 女じゃないからいいよと一度は断わりかけたが、何となくアキラと話し足りない感があったのも事実で、駅までならとヒカルも了承した。 蒸し暑い夜の熱気に額の汗を拭いながら、ヒカルはおもむろに口を開く。 「なあ。……お前のイトコ、プロにはなんねーの?」 「さくらか? さあ、聞いたことないから……」 「あのままだったら勿体ねえと思うけどな〜。師匠とかいないのか?」 「小さい頃は父やボクと打っていたけど。今は独学だと思うよ」 「独学であれかよ! すげえなあ、やっぱ先生の血かなあ」 ヒカルの言葉を受けたアキラが不服そうに口唇を結んだ。 「碁は血で打つものじゃないぞ、進藤」 「分かってるって、例えだろ。そりゃそうだけどさ、お前とさくらって顔がそっくりなだけじゃなくて碁も……」 言いかけたヒカルははたと気付く。 ――そうだ。さくらの碁、やけにコイツの攻め方に似てた…… 「碁も?」 「いや……その、あ、荒っぽいとこが似てるな〜なんて……」 「誰の碁が荒っぽいって?」 「アハハ、まあまあ……」 思わず言葉を濁したヒカルは、アキラに気付かれないようにごくりと唾を飲み込んだ。 対局の時、何故気付かなかったのだろう。アキラの碁とさくらの碁は類似している。後半でも衰えない覇気、あの目つき…… 碁の内容だけではなく、碁盤に向かう佇まいまでもがそっくりだった。表情、口調、仕草……二人の性別が違っていなければ、まるきりコピー人間が出来ていたのではないかと空恐ろしくなるほど。 やはり血の繋がりというのは侮れないものなのだろうか。兄弟も年の近い従兄弟もいないヒカルは、その感覚がしっくり来なくて微かな寒気を感じた。 「まあ、さくらは父やボクの碁を見て育ったから。棋風が似ていてもおかしくはないな」 ヒカルの動揺に気づいていないアキラは、大したことではないというようにそう呟くと、微かに悪戯っぽくめ元を緩めた。 「でも、なかなか手ごわかっただろう? キミの手、いい手が多かった。本気でやったな」 「当たり前だろ、本気でやんねえとやられちまうよ」 「後半の応酬は見ていて興奮したよ。少し嫉妬してしまった」 「はあ? 誰に」 「さくらに」 さらりと不気味なことを言うアキラから思わず距離を取ると、ヒカルの失礼な態度に苦笑したアキラは弁解し始めた。 「だってキミ、最近はボクとの対局にすっかり慣れてしまって、あそこまで緊張を保っていることは少ないじゃないか。おまけに絶妙な手をばんばん打って……ボク相手でもあれくらい集中して欲しいものだよ」 「そ、そんなこと……ねえ、かな?」 ヒカルは眉を寄せて黒目を空に向けた。 確かにアキラとプライベートで打つようになってからそこそこ経って、最初の時ほど一局一局を特別に思わなくなっていたかもしれない。 しかし集中していないつもりはないのだが……ヒカルが納得いかずにうんうん唸っていると、アキラは軽く声をあげて笑う。 「次はボクの相手をしてくれ」 「わ、わーってるよ、ボコボコにしてやる」 「それは楽しみだ」 言葉通り楽しげに微笑むアキラの横顔を見て、ヒカルも頬を緩めた。 アキラの中の優先順位がさくらよりも上だということにひっそり喜びを感じながら、つい笑ってしまう顔をごまかそうとして大きく夜空を仰いだ。 *** 長引くと予想していたその日の対局は、意外にもあっさりした相手の投了で終局となり、上機嫌で時間を持て余したヒカルがどこかで退屈を紛らわせようとロビーまで降りてきた時。 見覚えのあるシルエットが、棋院に訪れたばかりなのだろうか、自動ドアの傍できょろきょろと首を動かしていた。 一瞬、塔矢と声をかけそうになったヒカルは口を押さえる。塔矢であるのは間違いないが、よく見ればそれはアキラではなくさくらだった。 遠目には髪型のせいでアキラにしか見えないが、近づいていけば体格の違いが違和感として表れてくる。現に、近くを通り過ぎる人が訝しげにさくらを振り返った。 これはちょっとした騒ぎになりそうだと判断したヒカルは、慌ててさくらに駆け寄った。 「おい……、――ちょっと」 名前を呼ぼうとして、自分がつい昨日会ったばかりの他人でしかないことを思い出し、ヒカルは言葉を濁す。それでも自分に声が向けられていることに気づいたのか、振り向いたさくらがヒカルを見てはっとした。 とりあえず「こんちは」と軽く頭を下げると、さくらも余所余所しく頭を下げ返してくる。変に恭しい二人の様子を、通りがかった人が奇妙な目で遠巻きに見つめていた。 この調子で知り合いでも通ったら、さくらについてあれこれと聞かれることは間違いない。ヒカルはひとまずさくらをこの場所から連れ出そうと決意した。 「あのさ、一人? ……何か用?」 まずはさくらがやって来た目的を聞こうと尋ねたのだが、ヒカルの不躾な物言いにさくらがむっとした顔を見せた。 「……一人だけど。何をしに来たか話す必要が?」 好戦的に返してきたさくらに、ヒカルもまた渋い顔を作った。 さくらの言い分は確かにもっともだが、こっちは気を遣って声をかけてやったのに――ヒカルは一方的に気分を害し、面白くない顔のままさくらに言い返した。 「そういうんじゃねえよ。お前、目立つんだよ。塔矢とそっくりじゃねえか。みんな変な顔してんだろ、気づけよ。塔矢に会いに来たのか? アイツ対局中だからまだ時間かかるぞ。それともなんだ、棋院見学か? だったら案内してやってもいいけど、じろじろ見られても知らないからな」 頭に血が昇った弾みでまくし立てたヒカルの言葉を受け、さくらは驚いたのか怒ったのか、一回り目を大きくして顔を赤らめた。 その様子にヒカルが思わず怯む。てっきり言い返してくるものと思い込んで、ついきつめの言葉を選んでしまったが……よくよく考えれば、相手は一度対局しただけでそれほど会話も交わしたことがない年下の女の子だった。 アキラと顔だけでなく佇まいも似ているせいか、同じ調子で突っかかってしまった。慌てて口を押さえたヒカルだが、さくらは言い返すどころか赤らめた顔を僅かに伏せる。 マズイ、これは危険信号だ――かつて幼馴染のあかりと喧嘩した時に見た、彼女が泣く一歩手前の様子とよく似た光景を前にして、ヒカルは焦って自らの暴言を取り繕い始めた。 「や、あ、あのさ、ここでも塔矢はちょっとした有名人なわけよ。そんで、お前ってかなり塔矢と似てるからさ……みんなちらちらこっち見てんだろ? な? だから一人でいると面倒なこともあるかもと思って……べ、別に俺怒ってるわけじゃないからな?」 なんとかフォローしようと背中を丸めてさくらの顔色を伺っている間にも、少しずつさくらに気づいた人々がロビーに集まり始めた。 こんなところで更にさくらに泣かれたら、どんな噂に巻き込まれるか分からない――ヒカルはその場で事態を改善することを諦め、ごめんと一声かけてさくらの腕を掴んだ。 彼女の意思も確認しないまま腕を引き、棋院の外へ逃げ出したヒカルを、ロビーに集まった人たちがざわざわと話題にし始めていた。 |
ああ、なんだか全体的に恥ずかしい……。
むずむずしながら書いていました。