結局どちらも譲らなかったヒカルとアキラを引き連れて、夏目は囲碁部室までの道のりを案内することになっていた。 ヒカルは夏目のすぐ後をしゃきしゃきと歩くアキラから数歩下がって、その後姿を憎々し気に睨みつけながらずんずんと歩く。 (コイツ、超猫っかぶりじゃねえか!) 大人しくて優しいクラス委員長と評判のくせに、あれだけの勢いで怒鳴り返してくるなんて。おまけに遠慮ってもんがねえ! ――ヒカルはやっぱりコイツは嫌いだ、と口唇を尖らせた。 一方アキラも、背後からひしひしと感じる不穏な気配に眉を顰めて不機嫌な顔を隠せずにいた。 (なんて自分勝手な男なんだ!) 日頃から粗野で乱暴と噂は聞いていたが、自分には関係ないはずの問題にもしゃしゃり出てくるだなんて。どうせ野次馬根性に違いない――アキラは苦々しく口唇を噛む。 思わず我を忘れてはしたなくも怒鳴り声を上げてしまった。こんなヤツにペースを狂わされるだなんて、とアキラのプライドが悔しそうに炎を揺らした。 (なんとしてもボクが解決してみせる!) すでに自分こそが意地の張り合いに参戦していることなど気付かず、アキラは勇んで夏目の後をついていった。 学生寮から休日の学校へと短い距離を移動してきた三人は、廊下を進みながらぽつぽつと会話を交わす。 「幽霊が現れたというのはいつから?」 アキラの問いに、夏目は後ろを軽く振り返りながら答えた。 「今月に入ってからだよ。入部予定だった新入生が見たんだ」 「見たのは新入生だけ?」 「うん。入部希望者が二人いたんだけど……」 夏目が言うには、昨年度で三年生が卒業してしまい、現在囲碁部の部員は夏目一人。待望の入部希望者の来訪に喜び、顧問の教師を呼びに行っている間に新入生二人が幽霊を見たというのだ。 まさかそんなはずが、とその日は見間違いだろうと言うことで話は終わったのだが、翌週、夏目がホームルームの延長で遅れて部室にやってきた時、やはり幽霊が出たと新入生たちが飛び出して行くところだった。そんなことが三度ほどあったというのだ。 「三人以上部員がいないと部としては認められないから、二人がこのまま辞めちゃったら囲碁部が潰れちゃうんだ……」 夏目は肩を落としながら告げた。 不運にも怖がりだった新入生二人は、囲碁部を辞めると訴えてきたらしい。彼らの入部が囲碁部存続のキーポイントとなると、なんとしても引き止めたい夏目の気持ちも分かるような気がすると、ヒカルとアキラはそれぞれ頷いた。 「幽霊騒ぎが解決して、そのことを塔矢くんから二人に説明してもらえれば、きっと二人も考え直してくれるんじゃないかと思うんだ……」 言いかけた夏目は、前方を見てはっと動きを止めた。 向かっていた先のある教室から、二人の生徒が出て行こうとしているようだった。突然焦ったように走り出した夏目を追って、訳が分からぬままヒカルとアキラも走り出す。 「矢部くん! 岡村くん!」 どうやら彼らの名前を呼んだ夏目を、二人が振り返る。そして遠目からでも分かる気まずそうな表情でお互いに顔を見合わせた。 夏目と共に二人の元へやってきたヒカルは、彼らが出てきたばかりの教室を見上げて首を傾げた。 ――理科室……? 音もなく口唇だけで教室の名前を読み上げ、ヒカルは再び逆方向へ首を傾げる。 夏目は理科室から出てきた二人に慌てた様子で話しかけた。 「ど、どうしたの? 今日は部活は休みだけど……」 二人のうちの一人が申し訳なさそうな渋い表情で夏目を見上げ、ぼそりと口を開く。 「……今日は、退部届を出しに来ました」 「ええっ!?」 夏目の大声に、思わずヒカルとアキラは顔を見合わせた。が、視線の先に映る顔がついさっき大声で言い合った相手だと気付き、すぐにツンとそっぽを向く。 夏目は縋るようにもう一人の生徒を見た。すると彼も、恐々と、しかし表情の割にはきっぱりと告げた。 「そんなに囲碁やりたいわけじゃねえし。俺ら、将棋部入ることにしたんで……」 「そ、そんな、ちょっと待って! 幽霊ならホラ、塔矢くんが何とかしてくれるって来てくれたんだよ!」 夏目がふいに手のひらをアキラに向けて、突然話題に引っ張り出されたアキラは驚きに少し目を丸くし、存在を無視されたヒカルは苦々しく顔を歪めた。 二人の新入生は、アキラを見て少しだけ戸惑うような顔になったが、それでも決心は固かったらしく、すいませんと一言残して夏目の脇をすり抜けた。 「あ、矢部くん、岡村くん!」 夏目の制止も聞かずに二人は走り去る。怯えたように何度か振り返りながら、逃走、という表現がぴったり来るような立ち去り方だった。 彼らに声をかけた格好のまま動きを止めていた夏目が、いよいよ二人の姿が見えなくなってがっくりと肩を落とした。 「おい、夏目……」 落胆する夏目にヒカルがそっと声をかけると、夏目は顔を上げて無理に泣き笑いのような顔を作った。 「……せっかくここまで来てもらったのに、ごめんね。無駄になっちゃったよ」 「夏目」 「二人が辞めちゃったんならどうしようもないからなあ……」 すっかり悟りを開いたような表情を浮かべる夏目に対し、ヒカルは苛立たしく詰め寄った。 「おい、まだ幽霊のことは解決してないだろ?」 「で、でも、どっちみち部活が潰れるんじゃ……」 「だからってほっとくのかよ! 大体ここ理科室じゃん、まさかここが部室なのか?」 ヒカルは再び教室の扉を見上げ、取り付けられている「理科室」の表示に眉を顰める。 ああ、と夏目は頷き、観念したように理科室の扉を開きながら、二人を先導するように中に入った。 「人数が少なかったから、部室としてきちんとした場所はもらってなくて。いつも理科室で打ってたんだ」 夏目に続いて理科室に入ったヒカルとアキラは、ぐるりと教室を見渡した。 なんのことはない、普段授業で見慣れている教室の様子そのままである。今日はよく晴れていて、窓から燦々と太陽の暖かい光が差し込んでいる景色は、とても幽霊が出るような雰囲気ではない。 夏目は教室後部の棚に近づき、なにやらガラス戸を開けた。恐らく部活動に使っている場所なのだろう、そこに無造作に置かれていた用紙を手に取り、ため息をついている。 アキラが後ろから覗き込むと、それは先ほどの二人が置いていったのだろう退部届だった。 いたたまれない気持ちになったアキラは、静かに労わるような声をかけた。 「夏目くん……あまり気を落とさないで。無事に解決したら、もう一度説得してみるといい。ボクも力を貸そう」 「塔矢くん……」 夏目は小さくありがとう、と告げ、でも、と続けた。 「ダメなんだ。五月の頭には予算編成があるから、それまでに部員が確定していないと間に合わないんだよ。もうあんまり日がないし……彼らも、戻ってきてくれるような雰囲気じゃなかったしね……」 「そうか……」 アキラと夏目が神妙な顔つきで話している間に、ヒカルは理科室中を探るように端から端まで動き回り、カーテンの裏をめくったり、実験台の下を覗き込んだりしている。 普段の授業中からは想像もつかない真剣な様子に思わずアキラは呆れてしまったが、何か話しかければ怒鳴られるだろうことは予想がついたので、そのまま放っておいた。 忙しなく動いているヒカルを尻目に、アキラは改めて理科室を見渡し、冷静に状況を分析する。 「夏目くん。幽霊というのは、どこに出たんだ?」 アキラの問いかけに、夏目は少し考えるような素振りを見せて、窓のほうを指差した。 「ボクは見ていないからはっきりとは分からないけど……最初は、あの窓枠がガタガタ揺れて変な声がしたって聞いたよ」 「窓枠……」 小さく呟いたアキラは、そのまま窓に近寄り、夏目が指差した窓に触れた。鍵を外してカラカラと引き、念のため顔を出して外の様子も確かめる。 ちょうど校舎の裏側に当たるこの場所は、人気は少ないが誰にでも出入りできる。見下ろせば、地面から窓までの距離は一メートルといったところだろうか。 (……屈めば充分人が隠れられる高さだ) アキラは頷き、静かに窓を閉めて、再び夏目を振り返った。 「それで、二度目の幽霊というのは?」 「二度目は……確か、そこのロッカーがガタガタ揺れてまた変な声がしたって」 「ロッカー、か……」 夏目が指差したロッカーに近づいたアキラは、躊躇なくドアを開く。掃除用具が押し込められているロッカーはほんのりカビ臭く、思わず顔を顰めてから、簡単に中を確認した。 (掃除用具さえ避けてしまえば、人一人隠れるくらい問題ないサイズだ) 何かを確信したように何度か頷いたアキラは、くるりと夏目を振り向いて、穏やかな微笑を見せた。 「夏目くん。少し調べたら解決しそうだよ。さっきの二人にも話を聞きたいから、クラスを教えてもらえるかい?」 「え? か、解決する……?」 「まだ確定した訳ではないけどね」 自信ありげに笑ったアキラは、ふと先ほどまで視界の端でちょろちょろと動き回っていたヒカルが大人しくなっていることに気付き、目を向けた。 ヒカルは理科室後方に置かれている、随分古ぼけた碁盤を見下ろしてじっと佇んでいた。 |
あまり深く考えも無しに理科室にしてしまいました。
今回はちょこちょこっと原作設定を借りつつなので
「?」ってなるところが多かったらごめんなさい……
しかしこいつら高校生っぽくないなあ……