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『よせばいいのに』 【No.1972】 2026年03月04日
3月4日 昨夜からの「ラジオ深夜便」。午前4時5分からは「五木寛之のラジオ千夜一話」で「昭和の名曲ムードコーラスA」。その一曲目に流れたのが「三浦弘とハニーシックス」の 『よせばいいのに』。――久しぶりに聴いた私のテーマソング。ただ「敏いとうとハッピー&ブルー」じゃなかった、ちょっとビックリ! 「よせばいいのに」と自虐的な言葉を口にしているのは女性。男性優位の昭和時代の歌だと五木さんは言う。しばし私の昭和50年代をたどった。
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おついたち 【No.1971】 2026年03月03日
3月1日 菅原澄子さんからのメール
行きつけの青果店のお母さんが「明日はお朔日(オツイタチ)だね。昔は、みなさんたくさん買い物して馳走作りお供えしてたのに今はやらないね」と寂しそうでした。お朔日 心に響くいい言葉ですね。自然を大切にし感謝したいものです。💚♪ そんなわけで、朔日は朝早くから庭の榊を切り神棚に供え、仏壇や他の花々もきれいに活けたりしました。料理の下ごしらえもかなりやりました。路地ものの小松菜、まさに旬の味。冬の寒さで甘みが増す。ふっくらと柔らかい美味しいおひたしとなりました。四季の恵みに感謝です。先生これからもお元気でお過ごしください。
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・・・ ・・・ 【No.1970】 2026年03月02日
3月1日 ミサイルによる狙った建物の爆破の映像。建物の中の人間は死傷している……。そして「作戦は成功、『力による平和』を続ける」と言う人の顔。
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揃い踏み 【No.1969】 2026年02月25日
2月24日 明日は本格的な雨の予報。それで午後2時頃から畑のむしった草の寄せ集めを始めた。するといつの間にか雌のジョウビタキが後ろに来ている。そして尾を振りお辞儀をするような動作。昨日のこの日記を読み、来てくれた? そして左前方にはツグミも。「両者が一緒に来てくれたらと」とも書いたので「揃い踏み」をしてくれたのだ。嬉しかった。 耕せば冬鳥の二羽寄りて来る
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春陽差す 【No.1968】 2026年02月23日
2月22日 春のような気候に誘われて畑仕事を2時間ほど。取り残した大根を抜き、里芋を掘る。するとどこからともなくツグミが飛来。畑に黒い土が見えると地中から出た小虫を拾いに来るのだ。 ツグミは尉鶲と同じで人を恐れない「人懐こい」鳥だ。今日も2mくらいまで近寄ってくる。体長は20pくらいか。近くだからよく観察できる。翼は赤茶色、胸に黒い斑紋、白い眉が目立つ。同じ行動する尉鶲は現れない。両者が一緒に来てくれたらと思うが、体の大きさからすればそれは無理だろうな。 引き抜きし大根の穴春陽差す
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涙 【No.1967】 2026年02月19日
2月18日 オリンピック・フィギュアスケートのペア「りくりゅう」を観た。ショートでの失敗に涙の「りゅう」。そして、5位から大逆転で金に男泣き。何度もそのシーンを見ながら思ったことがある。彼のあの涙は何の涙なんだろうと。安堵感、「りく」を始め今まで支えてくれた人たちへの思い、演技完遂の喜び、金メダルへの感涙など、それら全てがあの涙なのだと思った。去年の大谷選手、そして今年は「りくりゅう」の活躍を見ることができた。生きていて良かった。
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雪 【No.1966】 2026年02月10日
2月9日 積もった雪はほとんど消えたが道路は凍結。今日は三か月定期検診の日。道の混雑を予想して1時間早く出た。病院は246を使わなければ行けない。その246に何とか乗れたのだがのろのろ運転。対向車線の渋滞は悲惨な状況。完全に止まっている。大型車が多いのは東名と新東名が走れないからだ。高知ナンバーのトララックを見た。 勝手知った裏通りを走り何とかたどり着いた病院は、普段のその時間帯にしては異様に空いている。渋滞で来られない? 雪の影響でキャンセル? いつもならば、採血X線検査など終え問診を待つ時間は 2時間ほどだが、今日は30分で呼ばれた。担当のN先生が「よく来たね。ご苦労様」と慰めてくれた。 帰りの道は246を避け「ちょっと冒険だが弘法山越えで」と子は言う。路面の雪はほとんど消えていたが、ところどころ凍結していた。 登っている間は対向車は一台もなかった。道の最高地点で西に目をやると、秦野の市街の奥に富士が見えた。雪道のドライブを楽しんだ? 定期検診。 裏の畑からに子供たちのはしゃいだ声が届く。日陰にまだかなり残っている雪で遊んでいるのだ。そっと覗いてみたら五、六人いた。雪と遊ぶ子供たち姿は大人を喜ばせる。たまには雪もイイのでは。
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「竹の子」創設16周年 寺山の積雪は10p 【No.1965】 2026年02月08日
2月8日 昼少し前、神奈川県西部に大雪警報の発令。ウチの庭の積雪量は10pほど。期日前投票をしていてよかった。子から、家から出るな、転倒に気をつけよ、と警告の電話。 こんな雪は何年ぶりだろう。その雪景色に触発され?大学同期の尾花沢のSさんに電話をした。今の雪は2メートルほどとか。片流れの屋根だから雪下ろしはしないらしい。だが「《雪掘り》が大変。オレ、腰を痛くして。家内が頑張ってくれているが… よその人の力がなくてはとても無理。だけど周りも年寄りばかり。なかなか頼めないよ」。 彼の言う《雪掘り》という言葉は新潟や山形で使われる生活言葉。文字通り《家を掘り起こす》で、雪に埋もれた玄関や道を「掘り進める」こと。彼の家は一階がガレージ、二階に玄関がある三階建て。雪が積もってもダイジョーブと言っていたが、玄関から道に降りるためには《雪掘り》をしなければいけないのだろう。だが昔と変わらぬ土地言葉で、明るく話すSさんに雪国の人のたくましさを感じた。 雪しまく最上の山河飲み込みて
2月7日 秦野地方に伝わる民話「目一つ小僧」と秦野の民俗行事「トッケダンゴ」を紙芝居で後世に伝えようとする「チーム竹の子(会員はIさん、Sさんと私の3人)」が創設16周年を迎えた。それでささやかな祝賀会を和食料理店で開いた。 「竹の子」の紙芝居はどんど焼きに関わるものなので出番は12月から1月の半ばに限られる。子供会、小学校、自治会、婦人会、長寿会、公民館などからの依頼で年間5回程度公演してきた。上演の思い出は2017年12月に秦野市表丹沢野外活動センターで行われた一市四町一村(秦野市・二宮町・大井町・松田町・中井町・清川村)の青少年交流キャンプでの公演。観客を3グループに分け45分の公演を三回行ったこと。紙芝居について、紙芝居文化推進協議会副会長木口さんに紙芝居絵の特徴や読み方のコツなどを学んだことも記憶に残っている。 これからの課題は、紙芝居の第三編「道祖神さんって誰? 道祖神の源流は」の完成とその上演。絵はすでに描きあがった。後はストーリーの構成。この第三編は少し学術的に語らなければいけなくなるので、そのことについてこの席でも話し合った。 会が終わり店を出たら銀世界、「雪は豊年の瑞」とか。「チーム竹の子」はこれからも皮を一枚ずつ脱いで伸びる。 ほんとは、この会は明日8日に持ちたかった。2月8日は「こと始め」の日だから。
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鬼の宿 【No.1964】 2026年02月03日
二月三日、今日は「節分」、豆まきの日、私たちは「福は内 鬼は外」と鬼を追い出す。追い出された鬼はどこに行くのだろうか。その追い出された鬼たちに宿を貸す家がある。 東京の小平市の青梅街道沿いにある小川町の小山家では,昔から節分の日に《鬼の宿》という行事が行われている。《鬼の宿》とは,節分の日に他家から追い出された鬼を泊めてやるという行事。 今から百三十年ほど前の安政年間から始められたようだ。小山家では、お正月のお飾りに“オスイゼンサマ(竹を細かく割いてすだれのように編んだもの)”を作り、かまどの横に飾る。このオスイゼンサマが節分の日の《鬼の宿》になる。 節分の日、他家で豆まきが始まる前の夕方五時ごろ,小豆ご飯を桟俵(サンダワラ)に盛りオスイゼンサマに供え、お神酒とお灯明も上げる。やがて、方々から追い出された鬼たちがこの宿に逃げ込んで来る。そしてオスイゼンサマで休む。夜の丑三つ時、この宿の年男は,絶対に誰にも見られないように用心しながら鬼を四辻まで送っていく。そのとき、桟俵の小豆のご飯にお神酒をかけて持っていき四つ辻においてくる。鬼たちに持たせるお土産だ。帰るときは決して振り返ってはいけない。 小川家の当主の言葉「真夜中でも車が走っているので、お送りするのに大変気を使います。親からの言い伝えで宿をやって私で四代目。追い出された鬼でも助けてやらなければ…。お蔭で代々幸せに暮らさせてもらっています」。(新聞教育の仲間・田村敏雄さんが話してくれた話です) れ
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年越しの行事終了 【No.1963】 2026年02月02日
1月31日 我が家ではこの日が正月の神具を下ろす「お棚納め」。夕方、家の中の六カ所の神仏に燈明を灯しご飯を供える。これで年越しの行事は終了。
今年の我が家の年越し行事 12月30日 「一夜(いちや)飾りはいけない」と子供のころから言い聞かされていたで、この日は“松飾り”と掃除で暮れた。輪飾りを、神棚、仏壇、ガステーブル、水道、風呂、トイレ、物置、車庫など20カ所に飾る。墓所にも、清水の久奈斗大神にも飾る。 12月31日 庭の片づけがすべて済んだら、畑で「ひとがた」のをお焚き上げ。年越しの夜は、家の中の六カ所の神仏に燈明を灯し、お神酒と年越し蕎麦を供える。 1月1日 午前5時、「開きの方(今年は南南東)」である玄関を開ける。そして燈明と雑煮とを前夜と同じ神仏えるのが年男(私)の勤め。朝食の後、神棚、仏壇など三カ所に鏡餅を供える。三箇日の夕食は炊きたてのご飯になる。 1月2日 父母が達者な頃は親戚が集まり“お年始”を開いていた。その日は女性が全員台所に立ち太巻き寿司を巻いた。私も太巻きは巻ける。 1月7日 七草 6日の夕方、神棚に七草を供える。そして「七草なずな唐土の鳥が」と唱える。翌朝、餅の入った七草粥を神棚や仏壇に供える。 1月11日 蔵開き 鏡餅を割っておしるこで食べる。 1月14日 ダンゴ焼キ
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実朝忌 【No.1962】 2026年01月28日
1月27日 源実朝公の忌日(1297年1月27日没)。 実朝公の御首の菩提寺である金剛寺(秦野市東田原)に詣でられた戸口さんの来訪。この日だけ売られる笹竜胆の焼き印のある「実朝まんじゅう」(北原堂)を頂く。実朝公の歌「時により すぐれば民の なげきなり 八大龍王 雨やめたまへ」を記したお手製の栞も添えられていた。
香煙のからむ公孫樹や実朝忌 勝美
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なづな 【No.1961】 2026年01月27日
1月27日 畑に取り残していた大根を抜きに行った。畑のあちこちにナズナが背伸びして、もう小さな白い花をつけていた。さらにホトケノザの紅紫の花も。春は近い。
くさのなは なづなよなづな はなのさく 野出園蜩 回文(上から読んでも下から読んでも) の名作
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bigエコー 【No.1960】 2026年01月26日
Iさんから電話で「返ってきたbigエコー」。426号を読みどうしても声で「エコー」をしたくなったから、とのこと。「道祖神ワンダーワールドの講座、これからも続けて欲しい、止めちゃあ駄目です」と、ありがたい言葉。 そして「働いて働いて」から、戦時中の歌「月月火水木金金」とその替え歌のことを書いた「にっきの記」の中で替え歌の歌詞が思い出せない言った。Iさんはその替え歌を電話で聞かせてくれた。さらに「めんこい仔馬」替え歌も歌ってくれた。朗々と歌うIさんに合わせ私も…。
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嬉しいメール 「大磯の左義長」に行って来ました 【No.1959】 2026年01月19日
1月18日に届いた嬉しいメール
こんにちは。先生が道祖神講座でお話されていた「大磯の左義長」に行って来ました。圧倒的な火のパワーを存分に浴びてきました。始まる前、地元ベテランガイドさんが2時間かけ周辺地区の案内をしてくれて予備知識を深くすることができました。先生が教えてくださった「目ひとつ小僧」の話や道祖神はこの祭りのときは浜に運ばれご不在なこと知りました。その後セエトバレエを一望できるタワーから9つの大きな斎灯を眺めました。 6時半 いよいよ点火です。火は徐々に大きくなって火の粉を上に上に舞い上がらせます。風がなく比較的暖かな日でしたが、それでも火の周りは暖かくほっとします。火が収まってくると、団子を持った人たちは火の恵みで団子を焼いていました。 楽しみにしていたヤンナゴッコ。長老の唄を聞きました。裸の若者が御輿のような橇に乗り沢山の人に曳かれていきました。 道の神様 海の神様 火の神様 地の神様 沢山の神様に護られているから、小さな小さな人間は頑張れるのだ、そんなことを感じた日でした。 TM
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今朝の庭 【No.1958】 2026年01月18日
1月18日 陽だまりの梅の古木はかなり開花。十カ所ほどある水仙の群落は芳香を豊かに漂わせている。侘助は薄紅、深紅の藪椿、大島椿は一輪だけ白い花を葉陰に。蕾がいっぱいの山茶花はまだまだ咲き続けるだろう。ヒヨドリは南天、万両の赤い実をまだついばまない。千両の実はほとんど消えている。ヤツデの白い花も目を引く。畑には摘み残したナバナすっと背伸びして黄の花を咲かせている。 ・蝋梅は隣家にありて吾に咲く 訪れる野鳥はメジロ、ヒヨドリ、キジバト、シジュウカラ、モズ、スズメ。そして好奇心の強いジョウビタキ、人怖じしないハクセキレイ。この冬は餌を求め庭を歩き回るツグミを身近に見ることができている。
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どんど焼き 【No.1957】 2026年01月12日
1月10日 東公民館事業の「日本の道祖神祭り」の講座。定員20名のところ28名もの受講者。東京からの出席は西中時代の教え子。40年ぶりの再会! 感激だった。「目一つ小僧」「トッケダンゴ」紙芝居を見たいと3名の小学生の参加に上演者の伊東さんと関さんのボルテージが上がり上々の出来。 講座の冒頭 新しき(あらたしき)年の初めに思ふどち い群れて居れば嬉しくもあるか 道祖王(ふなどのおほきみ) (万葉集19巻) を引用し、受講者の皆さんに感謝と喜びを伝えた。 この講座の資料はA4判・26Pのオールカラー版。過去10数回「道祖神の講座」を開いてきたがカラー版資料は初めて。東公民館さん ありがとうございました。 私の話はこの日も《尻切れトンボ》。用意した「道」の字源に触れられなかった。この日は妻も助手として登壇。 夜8時から明日のどんど焼き・トッケダンゴのダンゴづくり。
1月11日 「丹沢の大倉尾根で山火事が発生した」との情報をもって自治会長さんが「ダンゴ焼きはこの強風のため中止。しょうがねえよね」と伝えに来てくれた。夕食前ダンゴをレンジで焼き、神仏へ供え家族で食べた。
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松引き 【No.1956】 2026年01月09日
1月8日 「松引の日」。神棚の松飾りを下ろす。午後二時過ぎ、10人ほどの子どもたちが飾りを集めに来てくれた。二人の若いお母さんが付き添い。この子どもたちの行事を「松引き」という。集められた正月飾りは、11日のどんど焼きでお焚き上げされる。松引きに併せ子どもたちから「道祖神 清水」の御札を頂く。御札は子どもたちが木版刷りで作ったもの。 この版木は100年ほどの歴史あるだろう。というのは、御札に押されている御朱印は「秦野自動車印」とある。「秦野自動車」は大正9年(1920年)に設立された乗合自動車会社。道祖神(道の神)に乗合自動車会社を組み合わせた御札こそまさに「道祖神」だ。 1月7日 七草粥を天津神・国津神(大国さん・恵比寿さん)・荒神・道祖神、ご先祖さんに供える。 1月6日 明日は「七草」。我が家では七草を燈明を灯し年神様に一晩お預けする。
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去年今年 【No.1955】 2026年01月04日
生かされて89年去年今年
令和7年12月31日 大晦日 ・明日のお雑煮に使う里芋を掘る。そして《芋コジ》 ・年越しそばを食べ、「年寄りは早く寝ろよと歌合戦」 令和8年1月1日 ・5時起床。まず玄関のドアを大きく開ける。今年の《歳徳神・明きの方》は南南東。 ・そして今年も年男を務める。三が日の朝夕の食事を家内神と仏壇の6カ所に供える。 ・7時41分にメールの賀状「新年そうそうおめでたいことです。広報はだの1月1日号に武先生のお名前を発見。おめでとうございます」明美 ・「エコー」435号発行。ホームページ更新 AIで作った富士山の写真をアップ。フミフミさんが描い私の似顔絵など 見てもらいたい。 1月2日 ・3位で受けたタスキを19番で渡さなければならなかった選手の心を思う。 ・年賀状の返信を書く 1月3日 ・今年も二宮町山西の道祖神さんと駅伝の応援。箱根駅伝の応援に出かけるようになったのは《カッシー》と呼ばれる選手が現れてからだ。
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目白 【No.1954】 2025年12月29日
12月28日 初秋、ひっそりと旅立っていったYさんの霊に線香を手向けた。 祭壇のまわりには十点ほどの絵画が安置されており、そのうちの一点は、生前に私が評を求められた作品だった。その絵を前に立つと、Yさんとのやり取りがふっとよみがえり、懐かしさが広がった。 帰宅して別棟へ向かうと、軒下に一羽の目白が横たわっていた。そっと触れてみたが、もう動かない。温もりを失った小さな体に触れ、なぜか胸がきゅっと締めつけられた。磨き上げたガラス戸に映る季節の光。その透明な壁に気づかず、飛び込んでしまった命。この出来事をYさんが訪ねてきてくれた、と受け止めた。
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新聞づくり 修了 【No.1953】 2025年12月21日
12月20日 秦野市教育委員会による「令和7年度教育功労者等表彰式」で感謝状を受賞。 会場で受賞者、野田学・大森智・武政志前校長先生、北中学校田中理絵子校長先生、山田吉郎さん、長谷川敏子さんさんらと親しく言葉を交わすことが出来嬉しかった。野田さんは鶴巻中での同僚、大森さんは西中、武さんは東中での教え子。前田夕暮の研究者であり歌人でもある山田さんも東中での教え子。田中さんは『東中新聞』の指導でお付き合いさせてもらった。長谷川さんは東中のPTA広報委員としてで活躍された方。 ◇感謝状の文面 武勝美殿 あなたは多年にわたり秦野市立東公民館において家族新聞作り講座の指導にあたり生活文化の向上のために尽力されました よってここに深くその感謝の意を表します 令和七年十二月二十日 秦野市教育委員会
平成13年から令和6年まで22年間(途中コロナ禍で2年休み) 家族新聞作り講座を開いてきた。この受賞で私の「新聞づくり」は《修了》。
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幕引き 【No.1952】 2025年12月15日
12月13日 1;30pm〜3;30pmで鶴巻公民館の「日本の道祖神祭り」講座。受講者は6人。今年で7回を数える道祖神ワンダーワールド講座だが過去最小の講座。鶴巻は水田の広がる地域だったが今はベッドタウン。どんど焼きの煙もあまり上がらない町になった。 講座参加者のアンケートを読ませてもらった。「小学校3年の孫がいる。ぜひ小学校で紙芝居を披露してほしい」「まさに古事記からワンダーワールドの世界でした」「大磯の左義長を見に行きたくなりました。漢字の語源の話、興味深かったです」「毎回 新しい話が聴ける。すばらしい」など嬉しい、励ましの言葉を散見。これらの言葉をはなむけとして頂き《幕引き》をする。
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12月8日 【No.1951】 2025年12月09日
12月8日は太平洋戦争開戦の日。それにまつわる話。(11月30日の講演「私の昭和愛唱歌」の一曲「里の秋」の話)
唱歌「里の秋」の元歌は「星月夜」。星月夜は昭和16年12月の太平洋戦争の勃発直後に斎藤信夫によって作られた詩。抒情的な1、2番と3、4番の詩の乖離。この詩は戦意高揚の「少年軍歌」だった。 星月夜 1 しずかなしずかな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は ああ かあさんとただ二人 栗の実煮てますいろりばた 2 明るい明るい星の空 鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は ああ とうさんのあの笑顔 栗の実食べてはおもいだす 3 きれいなきれいな椰子の島 しっかり守ってくださいと ああ とうさんのご武運を 今夜もひとりで祈ります 4 大きく大きくなったなら 兵隊さんだようれしいな ねえ かあさんよ僕だって かならずお国をまもります この「星月夜」は、昭和20年作曲家海沼實によって次の詞が補作され、そして「里の秋」と改題された。(星月夜の3、4番は消える) 3 さよならさよなら椰子の島 お船に揺られて帰えられる ああ とうさんよ御無事でと 今夜もかあさんと祈ります 「里の秋」は小学校の音楽の教科書に採り入れられ、2007年(平成19年)に 「親子で歌いつごう 日本の歌百選」に選定された楽曲の一つ。
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流行語大賞 【No.1950】 2025年12月02日
今年の流行語大賞は高市総理の「働いて働いて働いて働いてまいります」。この言葉に出合った時、戦時中の軍歌が浮かんできた。「働いて働いて」は総理としての覚悟らしいが、『月月火水木金金』と重なる私には過労社会・休みのない国づくりを連想させる言葉だった。「働く」は「はた(周り)を楽にすること」だと言う人がいる。だが「働いて働いて」だけでは、休むこと・楽しむこと・支え合うことが軽視され、結果的には不安定な社会になってしまう恐れがある。 「働いて働いて働いて」は流行語大賞であって、現実の生活の中で〈流行させたい語〉にならないことを願う。 『月月火水木金金』の歌詞「朝だ夜明けだ 潮の息吹き うんと吸い込む あかがね色の 胸に若さの漲る誇り 海の男の艦隊勤務 月月火水木金金」。 子供のころ(戦時中)の記憶に、この歌の替え歌がある。「朝だ四時半だ お弁当持って (この後の詞は記憶にない。そして) 月月火水木金金」
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昭和愛唱歌 【No.1949】 2025年12月01日
11月30日 本町公民館で開かれた40人ほどの女性の集まりで講演をした。 演題は「戦後80年・戦争と平和を考える」。サブタイトルは「私の昭和愛唱歌」。次の歌をアカペラで歌いながら、太平洋戦争と戦中・戦後の暮らしについて話した。 もずが枯れ木で(S10) めんこい仔馬(S15) 船頭さん(S16) 星月夜(S16) 里の秋 (S20) かえり船(S21) 岸壁の母(S29) 原爆許すまじ(S29) 高校三年生(S38) 戦争を知らない子供たち(S45) 一本の鉛筆(S49) 美空ひばり 音痴な歌声に耐え兼ねた何人かが、途中から唱和してくれた。それで良い講演会になった?と思った。
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これが「アラフィー」ビュゥティ7 【No.1948】 2025年11月24日
11月22日 「ビュゥティ7」の一足早い忘年会?に参加。その席での7人の近況報告は、 「50歳になっちゃった。10年で還暦、怖い。」とIMさん。Tさんも同じ歳だから同感だった。「還暦なんて意識しないでアラフィーを意識して生きたら」と私。すると二人は「還暦の年に先生は百寿、一緒にお祝いをしましょう」と言う。IMさんは誕生日に二人の息子から貰った50本のアイスバーをスマホで見せた。Tさんの誕生日は「この日一日は全く一人の一日」。日帰り温泉に行き湯上りの生ビール、そのあとは一人カラオケ。パートで入った職場での必要性から簿記の検定試験を受け合格したとも報告。 I Tさんは娘さんの転職のことで少し苦労したようだった。自分も新たな生き方をしたいと市のスポーツ審議会委員に立候補して就任。 Nさんがスマホにアップしている高校生の娘さんに持たせるお弁当の写真を見せてくれた。娘さんは陸上競技をしているので、栄養摂取も考えながらも可愛らしいきれいな弁当を毎朝作っている。Snow Man の「推し活」を始め 来年一月に東京ドームで開かれるコンサートのチケットが幸運にも手に入った。今からその日のために体調を整えているとニコニコ。推し活と言えばIMさんはK - POP 。狭山で行われたのコンサートに出かけたと言う。推し活にはまったのはコロナで外出ができなくなり YouTubeで出合ったことが始まりらしい。 HMさんは相変わらずトリプルワーク。娘さんのAOでの大学受験の結果が気になっていると言う。 職場で中間管理職的な立ち位置になり人との関わりに心を砕いているらしいMさん。和太鼓の会の代表としても会の運営に関わっているで24日に横浜で行われる「かながわの太鼓」に出演と《元気印》は健在。 出席できなかったHFさんはイラストレイターを目指して頑張っているらしい。 この夜の宴は、アラフィー(around fifty)の7人がそれぞれの勤労(暮らし)に感謝する会でもあった。
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午前五時から楽しいことが 【No.1947】 2025年11月21日
11月20日 「今日一日、何か楽しいことがあればいいですね」。これはラジオ深夜便のアンカーが番組のシメに用いるフレーズ。 毎朝午前五時に起床、そして靴下を履くのだが、右足の腰と膝が不自由で難行。妻も同じ。それを知った長男が「ソックスエイド」という靴下を座ったまま履ける介護補助具を持ってきた。早速試してみる。靴下をその器具にセッティングし紐を引くと、瞬時に靴下はふくらはぎまで上がってくる。面白い、楽しい、ありがたい。普通に履ける左足でも楽しんだ。 これからは、毎日午前五時に楽しいことに出合える。考案した人に感謝。そして長男にも。
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北公民館で初めての「日本の道祖神祭り」の講座 【No.1946】 2025年11月17日
11月15日 1時半から北公民館で「日本の道祖神祭り」の講座。北公民館では初めての開催ということで、担当の泉さんと山本館長さんの頑張ってくださり定員20をオーバーする23名の出席者。こちら「チーム竹の子」の 伊東さん・関さんと私の三人が加わり、会場は満杯の28名。鶴巻・渋沢・西・本町など北地区外の方たち、道しるべの会、歴史おこしの会、観光ボランティアの会からの参加もあった。 講座は紙芝居「目一つ小僧(公演・伊東)」をプロローグとし、途中「秦野の道祖神祭り・トッケダンゴ(公演・関)」で中盤を盛り上げた。 2時間の講座を終え質問タイム。3人の手が挙がった。一人は「トッケダンゴ」の体験談とダンゴ焼きの招き太鼓のリズムのこと。二人目の質問は「6年生になりダンゴ焼きの大将やることになっていたのに、学校の先生からダンゴ焼きを止めさせられた。マッカーサーの命令だと聞いたけど本当ですか」。三人目は女性から、講座で話した左義長の語源である【毬杖(ぎっちょう)】と【左ギッチョ(左利き)】との関連性について。こんな質問や声が出たことは私の今日の話は興味を持って聞いてもらえたのでは、と安堵した。
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聴かなければ深まらない 【No.1945】 2025年11月12日
11月11日 テレビで国会中継を観た。防衛装備が市内に置かれるというので、住民が「その説明会を開いて欲しいという願いがある」という質問がなされた。それに対する答弁。総理は県知事と市長に丁寧に説明をしている。担当大臣は「防衛庁のホームページで丁寧に説明している。出先機関にそのことについての相談の窓口を設けた。だから住民への説明会は持たない」。
20年ほど前、NTTドコモはこんなキャッチコピーを作った「二番目にいいことは声を聞くことです」。「一番いいのは会って、顔見て、話をすること。だけど無理なら電話で会おう、話をしよう」と。JR東日本が東日本大震災の後の2014年4月28日に新聞に出した広告のキャッチコピーは「行くぜ、東北。メールじゃ会えない レールで会おう。」 これは震災後の復興支援を込めた言葉。東北へ赴き地元の人に会って話をしよう、そして復興に協力しようという趣意で「会うこと」の価値を再認識させてくれたコピーでもあった。 「動かなければ出会えない 語らなければ広がらない 聴かなければ深まらない」。政ごとをする人たちは、市民の声を聴き、対話をすることをなおざりにしてはいけない。丁寧に説明するということは丁寧に聴くことから始まる、と思う。
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秋から冬へ 【No.1944】 2025年11月08日
11月8日 今日は立冬。「おでんの季節になったから」とKさんがおでんの種をたくさん持ってきてくれた。北上のWさんから今年も「さわし柿」の第一便が届いた。ジョウビタキが尾を震わせ「帰ってきたよ」と顔を見せている。 秋から冬へと季節は移ろい始めた。
11月5、6日 静岡から箱根と旅をした。海釣り、紅葉、道祖神、そして海鮮料理という贅沢な旅。 釣りは焼津。ベラ、ハゼ、クサフグ、そしてネンブツダイ。ネンブツダイは小さくてメダカのようで可愛らしい。餌食いがいい。一度に8匹が掛かって上がってきたときは、鯉のぼりより壮観。釣果は50匹以上。釣れたものはすべて海に返した。楽しかった。 御殿場から箱根に向かう道筋は、うっすらだが黄葉も紅葉も見られた。外国人で大賑わいの彫刻の森美術館。道祖神は宮城野・宝珠院の墓地入口の双体2、小涌谷の双体2、二ノ平では双体1と自然石1。宝珠院の1基は中国の文化人を思わせるゆったりとした大きな袖の拱手合掌像。初見である。他は笏や宝珠を手にするもの。しかしどの双体像も脚が見えるのが少しアンバランス。
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【No.1943】 2025年11月03日
11月2日 大谷登板の第7戦 スリーランを浴び膝に手を置く姿を見て「もうダメ」と、「十三夜」の柿の実を捥ぎに出た。ところが山本の粘投と野手の好守でドジャースは逃げ切り、ワールドシリーズを制した。最後のダブルプレイはいつの間にか見ていた。 「何の日」に加えておこう 熱投のトリオがトロフィー抱きたる日
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霜月 【No.1942】 2025年11月02日
11月1日 早い、もう霜月。 北公民館で10日から始まる「日本の道祖神(写真)展」の準備のため担当の泉さんが来訪。 泉さんには東公民館勤務時にも道祖神講座を担当してもらっているので、展示のレイアウトや写真の選定などすべてお願いした。15日の講座「日本の道祖神祭り」の準備はしっかりしたい。 明日は「十三夜」。サツマイモを掘り柿を捥いだ。
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富士講の先達さんの来訪 【No.1941】 2025年11月01日
10月31日 東田原の八幡地区で今も存在している富士講の先達をしている内藤さん夫妻が訪ねてきた。「富士講のことで少し知りたいことがあるので」と木箱と掛け軸を持参された。 八幡の富士講は正月に「筒粥神事」を行っている。「筒粥神事」が民間で行われるのは珍しい。その神事に用いる神具一式の入っている箱蓋に講中の氏名があるが、いずれも蓑毛在住の人。内藤さんは「なぜ蓑毛の富士講が八幡に移されたのかを知りたい」と言う。私自身もこの事実を今日初めて知った。それて答えにはならないが「神仏分離令」「廃仏稀釈」、今朝日神社と呼ばれている八幡の氏神は江戸時代は「八幡宮」であったことなどを話した。十数本の掛け軸は富士講に関わるもの以外に八幡地区で行われていた講のものもあった。その中に扶桑教の宍野某の揮ごうした軸もあった。いくつか探ったみたいテーマを頂いた。2時間ほど充実した時間を持たせてもらった。
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寺山512と519 【No.1940】 2025年10月31日
10月30日 横須賀の臼井淑子さんの突然の訪問。NIE(教育に新聞を)の実践校になっている秦野市立東小学校で公開授業(六年生・国語)があるので来たとのこと。臼井さんと初めて会ったのは2000年横須賀で乃全国新聞教育研究大会だった。その後2002年から毎日新聞の全国学校新聞コンクールの審査員を共に務めてきたので年 25年以上前からの知り合い。だがコンクールの終了で10年くらいは会っていなかった。 臼井さんは神奈川県NIE推進協議会の委員で東小から出席の要請があり参加。「今年の県のNIE実践校は19校。その中の5校は秦野。新聞の秦野は健在ですね」とほめてもらう。「東小の所在地は寺山512、 先生の住所は519。これじゃあお訪ねしなければと思い・・・」と笑顔。教え子の作っている横須賀の海産物をお土産に頂いた。公開授業の時間が迫っているため10分ほどしか歓談できなかったがうれしい時間だった。(5校・東小 西小 本町小 東中 南中)
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歴史はロマン 【No.1939】 2025年10月28日
10月27日 昨日の講座に参加してくれたYさんが、私の話した「道永塚」の伝承を補足する話を届けに来てくれた。以下はYさんが話してくれたこと。 「40年ほど前、道永塚の近くの農地を宅地に造成に立ち会った折、その土地から大量の人骨が出てそれを処理した。昨日の道永塚の鬼火の話はこの人骨の怨念の火かもしれない。現地を見てきたが、すっかり住宅地になってしまっていてその場所はわからなかった」。 道永塚に向かい合う葡萄園の中に古墳と思われるものも二つある。 Yさんは70歳、生業は材木店。「歴史はロマン」といわれる。
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寺山文化講演会「歩いてみよう寺山PART2」 【No.1938】 2025年10月27日
10月26日 9時30分から第28回寺山自治会連合会の文化講演会。その講師を昨年に引き続き務めた。テーマは「歩いてみよう寺山 PART2」。日曜日の朝・ドジャースの試合もあるのに参加者は満席に近い20数人。そのうちの9人は私の住む清水自治会から。《遠くの親戚より近くの他人》。ありがたい、うれしい応援だった。 最初に寺山の伝承「目一つ小僧」の紙芝居をチーム竹の子の関智子さんが公演。そのあとPPTを使い次のような内容の話をした。1小字の地名の由来(地獄ケ入り、宝作、棒ケ谷戸など) 2路傍の神仏(道祖神、地神、馬頭観音、大山道道標) 3遺跡・遺構(波多野城址、寺山遺跡、清水湧水池、学校水道の水源) 4民話や伝承(てふ塚の奪衣婆、首切り畑、道永塚) 5民間信仰(庚申講・道祖神祭り) 。いつものことだがこの日も話し忘れたことがある。その一つが「目一つ小僧のとメケーゴ(目籠)」。 11時30分から質疑。Nさんが、幼いころ実家で庚申講が行われていたという話を披露してくれた。会が終わって「このテーマでの話は過去にも聞いたが、切り口が違っていて勉強になった」、「三途の川の渡り方・橋渡しの話で逝った人のことを思いだした」、「楽しい話 有り難うございました」という感想も貰った。
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異次元 【No.1937】 2025年10月21日
10月18日 今日 しみじみ思った。生きていて良かった、大谷選手と同じ時代に生きられて良かった、と。3本の大ホームランと10奪三振を観ることができた、長生きして良かった。
10月19日 朝日新聞の一面は「3本塁打 大谷異次元 10奪三振」という見出しで四段の囲み記事を載せた。ドジャースは18日に勝ってしまったので一週間ゲームは無い。今日から午前中は何をしよう、どうしよう。それを察してか、長男が YouTube から3本塁打の映像を4本取り出し、私のパソコンに送ってくれた。
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見学会にどーぞ 【No.1936】 2025年10月14日
10月14日 固定電話はあまり使われなくなったこの頃。たまにかかってくるのは着物や本などの買取り業者からのもの。例の「給湯器の点検に明日参ります」はいまだにかなりの頻度でかかってくる。総務省から称する電話はテープで「この電話は二時間後に使えなくなります」。 2、3日前、市内に新規開業した葬祭場から見学会への参加の誘いの電話があった。年寄り二人の我が家を狙い撃ち?。互助会に入っているかとも聞くので入っていると言ったら「それじゃあ安心ですね」。≪死≫をこんなにあっけらかんと捉える時代になったのだ。
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実りの秋 【No.1935】 2025年10月12日
10月11日 東中学校昭和45年卒(古希の人たち)の同窓会に招かれて出席。前回は還暦の年に開かれたので10年ぶり。隣の席のAさんは55年ぶり参加(初参加)なので出席者の顔と名前の確認にいそがしそうだった。31名の近況報告は「自病の《紹介合戦?》だったが、これは今は元気ということ。興味深く? 笑って聞いた。 アフガンの難民の子を日本語スピーチコンテストに参加させるため頑張っているBさん。在米10数年というCさんの子育ての話。少し人間嫌いになったのでスーパーの《朝出し》をして、そのあとは農作業と笑うDさん。「ウチの近くでもクマが出た」と特別警報を発したEさん。五時半からトラックで配送業務をしているFさんは逞しいボディを誇るのだった。救急車のお世話になったと二人が報告。私の米寿と叙勲も祝ってもらった。
10月10日 「チーム竹の子」の関智子さんが、道祖神についてのパネルを作りたいと、そのラフレイアウト見せに来た。「チーム竹の子」の活動「道祖神祭り」の紙芝居の上演を補完するパネルを作りたいと言う。パネルにしたいのは「道祖神祭り・どんど焼き」の起源。もう一つは「道祖神のご神体・御本尊について」の説明。 見せてくれたコンテを元にその二つについて話をした。参考になりそうな書も一緒に読んだ。 「勉強になりました。また描いて持ってきます」と笑顔で帰る智子さんにエールを送った。
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ランチの会 【No.1934】 2025年10月09日
10月8日 今回のランチの会は月見饅頭を作る会でもあった。今回のお客さんは地元市会議員のYのさん。そして中学生を持つお母さん三人。このお母さんたちは月見饅頭のつくり方を学びにみえたのだ。 ランチは炊き込みごはん、きのこそば、野菜サラダと漬物、今日も美味しく、楽しく頂いた。食事の後、お母さんたちは会員の指導のもと月見饅頭づくりに挑戦。できあがったホカホカな饅頭に大喜び。そしてさっそくかぶりつき、さらに大満足、大笑顔。この地に住み着いた若いお母さんたちがこんな風に地域の人たちに積極的に接しようとする姿はうれしいことだった。 今年の「お月見」は10月6日だったから、今日8日は『立待ち月』。午後6時25分ころ東の空に昼の頂いたような色・形の月が昇ってきた。
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花火 【No.1933】 2025年09月29日
9月28日 今回で78回を数える「秦野たばこ祭」。夜七時半から花火を二階のベランダで楽しむ。「花火大会」にはいろいろ思い出・ハプニングがある。 たぶん11、2歳のころだろう。当時のたばこ祭の花火は水無川の河川敷で打ち上げられていた。その花火を背にしながら我が家の五人(父母妹二人)は寺山に向かって県道を歩いていた。なぜか母と父は言い争いをしながら歩いていた。名古木の長い坂を上りきった所で五人は一休みと、立ち止まった。そして自然に振り返った五人の目に秦野市街に花火が上がるのが見えた。 新潟は「花火王国」と称されている。2008年、南魚沼市の「五十澤ふるさとまつり大煙火大会」。宿の軒先に敷かれた茣蓙に座り、宿泊客全員が小雨のなか打ち上げられる花火を見上げ、やがて見知らぬ人同士の楽しい宴となった。2013年の夏、柏崎の道祖神の里めぐりの帰りに「魚沼小出まつり花火大会」に寄る。この花火大会の最中、会場近くで火事が発生、会場は一時騒然。 そして2017 年8月27日 長岡市栃尾の「とちお祭り大花火大会」。会場からアナウンスが流れた「96番・五号 祝一千回講演・武勝美先生 エコー教育広報相談室」。驚く私の眼前に花火は大きく弾けた。家族の「サプライズプレゼント」だった。フィナーレは、花火を愛する人々が集まった「千輪の会」が作り上げたオリジナルの10分にわたる大スターマイン。だがそれよりも明るく輝いたのは「96番の五号玉」だった。 五号玉胸にも咲かせ仰ぎたり 勝 美 長野・上諏訪温泉ホテル鷺乃湯での「諏訪湖花火大会」。ホテルから「花火のよく見える部屋のキャンセルになった。姉妹都市の秦野からのお客さんだから、よかったら部屋を替えましょう」と申し出があった。 初めて厚木の花火(あつぎ鮎祭り花火大会)出かけたのは婚約した年の夏だった。
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ブタクサ 六花亭 七人の侍 【No.1932】 2025年09月17日
9月16日 13日の会で皆さんすでに小松菜、ほうれん草、大根は蒔いたと聞く。暑さで季節の感覚を失っていたのだ。ウチの畑はいんげん、きゅうりの枯れた蔓がネットに絡まったまま。今日それを取り除く作業をした。頑張りすぎたせいか夜になり咳と鼻水が。風邪かなと思ったが、妻が「ブタクサ花粉症がピークらしい」と言う。少し頭痛がするのは花粉症?
9月15日 この日は「敬老の日」。妻と私の米寿を祝ってKちゃんから素敵なプレゼントが。その一つは帯広の六花亭の『百歳(ももとせ)』というお菓子。私には六花亭は御恩のある大切な会社。この会社は『六輪』という社内報を日刊で出している。その『六輪』を私の新聞づくり講座の資料として提供してくださった。平成24年8月の全国新聞教育研究大会十勝・帯広大会の折、我が家の三人は六花亭を表敬訪問させていただいた。 もう一つの贈り物は大谷選手の『デコピン』のぬいぐるみ。17の首輪をつけたかわいらしいデコピン。気に入った。テレビの放映があるときはデコピンと大谷選手を応援している。
9月13日 ゆとりの会 の月例会。出席は7人。今日は11月に展示する「福助作りの菊」の栽培の勉強会。FさんとKさんが育てている現物を見せてくれた。しっかりとした苗で私のものなど比べようがない。六人が報告する菊づくりの現状と意欲を聞いてつくづく思った。「この日の七人を『七人の侍』になぞらえれは、六人は確かに〈侍〉で、私は〈足軽〉だ」と。
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美ヶ原高原美術館とあぐりの湯こもろ 【No.1931】 2025年09月13日
外出することがめっきり少なくなった。テレビもMLB以外はほとんど観ない。活字に触れることもかなり減った。そんな二人の暮らしを見て「どこか行きたいところないか」と子が旅を勧める。遠出は体力的にも自信がない二人。それで長野の過去に訪れた地を再訪することにした。妻が再訪を望んだのは美ヶ原高原美術館。私は小諸市の「あぐりの湯こもろ」。
9月3日 寺山6:00発。軽井沢町の諏訪神社で道祖神を見る。その後佐久市の幸神社の道祖神へも。
9月4日 中山道の和田宿・追分宿から美ヶ原高原美術館(妻は2回目 私は3度目)。山本小屋周囲の牧草地を眺める。佐久市望月の望月歴史民俗資料館を訪問。そこから小諸市の日帰り温泉「あぐりの湯こもろ」へ。私は4回目の入湯。ここの湯船は浅間山の全景が見られる。佐久長聖高校の長距離部の練習コースを訪ねる。夕食は佐久平駅前で居酒屋のハシゴ。
9月5日 台風15号の影響で豪雨。中部横断自動車道・佐久北インターから八千穂高原インターまで走行。JR小海線・信濃川上駅の道祖神。川上村は「レタス王国」。その後清里へ。午後の渓流釣りは中止して『帰秦』。中央道を急ぐが相模湖〜八王子間で事故渋滞の報。それで相模湖インターで降り一般道を走る。だが大雨のため甲州街道は通行止め。それで裏道を走り→津久井→半原→田代→鳶尾→荻野→伊勢原で「新東名高速道路」に乗り17時頃寺山帰着。 三日間陽光無し。さわやかな高原の風にか吹かれての旅。そして「道祖神の里めぐり(11基)」の旅でもあった。
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次に向けての一歩を 【No.1930】 2025年09月08日
9月7日 今月の神奈川新聞の「歌・俳・柳」壇のページは記念すべき特別なページになった。歌壇に「遠来の客懇ろにもてなして一際高く鳴く蝉の声 小泉孝」、「隣部屋来客ごとに押し入れ化 戸口あや子」が柳壇、そして俳壇に「百日紅来るという子のつひに来ず 武勝美」が入選。小泉さんと戸口さんは『エコー』の良き支援者。だから、これは私には〈快挙〉。 2000年1月から始めた「神奈川歌・俳壇」への投稿は、先月8月の「礎(いしぶみ)にからむ香煙広島忌」で入選100回に到達(投稿回数169)。そのことを寿ぐつもりで「百」という文字を折り込み詠んだ句(上掲)が101回目の入選。今日のこのことを契機に、次に向かって歩を進めよう。
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あれ? えー? 【No.1929】 2025年08月29日
隣のSさんが「こんな冊子がKに置かれていたから、先生の分も貰ってきました」と『秦野のお盆』というB5判9ページの冊子を持ってきてくれた。発行は市内の大手スーパー。その表紙は色鉛筆画の『ツジ』。本文もすべて手書き文字。内容も秦野地方のお盆の風習などコンパクトにまとめてあり、手にした人は興味深く読むだろうと思った。 1ページから丁寧に読んでいったら、5ページは「『辻』いろいろ」という写真のページなっていた。この頃あまり見られなくなった『ツジ』の写真に出合えた私は「イイ仕事してるじゃん」とうれしかった。そこの12葉の写真に目を凝らすと「あれ、これは・・・」 ページのトップに「我が家のツジ」の写真が置いてあるではないか。私のホームページの『秦野のおはなし』に載せたもの(2009年8月1日更新)ではないかと思った。確認してみると12葉はすべてそこからの引用だった。 使われたのは光栄ではあるがひと言ご挨拶を頂きたかったし、出典の明示もほしかった。
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今日も≪良い一日》を作ってもらった 【No.1928】 2025年08月27日
8月26日 『エコー』430号に「無念 」という見出しでスイカの栽培の失敗談を載せた。すると岩手のWさんからメール、そして静岡のYさんから電話が届いた。二人共「来年、その時期になったら対応策を教えてあげる」という内容。 東海大学の人間環境学科のH先生とゼミの学生さんが訪ねてみえた。東地区の自然や文化 歴史などについて話を聞きたいとのこと。東中で担当している環境教育の教材づくりの資料にしたいらしい。おおよそ2時間、思いつくままの、行ったり来たりの話になってしまったが、お二人共東地区への興味・関心を深めてくださった、と思っている。「ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる」という言葉に共感してもらった。 先生は久米島の中学校でも環境教育の授業を持っていらっしゃるとか。「明日久米島に飛びます。帰ってきてらまたお伺いします」と笑顔で席を立たれた。 今日も四人の方に≪良い一日》を作ってもらった。ありがたいこと。
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89 【No.1927】 2025年08月21日
8月18日 89回目の誕生日 Aさんから6時44分バースデイカードがメールで届く。うれしい。 老い蝉鳴きしに鳴きぬ持ち時間 勝美 命の限り鳴き続ける蝉。与えられた時間を私らしく生き(鳴き)たい。
二の腕に赤き斑点あまたあり今日一日を確かに生きて 勝美 朝の涼しいうちに落花生の収穫。確かに生きたといえるほどの働きではないが・・・
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終戦の日 【No.1926】 2025年08月15日
8月15日 「終戦の日」。今朝のタウンニュース紙の「戦後80年語り継ぐ記憶」は〈続武勝美さんの記憶〉。私なりの「終戦の日」。
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平和ボケ 【No.1925】 2025年08月14日
8月13日 朝から甲子園、10時半になったら大谷へ。「大谷の三重殺や夏の怪」を見る、そして43号も。≪平和ボケ≫の私。 北上市で「昭和のくらしと道具展」が開かれているが、そこに「青い目の人形」が2点展示されているので見に行ってきた、と渡辺さんからの手紙。「跡呂井田んぼアート」の大谷翔平選手の写真も同封されていた。ホームランボールの行き先をデコピンと見つめている姿―見事な作品だ。
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ウインドウズ11 【No.1924】 2025年08月11日
8月8日
「10月14日でウインドウズ10のサポートは終了」とのことなので11に入れ替え。それほど《使い勝手》は変わらないが、慣れるまでしばらくは苦戦するだろう。
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8月6日 【No.1923】 2025年08月06日
太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり 正田篠枝 礎(いしぶみ)にからむ香煙広島忌 勝美
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暑さに負けない熱い私の夏 【No.1922】 2025年08月04日
8月3日 午後2時から水自治会の全体集会が開かれ9月の災訓練についての話し合いが行われた。そのあと清水湧水地跡記念碑建立21周年の祝賀の行事が持たれた。始めに30分ほど清水湧水池について私の話(碑建立の意義など)。 この湧水池は新編相模國風土記稿に記録され、東小・中学校の校歌「清水ヶ丘は夢湧くところ(東小)」「いつも沸き立つ希望の泉(東中)」と歌われている。その清水湧水池が道路拡張改修によって消滅することになったとき、私たちの自治会が平成16年7月に建立した。また清水という地域の持つ歴史的な特性などついても少し触れた。 講演後は祝賀懇親会。数名の子供の参加もあって総勢30人ほどの会になった。ビールを頂きいご機嫌になった私が「それでは」と席を立つと全員が拍手で送ってくれた。そして部屋を出ようと引き戸を開ける私の背に、覆いかぶさるような大きな歌声が突然流れてきた。東小学校の校歌だった。「阿夫利の峰から 海から野から 清い力が集まってくる 清水ヶ丘は夢湧くところ みんなみんな 希望に燃えている われらの誇り東校」。 驚き振り向くとその席にいた大人、そして子どもたちが立ち上がり歌っているのだ。私は思わず踏み戻り皆さんの歌声に加わった。20年前に記念碑を建立した自治会の思いは、今確かに次世代に引き継がれたと思った。清水という地に暮らす皆さんは素敵な人ばかりだ。
8月2日 午後4時頃戸口あや子さんの来訪。「エコー」429号の『 平和の使者・青い目の人形』を読み、はだの歴史博物館に青い目の人形に逢いにいったとのこと。そして「小学校4年生の時のクラス写真も掲示してある。探してみてください」という私の問いかけにも反応し、私を見つけ出し、カメラに収めてきたと言う。「これが先生でしょう」と私に確認をもとめる戸口さん。 この日は農民文学の和田傳さんの書「少年少女に贈る五つの物語」をプレゼントしてくれた。
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初蝉 【No.1921】 2025年08月02日
8月1日 ・初蝉や今日は朝から良きことが ・老蝉の鳴きしに鳴くや持ち時間 今朝の『タウンニュース』紙の特別企画「戦後80年を語り継ぐ」に「寺山からも出征者・武勝美さんの記憶」として登場。
・蝉出(いず)る順狂はせし大日照り 今朝ミンミンのか弱い鳴き声を聞く。すると追いかけるようにニイニイ蝉の声も。なぜか油蝉はまだ聞かれない。カナカナも。
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今朝の神奈川新聞 【No.1920】 2025年07月31日
7月30日 今朝の神奈川新聞が「平和の使者・青い目の人形」を紹介してくれた。その記事のについてメール4、電話1通が届いた。うれしい。 カムチャッカ半島沖で大地震。津波警報が日本列島の太平洋沿岸に発令。この夏は少し気が引けるが朝からクーラーを使っている。丹波市で41.2度と国内の観測史上最高気温を更新の報。今も蝉の声はまったく聞かれないこの夏。 手庇(てひさし)で大樹に蝉を探す老
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無念 【No.1919】 2025年07月26日
7月25日 今年は中玉を4個実らせた西瓜。そろそろ収穫かと、今朝も見回りに行ったらショックに襲われた。一番大きなものが割れ真っ赤な果肉が崩れ散っていた。動物の仕業ではない。収穫する時期を逃してしまっていたのだ。そしてもう一個は水分不足からだろう、尻の部分が裂けている。かなり順調な生育だっただけに後悔の念は強かった。残りの二玉もこの天候では心配なので摘み、仏壇に供えた。ご先祖様は怒ってる? 呆れてる?。それとも「ご苦労さん。しょうがないよね」と慰めの言葉をくれるか?
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佐賀の人 【No.1918】 2025年07月21日
18日から2泊3日の日程で佐賀から帰省したKさん。蓑毛に眠る両親の墓参が今度の帰省の主な理由。その二日目の午後、Kさんが我が家を来訪、二時間ほど交歓。 38歳の時、頼まれて介護の手伝いを始めたのだが、今は佐賀市の包括支援センターの主任ケアマネージャーを務めている。なぜここまで頑張ることができたのかと聞くと、周囲に自分を知っている人はいない、だから気にすることなく何にでも挑戦できたと言う。それと佐賀という風土が会っているからとも。「どの試験もすべて一回で合格。運動音痴だけど車の実地試験も一発」と笑う。 今回の帰省の3日間の動き聞いて驚いた。1日目の夜は4月19日の同窓会に参加できなかった友達数人に声をかけランチ会。そして2日目は墓参と我が家の訪問。そして夜は昨日と同じように同窓会で会えなかった友達と会食。最終日は平塚で高校の同級生4人でランチ。彼女は言う「私には帰る場所がある。秦野という地、そして中学時代の良い仲間がいる。だから安心して佐賀で仕事ができる」。茶道も学んでいる彼女、今は月一で保育園児とお茶会を開いている。 一日が終わり眠りにつくとき「これで明日が迎えられなくても悔いはない」と思える生き方をしていると言う。帰り際、「今日はほんとにたくさん先生とお話しができ大満足。でも先生を疲れさせてしまいました。ごめんなさい」と詫びる66歳のKさんだった。
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ご参加 おまちいたしております 【No.1917】 2025年07月15日
今年も開きます 秦野市立東公民館主催の「家族新聞づくり講座」 ・家族の夏の思い出をカベ新聞にまとめよう
日時 7月26日(土)・8月23日(土)の全2回 いずれも9時30分〜11時30分 会場 東公民館2階ホール 対象 小・中学生とその家族10組 持ち物 筆記用具 当日の日刊紙 ご参加ください! ・申し込み先 秦野市立東公民館 0463 (82) 3232
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宵盆の線香上げ 【No.1916】 2025年07月15日
7月13日 宵盆 午後3時頃、お盆のツジ(砂盛り)に線香を上げに来てくれたのは隣りのEKさん。今年二月にお母さんを亡くしたEK家は今年は新盆。お母さんを早く迎え入れたいので迎え火を早く焚いたのだろう。 EH家からはHさんと3歳の保育園児。バアチャンと一緒に拝みに行くと言ったとのこと。しゃがみこんで拝んでくれた。そのお母さんも一緒だった。 普段は無住の裏のTY家も宵盆の日は静岡・小山町で生活しているYさんが戻ってきて、ツジを作りご近所のツジ回りをしていた。「人情が薄くなったこの頃、こうしてツジ回りをして、その家の人と言葉を交わすことはとても大事なこと」と言う。小山町のお盆は7月23日から25日。この時期が養蚕の作業の合間に当たるからだそうで「全国的にも珍しい日程」と、Yさんが教えてくれた。 SY家からは長女のYさんとその娘さんの大学生Kさん。Kさんは「今日は日曜なのでお母さんと回ることができた。たぶん10年ぶりくらい」とにこにこ。そのKさんは私の壁新聞づくり講座に参加して「道祖神新聞」を作った。 TY家からは会社員の娘さん。中学生の時「私こういうことが好きなんです」と言って部活から帰るとその足で線香上げに来てくれた。それが今も続いている。このTY家のツジ(砂盛り)は女竹を井桁に組んだ伝統的なもの。ずっと作り続けて欲しい見事なツジだ。 4時半になり暑さも少し柔らんできたので私も動き出す。途中からTKさんと同道。TKさんのお母さんはお盆明けの17日で98歳になる。元気で自宅暮らしが出来ていること。 今年も30分ほどかけて6軒回る。地域での人々の交流が減っている中、普段あまり顔を合わせられない、言葉を交わせないご近所さんと、線香上げを通して触れ合うことができることは意味あること。
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暑中お見舞い 【No.1915】 2025年07月09日
テレビを点ければ暑い暑い💦💦の情報だらけですが、先生のお宅はみどりの木陰も多く、快適にお過ごしのことでしょう。それにしても先生はお若い! なんとこの時期に「わたしの昭和」の原稿募集。私も何かいろいろ浮かんでくることがありますので、そのうち・・・ よろしくお願いします。ご家族共々お元気でお過ごしください。 2025年7月7日・小暑 Sumi
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7月到来 【No.1914】 2025年07月04日
庭の山百合か開き始めた。花の数えたら8株に咲いた花は17。10年くらい前は、7月のお盆の盆棚に山百合の芳香があふれていた。 昨日西瓜の子づる切りをしようと畑に入ったら握りこぶし大の着果二つを発見。急いでカラス避けの黄色いネットを被せた。 7月1、2日の午後夕立ちが来た。どうやら関東も梅雨明けが近いらしい。 明日から平塚では七夕祭り。 前橋の大野さんから便り。「群馬の各市町村がしばしばニュースで取り上げられる暑い季節になりました。こちらで四度目の夏です。今年が群馬の最後の夏と思って、楽しく上手に過ごしていくつもりです。先生もどうかお身体ご自愛下さい。」
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6月の終わりは 【No.1913】 2025年07月01日
6月30日 西瓜やカボチャは今が収穫の最盛期なのだが、我が家はこれから実が着くという段階。植えてあるのは西瓜、カボチャそれぞれ二本。今日はその蔓を整えた。すると10センチくらいのカボチャが一個、葉陰に隠れているのを発見し喜んだが、防獣網が三か所食い破られているのも見つかった。この夏は〈酷暑〉だ。
6月28日 「まほら秦野みちしるべの会」の総会。会員15名のこの会に、この日2名の新会員を迎えての総会になった。そして総会の後、新会員歓迎の懇親会を12名で開いた。会員の年齢層は50歳代から80歳代(最年長は武)と幅広いので自己紹介も多種多彩。新人さんも宴にすっかり溶け込んでくれた。 2007年8月に設立の「みちしるべの会」は来年で20周年を迎える。
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