第三回「ランチの会」 【No.1882】 2025年03月05日
3月4日 あずま荘で三回目のランチの会。焚き込みご飯、若芽の味噌汁、筑前煮 餃子、天ぷら、揚げ豆腐、サラダなど、すべて四人の会員さんが10時からここの調理室で作ったもの。今回のお客人は東地区自治会連合会の会長さんや役員さんの5名。そして私も加わり総勢10名での会食。大勢で食べるのは楽しい。箸が進み、かなりのボリュームなのに皆さん見事に完食。 食後の懇談の中で「コロナの影響で個人主義が強くなり地域社会の存続(自治会の存在)が危うくなっている」実態を5人から聞かされた。5人はいずれも今期で退任されサポートに回られるらしい。ご苦労様でした。ありがとうございました。これからも地域づくりの先頭に立ってくださるようお願いいたします。
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「てく「てく歩き 井の城・田原」のミニ講座 【No.1881】 2025年03月02日
3月1日 午前9時から東公民館の「てくてく歩き 井の城・田原」のミニ講座。「井の城の地名の由来」について15分ほど話す。このテーマで話すのは初めて。「みちしるべの会」が案内をするので役に立てばと思い資料も印刷物で準備した。 三月、そして「井の城」という文字に誘われて? 参加者は20名。申し込みは定員オーバーだったそうな。会からは横山、浦田、大木、山口さんと私。妻も助手兼介護士として参加。講座の評価は自分としては「☆三つ」くらいか。春の日差しの中、みなさんは田原を楽しく散策できたことだろう。
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今年の雪は 【No.1880】 2025年03月01日
2月28日 音更町の宮崎さんから「十勝毎日」の2月4日号が届く。1面の見出しは「帯広の一日の降雪124a 過去最多」「バス、JR終日運休」。15面は「小雪一転突然のドカ雪」「埋まる生活の足」「立往生次々 ぼうぜん」「救急車遅れ、外来診療制限も」。
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ただただ深謝、多謝 【No.1879】 2025年02月25日
2月22日 2月12日、妻が米寿を迎えた。その米寿を祝うということで妻の教え子のKさんが来訪。紙芝居の舞台の箱まで持参で私たち二人を観客に紙芝居「あんもちみっつ」を上演してくれた。そしてお祝いのメッセージ(便箋4枚も)を滔々と読み上げる。驚きと感激。 これだけで充分、もったいないのに、Kさんは私に「“浪花恋しぐれ“を歌いましょう。セリフのところは私が受け持つから」と言った。そして「はいマイクです」と大きな人参を差し出す。とにかくその整然たる動きと言葉に私は従うだけ。途中までうたったが「アカペラじゃ無理!」と逃げた。Kさんは臆することなく、感情情豊かに「遊びなはれ 酒も飲みなはれ」のセリフを。 Kさんのお祝いの企画―紙芝居「あんもちみっつ」は『エコー』423号の「にっきの記」の1月1日に載せた短歌「あんまんも〜 半分こ」を踏まえてだった。そして“浪花恋しぐれ“は422号の「にっきの記」の「11月22日はイイ夫婦の日」で「“浪花恋しぐれ“が漏れて残念」と書いたからだだった。飲食無しのおおよそ1時間のこの会。Kさんに、ただただ深謝、多謝。Kさんは間もなく喜寿を迎える。
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Kさん 健在 よかった 【No.1878】 2025年02月19日
2月18日 昨年8月29日、エコーにたびたび登壇願い時事評論や文明論で健筆を振るってもらったKさんが「脳梗塞(右半身)で倒れた」と奥さん代筆での連絡が来た。 それから半年ほど経った2月18日、Kさん自筆の葉書が届いた。右手で書いた文面は単語のみで、「脳梗塞(8/7〜1/25) 今はデイケア」「2025.7,1.ZO」「トランプ」「平和主ギ者」「被団協」。「2025.7,1.ZO」とは、お気に入りの居酒屋ZOでの快気祝いをするつもりなのだろう。「トランプ」「平和主ギ者」「被団協」、これらの単語を並べてきたKさんを見て、その健在ぶりを実感。よかった。嬉しい。 届きたる葉書の文に筆跡に回復を期する力の満ちて
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最高齢の私が乾杯の音頭 【No.1877】 2025年02月18日
2月15日 OB会の新年懇親会に参加。30名の出席者の中で最高齢者の私に「乾杯の音頭を」とご指名が。それで「一杯のお酒は健康の素」と発声しグラスを合わせた。近況報告からそれぞれが日々確かな暮しをしていらっしゃると実感。以下はそのいくつか。 ヨルダンに住む子と孫に会いに行ったMさんの報告「日本の自然の豊かさ・緑の多さを知った」。高齢者相談員を務めているKさんは児童の登校の見守り隊員でもある。「アメリカのこの頃のふるまい」に触れたKSさんの憤りに共感。Fさんは、自治会活動の縮小による地域社会の崩壊を危惧している。サクラマスの卵子からの養殖に取り組んでいるIさん。自宅の屋根や壁のメンテナンスは自力で行っているとMKさんはグラスを傾け満面の笑み。「昨日は100を切れなかったよ」と嘆いたSさん。Yさんが演歌歌手の〈追っかけ〉しているなんて! ICさんは今年も和装で。尾花沢出身のKYさんとは20数年ぶりの再会だった。「すっかりお酒は弱くなって」と笑い合う。もちろん自病の現況報告もあったが…。ジョギング・ウオーキング・サイクリング・卓球・ラジオ体操で体調管理をしている人、カラオケ・合唱・料理教室を楽しんでいる人も。「次回も出席したいと思いますが、最年長者として挨拶をするのはイヤです。今日ご出席の先輩の先生方、来年も必ず出席してください」とSTさん。これはプレッシャー!
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2月12日 【No.1876】 2025年02月12日
ラジオ深夜便が紹介した2月12日の「誕生日の花と花言葉」。花は「馬酔木」、花言葉は「二人で旅をしよう」。だが馬酔木の持つ特性と花言葉は乖離しすぎて理解しがたい。 「次ぎの世までもついて行きたい私です(さだめ川)」とちあきなおみが唄っているように、次の世界への旅は、誰もが一人旅。ならば、現世に居る二人は、精一杯「今を生きる旅」を続けなければ。妻、今日「米寿」。
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こと始め 初午 【No.1875】 2025年02月11日
2月8日 こと始め 今日は「こと始め」の日。この日から農家が畑仕事を本格的に始める日。それで私も畑に入り草削りをした。この寒さなのにナズナはしっかりと根を張り葉をたくましく伸ばしている。深夜便の「誕生日の花(1月17日)」では、ナズナの小さな白い花を愛でていたが、種子を振り撒くので農家には大敵だ。暮れに播いた大根の最後の三本を抜く。そして夕飯に大根おろしでいただく。水分たっぷり、おいしかった。
2月6日 初午 「初午」はお稲荷さんのお祭りの日 稲荷(イナリ)は「稲生り」「稲成り」「稲を荷って来る」で五穀豊穣の神。秦野・今泉の白笹稲荷は関東一円からの参拝者で賑わう。 我が家は「初午の日」に1月31日に外した正月飾りをお焚き上げする。昔は田んぼでお焚き上げをしたが今は庭続きの畑で行う。初午の日、山から降りてくる田の神をお迎えする迎え火でもある。 先月ある席で、かつての同僚Yさんが「初午の日に正月飾りを畑でお焚き上げする」と話してくれた。秦野の風習は平沢でも健在。嬉しかった。
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立春の狭庭 【No.1874】 2025年02月04日
2月3日 立春になったとたん寒波襲来。二日に組まれていた自治会の「健康ウオーク・歩いてみよう寺山」は中止。この季節、雨の中を歩くのは無理なこと。案内役だったので又の機会に。 暮れに庭を彩っていた南天、千両、万両の実は鵯によってきれいに食べつくされた。蝋梅が先駆け、水仙、梅もいくつか蕾をほどいた。その香がただよう庭の隅にワビスケも薄紅色に咲いているが名前のごとく少しワビシイ花だ。藪椿の赤・大島椿の白の蕾は未だ固いがその色は見せている。ソメイヨシノの花芽がそれらしい形になってきた。ベニシダレはまだまだ。日当たりのよい畑には小さな白い花のナズナがあちこちに。
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クズカゴ 【No.1873】 2025年02月02日
2月1日 東公民館で開いた講座に参加されたYさんが来訪。その席で質問できなかったことを聞きに来たとのこと。質問の中身は「子供の頃、友達の家の庭に竹竿が立っていて、その先に大きなクズカゴが乗っかっていた。そのクズカゴも『目一つ小僧』と関係あるのか」。それで次のようなことをYさんに話した。 かつて秦野は葉タバコの大きな生産地。葉タバコの苗場作りには落ち葉が必要で、農家の人たちは冬になると雑木林に入り落ち葉をかき集め(クズカキと呼んでいた)、大きな背負い籠(クズカゴ)に詰めて持ち帰った。その背負い籠の目が粗いので「目一つ小僧」を追い払う効果は大きい。目一つ小僧には、メケーゴ(目籠)よりクズカゴ(背負い籠)のほうが怖いのだ。
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実朝忌 【No.1872】 2025年01月28日
1月27日 午前10時過ぎ、Tさんが訪ねてみえ「鳩サプレー」を頂戴した。それにはメッセージも付いていた。 「源実朝公は建保七(1219)年正月二十七日 鎌倉鶴岡八幡宮の階段の下のイチョウの根元で倒れ最期を迎えました。今から約八百年前のことです。公の御首は秦野・東田原に祀られていると伝えられています。実朝公をしのびながら召し上がりください」 たぶん御首塚に詣でられた後、わが家のご来訪だったのだろう。
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支えられ 見守られて 【No.1871】 2025年01月27日
1月26日 妻が足を痛めた。「高砂人形」の尉は熊手、姥は箒。寺山の爺と婆は共に杖を頼りの暮し。二重奏ならぬ「コツコツ」の二重音。年齢相応の足音と思おう。昭和の流行歌・双葉百合子の「九段の母」の〈杖をたよりに一日ががり〉、〈つらいさだめの杖ひとつ(岸壁の母)〉を口づさむか。
1月25日 秦野市退職公務員連盟の新年賀詞交換会並びに叙勲祝賀会が開かれた。秦野市長をはじめとする来賓各位を含め出席者41名。皆さんからお祝いの言葉を頂き感激ひとしお、美酒が全身に染みわたった。それで帰りはYさんの車のお世話になる。
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今日もイイ日だ 【No.1870】 2025年01月20日
1月18日 長野・富士見町の下平武さんから「長野県民俗の会会報47号・令和6年12月26日発行」が届いた。その誌に下平さんの「寺社を伝える媒体」と題する論文が掲載されていた。そして、その論文の中で「目一つ小僧」の紙芝居について記されていた。驚きと感激! 下平さんは2020年清水庭のどんど焼きに参加し、子どもたちと「目一つ小僧」の紙芝居を見てくれた。下平さんの取り組んでいる研究のテーマは「長野の民俗信仰に結びつく他県の民俗行事」 午後六時から「みちしるべの会」の新年会と叙勲の祝賀会。乾杯を「熱燗で」と言う猛者が四人もいるという昭和人の会。 ・熱燗やすなわち吾ら昭和人 一月、二月に頼まれている「大山道ウオーク」のガイドの分担を決めるなど頼もしい会。私にも一役が回ってきた。会のため、自分のためにも頑張りたい。今日もイイ日だった。
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全員七十五歳オーバーの新年会 【No.1869】 2025年01月17日
1月15日 午後六時から新年会、と言っても小さな集まり。平成元年度に市P連の執行部を務めた四人だが、私だけ飛び抜けての年齢。三人とも七十五歳オーバー。三十数年間毎年一、二回集まれるのは全員健康だから。 この夜の新年会は私の米寿と叙勲を祝ってくれる会でもあった。インフルやコロナなど気にしないで済む大きな中華の丸テーブル。近況報告に笑いながら、よく食べ、ちょっぴり飲んだ四人。「先生、もうおやすみになる時間でしょう」と八時半前にお開き。今日まで私が生きることができたのは、こうした出会いと繫がりがあったからこそ、と思った。
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清水庭のだんご焼き(道祖神祭り) 【No.1868】 2025年01月14日
1月12日 今年は今日12日の午後一時半から始まった。二時半頃会場に行ったら既に50人ほどがどんど火を囲んでいた。子供連れの家族がその半数であとは大人。ただ子供は幼児と低学年の子で高学年や中学生の姿は見当たらなかった。大人はこの祭りを執り行う自治会役員さんと過去の役員さんが中心。子供たちにはお菓子、大人は缶ビール、そしてお汁粉も振る舞われた。何人かに勧められカッポ酒をいただきながら庭内の人たちの消息や地域の情報に接することができた。 次年度自治会長のTさんが言った。「先生、これでいいんだよね。清水庭の人が集まって、話しをして交流する。先輩から昔の清水庭のことを聞かせてもらう。それで地域がまとまるから。これも〈とっけだんご〉だよね」。Tさんは昨日の私の講演を聴いてくれた一人だ。もう一人の聴講者Kさんは、私が紹介した道祖神のお札についての別な情報を話してくれた。旧家のMさんが「ウチの裏に角ばった石が五、六個転がっているが、何か訳のある石かね」と聞いてきた。「たぶん五輪の塔を崩したものだろう。今度見させてよ」と私。こんな実のある話ができるのもだんご焼きのご利益。だが熾火に置いていただんごの半分は炭化していた。 土地っ子の守るどんどの火勢かな 初孫を授かり話どんど祭 どんど火の竹爆ぜる如癒へし妻 残り火で小さき宴やどんど祭 悼・敏明さん どんど火を守り来し顔一つ消え
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「日本の道祖神祭り」の講演会 【No.1867】 2025年01月13日
1月11日 午後1時半から東公民館の歴史講座「日本の道祖神祭り」の講演会。定員20名のところ18名の出席を得た。主催者などを含めると22名で満席になった。 プロローグは「秦野の道祖神祭り・とっけだんご」の紙芝居の公演で演者は「チーム竹の子」の関智子さん。 この講演のテーマは、先人たちが願いをこめて造立し、護ってきた道祖神(祭り)を次代に引き継ぐこと。出席者の年齢層は30代から80代。30歳代から70歳代までのご夫婦での参加が5組あった。秦野生まれで東京在住の女性の参加には感激した。みちしるべの会、私が住む自治会からの参加も。質問が一つ「双体道祖神の衣装の変化とその理由について」。思いがけない視点からの「道祖神考」への問いだった。予定時間を5分ほどオバーしてしまったのは、今日の会への私の心の高ぶりからか。 明日は「とっけだんご」なので、夕食後だんご作りをした。差し水の加減がうまくいかなくて〈ゆるゆる〉だんごになってしまった。
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49年ぶりの再会 【No.1866】 2025年01月06日
1月5日 1月の歌壇に今野・谷岡先生の共選で入選。幸先き良し。 ・門松を小さく立てて保育所は遊具・絵本を眠らせてをり
昭和50年度に担任したクラスの子の一人・Aさんが突然の来訪。Aと名乗ったが分からない。それでマスクを外してもらったら49年前の顔が現れた。分かったAさんだ。還暦は過ぎているが、あの頃と同じ可憐な顔のAさんだった。 新聞などで私の動き(健在であること)を知り、どうしても逢いたくなったから、とにっこり。NHKテレビにクラスとして出演したことが最も強い思い出と当時をふり返ってくれた。感慨無量、教師冥利に尽きる再会だった。
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1月3日 恒例の行事 【No.1865】 2025年01月04日
1月3日 九時半ごろから箱根駅伝の応援を二宮で。毎年私が陣取る所は山西の横断歩道脇の道祖神場(文字碑と双体像五基)。応援に出かけたのは86 回大会からで、小田原、大磯、そして二宮と観戦する場は変わり、二宮になってからは10年ほどだと思う。 子どもの頃長鵜距離を早く走る人の走り方を「飛ぶ」と言っていた記憶があるが、どのランナーもまさに「飛ぶ」ように軽やかに走り過ぎて行った。 昼食後、開成町の道祖神めぐり、これも恒例? 6か所で9基にお会いできたが文字碑1基だけだった。何故なのか考えてみたい。 開成町には、かつて秦野西中と東中で一緒に仕事をしたNさんご夫妻がいらっしゃる。『エコー』も応援していただいているのでご挨拶をと思い寄らせてもらった。驚きと喜びの声の三十年ぶりの再会。
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1月1日の「深夜便」 【No.1864】 2025年01月02日
2025年1月1日 金田たつえの『花街の母』 年越しの用意で疲れた一日。九時に就寝。よく眠られたので午前三時に目が覚めたので深夜便へ。正月三が日は特別番組「カラオケ時代のヒットソング集」だそうで、金田たつえの『花街の母』が流れた。私にはこの歌に二つのエピソードがある。 一つは西中時代の書初め展のこと。クラスの男子が『花街の母』と書いてきたこと。その頃の中学生の書初めは『希望の春』とか『挑戦』というような言葉が定番、時に『謹賀新年』などもあるが、『花街の母』とは。 その子に『花街の母』という文字を選んだわけを尋ねた。「ウチのカラオケで、おばあちゃんがよく歌っているから」とのこと。そして「書いてみると書きやすい字だし」とも。言われてみると四文字とも整えやすい字だ。このことがあってからこの歌は私のレパートリーになった。 もう一つの『花街の母』 ♪ 人に聞かれりゃお前のことを 歳の離れた妹と ♪ 2005年12月、私が企画・実施する「秦野園芸愛好会」の恒例の研修旅行は「あんこう鍋と袋田の滝」だった。宿は袋田温泉の「思い出浪漫館」。その夜の懇親会の最中、結城紬の女性が私を訪ねてみえた。遊び心もあって《年の離れた私の妹》と紹介。この《年の離れた私の妹》とは実は大子町に住む茨城の新聞教育を牽引しているY先生だった。私が袋田に行くと言ったら会いに来てくれたのだった。この「年の離れた」私の妹の詮索で会場は盛り上がった。それで私は『花街の母』を唄った。鮟鱇鍋が全く話題にならなかったのは残念だった。 父親を連れて湯治に来ていた北桜関と風呂に一緒に入ったのもこの旅の思い出。
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2025年1月1日 【No.1863】 2025年01月01日
去年今年 待ちをりし勲記届きぬ師走晴れ 妻のゐて八十八歳初明り 眼差しの凍ててはをらず磨崖仏
高齢者叙勲を受けし吾の手を強く握りし妻の手温し 八十路行く吾に「一年の計」難し迎ふ一日に生を尽くさん アンパンも耳遠いのもいさかいも《半分コ》して八十路ゆっくりと
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物価高騰の年越し 【No.1862】 2024年12月31日
12月30日 大年神を迎える飾りをした。注連縄、玄関飾り、輪飾りなどなどを生花店から届けてもらった。店主のEさんが「物価高騰で申し訳ありません」と言う。「しょうがないですよ。すべて値上がりだから」と私。夜、家計簿で調べてみた。去年も今年も品目と数は全く同じ。昨年の支払いは5700円。そして今年は6900円。二割強の値上がり。
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師走晴れ 【No.1861】 2024年12月29日
12月26日 午後1時30分より叙勲の勲記伝達式が我が家で行われました。佐藤直樹秦野市教育長様を始め、中教育事務所職員課課長楠P博之様、秦野市教育委員会教育総務課主事栗飯原里史様のご臨席のもと、神奈川県中教育事務所長福島正敏様より勲記を伝達されました。 待ちをりし勲記届きぬ師走晴れ
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ビッグなクリスマス 【No.1860】 2024年12月26日
12月25日 今日はクリスマス。午前9時半、「ビューティSEVENSの会」の来訪。皆さんから「受章おめでとうごさいます」との言葉と豪華なフラワーアレンジメントを頂いた。感激!! 2013年にPTA広報『西のいぶき』をつくった7人の女子会が「ビューティSEVENSの会」。《アラフィフ》の皆さんがそれぞれ近況報告をしてくれた。「私、職場でケンカしちゃった」と言う言葉に「エエッ?」とみんな。それがきっかけで仕事の話。親子の対話のエピソード。SNSが中心の暮しの中で言葉の貧しさを嘆く声も出た。コンビニに働く人は「物価の値上がり」をまさに実感しているようだ。我が子の仕事での頑張りを誇りとして話す人も。80人を超える趣味の会のリーダーは「会員の声を聞き、活動に生かす」ことに注力しているという言葉に頷く。元旦から勤務という人もいた。 「受験の結果が出たら報告会をいつもの店で」という約束で会はお開き。「よいお年を」と言いながら、自慢の大根? を一本ずつ持って行ってもらった。
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命の繋がり 【No.1859】 2024年12月26日
12月24日 ドウダンツツジの垣根の葉が後から後から舞い散ちる。今朝もその落ち葉を掃き寄せ集めていたら、樹間に白と茶色がまだらの塊が目に入った。スズメバチの巣だ。気が付かなかった巣と居間との間は1bも無い。勝手口に繋がる通路で、近くには外水道もあるから家族はそこを頻繁に歩く。巣の外側は中学生の通学する道。誰も気づかず、被害に遭わなかった。 大きさは20センチほど。この季節だから空巣。切り取って飾り物にしようと思ったが、数片に崩れてしまった。その破片を見て、次の世代に命を届けようとする・命の継続に懸命な生物の姿を垣間見た気がした。
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お時間がございましたら 【No.1858】 2024年12月24日
《ご案内》 ご来場をお待ちいたしております。
◇武勝美の「道祖神の里めぐり」講演会 日 時 令和7年1月11日(土) 午後1時30分〜3時30分 会 場 秦野市立東公民館 演 題 日本の道祖神祭り 《紹介する祭り》・トッケダンゴ(秦野) ・左義長(大磯町) ・道祖神の着替え(大仙市横掘) ・ちょんぼ地蔵尊祭り(長岡市栃尾) ・道祖神の火事見舞い(北杜市高根町) ・道祖神祭りと藁馬(大山町、米子市) ・ヒイチ(忍野村)など 参加費 250円 受 付 12月15日より 参加ご希望の方は東公民館へ рO463(82)3232 ◇同時開催 「日本の道祖神」写真展(写真・武勝美) 日 時 令和7年1月6日(月)〜19日(日) 午前8時30分〜午後5時 会 場 東公民館二階ロビー
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きょう冬至 【No.1857】 2024年12月21日
食卓からの景色がガラッと変わった。昨日まで黄に輝いていた柚子がすべて消えた。きょうは冬至。秋に取ったカボチャを食べ、ユズ湯に浸る、といっても長湯はしない。
退院して自宅療養に努めているKさんから電話。「今『徒然草』を読んでいるが、〈友達にして悪いのは健康な人〉という一文になんとなく頷いている」と笑う。私は彼にとって『悪しき友』なのか。 徒然草第117段「友とするに悪き者、七つあり」。友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。
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大根餅 【No.1856】 2024年12月20日
12月19日 「大根餅」をお隣りの弘美さんが持って来てくれた。初めてお目にかかるものなのでレシピを聞いてみた。大根のすり身、片栗粉、桜エビ、葱などが練り込み、ごま油で焼き上げたとのこと。夕食時に温めて頂いた。餅の食感!! 香ばしくツマミに良い。
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道祖神と新聞で濃密な二日間 【No.1855】 2024年12月14日
12月12日 午後1時半から2時間の「歴史講座・日本の道祖神祭り(鶴巻公民館事業)」を持つ。受講者の中には顔なじみのMさん、Tさん、Mさん夫妻。そしてIさん。 オープニングは「チーム竹の子」による紙芝居「目ひとつ小僧」の公演。そのあとが私の出番。PPTで日本各地の道祖神祭りを紹介。1トッケダンゴ(秦野) 2左義長(大磯町) 3道祖神の着替え(大仙市横掘) 4ちょんぼ地蔵尊祭り(長岡市栃尾) 5道祖神の火事見舞い(北杜市高根町) 6道祖神祭りと藁馬(大山町、米子市) 7ヒイチ(忍野村)など。 講座の終えてから受講者と「道祖神祭りは男の子の祭り」「奇岩・巨石信仰と道祖神塔(石の民俗)」「月待塔の性格」などについて歓談。
12月11日 午後7時から居酒屋で米寿の私を祝う会を「サライの会」が開いてくれた。 「サライの会」は15年前の市P連情報委員さんの有志の会だそうな。(その存在を私は全く知らなかった) 当時市P連は「P連だより」と「情報委員会だより」をそれぞれ年二回発行していた。そしてその発行に私も関わっていた。各単Pのエースである情報委員さんは一年間の活動で強く結ばれた。それで任期明けの折、「別れがたい。一年に一度集まりましょう」と「サライの会」を立ち上げ、今年て15年を迎えた。「サライの会」の存在を知り「新聞づくりは仲間づくり」と言ってきた私の思いを実証してくれたと感慨深いものがあった。 元気な暮らしぶりを報告し合い、笑い合う50代のお母さんたちに私も元気づけられた。再来(サライ)を誓い9時半に閉宴。
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公民館祭りに三部門で参加 【No.1854】 2024年12月10日
12月8日 東公民館祭りに「まほら秦野みちしるべの会」の一員として参加。会は「古道・大山道を歩く」のウオーキングマップの展示。その関連として「チーム竹の子」が「目ひとつ小僧」と「秦野の道祖神祭り・トッケダンゴ」の紙芝居を上演。幼い子どもたち最前列にずらっと座ってくれるなど、二回の興行で80人近くの人が見に来てくれた。それで演者もハッスル。今までの公演の中で最も大きな拍手をもらった。 私が受け持った「トッケダンゴ」の中で、「どんど焼きで焼くダンゴは三つ」と話した。なんと、観客の中に議員の牧島かれんさんがいらっしゃった。上演が終えた私に近づいてみえ「ダンゴは三つ焼くの話、しっかりと受け止めました。ありがとうございました」と挨拶してくださった。 夏休みに行った「親子かべ新聞作り」の作品も4点展示。熱心に読んでいる親子連れが姿が幾つも見られた。私も会員の「秦野ゆとりの会」は、野菜類の販売。定年後畑に入った仲間が野菜農家として成熟。大根、里芋、生姜、落花生などの見事な実りを並べた。主婦には好評。
※焼いた三個のダンゴのひとつは、ダンゴ焼きに来た人と交換(トッケッコ =取り換え)して食べる。ダンゴを取り換えて「うれしいことも悲しいことも分け合って、助け合いながら暮らしましょう」という願いを込めて香ばしいダンゴをほおばる。残りの二個は家に持ち帰る。そして、そのうちの一個は家畜(牛や馬)に食べさせる。「今年も畑仕事 がんばってね。私もがんばるから」と頼む。残りの一つは、ダンゴ焼きに行けなかった家族が分け合って食べる。ダンゴ焼きのダンゴを食べれば一年間風邪を引かないから。
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12月1日 【No.1853】 2024年12月02日
・大小の脚立繰り荒れ庭に庭師はつくる大き日溜まり 火曜日から始まった庭木の手入れが終わった。「一陽来復」はまだ先だが、明るい庭に。新年を迎える準備が始まった。頼んでいた正月用の掛け軸「双鶴」の修復が出来たとの連絡が入ったので受領に。ついでにホームセンターに寄りお掃除シートを買う。竹箒も新調。大掃除をヤル気十分な私に、子が言う「頑張らないで。腰を痛めたらオシマイだよ」。 「神奈川の富士山」というカレンダーをAさんが持ってきてくれた。年賀状の印刷もそろそろお願いしなければ。「ようやく掘れたから」と里芋をNさんが持ってきてくれた。早速夕食のテーブルに。ほくほくで柔らかい。おいしい。冬は「里芋の煮っころがし」だ。 ゜こうして今年の12月は始まった。
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お帰り うれしいよ 【No.1852】 2024年11月28日
11月26日 昼食のとき、妻がガラス窓の方を指差して「野鳥が来ている!」と言う。目をやると窓越しにが茶色の羽に白い紋付きがある「ジョウビタキ」の姿が。 「帰ってきたんだ! その挨拶に顔を見せてくれたんだよ」。そう、旅立ちの挨拶に来た時と同じ所に姿を見せてくれた。お腹の部分が灰色ががっている茶色だからメス。HP「マンスリーエッセイ・2023年4月更新」に載せたものと同じ個体と思いたい、信じたい。「お帰り。うれしいよ」
402号の「にっきの記」3月3日に 「旅立ちの季」と題して書いたのは次の文。 2月27日の午後5時少し前、台所の横の竹垣にジョウビタキが一羽姿を見せた。しばらくして飛び去ったがまた舞い戻ってきた。その繰り返しが4回。3月1日も同じ時間帯に飛んできて羽を休めた。私からは2mほどの近さ。また来るのではないかとカメラを用意していたので、その姿を撮ることができた。 我が家には毎年ジョウビタキが来る。そして、私が畑仕事や庭の草取りをしていると近くに来て私を見守ってくれる。冬鳥はそろそろシベリヤや中国へ渡る季だ。あれは旅立ちの挨拶だったのだ。 ・尾を振りて旅立ちを告げに来しジョウビタキ元気で渡れ帰って来いよ
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11月22日は「いい夫婦の日」 【No.1851】 2024年11月22日
今朝の深夜便の「にっぽんの歌 こころの歌」は、11月22日は「いい夫婦の日(11と22でイイフウフ)」にちなみ「夫婦(めおと)ど演歌」を流してくれた。曲は「喜びも悲しみも幾歳月」「夫婦春秋」「だんな様」「命くれない」「二輪草」など。泥くさい夫婦演歌とアナウンサーは言ったが昭和人の私はこういうど演歌が好き。これらの曲に歌われる夫婦はすべて“イイ夫婦”
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こんにちは 何してるんですか 【No.1850】 2024年11月21日
11月20日 午後、生垣に絡む蔓を取り除いていたら、「こんにちは」とかわいい声が。見ると、小学校の金網のフェンスの向こうに二人の女児。学童保育の子だ。「こんにちは」と返すと、二人は手を振り「こんにちは。私たちを覚えてますか」と明るい声。エーッと? そう、二週間ほど前、畑にいたときフェンス越しに「こんにちは」と声をかけてくれた二人だった。「きょうは何してるんですか」と問いかける。「木に巻き付いた蔓を切っているんだよ。もうすぐお正月が来るから、家の周りを綺麗にしてるんだよ」と言ったら「大変ですね。がんばってください」と明るい大きな声の励まし。 子どもの声が聞える学校の隣はイイ! それこそ〈頑張って〉いい仕事が出来た。
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武・切手コレクション 【No.1849】 2024年11月13日
Nさんからのメール(11月12日) ご無沙汰いたしております。急に寒くなりましたが、お変わりなくお過ごしですか? 私は変わりなくセブンで頑張っています。早いもので勤め始めて7年目になりました。 長女は就職先が決まり4月からホットヨガのインストラクターとして働きます。四大出てヨガ講師?と思いましたが本人曰く、給料が違うらしいです(笑) 現在高3の次女は4月から歯科衛生士の学校に通うことが決まりました。進路が決まったので今はマックでのバイトに励んでいます。三女は相変わらず陸上部で頑張っています。今年は自己ベストを出すことができなかったので、冬季の練習を励み来年に向けて力をつけるそうです。 本当ならお電話で…と思ったのですが、先生に画像を送りたかったのでメールで失礼します。「エコー」毎号楽しみに拝読していますが、私の楽しみは他にもあるんです。それは毎回違う切手! 初めの頃は気にも止めず(すみません)ふとした時に「あれ? 毎回違うのかも」と気付き切り取っておくようにしました。郵便料金、昔は62円。それから80円→82円→84円。今は110円。それが確認できる私の「武・切手コレクション」をお見せしたくメールさせていただきました。また仲間と先生とで集まることを楽しみにしています。
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新制中学 【No.1848】 2024年11月07日
11月6日 青竹を炙り熊手の爪作る授業もあった新制中学 ↑ 11月3日の神奈川歌壇に掲載された私の作品。 この歌にお三方から感想を頂いた。これは滅多にないこと。 昨日の会で出合った87歳のKさんが「遠い遠い昔の新制中学の光景が次々に浮かんできた」と言葉をかけてくれた。「〈新制中学〉を詠んだ武さんと急に話をしたくなった」と午前8時に電話くれたのは高校時代の後輩Īさん86歳。80歳のOさんは「〈新制中学〉という言葉から浮かぶのは〈物が無かった〉ということ」と手紙をくれた。どなたも〈新制中学〉という言葉に強い郷愁を感じたようだ。
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熊手を持って 【No.1847】 2024年11月04日
11月3日 文化の日 ドウダンツツジが少し色づき始めた。隣りの柚が黄色に輝いている。お茶の花がふっくらとした花を咲かせている。明日から「ゆとりの会」は菊花展を開く。私もざる菊で参加する。梅の木はすべて落葉。桜の葉が絶え間なく散る。 「高砂」の“おまえ百く(掃く)まで わしゃ九十九まで(熊手)”にあやかろう。わしゃ、まだ“八十八”だから、熊手をもって庭に立つ。 今日は「文化の日」。神奈川歌壇で谷岡・今野先生共選の栄。 ・青竹を炙り熊手の爪作る授業もあった新制中学
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寺山文化講演会 【No.1846】 2024年10月28日
10月27日 寺山自治会連合会による第27回寺山文化講演会で講演。選挙の投票日と重なったので参加者の数が気になっていた主催者。だが来場者は30名を超えた。そのため用意した資料が足りなくなり受付係は少し慌てていた。東中時代の教え子、みちしるべの会、チーム竹の子、隣組の三軒、「エコー」の読者の顔もあった。 そんな喜びと緊張で興奮の中でスタートして二時間。「歩いてみよう寺山」が演題だがパワーポイントを使っての映像によるウオーク。 この講演会は今回で6回目の登壇、88年間私を育んでくれた寺山だから「思いの丈」を話したつもりだったが、終わってみると相変わらず話し残しが多かった。情けない。それでも、参加者の一人が「寺山に人がもっと寺山という地のことを知ってほしいと思った」と感想を述べてくれた。すこし救われた気持ちになれた。
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さわし柿 道祖神の御朱印 【No.1845】 2024年10月25日
10月24日 今年も岩手の渡辺知子さんからさわし柿の第一便が届いた。例年より一週間くらい早い。「〈暑すぎた夏〉のための異変。実は大き目ですが、早く熟してポタポタ落ちてしまいます。高温障害でしょう、〈日焼け〉と〈煮え果〉です」との便りを読む。知子さんのご苦労の成果だから、甘い! さわし柿と共にもう一つ感激したことは、道祖神の御朱印が同封されていたこと。知子さんは22日に平泉中尊寺を参詣、中尊寺地蔵堂の御朱印を頂かれた。その御朱印は「道祖神」。御朱印所の裏に小さな社があり男女双体坐像と金精様の二基が祀られているとのこと。
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小山町に住む《隣の安雄さん》から電話 【No.1844】 2024年10月17日
10月16日 朝8時前に静岡・小山町に住む山ア安雄さんから電話。「岳麓新聞の《日曜さろん》欄(10月13日号)に先生の本『道祖神の里めぐり』のことが書いてある。その記事をフアックスで送るから」とのこと。山崎さんは教え子、生家は我が家の隣。今朝の電話も「お早うございます。隣の安雄だけど」で始まった。
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秋天好日 【No.1843】 2024年10月14日
10月13日 「ふるさと再発見ウオーク」に参加 東地区体育協会と東公民館共催の「ふるさと再発見ウオーク・寺山地区編」の日。午前8時30分の開会。 協力「みちしるべの会」ということで横山、浦田、笠井、大木さんがガイド。私は30分のミニ講座(波多野城の在り処)を担当した。参加の17名は、秋晴れの下楽しく歩けただろう。
10月10日 第2回「ランチの会」 第2回「ランチの会」があずま荘で開かれた。今回は東地区自治会の本部の役員がお客さんだった。豆ごはん、そば、手巻き寿司、煮物、サラダと豪勢な昼食。 食後の懇談で昭和時代の暮しに話がおよび、マムシ捕りのことで座は盛り上がった。私は東区の地名の由来や参加者の名字(加藤、渡邊、橋本、根倉など)の意味を語らせてもらった。気が付いたら1時間ほどの民俗懇話会になっていた。
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10月10日 エコーのHPを更新 【No.1842】 2024年10月11日
内容 1最新のページ ・道祖神の里めぐり(山梨県北杜市 長野県富士見町) ・十五夜 2 教育コラム『エコー』 ・新採用のときの出会いが今も生きている エコー教育広相談報室の活動 3 返ってきたエコー ・若い人の表現力にリスペクト ・一生懸命動いてくれる身体に感謝 ・祝創刊40年 ・ハピイバースデイ 4 秦野のおはなし ・消えた秦野銘菓「煙草煎餅」 5マンスリーエッセイ ・鼓笛隊 校庭に現れる ・敬老の日 ・人面付石祠道祖神 ・55-55 6 秦野の新聞教育 ・家族新聞づくりのまとめ
※最新のページに「人面付石祠道祖神」と「十五夜」の写真をアップ。
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10月6日 【No.1841】 2024年10月07日
朝10時前、雨の中、Aさんと4歳の孫が合羽、長靴の完全装備で現れた。今日は約束のサツマイモ掘りの日。だが雨では無理かと思っていたが「やる」という4歳。尻もちをついたり、転がったりしながら5株を掘り出し、ご機嫌で帰っていった。 「お昼に食べて」とWさんが炊き立ての五目御飯を持ってきてくれた。Fさんがリンゴとナシを手に「お元気ですか」と訪ねてみえた。夕方、「お祝いです」と愛川町の銘菓を持ってかTさんが玄関に立ってくれた。このお三方の来訪は叙勲と米寿のお祝い。感激、もったいない。他の来訪者、子どもの結婚報告のSさん。自治会のKさんは講演会の講師招請状を持って。自治会費の集金に組長さん。 大根と小松菜の育ちは順調、追肥をする。長男と庭の落ち葉掻き。これからは桜の大樹から大量の落ち葉が……どうしよう。「10月の歌壇」入選。
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10月1日 【No.1840】 2024年10月02日
隣りの小学校の校庭で鼓笛隊の練習が始まった。9月中は昼休みはもちろん中休みの時間も校庭に子供たちの人影はほとんど見られなかった。 今日10月1日、「暑さもそろそろ」と言うことだろう、今まで室内で練習してきた鼓笛隊がようやく校庭に出られるようになったのだ。ドラムの音がリコーダーや鍵盤ピアノが奏でるメロディを圧倒しているのは、外で思い切りドラムを叩ける喜びだと思った。 本番に向けて日を追うごとにメロデ―が洗練されていくのを妻と共に感心しながら聞いている。
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道祖神の里めぐり 山梨・長野へ 【No.1839】 2024年09月28日
9月25・26日 石祠道祖神は山梨県で多く見られる。その石祠道祖神に人面(猿田彦大神)が付いているものに初めて出合ったのは山梨・中央市豊富で2014年の4月。今回の「里めぐり」は、彩色された人面付きの石祠道祖神が北杜市須玉町に2基あることを知り逢いに出かけた。 ・山梨県北杜市須玉町の比志神社境内 @赤く彩られた人面付き(猿田彦大神)石祠道祖神 ・須玉町小尾 A人面付き(赤鬼)の石祠道祖神 B人面付き(彩色無し)石祠道祖神 ・山梨県韮崎市藤井の当麻戸神社境内 C双体道祖神3基 D石祠道祖神5基 ・長野県富士見町 E線彫り双体道祖神 F石祠道祖神 ・そして2020年1月、私の地区のどんど焼きに富士見町から参加してくれた下平武さんを訪ねた。
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動画二本 【No.1838】 2024年09月23日
9月22日 長男が大谷選手の50号メモリアルアーチの動画2本をパソコン上にアップしてくれた。一本は私が観たテレビの映像だったが、もう一本はユーチューブにアップされたレフトスタンドから撮影されたもの。大谷選手が50号を放ったその瞬間からベンチに戻るまでの様子が映されている。ドジャーズのベンチの喜びよう、そしてスタンドの人たちの興奮ぶりが映されている。このアングルからの光景は普段の野球中継の映像と大きく異なり新鮮そのもの。大谷選手の偉業を讃えているアメリカ人の気質を見ることができた。
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2024年9月20日 51-51 【No.1837】 2024年09月20日
歯医者に行く日なので、出かける前に大リーグの試合を観戦。この試合で大谷翔平選手は三打席連続のホームラン。この一試合で51-51を成し遂げた。大谷選手と同じ時代に生きていたからこそ・88歳まで生きてきたから、彼のこの偉業を目の当たりにすることができたのだ。私は幸せ者だとしみじみ思った。ありがとう大谷さん。
2009年8月18日 花巻東高校を表敬訪問 高村山荘から高村記念館。南部杜氏伝承館で朝から試飲。宮澤賢治記念館の来館者の感想ノートに書かれているたくさんの子供たちの文を読んだ。童話は子供たちに夢を与える。宮澤賢治童話村の「賢治の学校」を見学。賢治の動植物に対する造詣の深さを知る。 昨日、横浜隼人高校を破った花巻東高校に敬意を表しに?行った。花巻東高校は大リーグで活躍している大谷翔平選手と菊池雄星選手の母校。 正門の右脇に二宮金次郎像、台座に「二宮金次郎の歌」が三番まで刻まれていた。「柴かり 縄ない わらじをつくり 親の手をすけ…」、小声で三番まで歌った。心が爽やかになった。校門を入った右手に「選抜準優勝」の記念モニュメント(バット三本の上に球)があった。 ※「ECHO」267号(2009年9月発行)より
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十五夜 【No.1836】 2024年09月19日
9月17日 朝の二時間で大根と小松菜を蒔いた。この日照りだと発芽が少し心配。そのあと、里芋とサツマイモを掘る。十五夜は「芋名月」ともいわれているが里芋はまだ小粒。だがサツマイモは十分な太り。 西瓜、カボチャ、落花生、里芋、サツマイモと、すべて自家製の野菜を供えた今年の「十五夜」。ススキは近くのTさんが採ってきてくれた。妻はバスでダンゴを買いに行った。 月見飾りの棚の横に信楽からやって来た狸さんが鎮座。「しょう しょう しょうじょうじ しょうじょうじのにわは つ つ つきよだ みんなでて こいこいこい おいらのともだちゃ ぽんぽこぽんのぽん」(しょうじょうじのたぬきばやし)。 今年の「中秋の名月」は綺麗に晴れ渡った空に見事に輝いた。
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敬老の日 【No.1835】 2024年09月17日
9月16日 今日は《敬老の日》。あまり盛り上がりが感じられない祝日だと思う。誰が誰をどのように敬うのか。2003年から毎年9月の第3月曜日が 「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う敬老の日」と書かれている。だが老人の私は、誕生日は素直に喜べるが、この日は何の感慨もない。 そんなことを思いながらユーチューブで、お気に入りの浜松湖東高校吹奏楽部の「ど演歌えくすぶれす1〜3番」を聴いた。そして他の高校の演奏を探していたら大阪桐蔭高校の吹奏楽部が、この日9月16日・敬老の日に合わせてアップした動画に行き当たった。その内容は、美空ひばりの「川の流れのように」をバックミュ―ジックに、11人の部員が楽器を手に祖父母に「好きだよ」「長生きしてね」「じいじの野菜美味しい」「ばあばの作るご飯食べに行くね」などそれぞれが《敬老の日》のメッセージを届けている。私まで感激したこの企画は吹奏楽部OB会。 ※17日午後1時のアクセスは1.4万回。
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「暑さ寒さも彼岸まで」は死語になるか 【No.1834】 2024年09月12日
9月12日 前橋の大野さんから道祖神の写真・第4信が届く。 「こんにちは。猛暑と腰痛でしばらく活動を休んでおりましたが、 7日(土)に撮った写真をお送りします。場所は前回と同じ町のアクセスする道幅も狭い山あいの小さな集落付近(桐生市黒保根町宿廻)です。元は黒保根村といって今は桐生市に編入されていますが、市役所がある中心エリアとの問にみどり市を挟んだ飛び地となっています。これも双体道祖神です。狙ったわけではないのですが、双体道祖神に絞って探してみるのも面白いかもしれません。前回の場所からも近く、この地域には探せば他にもありそうな感じがしました。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、温暖化の進行でこの言葉も近いうちに死語となってしまいそうに真夏日が続くようです。引き続きお身体ご自愛ください。」大野さん 道祖神にはまったかな?
9月10日 5日の日記に「今年の落花生は難を逃れそうだ」と書いた。ところが今朝見回ったら、隅の方がやられた。それで急遽「豆ぶち」。白い鞘が土から出てくると嬉しくなる。採れた量からすれば被害は最小限に抑えることができたようでよかった。ついでに西瓜もカボチャも摘んだ。三品を仏壇に供え実りを報告した。褒めてくれたかな。
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【No.1833】 2024年09月06日
9月5日 朝夕はもう秋の風。8時から二時間畑に降りた。ネギ、生姜、里芋の畝の草取り。オヒシバ、メヒシバ、そしてクルマバザクロソウ(図鑑で調べ初めて知った)。若者言葉でいえば「ハンパナイ」茂り具合。ある程度頑張り退却。 ついでに他の作物を見て回る。今年のカボチャは三個、いい出来。そろそろ収穫期か。カボチャの蔓と絡んでしまった西瓜の蔓を持ち上げて見たら、隠れていた西瓜を一個発見。20センチくらいの中玉。縞模様もしっかりついている。驚きと喜び。カラス、ムジナに襲われていなかった。17日の十五夜さんに供えると決め、プラスチックの籠で覆い、黄色のネットをかけた。落花生も今まところ無事。
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台風10号 【No.1832】 2024年09月03日
9月3日 迷走台風の影響が大きかった秦野の様子がテレビや新聞で報じられている。私の住む寺山の道も崩れて通れなくなった。我が家への影響は? 今日届いた手紙の消印は「秦野 8月29日12〜18」。
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【No.1831】 2024年09月02日
8月30日 「丹沢ドン会」 棚田学会賞を受賞 おめでとうございます (片桐務さんからのメール) いつも「ECHO」 楽しみに拝読させていただいています。ありがとうございます。先生の「動かなければ出会えない、語らなければ広がらない、聴かなければ深まらない」をこころに、勝手に「楽しくなければ続かない」と自分流を加えて丹沢ドン会の活動を続けて来ました。このたび思いがけず、「第20回石井進記念棚田学会賞」をNPO法人自然塾丹沢ドン会が受賞し、可児理事長と片桐が授賞式に参加しました。さまざまな方々に支えられて今日があります。「感謝」以外のことばは浮かびません。 8月29日 《本好き》のKさん 神奈川新聞の「自由の声」欄にKさんの「図書館ネットに助けられ」が掲載された。《本好き》なKさんらしい文。ふらふらしている《台風》に比べ何と明快な文か。20数年前に広報作り講座で出会ったときから変わらない生き方に敬服。
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HP更新 【No.1830】 2024年08月20日
8月20日 「ECHO」のホームページ更新。
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八月の十八日に生れし吾 【No.1829】 2024年08月20日
八月十八日は八十八回目の誕生日。この日に生んでくれた母に感謝。そして親族やご縁を頂いた皆さんのお陰でこの日を迎えることができた。ありがとうございます。八と十と八だから米寿。「米寿」は私のためにある祝いと思っている。 ・八月の十八日に生れし吾 今日正真の「米寿」迎えり
誕生日を旅先で迎えることもあった。▽能登・禄剛埼灯台 ▽北海道・根室 ▽愛知・伊良湖岬 ▽「郡上八幡盆踊り」 ▽「西馬音内盆踊り」(秋田・羽後町) ▽「東山盆踊り」(会津若松市) ▽飛騨高山の朝市 ▽四国八十八番札所・大窪寺 ▽群馬・敷島球場(中学野球関東大会で準優勝) ▽ナゴヤドーム ▽神奈川病院(腰椎圧迫骨折で入院) 旅先で迎えた誕生日の中で印象深い一つは51回目。1990年の夏、家族三人でイギリス・コベントリー市のグラハム家を訪れた。長男の友人であるバーレーンの青年三人の手によるアラビア料理での誕生会。グラハム夫妻も加わり八人のパーティ。ノーリ君が「クッルアーミン ワ アントゥム ビハイル」と祝ってくれた。 蝉が鳴いている。 ・今生れし声に混じりて今生の別れも聞こゆ夕蝉しぐれ ・父よりも五年永らえ今日「米寿」 九年を経て母に並ばん
8月18日の誕生花は〈百日草〉・花言葉は「友への思い」
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あきあかね 【No.1828】 2024年08月17日
8月17日 台風一過 裏の畑に赤とんぼが舞い、庭にシオカラ蜻蛉が飛んでいる。 いつも一人で赤とんぼ 種田山頭火 とんぼ釣り今日はどこまで行ったやら 加賀千代女 赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする 風天(渥美清)
▽臆面もなく駄句を並べること、お許しください。 蜻 蛉 勝美 山頭火千代女風天赤とんぼ ふるさとの山襞の濃し秋茜 バス停は豆腐屋の横赤とんぼ 噴水の枯れし水面やとんぼ舞う
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夕顔の煮もの 【No.1827】 2024年08月15日
8月13日 「田舎では夏は欠かせない料理」とKさんが夕顔の煮ものをもってきてくれた。Kさんの故郷は山形県大江町。この地方では暑い夏にはよく食べるとのこと。頂いたときは未だ温かかった。「冷蔵庫で冷やして食べて。食べるときにはカマカニを裂いて乗せるとイイ。ホントは鶏肉を使うんだけど、なかったのでカニカマ。唐辛子をちょっと振るのもイイ」カニカマも付いていた。 初めて食べた。ビールにもご飯にも合う! 美味しかった。
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シェイクアウト 【No.1826】 2024年08月12日
防災訓練の実施を知らせるプリントが届いた。目を通したら「午前9時から各家庭でシェイクアウト訓練」とあった。初めて出合った言葉「シェイクアウト訓練」とはどんな訓練なのか。調べたら、「シェイクアウト」とは、地震の際の安全確保行動1-2-3「まず低く、頭を守り、動かない」ということ。この言葉はもう十分認知されていて、知らない私は防災意識の欠如か。横文字・カタカナで表すと緊張感がすこし弱まるように思うのだが。
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地震 【No.1825】 2024年08月11日
9日夜の地震の震源地は秦野とか。我が家の被害は、応接室のこけしが棚から転落。二点の絵画の落下し破損。家具は固定しておいたので転倒はなし。でも、なぜか冷蔵庫の中でコップが倒れていた。飲酒への忠告? 地震見舞いのメールが二通。。ありがたいことです。
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【No.1824】 2024年08月08日
8月8日 相原明美さんからのメール こんにちは ご存じですか! 「煙草煎餅」の亀本さんのが7月31日店じまいしたと、今聞きました。素朴で美味しかったのに残念です。知っていたら、買い占めに行きたかったです。あの形、あの味、他にはなかったのに。秦野の銘品が一つ無くなってしまいました。残念です。
煙草煎餅と私 秦野『亀本』の「煙草煎餅」は、たばこの葉を模した香ばしい卵煎餅である。「道祖神の里めぐり」していた私の必携七つ道具の一つがこの「煙草煎餅」。名刺代わりに「煙草煎餅」を使った。道祖神の話を聞かせてくれた人や出会った方に「煙草が嫌いになる煎餅です」「タバコの代替え品」などと言って差し出す。先方は「煙草煎餅」というそのネーミングに驚き、怪訝な顔つきになる人もあったりしたが、私の話を聞き喜こんでもらえた。 その一人、長岡市上樫出の西片道夫さんの言葉。 武先生は道祖神めぐりの「七ツ道具」の一つ、秦野銘菓「煙草煎餅」をたくさんお持ちになられ、上樫出のちょんぼ道祖神・地蔵尊作りを見学に来てくださいました。道祖神作りのリーダー中村幸さんにいろいろ質問され、途中からはニコニコ顔でちょんぼ作りの仲間に加わられました。栃尾祭りの花火大会でのサプライズ―そのことを『栃尾タイムス』のコラム「街の片々」で読み、感動いたしました。これからもお身体を大切にされ、お元気でご活躍ください。
「亀本の煙草煎餅のこと。わが子三人の結婚式の引き出物にこの煎餅を添えました。我が家にとっては掛け替えのない品物でした。亀本さんのお店がまだ駅前にあったころ、先代のおばあちゃんが着物姿でお店番をしていらっしゃって、煎餅を買いに行くと《訳あり》の煎餅をおまけにくださった嬉しさを今も覚えています。 畠 和子 秦野に嫁いで27年になりますが、「煙草煎餅」を知りませんでした。煎餅に短歌が焼きこまれている、材料にもこだわって蜂蜜も地元産。さっそく「ショッピングセンター」に買いにいこうと思いました。教えていただいてありがとうございました。 浜野すみ江
秦野に嫁継ぐときまってから「煙草煎餅」を手土産にいただくことが多かったです。嫁いでからは私が手土産に実家に持って行ったり。過日の「梅の実会」総会の記念講演の折先生から会員に煙草煎餅をプレゼントしてくださったこと驚きもまた懐かしく嬉しかったです。 三杉 幸子
わが家は私が小学校六年生まで、秦野葉を耕作しておりました。「めど欠き(芽止め)」をすると指先が真黒にヤニだらけとなり、葉タバコ臭いが嫌いになりました。農事試験場の指導員は、訪問先での葉タバコ耕作の指導に、関野作次郎翁の「煙草耕作指導歌」の焼き込まれた煎餅も使われたのではと思います。下ぶくれの秦野葉のようなコゲ茶色を出すのに秦野産の蜂蜜を使用したり、天候の具合にあわせて焼き加減を調整されているので手焼きの感じが伝わってきます。土産物の多くはその地域の名物・名産を形にしていますが、詩歌や農作業の様子を土産物として図案化されている土産品・『煙草煎餅』は珍しいと思います。 大木 伸男
「煙草煎餅」に短歌が書かれていることを初めて知りました。 志村 良江
生家が葉タバコ農家だった平川貞夫さんから「煙草煎餅を買いに亀本を訪れたが、コロナ禍と機械のメンテナンスのため今は焼いていないとのこと。とても残念でした」と便りをもらった。
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本望だろう 【No.1823】 2024年08月02日
8月1日 ガスコンロの交換。取り付けに来た人が、外した器具の製造年を見て言った。「これだけ使ってもらえればコンロも本望でしょう」。どうやら20数年 耐えてくれたらしい。朝食の後片付けの最後にコンロをきれいにすることは欠かさなかった。物持ちがいいのか? しわい屋なのか? 今朝はお礼とお別れの心を込め特別に時間をかけ拭き上げた。「ご苦労さん、 ありがとうよ」
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