光陰矢の如し 【No.1632】 2022年04月02日
3月31日 新聞に令和四年度の教員の人事移動が載った。その「退職者」の欄に一緒に仕事をした先生方の名前を散見。 午後二時ごろ鶴巻中で一緒に仕事をしたIさんが来訪。「今日で学校の仕事は終わりにしました。ありがとうございました」と挨拶。再々雇用の話を断ったとのこと。 〈光陰矢の如し!〉 Iさんをはじめそれぞれの先生とのふれあいが次々蘇る。 ウチの桜は満開。さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉
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百年桜 【No.1631】 2022年03月29日
3月28日 まだ二分咲きのソメイヨシノに午後6時灯を入れた。すると8時ごろ近所の大学生Uさんから電話。「今年もライトアップ有り難うございます。とてもきれいで感動しました」と。電話はUさんのお母さんのTさんに替わり、最後はおばあちゃんのNさん。「ウチのためのライトアップみたいで」と喜んでくれた。ライトは移動できるので、明日は位置を変え道から見えるようにしたい。この桜を植えたじいちゃん・ばあちゃんも空から眺めているだろう。 百年桜に灯をともし清浄忌の父を今宵迎えり
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飛騨の蕗の薹 【No.1630】 2022年03月27日
3月26日 庭のソメイヨシノがいくつか花開いた今日、「季節外れの大雪で春が遅くて、今日になってしまいました」という便りと共に、飛騨高山から蕗の薹が届いた。赤紫のガクにしっかりと包まれたものも混じって、その数50粒ほど。夕食は蕎麦ということにしていたので、妻に天ぷらと蕗味噌を頼んだ。 一合の酒に十粒(とつぶ)の蕗の薹
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お隣の学校に 【No.1629】 2022年03月22日
3月20日 「エコー」応援隊の一人Wさん母娘の来訪。教員試験に合格した娘さんが四月からお隣の東小学校に勤務が決まったとのこと。「困ったときには駆け込ませてください」とお母さん。「嬉しいこと、楽しい話しも聞かせてください」と私。 母娘ともに新聞づくりで出会った。
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春は別れの季節、旅立ちのとき。 【No.1628】 2022年03月19日
春は別れの季節、旅立ちのとき。 16日「JAはだの」組織教育課のKさんが離任の挨拶にみえた。Kさんが企画する「組合員基礎講座」の講師を務めてきた私にお礼の言葉を持ってみえたのだ。Kさんには秦野の「煙草煎餅」のことで個人的にもいろいろお世話になった。 二年前、腰椎圧迫骨折で入院した神奈川病院で出会った看護師・Oさんは気仙沼出身。そのOさんから「四月から新しい任地で働きます。秦野で武さんとであえて嬉しかったです」と便りが昨日届いた。私はもちろんのこと、大腸を手術した妻も励まし力づけてもらった。 座間市でPTA広報づくりを頑張ったFさんからも「末っ子が高校生になりました。8年間のPTA活動の終わり! 四月からは仕事を頑張らなければ。でも、もしやり手が無ければ一委員としてだったら協力しようかと。そうしたら、また先生にお世話になるかも。まだまだ元気でいてください」と手紙が。Fさんは東中時代の教え子。
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「東地区寺山の歴史・民俗を訪ねる」講座 【No.1627】 2022年03月14日
3月13日 午前9時30分から西公民館で活動している「西地区女性交流会」の外歩き講座のお手伝い。今回は東地区寺山での「歴史・民俗を訪ねる」講座で参加者は館長さんをはじめとして10名。講師は「みちしるべの会」の横山さん。歩けない私は「波多野城址と波多野一族の居住地」について東中の西門の広場で説明をした。私の話をあのイチョウの樹も聞いてくれた、と思っている。
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春が来た 【No.1626】 2022年03月13日
3月12日 10時ごろ、藪椿にウグイス来た。「ホケキョ」はまだ幼い囀りだが、たしかにウグイス。こんなに早い時期に飛来するのは近年まれ。午後になっても地鳴きが時々聞こえた。 三月の鴬の囀り幼なくて
午後、Mさんが医学部に合格した子と共に来訪。壁新聞講座で「地震新聞」(H26)、「8.15新聞」(H27)を作った子。高校の部活は「軽音」でドラムをたたいていた。そして現役で国立の医学部に。
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2011年3月11 日 午後2時46分 【No.1625】 2022年03月11日
3月11日 気仙沼・大島の村上典子さんからの便り あの日の大震災。坂の途中にある我が家を境にして、周りの家々は津波で流失。幸い我が家はその難は免れましたが、やっていた民宿の建物は大きな被害を被りました。それでその建物も昨年の夏とり壊しました。その跡地にたくさんの綺麗な花を咲かせることを夢見ています。 題字下に「果たそう復興」と記す日刊紙あり気仙沼市に 「三陸新報」に仲立ちに、今気仙沼の八人の方と交流しています。
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50回 【No.1624】 2022年03月07日
3月6日 歌壇で二回目の「特選」。句歌合わせて50回目の入選。 「杉山での枝打ち」について詠んだので、杉山先生からお褒めの電話をいただいた。床屋に行く気になかなかなれないまま2か月が過ぎてしまった。今日は春の陽気なので長男に調髪してもらう。 チューリップの芽を数えたら20ほど。 チューリップの新芽が覗く今朝の春
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一本の鉛筆があれば 【No.1623】 2022年03月05日
3月4日午前4時台の「ラジオ深夜便」で流れた歌。「一本のえんぴつがあれば」歌・美空ひばり 詞・松山善三 曲・佐藤勝 「一本の鉛筆があれば」 あなたに聞いてもらいたい あなたに読んでもらいたい あなたに歌ってもらいたい あなたに信じてもらいたい 一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く 一本のえんぴつがあれば 戦争はいやだと私は書く 八月六日の朝と書く 人間の命と私は書く ウクライナの原子力発電所が攻撃され、ロシア軍の手に落ちた。
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ウオーキングマップ 第5集発行 【No.1622】 2022年03月04日
3月31日まて「まほら秦野みちしるべの会」が「イラストマップ展」を東公民館で開いている。会は2016年に秦野市内を11地区に分けたイラストマップを完成・出版したが、そのマップを再編集し「ウオーキングマップ(A4判」として順次発行してきた。今までに東地区2編、本町地区2編を作り、この三月に西地区編の完成をみた。 ウオーキングマップは、その地区の歴医的遺物(道祖神・庚申塔・道標など)文化財(社寺)などの見学ルートの距離・所要時間も紹介している。会員が実際に歩き作り上げた自信作である。ギャラリートークをしたいのだが出来ないのが残念。
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二月尽 【No.1621】 2022年02月28日
2月27日の神奈川新聞のコラム「照明灯」に私の『道祖神ワンダーワールド』が脇役として登場。主役はあの永井荷風の随筆集『日和下駄』。思いがけない《うれしい》できごと。ワクチンの三回目の接種は済ませた。二月は今日で終わり。「道祖神の里めぐり」の春はそこまで来ている、そう信じたい。 石神の頬のゆるみし二月尽
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ウクライナへ侵攻 【No.1620】 2022年02月25日
2月24日 三回目のワクチン接種。午後3時の指定。混んでいると思って防寒対策をしっかりして出かけたが、思いのほか空いていた。15分の待機時間は待合室で。テレビの「ロシアのウクライナ侵攻」を流していた。〈核〉を持っていれば何でもできるのか。ウクライナにはチェルノブイリ原発がある。 湾岸戦争が始まった日、私は横浜で学習検査の問題を作成していた。なぜかそのことが浮かんできた。 ツイッターに「第三次世界大戦」や「反戦」などのハッシュタグが出てきた。
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惜別 望月國男さん 【No.1619】 2022年02月22日
2月21日 新聞教育の同志・望月國男さん(78)とお別れ。
私の日記から ◇2021年12月 望月さんから電話「昨日西中に行ったらY先生に出合った。今年転勤してきたらしいが、知らなかった。新聞を作っているかと聞いたらやっていないという。Yさんに〈新聞指導の力を西中でも発揮してよ〉と話した。彼の持っている力を発揮させないのはもったいないよ。先生からも勧めてよ」 望月さんとは新聞指導でも長い付き合いだ。出会いは秦野西中。西中のPTA広報が日本一になったのは1975年。そのとき望月さんはP広報の、私は学校新聞の担当だった。 ◇2021年11月 望月さんから電話をもらった。私のタウンニュースの記事を読んでのこと。心と体が満ち足りた表情のイイ写真だと褒めてくれた。「生きている限り教育と関わりたい。それが教師としての私の〈完遂〉」という私の言葉に強く共鳴してくれた。 「通院で点滴の治療をしているが、体力がかなり落ちた」と言う。だが昨夜はコミュニティスクールの運営員会に出席をしている。笠井重治と澁澤栄一との繋がりを調べ本にするという『大仕事』にも取り掛かっていることを熱くかたる。大丈夫だ、元気だ。 ◇2020年5月某日 上梓した「西嶋が生んだ郷土の偉人笠井重治」を持って、望月さん来訪。この本を来年の成人式の日に西嶋の成人にプレゼントするとのこと。自分を育ててくれたふるさとへの恩返しをしたいと言う。治療はワンクール終わったらしい。二時間ほどお互いに良い時間を持てた。
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教え子にメール 【No.1618】 2022年02月21日
2月20日 教え子の宮永均さん(JAはだの組合長)にメールを送った。
「おはようございます。今朝の朝日新聞 be on Saturday版で、宮永組合長のお話を読みました。その記事の見出しに組合長の言葉が使われているということは、見出しを付けるデスク(見出しは取材した記者ではなく紙面を制作する責任者・デスクが付けるのです)の心をとらえたからです。《JAはだのは農業をおろそかにしない》という姿勢をとてもうれしく思いました。これからもがんばってください。」
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秦野の八重桜を守る 【No.1617】 2022年02月20日
2月19日 八重桜のジョイント栽培を行っている「フィールド・フォー・シチズン」の代表・小池勉さんと竹下さんが来訪。三年前から「八重桜の低樹高化が可能なジョイント栽培」という活動を進めているこの会は、三月二十日に活動報告会を開く。その会の案内状を持ってみえた。会のメンバーは渋沢小学校でPTA活動に関わった皆さんが中心で、広報委員をしていた竹下さんは、今回の発表会の資料作りに精力的に取り組んでいる。竹下さんから研究発表の内容についてアドバイスを求められた。 昔から秦野市千村地区を中心に食用八重桜の栽培が行われている。しかし近年生産農家の高齢化により、摘み取り作業が困難になるなど課題となっている。こうした状況下、この会の研究と実践は注目されてよい。
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83冊目 【No.1616】 2022年02月11日
2月10日 1987年2月6日から書き始めた日記が今日10日で83冊目に入った。2月6日にスタートしたのは、長男が《家出》した日だから。 その日から今日まで書き続けてきた。読み返すことはほとんどしていない。一日の動きのメモに近いが、時には1ページを超えることもある。「継続は惰性かも」と思うが日記は惰性にはならない。生きていることは「日々是新」 。明日のためにこれからも書くつもり。
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オリンピック開会式 【No.1615】 2022年02月11日
2月4日 今日は北京オリンピック開会式の日。50年前のサッポロオリンピックの開会式を思い出す。 1972(昭和47)年2月3日、私は「東中新聞」の編集長の和田(現・森山)政子さんと開会式の行われる真駒内スケート場にいた。辻村いずみさんが聖火トーチを掲げながら氷上を滑走し(私の撮った写真は今も奥の間に飾ってとある)、最終走者の高田英基さんが聖火台への階段を駆け上がり点火。私たちの席はその階段の脇だった。開会式の感動と感激を和田さんは記事にして毎日中学生新聞に送った。宮の森ジャンプ場でジャンプ競技(複合のジャンプ)も観戦。雪まつりのガリバーの雪像、札幌ラーメン、そして雪道で転倒という市内観光もさせてもらった。 1972年は毎日新聞創刊100周年の年。その記念事業の一つとして「全国小中学校新聞コンクール」を開催した。そのコンクールで「東中新聞」が「特選」に選ばれた。「豆記者による札幌オリンピック開会式の取材」という、とてつもない副賞が付いていた。
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尉鶲(ジョウビタキ) 【No.1614】 2022年01月31日
1月31日 ここ数日、二時間ほど庭に降りてはびこっている「竜の髭」をひっこ抜いている。するといつの間にか尉鶲(ジョウビタキ)が近くにいるのだ゛体が灰色味のある茶色で翼に白斑があるが、この白い斑点で「紋付き」とも呼ばれている尉鶲。体の色が地味だが丸い目がはっきり見えるので雌。はじめは3bくらい離れた枝垂れ桜の枝に止まっているが、近づいてきて地面に降り50aくらいまで寄ってくる。「ヒイヒイ」と鳴きときどきぴょこんとおじぎをして尾をふるわせる、その仕草がかわいい。私の作業で地面から出てくる虫を待っているのだ。冬だから虫などほとんどいない。この鳥は人間をあまり恐れない鳥と言われているが、こんな風に私の近くにずっと居るということは人間(私)に興味を持っているのかもしれない。冬だがこんな暮らしができるのは幸せなことだ。
耕せば尉鶲降りて餌を拾う元気で渡れ帰って来いよ (2020年5月3日入選) 秋仕舞いしている吾に紋付鳥「帰って来たよ」とピョコンとお辞儀
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早春 【No.1613】 2022年01月26日
1月26日 先週から昨日まで庭師に入ってもらった。丁寧に仕上げられた庭木、掃き清められた庭の梅はちらほらと開き始めた。昨夜の少雨が〈早春の庭〉をつくってくれた。
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歌壇で「特選」 【No.1612】 2022年01月17日
1月16日 2020年1月から始めた神奈川新聞の歌壇・俳壇への参加。最初の入選は2月2日の歌壇だった。それ以来入院の期間を除いて毎週〈挑戦〉している。〈挑戦〉とは継続すること。 今朝はその90週。「歌俳蛛vのページを開いたら、目に飛び込んできた「特選 秦野市 武勝美」の文字。「いつか特選を。そのときは」と寝かせておいたワインを夕食時に開栓。選者の今野寿美先生にただただ感謝。
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ダンゴ焼き 【No.1611】 2022年01月10日
1月9日 清水庭のダンゴ焼き(道祖神祭り)は二年前までは14日だった。だが昨年から、より多くの人・特に子どもたちに出てきてほしいということで、14日に近い休日に行うようになった。 今年は午後2時半の「火入れ」だったので三時前に出かけた。すでに20数人が来場してた。男の高齢者が十数人、この人たちが火守りを務めてくれいる。だが子供は、子供会がコロナで参加しないので数人と寂しかった。他県育ちのYさんが道祖神のことをいろいろ尋ねてくれたのは嬉しかった。 我が家ではダンゴは前夜作るのが慣わし。その団子を6個針金に刺し、アルミホイルで包み、青竹の先端に結び付けたものを持っていく。参加者の中では最高齢の私なので居合わせた皆さんから色々言葉をかけてもらった。1時間ほど皆さんと交歓して《早引け》を自治会長さんに告げたら、どんどの火で温めたにカッポ酒を紙コップ注ぎ「飲みながら帰ってください」と渡してくれた。 右手に焼いたダンゴの青竹、左手に温め酒。そんな姿で100bほど歩いて帰った。通りかかった乗用車が、私の横に留まり、運転席から「先生、お元気そうですね」と声をかけてくれた。教え子のOさんだった。「酒が好きと聞いたけど《呑兵衛》だな。しょうがねえなあ」と笑われているだろうな、と思った。信じてもらえないだろうが、歩きながら飲んではいなかった。柔らかく焼き上がった今年のダンゴは特に美味しかった。カッポ酒のツマミにもなった。
山峡の里に小さき斎灯立つ 頬かむりが火入れせしどんど焼 恵方より火入れの斎灯勢よし 旧民で守るどんどの火勢かな 残り火で小さき宴どんど祭 どんど火を守り来し顔一つ消へ
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初雪や内にいそうな人は誰 【No.1610】 2022年01月07日
1月6日 11時ころから粉雪がちらちら。そして午後になると本降り。夕方には5,6センチの積雪。これほどの雪は何年ぶりだろうか。隣の校庭には子供たちの明るい声が大きく響き渡っている。その声に誘われ、雪掻きスコップなど持ち出し童心に返った。 牡丹雪口で受けんと駆け回る学童保育の子らの歓声
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2022年元旦 【No.1609】 2022年01月02日
2022年1月1日 午前5時30分起床 我が家では正月三が日は家の中の神仏(大年神 天照大神 氏神・鹿島神社 恵比寿・大国 荒神 道祖神 御先祖)に燈明を灯し、朝は雑煮 夜は炊きたてのご飯を供える。その務めをするのは家長。 二階から快晴の富士が見えた。近年希なな美しさだ。頂いた年賀状に、老二人の健康を願ってくださる言葉がたくさんあった。ありがたいことだ。 白銀の富士に真向ふ金次郎の背に柔らかき初春の陽
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2021年の大つごもり 【No.1608】 2022年01月01日
12月31日 泥除け玄関マットの掃除。箒で掃くくらいではきれいにならない。竹の棒で泥を叩き落とすバンバンという音と土埃が子供のころの《煤掃き・ススハキ》がよみがえってきた。 天井の煤を払い、家中の畳を庭に持ち出し、竹棒で埃をたたきだした。家族全員で一日かけてのススハキだが、タンスや机、畳など持ち運ぶのはかなりの労働だった。暮れになると障子の張替えもした。杵と臼で餅つきもした。つきたての餅をアンコやキナコをまぶして食べた。おいしかった。だから餅つきは好きだった。庭に笹竹と注連縄で門を作ったが、松は共有林に取りに行った。大掃除も餅つきもお節料理もみんな手作業だった。こうして新年を迎えるた。 きょう大晦日、私がしたお正月の支度は、神棚に使う神具、祝い膳のお椀を戸棚の奥から取り出し、洗う。昼食後、墓参りに行ってきて年越しそばの調理、汁は私の味(私が作る)と決まっている。日暮れ前《人形ヒトガタ》を畑でお焚き上げ。 夕食を始める前、神仏に燈明を灯し御神酒と年越しそばを供える(六か所)。夕食が済むと神仏に供えた物を下げる。これで大晦日の行事は終わった。
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暮れは忙しい 【No.1607】 2021年12月27日
12月26日 ◇大小の脚立繰り荒れ庭に庭師はつくる大き日溜まり 今日が今年最後の新聞歌壇。先週に引き続きの入選。良い締めくくりが出来た。それに気を良くし裏に積もっている落ち葉を片付けた。午後も頑張っていたら、二時半過ぎ「風花」が舞う。日本海側の各地には大雪警報が出ている。冬の本格的な到来だ。 物置の屋根には栴檀の小枝が散り積もっている。それを脚立に乗って払い退けていたら「落ちたらどうなるか分かってるだろう」と叱られた。垂れ下がっている実はもうすっかり霜げてる。 ◇凩に樗の瘤の鳴きにけり それで窓ガラスを水拭きする。その間に有馬記念に参戦。1000円投資して1000円が返ってきた。チャラだった。
庭のあちこちに咲き始めた水仙を仏壇に供える。年の暮れは忙しい。
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冬至 【No.1606】 2021年12月23日
12月22日 冬至 愛川町の足立原さんから柚が送られてきた。冬至の今日に合わせての便。深謝。 晩酌のつまみにいただく。香りも引き締まった味も新鮮。食卓には、 冬至には「ん(運)」の付く物食ぶといふ 人参大根南京カボチャ ユズ湯につかる。心も体も温まり寝床へ。
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今年最後の講座 【No.1605】 2021年12月17日
12月16日 鶴巻公民館の「道祖神」の講座を午後1時半から3時半まで。受講者は7人のこじんまりした講座だった。少人数だったので参加された全員と言葉を交わせた。 Aさんご夫妻は町田市にお住まい。ネットで探し当てての参加とのこと。私は「高崎市の倉渕町を訪ねれば、それこそ千姿万態の道祖神に会える」と言っている。このご夫妻は倉渕に、泊りがけで三回も足を運んでいると話された。倉渕の小・中学生が案内する「道祖神ツアー」にも参加されたとか。奥さんから「なぜ倉渕の双体道祖神が衣冠束帯・十二単の宮廷人なのか、気になっていたが、今日の先生の話でその謎が解けました」との言葉を頂いた。長野・飯田出身のBさんからは「天竜川沿いにも道祖神がたくさんある」と自慢げ。道祖神の形態の一つに「天竜系」というものがある。アメノウズメとサルタヒコが刻まれた双体像が「天竜系」と話したが、飯田地方の道祖神にはまだ会っていない。申し訳ない。 CさんDさんは秦野市内にお住まいのご婦人。「近くに四角な石の道祖神があるけど、放っておかれていて可哀そう」と報告された。Eさんからは「先生自身が発見された道祖神はありますか」と聞かれた。私は記録に残されている塔碑を確認し、記録し後世に伝えることを意識して里巡りをしている。道祖神の《新発見》ということには思いが至らなかった。Fさんは会場に入るとすぐに、私の処に来て「東公民館の講座は満員で出られなかった。それで今日来ました」とにっこり。Fさんは私の“追っかけ”的存在。 今年最後の今日の講座が充実したものと感じられたのは、参加された7人との交歓があったからだ。
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八十路 【No.1604】 2021年12月13日
12月12日の「朝日俳壇」の掲句を並べて物語にしてみた。 空つ風一枚五円のレジ袋 篠崎幸恵 檻の内虎知り尽くす寒さかな 加藤草児 我もまた雀のごとし一茶の忌 寺田秀雄 愛猫のすり寄る勤労感謝の日 三輪 憲 冬ざるる此処にたしかにあつた店 五明紀春 亡友の故郷の酒買ふ年の暮 松丸 清 牧水を口ずさみつつ注ぐ新酒 浅賀信太朗 熱燗に開く記憶の箱のあり 斎藤紀子 秋ともしばかものよと詩に叱らるる 瀧上裕幸 老人の闘志を隠すマスクかな 松井春光 白足袋と草鞋履かせる別れかな 佐藤朱夏 法悦も法話も終わり京の冬 吉竹 純 後の世に遺す畑なり冬耕す 多田羅紀子 凪もあり凩もあり八十路ゆく 中岡淳一 達観の鳶悠然と冬の空 岩水ひとみ
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開戦の日 12月8日 【No.1603】 2021年12月09日
12月8日 「あの十二月八日の日 太平洋の真ん中で 大きな手柄を立てたのは 若い九人の勇士です」「ああ九勇士」陸・海軍礼式歌というのだそうな。なぜかこの歌を私は唄える。
父・久雄は 昭和20年1月勤務していた日本鍛工株式会社秦野航空機製作所長から表彰された。
表彰状 右者昭和十九年一月検査記録工トシテ勤務遂行中ノトコロ偶々工程係ニ四名ノ應召入営者ヲ出シタルタメ其ノ職轉籍ヲ命ゼラレルヤ格勤精勵寸眠を惜ミ克ク製品製作工程ノ修得ニ勉メタリ 十二月五日〇〇〇排気弁工程緊急進捗ノ命下ルヤ奮起シテ流レ作業途上ノ他種製品加工ニ割リ込ミ徹夜シテ自ノ製品ヲ持チ廻リ其ノ熱意ニ依リ至難ナル飛込ミ工程ヲ完成セシメタリ 是レ全ク旺盛ナル責任感ノ發露ニシテ其ノ職ニ忠實勤勉タルコト寔・衆ノ範テスルニ足ル仍テ慈ニ金一封を授与シ之ヲ表彰ス 昭和二十年一月 日本鍛工株式会社秦野航空機製作所 太平洋戦争が終わったのは昭和20年8月15日。その半年前、表彰文にあるが戦闘機を作っている専門職に召集令状が来たのだ。しかも一度に4名も。敗戦の色が濃くなっていることがこの表彰状から感じられる。
日本鍛工株式会社秦野航空機製作所は現在の南中学校周辺一帯の地に在った。
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小学生も参加してくれた「史跡めぐり」 【No.1602】 2021年12月06日
12月5日 きょうは「みちしるべの会」がガイド役を務める本町公民館主催の「本町地区史跡めぐり」の日。会から横山・田中・笠井・相原・大木さんと私の6名が参加。立ち寄る史跡の説明を6人が分担して行った。私はスタート地点の「秦野煙草製造所跡地」を受け持った。 「秦野煙草製造所跡地」は、今は大型商業施設となっている。その敷地内に樹齢100年を超える楠の大樹が聳え立っている。この樹は明治38年に製造所が開所したときに植えられた記念樹。この樹木に結び付けて我が家の葉タバコづくりのエピソードも披露した。 「めぐり」の参加者は18名。両親と共に参加してくれた小学生が二人。これは嬉しかった。日曜日の午前9時の街のたたずまいは《新鮮》だった。
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JAはだの組合員研修講座 【No.1601】 2021年12月04日
12月3日 「JAはだの組合員研修講座」が開かれた。午後1時半から「まほら秦野 盆地の暮らし」をタイトルにして90分間話す。内容は 1地名の由来(・日本・神奈川・秦野) 2秦野と葉タバコ 3秦野のお盆とツジ(砂盛り) 4双体道祖神の源流は秦野 5大山信仰と秦野 6秦野の郷土料理「へらへらダンゴ」。地名の由来についてかなり時間をかけたため、他の項は駆け足になってしまい申し訳なかった。 会場から質問が二つ。一つは「地名・名古木の由来」。もう一つは「秦野の落花生の歴史」。質問が出るということは、話に興味を持ってくれたということ。少しホッとした。 講座が終わって、40年前西中でPTA広報を一緒に作った小野さんが挨拶に来てくれた。そして少しの時間、当時の活動や委員さんのことなど懐かしんだ。
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道祖神ワンダーワールド 【No.1600】 2021年12月02日
12月1日 秦野市立東公民館で11月14日から開いていた「道祖神ワンダーワールド・千姿万態 淡彩画&写真展(井越基生・武勝美)」が終了。参観された方ら次のようなメッセージを頂いた。 @とても微笑ましく思いました。基生さんは大変お酒好きとの事、一杯やりながらお話を聞きたく患いました。素敵な展示ありがとうございます。 A今まで道祖神の事をよく知りませんでしたが、勉強になりました。 B生まれた時から秦野っ子で道祖神が生活の風景の一部になってしまってましたが、最近やけに目につくようになり、散歩の途中、写真など撮ったりしています。表情や仕草がいいですね。 C地方にはめずらしいものがあるんですね。やさしさを感じます。言葉でなく自然に感じる、教えてくれるものだと思います。見歩いていてチヨット気づき笑みが出ます。 D個人でこれだけの調査・考察をされていることに驚き、感動しました。 E素描、すてきです。写真で表現できない雰囲気に包まれています。 F良かったです。地元の道祖神を見つけられてうれしいです。昔の人はえらいです。思い出しました。 G道祖神ってわからなかったので、勉強になりました。
東公民館の歴史講座「道祖神ワンダーワールド」。申し込みが定員オーバーになり、公民館は「人気のある講座です。お断りした方が何名かありました。その方には16日に鶴巻公民館で,武先生の『道祖神ワンダーワールド』の講座があるので、そちらに出られたら、と伝えました」と報告をうけました。ありがたいこと、嬉しいことでした。 この日の参加者は20名。相模原市から平本ご夫妻。東中学校の同級生石垣さん、長岡さん。かつての同僚だった古庄さんとは二十数年ぶりの再会。私の席に花籠を飾ってくれた教え子の大森さんなどに力強く支えられた私でした。 そして「眼鏡のまっちゃん」は講座の様子をこうつぶやいてくれました。 「武勝美先生に久し振りにお会いできた。先生は道祖神研究の第一人者で全国140ヵ所程を訪ね歩き、今までに道祖神に関する本を2冊にまとめ発表されている。今日はその中から双体道祖神を形態別に分類、一体ずつ特徴などを説明されたのをわくわくしながら拝聴した」 「目一つ小僧」の紙芝居も好評! 「ウチの子供会で上演してほしい」と、若いお母さんからお願いがありました。
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「本町地区史跡巡り」に出かけた 【No.1599】 2021年11月27日
西公民館の「異年代女性交流会」の「本町地区史跡巡り」に出かけた。「まほら秦野みちしるべの会」が案内をするので。参加者は11名とこじんまりした集まりだが、土曜日の午後、街中を歩くのだから、このくらいの人数が限度だろう。 イオンの大きなクスノキの下で午後1時から15分ほど「秦野と煙草」の話をさせてもらった。このクスノキは明治38年に秦野煙草製作所がこの地に開かれたとき植えられた記念樹。参加者だけでなく買い物客なども立ち聴きしてくれたので少しアガリ気味。 「巡り」の案内役は「みちしるべの会」の横山会長。横山さんは昨日、東公民館の事業の「古道大山道を歩く」で「蓑毛越え大山詣で」のガイドを務めた。昨日は登山、今日はアスファルトの道を歩く。その体力、気力があるからこそ「みちしるべの会」はコロナ下でも活動は継続され発展していく。 会の代表・鈴木さんは体調不良で歩けないが、連絡係として大樹の下に待機するとのことだった。
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二週連続 ダブル入選 【No.1598】 2021年11月21日
11月21日 投稿している俳壇・歌壇。先週に引き続き、今週もダブル入選。 朝7時半に次のメールが届いた。「おはようございます。今週は歌壇・俳壇にお名前発見❗️ 毎週日曜日の朝を楽しみにしています。応援してます。あいはら」 10時過ぎ、95歳の大先輩からも「今朝の俳壇・歌壇 読みました。頑張ってますね」と電話をもらう。
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銀杏が生った 【No.1597】 2021年11月17日
11月16日 東中学校の校庭の東側に聳えていた樹齢200年を超えると言われていた大チョウが、体育館改築のために西門脇に移植されたのが2009年12月9日。 その大イチョウに、12年を経たこの秋、ついに銀杏が生った。この嬉しいニュースを届けてくれたのはKさん。 大イチョウは中学校西門の横に立っているが、そこは東幼稚園の正門の横という場所でもある。昨日、幼稚園の前を通りかかったら、大イチョウの下で園児たちが写生をしていた。黄色のまだほど遠い葉陰に小さな銀杏がちらほらと。大イチョウは今新たな命を宿した。伐採という危機にさらされたとき、Kさんと私は「移植」のお願いを関係者にお願いをした。今、大イチョウは次代へその命を託すことを始めたのだ。
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寺山高天 【No.1596】 2021年11月03日
11月3日 きょうは「文化の日」。「ECHO」の支援者・根倉さん母子が、ざる菊を五鉢と白菜を持ってきてくれた。花の好きな根倉さんは特にざる菊にその力を発揮する農業を営む主婦。大きな笊は50pを超える見事なもの。 いかにも「私の労作」というかのように玄関の前に並べた。するとこの菊を見た人たちは「勝美さんにこんな立派なものができるはずはない」と間違いなく思う。「菊づくり菊見るときは陰の人」という言葉とは逆だから。でも、見てもらい「これは、あの根倉さんの菊です」と紹介したい。 HP更新。自治会の仕事「共同募金」で組の7軒を訪問。普段あまり顔を合わせないので、こういう機会に世間話をすることは大切。何より地域の情報が得られる。今日は隣りの自治会には90歳を超える人が5人いらっしゃることを知った。北上から「さわし柿」の第二弾が届く。
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秋澄む 【No.1595】 2021年11月02日
11月1日 「秋澄む」 朝七時半の空は西に向かう飛行機雲をすっきりと浮かび上がらせていた。ハロウィンのリースを外す。庭では山茶花とコスモスが同じようなピンク色の花を咲かせている。寒椿の蕾ももう開き始めた。ニシキギ、花水木の紅葉は今が盛り。ドウダンツツジも少し赤味を帯びてきている。畠の境でひっそりと咲いているのはオチャ、ふっくらとして清楚な白。笊菊とスプレー菊も可憐な花を咲かせてくれた。 今日に合わせてくれたのだろう、北上からさわし柿がどっさり届いた。ウチの柿の木には実が全く見えない。黄が日毎に深まっゆく隣家の柚は今年も鈴なり。 芋煮の里芋を掘っていたらジョウビタキが近づいてきた。 秋仕舞いしている吾に紋付鳥「帰って来たよ」とピョコンとお辞儀
妻が買ってきた宇和島の蜜柑の袋に「《じょうのう》はやわらかい」と書いてあった。「ジョウノウ」ってどんな意味、漢字でどう書くのか。気になったので調べたら《瓤嚢》柑橘の果肉を包む皮・房のこと。嚢の訓読みはふくろを指す漢字。
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『おかえりモネ』 【No.1594】 2021年10月29日
朝ドラの『おかえりモネ』は今日が最終回。5月17日から毎朝7時30分から120回を欠かさず観た。これほど『おかえりモネ』に引っ張られたのは、ストーリーとその演者たちからだ。「朝ドラとしては重すぎる」という声もあったが、セリフとその言葉を使う俳優たちのその表情に惹き付けられた。演劇の「シナリオ」というものを強く意識させてくれた安達奈緒子さんはすばらしい 最後のシーン 青空の下抱き合う二人「あッ」「え?」「雨が降ります」「え? こんな天気なのに?」「子供達の声が聞こえたから」「じゃぁ 行きましょう」砂浜を歩きながら手を繋ぐ二人。 モネを演じた清原果耶さんは「できる限り痛みを忘れないこと。それが途切れないようにちゃんと心の奥で持っていることができれば、私は百音を最後まで演じることができるんだろうなと思ったので、そこは意識していました」と言っている。 最近「エコー」の読者になってくれたNさんが、私と気仙沼との関わりについて聞いてきた。2012年に気仙沼を訪れたのがきっかけで、気仙沼の人たちと関わりを持つようになり、現在に至っている。これからも私なりに気仙沼と一緒に歩みたい。
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炬燵からの月見 【No.1593】 2021年10月19日
10月18日 十三夜 冷えた一日。きょうは十三夜。「片月見はいけない」と言われているので十三夜を祝う。。ススキとコスモスに色づき始めたセンリョウを庭からとる。里芋、サツマイモは庭続きの畑から。豆腐、落花生は新豆。月見団子に代えて今夜は餡子玉。 月はきれいに見えたが、炬燵に入っての月見を《風流》というべきなのか……。
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新聞週間 【No.1592】 2021年10月15日
10月15日 今年のノーベル平和賞は二人のジャーナリストに贈られた。強権的な政権への批判を揺るがせないその姿勢に対しての授賞である。そんな中、10月15日から第74回新聞週間が始まった。報道の使命と責任を自省、自戒する機会として、読者にも報道の機能と役割を再認識してもらう「新聞週間」である。日本新聞協会は、その第一回「新聞週間」から「新聞標語」を市民から募集してきた。 第1回(1948年度)の代表標語は「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」だった。終戦から三年の1847(昭和22)年に、新しい憲法が制定され「自由と平和」の国に向けてスタートした。第2回(49年度)の標語は「自由な新聞と独裁者は共存しない」。 「新聞は宇宙も世界も見える窓」(69年度)は、アポロの月面着陸という新しい科学の時代を迎えた年だった。第27回(74年度)は「新聞が 守るなんでも言える国」、第34回(81年度)「知る権利 守る新聞 支える読者」、第41回(88年度)「新聞は ひるまず おごらず かたよらず」と新聞の持つべき使命感を市民は確認してきた。 ところがネット時代に入ると新聞の立ち位置は不安定になり、「激動の ネット社会に 確かな活字」第53回(2000年度)と、市民は新聞への信頼を求めた。それが「情報を 選ぶ時代の 確かな新聞」第49回(96年度)、「広げれば 時代にアクセス 暮らしにプラス」第56回(3年度)、「新聞は 地球の今が 見える窓」第62回(9年度)と小市民的新聞を期待するようになる。 そして、「きっかけは 小さな記事の 一行だった」第63回(10年度)、「上を向く 力をくれた 記事がある」第64回(11年度)、「負けないで 背中を押して くれた記事」第65回(12年度)と新聞に物語を求めるようになった。 そしてSNS時代に入ると「事実が嘘に勝てない」という《フェイク》の問題に直面、「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」第70回(17年度)が代表標語となった。そして今年第74回(2021年度)の標語「答えなき時代のヒントを探る記事」と、新聞に求めるものが個人的なものになっている。「新聞はゆれる社会のゆるがぬ指標」は60年度の代表標語。揺れ動く、苦悩の続く今だからこそ、新聞は確かな指標を示してほしい。 平和賞のドミトリー・ムラトフ氏は「少数者を守るのはメディア」と強調し、「事実を求める闘いは世界中の記者の闘い」ともう一人の受賞者マリア・レッサ氏は言う。第1回の代表標語は「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」を堅持する新聞でありたい。
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活動の再開を前に 【No.1591】 2021年10月14日
10月13日 「歴史おこしの会」の小泉さん来訪。コロナ禍でこの二年の活動はほとんど出来なかったと小泉さん。講演会や研修旅行の再開に向けて準備に入ったとのこと。私たちの「みちしるべの会」もそうだが、顔を合わせることが活動の持続のために最も大事なこと。そして会の初志を貫くために新会員を迎える努力をしなければ、などと会への思いを語り合った。 『まちおこし』には「馬鹿者(一途な人)、余所者(新しい視点)、若者(行動力)」の力が必要と言われるが、趣味の会も同じだろう。
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淡彩画による「秦野の双体道祖神」 【No.1590】 2021年10月09日
10月8日 タウンニュースの今号から井越基生さんの淡彩画による「秦野の双体道祖神」の連載がスタートした。井越さんは、道祖神を見て歩く私の同志。秦野に移り住んでまだ5年だが、市内のあちこちに佇む道祖神に魅かれその姿を淡彩画に収めている。 11月14日から東公民館で井越さんと私とで「道祖神ワンダーワールド 淡彩画&写真展」を開く。その準備を今日から始めた。
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宣言解除 【No.1589】 2021年10月08日
10月7日 生家が葉タバコ農家だった平川さんから便りが届いた。煙草煎餅を買いに亀本を訪れたが、「コロナ禍と機械のメンテナンスのため、今は焼いていない」とのことで残念がられていた。この便りと一緒に「秦野たばこ祭りのメモリアル切手」を頂いた。 八十歳を超えた熟女さんから「宣言」が解除されたので、同級生三人でカラオケに出かけ思う存分歌った、と近況報告の電話。歌ったのは私の「演歌が好きです 唄います」で取り上げた曲が中心だったとか。そのバイタリティには称賛の言葉を贈るのみの私だった。 バイタリティと言えば、昨夜も夕顔が三輪大きく開いた。今夜も三つ咲きそうだし、小さな蕾も数個見える。
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「秦野をゆけば道祖神」終了 【No.1588】 2021年10月02日
10月1日 寺山も暴風圏内だった。雨はさほど気にならなかったが風は怖いほど。明日から吹き散らされた木の葉の処理に時間がかかるだろう。
今日発行の「タウンニュース」に社告が出た。15年ほど続いたシリーズ「秦野をゆけば道祖神」という写真レポートがこの号のNO252で終了とあった。秦野には310ほどの道祖神塔があるが、開発で移転されるなどで取材は難しいとのこと。このレポートには隠れたファンも多い。私もその一人。 「長い間、楽しませていただきました。ありがとうございました」
担当された記者の皆さん、そしてタウンニュース社にお礼の気持ちを俳句にしてみた。 石神の微笑み二つ初写真 野仏に早春の陽の届きけり 春昼や瞼重たき道祖神 山からの処暑の風待つ道の神 今日酷暑耐へて道祖神捜しかな 小春日やよう来なさったと夫婦神 里小春肩組握手道祖神 山陰に笑む道祖神冬温し
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中秋の名月と足長蕎麦 【No.1587】 2021年09月22日
9月21日 今日は中秋の名月・十五夜、月見の卓にはススキとコスモス、里芋、茄子、南瓜、生姜、茗荷、ここまでは自家製。月見団子、豆腐、梨、早生蜜柑、そして足長蕎麦。 このキノコ蕎麦は渡辺さんが持ってきてくれた。「足長をもらったので、蕎麦で食べてもらおうと思って」と。「足長キノコ」とはナラタケのこと。 秦野では足長蕎麦は「秋のオオゴッソウ(大御馳走)」 曇りかもしれないと気にしていたが、満月が見られた。信楽の狸にも月見をしてもらった。足長蕎麦に蒼天伝の良夜。 山の端に月を預けて団子食む
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ホームページ更新 【No.1586】 2021年09月20日
9月20日 五か月ぶりにホームページ更新。手順を忘れているかも、と不安だったがスムーズにできた。まだ大丈夫!? 量は豊か、「質もまあまあ」と思っている。 今日は「彼岸の入り」。妹夫婦がぼた餅を持って墓参りに来てくれた。246は車で混んでいたらしい。お墓も賑やかだったとか。 秋晴れだったが気温は夏モード。そんな中、朝顔の種を採る。 来年も生きているつもり種を採る
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寺山の秋の小景 【No.1585】 2021年09月17日
9月16日 朝顔の花はもう見られない。だが夜顔には薄緑の小さな蕾をいくつか持っている。コスモスの花が僅かな風に揺らめいている。自家製の根生姜を摺り下したらさわやかな香りが台所に広がった。明日辺りに台風が近づくらしい。21日は中秋の名月。秋だ。 秋茜つーいついと飛ぶ菜園に忘れられたるトマトの赤く 大き緑陰をつくりし桜木の一葉また一葉と舞ひ始めたり ガシャガシャの鎮もりし秋の夜 庭より届きくる金木犀の香 阿夫利嶺が生む朝靄に包まれて盆地の秋は深まりてゆく
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今も息づいている秦野の道祖神 【No.1584】 2021年09月08日
9月7日 東公民館経由で、西地区にお住いのSさんから道祖神についての相談の電話が入った。 「鍋割山への登山道の道端に道祖神が祀られている。その祠がかなり傷んでいるのが気になっている。祠を建て直したいと思うが」。そして道祖神の祠には何か決まり事(建築様式など)があるのかと私に聞いてきた。 あちこちで道祖神の祠や覆い屋は見てきたが、神殿造り、石小屋、四本の柱で杉の葉葺き・藁屋根・板張り屋根などそれぞれ独自の覆い屋だった。 建て直したいと言う今の覆い屋は、四本柱の板屋根とのことなので「上地区にはその形式の祠がいくつか在る。それらを参考にされたら」とアドバイス。Sさんはその道祖神の講員ではないので、その講中に言葉掛けし、出来れば一緒に再建作業をしてほしいともお願いした。 秦野の道祖神は今も人々の暮らしの中に息づいているのだ。
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秦野と葉タバコ 【No.1583】 2021年09月04日
9月4日 383号の「『秦野の煙草煎餅』の話 読んだよ」とKさんから電話。Kさんは私と同じ年齢なので子どものころの暮らしは同じようなもの。それで葉タバコ農家の暮らしの思い出話に花が咲いた。 Kさんの語った思い出「農家だったし勉強が嫌いだったので、中学を終えたら農業に就いた。二十歳の年に一念発起、定時制高校に入った。だが葉タバコの作業は人手が必要で六、七、十、十一月の四か月は学校には行けなかった。葉タバコの作付けは2反余り。その収益は4万円ほど。そのお金で一年を暮らした。葉タバコはありがたかった。だから葉タバコ農家は一生懸命働いた。秦野は葉タバコで発展した」。我が家とは農業の規模が違うが、Kさんの話にたびたび頷く私だった。
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9月1日 あと四か月でお正月? 【No.1582】 2021年09月02日
9月1日 カレンダーが黄葉・紅葉の景色に変わった。今年もあと四か月。今日、9月1日を待っていたのだろう、デパートから「おせち料理」のカタログが届いた。季節感がない。急がされている。 今年度から上方町自治会長に就いたIさんが「自治会報を作ったので見てください」と来訪。新型ウイルスの影響で、自治会の事業が軒並み中止ということで、この四月からIさん自身の手で会報の発行が始まった。8月1日号は自治会主催の「ラジオ体操の集い(四日間)」の様子(参加者子供61人 大人64人)が報じられている。8月15日号では「ゴミ集積場の管理状況の調査結果」が丁寧に報じられている。そして9月1日号では報歳訓練での安否確認ができなかった家庭の数を書いている。(地域コミュニティの衰退が懸念されている今、広報を通して上方自治会はその機能を十分発揮していると感じた。 伊勢原市P連から依頼された広報紙5紙の添削を行った。厳しい条件の中、全紙充実した内容。添削のし甲斐があった。
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家族新聞展のまとめ 【No.1581】 2021年08月30日
8月29日 東公民館で開いていた「家族新聞展」の最終日なので、午後2時から撤収作業に出かけた。その私を待っていてくれたのは2011年の参加者Kさんだった。その「新聞作り新聞」新聞を作ったRさんは大学院生とのこと。そのご子息に私の健在ぶり知らせたいからと新聞を挟んでのツーショットに収まる。 会場には胡蝶蘭が一鉢飾られていた。教え子のFさんが暑中休暇で実家に帰った折この展示会を知り、そっと贈ってくれたのだ。「先生の誕生日のお祝いも兼ねて」と言って置いていったとのこと。 担当の泉館員さんは「家族新聞作り講座の記録」というファイルを作ってくれ私にプレゼントしてくれた。この展示会の写真の収められている。 来訪者の感想やメッセージが20編寄せられていたが、和泉さんはそれらをすべて原文のまま私に手渡してくれた。そのメッセージの一つ「新聞を一緒に作ったのは小学四年生の子。その子は今高校三年生。8年ぶりに『邂逅』ーそんな気分が味わえたのも壁新聞づくりのお陰です」。 今日もまた大勢の人に支えられたことに感謝している。
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新聞三話 【No.1580】 2021年08月22日
その1 東公民館で開催されている「家族新聞展」の出展者である関ファミリーの智子さんが「ウチの新聞を会場で改めて見て、新聞がまた作りたくなりました」と家族新聞『ほほえみ』12号を作って持ってきた。「載せたい記事がいっぱいあって」という紙面。家族の元気な暮らしぶりが明るく報じられている。 その2 「タウンニュース」8月20日号の「人物風土記」に井越さんが登場。五年前秦野に終の棲家を構えた井越さんは、秦野の双体道祖神を淡彩画で140点ほど描き上げたという。私の道祖神の講座に出てくれたことが縁で交流が始まった。私の大切な同士。 その3 『ECHO』の読者の一人、小関さんの投稿が「自由の声」欄に出た。『ECHO』によく反応して感想を届けてくれる人。明るく軽やかな文体に感心している私。それで「エッセイを書いてみたら」とずっと勧めていた。その勧めにようやく応じてくれ、初めて挑戦をしたのだった。今回のエッセイは「診察室のうめき声 本当は」という「ちょっと怖い話」。
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別品 信楽の狸さま 【No.1579】 2021年08月06日
8月4日 信楽のKさんから信楽焼の狸が届いた。「散歩の途中見つけたベッピンさんです」との電話もいただいた。 信楽の狸は〈男〉、ベッピンは「別嬪」と書いて「美しい女性」をあらわす語、と思っていたので調べてみたら「別嬪」は「別品」から派生した語らしい。その「別品」とは「特別によい物」を言い表す語。 真ん丸な澄んだ目がとても気に入った。私と視線が合うと「上を向いて歩きなさい。未来を見つめなさい」と諭してくれまる。見上げる〈狸さま〉の眼差しに励まされる。まさに別品! 毎年、干支の信楽焼を贈ってくださるKさんには『エコー』創刊号から読んでもらっている。Kさんとの出会いは、昭和52年から『朝日中学生ウイークリー』 で「職員室」を連載した折、娘さんから手紙をもらったことがきっかけ。
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寺山の7月 【No.1578】 2021年08月01日
今、庭に咲いている花は・濃い紫のキキョウ、この花は長持ちする。・ナデシコは園芸種なので紅が濃い。昔はあちこちの道端で見られた薄ピンクの花がなでしこだった。・今朝アサガオが十数輪開く。ユウガオも蕾をたくさん付けた。開花は数日後か。・コスモスは不死身な花。昨秋咲いた花の種が次々に発芽して、この暑さの中で淡いピンクの花を咲かせている。・剪定したフジに新しい弦が伸び、季節外れの薄紫の花が下がっている。 ここ数年見ていない銀ヤンマがあけ放っておいた土間に入ってきた。「お久しぶり」と声をかけた。裏の畑にはもうアキアカネが降りてきている。 この夏の蝉の出現(鳴き始め)はアブラゼミ、ニイニイセミ、ミンミン、クマゼミの順だった。カナカナは未だ聞かれない。クマゼミは西日本ではメジャーな蝉。子供のころは寺山ではあまり耳にしない、目にしない蝉だった。クマゼミの鳴き声を初めて意識したのは昭和47年の夏、大分で開かれた全国新聞教育研究大会の会場。そのクマゼミの「シュシュシュシュ」が寺山でも聞かれるようになった。これも地球温暖化のもたらした事柄の一つ。 この夏珍しくホトトギスが桜の茂みて鳴いた。オオルリを電柱の天辺に姿を見ることができた。 三日前の夜、台所のガラス戸にヤモリが張り付いているのが見えた。 菜園のキュウリ トマト ナス インゲンは大豊作。
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寺山の夏 【No.1577】 2021年07月21日
7月20日 五時半庭に降りた。白に淡いピンクの筋が入った大輪の朝顔が一つだけ咲いていた。今年初の開花だ。ホトトギスが桜の茂みの中で「トッキョキョカキョク」と囀っていたのも朝。夕方、居間の網戸にニイニイゼミがつかまっているのを発見。「蝉の声はまだ聞こえない」と言っている私に、顔を見せに来てくれたのだろう。 手庇で大樹に蝉を探す老 勝美
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絵本作家誕生 【No.1576】 2021年07月19日
7月17日 東公民館主催の「家族新聞展示会」の準備に入る。今日は展示する新聞を選び出展者名簿を作った。 7月15日 梅雨明けが宣言されると同時に本格的な暑さが続く日々。だがまだ蝉の鳴き声が聞かれない。例年なら朝顔がいくつか花開くのに、こちらもまだだ。急な梅雨明けに間に合わないのか? 361号の「にっきの木」の6月27日で次のようなことを書いた。 ◇「エコー」の読者Sさんの来訪。「今月で仕事を辞め、絵本作家に挑戦する」と報告に来たのだ。第一作は出版のメドもたっているらしい。Sさんは20代の女性。「人生一度しかないのだから、やりたいことをやらないと後悔するから」とも。そう話す瞳がまぶしかった。◇ そのSさんが絵本作家としての第一作を持って訪ねてきた。仕事を辞めたのが2019年。そして2年を経て16日の上梓にこぎつけた。絵もストーリーも見事。
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宵 盆 【No.1575】 2021年07月14日
きょうは13日は「宵盆」。「モネ」が終わってから盆棚つくり。仏壇からご本尊、先祖のご位牌を盆棚に移す。盆提灯を4灯組み立てる。10時過ぎに掃除を兼ねて墓参りに円通寺へ。午後1時から「ツジ」を作る。二時過ぎに激しい雷雨。その中を妹夫婦がお盆の挨拶に来た。ウチに来る前に墓参りをしたのだがびしょ濡れ、申し訳ない。私自慢の夏大根と朝顔を一鉢をお礼にした。3時半ころからお精霊さんを迎えるウマとウシを作る。今年はキュウリもナスも自家製。ご先祖さんも喜んでくれただろう。最後にウマとウシの手綱にするウドンを茹でる。これで準備は完了。 5時に迎え火を焚き、お精霊さんを盆棚に上がってもらった。そのあと、ご近所5軒のツジに線香を上げに廻る。この風習は「ご近所付き合い」として意義深いことと思っている。
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ヤマユリ 【No.1574】 2021年07月08日
7月7日 庭のヤマユリの花が満開の時を迎えた。株数は17で花は50輪ほど。二十年くらい前は、ヤマユリの開花はお盆のころだった。お盆のお精霊さんを迎えるツジにヤマユリを飾ったが、この頃は開花の時期佳早すぎる。そのお盆のお精霊さんを迎えるキュウリの馬、ナスの牛を作るのだが、今年もキュウリはハクビシンに荒らされてしまった。あと一週間、次のキュウリが無事、馬になれるようにネットで防御。
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みるく世ぬなうらば世や直れ 【No.1573】 2021年06月25日
6月23日 沖縄慰霊の日 沖縄全戦没者追悼式で読まれた平和の詩「みるく世の歌」(抜粋)
みるく世の歌 上原美春(13歳) いま摩文仁の丘に立ち/私は歌いたい/澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ 今日生きている喜びを震える声帯に感じて/決意の声高らかに みるく世ぬなうらば世や直れ/平和な世界は私たちがつくるのだ 共に立つあなたに/感じて欲しい/滾る血潮に流れる先人の想い 共に立つあなたと/歌いたい
いま摩文仁の丘に立ち/あの真太陽まで届けと祈る みるく世ぬなうらば世や直れ/平和な世がやってくる この世はきっと良くなっていくと/繋がれ続けてきたバトン 素晴らしい未来へと/信じ手渡されたバトン 生きとし生けるすべての尊い命のバトン/今、私たちの中にある 暗黒の過去を溶かすことなく/あの過ちに再び身を投じることなく 繋ぎ続けたい みるく世を創るのはここにいるわたし達だ
「ネリヤカナヤ」とは、奄美地方の言葉で海の彼方にある楽園を指す。奄美では、古来より水平線の彼方に神の国があり,そこに住む神が五穀豊穣をもたらしてくれると考えていた。その神の国が「ネリヤカナヤ」。緑豊かで、珊瑚の海の美しい島・沖縄は奄美の人たちとって「ネリヤカナヤ」なのだ。
2003年 摩文仁の丘から青い海を眺めていた私の後ろには、24万余の名が刻まれた「平和の礎」があった。
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