- 寺 山 だ よ り -

「春はやって来るのではない。自分から春になるのです」
【No.1150】 2014年03月04日

3月3日
 春三月になってからの天候はあまりよくない。きょうは「まほら」の地図つくりの取材にYさんと出かける。
大正11年に街道沿いに店を持たれ、今も営業中の呉服屋さんを訪ねる。関東大震災、洪水、太平洋戦争という大波を潜り抜けての商売の話。店の前の道を通る人たちの変化(車社会に到来)による商売の難しさなども知った。地域社会を支えてきたさまざまな年中行事の衰退を寂しがっておられた。 
 道標や野仏を確認するという作業を進めていく中で、きょうのように、地域のありよう、人のつながりの大切さを教えられることがたびたびある。
 呉服屋さんの近くの酒屋さんに《飛び込み》で取材。経営者の父子お二人(80代と50代)からも話を聞かせてもらえた。その辺りの地名について、資料とはまったく違う面白い由来が聞けた。
 酒屋さんを出て車まで歩いているとき、Yさんが「寒くないですか、コートを着ないで」と気遣う言葉。「うん、大丈夫」と私。確かにコートは着ていない私。気分も体も温まっていたのだ。二軒にはご迷惑をかけたが、良い、楽しい取材ができた。
 好きな言葉「春はやって来るのではない。自分から春になるのです」。春だ、出歩こう。

日向薬師・宝城坊本堂の解体修理
【No.1149】 2014年02月28日

2月27日 
 伊勢原市日向に建つ日向薬師・宝城坊本堂は万治3年・1660年に建てられた名刹で、国重要文化財に指定されている。今その本堂350年ぶりに全解体修理が行われている。
 この修理に関わっている「まほらの会」山口さんの取り計らいで、その修理の現場を会員12名が見学させていただいた。平成22年から始まったこの修理は28年に終わるのだそうだ。
 解体した柱、板、飾り物などの部材が整然と置かれている。「1万点くらいですか」と聞いたら「一桁違うかもしれません」が答え。柱や板などの補修、新しい材料を使う、塗装など気の遠くなるような作業工程がこれから待っているとのこと。作業場にも入れてもらった。三人の職人さんが黙々と作業をしていた。
 文化・歴史を保存する作業に従事する人たちへの畏敬の念を深くした。

表彰式に出席
【No.1148】 2014年02月24日

 毎日新聞と全国新聞教育研究協議会(略称・全新研)が主催する第63回全国小・中学校・PTA新聞コンクールで「文部科学大臣賞」に選ばれた『東中新聞』。その表彰式が、午前10時40分から東中学校の体育館で全生徒出席の元開かれた。
 毎日新聞の「教育と新聞」須藤事業部長、全新研木野村会長が東京から来校。来賓として望月秦野市教育委員長、横溝同窓会長、角田PTA会長など8名も出席。
 『東中新聞』は、文部科学大臣賞とは別に「1000号発行に対して」『特別賞』も毎日新聞・全国新聞教育研究協議会から贈られた。私は主催者として講評を述べた。

長靴がスッポリ
【No.1147】 2014年02月10日

2月9日
 海抜176bの我が家の庭の積雪は「長靴がスッポリ沈んでしまうくらい・40aくらいか」。そんな中、9時半に小泉さんの車で伊勢原文化会館へ。「まほらの会」が招かれている「第2回おおやまみちサミット」に出席するため。
 我が家を出たら隣も前の家も、その横の家も、道の雪掻き。どの顔も嬉々としている、と言ったら叱られそうだが、どの顔も、とりわけそれぞれの家の主が楽しんでいるように見えた。そしてその光景は246号線に出るまで、おおよそ1キロメートル続いた。
 今回のパネルは「大山を観光商品化する」ことがテーマのようで、登壇者には「大山道」への思いはなかった。この日は、東京・世田谷、川崎・高津から「大山道を歩いている」民間団体も招かれていた。招かれた根拠がよくわからなかった。「まほらの会」からは12名が参加。

札幌からソチへ  東中新聞
【No.1146】 2014年02月08日

 昭和47(1972)年2月3日午前10時、私は札幌オリンピックの開会式の会場・真駒内屋外競技場の正面スタンドにいた。和田政子さん(秦野東中3年)、そして市川市・宮久保小学校の大澤和子先生と6年生の鈴木純子さんも一緒だった。
 昭和46年度全国小中学校新聞コンクールで[特選」に選ばれた「東中新聞」と「みやくぼ」は、その副賞として札幌オリンピックの開会式に取材記者として派遣されたのだった。辻村いづみさんが聖火を持って青いリンクをすべる姿を「白鳥のよう。平和のシンボル」と和田さんは記事にした。「東中新聞」はこの年創刊100号を迎えていた。

 今日、平成26(2024)年2月8日、ソチで冬季オリンピックの開幕。2日前の2月6日、東中学校に「東中新聞」が全国学校新聞コンクールで「文部科学大臣賞」と1000号到達と讃える「特別賞」授賞の知らせが届いた。
 札幌からソチ(1972年から2013年)までの41年間に900号を発行した「東中新聞」。
 2018年、次の「平昌オリンピック」は東中新聞に何をもたらすのだろうか。

立春の朝 沢蟹 旅立つ
【No.1145】 2014年02月04日

 昨年の10月25日に再会した沢蟹を、2月4日・立春の日の朝旅立たせた。我が家への逗留は96日だった。
 ゆで卵のほんの一片を与えたら抱え込んで食べた。
 どこに放そうかとおもいを巡らせ、金目川に流れ込む湧水地につれていった。
 節分の昨日とはうってかわり、二月らしい気候の朝。小雨である。
 
   立春の瀬に沢蟹を帰しけり
 
 途方に暮れたのか、あるいは別れを惜しんでくれたのか、放たれた一瞬、浅瀬で動かなかった。そして足早に石の下に。
 
  沢蟹はしたり顔して石陰へ

 はなむけの辞
  沢蟹に我を離るる爽気あり

2月1日
【No.1144】 2014年02月03日

2月1日
 午後2時からの新聞教育の会合に出るため東京へ。5時に会議は終わり居酒屋で懇親会。9時過ぎに帰宅。東京で飲んで秦野に帰ってくる、よく考えれば〈恐ろしいこと〉だが、「新聞もお酒も好きだから」できること。

丹沢湘南観光交流フォーラムに参加
【No.1143】 2014年01月26日

1月25日
 第6回丹沢湘南観光交流フォーラム(主催 東海大学)に「まほら」の会員8人と参加。パネルディスカッション「大山道、その魅力の再発見」の中で、秦野市観光協会が「まほらの会」の活動を実践報告してくれるので応援? ということもあった。定員150の会場は《アクティブ・シルバー世代》で満席に近い入り。
 会を紹介してくれたパネラーへのお礼も兼ね、横山会長と共に会場から発言させてもらった。
 「まほらの会」の活動と観光を結びつけることは難しい一面もあるが、大山道にまつわる歴史や民俗を次世代に伝え、引き継ぐということで言えば『観光』は重要なテーマになる。

Coventry
【No.1142】 2014年01月21日

1月15日
 妻の両親が眠る厚木の飯山観音へ墓参と初詣。飯山観音は坂東三十三観音霊場第6番札所。この日も3台のバスが来ていた。集印帳を抱えた添乗員が先を争うように寺務所に走る。
 午後6時から「まほらの会」の新年会を「万葉の湯」で。幹事をおおせつかったこの日の会。 《仕切る》のは好きなので“ハイ”な私だった。会員は楽しんでくれたのだろうか。

1月18日
 Coventryから訃報。Veraさんが1月5日に倒れ、12 日に亡くなった。27年間のお付き合いだった。合掌。

1月20日
 観光フォーラム「大山道 その魅力の再発見」が25日に開かれる。そこでのパネラーの一人が「まほら秦野みちしるべの会」の活動を紹介してくれる。横山会長にも同席してもらい、パネラーとその内容の確認をする。
 午後4時過ぎにぎやかな声が庭に入って来た。「東中新聞」の子が二人。1004号を持ってきてくれた。17日の発行。阪神大震災19年を迎えたこの日、そのことが取り上げられていた。二人とも受験生「風邪に注意しなよ」と励ました。
 コベェントリーへお悔やみの言葉を送る。

道祖神のまねきにあひて
【No.1141】 2014年01月14日

1月13日
「今日は娘の成人式なのでお赤飯を炊きました。食べてください」と、教え子のMさんがわさわざ本町から持ってきてくれた。いい家庭だなあ、としみじみ思った。

 「まほらの会」の会長Yさんから、「市内の二つの公民館から、三月になったら『大山道を歩く』の講座をもってほしいと依頼がきた」と電話が入った。2公民館の地区は「新東名」の工事が行われる地区。すでに工事は本格的に動きだしていて、野仏などの移転のおこなわれるとのこと。「みちしるべの会」としても現況を確認はぜひおこないたいこと。

 昨年12月に北杜市の道祖神を訪ねた折、話を聞かせてもらった箕輪海道のKさんから「きょうこれからドンドン焼きをする。もっと早く連絡をすれば来ていただけたのに、申し訳ない。写真を撮って後ほど送ります」との電話。感激。

 さて私の地区・寺山清水は明日14日午後2時からダンゴ焼き。今年は組長なので火守をする。我が家は13日の夕食後ダンゴを作るのが慣わし。茹でるのではなく蒸かす。食紅の量を少し多くしてしまったので、鮮やかなダンゴになった。今年は白、赤、緑、三色のダンゴ。

 今日を期して『道祖神のまねきにあひて〜道祖神の里めぐり〜』というタイトルでブログを立ち上げました。まだ1ページしか書いていませんが、訪ねた道祖神の里について書き足していきます。楽しんでいただければうれしいてす。

二つの市P連の講座
【No.1140】 2014年01月11日

1月10日
10時30分から秦野市P連情報委員会のPTA広報講座。情報委員会は各PPTAの代表一人・22名で構成されている。この日の講座は、今年度発行された『市P連だより』の紙面クリニック。この講座での反省が3月に発行される101号の編集に活かされることになる。そんなこともあり少々厳しいことも言った。もちろん、22名は単Pのファーストレディである。どの記事も取材をていねいに行っているのでしっかり書かれている。
 11時からは二つめの講座で「秦野の民俗・道祖神祭りダンゴ焼き」の講話を12時まで。紙芝居「目ひとつ小僧」も上演をした。14日は「ダンゴ焼きの日」。その意義を知ってもらおうと4年前から行っている講座である。

仕事始め?
【No.1139】 2014年01月09日

1月8日
今年最初の仕事? 南公民館との共催で「南地区の道祖神と湧水を訪ねる」講座を持った。14日が道祖神祭り(私は「ダンゴ焼き」と言っているが)なので、グッド・タイミング。オリエンテーションとして30分もらい「道祖神の形体」を画像で見てもらった。かなり興味は持ってもらったと思っている。10時〜14時まで「めぐり」。案内は私たち「まほら秦野みちしるべの会」の会員8名が担当。14時からまとめとして、「道祖神祭りの異称(名称)について」聞いてもらい、最後に「目ひとつ小僧」の紙芝居の上演をした。

年賀状
【No.1138】 2014年01月04日

 穏やかな三が日。元旦に届いた年賀状の中で心に留まった言葉。
 Sさん:「老いてとんがる」です。
 Kさん:「今年も自分をほめられる年にしたい。常に肯定志向で!」
 Oさん:「人間、晩節で、きまる。」
 Hさん:「批判力を育てる教育が必要。どうすればいいいいかと考えさせられます。」
 4人とも私と同世代です。

 Yさん(60代):『昨年は休耕田を利用して仲間四人で米作りに挑戦。収穫期に台風や長雨が重なり、倒れたりぬれたりの連続『嵐も吹けば雨も降る。男の道よ、なぜ険し』 自然への無力を知る。でも、脱穀が終わって、米袋を見て、『ここの幸あり、実りあり』でした。」

 Oさん(50代):「お元気ですか。何十年経っても、あの中学のあの教室で、友達と新聞づくりをした情景が温かく心に浮かぶのは本当に幸せなことと、先生に出会えたことに感謝しています。」

道祖神の本 二冊
【No.1137】 2013年12月20日

 12月4日に「まほら秦野みちしるべの会」で群馬県・高崎市倉渕地区の道祖神を訪ねたとき、案内をして下さった市川光一先生(元倉渕村教育長)から『全国道祖神写真集』をプレゼントされた。
 平成13年に開かれた第16回国民文化祭で「道祖神ヘェスティバル」を企画した旧倉渕村が編集したもの。冊子には北海道から鹿児島までの代表的な道祖神が載せられている。秦野の戸川原に祀られて意僧形道祖神・寛文9(1669)も収められている。
 道祖神の本といえば、11月の初め、20数年前PTA広報委員だったYさんが「本棚の整理をしていたらこんな本が。先生なら読んでもらえるかもしれないので」と、『山梨県の道祖神』中沢厚著を持ってきてくれた。著者はご主人の叔父さんとか。昭和48年に出版されたもので、山梨県下のすべての道祖神を見て歩いた記録集で労作。
 両書とも本当に嬉しいもの。そして貴重な書である。この二冊で私の“道祖神熱”はますます高じ、年の瀬なのに今日もまたページをめくっている。

今年最後の授業
【No.1136】 2013年12月14日

 6月22日、9月30日、そして今日9月13日の三回にわたって担当した東中学校の「総合的な学習の時間」の授業。
 この日は「秦野の民俗 道祖神祭り(ダンゴ焼き)」の話をする。道祖神のご利益とダンゴ焼きの趣意は異なるので、それについて説明。次に「左義長」という言葉の由来を話す。そして道祖神と「目一つ小僧」の紙芝居を上演。
 体育館で全校生徒と保護者、地域の人にも公開された授業。今回も聴講者は300人ほど。これが今年最後の授業。

 週に二回の道祖神めぐりの旅
【No.1135】 2013年12月11日

12月4・5日
 「まほら秦野みちしるべの会」の初めての研修旅行。タイトルは「日本最古の道祖神を訪ねる」で、行く先は群馬県高崎市の倉渕地区、長野県安曇野市穂高地区、そして長野県辰野町沢底地区。
 倉渕はさまざまなスタイルの道祖神が見られる。熊久保の僧形道祖神、落合の抱擁像、坂下と下諏訪神社の男女双体道祖神を見る。
 倉渕の道祖神は野趣溢れるものが多いが、穂高の道祖神はちょっと上品。極彩色の双体神もある。
 沢底では日本最古の「裾まくり道祖神」にお会いできた。
 この研修は私の企画だった。会員の反応が良かったのでホッとしている。

12月8・9日
 山梨・北杜市の道祖神を訪ねる旅。8日は小淵沢地区を回る。山梨の道祖神は丸石が多い。それに見事な石祠の道祖神も散見できる。
 石祠道祖神とは中に丸石や石棒、双体道祖神が祀ってあるもの。二日目は須玉町と高根町を走る。高根町海道の丸石道祖神の近くに住む小林さんから道祖神祭りの話を聞かせてもらった。二日目に出会えた文字碑、双体像、丸石道祖神は納得・満足の出会い。

師 走
【No.1134】 2013年12月02日

 小学校の資源回収に軽トラで協力。「エコー」307号と年賀状の原稿を入稿。クリニックを頼まれたP広報2紙の返信を投函。
 今日のメインは庭の落ち葉の整理(かなりの量)。落ち葉を畑に鋤き込むつもりだった。だが耕耘機が動かない! これは大誤算。
 『東中新聞』1001号が届く。1000号への祝辞や激励の言葉がたくさん届いたので、この号も特別仕様で活版印刷。充実した紙面で読み応え十分。
 4日からの研修旅行の準備。バッグに荷物詰める。天気予報では「降られない」ようだ。

11月は今日で終わり
【No.1133】 2013年11月30日

 11月は今日で終わり。好天の一日。『エコー』308号と年賀状の原版完成。月曜日に出稿したい。
 28日の「大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて(参加(22名)」は好評だったと、横山会長から報告があった。(私は大日堂境内でのオリエンテーションだけ担当)>
秋高天、紅葉は見ごろ。大山阿夫利神社本殿で玉串奉奠。大山寺での護摩焚き見学はめったに経験できることではない。いずれも「阿夫利睦会」の磯崎さんのお力。感謝したい。
 気分高揚の皆さん、予定では伊勢原にバスで出るはずだったが、「まほらの会」も協力し完成した『大山古道の道標』を確かめるということで、全員が『イヨリ越え』で寺山に下りてきたのだそうだ。
 その「まほらの会」だが、12月4・5日に「日本最古の道祖神を訪ねる」という研修会を行う。それでその資料を作成。
 群馬・高崎市倉渕地区、長野・安曇野市穂高地区、長野・辰野町沢底地区の道祖神に会いに行く。倉渕は日本で二番目に古い僧形の道祖神(最古とも言われている)、最古は沢底の「裾まくり道祖神」。安曇野は彩色された道祖神。どれも会員を魅了するにちがいない。私は、倉渕、安曇野に二回、「裾まくり」さんにも今年の正月にお会いしている。
 

自画自賛
【No.1132】 2013年11月22日

11月20日
 あずま荘デイサービスの企画『寺山ものがたり』を4年前から受け持っている。今日のテーマは地図の上で「寺山を歩く」。地図は「まほらの会」のイラストマップを使う。
聴いてくれたのはほとんどが寺山に住む人たち。私にとっても顔見知りなので安心して話すことが出来た。「出征兵士を見送った道永塚の桜の木」や「庚申信仰と名前(キンさん、鎌太郎さんなど)」などの話は特に印象に残ったようだ。
 1時間はあっという間に過ぎ「今日はここまでです」と閉じると、「もっと聞きたい。もう少し話してよ」、「続きはいつですか」、「来月は健康体操だけど、この続きに変更してほしい」という声があがった。「今日の話を本にしてください。聞いてもすぐ忘れるので」と特別な注文もあった。
 寺山を故郷としている者にとって、その地のことをあらためて確認すること、あるいは思い出すことは、今までの生活を振り返り、人生を納得することであると思った。
 「東地区の話を全部するのにはあと10回は必要。10年間お互いに頑張りましょう」と約束して退出した。
今日の話の出来はよかった、と「自画自賛」。

「きのうはありがとうございました」
【No.1131】 2013年11月19日

11月16日
 東中で初めて担任したクラスのクラス会。4年毎に開かれていて今回は14名の参加。30人中14人が出席。64歳になった彼、彼女たちの会だから落ち着いた宴席。東地区での「通過儀礼」の話なども出て、楽しい会だった。
 私は最後に挨拶をさせられた。それでこんな話を。
 「毎朝、仏壇にご飯、お茶、線香を供え、手を合わせている。そして『きのうはありがとうございました』と心の中で唱える。きのうも、我が家の者は皆、周りの人に支えられ一日を過ごすことができました、とご先祖様に報告している。きょうも皆さんのお陰で楽しいときを過ごさせていただきました。だから、明日の朝『きのうはありがとうございました』と報告します」。
 二次会は私も加わって15名。「ラストダンスは私に」を歌ったAちゃんにみんな驚き、聴き入る。

紅葉と雪
【No.1130】 2013年11月16日

 11月13・14日は「秦野ゆとりの会」の研修旅行。2000年から始まったこの研修旅行に13回参加できている私は《健康・元気》ということなのだろう。
 研修地は富岡製糸場、八ッ場ダム、吾妻渓谷、卯三郎こけし館、水沢観音、川越と、バラエテイに富んでいた。日本酒の試飲、温泉饅頭の試食もあった。
 宿泊した草津温泉は「紅葉と雪」。宿から見えた近くのゲレンデはもう滑走が出来そうだった。露天風呂で草津の湯を堪能。そして宴会。一年ぶりのカラオケを楽しむ。「春は桜の夢が咲く」を歌う。今回の参加者16名を高年齢順に並べてみたら私はちょうど真ん中。「ゆとりの会」は元気な会である。

寒くなりました
【No.1129】 2013年11月11日

 東京カントリークラブへの取り付け道路のガードレールがはっきり見えるようになりました。今朝は寒かったです。鍋と熱燗がおいしい季節になりました。11月7日付けの「三陸新報」にこんなエッセイ(部分です)が載っていました。

酒に爛をつけて飲むのは、日本の食文化に育まれた独特の飲酒スタイルで、爛酒が一般的になったのは江戸時代中期以降といわれている。燗によって日本酒が持つ「甘・酸・辛・苦・渋」の「五味」が出てくる。
 日本酒は冷やしても、常温でも、爛でもおいしいのが名酒≠ニいわれるが、これからは、やはり熱爛がいい。
 爛には、人肌爛30〜40度、温(ぬる)爛40〜45度、上欄45〜50度があり、これ以上熱いのが熱爛、さらに熱いのが飛び切り爛で、人肌より温いのは日向爛という。
 日本酒は人肌〜上爛がおいしいといわれる。一応、大吟醸は人肌、純米は温め、本醸造・普通酒は上燗がいいとは通≠フ話。爛は70〜80度のお湯に銚子(ちょうし)を入れてするのが一番だ。

今年最後の広報講座
【No.1128】 2013年11月04日

11月2日
 今年最後のPTA広報づくり講座は中野区中学校PTA連合会主催の広報委員研修会。会場は「なかのZEROホール」。6月に第1回を持っているので、今回は紙面クリニックが中心。年度最終号に向けて活動を再起動させる? きっかけにする研修会である。
 講座の初めに、三連休の土曜日の午後という時間帯に、広報づくりという厄介な活動のための研修に参加された委員の皆さんに心から敬意を表した。対象が中学校PTAなので、取り上げる題材はかなり焦点化できた。終わってからの相談の一つが写真の掲載について。

まだ滞在中
【No.1127】 2013年10月28日

 10月17日の朝、台風で吹き荒らされた道を掃いていた妻が、勝手口の階段で沢蟹を一匹発見。沢蟹は清流に住むのだが、近くに川は流れていない。大雨で流されてきたとしたらタイヘンな“長旅”と思い、しばらく我が家に留まってもらうことにした。カマボコ(と言ってもほんの切れ端)を与え、スーパーで売られている鍋焼きうどんのアルミホイールの鍋に入ってもらった。そして一夜明けて鍋を覗いたら、もう“旅立って”おられた(逃げられた!) 。捜してみたが見あたらない。
 25日、前日は台風27号の影響で大雨だった。その25日の朝、黙って旅立った沢蟹が、なんと母屋の軒先を歩いてる! それで、またしばらく滞在してもらうことにした。今回はハム、油揚げ、そしてご飯粒でもてなす。元気になったら金目川に連れて行くつもり。28日の朝現在、まだ滞在中である。

『東中新聞』 今日1000号に
【No.1126】 2013年10月26日

10月25日
 7月からスタートした『東中新聞』の1000号の新聞づくりが、今日10月25日に予定通り発行された。広報委員長の後藤さんが両の腕で捧げるように大事に大事に持ってきてくれた。
 タブロイド判10ページというこの号のメインテーマ《つなごう心を》」。
 1面は「おはようで始まる一日を」、2面「人とのつながりを考える」「My CLassroom」、3・6面「“歩いて『東』再発見”」、4・5面「祝・1000号到達 ペンのリレー続け64年」、7面「東中生のケ一夕イ事情}、8面「エコのTシャツで燃えた体育祭」、9面「おめでとう がんばったね」、10面「つないでたすき≠」。

 私事を書けば、『東中新聞』が生まれたのは昭和25年。その創刊に関わった生徒の一人に私がいたようだ(東中学校の公式記録に氏名が記載されているので)。たた、残念ながら新聞づくりの記憶はほとんどない。ガリ版用のロウ原紙にヨードチンキのような色の修正液をこぼした記憶は鮮明に残っている。「それが『東中新聞』づくりであったのなら…」と今は願っているだけなのだが…。そしてこの1000号には、少しだが、確かに関わることができた。幸せである。

佐賀からお客さん
【No.1125】 2013年10月22日

10月21日
「箱根で姉弟会が開かれたので」と佐賀に住む谷口さんが突然訪ねてきてくれた。彼女は生まれは秦野の蓑毛。東中時代に担任をした子。早くして両親を亡くした彼女の家は、毎年姉弟三家族が墓参をかねて箱根に集まるのだそうだ。今年、わざわさ彼女が私を訪ねてくれたのは「東中新聞」1000号のお祝いの言葉を私に届けるためのようだった。彼女は昭和48年度の「東中新聞」の新聞委員長。中学時代の思い出をたくさんたくさん話して帰っていった。 今の彼女は地域包括支援センターの主任ケアマネージャー。

にぎわった富士道
【No.1124】 2013年10月20日

10月19日
 9時30分から緑水庵(秦野市蓑毛)で丹沢ドン会と秦野市が企画した「山ろくウオーク+秦野歴史講座」の講演。ドン会は東地区の棚田を保持する活動を積極的に行っているので秦野の水田を潤す金目川の話をした。タイトルは「金目川(かなめがわ)は金楲川(かなひかわ)」。40名ほどの参加者。
 10時半、金目原橋(秦野市寺山地内)のたもとで「ぶらり大山なつかし道」というウオーキングツアー(セブンカルチャーネットワークと秦野市観光協会の企画)を待つ。こちらは都内、川崎、藤沢などからの参加も。秦野には2000を超える石仏・石神が祀られていて、馬頭観音が最も多い。私が待っていた地は95基の馬頭観音碑が立つところ。馬頭観音信仰の話をする。そして「これから皆さんの歩く道は《野仏の道》。野仏との出会いを楽しんで下さい」とツアーを見送った。
 12時30分、再び緑水庵で「なつかし道」ご一行に「(世界文化遺産となった)富士山と大山をつなぐ秦野の富士道」の話を聞いてもらう。
 この日、ドン会は蓑毛から田原に向けて歩き、なつかし道さんは寺山から大日堂に向かった。それで才戸の市内最古の富士道の道標辺りでこの二団体がすれ違う。ふだんは静かで穏やかな富士道だが、この日はかつての白装束の往来をおもわせるにぎやかな道となった。

たちまち反響が
【No.1123】 2013年10月17日

10月15日  
 14日の神奈川新聞が「『東中新聞』の千号到達」のことを記事にしてくれた。1ページのインデックス「きょうの紙面」欄で写真付きの紹介。そして27面では6段組みのカコミという大きな扱い。
 たちまち反響が。かかりつけの歯医者さんと内科の先生、そしてかつて新聞委員として活躍したWさんからは1000字を超えるメール。
 その結びは「中学校で三年間新聞づくりを続けたことは、大人になってからの力になったことをお伝えしたくて」とあった。WさんはH製作所に入社と同時に社内報担当になり六年間頑張った。

真夏日
【No.1122】 2013年10月12日

10月11日
 今日も暑い。そんな中、午後3時に東中に出かけた。「東中新聞」1000号の校正を子供たち20数名で行う。その指導。はじめに校正の大切なことを話し、校正の仕方を教えた。全員の机上に辞書。でも辞書はあまり使っていないらしい。ていねいにページをめくる姿がそれを表していた。こうした作業を通して、子供たちは自分も1000号の制作に関わったことを記憶するはず。

 小田原は真夏日だったそうだ。前日は海老名も。いずれも観測史上最も遅い「真夏日」。
 先週7日まで塗装屋さんが入っていたが、その職人さんの言葉。「10年くらい前は、昼休みになるとサンオイルを塗って屋根の上で体を焼いた。今は休憩になれば、とにかく日陰に飛び込む。歳をとったせいもあるが、夏は厳しい。日本は夏と冬だけで、春秋はなくなったように感じる」。この職人さんは30代半ばである。

来年も
【No.1121】 2013年10月04日

10月3日 
 夏日を思わせるような一日。湯河原町と箱根町のP連と教育委員会が共催する「PTA広報紙づくり講座」が湯河原町教育センターで開かれた。
 両町の7小・中学校の広報委員25名が参加(お父さん1人)。時間は9時半からの2時間。今年度発行された広報紙の紙面クリニックが講座のメイン。最後の20分で次号の企画・編集会議も行った。今年度になって発行された7広報紙はかなりの充実度だった。それで「皆さんが来年も広報委員をされるなら、もう私の出番はなくてもいいでしょう」と話した。講座の後「来年やるかどうか考えてみます。出来ればやりたいですが…」と言い、笑顔で帰っって行った委員が二人いた。
 9月5日から始まった秋のPTA広報講座は今日で9会場目。これで一段落。

フクシマ
【No.1120】 2013年10月02日

今日から10月 

9月30日の「朝日歌壇」

東京ゆ二百五十キロにて汚染水タンクは増えてゆくばかりです 美原 凍子
東京は安全ですと言われれば区別の助詞の「は」がひっかかる 小島 節子
東京は東京にはの「は」と「には」の東京遠く遠く隔たる   小林 武子
東京で痛感加速する風化被災地のある国に思えず       桃 心 地

講座二つ
【No.1119】 2013年09月19日

9月17日 
 「JAはだの」の組合員基礎講座。新たに組合に加わった人たちを対象にしたこの講座。この日の私の講座は「知ろう! 伝えよう! 地域の伝承文化」がタイトル。それで、次の三つを柱にして90分話した。
1 世界文化遺産になった富士山と秦野をつなぐ富士道(遺産に認定された要素の一つ「信仰の対象としての富士山」に関わっている)
2 秦野の民俗「だんご焼き・道祖神祭り」
3 秦野(神奈川)の郷土料理「へらへら団子」
 秦野生まれの女性が「今日の話の事柄は断片的には知っているが、きょう系統だった説明を聞き、さらに関心が深まった」と感想を述べてくれた。

9月18日
 秦野市P連の「広報づくり研修会・紙面クリニック」を東公民館で。11時半前に終わったのだが席を立つ者は無く、そのまま企画会議という形になっていった。
 使用時間から12時に解散になったが、次号の企画についての相談が4校、写真と名前(プライバシー?)の使い方。依頼した原稿があまりにも膨大(頼んだ文字数の3倍もある)。そんな時執筆者にどのように対応したらいいのか(編集権)。など現実の課題についてのアドバイスを求められた。更には私のクリニックへの反論などもあり、会場の熱気は最後まで冷めなかった。

Mさんのフォロー
【No.1118】 2013年09月11日

9月10日
 松田町教委の広報づくり研修会の第2日。6団体15名の参加。クリニックの後、次号の企画を発表し合い意見交換をした。参加人数、顔見知りも多いという好条件だったので《赤裸々》な話も飛び出し、有意義な話し合いができた。
 この研修会の担当のMさんが、前回の研修の内容のまとめ(私の講義のポイントを18項目にまとめたもの)を出席者に配り、「今日のクリニックのことと一緒に次号の発行に役立ててほしい」と話をされた。こんなふうにフォローしてもらうと助かる。ありがたい、嬉しいことだった。
 

「広報 読んだよ」だけでもいい、評価がほしい 
【No.1117】 2013年09月07日

9月6日
 伊勢原市P連の広報研修会。すでに発行された広報紙の紙面クリニックが研修の中身。
 「〈愛〉の反対は〈憎しみ〉ではない。『無関心』である」と言った人がいる。
 頑張って発行したのに何の反応もない。「『読んだよ』の一言でもいいからほしいのに」は、広報委員全員の思いでもある。
 私の紙面クリニックはその反応のひとつと思っている。褒める、記事は全部読むことにしているので、書かれている内容、表現でも気に入ったら取り上げてほめる。写真、レイアウトも褒める、かなり“私好み”になるのだが…。
 今日は9校から40名ほどの参加。クリニックをするページを書画カメラで映す。少々キツイ指摘もした。これは反省している。だが、委員たちにとって自分たち作品(広報・新聞を「作品」と呼ぶことには抵抗があるが、ここではあえて「作品」と書く。なぜなら、委員たちの汗の結晶が紙面になったのだから)を大勢に読んでもらい、評価されることは喜びだと思っている。
 講座のあと相談に来たI中学校の広報委員が「小学校のときも広報を作った。初めてなのでいろいろ苦労した。でも一年間の活動を終えたとき、とても満ち足りた気持ちになった。それで中学校でも広報委員に立候補した。4年ぶりです」と言った。こういうことを私に言えるのが年度中間の研修会の良さだと思っている。
 年度初めと年度中間でという2回の講座をもつことは、委員の意欲をもう一度上向きにさせる。来週も3会場で紙面クリニックを行う。参加者の心に何かが刻まれる講座にしたい。

今日から広報「秋の陣」
【No.1116】 2013年09月05日

 9時30分から大井町教育委員会の広報紙づくり研修会(第2回)。「読みやすく、親しまれる広報づくりの基礎技術の習得ー評価ー」で、今年度発行された各種団体の広報紙クリニックをおこなう。 
 参加団体は幼・小・中のPTAが7、子ども会育成者連絡協議会、青少年指導員協議会、体育協会、文化団体連絡協議会、自治会3、そして地域づくり研究会の15紙。
 前夜から豪雨で幼稚園は臨時休園とか。となれば講座の欠席者が出るはずなのに、逆に参加が増え、託児保育室はにぎやかだったらしい。私の席に届く参加者の会話は全て広報づくりのこと。こんなところにも広報紙づくりへの意欲が感じられた。今日から私には広報「秋の陣」。

夏の終わりは
【No.1115】 2013年08月22日

 8月18日
「まほら秦野みちしるべの会」の月例学習会。
 昨年12月に13図で完了した「みちしるべイラストマップ」の改訂の作業がこの学習会の主題。平成20年に発行した東地区の3図の改訂版が提示された。初版と比べ精度は上がり、しかもすっきりとしたものになっている。描いてくれた横山会長の頑張りにただ感謝するのみ。
会の活動が認められ、市内の5公民館から「大山道を歩く」講座の講師の依頼が新たに舞い込んだ。この会の目標の一つは「『まほら秦野・大山道』の案内人を目指す」ことである。その目標に向かって研鑽しなければならない。
 会報「まほら秦野みちしるべ」の第2号がこの日発行。こちらの内容も充実している。記事を書いた人たちの筆力の賜物。

 8月20日
 「東中新聞」の編集会議に出かける。塾の夏期講座を休んで見出しのレタリングに挑戦している二人。凝り性なのだろう手を休ませない。顧問の先生は少し焦り気味なのに。でも持っていったお菓子を配ったら歓声。

 8月21日 
 茅ヶ崎市香川公民館の「夏休み親子でつくる壁新聞」講座の第2日。親子8組で9新聞が完成。館長さんから「私の予想をはるかに超える新聞。こんなすばらしい新聞を作ってくれた皆さんにお礼を言います」との言葉が贈られた。私も同感! もう一つ嬉しかったのは、講座の担当職員・菅澤さんが『壁新聞新聞』というこの講座の様子を伝える新聞を作ってくれたこと。
  
 8月22日
 「夏休みの思い出をかべ新聞に―かべ新聞をつくろう」の新聞講座(秦野市立東公民館)の第2日。子ども23名・親14名の参加。
 題字(新聞のタイトル)はさまざま。『歌舞伎新聞』『実朝公御首塚新聞』『頼朝の逆さイチョウ新聞』 『(ヒップホップ)ダンス新聞』『亀新聞』『干支新聞』『はじめてはじめて新聞』。もちろん主流は『家族旅行新聞』。
 新聞づくりで楽しかったことは「いろいろなことを調べ、いろいろなことを見つけられたこと」と感想を残していった4年生がいた。「来年も新聞づくりに来る」と言った子も大勢。

清水湧水地跡記念碑建立10周年記念文化講演会
【No.1114】 2013年08月12日

8月10日
 私の住んでいるところは秦野市寺山・小字名は「清水・シミズ」。ここには湧水池があった。水が浸み出すから「シミミズ」⇒「シミズ」⇒「清水・瑞祥名」である。近くでは縄文時代の遺跡が発見されている。ところが2004年の県道改修で最後まで残っていた小さな泉が姿を消した。この「清水」は東小・中学校の校歌にうたわれているもの。
 歌を歌うとき、私たちはその歌詞の情景を思い浮かべる。「清水ケ丘は夢湧くところ(東小学校)」そして「いつも湧き立つ希望の泉(東中学校)」と校歌を歌う子どもたちに、その情景をどうしても与えたいと思った。
 私のこの感慨が、清水庭(自治会)の人たちに伝わり「清水湧水池跡記念碑」を2004年8月に建立した。碑文は私が書かせてもらった。
それから10年が経った。世代が変わった家も多く、新たにこの地をふるさととする家族も10数軒増えた。私の年齢も…。それで、きょう「清水湧水地跡記念碑建立10周年記念文化講演会」が清水自治会の主催で開かれた。講師は私。「清水は浸み水」というタイトルで、清水地区の地名が持つ由来・意味について1時間ほど話した。講演の後は懇親会。冷えビールを飲みながら年寄りが語る昔の清水庭の話でかなり盛り上がり楽しい会だった(年寄りの冷や水!)。中学生から70代までの広い年齢層の参加があり嬉しかった。
 

新聞週間です
【No.1113】 2013年08月09日

 8月5.6.7.9日は、この秋創刊1000号を迎える『東中新聞』の指導で東中学校へ。地域の人へのインタビューにも同行。子供たちの気持ちは徐々に高まっている。嬉しいし、頼もしい。8日は松田町の子ども館でカベ新聞づくりの講座。この町では初めての講座なので参加者の人数が気になっていたが、小学生9人、大人6人。この大人の中の二人は「自分の新聞を作りたい」と単独参加。町外の母子3人の特別参加もあった。松田山山頂の「子どもの館」なのでエアコン無し。会場の気温は33℃超。汗また汗の新聞づくりになった。

大山古道の道標 建立
【No.1112】 2013年08月04日

8月3日
 大山古道の整備・修復をしている伊勢原の「阿夫利睦会」から「秦野側の入り口に道標を立ててほしい」と依頼されていた。その道標をきょう建立した。睦会から磯崎敬三会長さんら二人。「まほらの会」13名、それに地主の山岸勉さんにも立ち合ってもらい、寺山772番地の稲田の角(ここは大山古道・坂本道の入り口)に立てることができた。
 道標の表示板は横95、縦35、厚さ5cmで栗の一枚板。「大山古道出入り口(坂本道)至 イヨリ峠 禊の大滝 大山町 所要時間80分と記されている。柱には「まほらの会」と記入。この道標を含め、大山町まで12基の道標が立てられた。古道の面影が色濃く残っているこの道を12本の道標に導かれ歩いてくれる人が増えることを願っている。
 
 8月4日付け『神奈川新聞』に「道標建て」のことが紹介されています。
 写真は http://mahora-hadano.sblo.jp/を。

壁新聞に挑戦 26名の小学生
【No.1111】 2013年07月27日

7月26日
 「夏休みの思い出を壁新聞にしよう」という親子新聞づくり講座を東公民館で開いた。きょうの参加は小学生26名、母親が15名。「二回で完成」なので、今回は欠席だが第2日目の8月24日は出席と連絡してきた家庭が6。
 参加者の中で「3年連続」の家族が3、「昨年に引き続き」が4家族、二年ぶりの参加が1。そして母子4人(小学生が3人)で参加などもあり、嬉しいことだった。
 記事を書く練習として、きょうの講座のことを5Wー1Hで書かせた。「書けたら見せに来てください」と言ったが、来る子は無いと思っていた。ところが全員が私に読ませてくれた。どの原稿もしっかりした文字で書けていた。これもまた嬉しいことだった。
 東公民館での親子新聞づくり講座は今年で12年目になる。来週は茅ヶ崎の香川公民館で、さらに8月の第2周は松田町・こどもの館で親子壁新聞づくりの講座を開く。

東小学校の「職員地域研修会」
【No.1110】 2013年07月25日

 お隣の東小学校で「職員地域研修会」が開かれ「まほら秦野みちしるべの会」がその講師を務めた。 
 「少雨決行」、8時30分に先生方20数名を会員13人で案内開始。学校周辺の歴史的・文化的な価値のある碑や建造物を見て回った。
 そして10時から視聴覚教室で座学。「東地区の地名の由来と意味」を私が話す。相模、神奈川、秦野、そして東地区の大字名、更にはバス停の名称となっている小字の意味を知ってもらった。
 この研修会は、若い先生方や本校での在勤年数が少ない先生が多いこと。地域出身の先生もいない。それで地域を踏まえた授業を行うのに苦労している現実があるので開かれた。会員たちと談笑しながらの地域ウオークは、それだけでも意味があったと思う。何しろ、この日参加したわが会の会員の年齢層は50代が二人。他は60、70歳代なのだから。
 道祖神についてやや専門的な質問は私をとても喜ばせた。

【No.1109】 2013年07月17日

 7月12日のこのページを読んだtakumiさんからつぎのようなメールが届いた。

 武先生の徒然日記、大変嬉しく読ませて頂きました。今後とも末長くお付き合いできるよう、頑張ります! 期待していて下さい! takumi☆

広報紙復活 
【No.1108】 2013年07月12日

 昨日のPTA広報講座は一学期に発行された号の紙面クリニック。先生紹介と入学式が年度第1号の紙面の定番ではあるが、ていねいな取材と紙面づくりがなされているものが多く「褒めるだけ」のクリニック。
 特に私を嬉しくさせたのは、数年ぶりに広報が復活しその第1号がクリニックの対象として登場したことだった。
 題字は「広報ボランティア通信(仮)」となっているが、A4判・8ページ、企画もレイアウトも見事な広報紙である。しかも3人の有志で作成。
「経費はどうしましたか」と尋ねたら「広報委員会が無いので広報発行費はありません。でも広報紙を読んだ会長さんが『これからも出してほしい』と経費を捻出してくれた」とニコニコ。
 PTAの役員の中で広報委員は最も敬遠される。そして何かの理由で広報紙が消滅すると、その復活はなかなかむずかしい。だが会員の多くはPTA広報を通しての学校・子どもの情報はほしい、思っている。
 2人で動き出し、途中で一人加わり、できたこの広報。最終ページに「急募 年齢・性別・経験 問いません。パソコンできなくてもダイジョウブ。条件は只一つ『一緒に広報誌を作ってみたい人』まってま〜す」とある。精一杯応援したい。

いよいよ実働
【No.1107】 2013年07月09日

7月8日
 東中学校の広報委員会の活動に参加。きょうは『東中新聞』1000号に向けていよいよ取材活動に入る日。発行は10月15日。「発行日が守られない新聞は信用されない」と、まず伝えた。記念号なので、校外の取材も多いので取材するマナーを教えた。
 子どもたちの気持ちは高揚し始めている。指導に当たる3人の先生は新聞づくりの指導は未経験。それだけに、子どもたちと同じように不安もあるようだが、それを乗り越えようとする積極性を感じる。「後押しする」し甲斐がある。

嬉しい報告二つ
【No.1106】 2013年07月03日

 5月28日の日記に書いた(『エコー』303号参照)東婦人会3人の『ダンゴ焼き』の勉強会の成果は、6月30日の「東の里文化芸能発表会」で十分に表れたらしい。「小道具などにも力を入れたので寸劇は大好評だった」との電話を代表のKさんからもらった。「先生に見てもらえなかったのが残念」と言われてしまった。
 見本として貸し出していた壁新聞をC先生が返しに来た。小学校6年の担任になった今年、クラスで学級新聞の発行を始めた。「3号まで出ました。子どもたち、とても喜んで書いています。そのうち持ってきます」とにこにこ。Cさんは中学時代、新聞づくりで頑張った子。新聞づくりで彼女の得たものを、今度は自分のクラスの子どもたちに得させようとしている。

今週が山場だった なんとか乗り越えた
【No.1105】 2013年06月24日

6月23日
秦野青年会議所創立50周年記念事業「楽しいはだのみぃつけた ワクワク体験ツアー!」が上地区で行われ、100名を超す親子が自然や歴史に触れた。「まほら秦野みちしるべの会」はその中の「道祖神を見てまわろう」を担当。この道祖神巡りのほか、たけのこ採り、竹の伐採体験、水鉄砲作り、そして最後は採りたての竹の子を焼いて食べた。まほらの会の7名がお手伝いをした。
 私にとって今週が今学期の山場だったがなんとか乗り越えることができた。


6月22日
 午後1時55分から東中学校の「総合的な学習の時間」の授業を担当。全生徒を対象にした授業だが、保護者や地域にも公開されたので会場は体育館。聴講者はおおよそ300人ほど。
授業は「地名が語る東地区の歴史・文化」の第1回で「寺山地区(東中学校周辺)」。終わっての反省は毎回同じ。「もう少し余裕を持って話さなければ」。

 
6月20日
 10時に伊勢原市の「阿夫利睦会」の二人がわが家を来訪してくださった。「阿夫利睦会」は伊勢原から秦野に続く古道・大山道の整備を精力的に行っている。伊勢原側の道筋の主要な地点には道標も設置した。そして、秦野側の入り口に道標を立ててほしい、と私たち「まほら秦野みちしるべの会」にお願いにみえたのだ。「まほらの会」は4名(横山会長、小泉、野村さん、れに私)でお迎えした。軽トラには道標が載せてあった。
 表示板の部分は横95、縦35、厚さ5cmで栗の一枚板。「大山古道出入り口(坂本道)至 イヨリ峠 禊の大滝 大山町 所要時間80分」。柱は地中部分を含め2m。見事な道標である。
 睦会の会長磯崎さんとの出会いは、伊勢原で開かれた「おおやまサミット」の折。大山道に再度スポットライトを当てたい、という同じ思いがあったからだ。「まほらの会」が道標の設置を終えたときに両会がイヨリ峠に集まり、食事会をすることになっている。「できれば夏山の間に」と磯崎さんの言葉。
 
6月19日
秦野市P連情報委員会の「市P連だより」の企画・編集会議。80号は7月上旬の発行。担当のAグループは出稿に向けて紙面整理。81号を担当するBグループは企画の段階で「わが校の自慢」という特集を組む。「自慢」というカテゴリーをきちんと整理しておくことを助言。集まった12名は、私への質問、委員間での意見交換など活発。「学習意欲十分」と見た。


6月18日
 横須賀市PTA協議会の「広報委員指導者研修会」。参加は160人ほどか。各単Pの広報委員長や活動に積極的な委員の研修会なので質問が4件。終了後の相談も10件ほど出たので少しはお役に立てたのではないか、と思った。終わってから『軍港めぐり』というクルーズに参加。さらに鎌倉大仏に参拝。大仏の近くの長谷寺はアジサイのシーズン、さらに世界遺産のこともあり、午後4時過ぎなのに、車や観光客で大変な混雑。


納得の一日
【No.1104】 2013年06月16日

6月15日 
 8時過ぎ筍を採りに藪に入る。帰って来たのは9時過ぎ。収穫物を近所に届ける。そして野菜畑の手入れ。今年はキュウリが見事に育って大満足。11時にイオンに買出しに行っている妻を迎えにいく。帰り道、いつものお米屋さんでビールを買う。
 昼食は12時半。食事中にI先生が招請状を持って来訪。 食後1時間の休息(まどろむ)。これはいつもの通り。2時から来週の講座の資料の確認。4時半から夕飯の乾麺をゆでる。汁も作る。麺類が食べたいときは全てを自分でする。妻を台所に入れない。
 5時半から夕食。今日のビールは甘い。ラグビーの対ウェールズ戦を再放送で観戦。結果は7時のニュースで知っているので途中入浴。9時半に就寝。
睡眠薬代わりに枕元に本は置いてあるが「無用」。
 こんな生活が「年齢相応」と納得した一日。

PTA広報に子どもの写真を載せること
【No.1103】 2013年06月14日

 PTA広報委員会が校内で子どもたちの写真を撮ることの禁止。広報に使うことができる写真は教師撮影のもので教師の提供されたもの(現実には、広報委員会が「あの行事の写真を撮ってほしい」とお願いしても協力はほとんどしてもらえない)。子どもが誰であるかが識別できる写真は載せてはいけない。後ろ向きや小さな人影しか見えない写真が提供される。
 学校側のこれらの条件の根拠は「個人情報保護法」があるから、「子どもたちのプライバシーに関わるから」と説明がされたとのこと。
 「今年度から特にキツイ条件を付けられたので、広報委員のやる気は喪失。『広報は邪魔』、もしかしたらPTAはいらない、ということかもしれない」と当該Pの広報委員長さんは言う。
 この学校は個人情報保護法を正しく理解していない。個人情報保護法は自治会、町内会、サークル団体(PTAもこの中に入る)などには適用されない。

 昨日のPTA広報づくり講座で相談されたことである。

ワンツーフィニッシュ 
【No.1102】 2013年06月10日

6月7日
 午後3時過ぎ、秦野市P連情報委員長のOさんから「平成24年度の県PTA広報誌コンクール(この日は表彰式)」の結果の第一報が入った。
 県P会長賞 「みなみPTA」秦野・南中P
 県教育長賞 「西のいぶき」秦野・西小P
 「秦野がワンツーフィニッシュ。本町中も優良賞」と少々興奮気味の声。
 夜になり西小のIさんから電話。南中のKさんからメール。それぞれが入賞の喜び・感激を伝えてきた。『努力は人を裏切らない』

「東中新聞」 ただいま992号
【No.1101】 2013年06月05日

6月1日   
 午前中、畑でスギナと意地の戦い。あとからあとから芽をだす。それをシャベルで掘り出す。
 N中のP広報委員3人が来る。25年度の進路指導(公立高校の選抜方法の変更)の具体的な話を聞かせてもらう。中学校の先生たちの混乱、というより苦しさを知った。

6月2日
 ユウガオとアサガオを鉢に定植。まるで箱庭のような小さな世界だが、自前の種なので納得。
 昨日からタカフチ山から猟銃の発砲音が聞こえてくる。鹿の捕獲が始まったと新聞に書かれていた。捕獲と言っても「駆除」。「先生んチは藪で鹿を飼っているのかよう」と教え子に言われた。聞けば、ウチの竹林に鹿が数頭定住しているらしいとのこと。筍の季節だが、鹿にすでに試食されていることだろう。駆除は人と鹿(動物)の共存のためには仕方ないことだが。

6月3日
 本格的な農家のMさんがネギの苗を200本ほど持ってきてくれた。そして、植え方を教えてくれた。「二本ずつくっつけて植えな。お互いに成長し合おうと頑張るから」。私は、株間を空けて十分に養分がとれるようにと植えていた。「切磋琢磨」が成長には必要、ということらしい。
 3時半から東中の「東中新聞・発刊1000号」の企画会議に出席する。生徒も指導する先生も1000という数字に戸惑っている。求められるなら、できる限り協力したい。5月24日発行号が992。1000号は確実に近づいている。

入 梅
【No.1100】 2013年05月30日

5月29日
 大根中学校は地域の人を講師として招き「ふれあい講座」を年間3回開いている。もう10年以上継続されている。私はちょうど10年前にも招かれ、今回と同じような「新聞づくり」の講座をもった。
保護者7人を含め23人が参加してくれた。参加者がさまざまなので「新聞づくり」から少し離れ「新聞の役割、新聞の持っている力」に力点を置いた講座にした。
きょう、関東地方も入梅と発表された。OHCを使ったので窓を閉め、カーテンも引いたのでかなり汗をかいた。

5月28日
東婦人会の3人が道祖神のことを詳しく知りたいと訪ねてきた。ある会で地域の文化の一つとして道祖神祭り(どんど焼き)のことを発表するのだそうだ。
 3人に特にお願いしたことは、『ドンド焼き』という一般的な表現ではなく、秦野地方特有の『ダンゴ焼き』という言葉を使ってほしい、ということ。『目ひとつ小僧』の紙芝居も見てもらった。
 3人とはいろいろなところ―たとえばPTA広報づくり、地域めぐりの参加者としてなど―で出会っているので楽しい勉強会になった。
 

思いがけない出会い
【No.1099】 2013年05月22日

5月20日
中井町教育委員会の「広報紙づくり講座」。担当が替わって新採用のUさん。一生懸命さが初々しい。そのUさんが遠慮がちに言った。
 「母も先生のお話を聞いたそうです。なつかしがっていました」「あ、Uさんは地元の方ですか」「いいえ隣り町の大井です。私が中学生のとき、母はPTAの広報委員をやったのだそうです」。
 驚きと感激の私。「親子二代で話を聞いていただけるなんて光栄です。お母さんによろしくお伝え下さい」。
 Uさんの傍らに立っている上司が名刺を差し出す。笑顔だがやや緊張気味。どこかで見た顔! そう思いながら名刺を交換した。「そうだ、Kさん! 以前お父さんから聞いた、中井町に勤めているって」「四月から社会教育課に来ました。よろしくお願いします」。Kさんは東中時代の教え子。自宅は我が家から200メートルほどのところ。

 この日の講座で私が汗をかいたの気温のせいだけではなかった。充実した講座にした、と思っているが。

一週間
【No.1098】 2013年05月19日

5月18日
1959年に創設された教育懇談会「八八会」に私が参加したのは20年前。その会がきょうで解散。
 創設の目指すものと現会員の意識の違いが会の存続の意義を失わせてきたからだ。教育は時代を超えた確固たる信念の元で行われているのは確かだが、教育に関わる者の意識の変革は欠かせない。会を引っ張る会員の高齢化、そしてジェネレーションギャップ。そんな中での会の存続は難しいとも判断した。一抹の寂しさはあるが、会のメンバーとは「他の会でも会えるから」と、明るく別れた。

5月17日
寒川町でのPTA広報講座。会場へは電車で。JR相模線沿いに圏央道の一部であるさがみ縦貫道路が開かれ、街の風景も大きく変わりつつある。
 担当のYさんが私と出会ってから7年と言った。始まる前に「お久しぶりです。また戻ってきました。今年が最後です」と挨拶に来てくれたのFさん。私の講座には4回出席。終わってから早速相談。今年の活動に期待したい。

5月15日
 秦野市P連の広報講座。会場は文化会館の小ホール。参加者は300名弱。最前列に手話通訳士を伴って参加された方を見た。「PTAで“子育てご一緒に”」と話している私。このお母さんの姿に心が引き締まった。
 昨年度の委員さんなど20数名が激励?に来場。もちろん「今年も広報 やります」と、笑顔であいさつに来てくれた人もいた。

5月14日
 松田町の広報講座にはPTAだけでなく地域団体も参加される。体育協会のAさんは「7回目の参加です」と笑う。町の子ども館に勤めているKさんは15年前、中学校のP広報委員だった。そのときの経験を活かし、館の広報活動を頑張っている。
 そのKさん、講座の中で例示したPTA広報を見て「隔世の感。驚く。感心するばかり。刺激を受けました」と喜んで帰って行った。生まれ故郷の名品「桜海老」をお土産にいただいた。

5月13日
 鶴巻中学校生徒会広報委員会の「新聞作り講習会」に招かれた。私が最後に勤めた学校。あの頃とまったく変わらない校舎や校庭の風景に、懐かしさ、そして安堵感を覚えた。現校長先生は当時一緒に仕事をしたH先生。昔話に花が咲いた。
 生徒向けの講座だがPTAの広報委員も5名席に着いていた。終わってから会長さんが挨拶に見えた。「新聞づくりの話は初めてです。楽しかったです」と言ってもらえた。子どもたちもよく聞いてくれた。3年生のOさんが「先生の『新聞は読まれて、初めて完成』という言葉に感動しました」と言ってくれた。

5月12日
 還暦を迎えた教え子たちの同窓会に招かれた。千昌夫が歌う「還暦祝い唄」で挨拶。
 気がつきゃ何と 六十年よ 
 白髪こじわが 我が勲章さ 
 胸をたたいて 悠々と 
 も一度青春を呼ぼうじゃないか 
 今日はめでたい 今日はめでたい 還暦祝い唄 

 今日は[母の日」 参加者の数を気にしていた幹事だったが、同級生の半数近く・45名の参加。福島から参加のSさんから《除染》の現実を聞かされた。

P広報講座でのこと
【No.1097】 2013年05月10日

5月8日
 伊勢原市P連の広報紙作り講座でのこと。私としては珍しく上着をつけたまま話し始めたのだが、ヒートアップ。それで上着を脱ぎどこに置こうかと話を止めた瞬間、最前列の一人がつかつかと近づき、私から上着をさっと取り上げ(?)、自席に。

5月9日
 茅ヶ崎市のPTA広報講座。終わってからの相談の一つ。子どもたちにも読ませたいものを載せたいが、PTA広報にはそういう記事はなじまないのか、という内容。「親子で読める広報は理想のPTA広報」と話し、そうすることを勧めた。すると「こうやって自分たちでハードルを高くしていくんだよね」、と委員長がが笑いながら仲間を見回した。

25回忌
【No.1096】 2013年05月06日

5月5日
 母の7回忌、父の25回忌の法要を行う。25回忌は一般的には行われないようだが、命日が5月2日なので「なんでオレの供養をしないんだ」と叱られそうなので、一緒に行うことにした。内心は喜んでいるのだが、「当然だろう」と母に言っているに違いない。

5月6日
 スギナとの格闘を一応終え(終えたことにした)、今日になってようやく畑を耕すことができた。周りの畑にはナス、キュウリ、トマト、ピーマンなどの苗がすっかり根付いているのに、ウチはこれから。ところが明日からまた講座。畑に向けての体力、気力が不十分。年齢を感じる。
 五月晴れの一日だったが、青嵐。父が旅立った日も今日のような日だった。
 

大型連休の真っ只中
【No.1095】 2013年05月04日

5月3日
 秦野福祉センターで開かれた秦野みのげ文化の会の総会で基調講演。
 演題は「富士道を歩く〜千村・屈掛から蓑毛・大日堂〜」とした。「文化の会」は「(蓑毛の) 大日堂、不動堂、十王堂、仁王門およびその内部に安置されている仏像群の維持、保全と活用を計り、歴史、文化の継承、周辺の持続的発展などをめざし、秦野の貴重な文化財として後世に伝えていくことを目的とする」会。
 この日の私の話は蓑毛地区の民俗的なものだったので、会員には新鮮なものだったようだ。3月の伊勢原の「おおやまみちサミット」に参加された大学の先生、秦野市の学芸員の顔も見え、かなり緊張した。
 終わってから「まほらの会」のイラストマップを求められたり、ウオークに参加したいという方もあった。「みちしるべの会」の仲間6人が応援に駆けつけてくれた。ありがたいこと。

5月4日
 昼少し前、まほらのイラストマップを手にされた3名の男性が突然来訪された。どこかの講座で私の話を聞かれ、今日東地区を歩いていらっしゃるとのこと。
 中のお一人が奄美大島出身で、「奄美に武姓を名乗る家がある。もしかして奄美のご出身では」と訪ねてみえたのだ。寺山の武姓は横須賀が発生の地。三代将軍源実朝公の御首と三浦の武士・武常晴との関係をお話した。これからその御首塚を訪ねられるとのこと。
 きょうは五月晴れ。楽しく歩かれることだろう。「まほらの会」の活動が活きていることを感じたこの二日間だった。

北上だより
【No.1094】 2013年05月02日

5月1日 届いたファックスの「北上だより」 

 ちょっとご無沙汰でした、武先生。『エコー』いつもありがとうございます。
 4月15日から始まった『北上展勝地さくらまつり』には全国から、また外国からもたくさんの観光客が訪れています。29日は天候にも恵まれ4キロの渋滞だったそうです。
 今、桜は八分咲き。暖かい日もありますが寒暖差が激しく、暖房はまだ欠かせません。今日も最高気温は8℃、明朝の最低気温は4℃とか。
 低温のせいだけではなく、花芽を食ってしまう鷽の被害なのか、今年の花はバラつきが多く、色も白っぽいような気がします。
 いつもなら馬鈴薯の植え付けを済ませ、そろそろ田植えが始まろうかというのに、今年はなかなか季節が進みません。雪が多かったので土の硬いこと硬いこと。雪の重さに耐えた土たちに空気をいっぱい吸わせてあげたい、ふかふかにしてあげたいと思っているのに、きょうもまた雨模様。北上がすっかり春色に染まるにはまだまだ時間がかかりそうです。
 子どもたちはと言えば、末娘も次女と同じ高校に合格し、入学式で新入生を代表して宣誓をしました。
 私が今がんばっていることは主人と子どもたちの3個の弁当の中身をマンネリ化させないようにする、ことです。うちのお弁当箱は決して小さくはありません。バランスの良い食事になるよう毎朝がんばっています。
 きょうはこの辺で失礼します。 またお便りします。  渡辺 知子

シーズンイン
【No.1093】 2013年04月26日

 私の2013年のシーズンインは23日の足柄下郡のPTA広報講座で。そしてきのう25日は大井町の広報紙づくり講座。来週は2講座。そして連休明けからハードスケジュールとなる。
 何かを得よう、あるいは「藁をもつかむ」気持ちで9時半という時間に会場に駆けつけてくる人。もちろん、年度第1号の校正を見せるPTAもあるのだが、そういう参加者の気持ちにできる限り応えたい。

惜 別
【No.1092】 2013年04月21日

 「85歳になったので自動車免許を返上しました。少し不便を感じていますが、良いこともあります。歩くことで大勢の人と言葉を交わすことができ、新しい世界が広がったように思えます。これからさらに新たな出会いを楽しみます。」
 今年の2月15日、ある会で明るく元気にこう挨拶された石原悦夫先生。その二カ月後の4月15日、先生と突然のお別れになってしまった。
 10数年前のこと、私は先生にハーモニカの演奏をお願いしたことがあった。私たちの世代より上の者にとってハーモニカは憧れの楽器。先生はそのハーモニカの名手だった。
 「息が続くかどうか」と言いながら、吹いて下さったのは古賀メロディーの名曲中の名曲『丘を越えて』だった。前奏、間奏がそれぞれ曲を成している「丘を越えて」は、明るいリズムとメロディーで私の大好きな曲である。 『丘を超えて』行ってしまった先生のそのステージが浮かんでくる。

4月13日 きょうはイイ日だった
【No.1091】 2013年04月14日

 午後1時30分から東公民館で「秦野ゆとりの会(菊作りの会)」の月例会。
会のさなか「面会者がみえた」と連絡があり、出てみたら昨年度のPTA広報 委員3人だった。
 この日は24年度市P連広報紙コンクールの表彰式だった。彼女たちが携わった『西のいぶき』は優秀賞として受賞。その表彰状を見せに来てくれたのだ。思いがけないこと、うれしかった。3人と記念写真に納まる。
 別れ際に「これ、記念につくりました」とDVDをくれた。広報の取材で撮った写真を映像に収めたもので、音楽も組み込まれている。こういうことができるのが今のPTA会員なのだ。
 夕方6時から57歳が集まる飲み会に出かけた。中3の担任をしたのが縁で年に一度泊りがけで飲む会を開いている彼ら。昨年は私はでられなかった。それで、あらためて今夜の飲み会を設けてくれた。
 東地区に居を構える男性11人が参加。自営業、会社経営者、地方公務員、会社員、教員、JA職員、獣医などさまざまな職種の人の集まりなので、学ぶことがいっぱいある。この会では私は同級生として扱ってくれる。
 一人が『エコー』300号のことを書いた毎日新聞の「人・模・様」をその席で披露してくれた。みんな喜んでくれた。

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