- 寺 山 だ よ り -

オリンピック開会式
【No.1615】 2022年02月11日

2月4日
 今日は北京オリンピック開会式の日。50年前のサッポロオリンピックの開会式を思い出す。
 1972(昭和47)年2月3日、私は「東中新聞」の編集長の和田(現・森山)政子さんと開会式の行われる真駒内スケート場にいた。辻村いずみさんが聖火トーチを掲げながら氷上を滑走し(私の撮った写真は今も奥の間に飾ってとある)、最終走者の高田英基さんが聖火台への階段を駆け上がり点火。私たちの席はその階段の脇だった。開会式の感動と感激を和田さんは記事にして毎日中学生新聞に送った。宮の森ジャンプ場でジャンプ競技(複合のジャンプ)も観戦。雪まつりのガリバーの雪像、札幌ラーメン、そして雪道で転倒という市内観光もさせてもらった。
 1972年は毎日新聞創刊100周年の年。その記念事業の一つとして「全国小中学校新聞コンクール」を開催した。そのコンクールで「東中新聞」が「特選」に選ばれた。「豆記者による札幌オリンピック開会式の取材」という、とてつもない副賞が付いていた。

尉鶲(ジョウビタキ)
【No.1614】 2022年01月31日

1月31日
 ここ数日、二時間ほど庭に降りてはびこっている「竜の髭」をひっこ抜いている。するといつの間にか尉鶲(ジョウビタキ)が近くにいるのだ゛体が灰色味のある茶色で翼に白斑があるが、この白い斑点で「紋付き」とも呼ばれている尉鶲。体の色が地味だが丸い目がはっきり見えるので雌。はじめは3bくらい離れた枝垂れ桜の枝に止まっているが、近づいてきて地面に降り50aくらいまで寄ってくる。「ヒイヒイ」と鳴きときどきぴょこんとおじぎをして尾をふるわせる、その仕草がかわいい。私の作業で地面から出てくる虫を待っているのだ。冬だから虫などほとんどいない。この鳥は人間をあまり恐れない鳥と言われているが、こんな風に私の近くにずっと居るということは人間(私)に興味を持っているのかもしれない。冬だがこんな暮らしができるのは幸せなことだ。

  耕せば尉鶲降りて餌を拾う元気で渡れ帰って来いよ (2020年5月3日入選)
  秋仕舞いしている吾に紋付鳥「帰って来たよ」とピョコンとお辞儀

早春
【No.1613】 2022年01月26日

1月26日
 先週から昨日まで庭師に入ってもらった。丁寧に仕上げられた庭木、掃き清められた庭の梅はちらほらと開き始めた。昨夜の少雨が〈早春の庭〉をつくってくれた。

歌壇で「特選」
【No.1612】 2022年01月17日

1月16日
 2020年1月から始めた神奈川新聞の歌壇・俳壇への参加。最初の入選は2月2日の歌壇だった。それ以来入院の期間を除いて毎週〈挑戦〉している。〈挑戦〉とは継続すること。
 今朝はその90週。「歌俳蛛vのページを開いたら、目に飛び込んできた「特選 秦野市 武勝美」の文字。「いつか特選を。そのときは」と寝かせておいたワインを夕食時に開栓。選者の今野寿美先生にただただ感謝。

ダンゴ焼き
【No.1611】 2022年01月10日

1月9日 
 清水庭のダンゴ焼き(道祖神祭り)は二年前までは14日だった。だが昨年から、より多くの人・特に子どもたちに出てきてほしいということで、14日に近い休日に行うようになった。
 今年は午後2時半の「火入れ」だったので三時前に出かけた。すでに20数人が来場してた。男の高齢者が十数人、この人たちが火守りを務めてくれいる。だが子供は、子供会がコロナで参加しないので数人と寂しかった。他県育ちのYさんが道祖神のことをいろいろ尋ねてくれたのは嬉しかった。
 我が家ではダンゴは前夜作るのが慣わし。その団子を6個針金に刺し、アルミホイルで包み、青竹の先端に結び付けたものを持っていく。参加者の中では最高齢の私なので居合わせた皆さんから色々言葉をかけてもらった。1時間ほど皆さんと交歓して《早引け》を自治会長さんに告げたら、どんどの火で温めたにカッポ酒を紙コップ注ぎ「飲みながら帰ってください」と渡してくれた。
 右手に焼いたダンゴの青竹、左手に温め酒。そんな姿で100bほど歩いて帰った。通りかかった乗用車が、私の横に留まり、運転席から「先生、お元気そうですね」と声をかけてくれた。教え子のOさんだった。「酒が好きと聞いたけど《呑兵衛》だな。しょうがねえなあ」と笑われているだろうな、と思った。信じてもらえないだろうが、歩きながら飲んではいなかった。柔らかく焼き上がった今年のダンゴは特に美味しかった。カッポ酒のツマミにもなった。

 山峡の里に小さき斎灯立つ 
 頬かむりが火入れせしどんど焼 
 恵方より火入れの斎灯勢よし 
 旧民で守るどんどの火勢かな 
 残り火で小さき宴どんど祭 
 どんど火を守り来し顔一つ消へ 

初雪や内にいそうな人は誰
【No.1610】 2022年01月07日

1月6日
 11時ころから粉雪がちらちら。そして午後になると本降り。夕方には5,6センチの積雪。これほどの雪は何年ぶりだろうか。隣の校庭には子供たちの明るい声が大きく響き渡っている。その声に誘われ、雪掻きスコップなど持ち出し童心に返った。
 牡丹雪口で受けんと駆け回る学童保育の子らの歓声

2022年元旦
【No.1609】 2022年01月02日

2022年1月1日
 午前5時30分起床 我が家では正月三が日は家の中の神仏(大年神 天照大神 氏神・鹿島神社 恵比寿・大国 荒神 道祖神 御先祖)に燈明を灯し、朝は雑煮 夜は炊きたてのご飯を供える。その務めをするのは家長。
 二階から快晴の富士が見えた。近年希なな美しさだ。頂いた年賀状に、老二人の健康を願ってくださる言葉がたくさんあった。ありがたいことだ。
 
  白銀の富士に真向ふ金次郎の背に柔らかき初春の陽

2021年の大つごもり
【No.1608】 2022年01月01日

12月31日
 泥除け玄関マットの掃除。箒で掃くくらいではきれいにならない。竹の棒で泥を叩き落とすバンバンという音と土埃が子供のころの《煤掃き・ススハキ》がよみがえってきた。
 天井の煤を払い、家中の畳を庭に持ち出し、竹棒で埃をたたきだした。家族全員で一日かけてのススハキだが、タンスや机、畳など持ち運ぶのはかなりの労働だった。暮れになると障子の張替えもした。杵と臼で餅つきもした。つきたての餅をアンコやキナコをまぶして食べた。おいしかった。だから餅つきは好きだった。庭に笹竹と注連縄で門を作ったが、松は共有林に取りに行った。大掃除も餅つきもお節料理もみんな手作業だった。こうして新年を迎えるた。
 きょう大晦日、私がしたお正月の支度は、神棚に使う神具、祝い膳のお椀を戸棚の奥から取り出し、洗う。昼食後、墓参りに行ってきて年越しそばの調理、汁は私の味(私が作る)と決まっている。日暮れ前《人形ヒトガタ》を畑でお焚き上げ。
 夕食を始める前、神仏に燈明を灯し御神酒と年越しそばを供える(六か所)。夕食が済むと神仏に供えた物を下げる。これで大晦日の行事は終わった。

暮れは忙しい
【No.1607】 2021年12月27日

12月26日 
◇大小の脚立繰り荒れ庭に庭師はつくる大き日溜まり  
 今日が今年最後の新聞歌壇。先週に引き続きの入選。良い締めくくりが出来た。それに気を良くし裏に積もっている落ち葉を片付けた。午後も頑張っていたら、二時半過ぎ「風花」が舞う。日本海側の各地には大雪警報が出ている。冬の本格的な到来だ。
 
 物置の屋根には栴檀の小枝が散り積もっている。それを脚立に乗って払い退けていたら「落ちたらどうなるか分かってるだろう」と叱られた。垂れ下がっている実はもうすっかり霜げてる。
 ◇凩に樗の瘤の鳴きにけり
 
 それで窓ガラスを水拭きする。その間に有馬記念に参戦。1000円投資して1000円が返ってきた。チャラだった。

 庭のあちこちに咲き始めた水仙を仏壇に供える。年の暮れは忙しい。

冬至
【No.1606】 2021年12月23日

12月22日 冬至
愛川町の足立原さんから柚が送られてきた。冬至の今日に合わせての便。深謝。
晩酌のつまみにいただく。香りも引き締まった味も新鮮。食卓には、
 冬至には「ん(運)」の付く物食ぶといふ 人参大根南京カボチャ
 ユズ湯につかる。心も体も温まり寝床へ。

今年最後の講座
【No.1605】 2021年12月17日

12月16日
鶴巻公民館の「道祖神」の講座を午後1時半から3時半まで。受講者は7人のこじんまりした講座だった。少人数だったので参加された全員と言葉を交わせた。
 Aさんご夫妻は町田市にお住まい。ネットで探し当てての参加とのこと。私は「高崎市の倉渕町を訪ねれば、それこそ千姿万態の道祖神に会える」と言っている。このご夫妻は倉渕に、泊りがけで三回も足を運んでいると話された。倉渕の小・中学生が案内する「道祖神ツアー」にも参加されたとか。奥さんから「なぜ倉渕の双体道祖神が衣冠束帯・十二単の宮廷人なのか、気になっていたが、今日の先生の話でその謎が解けました」との言葉を頂いた。長野・飯田出身のBさんからは「天竜川沿いにも道祖神がたくさんある」と自慢げ。道祖神の形態の一つに「天竜系」というものがある。アメノウズメとサルタヒコが刻まれた双体像が「天竜系」と話したが、飯田地方の道祖神にはまだ会っていない。申し訳ない。
 CさんDさんは秦野市内にお住まいのご婦人。「近くに四角な石の道祖神があるけど、放っておかれていて可哀そう」と報告された。Eさんからは「先生自身が発見された道祖神はありますか」と聞かれた。私は記録に残されている塔碑を確認し、記録し後世に伝えることを意識して里巡りをしている。道祖神の《新発見》ということには思いが至らなかった。Fさんは会場に入るとすぐに、私の処に来て「東公民館の講座は満員で出られなかった。それで今日来ました」とにっこり。Fさんは私の“追っかけ”的存在。
 今年最後の今日の講座が充実したものと感じられたのは、参加された7人との交歓があったからだ。

八十路
【No.1604】 2021年12月13日

12月12日の「朝日俳壇」の掲句を並べて物語にしてみた。
空つ風一枚五円のレジ袋      篠崎幸恵
檻の内虎知り尽くす寒さかな    加藤草児
我もまた雀のごとし一茶の忌    寺田秀雄
愛猫のすり寄る勤労感謝の日    三輪 憲
冬ざるる此処にたしかにあつた店  五明紀春
亡友の故郷の酒買ふ年の暮     松丸 清
牧水を口ずさみつつ注ぐ新酒    浅賀信太朗
熱燗に開く記憶の箱のあり     斎藤紀子
秋ともしばかものよと詩に叱らるる 瀧上裕幸
老人の闘志を隠すマスクかな    松井春光
白足袋と草鞋履かせる別れかな   佐藤朱夏
法悦も法話も終わり京の冬     吉竹 純
後の世に遺す畑なり冬耕す     多田羅紀子
凪もあり凩もあり八十路ゆく    中岡淳一
達観の鳶悠然と冬の空       岩水ひとみ

開戦の日 12月8日
【No.1603】 2021年12月09日

12月8日
 「あの十二月八日の日 太平洋の真ん中で 大きな手柄を立てたのは 若い九人の勇士です」「ああ九勇士」陸・海軍礼式歌というのだそうな。なぜかこの歌を私は唄える。

 父・久雄は 昭和20年1月勤務していた日本鍛工株式会社秦野航空機製作所長から表彰された。

 表彰状 右者昭和十九年一月検査記録工トシテ勤務遂行中ノトコロ偶々工程係ニ四名ノ應召入営者ヲ出シタルタメ其ノ職轉籍ヲ命ゼラレルヤ格勤精勵寸眠を惜ミ克ク製品製作工程ノ修得ニ勉メタリ
十二月五日〇〇〇排気弁工程緊急進捗ノ命下ルヤ奮起シテ流レ作業途上ノ他種製品加工ニ割リ込ミ徹夜シテ自ノ製品ヲ持チ廻リ其ノ熱意ニ依リ至難ナル飛込ミ工程ヲ完成セシメタリ
是レ全ク旺盛ナル責任感ノ發露ニシテ其ノ職ニ忠實勤勉タルコト寔・衆ノ範テスルニ足ル仍テ慈ニ金一封を授与シ之ヲ表彰ス  昭和二十年一月 日本鍛工株式会社秦野航空機製作所
 
 太平洋戦争が終わったのは昭和20年8月15日。その半年前、表彰文にあるが戦闘機を作っている専門職に召集令状が来たのだ。しかも一度に4名も。敗戦の色が濃くなっていることがこの表彰状から感じられる。

 日本鍛工株式会社秦野航空機製作所は現在の南中学校周辺一帯の地に在った。            


小学生も参加してくれた「史跡めぐり」
【No.1602】 2021年12月06日

12月5日
 きょうは「みちしるべの会」がガイド役を務める本町公民館主催の「本町地区史跡めぐり」の日。会から横山・田中・笠井・相原・大木さんと私の6名が参加。立ち寄る史跡の説明を6人が分担して行った。私はスタート地点の「秦野煙草製造所跡地」を受け持った。
 「秦野煙草製造所跡地」は、今は大型商業施設となっている。その敷地内に樹齢100年を超える楠の大樹が聳え立っている。この樹は明治38年に製造所が開所したときに植えられた記念樹。この樹木に結び付けて我が家の葉タバコづくりのエピソードも披露した。
 「めぐり」の参加者は18名。両親と共に参加してくれた小学生が二人。これは嬉しかった。日曜日の午前9時の街のたたずまいは《新鮮》だった。

JAはだの組合員研修講座
【No.1601】 2021年12月04日

12月3日
 「JAはだの組合員研修講座」が開かれた。午後1時半から「まほら秦野 盆地の暮らし」をタイトルにして90分間話す。内容は 1地名の由来(・日本・神奈川・秦野) 2秦野と葉タバコ 3秦野のお盆とツジ(砂盛り) 4双体道祖神の源流は秦野 5大山信仰と秦野 6秦野の郷土料理「へらへらダンゴ」。地名の由来についてかなり時間をかけたため、他の項は駆け足になってしまい申し訳なかった。
 会場から質問が二つ。一つは「地名・名古木の由来」。もう一つは「秦野の落花生の歴史」。質問が出るということは、話に興味を持ってくれたということ。少しホッとした。
 講座が終わって、40年前西中でPTA広報を一緒に作った小野さんが挨拶に来てくれた。そして少しの時間、当時の活動や委員さんのことなど懐かしんだ。

道祖神ワンダーワールド
【No.1600】 2021年12月02日

12月1日
 秦野市立東公民館で11月14日から開いていた「道祖神ワンダーワールド・千姿万態 淡彩画&写真展(井越基生・武勝美)」が終了。参観された方ら次のようなメッセージを頂いた。
 @とても微笑ましく思いました。基生さんは大変お酒好きとの事、一杯やりながらお話を聞きたく患いました。素敵な展示ありがとうございます。
 A今まで道祖神の事をよく知りませんでしたが、勉強になりました。
 B生まれた時から秦野っ子で道祖神が生活の風景の一部になってしまってましたが、最近やけに目につくようになり、散歩の途中、写真など撮ったりしています。表情や仕草がいいですね。
 C地方にはめずらしいものがあるんですね。やさしさを感じます。言葉でなく自然に感じる、教えてくれるものだと思います。見歩いていてチヨット気づき笑みが出ます。
 D個人でこれだけの調査・考察をされていることに驚き、感動しました。
 E素描、すてきです。写真で表現できない雰囲気に包まれています。
 F良かったです。地元の道祖神を見つけられてうれしいです。昔の人はえらいです。思い出しました。
 G道祖神ってわからなかったので、勉強になりました。

 東公民館の歴史講座「道祖神ワンダーワールド」。申し込みが定員オーバーになり、公民館は「人気のある講座です。お断りした方が何名かありました。その方には16日に鶴巻公民館で,武先生の『道祖神ワンダーワールド』の講座があるので、そちらに出られたら、と伝えました」と報告をうけました。ありがたいこと、嬉しいことでした。
 この日の参加者は20名。相模原市から平本ご夫妻。東中学校の同級生石垣さん、長岡さん。かつての同僚だった古庄さんとは二十数年ぶりの再会。私の席に花籠を飾ってくれた教え子の大森さんなどに力強く支えられた私でした。
 そして「眼鏡のまっちゃん」は講座の様子をこうつぶやいてくれました。
「武勝美先生に久し振りにお会いできた。先生は道祖神研究の第一人者で全国140ヵ所程を訪ね歩き、今までに道祖神に関する本を2冊にまとめ発表されている。今日はその中から双体道祖神を形態別に分類、一体ずつ特徴などを説明されたのをわくわくしながら拝聴した」
 「目一つ小僧」の紙芝居も好評! 「ウチの子供会で上演してほしい」と、若いお母さんからお願いがありました。

「本町地区史跡巡り」に出かけた
【No.1599】 2021年11月27日

 西公民館の「異年代女性交流会」の「本町地区史跡巡り」に出かけた。「まほら秦野みちしるべの会」が案内をするので。参加者は11名とこじんまりした集まりだが、土曜日の午後、街中を歩くのだから、このくらいの人数が限度だろう。
 イオンの大きなクスノキの下で午後1時から15分ほど「秦野と煙草」の話をさせてもらった。このクスノキは明治38年に秦野煙草製作所がこの地に開かれたとき植えられた記念樹。参加者だけでなく買い物客なども立ち聴きしてくれたので少しアガリ気味。
 「巡り」の案内役は「みちしるべの会」の横山会長。横山さんは昨日、東公民館の事業の「古道大山道を歩く」で「蓑毛越え大山詣で」のガイドを務めた。昨日は登山、今日はアスファルトの道を歩く。その体力、気力があるからこそ「みちしるべの会」はコロナ下でも活動は継続され発展していく。
 会の代表・鈴木さんは体調不良で歩けないが、連絡係として大樹の下に待機するとのことだった。

二週連続 ダブル入選
【No.1598】 2021年11月21日

11月21日
 投稿している俳壇・歌壇。先週に引き続き、今週もダブル入選。
朝7時半に次のメールが届いた。「おはようございます。今週は歌壇・俳壇にお名前発見❗️ 毎週日曜日の朝を楽しみにしています。応援してます。あいはら」
 10時過ぎ、95歳の大先輩からも「今朝の俳壇・歌壇 読みました。頑張ってますね」と電話をもらう。

銀杏が生った
【No.1597】 2021年11月17日

11月16日 
 東中学校の校庭の東側に聳えていた樹齢200年を超えると言われていた大チョウが、体育館改築のために西門脇に移植されたのが2009年12月9日。
 その大イチョウに、12年を経たこの秋、ついに銀杏が生った。この嬉しいニュースを届けてくれたのはKさん。
 大イチョウは中学校西門の横に立っているが、そこは東幼稚園の正門の横という場所でもある。昨日、幼稚園の前を通りかかったら、大イチョウの下で園児たちが写生をしていた。黄色のまだほど遠い葉陰に小さな銀杏がちらほらと。大イチョウは今新たな命を宿した。伐採という危機にさらされたとき、Kさんと私は「移植」のお願いを関係者にお願いをした。今、大イチョウは次代へその命を託すことを始めたのだ。
 

寺山高天
【No.1596】 2021年11月03日

11月3日 
 きょうは「文化の日」。「ECHO」の支援者・根倉さん母子が、ざる菊を五鉢と白菜を持ってきてくれた。花の好きな根倉さんは特にざる菊にその力を発揮する農業を営む主婦。大きな笊は50pを超える見事なもの。
 いかにも「私の労作」というかのように玄関の前に並べた。するとこの菊を見た人たちは「勝美さんにこんな立派なものができるはずはない」と間違いなく思う。「菊づくり菊見るときは陰の人」という言葉とは逆だから。でも、見てもらい「これは、あの根倉さんの菊です」と紹介したい。
 HP更新。自治会の仕事「共同募金」で組の7軒を訪問。普段あまり顔を合わせないので、こういう機会に世間話をすることは大切。何より地域の情報が得られる。今日は隣りの自治会には90歳を超える人が5人いらっしゃることを知った。北上から「さわし柿」の第二弾が届く。

秋澄む
【No.1595】 2021年11月02日

11月1日 「秋澄む」
 朝七時半の空は西に向かう飛行機雲をすっきりと浮かび上がらせていた。ハロウィンのリースを外す。庭では山茶花とコスモスが同じようなピンク色の花を咲かせている。寒椿の蕾ももう開き始めた。ニシキギ、花水木の紅葉は今が盛り。ドウダンツツジも少し赤味を帯びてきている。畠の境でひっそりと咲いているのはオチャ、ふっくらとして清楚な白。笊菊とスプレー菊も可憐な花を咲かせてくれた。
 今日に合わせてくれたのだろう、北上からさわし柿がどっさり届いた。ウチの柿の木には実が全く見えない。黄が日毎に深まっゆく隣家の柚は今年も鈴なり。
芋煮の里芋を掘っていたらジョウビタキが近づいてきた。
 秋仕舞いしている吾に紋付鳥「帰って来たよ」とピョコンとお辞儀

 妻が買ってきた宇和島の蜜柑の袋に「《じょうのう》はやわらかい」と書いてあった。「ジョウノウ」ってどんな意味、漢字でどう書くのか。気になったので調べたら《瓤嚢》柑橘の果肉を包む皮・房のこと。嚢の訓読みはふくろを指す漢字。
 

『おかえりモネ』
【No.1594】 2021年10月29日

 朝ドラの『おかえりモネ』は今日が最終回。5月17日から毎朝7時30分から120回を欠かさず観た。これほど『おかえりモネ』に引っ張られたのは、ストーリーとその演者たちからだ。「朝ドラとしては重すぎる」という声もあったが、セリフとその言葉を使う俳優たちのその表情に惹き付けられた。演劇の「シナリオ」というものを強く意識させてくれた安達奈緒子さんはすばらしい
 最後のシーン 青空の下抱き合う二人「あッ」「え?」「雨が降ります」「え? こんな天気なのに?」「子供達の声が聞こえたから」「じゃぁ 行きましょう」砂浜を歩きながら手を繋ぐ二人。
 モネを演じた清原果耶さんは「できる限り痛みを忘れないこと。それが途切れないようにちゃんと心の奥で持っていることができれば、私は百音を最後まで演じることができるんだろうなと思ったので、そこは意識していました」と言っている。
 最近「エコー」の読者になってくれたNさんが、私と気仙沼との関わりについて聞いてきた。2012年に気仙沼を訪れたのがきっかけで、気仙沼の人たちと関わりを持つようになり、現在に至っている。これからも私なりに気仙沼と一緒に歩みたい。

炬燵からの月見
【No.1593】 2021年10月19日

10月18日 十三夜
 冷えた一日。きょうは十三夜。「片月見はいけない」と言われているので十三夜を祝う。。ススキとコスモスに色づき始めたセンリョウを庭からとる。里芋、サツマイモは庭続きの畑から。豆腐、落花生は新豆。月見団子に代えて今夜は餡子玉。
 月はきれいに見えたが、炬燵に入っての月見を《風流》というべきなのか……。

新聞週間
【No.1592】 2021年10月15日

10月15日
 今年のノーベル平和賞は二人のジャーナリストに贈られた。強権的な政権への批判を揺るがせないその姿勢に対しての授賞である。そんな中、10月15日から第74回新聞週間が始まった。報道の使命と責任を自省、自戒する機会として、読者にも報道の機能と役割を再認識してもらう「新聞週間」である。日本新聞協会は、その第一回「新聞週間」から「新聞標語」を市民から募集してきた。
 第1回(1948年度)の代表標語は「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」だった。終戦から三年の1847(昭和22)年に、新しい憲法が制定され「自由と平和」の国に向けてスタートした。第2回(49年度)の標語は「自由な新聞と独裁者は共存しない」。
「新聞は宇宙も世界も見える窓」(69年度)は、アポロの月面着陸という新しい科学の時代を迎えた年だった。第27回(74年度)は「新聞が 守るなんでも言える国」、第34回(81年度)「知る権利 守る新聞 支える読者」、第41回(88年度)「新聞は ひるまず おごらず かたよらず」と新聞の持つべき使命感を市民は確認してきた。
 ところがネット時代に入ると新聞の立ち位置は不安定になり、「激動の ネット社会に 確かな活字」第53回(2000年度)と、市民は新聞への信頼を求めた。それが「情報を 選ぶ時代の 確かな新聞」第49回(96年度)、「広げれば 時代にアクセス 暮らしにプラス」第56回(3年度)、「新聞は 地球の今が 見える窓」第62回(9年度)と小市民的新聞を期待するようになる。 
そして、「きっかけは 小さな記事の 一行だった」第63回(10年度)、「上を向く 力をくれた 記事がある」第64回(11年度)、「負けないで 背中を押して くれた記事」第65回(12年度)と新聞に物語を求めるようになった。
 そしてSNS時代に入ると「事実が嘘に勝てない」という《フェイク》の問題に直面、「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」第70回(17年度)が代表標語となった。そして今年第74回(2021年度)の標語「答えなき時代のヒントを探る記事」と、新聞に求めるものが個人的なものになっている。「新聞はゆれる社会のゆるがぬ指標」は60年度の代表標語。揺れ動く、苦悩の続く今だからこそ、新聞は確かな指標を示してほしい。
 平和賞のドミトリー・ムラトフ氏は「少数者を守るのはメディア」と強調し、「事実を求める闘いは世界中の記者の闘い」ともう一人の受賞者マリア・レッサ氏は言う。第1回の代表標語は「あなたは自由を守れ 新聞はあなたを守る」を堅持する新聞でありたい。

活動の再開を前に
【No.1591】 2021年10月14日

10月13日   
「歴史おこしの会」の小泉さん来訪。コロナ禍でこの二年の活動はほとんど出来なかったと小泉さん。講演会や研修旅行の再開に向けて準備に入ったとのこと。私たちの「みちしるべの会」もそうだが、顔を合わせることが活動の持続のために最も大事なこと。そして会の初志を貫くために新会員を迎える努力をしなければ、などと会への思いを語り合った。
『まちおこし』には「馬鹿者(一途な人)、余所者(新しい視点)、若者(行動力)」の力が必要と言われるが、趣味の会も同じだろう。

淡彩画による「秦野の双体道祖神」
【No.1590】 2021年10月09日

10月8日
 タウンニュースの今号から井越基生さんの淡彩画による「秦野の双体道祖神」の連載がスタートした。井越さんは、道祖神を見て歩く私の同志。秦野に移り住んでまだ5年だが、市内のあちこちに佇む道祖神に魅かれその姿を淡彩画に収めている。
 11月14日から東公民館で井越さんと私とで「道祖神ワンダーワールド 淡彩画&写真展」を開く。その準備を今日から始めた。

宣言解除
【No.1589】 2021年10月08日

10月7日
 生家が葉タバコ農家だった平川さんから便りが届いた。煙草煎餅を買いに亀本を訪れたが、「コロナ禍と機械のメンテナンスのため、今は焼いていない」とのことで残念がられていた。この便りと一緒に「秦野たばこ祭りのメモリアル切手」を頂いた。 
 八十歳を超えた熟女さんから「宣言」が解除されたので、同級生三人でカラオケに出かけ思う存分歌った、と近況報告の電話。歌ったのは私の「演歌が好きです 唄います」で取り上げた曲が中心だったとか。そのバイタリティには称賛の言葉を贈るのみの私だった。
 バイタリティと言えば、昨夜も夕顔が三輪大きく開いた。今夜も三つ咲きそうだし、小さな蕾も数個見える。

「秦野をゆけば道祖神」終了
【No.1588】 2021年10月02日

10月1日
 寺山も暴風圏内だった。雨はさほど気にならなかったが風は怖いほど。明日から吹き散らされた木の葉の処理に時間がかかるだろう。

 今日発行の「タウンニュース」に社告が出た。15年ほど続いたシリーズ「秦野をゆけば道祖神」という写真レポートがこの号のNO252で終了とあった。秦野には310ほどの道祖神塔があるが、開発で移転されるなどで取材は難しいとのこと。このレポートには隠れたファンも多い。私もその一人。
 「長い間、楽しませていただきました。ありがとうございました」

 担当された記者の皆さん、そしてタウンニュース社にお礼の気持ちを俳句にしてみた。
 石神の微笑み二つ初写真
 野仏に早春の陽の届きけり
 春昼や瞼重たき道祖神
 山からの処暑の風待つ道の神
 今日酷暑耐へて道祖神捜しかな
 小春日やよう来なさったと夫婦神
 里小春肩組握手道祖神
 山陰に笑む道祖神冬温し

中秋の名月と足長蕎麦
【No.1587】 2021年09月22日

9月21日  
 今日は中秋の名月・十五夜、月見の卓にはススキとコスモス、里芋、茄子、南瓜、生姜、茗荷、ここまでは自家製。月見団子、豆腐、梨、早生蜜柑、そして足長蕎麦。 このキノコ蕎麦は渡辺さんが持ってきてくれた。「足長をもらったので、蕎麦で食べてもらおうと思って」と。「足長キノコ」とはナラタケのこと。
 秦野では足長蕎麦は「秋のオオゴッソウ(大御馳走)」 曇りかもしれないと気にしていたが、満月が見られた。信楽の狸にも月見をしてもらった。足長蕎麦に蒼天伝の良夜。
 山の端に月を預けて団子食む

ホームページ更新
【No.1586】 2021年09月20日

9月20日 
 五か月ぶりにホームページ更新。手順を忘れているかも、と不安だったがスムーズにできた。まだ大丈夫!? 量は豊か、「質もまあまあ」と思っている。 
 今日は「彼岸の入り」。妹夫婦がぼた餅を持って墓参りに来てくれた。246は車で混んでいたらしい。お墓も賑やかだったとか。
 秋晴れだったが気温は夏モード。そんな中、朝顔の種を採る。
 来年も生きているつもり種を採る

寺山の秋の小景
【No.1585】 2021年09月17日

9月16日  
 朝顔の花はもう見られない。だが夜顔には薄緑の小さな蕾をいくつか持っている。コスモスの花が僅かな風に揺らめいている。自家製の根生姜を摺り下したらさわやかな香りが台所に広がった。明日辺りに台風が近づくらしい。21日は中秋の名月。秋だ。
 秋茜つーいついと飛ぶ菜園に忘れられたるトマトの赤く
 大き緑陰をつくりし桜木の一葉また一葉と舞ひ始めたり
 ガシャガシャの鎮もりし秋の夜 庭より届きくる金木犀の香
 阿夫利嶺が生む朝靄に包まれて盆地の秋は深まりてゆく

今も息づいている秦野の道祖神
【No.1584】 2021年09月08日

9月7日
 東公民館経由で、西地区にお住いのSさんから道祖神についての相談の電話が入った。
「鍋割山への登山道の道端に道祖神が祀られている。その祠がかなり傷んでいるのが気になっている。祠を建て直したいと思うが」。そして道祖神の祠には何か決まり事(建築様式など)があるのかと私に聞いてきた。
 あちこちで道祖神の祠や覆い屋は見てきたが、神殿造り、石小屋、四本の柱で杉の葉葺き・藁屋根・板張り屋根などそれぞれ独自の覆い屋だった。
 建て直したいと言う今の覆い屋は、四本柱の板屋根とのことなので「上地区にはその形式の祠がいくつか在る。それらを参考にされたら」とアドバイス。Sさんはその道祖神の講員ではないので、その講中に言葉掛けし、出来れば一緒に再建作業をしてほしいともお願いした。
 秦野の道祖神は今も人々の暮らしの中に息づいているのだ。

秦野と葉タバコ
【No.1583】 2021年09月04日

9月4日
 383号の「『秦野の煙草煎餅』の話 読んだよ」とKさんから電話。Kさんは私と同じ年齢なので子どものころの暮らしは同じようなもの。それで葉タバコ農家の暮らしの思い出話に花が咲いた。
 Kさんの語った思い出「農家だったし勉強が嫌いだったので、中学を終えたら農業に就いた。二十歳の年に一念発起、定時制高校に入った。だが葉タバコの作業は人手が必要で六、七、十、十一月の四か月は学校には行けなかった。葉タバコの作付けは2反余り。その収益は4万円ほど。そのお金で一年を暮らした。葉タバコはありがたかった。だから葉タバコ農家は一生懸命働いた。秦野は葉タバコで発展した」。我が家とは農業の規模が違うが、Kさんの話にたびたび頷く私だった。 

9月1日 あと四か月でお正月?
【No.1582】 2021年09月02日

9月1日 
 カレンダーが黄葉・紅葉の景色に変わった。今年もあと四か月。今日、9月1日を待っていたのだろう、デパートから「おせち料理」のカタログが届いた。季節感がない。急がされている。
 
 今年度から上方町自治会長に就いたIさんが「自治会報を作ったので見てください」と来訪。新型ウイルスの影響で、自治会の事業が軒並み中止ということで、この四月からIさん自身の手で会報の発行が始まった。8月1日号は自治会主催の「ラジオ体操の集い(四日間)」の様子(参加者子供61人 大人64人)が報じられている。8月15日号では「ゴミ集積場の管理状況の調査結果」が丁寧に報じられている。そして9月1日号では報歳訓練での安否確認ができなかった家庭の数を書いている。(地域コミュニティの衰退が懸念されている今、広報を通して上方自治会はその機能を十分発揮していると感じた。
 
 伊勢原市P連から依頼された広報紙5紙の添削を行った。厳しい条件の中、全紙充実した内容。添削のし甲斐があった。

家族新聞展のまとめ
【No.1581】 2021年08月30日

8月29日 
 東公民館で開いていた「家族新聞展」の最終日なので、午後2時から撤収作業に出かけた。その私を待っていてくれたのは2011年の参加者Kさんだった。その「新聞作り新聞」新聞を作ったRさんは大学院生とのこと。そのご子息に私の健在ぶり知らせたいからと新聞を挟んでのツーショットに収まる。
 会場には胡蝶蘭が一鉢飾られていた。教え子のFさんが暑中休暇で実家に帰った折この展示会を知り、そっと贈ってくれたのだ。「先生の誕生日のお祝いも兼ねて」と言って置いていったとのこと。
 担当の泉館員さんは「家族新聞作り講座の記録」というファイルを作ってくれ私にプレゼントしてくれた。この展示会の写真の収められている。
 来訪者の感想やメッセージが20編寄せられていたが、和泉さんはそれらをすべて原文のまま私に手渡してくれた。そのメッセージの一つ「新聞を一緒に作ったのは小学四年生の子。その子は今高校三年生。8年ぶりに『邂逅』ーそんな気分が味わえたのも壁新聞づくりのお陰です」。
 今日もまた大勢の人に支えられたことに感謝している。

新聞三話
【No.1580】 2021年08月22日

その1 東公民館で開催されている「家族新聞展」の出展者である関ファミリーの智子さんが「ウチの新聞を会場で改めて見て、新聞がまた作りたくなりました」と家族新聞『ほほえみ』12号を作って持ってきた。「載せたい記事がいっぱいあって」という紙面。家族の元気な暮らしぶりが明るく報じられている。
その2  「タウンニュース」8月20日号の「人物風土記」に井越さんが登場。五年前秦野に終の棲家を構えた井越さんは、秦野の双体道祖神を淡彩画で140点ほど描き上げたという。私の道祖神の講座に出てくれたことが縁で交流が始まった。私の大切な同士。
その3  『ECHO』の読者の一人、小関さんの投稿が「自由の声」欄に出た。『ECHO』によく反応して感想を届けてくれる人。明るく軽やかな文体に感心している私。それで「エッセイを書いてみたら」とずっと勧めていた。その勧めにようやく応じてくれ、初めて挑戦をしたのだった。今回のエッセイは「診察室のうめき声 本当は」という「ちょっと怖い話」。

別品 信楽の狸さま
【No.1579】 2021年08月06日

8月4日 
 信楽のKさんから信楽焼の狸が届いた。「散歩の途中見つけたベッピンさんです」との電話もいただいた。
 信楽の狸は〈男〉、ベッピンは「別嬪」と書いて「美しい女性」をあらわす語、と思っていたので調べてみたら「別嬪」は「別品」から派生した語らしい。その「別品」とは「特別によい物」を言い表す語。
 真ん丸な澄んだ目がとても気に入った。私と視線が合うと「上を向いて歩きなさい。未来を見つめなさい」と諭してくれまる。見上げる〈狸さま〉の眼差しに励まされる。まさに別品!
 毎年、干支の信楽焼を贈ってくださるKさんには『エコー』創刊号から読んでもらっている。Kさんとの出会いは、昭和52年から『朝日中学生ウイークリー』
で「職員室」を連載した折、娘さんから手紙をもらったことがきっかけ。

寺山の7月
【No.1578】 2021年08月01日

 今、庭に咲いている花は・濃い紫のキキョウ、この花は長持ちする。・ナデシコは園芸種なので紅が濃い。昔はあちこちの道端で見られた薄ピンクの花がなでしこだった。・今朝アサガオが十数輪開く。ユウガオも蕾をたくさん付けた。開花は数日後か。・コスモスは不死身な花。昨秋咲いた花の種が次々に発芽して、この暑さの中で淡いピンクの花を咲かせている。・剪定したフジに新しい弦が伸び、季節外れの薄紫の花が下がっている。
 ここ数年見ていない銀ヤンマがあけ放っておいた土間に入ってきた。「お久しぶり」と声をかけた。裏の畑にはもうアキアカネが降りてきている。
 この夏の蝉の出現(鳴き始め)はアブラゼミ、ニイニイセミ、ミンミン、クマゼミの順だった。カナカナは未だ聞かれない。クマゼミは西日本ではメジャーな蝉。子供のころは寺山ではあまり耳にしない、目にしない蝉だった。クマゼミの鳴き声を初めて意識したのは昭和47年の夏、大分で開かれた全国新聞教育研究大会の会場。そのクマゼミの「シュシュシュシュ」が寺山でも聞かれるようになった。これも地球温暖化のもたらした事柄の一つ。
 この夏珍しくホトトギスが桜の茂みて鳴いた。オオルリを電柱の天辺に姿を見ることができた。
 三日前の夜、台所のガラス戸にヤモリが張り付いているのが見えた。 
 菜園のキュウリ トマト ナス インゲンは大豊作。
 

寺山の夏
【No.1577】 2021年07月21日

7月20日 
 五時半庭に降りた。白に淡いピンクの筋が入った大輪の朝顔が一つだけ咲いていた。今年初の開花だ。ホトトギスが桜の茂みの中で「トッキョキョカキョク」と囀っていたのも朝。夕方、居間の網戸にニイニイゼミがつかまっているのを発見。「蝉の声はまだ聞こえない」と言っている私に、顔を見せに来てくれたのだろう。
 手庇で大樹に蝉を探す老  勝美

絵本作家誕生
【No.1576】 2021年07月19日

7月17日
 東公民館主催の「家族新聞展示会」の準備に入る。今日は展示する新聞を選び出展者名簿を作った。
 
7月15日
 梅雨明けが宣言されると同時に本格的な暑さが続く日々。だがまだ蝉の鳴き声が聞かれない。例年なら朝顔がいくつか花開くのに、こちらもまだだ。急な梅雨明けに間に合わないのか?
 361号の「にっきの木」の6月27日で次のようなことを書いた。
 ◇「エコー」の読者Sさんの来訪。「今月で仕事を辞め、絵本作家に挑戦する」と報告に来たのだ。第一作は出版のメドもたっているらしい。Sさんは20代の女性。「人生一度しかないのだから、やりたいことをやらないと後悔するから」とも。そう話す瞳がまぶしかった。◇
 そのSさんが絵本作家としての第一作を持って訪ねてきた。仕事を辞めたのが2019年。そして2年を経て16日の上梓にこぎつけた。絵もストーリーも見事。

宵 盆
【No.1575】 2021年07月14日

きょうは13日は「宵盆」。「モネ」が終わってから盆棚つくり。仏壇からご本尊、先祖のご位牌を盆棚に移す。盆提灯を4灯組み立てる。10時過ぎに掃除を兼ねて墓参りに円通寺へ。午後1時から「ツジ」を作る。二時過ぎに激しい雷雨。その中を妹夫婦がお盆の挨拶に来た。ウチに来る前に墓参りをしたのだがびしょ濡れ、申し訳ない。私自慢の夏大根と朝顔を一鉢をお礼にした。3時半ころからお精霊さんを迎えるウマとウシを作る。今年はキュウリもナスも自家製。ご先祖さんも喜んでくれただろう。最後にウマとウシの手綱にするウドンを茹でる。これで準備は完了。
 5時に迎え火を焚き、お精霊さんを盆棚に上がってもらった。そのあと、ご近所5軒のツジに線香を上げに廻る。この風習は「ご近所付き合い」として意義深いことと思っている。

ヤマユリ
【No.1574】 2021年07月08日

7月7日
 庭のヤマユリの花が満開の時を迎えた。株数は17で花は50輪ほど。二十年くらい前は、ヤマユリの開花はお盆のころだった。お盆のお精霊さんを迎えるツジにヤマユリを飾ったが、この頃は開花の時期佳早すぎる。そのお盆のお精霊さんを迎えるキュウリの馬、ナスの牛を作るのだが、今年もキュウリはハクビシンに荒らされてしまった。あと一週間、次のキュウリが無事、馬になれるようにネットで防御。

みるく世ぬなうらば世や直れ
【No.1573】 2021年06月25日

6月23日 
沖縄慰霊の日 
 沖縄全戦没者追悼式で読まれた平和の詩「みるく世の歌」(抜粋)

みるく世の歌   上原美春(13歳)
いま摩文仁の丘に立ち/私は歌いたい/澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ
今日生きている喜びを震える声帯に感じて/決意の声高らかに
みるく世ぬなうらば世や直れ/平和な世界は私たちがつくるのだ
共に立つあなたに/感じて欲しい/滾る血潮に流れる先人の想い
共に立つあなたと/歌いたい

いま摩文仁の丘に立ち/あの真太陽まで届けと祈る
みるく世ぬなうらば世や直れ/平和な世がやってくる
この世はきっと良くなっていくと/繋がれ続けてきたバトン
素晴らしい未来へと/信じ手渡されたバトン
生きとし生けるすべての尊い命のバトン/今、私たちの中にある
暗黒の過去を溶かすことなく/あの過ちに再び身を投じることなく
 繋ぎ続けたい
みるく世を創るのはここにいるわたし達だ

 「ネリヤカナヤ」とは、奄美地方の言葉で海の彼方にある楽園を指す。奄美では、古来より水平線の彼方に神の国があり,そこに住む神が五穀豊穣をもたらしてくれると考えていた。その神の国が「ネリヤカナヤ」。緑豊かで、珊瑚の海の美しい島・沖縄は奄美の人たちとって「ネリヤカナヤ」なのだ。

 2003年 摩文仁の丘から青い海を眺めていた私の後ろには、24万余の名が刻まれた「平和の礎」があった。

「ヨタヘロ」の一日
【No.1572】 2021年06月22日

6月21日 夏至
 今年の菜園の作物はサツマイモ、里芋、キュウリ、ナス、トマト、ネギ、小松菜、インゲン、夏大根、落花生、ショウガ。今日はナスの初もぎ、インゲンも摘むなどけっこう楽しんだ。
 88歳の樋口恵子女史が、彼女自身の現状を「ヨタヘロ期」と表している。同年代の私の日常は、まさに「ヨタヨタ歩き」で「ヘロヘロ」と座り込む暮らし。「ヨタヘロ期」とは「言い得て《妙》!」。夏至の一日、ハキダメギクとヤブカラシ退治で大苦戦。「ヨタヘロ」の一日。

みちしるべの会の研修会 
【No.1571】 2021年06月21日

6月20日
 東公民館で「みちしるべの会」の会員研修会が開催された。今回は紀年銘ではその古さが我が国三番目となる道祖神秦野市戸川701)を邸内の一角で護持されている久保寺邦夫さんをお招きし「子供歳時記・ダンゴ焼き」について話をしてもらった。
講師・久保寺さんを含め9人というこじんまりした会、しかも50歳代から84歳の私までの昭和年代人の集まりだったので、懇話会形式になり楽しい研修会になった。 謝辞を担当したので即興の歌を捧げた。
  昭和ッ子の暮らし懐かしむ地方議員十期務めあげし人  

感謝 そして喜びの一日
【No.1570】 2021年06月13日

6月12日
 9時、東公民館の「朝顔の行灯づくり講座」に出かける。この講座は私も会員である「秦野ゆとりの会」が講師を務める。講座への参加者は18人。朝顔の苗と土、行灯づくりの竹、針金などの材料一式を会で準備。参加者は持参した鉢に植え、行灯仕立てまでして持ち帰る。指導できない私は7月に開く「親子で作る新聞講座20周年記念・壁新聞展」の打ち合わせを担当の泉さんとする。会場の立看を新聞スタイルのものにするから、アドバイスをと原案を見せてくれた。
 11時過ぎ、かって一緒に新聞づくりの指導をした谷さんが、実家の新茶を持って顔を見に来てくれた。谷さんは宿場町の街並みを観て歩いている。「コロナの隙を狙って出歩いていますが、少し気が引けます」と笑って報告。
 午後、故郷奄美大島で個展「海の宮展」を開いた古谷照美さん(日本美術院友)んがその報告に来てくれた。「九段抜き」で報じている地元紙の切り抜きを頂いた。そして「紅さんご」も。古谷さんは私か東中にいたころPTA広報委員だった人。
 1時過ぎ、山口さんがサツマイモの苗の着き具合を見に来てくれた。そのあと、前さんがサトイモの土寄せに来てくれた。   
 大勢の人に支えられているありがたさと喜びに満ちた一日。

6月8日は「医療に感謝する日」
【No.1569】 2021年06月09日

6月8日、
 今日は「医療に感謝する日」。5年前のこの日、東海大病院で「心臓弁膜症」の手術を受けた。昨年の6月8日は「腰椎圧迫骨折」で国立神奈川病院に緊急入院した日。両院の医療スタッフのお蔭で、今年の今日はこの日記が書けている。
 
 6日の日曜日にワクチンの一回目の接種を受けた。亀崎医院では院長をはじめ多くのスタッフが休日返上で接種に当たってくれ心強かった。

6月9日 
 遠くからホトトギスの鳴き声が届く午前5時、畑の見回りに出た。サツマイモの苗がすべて根付いたようだ。嬉しい朝だ。

文字に起こされた言葉
【No.1568】 2021年06月04日

6月2日 
 今日の高橋純子編集委員の「多事奏論」は、終わり10行である政治家の生の言葉をそのまま文字に起こし、「長く引く(引用が長い)がかみしめてほしい」と書いている。くり返し読んだ。語られた言葉の空虚さに《唖然》としたから。

フクシマ
【No.1567】 2021年06月02日

5月30日
 今朝の歌壇に載った作品
 ・「フクシマの今」を十年詠む人の言う「フクシマは福島に戻らず」。この歌について杉山さんから「気仙沼への思いに結び付く歌で感じるものがありました」と電話をもらった。東日本大震災は忘れない。
 午前中草取りで奮戦していたら、関家の二人が「頑張り過ぎないで」と麦茶を持ってきてくれた。朝顔の定植を今週中にするので腐葉土、鉢底石などの買い物。「ダービー」1000円投資して1020円戻ってきた。

秦野も「まん延防止等措置」の地域に
【No.1566】 2021年05月30日

5月29日
 オリンピックの開会式まで60日を切っている今日「緊急事態宣言」の延長が発表された。そして秦野も「まん延防止等重点措置」の地域に入った。
 ところがここ数日の間に東京オリンピックを主催する関係者から、理解し難い、許しがたい言葉が発せられている。「緊急事態宣言下でも開催する」「少しの犠牲をはらっても開催する」「アルマゲドンが起こらない限り実施する」「この(コロナ禍の下で行う)五輪をレガシイとして残すことが使命」など。
 連日 百名ほどが亡くなっている現実を『さざ波』と言った識者、そして「犠牲を払ってでも」と言い、「それをレガシイとする」と述べた人たち、「高齢者へのワクチン接種は七月中に終わる。だから安心安全でオリンピックを開く」と言う人よ、失われた命の数とメダルの数が連日報じられるような事態はオリンピックの理念とあまりにもかけ離れていると私は思うのだが。

幸せ者
【No.1565】 2021年05月26日

5月25日
 「『エコー』創刊37年おめでとう」と三香子さん史枝さんがお祝いに来てくれた。祝意のメールや電話も10通ほど頂いた。
 空いていた畑に山口さんの手でサトイモ、サツマイモ、落花生、ショウガ、深ネギが植えられた。その畑の畔を三川さんが刈ってくれた。
 大勢の人に支えられて生きている私は幸せ者だ。

「おかえりモネ」
【No.1564】 2021年05月18日

5月17日
 気仙沼が舞台の朝ドラ「おかえりモネ」が始まった。物語の展開はもちろんだが気仙沼の景色が見られるのも楽しみ。主人公モネの設定が私が出会った看護師Sさんに重なる。

 長い間眠っていた(サボっていた管理人の私)「まほら秦野みちしるべの会」のHPを更新。先日発行した「会報17号」をアップした。厳しい状況下、発行に向けて頑張ってくれた編集委員さんのご苦労に感謝の意を込めて、である。だがその手順をすっかり忘れ苦しんだ。 http://mahora-hadano.sblo.jp/

創刊37周年
【No.1563】 2021年05月15日

5月15日
五月は『ECHO』は創刊の月。きょう380号が発行できた。この号で37年目に入った。その『ECHO』を励ます言葉を横山兄から頂いた。
 
 二歳先輩の武さんからどれほどの影響を受けたか計り知れない。同じ中学校の教師であるが、現場は神奈川と東京。だがよく考えてみると共通点も多い。ただ『ECHO』を拝読するたびに思うのであるが、新聞教育に対する一貫性は到底かなわない。私は多くの先輩から学ぶことが多かったが、武さんの書物から学ぶことも多かったのである。全新研を支えてくれた代表と言える。2006年の秦野での第49会全国新聞教育研究大会は武さんの理論と実践が開花した大会だった。私は「もう一度秦野で」という願いを抱いている。送っていただいている『ECHO』から生きる勇気を貰っている。そして同時代に生きてきた喜びがある。  横山健次郎

 コロナで巣ごもり状態の生活になり、身の回りの生き物に目が向くようになった。今日の気候は「走り梅雨」。それでインゲン、小松菜、夏大根を蒔いた。連休中に植えたカボチャの葉がウリハムシに食われてしまった。朝顔、夕顔の発芽はまあまあ。ショウブの花は遅れている。サツキも開花。ヤマユリの幹が今年は太い。

会報『まほら秦野みちしるべ』第17号
【No.1562】 2021年05月11日

5月10日 
コロナ禍で編集会議の開催もままならない中、会報『まほら秦野みちしるべ』の第17号(手作り・A4判6P・オールカラー)が発行された。その紙面で12名の会員がそれぞれ自分の活動のことを書いている。これは「すごいこと・すばらしいこと」だ。このことは会の活動に積極的に参加してる証しである。PTA広報作りで腕を磨いた人たちの頑張りが表れている編集・レイアウト(見出し・写真)なども「見事」。

第17号の中から 
 会員の皆さんの力を感じた一年   会長 横山信子 
 コロナに振り回された一年だったが、会員の皆さんの協力があってこそ乗り越えられたと思う。2019年度未から新型コロナの影響を受け、事業は軒並み中止、総会もみなし総会となった。そうした中、平日でも老若男女問わず散歩する姿をよく見かけるようになった。
 9月になると、急に各公民館からの電話が相次いだ。史跡めぐりの協力依頼だ。「密は避け午前中で」と言われ、マップと時計を手に歩いて、コースを全て検討し直した。できあがった各企画が市広報に掲載されると募集人数はすぐ満員になった。皆さんは自粛疲れから解放されたいのだと痛感した。
 このような慌しい中で、ウオーキングマップ東地区Aを発行・東公民館で展示をし、西地区マップや会報の発行に取り掛かっている。会員の皆さんの力をつくづく実感した一年でもあった。

 
 編集後記
 コロナの影響で思うように会えない日々が続いていますが、少しずつ行える事が増えてきているようです。マップ作りや会報の編集会議も出来るようになって、一気に忙しくなりました。
 2020年度は、笈川さん、田代さん、大木さんと3名の方が入会されました。ご紹介の記事はありませんが、会報の文章の中からお人柄を読み取っていただけるかと思います。昨年末にご逝去された綾部さん、本当にお世話になりました。コロナの影響でお見送りに伺えなかった事が心残りです。クシャクシャの笑顔で話す綾部さんが、またひょつこり現れるような気がしてなりません。
 まだしばらくは、少人数で、会食は禁止、短時間等の制限の中での活動が続くようですが、一日も早く、また皆さんと一緒に勉強会やBBQ、研修旅行に行ける日が戻りますよう願っております。どうか皆さん、三密を避けて、健康管理にも十分お気を付けください。(鈴木)

今年の大型連休は
【No.1561】 2021年05月06日

4月29日
 「昭和の日」 伊勢原市P連から「広報作り講座を動画配信で行いたいが」と電話。やる気十分の伊勢原P連。「みちしるべの会」の大木さん来訪。堀山下の石造物三基(道祖神・庚申塔・輪廻塔)に案内板を立てたいのでその文面についてアドバイスを求められた。

5月1日
 コスモスは「秋桜」と呼ばれているが、畑の隅に生えたコスモスが濃い赤の花を一つつけた。他にも蕾を付けているものが三本。数えれば30本ほどが生えている。それを庭の五カ所に移植。これからが楽しみの《秋桜》。ついでに草取りを。

5月2日 
 午前草取り。午後ホームセンターに買い物に行く。朝顔の播種をしたいので土を選んでいたら「おじさん 種を蒔く土はこれでいいの」と中年の女性に尋ねられた。《おじいさん》でなく《オジサン》は嬉しかったが、アドバイスなどできなない。私の方が聞きたいくらいなのに。結局その女性は「これでいいのよね」と私と同じものを選んだ。 ◎歌壇入選  ◎「天皇賞」枠連で的中 
 
5月3日「憲法記念日」
 午前八時半、庭続きの畑に前さんのトラクターが入る。祖父、父は鍬、私になって耕耘機、そしてトラクター。時の流れを感じた光景。畑も驚いているだろう。昨夏の腰椎骨折を機に前さんに助けてもらうことになった。彼は教え子。「体を大事にするのはいいけど、体を動かすことのしなきゃダメだよ」と言う。それで草取り。そして朝顔、夕顔の播種も。
 神奈川新聞の「自由の声」で憲法9、14、25、53、99条について学んだ。

5月4日「みどりの日」 
 昨日に続いて今日も前さんが来て、里芋の種の植え付けをして「時々見に来るから」と言って帰っていった。ありがとう秋雄ちゃん。
 十時ごろ、松の芽掻きをしていたら73歳になった教え子熊坂さんがひょっこり訪ねてきた。自家製のイチゴをもらったのでお返しに気仙沼の「蒼天伝」を。そして「震災以来ずっと気仙沼を応援している」と話したら、なんと彼は四月の初めに三陸沿岸道を走り、気仙沼湾横断の二つの橋「かなえ大橋」と「大島大橋」を渡っていたのだ。それでしばらくは気仙沼の話になった。気仙沼がまた一歩近づいた感。

5月5日「こどもの日」 
 矢車のカラカラが嬉し里五月
 母屋の玄関に「金太郎と山姥」図の津軽の凧絵。別棟のテーブルには横山さんが作ってくれたミニチュアの兜。そして私は武者幟をリメイクした半纏を着て「五月の節句」を祝う。用足しに来た自治会長さんは半纏の絵に魅かれたようだ。武者幟の絵柄は「宇治川の先陣争い」で磨墨にまたがる梶原景季の図 。連休中に精を出した「草取り」の整理が今年の大型連休の決算!!。四時ごろから小雨。  

昭和時代
【No.1560】 2021年04月29日

4月28日 
 35年前東中で出会った教え子Sさんが訪ねてきた。Sさんは県下の或る市の中学校PTAの今年度の広報委員長。広報づくりの経験はなく、活動を始めたが分からないことだらけ。それで「新聞なら武先生」ということでの来訪である。企画、原稿依頼の依頼状について、取材・記事の書き方、見出しの付け方、広報紙と写真との関わりなど、おおよそ1時間半、聴講者一人の広報講座を行った。話をきちんとメモを取り、不明な点があると「この紙に書いて説明を」と言うSさんの姿勢にそのやる気が見えるのが嬉しく、できる限り応援したいと思った。

 35年前・昭和62年(1987年) 。80年代は中学・高校では校内暴力の風が吹き荒れていた。その風は東中にも吹いた。そのときの心境も語ったSさんだった。
 元号「昭和」は64年で終焉。今日4月29日は「昭和の日」。Sさんにも私にも「昭和時代」は鮮明だった。

旅心
【No.1559】 2021年04月27日

4月26日
 この三月で退職されたU先生から「資料を整理していたら出てきました。先生の研究の一助になれば」と『穂高町道祖神道中記』が送られてきた。穂高町は今は安曇野市となったが、この『道中記』は穂高町当時の「道祖神巡り」のイラストマップである。
 安曇野の道祖神巡りは六回行っているので、マップを眺めているとまた訪ねたいという強い思いになる。この春は平塚と海老名の道祖神に逢えた。もう少し遠出をしたい、そんな旅心をそそるU先生からの贈り物だった。

「通し・トオシ」
【No.1558】 2021年04月21日

4月19日
 「これ、長い間お借りしていました。ありがとうございました」と笑いながら裏の弘美さんが「通し」を持ってきた。物置を解体するので片付けていたら見つかったらしい。
「通し」の木枠に書かれた文字は消えかかっているが「昭和六年六月三十日求 中郡東秦野村寺山清水武力三郎」と読めた。「リキさんは勝美さんちだ、とバアちゃんが言うので」。
 「通し」は米、麦などの穀物を網目を通して選別(フルイ)分けをする農具。多分数十年ぶりに日の目を見ただろうこの「通し」。直径45センチほどの丸い木枠に金網が張られているがかなり破れている。
 25日、父の33回忌の法事をするので、その折りに父と力さんに見てもらおう。

コロナ禍の中 広報紙づくり講座
【No.1557】 2021年04月15日

4月13日
 海老名市教育委員会の「PTA等広報編集研修会」に出かけた。広報作りの話をするのは19年9月以来1年7カ月ぶり。特に昨年度はすべての講座が中止。それだけに不安もあったが、気分はかなり高揚していた。そしてコロナ禍、講座を実施された教委に敬意を表すのは良い講座にすることだと思い、資料もかなり準備して行った。
 参加者はPTAは19校・38名。それに各種団体から3名。10時から約2時間の講座。書画カメラを使って多くの広報紙を見てもらいながら話を聞いてもらった。私としてはかなり満足感を得た講座になった。

 帰りは雨になったが、海老名市最古の道祖神(単体)さんに会いに立ち寄った。疲れたが充実した一日。

担げぬ神輿
【No.1556】 2021年04月11日

4月10日 
 昭和30年代までは寺山のお祭りは今日4月10日だった。それが10日に近い日曜日に執り行われるようになったのは、神輿を担ぐ若者を確保するには日曜日、というのも一つの根拠になっている。
 その神輿の渡御は、コロナ禍で昨年に引き続き今年も行われない。

 担がれぬ神輿飾りしこの春も
 担がれぬ神輿に桜疾風かな
 今年また担げぬ神輿飾り付け「来年こそ」と笑みし男衆


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