- 寺 山 だ よ り -

帰りたいお家
【No.708】 2008年09月27日

 裏の生垣を隔てて東中学校の農場が広がっている。広さは3アールほどか。今はその収穫期、昨日も放課後、サツマイモを掘りに来た一団があった。
 楽しそうな声、笑い声が聞こえてくる。作物の出来、不出来もさることながら、子供たちにあれほど明るい声をもたらす土に触れるということの意義を強く感じた。
 夕食時、妻がこんな話をした。肉じゃがを煮ていたら、裏の畑から男の子の声が聞こえてきた。
「いい匂いがしてきた。先生、もう終わりにして帰ろうよ」。「そうだな、ハラ 減ってきたな。終わろうか」が先生の言葉。
「帰りたいお家」というテーマで広報を作っているPTAがある。「台所からの匂い」は、“帰りたいお家”の条件の一つになるだろう。

 ヤマヒルのお見舞いにKさんが来てくれた。

とうとうヤマヒルに出会ってしまった
【No.707】 2008年09月23日

 生産組合の会合のとき、よく聞かされたヤマヒルの被害。「とうとう」? それとも「ようやく」なのか…、きょうヤマヒルに出会ってしまった。
 妻が「その血、どうしたの」と私の左足りの向う脛を指差した。きょうもまた、朝から栗拾いに出かけた。
 9月になって雨が多かったせいか、栗畑の草は元気がいい。それで、きょうは私が草刈り、妻が栗拾いと手分けをした。“元気な草”と言っても、9月になって生えた草だから作業は楽なもの。けっこういい気分で3時間の仕事を終えた。そのあとが、このヤマヒル騒動である。 
 作業ズボン、そして農作業用の長靴を履いたので“完全武装”と思っていた。それなのに食いつかれたのだ。出血が止まらないのはヤマヒルの仕業。その姿を探したら長靴の中にいた。刈り払った草の一部が長靴に張り付いている。その草から長靴の中に入り込んだのだろう。血が止まらない、というのはあまり良い気分ではなかった。
 ヤマヒルは鹿のひずめの中に入って山から降りてくる。鹿が食べた跡がはっきり分る今年のわが家の栗畑である。

新聞づくりに大切なこと
【No.706】 2008年09月18日

16日
 体育祭の代休日なので、中学生が二人訪ねて来た。新聞づくりの相談である。記事の流れ(レジュメみたいなもの)が出来たので「これでよいかどうか」ということ。
PTA広報の場合もそうだが、彼らが書く記事については絶対筆を入れない。彼らが見て、聞いて、書いた記事が事実だからだ。彼らに助言するのはただ一つ、「大勢の人の声を聞きなさい。取材が大切。取材することが新聞を作ることです」と。

17日
 午後1時半から4時まで中井町のPTA広報づくり講座。ここでも広報クリニック。まとめの時間に、発行された広報に対する読者(会員)の反応は、と尋ねた。はかばかしい答えではなかった。私にはどの広報も《力作》と思えるのだが。
 「“愛”の反対語は“憎しみ”ではなく“無関心”です」と言った人がいる。広報を読んだら、褒めることはもちろん、批判でもよい、読後感を述べてあげたい。それが広報委員の次号へのがんばりにつながる。「褒めることは育てること」。

今夜は十五夜 お月さんより先に饅頭をいただく
【No.705】 2008年09月15日

 きのう14日が月齢では満月「十五夜」。わが家は太陽暦で十五夜をするので、今夜がその夜。
 10時過ぎ、いつもの和菓子屋さんに饅頭を買いに行った。先客が一人、その人も私と同じ買い物だった。私の番になり、十五夜の饅頭をと言うと「粒アンと漉しアンがありますが」と聞かれた。「半分ずつにして」と頼んだ。ところが、粒アンのほうが先客でちょうど品切れになったようで、「すみません、すぐに蒸かしますが、時間がかかりますけど… どうしましょう」と言う。「粒アンが好きなんだけど…、いいよ漉しアンだけで」と私。
 包んでくれるのを待っていたら、店の奥から十五夜のお饅頭のようなフックラした容貌の店主が出てきて、「熱いですよ、漉しアンだけど、食べてください」と差し出した。「えェ! 悪いよ、こんなこと」「いいんです。すみませんねえ 無理言って」と詫びる店主。饅頭は1個80円、私が買ったのは15個だから1200円。それだけの商いなのに…。
 蒸篭から取り出したばかりの、熱々の饅頭を二つに割った。漉しアンがいっぱい詰まっていた。「それじゃあ、ありがたくいただきます。お月さんより先に饅頭をいただくなんて申し訳ないね」と、私。
 この店の売り子さんはたぶん私より年長の女性。私に饅頭を食べさせてくれたのは、その息子さんだろう。秦野市内の榎本堂という和菓子屋さんでのきょうの出来事である。

今夜の月に供えたものはススキ、饅頭、お豆腐、サツマイモ、トマト、栗、それに茗荷。サツマイモ以下は全て自家製。

広報クリニック
【No.704】 2008年09月13日

9月9日
 湯河原町で、湯河原・真鶴町教育委員会共催のPTA広報づくり講座。1学期中に7回発行された『そよかぜ』をはじめとして6校17紙、さらに町教委の『生涯学習だより』の紙面クリニックを行なった。
昨年から2町合同の講座になり、広報づくりのボルテージはかなり上がってきていて、たくましさを感じている。それに応えるつもりが、かなり辛口の講評になってしまったようだ。だが、講座が終わってから30分以上、質問や相談があったので少しホッとした。

9月11日
 こんなメールが届いた。
「町主催の『広報紙づくり研修会』に参加したS中PTA広報委員のIと申します。当日、校長先生の原稿依頼について質問した者です、と言えば思い出しててただけますでしょうか。昨年は小学校の広報委員を、今年は中学の広報を引き受けました。中学は多少抵抗があったのですが、息子の写真欲しさに引き受けました。
 昨年の広報の研修の時の評価を聞いていたせいか、はじめの作業からわりとスムーズで今まで来ています。取材は行ける人で行い、記事と写真を私がもらい編集・レイアウトします。号外の職員の紹介では名前に仮名をふったり、次の号の修学旅行は広島を取り上げたかったのでそこにスポットを当てました。これも研修会があるおかげで的が絞れています。
 初めは、小学校と中学校で差があるように思い、何を伝えればよいのかと思いましたが、研修会でその思いも吹き飛びました。「みんなに伝えること」には変わりない、そう思いました。
 今回の研修で、私たちの広報紙の評価、あんなに誉めていただけるとは思ってもいませんでした。おかげで、次の号がプレッシャーで押しつぶされそう…です。次号は12月中頃発行予定ですが、三分の一くらいできています。そのなかで『地域ふれあい活動』『あいさつ運動』のページがあるのですが、そのページに頂いた資料の『オアシス』の話をぜひ載せたいのですがよろしいでしょうか? 私としては載せたいので、そのページはそれでもう作ってしまいましたが…。お許しのお返事をお待ちいたしております。

9月12日
 11、12日の二日を使っての秦野市P連の「広報クリニック」を東公民館で。参加者は22校から168名。参加予定の人数が当日になって増えているとのこと。秦野のPTA広報のレベルはこの参加者の人数でわかる。市内全校の運動会・体育祭が今週末から始まるので、その特集の組み方、特に写真の撮り方とキャプションの作り方、レイアウトのポイントなどを具体的にアドバイスした。そして「卒業アルバムのような作り方はしない」と念を押した。時機を得たようで好評だった。
 クリニックが終り、退室の仕度をしていたら、参加者の一人が近寄って来て「お会いしてお礼を申し上げたくて来ました」と言う。2年前のS小の広報委員長さんで「あのとき受けた広報クリニックで、S小のPTA広報は“大変身”を遂げることができた」のだそうで、そのお礼を直接伝えたいときょう特別参加されたとのこと。「きょうの話を聴いてまた広報を作りたくなりました」と笑顔の彼女から握手を求められた。思いがけない申し出に、私は机上にあったタオルで何度も何度も手をぬぐい清めた。

9月の第一土曜
【No.703】 2008年09月08日

 9月の第一土曜に集る会がある。中学校の同級生の有志が一晩語り明かす(飲み明かす)会だ。私はその会の特別会員で、今年で4回目の参加になる。
今年は9月6日で箱根・強羅に11名が集った。
 彼らは53歳、まさに今の社会をリードし、支えている年代だ。新幹線通勤で帰宅が平常で午後11時というC、部下の起こした個人情報の漏洩で、顧客170人の自宅を謝罪に回ったE、酪農家を顧客にしている獣医のHから聞かされた神奈川の酪農の現実、アネハの事件から、建築確認が厳しくなり着工件数が極端に減ってきているという建築業界は、「2,3年のうちに個人の工務店(大工さん)はほとんど消えていく」と心配するのは材木店経営のY。Mは52歳にしてトラバーユした。そんな今だからこそ、幼馴染とのこうした交流でそれぞれが元気付けられるのだ。私もまた、彼らの輪の中に身を置かせてもらうことで少し若返る、いや老化が少し抑えられる、と思っている。
 お開きになったのは午前3時とか。私は12時少し前に自分の部屋に戻った。 翌朝、ロビーでの解散の前に「来年は9月5日、ここで」と幹事のOの挨拶があった。私に限って言えば「来年のことはわからない…」。

長月スタート 今年も残りは四カ月
【No.702】 2008年09月04日

9月1日
 ホームぺージ更新。毎月の更新はけっこう負担になってきているが、一種の中毒症状のようで、書き換えないと気がすまない。また、更新というノルマをかけるとで、生きている意味を見出しているようにも思える。特に誰に待たれているわけでもない。まあ、自分のために頑張っているということなのだろう。
 きょうから今年の栗の収穫に入る。5sほど拾う。帰りに道路から見下ろしたら、どうやら豊作のようだ。
 夜9時半からの首相の臨時記者会見を観た。驚くと同時に、変化への期待を感じた。

9月2日 
 8時15分、大井町に向って車で出発。9時5分に会場に入る。9時25分から広報クリニック。自治会の会報、幼・小・中のPTA広報8紙をパワーポイントを使って講評。どれも前年度より充実している。特に写真を使っての情報伝達がじょうずだった。カラー写真の時代ではあるが、それによって印刷経費がかかり発行回数が減っていることが気になる。
 広報という文字からすれば「伝える」ことがその第一義であることはまちがいのないことなのが、私としては、時には、広報も「新聞」になって欲しいと思う。そんなことを最後に話した。

9月3日 
 藤棚発16時20分のバスにのる。東京・中野区の『なかのZERO』に到着が18時15分。
 中野区立中学校PTA連合会のPTA広報委員会の研修会。5月に二回、そしてきょうが第三日目の三回シリーズで、いずれの会も夜18時半からの2時間という設定。最終回なので、一学期の発行された広報紙を投影機で映し出し、全ページについてクリニックをした。
 参加は12校、少子化や社会的環境の変化で学校の統合が進められている。過去に統合された全校にPTAが発足し、広報委員会も置かれたことを聞かされひと安心。この四月に統合された委員会は「目下、編集中です」と笑顔。嬉しかった。
 講座の終了後、「ウチは委員が順番で参加しているのですが、わたしは全回出てきました。楽しかったです。あっという間の二時間でした」と私へのねぎらいの言葉を三人が掛けてくれた。そのうちの一人はお父さん。
 秦野駅発22時35分の終車のバスに間に合った。

防災訓練の日
【No.701】 2008年08月31日

 きょうは防災訓練の日。午前9時の訓練開始のサイレンが鳴る。非常用の袋の中身を点検。非常食はこの訓練日で入れ替えをすることにしている。9時10分、玄関に黄色のハンカチを掲げる。これは家族全員無事です」というサイン。 
 家から1分の防災用備蓄倉庫前に行く。もちろんヘルメットは着用している。60余戸の清水自治会。きょうの訓練には子供8人を含め、52人の参加。0歳の赤ちゃん抱えた若夫婦も。
 足場用のパイプと近くから切り出した竹で、まず避難小屋を作る。そのあと、災害用伝言ダイヤルの操作方について学ぶ。簡易トイレの設置と使用法の説明を聞く。消火器を使っての消火訓練。簡易担架を作り、負傷者の搬送の訓練。歩けない人を自宅から避難所までリヤカーで運ぶ訓練も。
 最後は非常食の炊き出しと試食。そして、全員で撤収作業。終わったのは11時30分。ここ数日らいの集中豪雨、新潟・中越沖地震や岩手・宮城内陸地震などの災害を自分のものとして受け止めての、有効で友好的な訓練だった。

PTA広報講座 “秋の陣”始まる
【No.700】 2008年08月27日

 きょうから私のPTA広報講座の“秋の陣”のスタート。秋の陣といっても、現実にはまだ夏休み中だから、きょうの講座のために設けられた学童保育室には10名ほどの子供たちがいた。
 講座の冒頭、参加した委員たちに一学期の活動を振り返ってもらった。

・年6回の発行のうち3回は終わった。大変だった。ちょっとダマサレタ感じ! 体育祭の写真を1000枚近く撮った。だからいい写真を載せられた。形に残る仕事はやりがいはある。
・広報委員はでしゃばりでなければダメだと思った。
・仕事との両立をかなり心配したがなんとかクリアできた。他学年の子供たちの活動が見られたことがよかった。学校に出かけることで、楽しいことをたくさん発見できた。
・一学期はサポートするだけだった。二学期は主体的に活動したい。
・(2歳お子さんを抱きながら) 小さな学校なので、「乳飲み子がいるからできない」などと言ったら同じ人が何回も委員をするようになってしまう。私のような条件でも活動できるということを確認したいと思って委員を受けた。そういう時代が来た、と思っている。物をつくるのが好きだから、大変だけと頑張っている。
・委員の利皆さんの負担の軽減ばかりを考えているのが現実。
・パソコンのできる人に負担をかけているので、思い切ってパソコンに挑戦している。夏休みはとくに頑張った。
・しゃべることはできるが、文にすることは大変。文にすると様々な問題(書いた内容について)も出てくることがわかった。
・助けてもらっている。委員の皆さんが協力してくれることのありがたさ、素晴らしさを実感した。
・前年度を超えた活動をすると、次年度の委員にプレッシャーになるのではないかと思っている。でも、前年度は超えたい。
・会員数が減っていく中での広報の必要性、重要性をどのように本部や会員に理解してもらったらいいのか。

職員研修会
【No.699】 2008年08月21日

 昨20日、東中学校の校内研修会に講師として招かれた。テーマは「東地区の歴史と文化を学ぶ」で、座学ではなく学区内を歩くという研修である。
 宮川校長先生以下18名の先生方、それに東幼稚園からも二人の先生も参加。「みちしるべの会」の4人も同行してくれた。
 午前9時に東公民館を出発。風は少しはあったが炎天下をおおよそ4時間歩いた。古道・大山道を歩くことが、この地区の文化や歴史、更には民俗を学ぶことになる。だから行程のほとんどが日なたを歩く。“正真正銘”最高齢は私、しかも私との年齢差は12以上の人たちばかり。でも、どうやら、完歩するという役目はできた。途中、同級生のKさん宅で、冷たいお茶をご馳走になった。これは学校と地域の交流の一幕。きょうのウオークで先生方が学んだことの一つに「武さんが元気で歩いたこと」があるとしたら、嬉しいことだ。

道祖神に会いに安曇野へ  道しるべの会のSご夫妻
【No.698】 2008年08月14日

『まほら秦野みちしるべの会』の会員であるSご夫妻との会話。
 「皆さんより一足早く、先週初めに夏休みをとり安曇野に行ってきました」。「道祖神巡りをしてきました。自転車で回っている方もたくさんいました。秦野ではあまり見られない握手像が多いですね。どの道祖神も大事にされているようでした。道祖神って、素朴なものと思っていたら、色鮮やかなものもあって驚きました。毎年、子供たちが色を塗り直すのだそうですね」とご主人。
 「このごろ、運転中に信号待ちになると、夫婦で道路脇をきょろきょろ見回してるんです」は奥さん。
 「道祖神にあやかって握手して歩いて回りましたか」と私。
 「はい!」と奥さん。
 「いや、ウソです。車で回ったのですから。それに家内の両親もいっしょでしたから」と“大慌て”のご主人。
 みちしるべの会をつくってよかった。



《新聞三昧》の三日間(8/7,8,9)
【No.697】 2008年08月10日

8月7・8日
 7月1日からずっと最高気温が30℃を切らないという暑い京都。そこでの第51回全国新聞教育研究大会に参加した。第1日の7日、「PTA広報づくり講座」を担当した。翌日8日の朝刊にこの大会のことが報じられていた。記事の中に参加者数も出ていた。1紙は220名、もう1紙は300名だった。開会式での主催者の報告では200名。
 2日の「実践発表」ではPTA分科会に出席。5校のPTA広報委員会の話を聴いた。オレンジ色のオリジナルTシャツで登壇したT広報委員の4人の胸には「われ等広報オタク」というロゴが踊っていた。「広報委員だけはごめんだ」と言われるこの時代、「気がついたら、また広報委員になっていました」と報告する人に、会場に小さな笑いが生まれた。
「今だからこそこの企画を」と思う感性、そして紙面づくりにかけるお母さんたちの心、何よりその意気込みに私自身も励まされた。助言者から「サロン型の編集はできれば避けたい、結構多くなっている」との指摘があった。この会場で提案した5つの広報委員会は、いずれも《広報の意義とその活動》に引かれた人たちの集りで《サロン》ではない。

8月9日
 「誰でもできる新聞づくり」の2回目の講座。きょうの参加は20人。欠席者は事前に「体調不良」と主催者に連絡が入ったそうだ。
 宿題だった(1)題字を決めて書いてくる、(2)作る新聞の資料を集めてくる、は子供たち全員が守ってくれた。13人全員の記事の内容とレイアウトを指導。時間内に完成した新聞は2紙。8月31日までにがんばるように話して終了。
 改めて思ったこと。「教室の生徒が少ないと目が届く」「生徒一人に一人の助手(きょうの場合は母親)が付くことで子供の力は伸びる」。

8月4日
【No.696】 2008年08月05日

 秦野市中学校教育研究会の新聞部会の「パソコン新聞の作り方」講座が開かれた。講師が東京の田村先生なので私も参加。受講生は13名。このくらいの人数だと、講師が受講生一人ひとりの画面を覗き込んで指導ができる。よい講座だったと思う。
 夜は「ゆとりの会」の暑気払いの会。27名中21名の参加。会の活動のメインである「菊作り」を成功させるための“元気付け”の会でもある。十分飲んで、しゃべって、皆さんから元気をもらって帰ってきた。

守山義雄記者
【No.695】 2008年08月02日

 朝顔が今朝は10ほど咲いた。5時半から『農業委員会だより』を配って歩く。薮陰の道は今年竹が勢いよく伸びていて、脱ぎ捨てた皮が道いっぱいに広がっていた。きょうは土曜日だからなのだろう、散歩の人に一人も会わなかった。
 昨日は一日中草取りをがんばり過ぎたので、きょうは完全休養の日。一日遅れでホームページを更新。いつか紹介したいと思っていた朝日新聞の記者守山義雄さんの記事をきょうの高校野球の開幕に合わせてアップした。
 「風雪に耐えるものを書く」のが新聞記者だという。初めて守山記者の文に触れたのは次の記事だった。

「『パリ迄二十六キロ』道端の標識にははつきりさう読まれたが、御者台の兵士達はなんの感興も湧かぬ面持で連日の強行軍の疲れから馬の手綱を握った儘うつらうつらと揺られてゐた。道はサン・ドニのだらだら坂を上り切つて小高い丘の上に出た。その時突然一人の兵士がアツと叫んで前方を指さした儘声を呑んで了つた。あのエツフエル塔が指呼の間に悠然と聳えてゐるではないか」「一八一四年及び一五年ナポレオン一世の末期、一八七〇年ビスマークのパリ攻賂に続く之は近世史に於けるドイツ軍の第四回目のパリ入城である」「家々は殆ど表を閉ざし窓を閉め切り所々に薄汚い老婆や鳥打帽子にネクタイ無しといふ労働者が四、五人づつ固り合つて独兵の入城を見守つてゐる」『独軍パリ入城従軍記』(1940年6月17日・朝日新聞)

【No.694】 2008年07月27日

25日
「みちしるべの会」の横山会長以下6人で鶴巻の「下部の灯篭立て」を見に行った。はるか江戸時代から、大山の夏山詣でをする信者のために、落幡地区の人たちが夜道の道しるべとして、灯篭を立て灯を点してきた。
 毎年、この日に建坪2坪ほどのお堂を組み立て中に灯篭を立てる。この日は地元・落幡下部の有志が20人ほど参加。年配者が指揮を執りながら若い人、と言っても40代? 屋根に上がり汗を流している。
 この灯篭が初めて建てられたのは今から300年ほど前らしい。今は、この灯をたよりに大山に向う人が全くいない大山道だが、今年も地元の人たちの旅人の安全を守る心が温かくともった下部灯篭だった。(詳しくは8月1日更新の「秦野のおはなし」で)

26日
 東公民館で『世界でたった一つの新聞を作ろう』の講座。小・中学生15人、大人10人が参加してくれた。年齢で言えば10歳の男の子から60代後半の熟女まで。まず「新聞っておもしろい!」ということを知ってもらうため、「新聞の値段はどこに書いてあるか」を探してもらうことから始めた。
 9時半から2時間できょうは終り。宿題は「新聞の名前を決め、それを割付用紙に書いてくること」。次回は8月9日。
 この講座の参加の子供たちに「秦野ゆとりの会」からスズムシがプレゼントされた。「秦野ゆとりの会」とは、私も所属している教員OBの会。昨年まで「秦野園芸愛好会」という名称だったが、活動の幅を広げるために「ゆとりの会」と改称した。会員数は29名。
 この日は「行灯作りの朝顔」展示会を同公民館で開いた。私も一鉢で参加。
 酒匂川の鮎が届いた。昨日釣ったものとか。笹の葉が敷かれている皿に20a弱の大物ばかり10匹も。風流なNさん!


トマトでビール
【No.693】 2008年07月22日

 きょうで4日、午前中は畑に出ている。里芋、サツマイモ、キュウリ、ナス、トマト、いずれも雑草に取り囲まれ、覆われ、息絶え絶えだ。ハキダメギク、メヒシバ、オイシバ、カヤツリグサがその中心勢力。
 ハキダメギクの白い花の匂いは鼻に来る。この花粉はどうやら私には花粉症をもたらしているようだ。この花は渡来種だそうで、牧野富太郎博士が掃溜めで見つけて名前を付けたのだそうだ。メヒシバは細い茎だが、穂に何百もの種をつけている。その穂を一本でも落としておけばたちまち…。そしてもっとも手が焼けるのがヤブガラシ。畑を囲んでいるお茶の根元から地下茎を四方八方に伸ばし、放って置けばいたるところに芽を出し、蔓で一面を覆ってしまう。地下茎をじょうずに引き抜くと2bくらいまで取れる。日向に置けば枯れるが、地中に残った数センチの根からまた芽を出す。耕運機で耕し、切り細裂いてもそれらの全てから芽を出す。今、ヤブガラシは花どきでもある。この花が好きだと言う人もいるが、私には迷惑極まりない。
「汗は滴る禾下の土」、その気で草と格闘している。気分は上々である。だが午後はとても務まらない。
 今夜も採りたてのミニトマトでビールを飲む。

迎え火
【No.692】 2008年07月14日

7月13日 きょうは「盆」迎え火の日。8時にお墓の掃除を兼ねての墓参り。墓から山に直行し、今年生えた女竹を50本ほど切った。9時過ぎに帰り、その竹で「ツジ(ご先祖様を家の中に迎え入れる休み処)」を作る。10時から生ゴミの集荷場についての3班での話し合い。10時半ころ戻って来て盆だなを飾る。キュウリの馬とナスの牛を作る。手綱は細いウドン。
 3時少し前、「ツジ」の前にウマとウシを連れて行き迎え火を焚いた。これでご先祖様は一年ぶりのご帰還。近所の6軒の「ツジ」にお線香を上げに回る。昔は子供の“お勤め”だったのに、今は年配者が回る。
 久しぶりに高校野球のテレビ放映を試合終了まで見た。正確に言うと9回裏2アウトで放映は終わってしまったのだが。あとワンアウトなのに…。妻が勤務したI高校が勝っていたのに…。
 父が植えた10数本のヤマユリはほぼ満開、父の今年の来訪を待っていたかのように。

「共生」
【No.691】 2008年07月11日

白眉 進「お父ちゃん、道 間違えなかった?」
白眉森男「間違えてなんかいないよ。昨夜と同じように小学校の校庭の街灯の光もあるじゃないか」
白眉真子「だけど、お父さん、景色が違う。あっ、無い!トウモロコシが一本も立ってない!」
白眉森男「やられた! 人間に先回りされた。今夜がいちばんたくさん食べられるはずだったのに。畜生、やられた!」

 庭続きの畑に昨夜現れたハクビシン一家の会話である。

 忙しさより怠惰から、ずっと畑を見回りしなかった。昨日の朝、久しぶりに畑に入って発見。30本ほどのトウモロコシのうちの10数本が倒れている。そしてようやくふくらみ始めたトウモロコシの実が見事に食い荒らされていた。ハクビシンの仕業。これからが本当の実りになるのだが、防ぎようがない。
 地球温暖化を危惧した今年のサミットのテーマは『エコロジー』だった。だから「自然との、動物との共生」はしなければならないのだが、ことがわが家のトウモロコシになると、ハクビシンとの共生は残念ながら考えられない。いや、もう十分共生した。それで、残っていたトウモロコシは全部引き抜き、実をもぎ取った。
 いちばん大きなもの、と言っても15センチほどの2本を仏壇に供えた。13日から始まるお盆に供えるつもりだったのに。
 残りは全部、昼食として茹でて食べた。もぎたてだから甘かった。そして思った「わが家の夏はもう終わった」と。

七 夕 
【No.690】 2008年07月07日

 秦野市制施行50周年記念の『市民が作る広報はだの』を作った編集委員が旧交を温める会が昨夜開かれた。
 平成16年7月6日に第1回編集会議をもったので、毎年7月6日に集ることにしている。会の名は『夢進会』。
 昨夜の主賓(?)はこの4月から小学校の先生になったCさん。会名の趣旨の通り「教師になる夢」を実現させた彼女に私たちは励まされた。
 
〈乾杯の前の私のあいさつ〉 
 明日は七夕、「一年に一度会う」ということを祭りにしている民族は日本人だけかもしれない。「会う」ことは、嬉しい、楽しいこと。だが、会うということは、また悲しいことや苦しいことでもある。生きていることは「会うこと」。「一期一会」という言葉の趣旨を、瀬戸内寂聴さんは「『心を込めた別れ方をすること』だと思っている」と書いている。寂聴師のこの言葉に強い共感をおぼえるのは年齢のせいか。きょう、一年ぶり集った。心を込めた別れを意識した、楽しい、嬉しい会にしたい。

「新聞づくり」の行脚も一区切り
【No.689】 2008年07月04日

 4月15日から始まった「新聞づくり」の行脚は、昨日の相模原・橋本公民館でのPTA広報講座で一区切り。
 会場に入ったのは9時25分。すると「講座の始まる前に、広報を見てもらいたいと言う学校があるのですが…」と主催者からのお願いで、印刷前のものをクリニックすることになった。パソコンで製版、自校印刷という、手づくりのもの。1面の写真が印象的だから、当然企画や記事もしっかりできている。全ページ繰ってから「第1号としては言うことはありません。よくできています」と言ったら、緊張していただろう三人は、顔を見合わせ「よかった!」と声を弾ませた。
 講座の後、控え室に来た3校から、「学校行事とPTA行事の記事の分量比」「この写真は掲載してよいか」「数字の表記のきまりはあるのか」という質問があった。
 主催者6人と中華で昼食。“教育の世間話”の花が咲いた。母親の心の中を少し覗ぞけたような気がした。
 帰って、4時から6人のお母さんがたちと、明日出稿する『はたのP連だより』の紙面の点検。

文 月
【No.688】 2008年07月02日

昨夜も東中学校の大イチョウから「ほー、ほー」というアオバズクの鳴き声が聞こえてきた。
 ウチから直線距離で500bほど東にある里山から、一日中鳥のさえずりが聞こえてくる。オオルリ、ウグイス、ホトトギス。ことしはホトトギスの鳴き声がよく聞かれる。それと対象的にウグイスのさえずりが少ない、そんな気がする。ホトトギスが増えれば託卵されるウグイスの数は減る。

 昨日10時から『P連だより』の編集会議。7人が集る。市内22校の会員に読まれるのだと思うと、どうしても“力む”し“気取る”。だから見出しも記事も硬い。気軽に手にしてもらえるように、お母さん編集者らしい、柔らかい、温かい見出しづくりをがんばってもらった。
 20年前、市P連の事務局を担当したときの役員で年に2度旧交を温めている。その会の『暑気払い』の連絡が来た。人の一生は“出会い”と“別れ”、会うことは大切なこと。
 3日に相模原で開くP広報講座の担当のお母さんから最終確認の電話が入った。「楽しみにしています」。そう言われ、「私も楽しみにしています」と応えた。

快調 「みちしるべの会」の活動
【No.687】 2008年06月24日

22日
 「まほら秦野みちしるべの会」の6月の定例勉強会の日。17人全員が出席。これはスゴイことだ。きょうは今まで歩いて調べてきた道標を地図に整理することになっていた。
 現地踏査をした折ごとに、横山さん(会長)がイラストを描き、浦田さんがそれに説明を付けることをずっとやってきてくれている。そりで「これで十分、素晴らしいマップができた」とほとんどの会員が賞賛し、更に次の地区へ足を踏み入れる話になった。
 それでも、会長から「次の8月例会までに、それぞれが好きなコースを再度歩き、さらに付け加えることがあるかどうか調べてみたい」と宿題が出た。
鶴巻地区で行なわれる「大山詣でのための灯篭立て」の見学も計画した。

23日
 大山の地元は伊勢原市。もちろん秦野も地元だが…。その伊勢原市の歴史観光アドバイザーのグループ『アド・おおやまみち』の5人が、わが家を訪問してくださった。私たちの『みちしるべの会』は大山道の道標を確認し、地図を作ることをしているが、最終的には「大山道のガイド」になることを目指している。
 こちらから横山会長さんと寺山在住の会員・小泉さんも加わり、2時間ほど活動を披瀝し合いながら、勉強した。 
 大山の足元伊勢原に「大山道」に興味を持つグループがあることが嬉しかった。「いつか、コラボレートできたら」という言葉でこの日はお別れした。


岩倉具視
【No.686】 2008年06月22日

 家電器具の大手量販店に買い物に行った。レジで「岩倉具視」を出した。担当の若い男の店員はじっとお札を見つめ、次におもむろに私に向って「これ、使えますか」と言う。「ええ」と私。
 彼はそのお札を手にしたのだが、レジを打とうとしない。困っているのだ。それで、私「心配なら、調べてきたら」。そうしたら彼、ホントに走ってどこかに。
 3分くらい待たされた。他の三つのレジからは、無関心を装いながら、実はいぶかしがっている視線が何本も。ほどなく走って帰ってきた彼、「失礼しました。使えます」。
 「冗談じゃない」と怒鳴りたかった。だが「この顔相、服装じゃあ…」と思うことにした。せめて“年恰好”から判断してくれればいいのに。
 この500円札、まだ20枚ほど手元にある。母が趣味で? 集めておいた遺産? である。「そのまま遺産として残して置け」との、母の思いがこもっている“岩倉具視”さんたちである。

世田谷区中学校教育研究会新聞部会
【No.685】 2008年06月20日

6月18日 
 世田谷区中学校教育研究会新聞部会で『学級経営と学級新聞』の話をさせてもらった。講座の終わりに、質疑を兼ねて参加された先生方と今の生徒たちについて意見交換、というより中学校の現実を聞かせてもらった。
 子供たちが、文を書くことをひどく苦手にしていることを知った。単語だけで会話が成り立つっている(実は会話になっていないのに)子供たち。メールという便利な意志伝達の手段が、残念なことに逆な効果をもたらしているようだ。30名ほどの参加者の皆さんから、いろいろなことを教えてもらった。
 Kさんに贈られで、8時過ぎに上野毛駅から二子玉川、相模大野経由で秦野に帰ってきた。帰宅ラッシュの時間帯だった。その人たちに混ざって、ちょっぴり“現役”を感じた充実した一日だった。
 この日の講座の詳細は、7月1日更新の『マンスリーエッセイ』のページで。

一二を争う高感度
【No.684】 2008年06月12日

 昨日は渋谷区役所での講座。50名余の参加で、お父さんの顔もいくつか。「依頼原稿をどこまで直していいのか」という質問が出た。講座が終わってからも質問が3件。前年度発行号のクリニックを2紙。講座で例示した参考紙を「よく見たい。参考にしたい」と集ってきた3グループ。そして「こういう内容の特集を私たちもやろうよ」と気合が入った会話が聞こえてきた。その中の一人が「できればコピーさせて欲しい」と言うので講座の担当者に頼んだ。
 「初めての広報、でもどうしたらいいのかが分った。やる気が出た」とわざわざ感想を述べに来てくれた人。発行後のクリニックを約束した委員会。コンクールに挑戦したい、と笑顔で言って帰っていった人もいた。
 4月からの始まったPTA講座の中で、その高感度は一二を争うものだった。「どうしたらいいのか分らない」と戸惑っている、悩んでいる委員たちに少しは役立ったのかもしれない。4時ごろ帰ってきたら受講者からお礼のメールが入っていた。

 留守の間に朝顔と夕顔の苗が届いていた。Mさんからだ。園芸愛好会一番のダメ会員の私なのだが、こうして毎年Mさんからたくましい苗をいただいて、大きな花を咲かせている。

【No.683】 2008年06月10日

「洗濯指数100」の日だった。わが家のベランダも文字通りの満艦飾。
 一週間ぶりに竹薮に行ってみた。わが家の筍はまさに旬だった。40本ほど採る。軽トラなので帰りに数軒に配って回った。熟年層ばかりの家庭なので喜んでもらえた。夕食は竹の子と新ジャガの煮物になりそうだ。
 明日は渋谷区でPTA広報講座。5月の後半からしばらく“空いて”いたので、資料を確認しながら士気を高めた(つもり)。

新聞の秦野
【No.682】 2008年06月07日

 平成19年度の神奈川県PTA広報紙コンクールの結果が昨日発表された。秦野の代表3紙、秦野市立本町中学枚PTAの「丹沢の風」は、トップ賞である県P会長賞。西小学校PTAの「西のいぶき」と西中学校PTAの「西中PTAだより」はともに優良賞。上位6紙の内の3紙が秦野のもの。

 体育館を建て替えている東中で、工事の進行状況を伝える月刊新聞が2年生の有志で発行されている。B4・1ページの第2号を持って、3人が訪ねて来た。全校生徒に読んでもらっているらしい。メンバーは6人で『花軍団』と名乗っている秘密結社だそうで、リーダーは女子のHさん。
 きょう訪ねて来たのは、このHさんと男子2人。「陸上部なので十分協力できないが」と言ったのはOくん。Kくんは「ボクがいちばんサボっている」と笑っていた。
 工事現場に毎日入れてもらい、写真を撮り、現場の人のインタビューも採ってあり、けっこう興味深い紙面になっている。昨年、総合の時間のまとめを個人新聞でしたのだが、その流れがこの新聞になっている。いかにも「新聞の東中」らしい。

きょうは寄り道していいよ
【No.681】 2008年06月06日

 お隣の東小学校6年生の「総合の時間」の授業を頼まれた。朝から夏模様で気温もかなり上がっている中、114名の子どもたちが一生懸命聞いてたくれた。
 東地区の地名の由来を話した後、今日の帰りに訪ねて欲しい場所を帰宅するコース別に紹介した。子どもたちの中から「寄り道していいの」という声が上がった。「いいよ。でもコンビニに寄って涼んで帰るのはダメだからね」と私。どれだけの子が“寄り道”してくれるか、楽しみ。


新緑
【No.680】 2008年06月03日

 雨に打たれ少し葉が垂れ下がっている庭の木々を眺めている。暇に任せて木々の名前を調べてみたら、
 アオキ 青桐 赤松 アケビ アケボノツツジ アラカシ 公孫樹 イトヒバ イヌツゲ ウバメガシ 梅 温州蜜柑 エニシダ エビヅル カイヅカイブキ 柿ノキ ガクアジサイ 柏 キャラボク 金木犀 栗 クロガネモチ 黒松 月桂樹 欅 コムラサキシキブ ザクロ 山茶花 サツキ サルスベリ サンゴジュ サンショウ 紫木蓮 シュロ 杉 セイヨウアジサイ センダン  千両  染井吉野 茶ノキ ツゲ  椿 ツルウメモドキ ドウダンツツジ 夏蜜柑 南天 ニシキギ ニッケイ ネズミモチ 白木蓮 ハナミズキ バラ ヒイラギナンテン ヒサカキ 檜 枇杷  牡丹 マサキ 万両 ミヤマキリシマ モミ モチノキ 桃 ヤツデ 薮椿 ヤマアジサイ ヤマツツジ ヤマフジ  山吹 ヤマモミジ  雪柳 ワビスケ。
 それぞれの新緑は一つとして同じ色ではない。日本人の細やかな感性は緑色を、若芽色、若葉色、若草色、若苗色、若緑色、浅緑色、薄緑色 黄緑色、薄萌葱色、萌黄色、萌葱色などなどと区別し表している。


鶴丸
【No.679】 2008年05月31日

 JALのシンボルマークの「鶴丸」が昨日で消えたとテレビが報じた。それで、二階の袋戸棚を探したら、あった! スカイブルーの地の白の鶴丸マークのJALのバッグが…。
 1975年の秋、ニュージーランド・オークランドにあるルレミューラ小学校を訪ねたときのこと。休み時間、寄って来た子たちに鶴を折ってやった。その一羽を手にした女の子が、「JAPAN AIR LINE!」と歓声を上げた。

念ご冥福
【No.678】 2008年05月27日

 フリーアナウンサーの川田亜子さんが亡くなった。昨年8月17日、新潟市体育館で北桜関と私達夫婦が記念写真に納まったとき、カメラのシャッターを切ってくれたのは川田さんだった。

秦野『P連だより』創刊35周年
【No.677】 2008年05月24日

5月23日
 秦野市の『P連だより』が創刊されて35年になった今年度。その記念号の座談会に出席した。過去に編集に携わった者が私を含め7名。それに今年度のP連の本部3名が加わっての座談会。皆さんが、新聞づくりのエピソードで往時を懐かしんだ。創刊号は手書きだったが、そのときの筆耕者のEさんは、創刊に漕ぎつけるまでの記録を持っていらっしゃった。
 35年間『P連だより』に関わってきたので、この日出席された過去の編集者6名全員存じ上げている。そのことをちょっぴり誇りに感じた。
 『P連だより』、秦野市P連がこれから目指すべき方向について提言がたくさんなされた。

風雨を突いて
【No.676】 2008年05月21日

きのう20日午前8時、大荒れの天候の中を寒川町に向う。電車か車かと迷ったが、車で行ってよかった。1時間10分で到着。相模線は遅延との情報があった。
 小学校の始業が2時間遅れ、ということで出足は今ひとつ。30名余集まったところでスタート。
「昨夜からのこの雨風に、もしかしたら広報委員としてのこれからの活動が“波乱万丈”、いや“泣きの涙”の一年間になるのでは、と不吉な思いに駆られたかもしれません。でも大丈夫です。この講座が終わる2時間後、たぶん空は五月晴れになっています。そして、私の話を聞いた皆さんは『広報 がんばる』と、晴れやかな心になります」。こんな図々しい言葉で講座を始めた。
 講座が終わった12時、薄日が差していた。そのことを会場に告げたら、皆さん笑ってくれた。
 参加された一人がわたしに挨拶をしてくれた。「前にお話を聞きました。今年は広報委員ではないのですが、先生がみえるということで来ました。また広報をやってみたくなりました」。
 寒川町での講座は4年ぶり。この言葉にわたしの心は晴れやかになった。参加された広報委員の心も少しは晴れやかになっただろうか。

この一週間
【No.675】 2008年05月17日

12日 秦野市P連「PTA広報技術講習会」
    本町中学校生徒会「新聞講習会」
13日 中野区教委・P連「PTA委員研修会・広報部会(第2日)」
15日 柏市P連「PTA広報紙の作り方講座」
 

この一週間
【No.674】 2008年05月10日

7日 伊勢原市P連「広報紙づくり講習会」
8日 荒川区教委「PTA広報研修会」
9日 中野区教委・P連「PTA委員研修会・広報部会」
10日 東公民館主催の「世界で一つの新聞を作ろう」講座の打ち合わせ

大型連休終わる
【No.673】 2008年05月06日

 朝から裏の木立でオオルリがさえずる。五月晴れの今朝の空に透きとおる声が響きわたる。その姿を探しに出るが、きょうもまたお目にかかれない。戻ってきてパソコンの席に着き、何気なく目の前のガラス窓に目をやった。窓から1メートルほどの所に立つ月桂樹に鳥の姿がある。ジョウビタキのメスに似ているが、少し大きい。季節からすればジョウビタキはもう北に帰っている。特長の紋付もない。イタズラっぽい大きな黒い目でこちらを見ている感じ。しばらくして飛び去る。裏の茂みからまたひとしきり「ピイーヒィーリリリ」(これは図鑑にある鳴き声の表現・私には文字では表せない)。もしかして、そう思い図鑑を開いた。オオルリのメスだった。今度は鮮やかなルリ色のオスにぜひ会いたいものだ。
 食べ切れなかった東京ネギが百株ほどすっかりトウが立っている。それを整理し管理機で耕す。キュウリやトマトの苗を植えためレーキで整地していると、ハクセキレイが1羽、私の後を着いてくる。耕された地面に現れる餌をとっているのだが、私を慕っているように思え、しばらく手を休め無言の対話をした。
 昨日のNHKの正午のニュース。大型連休のUターンが始まったことを知らせるワンカット。「もうみんな帰っちゃうの」とつぶやいく3歳くらいの女の子の横顔。そして、チラッと映った顔は涙がいっぱい。このカメラマン、いい人だと思った。
 家族でささやかな晩餐。熱燗を二本飲んだ。

5月3日
【No.672】 2008年05月04日

 K大学民俗学研究会の会員Mさんの来訪。Mさんは大学2年生で東中の卒業生。この連休中に、会員はそれぞれふるさとに帰り、伝説や民話を直接地元の人から聴き、その資料・文献を集めるという課題が出されたのだそうだ。既に集録されたものではないものを求められたので「ちょー塚のお婆」を話した。いまどき珍しいくらい礼儀正しい好青年だった。彼から「お寺のない村」を教えられた。東中にいる弟が、昨年、私の話を聞いて『道祖神の新聞」をつくったとのこと。それがきっかけでわが家の訪問になったらしい。2時間ほど過ぎたことを腕時計で確認した彼は「2時間経ちましたので」と立ち上がったのだった。私には楽しい2時間だった。
 晩酌のビールを楽しんでいるとき玄関のチャイムが鳴った。応対に出た妻が「長谷さんよ、来てください」と大きな声で呼ぶ。玄関に立っているのはお隣りのTさんだった。「エッー、帰ってきたんだ。お帰り!」。5年前、高校を終えるとすぐニュージーランドに留学したTさんだった。日本橋のホテルで働いているとのこと。日本の生活のあわただしさ、雑踏に「かなりマイっています」と笑う。「山や緑が眺められる寺山が実家でよかったです」とも言った。両親に代わって、隣組の組長の仕事である集金をして歩いているTさん。いまどき、23歳の女性が休日に実家に帰ったおり、こんなことをすること自体、信じられないことだ。
 素敵な若者二人に出会えた今日は、天候とは逆の爽やかな一日だった。

500回目の新聞講習会
【No.671】 2008年05月01日

 きのう、4月30日の毎日新聞の朝刊に5段抜きの見出し「武さんが500回目の講習会」で、私の活動が紹介された。よい写真も撮ってもらった。(『エコー』のホームページをご覧ください)午後4時から、東中でその500回目の新聞講習会。校長先生と担当の先生から「ウチで500回目の講座をやっていただけるなんて光栄です」という言葉をいただく。私なりに今日の講座も一生懸命努めたつもり。

 今日から5月、昨年一年がんばったN小の広報委員さん二人が年度最終号を持って来訪。「去年の今ごろは…」と、その活動を懐かしんでいる。なんとなく、未練もありそうな言葉もちらほら。指導してきた私としては嬉しい。PTA論など2時間ほど話す。

今年への熱い思いが伝わります
【No.670】 2008年04月24日

 文京区のPTA広報づくりの講座。6時35分のバスで出発。会場の文京シビックホールの入ったのは9時20分。
 10時から2時間の講座。参加は80名超。「アミダ、ジャンケンで広報委員になっちゃった人」との問いに、手を挙げた人は数人。「今でもできれば広報委員を降りたいですか」と尋ねる私に、笑いが会場に広がった。8割くらいは立候補で広報委員になったようだ。それだけに意気込みが感じられる雰囲気の講座になった。毎日新聞の「教育と新聞」推進本部の取材があった。
 H小のPTA広報の今年度第1号が届いた。「みちしるべの会」のイラストマップ第2弾も届く。どれからも、どなたからも、今年度の活動への熱い思いが伝わってきた。

この1週間
【No.669】 2008年04月23日

18日 広報づくり研修会 
19日 前夜から隣組の葬儀のお手伝い 
20日 甥の結婚式 
21日 広報づくり研修会 この町の講座は幼・小・中のPTA広報委員だけでなく、自治会、子供会、青少年指導団体、女性クラブ、ボランティア団体など各種団体の広報担当者も参加される。 
22日 PTA広報紙づくり講座 参加7校の内、4校のPTA会長さんが参加された。PTA広報論はPTA論でもあるのでうれしかった。
23日 PTA広報づくり研修会

いよいよスタート
【No.668】 2008年04月16日

4月15日 今年度のスタートとなる講座に、私自身、心の昂ぶりとかなりの不安感があった。教育長さん、課長さんが開会行事に参加された。たぶん受講者にもちょっぴり緊張感があったはず。広報づくりのエピソードにもあまり反応してもらえず焦る。だが、講座が終わると、例示した広報を見せて欲しい、と集ってきたお母さんたちで、ホッとした。「参考にしたいから」と、数紙のコピーを担当の職員に頼む人もでてきた。玄関先で私の車を見送ってくださった教育長さんに、ただただ恐縮するのみ。「本当に今日の話でよかったのだろうか」と深い反省をしながら帰ってきた。

シーズンイン
【No.667】 2008年04月14日

 いよいよ明日からーズンイン、PTA広報づくり講座の行脚が始まる。今年用のレジュメにもう一度目を通す。例年のことだが、いま少しの緊張感と高揚感を味わっている。
 今年新たに出かけることになったのは中野区と寒川町。他の十数会場は前年も伺ったところ。受講者の大半は新しい委員だが、主催する教委やP連の関係者は前年、いや二、三年前からわたしの話を聞いている人もいる。その人たちに、同じ話を聞いてもらうのは申し訳ない。それで新しい資料を準備した。
 明日は中井町、「伝える技術(テクニック)」はもちろん話すが、「なぜPTA広報は必要なのか」を一生懸命説くつもり。「そうか、PTA広報ってそういうもんなんだ。少し、がんばってみようかな」。そんな気持ちになってもらえたらいいのだが。

 雨上がり畑の畦からノビルを掘ってきた。生味噌で食べたい。ツンとした香りとヒリッとした味は冷たい日本酒にぴったりだ。

小原庄助人形
【No.666】 2008年04月10日

 2006/9/1の『マンスリーエッセイ』に、「旅先の東山温泉で《小原庄助人形》を探したがなかった」ことを書いた。地元・会津の人にとって、民謡『会津磐梯山』は遠いものだし、『朝寝・朝酒・朝湯』を好む庄助さんは受け入れられない。だから観光土産からも消えた、とも書いた。

 昨日、少しふくらんだ封書が届いた。開けてみると根付けが1本入っている。そして、こんな手紙が。
 「『小原庄助人形』のことを読んだとき、たしか福島に旅行したとき、サービスエリアで庄助人形を買ったとおぼえていましたが、どこに行ったのか、どうしてしまったのか分りませんでした。ところが、4月から中学生になった娘と机の中を整理していたら、引き出しからこの人形が見つかりました。2本あったので、先生に1本送ります」。
 湯船に、徳利と杯を載せたお盆を浮かべた庄助さんは、目を細めご機嫌です。でも、その庄助さんは“キティ”ちゃんなのです! 根付けのタグに「福島限定 はろうきてぃ」とありました。
 この贈り主は、秦野で開かれた全国新聞大会の速報を担当した西小PTAの丸山照美さんです。
 パソコンの上の棚に吊り下げられた“小原キティ”ちゃんは、朝からゆらゆらといい気持のようです。
 

大山道の道標の発見
【No.665】 2008年04月05日

 みちしるべの会のKさんが「道路工事で動かした宝ケ谷の石碑に文字が書いてある」と教えに来てくれた。わが家から30bほどの所、県道の拡幅工事で道祖神と天社神が土台から掘り出されていることは知っていた。だが、私の知識の中にその2基は入っていたので、とくに気にはしなかった。
 すぐに見に行った。天社神の土台の石に「右 十日市場」「左 坂本」「庭中」と読むことができる文字が記されている。今までこの土台の部分は土中にあったのだ。市の資料集にこの天社神は載せられているが、道標としての記述はない。みちしるべの会による新たな大山道の道標の発見だ。

 

4月1日 富士道を歩く
【No.664】 2008年04月02日

 8時半に東公民館に。新しい年度の始まり、館でも人事異動があり館長を含め三人の入れ替わり。その忙しい今日『古道・大山道を歩く』という事業を持った公民館。
 新しい空気と少々落ち着かない雰囲気の中で、9時から今日のオリエンテーションに入る。桜が満開、しかも富士道を歩くということなので、「コノハナノサクヤヒメと桜」の話をする。
 9時40分からウオーキング。今日の参加は32名。水神祭りをしている大津4軒組の皆さんから、今年も牛乳のテンヨセでもてなされた。水神様の水もいただく。東地区自治会長の加藤誠一さんの庭で、お茶、お菓子などをご馳走になる。昔宿屋を営んでいた野田家の庭もお借りした。地元に住んでいる私だから、こうしていろいろな人のご好意に甘えている。だから、参加者は他の地域巡りでは体験できない、その地域の人情まで味わうことができる。
 歩く先々の家の庭に、そして遠景に今が盛りの桜。改めて桜花を愛するわたしたちを知った。

たえてさくらのなかりせば
【No.663】 2008年03月29日

3月26日 小学館の『日本の歳時記』第1巻は「桜咲く」を買う。わが家も桜の『開花宣言』、予想より一日早かった。桜はほんとうに“気になる花”。業平が詠んだ「世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」、この一首のとおりだ。外に出ては見上げている。
 今年はライトアップを復活させる。バアちゃん、ジイちゃんに見てもらいたいから。こんな気持ちになったのは、早朝の『NHK俳句』で、ゲストの落合恵子の介護の話を聞いたから。間もなく最期を迎える母を抱いて、彼女は「もう一度私を生む?」と聞いた、という。

3月27日「先生、前に話していた資料が手に入ったから」と重富さんが、『秦野市の寺社建築』を持って来てくれた。2月2日に書いた「雪中行のご当人がこの重富さん。4月1日の『大山道を歩く・富士道を歩く』に、早速使える。
 瑞宝双光章を授賞された相原宗由・美智子ご夫妻が、授賞記念に出版された『出会う旅』をもって来訪。「石」「鳥」「花」「俳句」の4つ旅のエッセイ集。ご夫婦での旅のようだ。

和田中のPTAの廃止
【No.662】 2008年03月27日

 寺山の桜 今日で二部咲き。日記を読んだSさんから次のようなメールが届いた。
 
 1万2千字には驚きました。600字で22校分、全紙に目を通し切り口を変えて書くのですから、どんなにか大変だったことでしょう。しかし、『そのお陰で、今の学校の課題や子供たちの環境を紙面から読み取ることができるし、それらの課題に対してのPTA広報の果たすべき役割のようなものを考えることもできる貴重な機会を与えてもらっている。』との言葉。直ぐ浮かんできたのは3月23日の毎日新聞(朝刊)の下記の記事です。
 『公立学校初 PTA廃止』『「地域本部」が支援』の見出しでリードには『進学塾講師による有料受験対策「夜スペシャル」を実施している東京都杉並区立和田中(藤原和博校長)が来年度、PTAを廃止することが分かった。保護者は、地域住民らボランティアで構成している「地域本部」に参加し、「地域全体で生徒を支える仕組みにしたい」(藤原校長)という。公立学校のPTA廃止は全国でも例がなく、新たな論議が起きそうだ。』とあります。PTA活動を見直し、新しい形を模索していくに当たって、先生のお考えを。

「和田中のPTAの廃止」についての私の感想。
 細かいことは分からないので、感想を述べるのは難しいが、「保護者は、地域住民らボランティアで構成している地域本部に参加し」という部分を読むと、「子供を育てる権利を放棄させられた親たち」と思ってしまう。PTAは、保護者と教職員が子供のことを考え、話し合い、行動する会です。PTAの活動が鈍っているから他の方策で、はマイナス志向ではないか。

ウグイス 桜 1万2千字
【No.661】 2008年03月24日

 朝飯は6時50分ごろ。数日前から、裏のモチの垣根できれいにさえずるウグイスの声を聞きながら、である。
 気になる庭の桜の蕾に目を凝らすと、昨日からの雨で蕾の先端がわずかだが白くなっている。わが家の桜の開花宣言は27日ごろになりそうだ。
 今日、秦野市内22PTAの広報紙の講評を書き終えた。
 1校600字程度。まとめると1万2千字ほどになる。冊子になるので、同じ切り口では書けない。しかも、年度のまとめだから“甘辛両刀”で…。と言うことで、全紙に目を通すさなければ書けない厳しい仕事。だが、そのお陰で、今の学校の課題や子供たちの環境を紙面から読み取ることができるし、それらの課題に対してのPTA広報の果たすべき役割のようなものを考えることもできる貴重な機会を与えてもらっている。


今日から「市内PTA広報紙展示会」
【No.660】 2008年03月17日

 昨日は9時30分から秦野市PTA広報紙コンクールの審査会。審査員はP連の会長、それに今年P連便りの発行に携わった情報委員など10名。22PTAの今年度の全発行号を読んでの審査。賞が決まったのは午後4時過ぎ。年間13回発行(A4判で総ページ数96)の本町中の『丹沢の風』は圧巻。文句無く「最優秀」に選ばれた。
 今年の市内のPTA広報のがんばりを発行回数から見れば、『丹沢の風』の他にも、西小の『西のいぶき』の9回、『西中PTAだより』と鶴巻小の『いっぽ』が7回、渋沢小『しぶしょう』と南が丘小の『南の風』も年間6号を発行している。市内の発行回数の平均は5号をはるかに超える。
 審査会の後、ジャスコの催し会場で「市内PTA広報紙展示会」の展示作業をした。この展示会にコンクールの結果も発表されるということで、5時ごろ早くもA小の広報委員長のTさんが姿を見せた。にぎやかに、はなやいだ雰囲気で展示が終わったのは6時過ぎ。

 ジャスコでの「PTA広報紙展示会」は20日まで。ご来場をお願いします。そして今年の秦野のPTA広報のがんばりを褒めてあげてください。

 春 間近か
【No.659】 2008年03月15日

 59歳にして地方議員になった教え子の一久さんが訪ねて来た。(この日記の07年7月2日参照)発行した『後援会だより』を見せに来てくれたのだ。第2号だった。A4判2ページのオールカラー。新聞ソフトを使っての制作。けっこう“イイ出来”(失礼かな)。基本に沿ったレイアウト。見出しもかなり工夫されている。「写真をもっと大胆に使おうよ」とアドバイス。
 実は一久さんを教えた頃の私は、学級新聞は作っていなかった。だから、広報・新聞類の発行は彼にとっては初めてのこと。同級生が催した当選祝いの会の席で、私は「活動報告をしなければダメだよ。後援会報を出しな」と勧めた。「年間3号を目指す」と言って帰っていった。
 『みちしるべの会』の横山さんが、ロードマップ「路傍の神仏・田原地区編」の原画を見せに来てくれた。注文すること全く無し。これに浦田さんのシャープな解説文が付く。
 4月1日、30名ほどがこのマップに導かれて歩く。たぶん桜も咲き始めるているだろう。案内する私も楽しみ。

送辞の中に「新聞作り」が
【No.658】 2008年03月11日

 東中学校の卒業式に出席した。5.6年前から「学校協力者」として卒業式へのご案内をいただいていた。だがずっと失礼していた。
 今から43年前の1965年3月10日、まだできあがっていない体育館で卒業式が行なわれた。その年の卒業生は3クラス、114名。A組の担任は今福浅司先生、B組は奥津心一先生、(お二人とも他界されている)。そしてC組が私だった。「卒業生退場」の言葉と共に重い鉄の扉が開けられた。その瞬間、式場内に小雪が舞いこんできた。その光景が鮮明に残っているこの体育館での第1回の卒業式だった。その体育館での最後の卒業式が今日なのだ。 式中、申し訳ないが体育館の隅々に眼をやった。体育館ができた年から始まった文化祭の演劇コンクール。劇の背景を吊るした木製の美術バトンがまだ残っていた。クラスで上演した劇が浮かんできた。N、T、Y、O、Kなどの笑顔も。
 式が進んで「卒業生を送る言葉」が述べられた。「東中新聞、学級新聞作りの伝統を守り、後輩たちに引き継ぐことを約束します」という一節があった。
 「日本広し」と言えど、卒業式の送辞の中で「新聞作り」が語られるのは秦野市立東中学校しかない。
 

秋田・羽後町の出身のAさん
【No.657】 2008年03月06日

 秋田・羽後町の出身のAさんの母校である明治小学校が3月31日で閉校する。その閉校記念式が3月1日に開かれた。家庭や仕事のこともあったのだが、両親にも会いたいので思い切ってその式典に出かけていったAさん。そのAさんが、きのうこんな話をしてくれた。
 「故郷があるのに、学んだ母校がなくなってしまうのは寂しい。今まで感じなかったけど、その日の式典や懇親会の中で学校が地域の中でどれほど大きな存在であったのかを知った。PTAの役員も一般会員も、学校のためにならという心は全く同じだということを感じた」。
 会場に展示された過去の卒業文集を手にしたとき、突然思い出したことがあった、とAさんは言った。「先生、私、4年生のとき新聞をつくったのを思い出したんです。模造紙に新聞を書いたんです。秦野に来てから新聞をつくるようになったDNAは明治小学校にあったんです」。
 「昨年なくなった叔母の葬儀に出られなかったので、実家で西国三十三番の御詠歌を墨で書いて仏壇に供えてきました。実家での一日はそれで終わってしまいました。今年の雪は平年並みかな。軒の高さはあったけど」と微笑んだAさんだった。

22名の情報委員へ贈る言葉
【No.656】 2008年03月05日

 年間4回広報を発行してきた秦野市P連の情報委員会の反省会に出席した。そこでこんな挨拶をした。

 家庭、職場そして単Pのトップレディを務め、さらに市P連の情報委員としての一年間、大変厳しい一年間だったことでしょう。だが、大変だったからこそ、この委員会での活動から得たもの大きかったはず。
 『情報委員会だより』第9号の発行を通じて、《知る権利》《表現の自由》について大切なことを学んだ。大きな収穫もあった。それは、もし情報委員になっていなければ、ここにいるような素晴らしい21人との出会いなかったということ。
 『動かなければ出会えない』は私の生活の基本姿勢の一つ。広報づくりのときどきに話した「記事は足で書く」と同じこと。一年間の広報づくりで、そのことを体験した。
 「春はやって来るのではない 自分から春になるのです」。これは20年ほど前の、あるデパートのキャッチコピーだ。
 これから始まる新しい一年、何かを待っているのではなく、自分から動き、よい出会いを求め、何かを求め続ける、そんな一年にして欲しい。
 ほんとうにご苦労さまでした。お疲れさまでした。

新聞コンクールの表彰式に出席
【No.655】 2008年03月02日

3月1日 
 毎日新聞東京本社で開かれた全国小・中学校・PTA新聞コンクールの表彰式に出席。この日招かれたのは北は北海道・苫小牧、南は宮古島と文字通り全国からの37校。秦野からは東中が学校新聞で、そして本町中はPTA新聞で招かれた。
 このコンクールは学校、学級、学習、PTA広報の4部門で行なわれ、今年度は28,790点の応募があった。総理大臣賞から奨励賞まで、4部門での入賞総数は204、秦野は4つの全部門で15紙が入賞。とくにPTA広報の部の入賞総数52の内の8紙を占めるという快挙。(詳しくは「秦野の新聞教育」のページで)
 PTA広報の入賞校の委員と言葉を交わしたが「来年またここに来ます」と元気な言葉が3校から聞かれた。

古道・大山道を歩く
【No.654】 2008年02月27日

2月26日
 東公民館の「団塊世代支援セミナー『古道・大山道を歩く』NO1」の講師を務めた。雨が予報より遅れていたので、予定通り実施。私を含め総勢24名の参加。
 9時から1時間「大山信仰と大山道」について話を聴いてもらう。そして10時から歩き始める。 今まで10回ほど今回のような講座をもったが、今日の参加者がもっとも反応が良く、歩きながらの質問や話しかけがたくさんあり、案内し甲斐があった。
 「才戸」と呼ばれる場所で「イザナギ・イザナミの国生み」の話をした。「成り成りて 成り合わざる」の一節をちょっとトチッタたら、さっとフォローしてくれた女性がいた。
 2時30分に公民館に戻り、それから終りの座学「金目川の金目とは」を30分もつ。万歩計によれば9600歩ほど歩いたらしい。「元気ですね」と褒められたが、それは一緒に歩いてくれた23人のおかげ。
 
・第2回『古道・大山道を歩く』は4月1日午前9時〜12時
・参加希望の方は3月1日午前8時30分から東公民館で電話で受付け


田原を歩く
【No.653】 2008年02月18日

 昨日は『まほら秦野みちしるべの会』の2月例会。フィールドワークで東田原、西田原を3時間歩いた。飛び入りもあって15人の参加。
 田原城という、あまり知られていない山城の地形を確認した。今も生活に使われている湧水が3カ所あった。何より嬉しかったのは、江戸時代の大山詣での街道で宿屋を営んでいた野田家、和田家の人が参加してくれたこと。両家にとって、今回のことがそれぞれの家の歴史を見直すことにつながりそうだからた。
 天気がよくて、気持ちよく歩けた。1万歩くらい歩いたらしいが、今朝はまだ筋肉痛は出ていない。年寄りには数日後にその影響が出るらしいが。

2月14日 柏市P連の広報講座
【No.652】 2008年02月16日

 柏市のP連に招かれ広報講座を持った。2月中旬、多くのPTA広報は年度最終号の編集の真っ最中、あるいは既に入稿済みだろう。だからこの時期の講座の内容は難しい。「一年の活動を終えて」がテーマで、今年度発行された広報紙を評価することを中心にした講座。次年度の活動に役立ように課題を与えることもしたいのだが、間もなく任期が終わる委員に辛口批評は気が引ける。ご苦労様を込めて褒めることだけで終わりたいのだが、それもまた私の性格からはできない。結局、いつもどおりの姿勢で紙面クリニックをした。
 9時半から12時までが小学校で当日参加も含め25紙。中学校の部が13時30分から15時まで。だが、午前の部は終了後45分間質問を受けた。午後も40分オーバー。質問者の何名かに「次年度も広報をやってください」と言うと、かなり前向きな言葉が返ってきた。これだけの時間、PTA広報論を語らせてもらえたのは幸せなこと。 
 柏駅前でお手伝いしてくださった方々と反省会。快い疲れと冷酒の酔いでうとうとしながら23時近くに帰着。

西田原を歩く
【No.651】 2008年02月11日

2月10日
 朝9時、加藤さんと待ち合わせ西田原を歩く。「歩く」と言っても、加藤さんに案内してもらったということ。
 谷戸と池端の湧水が流れ出ている場所を3カ所。そこは今も生活に使われていることが分かる風景を作っていた。途中、猿田彦や男女双体の道祖神も見た。その双体道祖神は、道祖神には似つかわしくないところ、谷戸の集落の裏山に上る坂道に祀られていた。たぶん、道路改修や宅地の整理などでこの地に運ばれてきたのだろう。道祖神がどういう神であるのかが理解されていないことが寂しかった。小さいが、とても品のある地蔵さんに出会えた。今週末、再会できるのが楽しみだ。
 西田原には「田原城」があったと推測されている。その地にも立った。「ここに城が在った」といえば、そのように見える地だった。
 江戸時代、旅籠を営んでいたという野田家を突然訪問してしまった。家主は東中での教え子。奥さんと大学生の娘さんからも、その家の昔について話を聞かせてもらった。娘さんは高校時代に「わが家の祖先」という社会科のレポートを書いていた。それを貸してもらった。明治14年刊行の田原の地図を所蔵されていたのでそれも借りた。玄関先の古い梅の木が野田家の歴史を物語っていると思った。
 野田家を去るとき、「先生、10月は同窓会だから必ず出席してくださいよ」と念を押された。楽しい半日だった。

Yさんの雪中行
【No.650】 2008年02月05日

 午後4時ごろYさんが訪ねてきた。Yさんからは秦野の民家や城郭、地名などの資料をもらっている。今日もまた、2種類のリーフレットを持ってきてくれた。
 「仕事中なのに」と恐縮する私に「今、塔ケ岳からやっと下りてきたところ」と笑う。聞いてみると、昨日の丹沢のの雪を見て、急に山に行きたくなり塔ケ岳を目指したらしいが、尾根道は腰までの雪でラッセルもままならず、塔ケ岳で泊まらざるを得なくなったとのこと。それで奥さんに、「今日は下りられないから」と電話したら、ひどく叱られたらしい。ここ二、三日の雪山での事故のことを思えば、家族の心配は当然だろう。
 材木店経営のYさんは、学生時代から山歩きが好きで、山小屋の建築も手がけている53歳。月に一回くらいは山登りをしないと気力も体力も鈍ってしまうと言う。「雪化粧の丹沢を眺めたら登りたくなった」と話す笑顔がいい。とにかく無事に下ってこられたのはよかった。煤ケ谷に置いてきた車が地元の人たちの心配の種になっていなければいいのだが。

節分
【No.649】 2008年02月04日

2月3日 
 気象とは不思議なものである。テレビでは各地の降雪を映し出しているのに、秦野は冷たい雨。そんな中、『みちしるべの会』の会長の横山さんが訪ねて来てくれた。『みちしるべ』という名のように、会の活動は「大山道」の道標を調べて歩き、そのイラストマップ作ること。その第一弾の「蓑毛・寺山編」の原案を持って来てくれたのだ。2月26日に行なう「古道・大山道を歩く」に間に合うように作ってくれるらしい。京都出身の横山さんが、このように秦野に心を向けてくれることがとても嬉しい。
 横山さんが言う。「今日は節分ですね。先生、何か行事をなさるのでしょう?」。「ええ、母の喪が2月1日で明けたので、豆まきだけはします」と私。
 夕方、「福は内!」と小声で唱えながら撒いた。「鬼は外」は言わない。
池上本門寺は「福は内」だけだそうだ。自分の心の中にいる鬼を追い出すのではなく、その鬼を修行によって仏に変えることに務めるのが仏教だから、とのこと。 私の心の中にいる無数の鬼を、一匹でも変えることができるのだろうか。いったい何に変えようと努めたらいいのか、それが分からないから、変えようがない私。だから、またこの一年、私は鬼に支配されながら生きていくのだろう。

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