- 寺 山 だ よ り -

弥生3月 春の到来
【No.1291】 2017年03月03日

2017年3月3日
 
 弥生3月 春の到来である。

梅の里・越生町からフキノトウが送られてきた。2015年2月、越生の道祖神に会いに行った折、知己を得た仲紀子さんからである。その時も仲さんから採ったばかりのフキノトウを両の手のひらからこぼれるほどいただいた。
 小包の包み紙には「岩激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」と「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出立つ少女」の版画があった。
 仲さんへのお礼状に自作四句を添えた。
  小包は越生の女のふきのたう
  陽光を香に変へてふきのたう
  蕗味噌の一椀があり夜の膳
  口中にさみどりの広がりふきのとう

「エコー」の読者・守屋喜久男さんが西洋タンポポの苗を持って来てくれ、植える場所も教えてもらった。

 確定申告の書類を提出。マイナンバーの記入が義務付けられたたが、その点検もなく受けとってくれた。

全国新聞コンクールの結果
【No.1290】 2017年02月20日

第66回(2016年度)全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果(秦野市関係のみ)
主催 毎日新聞社・毎日小学生新聞・全国新聞教育研究協議会

◇学校新聞の部 
 優秀賞・全国新聞教育研究協議会賞  秦野市立東中学校
 努力賞  秦野市立南中学校

◇学級新聞の部
 佳 作  秦野市立東中学校1ー2

◇PTA新聞の部
 優秀賞・全国新聞教育研究協議会賞  秦野市立東中学校PTA
 佳 作  本町中学校PTA
 努力賞  西中学校PTA 南が丘小学校PTA 南中学校PTA 堀川小学校PTA 本町小学校PTA 南小学校PTA 北中学校PTA
 
 東中学校は三部門、南中学校は二部門の入賞。「新聞づくりの秦野」は健在。

快気祝いの会
【No.1289】 2017年02月18日

 「先生の快気祝いをしますから」と言われていた日。11時50分にSさんが運転する迎えの車が来た。 
 その車はまっすぐにカラオケ店に進入。予約しようとした料理店が休みなので、「先生、申し訳ないけど食事会は又別の機会に。お弁当をスーパーで買ってきたので、それを食べながらカラオケしましょう」とYさん。二人は25年前のPTA広報委員。その年の全国新聞コンクールで「最優秀賞」を受賞した主要メンバー。
 カラオケ店で持ち込みの弁当を食べたのは初めて。一人4曲、12曲歌ってお開き。アルコールのない快気祝い。こんな快気祝いもイイ!。
 私の歌ったのは「津軽慕情」「江差追分風のまち」「岬めぐり」「よせばいいのに」。

“おおやまみち”まちづくりサミット in 伊勢原
【No.1288】 2017年02月12日

2月11日
 第5回「“おおやまみち”まちづくりサミット in 伊勢原」が産能大を会場に開かれた。「みちしるべの会」はこのサミットには第1回から招かれて参加している。この日は5名で参加。
 主催は伊勢原市で周辺の市の首長さんによるシンポジュウムがこのサミットのメイン。テーマは「“おおやまみち”の歴史を共に後世へ」。だが内容は「観光」に偏ったようだ。〈来て、見て、知って〉「大山を訪ねてくれなければ大山の良さは分からない」これは確かだろう。だが「大山道の歴史」を後世へ伝えるために必要なことは、大山を知ることから始まる。
 官のリードが必要なことは当然なのだが、市民の活動がその元にならなければ次世代へつなぐことはできない。「ふるさとを知り、ふるさとを愛し、ふるさとを育てる」、まず大山の歴史や民俗を地元市民に知ってもらう、広めることが大切なことだと思う。

40万アクセス
【No.1287】 2017年02月11日

2017年2月11日
 寺山も雪が少し積もった朝である。
 このホームページへのアクセスが今暁40万を数えた。2000年10月8日オープンなので一日平均60アクセス。年間を通してアクセスの多い月は6、11、2月。そしてそのアクセス先は「教育広報相談室」の『PTA広報づくりなんでも相談室』。今年も2月に入ってから100を超える訪問が続く。

全国新聞コンクール 東中の快挙・ダブル受賞
【No.1286】 2017年02月10日

 今朝の毎日新聞で発表された第66回(2016年度)全国小・中学校・PTA新聞コンクール(主催 毎日新聞社・毎日小学生新聞・全国新聞教育研究協議会)で、秦野市立東中学校の学校新聞『東中新聞』とPTA広報『ぎんなん』が共に優秀賞・全国新聞教育研究協議会賞を受賞した。この親子でのダブル受賞はまさに快挙。「新聞づくりの東中」の面目躍如たるものがある。嬉しい。

立春
【No.1285】 2017年02月04日

2月4日
きょうから春。気候もきょうは春のようだ。その陽気に誘われ、促され、半年も眠っていた「まほら秦野みちしるべの会」と「道祖神のまねきにあひて」のブログを更新した。しばらくぶりの作業なので手順をすっかり忘れ悪戦苦闘。だが何とかアップができ、心も春になった。

 キーボード打つて寒明け確かめり  勝美

あらためて思う「私は支えられている」と
【No.1284】 2017年01月30日

1月21日(土)から1月29日(日)の日程で、「まほら秦野みちしるべの会」創立10周年記念事業「古道大山道」のイラストマップ展示会を本町公民館で 開いた。加えて会員五名によるミニ講座を21・22・29の三日間開講した。(1月21日・「秦野市内の道祖神祭り」横山信子 ・「秦野市内の大山道」田中嘉津明 1月22日・「京の都にちなんだ曽屋村の地名」小山田静夫 ・「里人のソフトウエア〈暦〉」田村尚武)
私は29日「花嫁も医者も通った坂本道」と題して寺山地区に残る道祖神、道標などの石造物とそれらにまつわる民話や地名の紹介をした。
 展示室の片隅で行う講座・パイプ椅子を持ち込むという本当のミニ講座・だったが、この日は20数名が聴きに来てくれた。Hさんご夫妻(鶴巻中学校に勤務していた時代の保護者)は90歳のお母さんを連れてご来場。A、K、Sさんは10年ほど前のPTA広報委員、Yさんは現役のPTA会長、生まれた地の歴史や民俗などを調べ、新聞にして地域に配っているOさん(30号を超えている)。昨年まで中学校の校長先生だったFさん。ツイッターで私のことをつぶやいてくれているMさん、Z市の生涯学習課のNさん、東公民館の講座「道祖神ワンダーワールド」で出会った6名。西公民館でのダンゴ焼きの話を聴いてくれたお母さんの顔もあった。
 こうして書いてみるとリピーターが多い。改めて思う「私は大勢の人に支えられている」、力を貰っている、と。
 

「秦野を知り、秦野を愛し、秦野を育てる」集いのご案内 
【No.1283】 2017年01月19日

 「秦野を知り、秦野を愛し、秦野を育てる」集いのご案内 

 1月21日10時から 秦野高校の地域公開講座で「秦野の道祖神」の講座を持ちます。問い合わせ先 同校千村先生 0463-77-1493  


「まほら秦野みちしるべの会」創立10周年記念事業
 「古道大山道」イラストマップ展示  1月21日(土)〜1月29日(日) 会場 秦野市立本町公民館

 1月28日午後2時より 
   創立10周年記念講演 「大山まいりと先導師」 講師 第37代先導師・佐藤 大住氏  
        先着30名 問い合わせ先 0463-72-8002 横山 
  まほら秦野ミニ講座
   ・第1日 1月21日午後1時30分より 
     その1「秦野市内の道祖神祭り」横山 信子 
    その2「秦野市内の大山道」田中嘉津明  
   ・第2日 1月22日午後1時30分より 
     その3「京の都にちなんだ曽屋村の地名」小山田静夫 
     その4「里人のソフトウエア〈暦〉」田村 尚武
   ・第3日 1月29日午後1時30分より 
     その5「花嫁も医者も通った坂本道」武 勝美

  ご来場をお待ちいたしております。

ダンゴ焼き・トッケダンゴ
【No.1282】 2017年01月16日

1月14日
 異年齢女性交流会に招かれ、10時から西公民館での「道祖神のダンゴ作りの会」に参加。30、40歳代のお母さんたちが、60・70代の主婦から子育てや料理などを学んだり、地域を歩いたりして交流しているのがこの会。
 この日は小学生5人(男の子も2人)とお父さんも一人加わり総勢16人。赤、白、緑のダンゴを作りダンゴ飾りをした。そしてダンゴのお汁粉の会食。その後私が紙芝居「目一つ小僧」を公演。16人のうち秦野生まれは3人。「目一つ小僧」や「とっけだんご」の話は興味深く聴いてもらえた。
 午後3時から清水自治会の「ダンゴ焼き」に出かけた。今年は土曜日なのでにぎやかなダンゴ焼きができた。お汁粉、甘酒、お神酒がふるまわれ、子供にはお菓子も。このダンゴ焼きの行事は、自治会の懇親会とも言える。これからもずっと続けたい行事。
 4時にあずま荘に出向く。清水子供会と東ノ原子供会は毎年「ドンド焼きの会」を行っている。8年前からこの会に呼ばれ道祖神祭り(トッケダンゴ)の話をしている。今年は「チーム竹の子」の関智子さんが「目一つ小僧」の紙芝居を。私は清水・東ノ原の道祖神「久奈斗大神」について話した。古事記をベースにした内容なので小学生向きに話を作り替えた。参加者は30数名。こちらも盛況。「道祖神の里めぐり人」としては嬉しいこと。

槙嶋くーん がんばって
【No.1281】 2017年01月04日

1月3日
 妻に届いた年賀状の中に「今年は放送センターで箱根駅伝の実況放送を担当する」と書かれているものがあった。教え子の文化放送のアナウンサー槙嶋範彦さんからである。
 それで三日、二宮町山西の信号脇で応援することにした。今回はランナーだけでなく槙嶋アナウンサーの応援もするのだ。民放のラジオでの駅伝の放送は文化放送がキーステーション。槙嶋君は二日間レースの実況を担当している。
 ランナーの間が大きく空いているところで槙嶋君が乗っている放送車が来た。妻は「槙嶋くーん がんばって」と車道に踏み込んで大声。警備の人が走ってきた。回りの観客は「選手が走っていないのに、このおばさん何?」という冷めた視線を送ってきた。
 でも槙嶋君に妻の声援は届いたはず。多分沿道の観客から、名前を呼ばれ「がんばって」などと応援されるなんてないだろうから。もちろん、妻は母校の選手の名前も叫んだが…。
 帰りの車の中で「今年の駅伝は楽しかった。知り合いに声を掛けられるなんて教師冥利に尽きる」と妙に明るいのだった。異様なフィーバーの箱根駅伝。それだけに走ることができる選手や家族の感激は量り知れないものと、妻のこの日のはしゃぎぶりから知った。

年男
【No.1280】 2017年01月02日

2017(平成29)年1月1日 
 午前5時、今年の「あきの方」は『壬』・北北西の方角なので二階の窓を開ける。6時から家の神・五柱(天照大神、氏神の建御雷神、恵比寿、大黒、荒神)の神棚、そして仏壇に灯明を灯しお雑煮を供える。お神酒は年越しの昨夜上げてある。秦野地方の雑煮は里芋、大根と角餅。
 天照の神の膳には箸を4膳。この供える箸の数は「卯の日上がり」といって新年になって最初の卯の日に合わせる。今年は初卯は4日。
 神仏に新年を迎えてもらったら、家族で祝い膳を囲む。食事の後、膳を下げ「鏡餅」を上げる。今年は田中さんから但馬の丸餅をいただいたので、それを「鏡餅」にした。
 正月の三が日の神様・仏様の夕食は炊き立てのご飯。これも五カ所に上げる。この神仏への祝い膳の上げ下ろしは、三日間「年男」が行う。わが家では30年来、私が年男である。

今年最後の講座
【No.1279】 2016年12月21日

12月20日
 「JAはだの」の組合員基礎講座「秦野の郷土文化を学ぶ」にでかける。
 この講座を担当して今年で7年目。今年は「大山と秦野盆地の暮らし」と題して 1 秦野と葉たばこ 2 双体道祖神発祥の地・秦野 3 秦野の道祖神祭り・トッケダンゴ、三つについて聴いてもらった。話の中で「男女双体道祖神では、男神が女神の左側に立つ。左と右では左が上位。根拠について知りたい人は講座終了後、私のところに来てください」と伝えた。 この日の受講生は50名ほど。一人の女性が回答を求めに来てくれた。
 年配の男性が「ウチの自治会では今まで1月14日にドンド焼きをしてきたが、14日が平日だと子供を含め参加できない人が多くなってきている。なぜ1月14日がドンド焼きの日なのかが、今日の話でなんとなく理解できた。帰ってみんなに伝え、実施日について考えてみる」と帰っていった。
 この講座で私の今年の講座は終わった。今年は途中入院・手術などで5カ月間のブランクがあったので「新聞・広報づくり講座」は13回、「道祖神ワンダーワールド」や「大山道を歩く」などの講座が8回。

買い物難民
【No.1278】 2016年12月14日

 私が生まれ育った秦野市寺山は昭和30年までは神奈川県中郡東秦野村寺山清水だった。寺山「清水」は村の中心地で、今も幼稚園、小学校、中学校、郵便局、農協支所がある。
 その寺山にはかつて五軒の商店があった。「宝作」に@『藤棚・高橋八郎酒店』、A『新店・シンダナ』又の名を「萬ちゃんち」、「竹ノ内」にはB『水野商店』、ここは「栄ちゃんち」とも呼ばれていた。いずれも生活雑貨の店で、酒、タバコ、味噌、醤油、砂糖なども商っていた。他に「清水」にはC『露木商店』とD『中村商店』が在り、小学校の通用門の向かいで学用品や駄菓子などを並べていた。
 これら五店の中で「藤棚・高橋八郎商店」以外は10年ほど前までに看板を下ろしていたが、「藤棚商店」はコンビニに衣替えして営業を続けてきた。寺山の住民にはこのコンビニの存在はありがたかった。だがそのコンビニも11月21日に閉店した。
 コンビニのオーナーから「先生、悪いけど11月20日で店を閉めるから」と告げられた日、偶然目にした光景が忘れられない。タバコを買った先客の女性 ― 私と 同年齢くらいだった ― が、駐車場の隅で私に背を向け、しゃがみこんでタバコをくゆらせていた。その後ろ姿から、「この店が無くなったら、唯一の楽しみであろうタバコを手にすることが出来るのだろうか」との思いが浮かんできた。
 「買い物難民」という言葉は知っていた。寺山の住民はそれが現実になった。この日から寺山の住民にとって最寄りのコンビニは1km先になった。食料品が目玉のスーパーは2kmと離れている。
 寺山には『藤棚』と『花小路』というスナックもあった。食堂の『正美屋』は30数年前に暖簾を下ろした。それに取って代わるかのように「宝ヶ谷戸」に鉄板焼きの店がオープンした。だがその店名が記憶に残らないほどの短期間で店仕舞いした。

 “当て振り” 「花も嵐も 踏み越えて」
【No.1277】 2016年12月04日

12月3日
 元秦野市教育長内藤美彦先生と永久のお別れ。11月6日の出版記念の会でのご挨拶をお願いしたのだったが、それは叶わなかった。
 明るい、大きな声で子供たちに親しまれていた。告別式で出会った内藤先生の教え子二人の言葉。「特に、理科の授業は楽しく、クラスの皆が目を輝かせて授業を受けた」。
 小学校の先生だった内藤先生とお近づきできたのは、先生の後任として教職員組合の役員をしたからである。今から40年前・1971年、私が取り組まなければならなかったのは主任制反対闘争。始業時間に食い込む集会を何度も構え、実力行使(ストといわれる)もした。
 何度も内藤先生の助言・助力をいただいた。疲れ果てた私を、時には小料理屋に誘ってくださり、飲みながらということもあった。ある日、内藤先生は“当て振り”に興じられた。その歌は「旅の夜風」♪花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道♪ カラオケなど無い時代だった。アカペラで歌ったのはS先生と私。10人で満席になるような小さな店。先生はコンクリートの土間で ♪花も嵐も 踏み越えて♪、と障害物を踏み越えるさま。今思えば励ましの舞いだったのだ。祭壇の遺影とそのときの“勇姿”が重なり合った。
 「豪放磊落」に見えながら心はしなやかだった。「エコー」を含め、私の生活をいつも暖かく応援してくださった。ありがとうございました。
 200を超える教員や教え子たちが別れを惜しんだ。

祝250号  『エコー』よ 響きわたれ       内藤 美彦
『エコー』250号、おめでとうございます。これまでの長い年月、心に潤いを与えてくださったことに、深い敬意を表すると共に感謝の気持ちでいっぱいです。
 『エコー』ははね返ってくるものです。いつも、紙面には快い反響が聞かれ、多くの人が武さんと結ばれていることを感じます。これはひとえに、武さんの人を愛してやまない人柄からくるものであります。愛は人の悲しみ、苦しみ、願いを温かく包んでくれるのです。その人間愛で紙面が飾られていますから、心が打たれるのです。心に響くたくさんの記事がありました。
 忘れられない一つに、「塩ジャケの弁当」の話があります。薪山で食べた父の弁当箱に、一口の米の飯と鮭が残されていて、それが子供の楽しみであった、という話でした。父親のさりげない心遣い、それを喜ぶ子供に、家族の原点を感じるのです。私にも、60数年前に、祖父との間に同じことがあり、たまらなく懐かしい思いがするのです。今の人にはきっと理解できないと思います。それを、記事としてまとめられた武さんに、限りない優しさを見いだすのです。
 そして、その優しい眼は、真贋を見極める確かなものでもあります。あたりのよい、いかにももっともらしいものに眼が潤むことなく、しっかりと見破るのです。それは238号の「言葉は力 言葉を増やそう」が証明しています。
 作文で、一行の文でも800字に負けないくらいの楽しさを読みとるという教師に感激した親御さんに(こうした言葉に人は酔いやすいのです)、学習の意味について説いておられました。ひと言が人の心を揺り動かすことはあります。しかし、ここでの教師はことの本質を掴んでおりません。それを指摘され、真実を述べられたのでした。 こういった武さんと、「エコー」の読者は強い糸でつながっています。それが、さらに読者同士も結ばれ、意見交換ができると楽しみが増します。こだま(エコー)は大きいほど魅カがあります。生きている喜びがこだまとなって響き合う世の中でありたいです。そのためにも、『エコー』のさらなる発展を期待してやみません。
 

活動再開宣言 「道祖神の講座」
【No.1276】 2016年11月24日

 11月23日の13時30分から「はだの雑学大学『道祖神ワンダーワールド・秦野の道祖神』」(主催 秦野市市民活動サポートセンター・会場秦野市保健福祉センター)の講座を持たせてもらった。参加は57名とか。主催者は「キャンセルは一人も無し。申込者全員出席は珍しい」と喜んでいた。
 道祖神をテーマに話をするのは初めてなので〈行き先不明〉になるかも知れないので、講話のシミュレーションを何度も重ねてきた。
 会場に入るとあちこちに知り合いの顔が見え、笑顔を送ってくれる。「みちしるべの会員」「エコーの読者」などで、後で確認したら19名の知人が聴講に来てくれた。そして妹夫婦が入室してきたときは「エー!」
 演台には豪華な花籠。付いているメッセージカードには「元気になられて良かったです。次回は聴きに行きます。R」とあった。
 私自身、今日の講座を「活動再開宣言」と密かに決めていたので、こうした皆さんの支援・声援に応えなければ、という思いが一層強くなった。それなのに最後の「目一つ小僧」の紙芝居は時間切れで上演できなかった。ああ……。
 主な質問 「道祖神は誰が、なぜ祀ったのか」「道祖神という神は誰なのか」「道祖神は子供を守る神だというがその理由は」。
 参加されたMさんがツイッターで私の講座のことを書いてくれた(下)。Mさんはとこの日初めてお会いした。Mさんは日本石仏協会幹事のNさんを同道されていた。

 11/23 道祖神に導かれこの世界に入られた武勝美先生は、全国の里巡りを初め、先般「道祖神ワンダーワールド」と言う書籍を出版された。その後、体調を崩されたが、現在は元気を取り戻し、再び里巡りを再開されたとの事。今日は道祖神に纏わる講座を拝聴し、元気なお姿ご尊顔を拝す。

興味のある方 ご来場を
【No.1275】 2016年11月19日

 武勝美の講座のご案内

  講 座  第五回はだの雑学大学
  主 催  秦野市市民活動サポートセンター
  日 時  平成28年11月23日(水) 13時30分〜15時
  内 容  「道祖神ワンダーワールド・秦野の道祖神」
  会 場  秦野市保健福祉センター 
  対 象  申し込み制
  電話受付 秦野市市民活動サポートセンター 0463-83-1763

この会に入って良かった
【No.1274】 2016年11月07日

11月6日
 「まほら秦野みちしるべの会」の『創立10周年記念誌』発行と私の『道祖神ワンダーワールド』の出版の合同祝賀会を開かれた。その会に菅原澄子さんからメッセージがとどいた。
武 勝美 様 武先生おめでとうございます。  秦野は新聞教育でも日本一 !新聞の花が咲き揃い、他の地域への広がりも見事です。このたびの御出版で、益々秦野の輝きに魅力を覚えます。武先生、みちしるべの会員のみなさま、奥様、ご子息様、心よりお喜び申し上げます。
 道祖神の取材にも並大抵ではないお心配りとご苦労がわかり、一体一対、それぞれ貴重な道祖神に見えてきます。心を込めて取材され、昔の人の心に触れ、地域の人とも仲良くし、輪が大きく広がっていきます。読者もこの輪の中に入れる喜びは最高です。全国の皆さんにも、「秦野を知り、秦野を愛し、秦野を育てる」この魅力ある取り組みを知っていただき、ふるさとづくりのお手本になればと願っています。
 《まほら秦野》が次世代にしっかりと引き継がれ、益々愛される秦野へと発展されることでしょう。
 “富士山が望める”千葉県市川市から、今日のよき日を心からお祝い申し上げます。 全国新聞教育研究協議会参与  菅原 澄子

 新聞教育支援センター代表の吉成勝好さんからもお祝いのメッセージが届いた。
 会場には秦野市長、県議、教育委員会、小・中校長の他観光協会など各種団体の方が出席してくださり、お祝いと励ましの言葉をいただいた。会員のAさんが言った。「この会に入って良かった」と。それらの言葉から「秦野を知り、秦野を愛し、秦野を育てる」という私の思いはいっそう強いものになった。

霜月
【No.1273】 2016年11月02日

11月1日
 11月のホームページの更新の作業。一方で6日に開く記念誌の出版記念祝賀会の準備も進める。会の進行について横山さん、田中さん、横溝さんとの打ち合わせをした。ただ電話とメールでの話し合いなので意思疎通が十分できたかどうかが心配。 この祝賀会では私の「道祖神ワンダーワールド」の上梓も祝ってもらう。ありがたいことだ。記念誌をお届けしたKさんから「よい仕事をなさった」とお褒めの電話をもらった。
 午後6時からT家の通夜に。Tさんは享年100歳。母が病床についたとき、毛糸の靴下を編んで見舞いに来てくれた。ご家族の話では亡くなる直前まで靴下を編んでいらっしゃったらしい。合掌

あきたこまち
【No.1272】 2016年10月17日

 「あきたこまち」が大仙市の佐藤隆昭さんから届いた。昨年四月、大仙市の道祖神を訪ねたとき、いろいろと話を聞かせてくれたのが佐藤さん。(『道祖神ワンダーワールド』86Pにその話を載せた)
 夜、お礼の電話をした。今年は雨の日が多くコンバインが田んぼに入れないので収穫が遅れたらしい。「それで《しょうきさん》の着替え(新藁を使う)をようやく先週終わった」ので、その藁の米を送ってくれたのだ。「美味しいから味わって下さい」。とも。米作農家は一休みの時。まもなく冬を迎える準備が始まる。
「あきたこまち」を美味しくいただける幸せ。感謝!

十三夜
【No.1271】 2016年10月13日

今日は十月十三日 旧暦では九月十三日。「十三夜」である。
庭から一本ススキをとり(庭にススキが生えるようでは廃屋に近い)、畑からサツマイモを掘り出し、月餅を買ってきた。他に豆腐、かぼちゃも供えた。
「十三夜」は「栗名月」とも言われている。栗が実る時期だから。ところが我が家の栗は九月初旬が収穫の最盛期。九月十五日は「十五夜」。「十五夜」は芋名月。
それでウチは「十五夜は栗名月」であり、「十三夜は芋名月」となる。
 今日は寒い。雲は厚い。温め酒を飲み「観月の宴」としよう。

きょうから10月 
【No.1270】 2016年10月01日

10月1日 きょうこんな暖かいお手紙をいただいた。

 先生のご著書、大変興味深く読ませていただきました。武田久吉氏の「路傍の石仏」以来の喜びの出合いです。 
 私は栃木県の寒村の生まれで当年74歳です。子供のころに「まゆ玉(赤白)」を母か作ってくれ、木の枝にたくさん刺して座敷に飾ったこと、そして「ドンド焼き」の火にあぶってほおばったことなど懐かしく思い出しました。
10年くらい前、近所の石材店の社長さんに「野仏」に興味があると話したら、修行時代に彫った道祖神が妻の実家にある、譲っても良いとのこと。早速購入し我が家の小庭の築山に祀りました。以来、我が家の守護神になっています。先生の解説によるなら「男女双体・酒器像」です。(スケッチを添えました)
 五十年以上「登山」を趣味としておりますが、行く先々で路傍にたたずむ野仏に手を合わせますと心が豊かになります。 今後とも元気でご活躍下さいますように。 河原 昭夫 拝

【No.1269】 2016年09月28日

9月27日
 相変わらずの5時起床。この季節だと夜はまだ明け切らない。金木犀の香りがかすかに漂っている車で買い物に出かけた。県道に面した民家のの玄関先に彼岸花の寄せ植えの鉢が出ていた。十数輪の花は見ごろだった。。百舌の猛りは不十分だが秋の到来を告げる。隣の小学校の校庭から「ソーラン節」の元気の良い掛け声も届く。今年の「ソーラン」は途中「ヨサコイ」が挟まっている新曲のようだ。「ソーラン」と「ヨサコイ」をおどるとは、贅沢! 昨日の夕食、ダイコンオロシをふんだんに添え気仙沼の秋刀魚をいただく。千葉から大きな「新高」も届いた。秋たけなわ、それなのに今日は夏日。

今朝の朝日新聞
【No.1268】 2016年09月17日

9月17日
今朝の朝日新聞に「Katsumi In 道祖神ワンダーワールド」が紹介された。私の「道祖神の里めぐり」が余すことなく書かれている。山本記者に心からお礼を申し上げたい。これで「里めぐり」を継続したいという思いがますます強くなった。
 秦野にも丸髷の双体像があることを最近知った。県北の津久井地方にも珍しい道祖神がいくつか祀られている。伊勢原の文字碑道祖神もおもしろそうだ。体力と相談しながら出かけたい。

道祖神の本を預かる 
【No.1267】 2016年09月04日

9月2日
 大井町のIさんが「『道祖神ワンダーワールド』を読みたい」と来訪された。私と同世代のIさんが話す子供のころのドンド焼きの思い出は、私のものと完全に重なるものだった。
 今、Iさんは自分の生まれ育った地から消えてしまったもの、きえる恐れがあるものを再生させる活動をしている。消えてしまった文字碑道祖神を自らの手で刻み造立した。矢倉沢往還の道標も設置。更に「神の椎ノ木守」と称して氏神様の森の保護に力も注いでいる。
 そのIさんが「石造道祖神」についての書籍を私に預けると言う。いずれも本格的な道祖神研究の書で、昭和38年に刊行された「信州の道神面と戯謡」宮田嵐村著から平成13年に上梓された「双体道祖神めぐり」三橋光子・佐藤藤正までの7冊。53年前から発刊された道祖神についての貴重な書・資料である。
 たくさんのことを学び、楽しむことができる時間ができた。同時に、また私を「道祖神の里めぐり」に駆り立てる強烈な刺激になっている。

「倉渕公民館だより」が届く
【No.1266】 2016年08月18日

8月17日
 高崎市倉渕公民館から館報「倉渕公民館だより」8月15日号が送られてきた。その中に「図書室より」のコーナーがあり、『道祖神ワンダーワールド』が写真入りで紹介されている。
石造道祖神の宝庫・倉渕町はまちづくりに道祖神を活かしている。毎秋に行われる公民館主催の「道祖神めぐり」には県外からも同好者が集まってくる。このツアーを案内するのは倉渕中学校の生徒。倉渕の中学生が「ふるさと・倉渕を知り、倉渕が好きになり、倉渕を育てる」―― まさに「まち起こし」の実践の好例である。私の本が少しでもお役に立つのならうれしいこと。

千羽鶴
【No.1265】 2016年08月10日

8月9日
 6月に心臓血管外科の手術・大動脈弁と僧帽弁の置換手術・を受けた。そしてきのうで二カ月が経った。その昨日、兄妹4人全員が私の新聞作り講座「夏の思いでを壁新聞に」に参加したN家のお母さんが千羽鶴を折って持ってきてくれた。「先生が以前のように元気になって新聞作りができるように」という願いの千羽鶴。上は専門学校生から下は小学6年生の兄妹4人、そしてお母さんはPTA広報作りに今年も関わっている。そんなN家が総出で折ってくれたのだ。感激、そして感謝。
 この年齢になると、私を取り巻く人たちや自然界に抱擁され、私は「生かされている」ことをひしひしと感じているのです。

喜悲こもごも
【No.1264】 2016年08月04日

8月3日
庭続きの畑は菜園。昼食の後、見回りに行ったらスイカがカラスに襲われているのを発見。今年は中玉が四つ実った。その中の一番大きなものがやられた。中の赤い果肉がほじられている。朝「そろそろ食べごろかな」と思った。それがカラスに伝わったのだ。去年はこんなことは起こらなかった。今朝のタウン紙も報じているが、この夏、秦野の農作物の鳥獣による被害は大きいらしい。ウチでもトウモロコシにハクビシンが来る。お盆の《馬》にしようと、取るときを計算していたキュウリもかじられた。秦野市のメロディチャイムは夏になると「七つの子」に変る。この日も夕方5時に「カラスなぜ鳴くの」が流れた。「何で《カラス》なんだよ。カラスがいい気になるじゃないか」と八つ当たり気味の私。
 そして夕食、ガラス戸越しに垣根に目をやったら、ユウガオが大きな花を開いていた。しかも二つ。これは嬉しい発見。
「喜悲こもごも」の我が家の夏のある一日。

なでしこジャパン
【No.1263】 2016年08月02日

7月31日
夕方、Yさんと娘さん・Mimiさんが来訪。広島で行われているインターハイに応援に行ったので、と紅葉まんじゅうを持ってきてくれた。
Mimiさんが学ぶ高校は女子サッカーの強豪校で、この夏は関東大会を制している。広島でも準々決勝まで勝ち進んだ。Mimiさんは「まだBチームなので応援です。往復夜行バスで疲れました」と笑ったが、疲れは見えなかった。「三年生は引退だからいよいよ出番だね。ポジションはどこ?」と聞いたらフォワードとか。ストライカーとして期待されているらしい。「秦野の市の花は《なでしこ》。4年後の《なでしこジャパン 》のメンバーに入ろうよ」と私。

きょう8月1日から「日記」再開
【No.1262】 2016年08月01日


※きょう8月1日から「日記」再開


7月30日
朝9時、山北町に住むNさんが酒匂川の鮎をもってきてくれた。昨日の夕方の釣果だそうだ。「今年は生育が悪くて大きなのは上がらない。だから川はけっこう空いています。ドブ釣りはもう終わりです」。そんな情況なのに20尾も。
 夕食に塩焼きでいただいた。毎年、この時期に開かれる或る懇親会に鮎が出る。その鮎は丸々と肥えている養殖もの。このNさんのは小ぶりだが身が引き締まっていて、適度な歯ごたえで美味。
 今日は「土用の丑の日」。酒匂川の天然モノの鮎でこの夏は乗り切れる。冷えたビールも鮎の味をいっそう引き立ててくれた。

7月28日
 知人のFさんが『道祖神ワンダーワールド』を手に来訪。書中の「身延町(P54〜58)}の項を読み、旧下部町の『道祖神めぐり』をしたい。それで事前に私にいくつか尋ねたいことがあると訪ねて来てくれたのだ。
 この項「地名『久那土』と子育て双体道祖神」は、車で参拝する順路を記している。私自身も、かなり充実したしかも分かりやすいコース紹介ができていると思っている。そのコースを実際に走り道祖神に会ってくれるFさんの出現は嬉しい。「紅葉の頃、この本とカメラを手に回ろうと思っている。行って来たら報告に来ます」とFさん。

広報講座は一休み
【No.1261】 2016年06月01日

6月1日
 座間市でPTA広報講座。先月27日に続いての第二日目の講座。お父さん委員の姿も見えた。帰り際、教委の担当者から「参加された方から『楽しかった』とお礼を言ってもらえました。ありがとうございました」と伝えられた。「新聞って楽しい!」というような話をしたので、この言葉はうれしかった。
 昨夕、東中から、5月11日の学級新聞づくりの講座で挑戦した『一人新聞』が10紙届いた。先週は第一陣として3紙が届いている。一年生がこのように新聞づくりに取り組んでいるのは頼もしい。
 4月14日から始まった今年度の講座は今日で14回を数えた。これでしばらくはお休み。

《学ぶ》は《真似ぶ》
【No.1260】 2016年05月11日

5月 9日 
 湯河原町吉浜文化会館で「PTA広報紙づくり講座」足柄下郡湯河原・真鶴・箱根町の小・中学校PTAから40数名の参加。 ここの講座は毎年、明るく、おおらかな雰囲気で終わる。会場の目の前は吉浜海岸、この日はサーファーがたくさん出ていた。
 帰って「道祖神ワンダーワールド」を校了とした。校正を重ねれば重ねるほど、記述不足・不正確さが見えてきて書き換え、あるいはその項全文差し替えなどしてしまった。こんなことをしていたら本にならない。

5月 7日 
 藤沢市教育委員会・市P連の「PTA役員研修会・広報委員会コース」。終了後、質問相談が5校。スマホで他校紙を撮る人が多い。「学ぶ」は「真似ぶ」に通じる、参考にしてくれたらいい。私にとっても充実感をもらった会。

5月 6日 
 伊勢原市P連の「PTA広報紙づくり講習会」中央公民館。参加は年々増えこの日は150名ほどの参加とか。昨年度の広報委員Hさんが激励に来てくれた。帰り際、「きょうの話を聴いて中学校で広報を作ってみたいと思うようになった。書きたい、取り上げたいテーマが見つかった」とにっこり。こういう言葉こそまさに《励まし》。

4月27日 中井町教育委員会の「広報づくり教室」。

この四日間
【No.1259】 2016年04月22日

4月21日
 午後6時から「まほら秦野みちしるべの会」の28年度の総会。13名の出席で82%の高出席率。総会後に編集が進行中の10周年記念誌に寄せた各人が自分の原稿の最終校正をした。

4月20日
 市P連主催の「PTA広報紙づくり講座」の打ち合わせを情報委員会の正副委員長さん三人と。このお三方は昨日に続いての来訪。「昨日の今日では、大変だろうな」と思った。だが意欲、気力は十分。これに私もしっかり応えなければいけない。

4月19日
 市P連の新旧情報委員会の三役が挨拶にみえた。「道祖神ワンダーワールド」の二校を渡す。三校もお願いした。

4月18日
 海老名市教育委員会の「広報づくり講座」。社会教育団体にも参加の呼びかけがあり、100名を超える出席者。終了後の場内に『余韻』を感じた。主催者の4名が聴いてくれたことは嬉しかった。

私も“シーズン・イン”
【No.1258】 2016年04月15日

4月14日
 広報づくり講座はきょうが今年度のスタート。大井町教委の主催。幼・小・中のPTA広報委員、自治会、福祉の会、子供会など地域の各種団体の広報担当の人たちも出てきてくれる。30数名の出席。質問が3。終わってからも相談が。
 帰りがけに生涯学習課長さんから「大井町の道祖神」というリーフレットをプレゼントされた。発行日は平成28年3月。
 昨年のこの講座で「大井町の道祖神」の話をした。(自治会の広報紙に「どんど焼き」の記事があったので) それを受けて編さんされたのだ。“道祖神大好き”の私にはとても嬉しい出来事。
 6月上梓予定の『道祖神ワンダーワールド』は二校に入っている。この本には、大井町の道祖神も採り入れている。読んでもらわなければ。


4月13日 
 私もシーズンイン。「みちしるべの会」の5人で「大山道」を案内して歩く。
 「古道・大山道を歩く(東地区寺山)」― 路傍の神仏を訪ねて
  主催:秦野市立東公民館  協力:まほら秦野みちしるべの会
  日時:2016年4月13日9時〜15時  参加者:総勢で21名
 コース
 東公民館→ 波多野城址→ 双体道祖神→ 地神塔→ 才戸石碑群→ 双体道祖神→ 大山道道棟→ 松下家(古民家)昼食・ミニ講座→ 武邸の屋敷神→ 道祖神(久奈斗大神)→ 清水湧水池跡碑→ 地神塔→ 大山道道標→ 西の久保偉湧水→ 馬頭観音群→ 度申塔→ 束公民館・まとめの講座
                                  
 私の担当はミニ講座「寺山の地名 ・てふ塚のお婆 ・タコーチ山」
    まとめの講座「金目川は加奈比可波」
      現地説明「地名から波多野城の所在地を探る」「武邸の屋敷神4基」
  
 東地区在住の教え子が二人参加してくれた。きょうがきっけで「秦野の歴史や民俗」に目を向けてくれたらと思い、「一緒に勉強しよう」と声をを掛けた。          

今年度最後の「PTA広報づくり」の仕事
【No.1257】 2016年03月29日

 今年度最後の「PTA広報づくり」の仕事。Z市の広報紙コンクールの審査。審査員は6名で最終責任は私。16紙の参加。オールカラーの業者印刷もあれば自校印刷も。予算も最高20万超から16000円とまさに千差万別。PTA広報紙の使命はかなり意識されたものが多い。全紙、子供の写真の掲載についてはかなり神経を使っている。発行日が学期末に集中しているのは少々残念。

彼岸
【No.1256】 2016年03月21日

3月20日 彼岸の中日。朝は小豆飯。従兄弟のKさんか墓参りに来る。「ずーっと、おじいさんとおじさんに線香を上げに来ていない。それが気になって」と言う。7年ぶりの来秦である。墓前に缶ビールとカップ酒を供えたKさん。「酒飲みの話」に花を咲かせた二人だった。

 芹薺都会にもある故郷の香 
 新聞の「俳壇」で見つけた40年来の新聞教育の仲間・鈴木さんの作品。
 この一年ほど会っていない。それで嬉しくなり電話を入れた。喜んでくれた。だが俳句の話は少しで、今の新聞教育への鈴木さんの思い入れを聞かされた。鈴木さんは新聞づくりの実践家、今も中学校の教室で新聞づくりの講座を持っている。「子供たちが作った新聞によって学校・教室がどう変ったのか。それが検証できないようなこのごろの学校・学級新聞を嘆く。同感!
「今年は200冊読破が目標」と言う。この日も図書館に行ってきたようだ。

3月11日 忘れてはいけない 風化させてはいけない
【No.1255】 2016年03月11日

3月11日
東日本大震災の日から五年が経った。

新聞の「歌壇」に掲載された半杭螢子さんの歌
2010年6月 原発十基立つわがめぐり新幹線も通らぬ町に黙深く住む    
2011年   わが町はチェルノブイリとなり果てし帰るあてなき難民となる
2016年3月 きさらぎの夜空を照らす満月は住民ゼロ町富岡照らすや
      二十年住み慣れし家荒れ果てて原発避難の五年の哀し

きょう発行されたPTA広報『西のいぶき』は『自分の命、守れていますか』の見出しで「今日で五年 東日本大震災」の記事を書いた。

 『ECHO』329号に私なりの「3月11日 忘れてはいけない・風化させてはいけない」を記した。そしてきょう発送。

啓蟄
【No.1254】 2016年03月07日

 3月5日は「啓蟄」。
 裏の畑がが黒土になった。トラクターが褐色の畑を走り回り、黒土が広がっていく。そのトラクターの動きを追うように、あるいは避けながら、カラスが10羽ほど耕された土の上を歩き回っている。掘り返された土から出てくる収穫し忘れた落花生の実を拾っているのだ。白セキレイはどうやら這い出てくる虫を狙っているらしい。
 この日、私の部屋の窓に「カメムシ」が付いているのを発見。そして6日もまた一匹。「啓蟄」である。
 農事暦に「啓蟄・虫が這い出るころ」が取り入れられているのは、単に虫が動き始めるという意味ではない。今朝の新聞のコラム欄に「昆虫がわが国の農業にもたらす利益は4700億円と試算されている」とあった。春になって虫が動き出してくれるから、青虫が蝶になり触媒してくれるから植物の実りは得られるのだ。カメムシは稲作には害虫だが。
 さて、私もそろそろ起き上がり、這い出そう。ウチの畑にはもう緑が敷き詰められている。昨夕の食卓にこの春三回目のフキノトウの味噌和えが登場した。

ダウン
【No.1253】 2016年02月11日

2月9日 
 朝から悪寒。JAの一泊二日の研修の日だったのに、残念。このところ10年くらいは体調不良での“ダウン”はなかった。
 昨日の新聞俳壇の「死ぬときの言葉を思う日向ぼこ 石原美枝子」に惹かれていたいたので、何もしないで「日向ぼこ」。句の心を私なりに理解した。
 午後は床の中。それでいて夕食のときビールを飲む。(イジキタナイ!)。苦い ― これは体調不良のサイン。

2月11日
 第65回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果が新聞発表された。秦野市関係の入賞は
・中学校学校新聞の部 
  優秀賞・全国新聞教育研究協議会賞  東中学校
・PTA広報の部 
 優秀賞・毎日新聞社賞      渋沢中学校PTA   
   優秀賞・全国新聞教育研究協議会賞 西小学校PTA

 お棚納め  豆撒き
【No.1252】 2016年02月04日

1月31日
 きょうは「お棚納め」の日。夕方、神棚、仏壇に灯明を灯し、温かい白いご飯を供える。
 明日2月1日の朝、物置、車庫、耕耘機、ガスボンベ、水道の蛇口、はた織り機など20カ所あまりに飾られたお正月のしめ飾りをすべて取り外す。
 たまたま帰ってきた長男が「きょうはばあちゃんの立ち日だよね」と言った。

2月3日
 インフルエンザの予防接種で、掛かりつけの医院に行った。
 血圧を測ってくれるいつもの看護師さんが、「先生、広報でいろいろお世話になりました」と突然言った。話してみたら、お隣の市の中学校のPTAの広報委員さん。春と秋の講座に出席したとのこと。「12月に出した号を作りました。広報づくりって大変だけど、やってみるとけっこう楽しいですね」と笑顔。
 風邪の患者が多く3時間かかってようやく病院を退出。帰宅は7時過ぎ。きょうは「節分」。大急ぎで豆撒き。神棚に灯明を上げ、五合枡に大豆と落花生を盛り、小声で「福は内 病気は外」。「恵方巻き」はわが家にはなじまない。秦野には「恵方巻き」という風習などなかった。

まとめのとき
【No.1251】 2016年01月30日

1月28日 
 「JAはだの」の組合員講座の閉講式に列席。年間6回の研修を終え、修了証を受けた組合員は70余名。私はこの講座の一コマ{秦野の民俗・大山道と盆地の暮らし」を担当している。

1月26日
 全国新聞コンクール・PTA広報の部の入選7紙の講評を書き終えた。1紙に800字の評を7本書く。講評は作品集に掲載されるので、似たような内容・文にならないように書くのだが、なにしろコンクール上位入賞の各紙だから、これはけっこう大変なこと。この講評書きも今回で9年。「私のPTA広報論」が、これら入賞紙の紙面に見えることは「講評が読まれていること」と思い、今年も精一杯がんばって書いた、つもりだが。

1月21日
『道祖神ワンダーワールド』の原稿を片桐さんに渡す。「人生のまとめの一つ」と思っている。上梓は4月の予定。手にできるその日を楽しみに待とう。

 ワンダーワールド
【No.1250】 2016年01月21日

1月19日
 市内22小・中学校のPTA情報委員会の研修会。きょうは「秦野の民俗・ダンゴ焼き」の話をする。この会も今回で7年目。一時間の話のあと質疑。秦野市外出身の数人から、それぞれのふるさとの「どんど焼き」の話をきかせてもらった。

1 市内八沢に住むAさんの今年のダンゴ焼きの話。
「ちょっとしたオムスビくらいの大きさのダンゴを“取替えダンゴ”で食べた。一個でも食べきれないのに、二人と取り替えたので、それは大変。でも、がんばって食べた。楽しかった」

2 ご主人の実家が山北町のBさん「道祖神祭りの日はにぎやか。花車が出る。ドンドン焼きと言っているみたい。主人はその日は必ず実家に帰る。そして花車の引き子をする」

3 Cさん「私は高崎の出身。倉渕町の近く。ウチの方でも『ドンドン焼き』と言っている。大きな斉灯を立てて燃やした」

4 実家が栃木県益子町のDさん「“サヤド”というところで生まれた。『道祖土』と書いて『サヤド』と読んでいる。どうしてそんなふうに読めるのでしょうか。きょう、話を聞いて思い出しました。実家の前に道祖神がある。たしか双体・お坊さんのだと思う。ドンド焼きもやっていると思う。母にメールして写真を撮ってもらい送ってもらう。先生に上げます」
 私の答え「『道祖土』を「サイド」と読んでいるところがある。さいたま市緑区道祖土(サイド)。道祖神のことをサイノカミと呼ぶところもある。そこから『道祖土=(サイド)』が生まれたのだろう。〈サイ〉がなまって(転訛して)〈サヤ〉になったのではないか」T

 今年の年賀状の中に「昨年、先生から聞いた“目一つ小僧”のお話を、今年は園児にしてあげようと思います」があった。差出人は前年度情報委員Kさん。


1月20日
 「まほらの会」のYさん来訪。昨夏転居した峠地区のダンゴ焼きに参加した話を聞かせてくれた。
「お団子を刺した木を三本もって、三カ所の道祖神さんに供えにいった。子供たちが神主さんを務めているのでお賽銭を上げる。『〇〇円が相場』だってご近所の方が言われたのでポチ袋で用意して行った。年配の方から昔のダンゴ焼きの話をきかせてもらった。ダンゴを刺す木は、庭にある梅・樫・柳などいろいろだった。ダンゴ焼きを知らせる太鼓の音は“テコテコ松っあん テコ松っあん”言われればそう聞えたけど、意味が分からない」。

 私にとって道祖神は“ワンダーワールド”。

道祖神
【No.1249】 2016年01月16日

1月13日
 大根公民館の「大根地区史跡散策」の案内を「まほらの会」で担当。私は「秦野の道祖神祭り・トッケダンゴ」について話す。この日の参加者は20名。興味深く聴いてもらえた。
 夜ダンゴ作り。コナラの枝に刺し神棚、荒神さんに飾る。他家は14日にダンゴ作りをするが我が家は13日。ずっとそうだ。
 
1月14日 
 午後3時ごろ、竹が燃えて爆ぜる音が聞えてきた。ダンゴ焼きの始まり。自治会の役員や年配の男性10数名が火床を作っている。薬缶の日本酒で「お清め」をする。3時半頃になると女性や子供たちがダンゴを持って集まってくる。火が燃え盛る中、お汁粉、甘酒がふるまわれる。アマチュアカメラマンがそんな光景にカメラを向けていた。
 4時半、地域の集会所「あずま荘」に行く。今年も清水・東の原子供会の母子30数人に「トッケダンゴ」の話をする。道祖神についての民話「目一つ小僧」の紙芝居は、今年は子供会の役員が上演してくれた。これで確かに道祖神祭りは次代に引き継がれていく。嬉しいことだ。「さようなら」の挨拶をし、玄関で靴を履いていたら、一人の女の子が出て来て「お忙しい中、お話に来てくださってありがとうございました」とお礼をいう。どう見ても低学年の子、その言葉は嬉しかった。それにしても今の子供っておもしろい。

1月15日
 「きょうが最後の取材」、そう言って西地区と上地区の道祖神の写真を撮りに行く。堀山下、堀西、菖蒲の4ポイント。ところが堀山下の八幡宮は社殿改修のため道祖神に近づけなかった。昨日ダンゴ焼きを行った形跡が二カ所で見られた。 
 道祖神が一カ所に集められることは、保存という点からは良いことと思うが、「オラホーの庭の道祖神」という意識が薄れてしまうのではないか。埃まみれ、苔まみれの道祖神が幾体か見られた。 

苦境
【No.1248】 2016年01月12日

1月11日 
 午後1時から記念誌編集委員会。予定しているすべての原稿がそろったわけではないが(締め切り日に全員が原稿を書き上げるなどというのは奇跡に近い)、校閲を始めることにした。
 編集中の記念誌は、記念というより研究発表の書なので、そこで使われている用語は正確で、統一されたものでなければいけない。たとえば「坂本通り」なのか、それとも「坂本通」と書くのか、そうしたことの統一性から始めた。
 読者をあまり意識せず、執筆者の強い思いいれで書かれてしまう解説文は再考してもらうことにした。「まほら秦野」を次世代に引き継ぐという願いの書であることを十分意識し原稿を読み進めた。
 この種の書の編集作業は大変な作業であると知った。「編集作業は佳境にさしかかっている」などという表現は完全に誤り。はじめから「苦境」である。

年の初めの一週間
【No.1247】 2016年01月07日

1月2日
 テレビで駅伝を見ながら年賀状の返事を書く。
 年末の新聞の投書欄に「届いた年賀状を手に考え込むようになってきた。ほとんどを印刷にして、とりあえず一言を添えたようなもの。子どもや家族の写真と、自分の近況だけを知らせる文章……ちっともうれしくない。出すのが慣習だから書いているんだろうなと感じられるものが多くなった。」という年賀状論があった。
 私は思う、一言だけの添え書き、家族の写真、近況報告、いいじゃない、どれも嬉しい。いただくだけで嬉しい。どんな賀状でも、そこにはその人の生活が記されている。生きているよ、って近況報告してくれるのは私のことを心に留めていてくれる証し。
この年齢になれば、私の存在を認めてくれる人がいることはとってもありがたいこと。

1月3日
 箱根駅伝の観戦。いつもの場所、二宮町山西の三叉路。そこには道祖神が四基立っている。今年は赤と黄色の「センリョウ」が飾られていた。私はその道祖神さんと同じ位置・石組みの壇の上から声援。他の応援・観戦者とは違う高さに立つ。
 帰りに平塚市上吉沢の道祖神も訪ねる。四基の双体道祖神、いずれも剥落が著しい。簪を挿している女神はどんなお顔なのだろう、“残念!”。

1月4日 
 「今年の正月のカレンダーは最悪」と言われている。今日4日が月曜日、第一週から“フル稼動”なのだから。私も“フル”、9時15分から歯の治療。なにしろ元旦に歯科の休日診療所に行ったのだから。なんとしてもしっかり治療してもらいたいのだが。年齢なので完治は望めそうもない。今年も〈週一〉で通う。 

1月5日
 暮れに送られてきたPTA広報紙の講評を書く。今日は5紙。まだ10紙ほど残っている。普段の生活に戻らなければいけないのだが。

1月6日 
 初詣は厚木の長谷寺・飯山観音。ここは妻の佐藤家の菩提寺。境内の一角に佐藤家の墓がある。その墓地の背後の桜がもう開花していた。それも一輪、二輪ではない、昨年の今日は見られなかった。

1月7日
 春光や今は裏路地道の神
 暖かい日差し。「七草粥」を神仏(神棚、大年神、恵比寿・大黒、荒神さん、仏壇)に供える。10周年記念誌の原稿の最終の手入れ。その原稿を午後Iさんに届ける。帰りに平沢の道祖神・秦野で二番目に古い(1683年)・に会いに行く。

今年最後の講演は東中で
【No.1246】 2015年12月17日

12月16日 
市P連情報委員会に出席。11月に発行された「P連だより」第106号の反省会。「言葉・文字で思いを伝えることの難しさを実感」「見出しで記事を読ませる、ということを知った」「『いじめ』の特集を組んだがプライバシーも気になり、取材がむずかしかった。」「発行部数一万という数に、編集者としての責任の重さを感じた。怖いと思った」「苦しんだけどみんなで話し合うことでそれを乗り越えた」「充実した時間を過ごせた。新聞づくりは楽しかった」。

12月15日
 東中学校一学年の「総合的な学習の時間」で授業。年三回の最終回は「秦野の民俗行事・ダンゴ焼き」。地域の方の聴講も呼びかけてあり数名の参加があった。この日は学区内の道祖神を映像で紹介もした。
 寒村に暮らす人たちは路傍の神仏にすがるしかなかった、という江戸時代の生活ぶりについて話した。
 今日の授業で今年の私の講座は終了。

二神降臨型の道祖神が群馬に
【No.1245】 2015年12月14日

12月10・11日
 「道祖神の里めぐり」に出かける。訪れたのは茨城県結城市、群馬県板倉町。第二日目は群馬県太田市、高崎市箕郷町。箕郷町(みさとまち)にはサルタヒコとアメノウズメ像の道祖神(二神降臨型)が三基在った。この型は伯耆地方独特のものと思っていたので〈新たな発見〉である。
結城紬の工房、渡良瀬遊水地、蔵の街・栃木市、さがみ湖イルミリオンも訪れた。

悼む 高橋一郎君
【No.1244】 2015年12月05日

 教師になって初めて送り出した卒業生の一人が高橋一郎君だった。
 日本経済新聞の記者になったときにくれた手紙の内容を私は忘れない。「新聞記者を仕事として選んだことを先生は喜んでくれると思う」と書いてきた。
 新採用で赴任した玉川中学校には学校新聞がなかった。それで一郎君たちと「玉中新聞」を創刊した。
 彼の力で「日経」に私の著書「新聞づくりは仲間づくり」を紹介してもらったこともあった。(1992年1月13日 付け『BOOKS』欄)
 退職後は玉川に戻り農業に勤しんでいた一郎君は、時々早朝七時ごろ我が家に現れた。手には小田原の魚市場に上がったばかりの魚があった。
 新聞記者の宿命なのだろうか、彼もまた酒には強かった。酌み交わす酒の中で、彼は地元に介護施設をつくるという夢を語っていた。
 高橋一郎氏(たかはしいちろう=日本経済新聞社社友、元東京本社制作局写真情報部長)11月30日、虚血性心不全のため死去、68歳。

“ふるさと散策”は雨で中止になったけど
【No.1243】 2015年11月15日

11月14日
 西公民館を拠点に活動している「異年齢女性交流会」から「まほらの会」に「ふるさと散策」の案内をしてほしいと頼まれた。
だが生憎の雨、それで“地図上のウオーク”に変更。会の横山会長が歩く予定のコースの野仏や社寺の紹介をした。私は「路傍の神仏・馬頭観音碑、道祖神碑、庚申塔」の話。
 30代から60代のお母さんたち12名の会。この会は月に一の集まりの日に“おばあちゃんの手料理”を一緒につくりながら「子育て」のアドバイスももらうという会で、この日は年に一度の外に出る活動の日だった。 若いお母さんの4人はPTA広報委員のOG・懐かしい顔だった。
 年配のお母さんMさんから「今も庚申講をやっている」との話。そして夜、今日のウオークを企画したAさんから電話があった。帰って実家の親に馬頭観音の話をしたら「近くに特別な馬頭観音が在る。そこは昔草競馬が行われた場所で、その記念の馬頭観音さんだ」と教えてくれたとのこと。「それでその情報を先生にお知らせします」とAさん。雨で座学になってしまったが、興味深い話が聞けてよかった。

大山の本拠地で「大山道」の講演をするとは
【No.1242】 2015年11月14日

11月13日
 伊勢原市立大山公民館の「郷土の歴史講座」で「大山古道・富士道を歩く(秦野市東地区)」の講師を務めた。もらった時間100分で話したこと。@「富士下向」矢倉沢往還から富士道、A羽根尾道から坂本通 B紙芝居「目ひとつ小僧」の上演。
 20名の定員。「まほらの会」がいろいろお世話になっている「阿夫利睦会」の磯崎会長と会員も聴いてくれた。「まほらの会」からも5人が応援に来てくれた。
「大山」の本家・本元、地元で「大山」のことを話すのは怖かったが、秦野サイドからの大山ということに徹して話した。終わって質問が三つでたが、その中で「大山寺」についての新たな情報をいただくことができた。私にとっては充実した時間だった。

社会科の先生の前で
【No.1241】 2015年11月12日

11月11日
 秦野市中学校社会科部会に招かれ「まほら秦野」の講演を東中で。講演の中身は@大山と盆地の暮らし、A秦野の地名、B秦野の道祖神祭り・ダンゴ焼き、と私の引き出しをすべて空にした感じの2時間。かつての同僚、佐藤さん、谷さん、津田さんの顔も見えた。「来てくれたのだ」と心が熱くなった。
 専門の先生方の前で話せと言われたとき、光栄と思ったが、躊躇の気持ちのほうが強かった。だが「次の世代に伝えたいものが私にもにもある」なら、その一つでも先生方が拾ってくれたらと壇上に立ったのだ。

感謝状をいただく
【No.1240】 2015年11月11日


11月7日
 中野区立中学校PTA連絡会の「広報講座」。今回でこの講座の講師を降りることになった。
 2008年から8年間、20回「中野ゼロ」に出かけた。 はじめの三年間は夜の開催。午後6時半から9時という結構ハードなものだった。
 「体力的・時間的にも無理」と講師の辞退を申し出たら、四年目から「土曜日の午後1時半開会で」と変更になり、継続することになった。
 それからはロマンスカーの先頭車両の最前列に席をとり、おにぎりをほおばりながら大山など車窓から景色を愛でる小さな旅になった。
 この日の講座が終わり、会長の井戸田さんが閉会の挨拶をされたが、その途中で思いがけないことが起こった。私への感謝状の贈呈式になったのだ。現・前・元のP連役員19名の寄せ書きも添えられた。気がつけば10名ほどのお父さんが会場の後部に立っていた。
 驚きと感激。土地柄というのだろうか、いつの講座でも、受講者の反応は良く、言いたい事を言わせてもった。このセレモニーがその“象徴”。

二大プロジェクトに苦闘
【No.1239】 2015年11月05日

11月4日
 「エコー」のHP今朝更新。今 二つの大きなプロジェクトを抱え苦闘している。一つは「まほらの会」の10周年記念誌。今まで見てきた道標や野仏など再確認の作業を全会員で行っている。写真もすべて撮りなおし。会員はそれぞれ自分の学んだことをエッセイにまとめることになっている。原稿の締め切りは12月末日。
 PTA広報講座を7日に中野区で持つ。これが今年最後の講座。

記念誌づくり 佳境に
【No.1238】 2015年10月15日

10月14日
 かわじ荘のデイサービスで「まほら秦野」の話をさせてもらう。上地区の地名や苗字の由来 道祖神について話す。地名「三廻部」は「ニクルベ」の転訛、秦野の道祖神の特徴は僧形合掌像、など。紹介した各地の道祖神の写真は好評だった。30数名の出席。上地区の暮らしについて、こちらも学ばせてもらった。

10月13日
 7名による記念誌編集会議は8回目。この日から写真の選定に入る。1枚のイラストマップに20地点の説明写真を載せる。その選考。今日は3枚のマップの60枚を選んだ。正味3時間の会議。
 
10月10日
 「まほらの会」の10周年記念誌の全体編集会議を開く。全員が執筆するので基本的な事項を確認する会。「総決起集会にしよう。だから乾杯をしながらの会に」と提案した。それで会場は小料理店。料理を前にしてなので説明・連絡で終わると思ったが《意見百出》で、なかなか乾杯にはならなかった。良いモノを作ろうとする意気込みが感じられた。

シルバーウイーク
【No.1237】 2015年09月25日

9月25日
 昨夜から雨、肌寒い一日。東公民館の「大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて」は中止。昼食後「江戸時代の庶民の旅」について1時間ほど話をすることになっていた。
 酒井大岳師から頂いた「かがやく山河」を読む。作句をなさる師がこの書の最後に置かれた句は「母の墓木の実蒐めてゐるごとし」

9月24日
 秦野市P連の広報づくり講座。紙面クリニックの第二日目。この日は小学校7紙と「市P連だより」の講評。小学校7紙のうち3紙が一学期中に二回の発行。このがんばりを褒めた。終わってからの相談が5件。
 午後「P連だより」のBグループの編集会議。《いじめ》の特集に精力的に取り組んでいるが、いじめが解消できた具体例の取材が「個人情報の開示になるのでは」という声も出て意見百出。私なりの考えは述べた。いずれにしても、このような論議がなされることは頼もしいし、重要で必要なことだと思う。

9月23日
「中の中日あずき飯」。
 シルバーウイークの真ん中。来週の東中での授業の資料づくり。PPTのリニューアル。昨年よりは良い授業にしたい。明日の広報クリニックの最終チェック。東公民館から24日の参加者は20数名と報告が来た。

9月22日
 午前中草刈、午後草むしり。いずれも庭続きの畑と母屋の周り。野良仕事はあまり苦にならない。は無心になれるから。もっとも重労働はしないから。充実した一日。

9月21日
 別棟に向かう私にモクセイの香りが届いてきた。ミヨウガが芽を出す頃と思い椿の根元を探しだ。三つ見つかった。去年はたくさん採れたのに。

9月20日
彼岸の入り。掃除をかねての墓参り。墓地にはすでに数組の参拝者が。いずれも地元の人たちなので言葉を交わした。

9月17日
 茅ヶ崎市教委とP連主催の広報講座。前夜から雨。普通なら1時間で着くのだが30分ほど超過。参加校は20校ほどか。一学期に発行された全号の紙面クリニック。「H」「M」の2紙は毎年他紙のお手本となるような作品になるので、それを意識してさらにきついコメントを“差し上げ”た。たぶん“お怒り”だろうなと思ったが、あえてそうした。講座か終わって2紙が挨拶と質問に来た。全員がにこやかだった。私の心配は“杞憂”だった。
 この二紙は、発行すると直ち評を求めてめ送付してくるので、今日の会場での私の言葉はある程度予測できたのだろう。次号に向けての意気込みを表し帰っていった。頼もしい、たくましい、しなやかなお母さんたち。


朝から晩まで
【No.1236】 2015年09月16日

9月15日
 東公民館で秦野市P連の広報講座。一学期に発行された全号の紙面クリニック。この日は9校。「見出し」つくりの実習も。午後も同館で「P連だより」の企画会議。
 午後3時過ぎに本町幼稚園に出かける。夏休みに親子でつくった壁新聞がホールに掲示されている。それを見せてもらった。先生の作品も含め70数紙。どれも力いっぱい頑張った―とくに親が―。次の編集後記がそれを物語っている「もう肩はゴリゴリ、新聞はコリゴリ」。なんと余裕があるお母さん!
「大変だったけど楽しかった。来年もつくりたい。そのとき子どもがどれくらい成長いるかと思うと、今から楽しみ」という編集後記もあった。
 全先生方と一緒に一紙ずつ読んで回った。提出された全紙に感想を書いてほしいとお願いした。

新聞行脚 再開
【No.1235】 2015年09月09日

9月3日
 神奈川県大井町の広報紙づくり講座。始まる前にこの町に住む『エコー』の読者Iさんが赤ちゃんを抱っこして現れた。「本当は聴きたいのだけど、この子が騒ぎそうなので」と『激励』の差し入れをしてくれた。
 この日の講座には幼・小・中のPTA広報、体育協会、子ども会、青少年指導員会、文化団体、自治会など16団体の広報担当者が参加してくれた。
9月4日
 伊勢原市P蓮の「広報紙クリニック講座」。6校ずつ2グループに分かれての講座。1グループ1時間なので、1校に割り当てられる時間は9分。制限時間を超えるとそれを知らせるチャイムが鳴らされる。「聞えたけどもう少ししゃべらせて」と私。とたんに会場が和やかな雰囲気に。
9月8日
 神奈川県松田町教育委員会主催の「広報づくり講座」。この講座も一学期に発行された広報紙のクリニック。一学期に三回発行(総ページ数22)、二回発行(20ページ)という2校のがんばり。私の辛口評もにこにこと受け止めてくれるのは自信があるから。
9月9日 
 本町幼稚園の園長先生からメール「夏休みの壁新聞が出揃いました。ぜひ見てください」。行かなくてはならない!
 明日は中井町に行く。

秦野、茅ヶ崎でのかべ新聞づくり 
【No.1234】 2015年08月21日

8月20日
この日は秦野市立東公民館でのかべ新聞づくり講座。
 第一日・7月30日に発表した新聞の内容を変更したので、紙面にはほとんど文字がない5年生の女の子がいた。聞いてみると戦争についての新聞にしたいとのこと。その理由は「戦争が終わって70年だから。戦争の被害を調べたい。ヒロシマとナガサキの原爆のことも書きたい。テレビや新聞で戦争の話がたくさんされているので。ひいおじいちゃんが戦争のことを書いているので」ということ。戦争についての新聞を制作中の6年生の男の子もいた。
 水生生物の調査結果を新聞にした子は「金目川の水生生物は清流に生きるものばかりだった。金目川はきれいな川」と書いている。
 参加者全員がステージに上がり自作を発表した。どの子も「大変だったけど来年も新聞づくりをしたい」と言った。
 「紙面が埋まっていく、そして出来上がったときの充実感が何ともいえない。良い体験数できた。楽しかった」がお母さんたちの感想。今日は20紙が完成。あと15紙は最後の追い込み。

8月19日
 茅ヶ崎市香川公民館での壁新聞づくり講座。9紙が完成。内容も色合いも豊かなものばかり。この四月に着任された館長さんが、閉校式の中で「親子で新聞つくる姿、そして出来上がった新聞を見て感激しました」と挨拶された。

8月15日に
【No.1233】 2015年08月15日

 私にとっての『知覧』
                  
 HPを見ておりましたら、『学校講話集』の8月の「知覧」を発見しました。
 主人は鹿児島の出身なのです。そして私の祖父(母方)の弟が特攻で亡くなっているのです。このことは、大学生くらいの時期に知りましたが、それほどの哀感もありませんでした。他の話のついでにサラっと言われたことが残っていた程度のものです。
 その後主人と結婚して何年か経った頃、県内観光で知覧に行きました。あの多くの写真の前で「そういえば…」と思い出し、名前を探しましたが見つかりませんでした。思い違いだったのかと、祖母に確認したら、「そうだよ」とのこと。しかし、そのことはそのままになっていました。
 ところが、昨年主人の会社の上司が特攻兵の話の絵本を出しました。『ピアノは知っている 月光の夏』です。子どもたちは、その本の絵のすばらしさに感動し、特攻のことに興味を持ったようでした。そして、身内に特攻兵がいたことにも…。そこで今年5月、ゴールデンウィークに鹿児島に行った折、再度知覧を訪ねたのです。やはり写真はありませんでしたが、パソコンで検索できるようになっていました。それで調べたところ、母の旧姓と同じ大叔父の名を見つけたのです。そして海軍の所属で、出発基地が知覧ではなく、鹿屋だったということも分かりました。このデータを土産にしようと、プリントしてもらいました。
 主人の実家に帰ると、義母が「そうそう、鹿屋にも記念館があって、以前行ったことがある」というので、さっそく行ってみることになりました。義父の運転する車で2時間かけ、着いた記念館は自衛隊鹿屋基地の敷地内にありました。「慰霊」「可哀そう」を前面に出した知覧のそれとは少し趣が違いましたが、作戦の様子がよく分かる展示になっていました。
 特攻作戦が決められた様子。最初の特攻が延期になったこと。《今行ったら犬死になってしまう》司令官の気落ち。戦闘機の隊列の様子や交わされた通信。各機には役割があったが、予定どおりにはいかなかった様子。大叔父とは違う隊のようでしたが、彼が「作戦」に参加していたという思いを強くしました。乗っていた飛行機の名前も一覧でありました。そして、ついに遺影を見つけました。祖父に似ているような気もする目元、少し眩しそうに顔をしかめた写真でした。第一昭和隊、彼の属した隊です。23歳、4月14日に発ったことは知覧のデータで判っていました。矢田部の訓練所○期。周囲の写真から同期の人を探し、きっとこの人たちと、いつも行動を共にしていたのだろうと思いを馳せたりもしました。出身県の違う人たちとどんな話をしたのか、先に発つ友をどんな気持ちで見送ったのか。展示してあった他の隊員への寄せ書きの中に彼の名前を見つけました。サラッとしたきれいな字を書く人だということを知りました。
 それまで存在しか知らなかった人が、急に生きた人となって私の中に入ってきたのです。十数人もいる祖父の兄弟の中で最も親しい人になってしまったのです。母に電話した際、叔父の写真を見つけてきたことを伝えました。海軍の所属だったため知覧では見つけられずに鹿屋まで行ったこと。義父と義母が連れて行ってくれたこと。私が彼の存在を知っていたことを驚きながら、「泳ぎの得意な人だったから海軍だったんでしょうね。中学の時に出した県の記録がかなり長い間残っていたんだよ」とも教えてくれました。とても優秀な人だったとも。享年23歳ですから、昭和10年生まれの母は何度か会っていたのでしょうか。この夏、私は寒河江に帰られなかったので、遊びに行った長女に彼の写真を託しました。
 知覧は前回行った時とずいぶん変わっていました。展示室も増え、室内の飛行機の前ではボランティアの方が写真パネルを手に出陣の様子を話し、多くの人が聞き入っていました。
 遺書の中で長くて立派なものは何日も前に書かれたもので、いよいよ明日という時には何も書けないこと。威勢のいいことを言っていた人ほど、いざという時になって取り乱していたと。中には、飛び立ったものの整備不良と言って6度戻ってきた人もいた。それに対して整備士たちは「命をかけて乗る機を我々も命をかけて整備しているのだから、不良などということは絶対にない」と言って送り出したこと。当時の物資状況や他の話からすると、真偽は分かりませんが、その人は7度目に帰らぬ人となったそうです。
 知覧の遺書の中で私がいつも涙するのは、コリント遊びをする約束を果たせなかったことを妹に詫びる一通です。私たちは、あの太平洋戦争をそれぞれの思いで受け入れ、封じ込めているのです。
  8月の暑い日に    麗 子

活動再開
【No.1232】 2015年08月11日

8月10日 
 JAはだの組合員基礎講座で講演。演題は「大山と盆地の暮らし」。
 まもなく「お盆」なので、始めに秦野地方のお盆の風習《ツジ》について話す。以降 @大山信仰」にも結びつく鶴巻落幡地区の《大山灯籠》。本題はA秦野市蓑毛など地名の由来。B大山と富士山を結ぶ信仰の道・富士道。C秦野の農村料理「へらへらダンゴ」まで。
 話材が身近なものだったので聴いてもらえた。質問が5つ出たのはその証明、と思っている。

8月11日
 きょうから「新聞づくり行脚」の再開。
 松田町の「親子壁新聞づくり講座・第2日」を町民文化センターで9時半から12時まで。子供7人、父親ひとり、母親3人の講座。5人はこの日で完成。「やったー!」と歓声。未完成の6年生二人は「歴史新聞」の大作だが90lまで漕ぎ着けた。
 閉講式では参加者全員が新聞を手にカメラに収まった。町役場と私の名前で「新聞づくり名人」の認定証を子供たちに授与した。2〜6年生の集まりだったが、新聞づくりをしながら交流は進んだようでなかなか部屋を出ない。
 出来上がった新聞や会場の雰囲気を見たとき、今年の松田の講座は成功だったと思えた。

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