- 寺 山 だ よ り -

続 箱根駅伝
【No.730】 2009年01月05日

1月3日
「お願い:大学はスタート・ゴール地点での集団(応援指導部含む)による応援及びコース全区間での手旗・横断幕・職等、東洋大学名の入った道具を使用しての応援は行わないことを決定しました。つきましては、卒業生の皆様におかれましても事情ご賢察の上、明年の第85回東京箱根間往復大学駅伝競走においては、集団での応援、手旗等を使った応援は控えていただきたく、ご理解の程よろしくお願いいたします。 平成20年12月 東洋大学」

 テレビが、まもなく東洋大学の総合優勝が決まるというときを映していた。アンカーが入ってくるのを待つ部員たちが校歌を歌っている。だが、それは校歌ではく、「東洋大学」という校歌の一節を繰り返していてるだけだった。
 優勝のテープを切る前、高見選手は肩に掛けた襷の校名の部分を握りしめゆすった。そしてテープを切り小さくガッツポーズ。あるはずの歓喜の胴上げはなかった。その代わりに彼らがしたことは、部員全員で走ってきたコースに向って頭を下げたことだった。新聞によれば「10分前に話し合って胴上げはしない。みんなで一礼しよう」と決めたのだそうだ。「お願い」をしっかり履行した部員たちだった。心技体の総合優勝だった。


 

箱根駅伝
【No.729】 2009年01月04日

 2日は“お年始”。二組の妹夫婦などを迎えちょっとした祝宴を開くのがわが家のお正月の慣わし。その仕度で朝から台所は活気に満ちていた。
 今年は一升の太巻き寿司を巻いたわたし。妻は筑前煮を大鍋で炊いているのだが、落ち着かない様子。その台所に、朝から箱根駅伝の実況放送が響いていた。
 妻に届いた年賀状の中に「お正月、二日・三日は文化放送で箱根駅伝・戸塚中継所の実況を担当します」という添え書きがある一枚があった。教え子のフリーアナウンサー槙嶋範彦さんからのものだった。
 花の二区は今年もモグス、ダニエルの快走、そして、竹沢や佐藤など各校のエースが揃った三区への引継ぎ点が戸塚中継所。だから彼の実況も若々しく、情熱的で圧倒的だった。完全に手を休め聞き入っていた妻は「よかった」「凄い」を連発し、すぐに彼の実家に電話を入れ、これまた興奮気味にその喜びを伝えていた。

『寺山ものがたり』の締めくくり
【No.728】 2008年12月31日

30日 今年最後の生産組合の仕事で集金に回った。向原家は庭で餅つきをしていた。臼と杵を使い家族総出で楽しそうだった。懐かしさと同時にうらやましさを感じた。時間の余裕があればひと臼搗かせてもらいたいと思った。集金を終え帰ろうとしたら「ひと臼もっていきなよ」とご主人の光ちゃんが伸し餅を一枚くれた。
 搗きたての餅をおし戴くような形で県道を300bほど歩いて帰った。今年の『寺山ものがたり』を締めくくるのにもっともふさわしい光景だと思った。

29日 午前中は玄関の掃除。掲げてある「松倉絵馬」を正月用の「津軽凧絵」に掛け替える。そして信楽の倉田さんから贈られた干支の「丑」の焼き物を飾る。倉田さんは『エコー』の最初からの読者。毎年、信楽焼きの干支をプレゼントしてくださっている。床の間に飾ってある過去に頂いた干支は数えて23。

28日 暮の大掃除で最大の難所は応接室。ここには昔集めた郷土玩具が300点ほどある。それを全て拭き掃除して並べ替える。土人形、グイノミなどの壊れ物がかなりあるし、張子類も時を経ているのでもろくなっている。二人がかりで半日は必要。「わたしがいなくなったら、どうするのだろう」などと余計なことを考えながら、手にした一つずつの思い出をたぐりよせていた。

26日 夕方Hさんが訪ねて来た。東中新聞の委員長だった娘さんのUさんの進学先が決まったことの報告にみえたのだ。あの難関のC大学の法学部だという。部活はダンス部で、全国大会まで出場するようなガンバリっ子。我がことのように喜んだ。
 今年、教員になったCさん(彼女も東中新聞の委員長だった)から「お久しぶりです」とメール。「周りの先生方に迷惑をかけ、助けていただいて、ようやく今年が終わりました。去年まで暮はバイトで大忙しだったのに、今年は。話をしたいです。」と書いてあった。

東中生が選ぶ今年の一字
【No.727】 2008年12月26日

 きのう届いた『東中新聞』877号(208/12/24)に「どんな年だった?2008年」という記事があった。

 学校の年度はまだ続きますが、今年2008年はもうすぐ終わります。どんな年だったでしょうか。年末恒例の「今年の漢字」には『変』という字が選ばれました。そこで、「東中生が選ぶ今年の一字」をアンケートしました。
 三位は『笑』、笑顔あふれるクラスっていいですね。二位は『疲』、行事に勉強に忙しかった! そして一位は、ダントツで『楽』でした。皆さん楽しく過ごせたようですね。一年生は、中学生になり『初』も多かったです。 2009年も楽しく、良い徒しにしましょう。よいお年を…。

ナバナ
【No.726】 2008年12月24日

冬至の日・21日の「NHK俳句」で第一席に選ばれた句
 どの枝も冬芽豊かに大桜  大坂 正

 庭の桜はまさにこの一句のとおりだ。蒼い冬空の下、びっしりと冬芽をつけた枝を四方八方に伸ばしている。畑のネギが冬の陽光を求め、全ての株が南に向けてその青く太い葉を輝かせている。
『一陽来復』、もう春を待っている自然界。太陽の力は冬至の日まで徐々に弱まり日射しは弱くなり、日の照る時間も短くなる。そして冬至を境にその陽光は再び力を持ち始める。
10月に蒔いたナバナを摘み、おひたしにした。



自治会のあゆみ『てらやま』の発刊
【No.725】 2008年12月22日

 寺山自治連合会が、自治会のあゆみをまとめ『てらやま』という冊子を発行した。手づくり・64ページから、寺山のさまざまな生活を読み取ることができるが、とりわけゴルフ場の開設や東電の幹線の通過、さらに県道、市道の整備などに苦心された先輩諸氏の話には深く感じるものがある。
「次への礎になれば」とあとがきにあるように、この冊子は寺山に住む者にとって大切な資料であり、指針てある。
 良い仕事をなされた今期の自治会長さんの皆さんに、心からお礼を申しあげたい。

 昨日、京都で行なわれた全国高校駅伝の女子の部に母校・秦野高校が出た。5回目の今回は神奈川の代表ではなく、関東地区の代表で出場。17位だったが、関東地区からの参加校8校の中で3番目の成績。3年生一人というメンバーだから、来年・再来年が楽しみ。

小坂顕太郎詩集『五月闇』」
【No.724】 2008年12月19日

12月18日
『ECHO』の読者である岡山のKさんから「小坂顕太郎詩集『五月闇』」をいただいた。巻頭から「あとがき」に至るまで、全ページから言葉の持つ力が伝わってくる。当然のことだが、詩人は繊細、しかも饒舌。私はこの詩人の心を受け止めようと必死。
 山北町に住むNさんが、わざわざ「道祖神祭り」の資料集5冊を持ってきてくださった。「山北町の道祖神祭りは山車が出る」、そのことにとても興味があったので在住のNさんに尋ねたことが、きょうのようなご迷惑をかけることになった。申し訳なかった。さっそく読ませてもらった。
 

新聞づくりは仲間づくり
【No.723】 2008年12月16日

 新聞の仲間のYさんはとは30年以上のお付き合いがある。そのYさんが秦野で飲み会をしたいという。Yさんは常磐線沿線に住んでいるから、秦野で飲めばそう簡単には帰れない。それなのに、「秦野で」と言うのだ
 Yさんが「秦野で」と言うわけはいくつかある。一つは、3年前の全国新聞教育研究大会・秦野大会で秦野を訪れ、秦野の新聞づくりの実力を知ったこと、加えて街の真ん中を川が流れる景色が気に入ったこと。二つ目のわけは、数年前から秦野に移り住んだ従兄弟を訪問するため。そして、三つ目、これが最大の理由であるのだが、秦野でPTA広報作りで頑張っているKさんが同郷人であるということ。
 私は、KさんとYさんは山形の左沢線沿線の生まれであることを知り、秦野大会の全国交流会で二人を引き合わせた。(まるで仲人みたいだ)この二人は、11月の私の講演会の後の懇親会でさらに親しくなった。そして、なんとYさんの従兄弟はKさんと同じ町内に住んでいることが判明したのだ。
 あまりの愛縁・奇縁、いや宿縁? 「武さん、秦野で飲み会をやろう。秦野で新聞の話をしよう。Kさんに幹事をやってもらって」と、Yさんは騒いだのだった。
 昨夜6時に秦野駅前を流れる水無川のほとりの居酒屋に集ったのは、遠来千葉からのYさん・古希の人、KさんとSさん―秦野大会の速報作りに大活躍したお母さん、そして私。3時間ほどの宴だったが、「NIEを大人の世界に」などという新聞教育の未来について話に熱が入ったのも場所が秦野だからだろう。

 店を出た。居酒屋の上は学習塾なので、勉強が終わった中学生が数人と一緒になった。私を覗き込んだ女生徒が「こんばんわ」と明るく声を掛けてくれた。私が新聞づくりの指導に出かけている東中の生徒たちだった。「いい子たちだろう。これが秦野なんだよ」と、自分にも言い聞かせながら、Yさんに向って高らかに声を発した。 


広報から新聞へ 頑張った情報委員会
【No.722】 2008年12月14日

 昨夜8時過ぎ、市P連の情報委員長の石田さんが『情報委員会だより』を持ってみえた。午前中に校正をして、午後から印刷に入り、今作業が終わったところ、とのこと。新聞ソフトを使っての手作り、もちろん、印刷も学校の印刷機を借りて、である。
 A3判の2ヘージ、発行部数は1万部。昨日は土曜日、印刷機をの使用を許可してくれた学校、そして一日、その印刷に関わった情報委員の皆さんのがんばりが凄い。留守番をしていた子供たち、家族にも頭が下がる。
「家に子供を置いといて、何がPTA活動だ」という声をときに聞くことがある。だが、情報委員は各単Pの代表者だから、「出たからにはその務めは果たしたい」と思っている皆さんなのだ。
「伝えるだけの紙面(広報)から、考えてもらう内容(新聞)を意識したこの号の制作は大変」だったらしい。
 今号の特集は「帰りたいお家」、そして市内9中学校の校歌、校旗、校章の紹介。見出し、記事、そしてレイアウトと、全てに十分に時間をかけた、読みたくなる『たより』だった。

葉牡丹
【No.721】 2008年12月07日

「マンスリーエッセイ」の11月号に書いた『父は野良歌人 桐生雄』の長男・正彦さんが訪ねて来た。正彦さん手づくりの「雄さんの歌集」を「神奈川新聞に送ったら」と勧めていたのだった。それで「届けたらコラムで取り上げられた」との報告にみえたのだ。新聞社に書いた手紙と掲載紙、それにヒラタケ、ナメコ、シイタケ、葉牡丹の寄せ植えをいただいた。
「父が栽培していたキノコを引き継いでいます。葉牡丹は種から私が育てたものです」という言葉が嬉しかった。

12月です
【No.720】 2008年12月03日

 実りの秋を締めくくる11月の最終週はホームページ「ECHO最新号」に書いたとおりの充実した日々だった。それにしても、この「寺山だより」の空白は…。

12月に入っての生活
 1日 市P連情報委員会A班の編集会議に参加。発行予定は今月中旬。忙しい12月に会わせての追い込み。
 2日 同B班の企画会議に参加。こちらは来年2月の発行。きょうから庭師が入る。グタグタした生活を見せたら申し訳ない。COVENTRYへ“クリスマスのご挨拶”を送る。
 3日 30日の「大山道を歩く」で講師を務めた山口さんが来る。タコーチ山の“錦秋”は、陽が傾くにしたがっていっそう映える。

秋深まる寺山
【No.719】 2008年11月21日

「ルノアール」での講演会に行ってくれた相原明美さんが、講演のすべてを収めたDVDを作って持ってきてくれた。二枚あるので希望者に貸し出しをしようか。深謝。

 きのうのこと、出かけようと車のエンジンを始動させた。まったく回らない。バッテリーが上がっていた。ガソリンの値上げが激しくなった頃から乗用車は週に1回、ジャスコまで食料の買出しに行く以外は乗っていない。走行距離は5キロくらいだからほとんど充電されない。加えてここ二、三日の急激な寒さ。それでこの事態になった。
 診てもらったら「耐用年数からすればその時期」らしい。2万円強の急な出費。ちょっと苦しい。

 お隣の東中学校の学校新聞が県の新聞コンクールで『最優秀』。きょう横浜で表彰式。拍手。

 『遊塵』という冊子が贈られてきた。創設された秦野歌談会の会誌である。お贈りいただいたのは寺尾登志子さん。こんな添え書きが付けられていた。「東中、秦高時代の次男坊・恵仁がご指導いただきました。地元で生まれた小誌、お目通しいただければ幸いです」。『東中新聞』の編集者だった恵仁さんは、その後演劇の世界で活躍している。「創刊にあたって」を書いた山田吉郎さんは、東中時代の教え子。題字は石井泰山さん、その奥さん一子さんの名前もあった。うれしく読んだ。

 寺山の景色に深まる秋。今朝、タマネギの苗を150本植えた。そんなに植えてどうするの。

「大山道道標の地図」完成・まほら秦野みちしるべの会
【No.718】 2008年11月11日

冷たい雨が降った8・9日の二日間、東公民館祭りに参加した。今年は『菊・福助づくり》を展示する「秦野ゆとりの会」の会員としてだけでなく、「まほらの会」の一員としても参加した。
 「まほらの会」は、昨年の8月に発足した「大山道の道標を調べ、それを地図にする」会。その一年間の活動で、三枚(三地区)の地図が完成した。会員の二人がイラストと説明文を手書きしてくれた。実際はA3判だが、今回展示したのはÅ0判の大きさ。これは(株)湘南の協力で作ることができた。この拡大版に会員の撮った写真も付けられた。自画自賛だが立派である。
 5日に神奈川新聞が紹介してくれたこともあり、大山の本家本元である伊勢原市の教育委員会の方や市民の方が8名も来て下さった。遠くは海老名からも。地図を指でなぞりながら自分の知識を披瀝している地元・東地区の長老姿もあった。会としては、今回の展示で自信がもてた。
 展示した地図を含めた資料は、今東中学校で生徒たちに見てもらっている。

『河童物語』 水は命・河童は心
【No.717】 2008年11月07日

『エコー』を読んでもらっている相原美智子さんから『河童物語』という本をいただいた。
 『河童物語』はこんな前書きから始まっている。
「私は、河童に出会ったことがありません。なのにずっと河童に惹かれてきたのです。メモ紙の片隅に、コメントの余白に、手紙のあとに河童を描いてきました。時間があれば、胸に手を合わせている河童、踊っている河童、懇談をしている河童と赴くままに焼き物で表現してみました。河童を描いたり作ったりしているときのイメージは、頭の上にお皿のようなへこみがあり、背には甲羅をもち手足は長く愛らしく悪戯好きだけれど情深い生き物だと思いながらでした。今もほとんど違わないのですが、今、河童がいるともいないとも言えません。でも、私の心の中にはいつも生きているのです。」

 相原さんは教職を定年まで務め、河童探しをライフワークにしたのです。
河童の話があるところを訪ね歩き、そこで得た河童のイメージを焼き物にしています。その文と焼き物の河童で構成されているのが『河童物語』です。
 
 いただいた本にこんな手紙が添えられていました。「武先生 河童堂が出来ました。中井町にいらした時お寄り下さい。」
 河童堂には相原さんが焼いた作品が350体ほど納まっている。

歌舞伎町「ルノアール」に電報
【No.716】 2008年11月03日

11月1日
 新宿・歌舞伎町喫茶室『ルノアール』で、新聞教育支援センター主催の特別講演会。歌舞伎町に足を踏み入れたのは40年ぶりかもしれない。そのときも新聞の先生たちと一緒だった。
 地図を持っているのにかなり迷った。やっと会場にたどり着くと、私宛に電報が届いていた。今日のわたしを激励するのものだった。じつは、きょうは50歳になった秦野東中の教え子たちの同窓会が秦野で開かれていた。
 わたしは講演会が先きに決まったので、講演会のチラシを添え欠席を伝えた。それで、電報を打ってくれたのだ。 
 98文字の電文を読み終える前に文字が滲んでしまった。(電文は11月更新の「『エコー』最新号のページ」)「75名の子たちの力をもらった。きょうは大丈夫!」、落ち着いて開会を待った。
 演題は「―きのう、きょう、そして明日― 新聞づくりは仲間づくり」。新聞教育に燃えているベテランの先生、現役の校長先生、新採用の先生、企業人、フリージャーナリスト、今も新聞教育に関わっている元教員、卒論のテーマの勉強にと大学生も。
 特筆されるべきは、秦野のPTAのお母さんたち6名の参加。Y先生から「武さんの親衛隊ですね」と聞かれ、「いいえ、介助・支援隊です」と答えるような元気な皆さん。
 上映したビデオに30年前の私が登場すると、会場から「若いねー」と嘆声と笑い、そしてわたしを覗き込むお母さんたち。2時から3時間、「新聞教育」について思いのたけを話させてもらった。
 会場を新宿駅西口に移し懇親会。16名の参加。楽しい会だった。6人の親衛隊に守られ8時の特急で帰秦。車中で思った。「今日は生前葬だった」と。


11月2日
 寺山自治会と婦人会共催の文化講演会に講師を務めた。300戸ほどの自治会が独自に文化講演会を持つ、しかも今年で14年目。この活動を一会員として誇りに思う。
 夜の7時から8時半までの時間。『寺山の地名のルーツを探る』をテーマにして話させてもらった。参加者は30名超か。過日「さわやかウオーク」で東・西田原の民俗や歴史を歩いくれた婦人会の会員4名も顔を見せてくれたのが嬉しかった。質問や意見交換も活発だった。新しい資料や情報が得られ、わたしにとってもとても良い時間を持つことができた。

 秋の天皇賞、枠連で勝った。本命だから当然?

 というわけで、ホームページの更新は遅れています。

みのりの秋
【No.715】 2008年10月28日

25日 東中学校昭和43度卒業性の同窓会。48人の出席。年齢を考えなければと、帰ってきて猛省。(11月1日更新の『にっきの木』のページ参照)

26日 公民館祭りに出す菊が間に合いそうもない。昨年は自分としては納得したものができた。それで「今年は」と意気込んだのだが、昨年を越えるのは無理なようだ。Nさんに預けておいた《ざる菊》をもらいに行く。「これは《わたしの作品》とは誰も思わない」というくらい見事なものになっていた。
 
27日 東公民館が企画した女性交流会に出席。東婦人会と東幼稚園PTAとの交流。大ベテランの母親7人に、若いお母さん7人が料理を教わる。そのあと一緒に食事をしながら、館長の進行で子育てのことなど話し合う。こうした交流をきっかけに地域の力を高めるのがねらい。中学生のお母さん二人も飛び入りで参加。オブザーバーは園長先生、自治会長さん、そしてわたし。総勢20名の会。参加者全員にとって楽しく、充実したひと時だった。

28日 市P情報委員会の編集会議。企画「帰りたいお家」は興味深いテーマ。
 11月1日の「特別講演会」の資料を会場の『ルノアール』へ送る。秦野からは6人が参加してくれる。嬉しいこと、ありがたいこと。それに応えることはたいへんなこと。

赤き実のなる木
【No.714】 2008年10月23日

10/22
 秋の一日を歩く東婦人会の行事の「さわやかウオーク」の案内役。今回は、東田原、西田原の歴史や民俗を歩いて訪ねるコース。9時から昼食を挟んで5時間半、万歩計は1万2千を超えた。「歩く」ということで、参加者は健脚ぞろいの11名だから、おしゃべりと笑いが絶えない。神社をのぞき、庚申搭や道祖神など路傍の神仏を見て歩いた。
 取入れが終わった明るい谷戸田を囲むように点在する家々の庭に、色づいた柿が鈴なり。実りの秋たけなわという景色。「赤き実のなる木」だから「赤木・アカキ」で「カキ・柿」。「稲」は「飯・イヒ」と「米・ヨネ」をつないで「イネ・稲」と呼ばれるようになった。こんな話をしながら歩いた。
 ソバの名店『東雲』で昼食。「皆さん、大丈夫ですか」と聞いた私に、「先生が歩けるんだから、私たちは大丈夫!」と元気な声。地元を知るというきょうのウオークは好評のようだった。

ある講演会で思ったこと
【No.713】 2008年10月18日

 興味あるテーマが掲げられた講演会に出かけた。参加は60名ほどで、女性が半数近くの席を占めていた。
 動員が掛けられた講演会ではないのだが、始まって30分くらい経つと居眠りをする人が出てきた。パワーポイントを使うなど、工夫されているのだが、専門用語がかなりちりばめられた内容は少々学術的。
 終わって質問の時間。二人が発言した。一人は、講演の内容とは直接関係の無いことについての質問だった。講師は、その質問にきちんと対応された。「もしかしたら聞かれるかもしれない」と、準備してきた模範的な答えだった。
 もう一人は、講演の中のかなり細かい部分についての質問だった。質問者は、専門用語を駆使し講師に劣らないほどの知識を披瀝した。二人のやり取りは、私には難しかった。きょうのようなテーマの話で質問する人は、講師と同等、いやそれ以上の実力が無ければいけないと思った。
 学校で開かれる研究発表会のことを思い出した。公開授業、研究発表、そして質疑の時間、ところが質問はほとんど出ない。参会者が一人も発言しないということは、その研究が無視されたことになる。そう思うと、気の弱い私は恐る恐る手を挙げるのだった。そして、「質問ではなく感想を」と切り出し、感想ではなくお礼を述べたのだった。

きょう お別れ
【No.712】 2008年10月14日

 秦野教育懇談会、市制50周年記念「市民が作る広報はだの」編集委員会、市制50周年記念「ふるさと秦野 景観100選」選定実行委員会などでご一緒した横溝保さんが亡くなった。
 リタイアするまでは互いにその存在を知らない二人だった。だが、教育懇談会で初めて顔を合わせからは、たぶん30を超える回数でお会いしてきた。 二宮尊徳の教えの実践家である安居院庄七(秦野出身)の研究者であり、信奉者だった。今、地元で安居院庄七の業績が見直され始めたのは、横溝さんの力によると言えよう。
「市民が作る広報はだの」の編集委員会では、「先輩、先輩」と、いつも私を立ててくれたことが忘れられない。 享年67歳

タヌキ
【No.711】 2008年10月12日

 午後4時ごろだった。この部屋でパソコンに向っていた。右側のガラス戸の擦りガラスの部分に何かの影か動いていた。素通しの部分から見下ろしたら、鼻を地面に押し付け、辺りをを嗅ぎ回っている動物がいる。わずか1b弱の近いところに。体長は30aほどでこげ茶色。口先がとがってる。タヌキだった。野生のタヌキに初めて「ご対面」。今は「ご対面」などと書いているが、その瞬間は“驚き”だけだった。私と視線が合った(だろう)彼はさっと軽トラの下に駆け込んでいた。
 数日前から庭続きの畑のサツマイモを掘り出している。その畑の隣りはちょっとした茂みになっている。たぶんそこが住処なのだろう。東小学校の校庭続きのわが家へのタヌキくんの訪問だった。
 40年ほど前に、月とタヌキの絵を描いたことがあった。それを取り出し眺めた。「これと同じ姿、いや、違う、もう少し痩せていたな」と思った。私の描いたタヌキくんは丸々と肥えている。
 10日ほど前から、蓑毛橋、名古木の玉伝寺の裏、そして弘法山の裾の畑で熊が見られている、とのこと。蓑毛橋は表丹沢の縦走口で、秦野駅からのバスで30分の終点のすぐ近く。わが家から車で5分とかからない。

PTAはモンスター?
【No.710】 2008年10月08日

10月9日
 寒川町でPTA広報講座。この時期なので、今年度発行された全紙の紙面クリニックを行い、進行中の次号についての相談を受けた。午前9寺から3時間の講座だったが、相談がたくさんあり40分オバー。会場責任者をやきもきさせてしまった。
 6年前に私の話を聞いたという人が、「今年広報に戻りました。PTAをやるのなら広報。活動に意味があるし、おもしろいです」と、開会前にあいさつに来てくれた。この人、仕事の関係で途中で退席したが、1時間ほどで戻ってきた。きょうの主催者であるP連の役員の一人も、数年前に私の講座に出たと言った。
 次号の企画のアドバイスを求めに来た委員長のそばにいた人が「来年、中学校で広報をやりたい。広報を作る姿勢で小学校との違いはあるのですか」と聞く。「今年は広報ではありません。きょうは来年に備えての勉強です」とも。
 どこぞの議員さんがPTAをモンスターになぞらえた発言をされた。きょう、こうしてPTA活動に取り組んでいるお母さん、お父さんの姿勢を見るとき、件の言葉はいささか現実と乖離していると思った。

みちしるべの会
【No.709】 2008年10月05日

 大山道の道標を見て歩き、それを元に地図を作ることを始めた「まほら秦野みちしるべの会」の活動が一年たった。きのう横山さん、浦田さんとでその地図・東地区編(寺山・蓑毛/東・西田原/名古木・落合の3部作)の最終チェックを終えた。今月の半ばには完成の予定。手づくりで頑張ったお二人の努力の跡が良く見える地図。来月の公民館祭りにお披露目をすることにしている。次は西地区を歩き西地区編に挑戦する。

帰りたいお家
【No.708】 2008年09月27日

 裏の生垣を隔てて東中学校の農場が広がっている。広さは3アールほどか。今はその収穫期、昨日も放課後、サツマイモを掘りに来た一団があった。
 楽しそうな声、笑い声が聞こえてくる。作物の出来、不出来もさることながら、子供たちにあれほど明るい声をもたらす土に触れるということの意義を強く感じた。
 夕食時、妻がこんな話をした。肉じゃがを煮ていたら、裏の畑から男の子の声が聞こえてきた。
「いい匂いがしてきた。先生、もう終わりにして帰ろうよ」。「そうだな、ハラ 減ってきたな。終わろうか」が先生の言葉。
「帰りたいお家」というテーマで広報を作っているPTAがある。「台所からの匂い」は、“帰りたいお家”の条件の一つになるだろう。

 ヤマヒルのお見舞いにKさんが来てくれた。

とうとうヤマヒルに出会ってしまった
【No.707】 2008年09月23日

 生産組合の会合のとき、よく聞かされたヤマヒルの被害。「とうとう」? それとも「ようやく」なのか…、きょうヤマヒルに出会ってしまった。
 妻が「その血、どうしたの」と私の左足りの向う脛を指差した。きょうもまた、朝から栗拾いに出かけた。
 9月になって雨が多かったせいか、栗畑の草は元気がいい。それで、きょうは私が草刈り、妻が栗拾いと手分けをした。“元気な草”と言っても、9月になって生えた草だから作業は楽なもの。けっこういい気分で3時間の仕事を終えた。そのあとが、このヤマヒル騒動である。 
 作業ズボン、そして農作業用の長靴を履いたので“完全武装”と思っていた。それなのに食いつかれたのだ。出血が止まらないのはヤマヒルの仕業。その姿を探したら長靴の中にいた。刈り払った草の一部が長靴に張り付いている。その草から長靴の中に入り込んだのだろう。血が止まらない、というのはあまり良い気分ではなかった。
 ヤマヒルは鹿のひずめの中に入って山から降りてくる。鹿が食べた跡がはっきり分る今年のわが家の栗畑である。

新聞づくりに大切なこと
【No.706】 2008年09月18日

16日
 体育祭の代休日なので、中学生が二人訪ねて来た。新聞づくりの相談である。記事の流れ(レジュメみたいなもの)が出来たので「これでよいかどうか」ということ。
PTA広報の場合もそうだが、彼らが書く記事については絶対筆を入れない。彼らが見て、聞いて、書いた記事が事実だからだ。彼らに助言するのはただ一つ、「大勢の人の声を聞きなさい。取材が大切。取材することが新聞を作ることです」と。

17日
 午後1時半から4時まで中井町のPTA広報づくり講座。ここでも広報クリニック。まとめの時間に、発行された広報に対する読者(会員)の反応は、と尋ねた。はかばかしい答えではなかった。私にはどの広報も《力作》と思えるのだが。
 「“愛”の反対語は“憎しみ”ではなく“無関心”です」と言った人がいる。広報を読んだら、褒めることはもちろん、批判でもよい、読後感を述べてあげたい。それが広報委員の次号へのがんばりにつながる。「褒めることは育てること」。

今夜は十五夜 お月さんより先に饅頭をいただく
【No.705】 2008年09月15日

 きのう14日が月齢では満月「十五夜」。わが家は太陽暦で十五夜をするので、今夜がその夜。
 10時過ぎ、いつもの和菓子屋さんに饅頭を買いに行った。先客が一人、その人も私と同じ買い物だった。私の番になり、十五夜の饅頭をと言うと「粒アンと漉しアンがありますが」と聞かれた。「半分ずつにして」と頼んだ。ところが、粒アンのほうが先客でちょうど品切れになったようで、「すみません、すぐに蒸かしますが、時間がかかりますけど… どうしましょう」と言う。「粒アンが好きなんだけど…、いいよ漉しアンだけで」と私。
 包んでくれるのを待っていたら、店の奥から十五夜のお饅頭のようなフックラした容貌の店主が出てきて、「熱いですよ、漉しアンだけど、食べてください」と差し出した。「えェ! 悪いよ、こんなこと」「いいんです。すみませんねえ 無理言って」と詫びる店主。饅頭は1個80円、私が買ったのは15個だから1200円。それだけの商いなのに…。
 蒸篭から取り出したばかりの、熱々の饅頭を二つに割った。漉しアンがいっぱい詰まっていた。「それじゃあ、ありがたくいただきます。お月さんより先に饅頭をいただくなんて申し訳ないね」と、私。
 この店の売り子さんはたぶん私より年長の女性。私に饅頭を食べさせてくれたのは、その息子さんだろう。秦野市内の榎本堂という和菓子屋さんでのきょうの出来事である。

今夜の月に供えたものはススキ、饅頭、お豆腐、サツマイモ、トマト、栗、それに茗荷。サツマイモ以下は全て自家製。

広報クリニック
【No.704】 2008年09月13日

9月9日
 湯河原町で、湯河原・真鶴町教育委員会共催のPTA広報づくり講座。1学期中に7回発行された『そよかぜ』をはじめとして6校17紙、さらに町教委の『生涯学習だより』の紙面クリニックを行なった。
昨年から2町合同の講座になり、広報づくりのボルテージはかなり上がってきていて、たくましさを感じている。それに応えるつもりが、かなり辛口の講評になってしまったようだ。だが、講座が終わってから30分以上、質問や相談があったので少しホッとした。

9月11日
 こんなメールが届いた。
「町主催の『広報紙づくり研修会』に参加したS中PTA広報委員のIと申します。当日、校長先生の原稿依頼について質問した者です、と言えば思い出しててただけますでしょうか。昨年は小学校の広報委員を、今年は中学の広報を引き受けました。中学は多少抵抗があったのですが、息子の写真欲しさに引き受けました。
 昨年の広報の研修の時の評価を聞いていたせいか、はじめの作業からわりとスムーズで今まで来ています。取材は行ける人で行い、記事と写真を私がもらい編集・レイアウトします。号外の職員の紹介では名前に仮名をふったり、次の号の修学旅行は広島を取り上げたかったのでそこにスポットを当てました。これも研修会があるおかげで的が絞れています。
 初めは、小学校と中学校で差があるように思い、何を伝えればよいのかと思いましたが、研修会でその思いも吹き飛びました。「みんなに伝えること」には変わりない、そう思いました。
 今回の研修で、私たちの広報紙の評価、あんなに誉めていただけるとは思ってもいませんでした。おかげで、次の号がプレッシャーで押しつぶされそう…です。次号は12月中頃発行予定ですが、三分の一くらいできています。そのなかで『地域ふれあい活動』『あいさつ運動』のページがあるのですが、そのページに頂いた資料の『オアシス』の話をぜひ載せたいのですがよろしいでしょうか? 私としては載せたいので、そのページはそれでもう作ってしまいましたが…。お許しのお返事をお待ちいたしております。

9月12日
 11、12日の二日を使っての秦野市P連の「広報クリニック」を東公民館で。参加者は22校から168名。参加予定の人数が当日になって増えているとのこと。秦野のPTA広報のレベルはこの参加者の人数でわかる。市内全校の運動会・体育祭が今週末から始まるので、その特集の組み方、特に写真の撮り方とキャプションの作り方、レイアウトのポイントなどを具体的にアドバイスした。そして「卒業アルバムのような作り方はしない」と念を押した。時機を得たようで好評だった。
 クリニックが終り、退室の仕度をしていたら、参加者の一人が近寄って来て「お会いしてお礼を申し上げたくて来ました」と言う。2年前のS小の広報委員長さんで「あのとき受けた広報クリニックで、S小のPTA広報は“大変身”を遂げることができた」のだそうで、そのお礼を直接伝えたいときょう特別参加されたとのこと。「きょうの話を聴いてまた広報を作りたくなりました」と笑顔の彼女から握手を求められた。思いがけない申し出に、私は机上にあったタオルで何度も何度も手をぬぐい清めた。

9月の第一土曜
【No.703】 2008年09月08日

 9月の第一土曜に集る会がある。中学校の同級生の有志が一晩語り明かす(飲み明かす)会だ。私はその会の特別会員で、今年で4回目の参加になる。
今年は9月6日で箱根・強羅に11名が集った。
 彼らは53歳、まさに今の社会をリードし、支えている年代だ。新幹線通勤で帰宅が平常で午後11時というC、部下の起こした個人情報の漏洩で、顧客170人の自宅を謝罪に回ったE、酪農家を顧客にしている獣医のHから聞かされた神奈川の酪農の現実、アネハの事件から、建築確認が厳しくなり着工件数が極端に減ってきているという建築業界は、「2,3年のうちに個人の工務店(大工さん)はほとんど消えていく」と心配するのは材木店経営のY。Mは52歳にしてトラバーユした。そんな今だからこそ、幼馴染とのこうした交流でそれぞれが元気付けられるのだ。私もまた、彼らの輪の中に身を置かせてもらうことで少し若返る、いや老化が少し抑えられる、と思っている。
 お開きになったのは午前3時とか。私は12時少し前に自分の部屋に戻った。 翌朝、ロビーでの解散の前に「来年は9月5日、ここで」と幹事のOの挨拶があった。私に限って言えば「来年のことはわからない…」。

長月スタート 今年も残りは四カ月
【No.702】 2008年09月04日

9月1日
 ホームぺージ更新。毎月の更新はけっこう負担になってきているが、一種の中毒症状のようで、書き換えないと気がすまない。また、更新というノルマをかけるとで、生きている意味を見出しているようにも思える。特に誰に待たれているわけでもない。まあ、自分のために頑張っているということなのだろう。
 きょうから今年の栗の収穫に入る。5sほど拾う。帰りに道路から見下ろしたら、どうやら豊作のようだ。
 夜9時半からの首相の臨時記者会見を観た。驚くと同時に、変化への期待を感じた。

9月2日 
 8時15分、大井町に向って車で出発。9時5分に会場に入る。9時25分から広報クリニック。自治会の会報、幼・小・中のPTA広報8紙をパワーポイントを使って講評。どれも前年度より充実している。特に写真を使っての情報伝達がじょうずだった。カラー写真の時代ではあるが、それによって印刷経費がかかり発行回数が減っていることが気になる。
 広報という文字からすれば「伝える」ことがその第一義であることはまちがいのないことなのが、私としては、時には、広報も「新聞」になって欲しいと思う。そんなことを最後に話した。

9月3日 
 藤棚発16時20分のバスにのる。東京・中野区の『なかのZERO』に到着が18時15分。
 中野区立中学校PTA連合会のPTA広報委員会の研修会。5月に二回、そしてきょうが第三日目の三回シリーズで、いずれの会も夜18時半からの2時間という設定。最終回なので、一学期の発行された広報紙を投影機で映し出し、全ページについてクリニックをした。
 参加は12校、少子化や社会的環境の変化で学校の統合が進められている。過去に統合された全校にPTAが発足し、広報委員会も置かれたことを聞かされひと安心。この四月に統合された委員会は「目下、編集中です」と笑顔。嬉しかった。
 講座の終了後、「ウチは委員が順番で参加しているのですが、わたしは全回出てきました。楽しかったです。あっという間の二時間でした」と私へのねぎらいの言葉を三人が掛けてくれた。そのうちの一人はお父さん。
 秦野駅発22時35分の終車のバスに間に合った。

防災訓練の日
【No.701】 2008年08月31日

 きょうは防災訓練の日。午前9時の訓練開始のサイレンが鳴る。非常用の袋の中身を点検。非常食はこの訓練日で入れ替えをすることにしている。9時10分、玄関に黄色のハンカチを掲げる。これは家族全員無事です」というサイン。 
 家から1分の防災用備蓄倉庫前に行く。もちろんヘルメットは着用している。60余戸の清水自治会。きょうの訓練には子供8人を含め、52人の参加。0歳の赤ちゃん抱えた若夫婦も。
 足場用のパイプと近くから切り出した竹で、まず避難小屋を作る。そのあと、災害用伝言ダイヤルの操作方について学ぶ。簡易トイレの設置と使用法の説明を聞く。消火器を使っての消火訓練。簡易担架を作り、負傷者の搬送の訓練。歩けない人を自宅から避難所までリヤカーで運ぶ訓練も。
 最後は非常食の炊き出しと試食。そして、全員で撤収作業。終わったのは11時30分。ここ数日らいの集中豪雨、新潟・中越沖地震や岩手・宮城内陸地震などの災害を自分のものとして受け止めての、有効で友好的な訓練だった。

PTA広報講座 “秋の陣”始まる
【No.700】 2008年08月27日

 きょうから私のPTA広報講座の“秋の陣”のスタート。秋の陣といっても、現実にはまだ夏休み中だから、きょうの講座のために設けられた学童保育室には10名ほどの子供たちがいた。
 講座の冒頭、参加した委員たちに一学期の活動を振り返ってもらった。

・年6回の発行のうち3回は終わった。大変だった。ちょっとダマサレタ感じ! 体育祭の写真を1000枚近く撮った。だからいい写真を載せられた。形に残る仕事はやりがいはある。
・広報委員はでしゃばりでなければダメだと思った。
・仕事との両立をかなり心配したがなんとかクリアできた。他学年の子供たちの活動が見られたことがよかった。学校に出かけることで、楽しいことをたくさん発見できた。
・一学期はサポートするだけだった。二学期は主体的に活動したい。
・(2歳お子さんを抱きながら) 小さな学校なので、「乳飲み子がいるからできない」などと言ったら同じ人が何回も委員をするようになってしまう。私のような条件でも活動できるということを確認したいと思って委員を受けた。そういう時代が来た、と思っている。物をつくるのが好きだから、大変だけと頑張っている。
・委員の利皆さんの負担の軽減ばかりを考えているのが現実。
・パソコンのできる人に負担をかけているので、思い切ってパソコンに挑戦している。夏休みはとくに頑張った。
・しゃべることはできるが、文にすることは大変。文にすると様々な問題(書いた内容について)も出てくることがわかった。
・助けてもらっている。委員の皆さんが協力してくれることのありがたさ、素晴らしさを実感した。
・前年度を超えた活動をすると、次年度の委員にプレッシャーになるのではないかと思っている。でも、前年度は超えたい。
・会員数が減っていく中での広報の必要性、重要性をどのように本部や会員に理解してもらったらいいのか。

職員研修会
【No.699】 2008年08月21日

 昨20日、東中学校の校内研修会に講師として招かれた。テーマは「東地区の歴史と文化を学ぶ」で、座学ではなく学区内を歩くという研修である。
 宮川校長先生以下18名の先生方、それに東幼稚園からも二人の先生も参加。「みちしるべの会」の4人も同行してくれた。
 午前9時に東公民館を出発。風は少しはあったが炎天下をおおよそ4時間歩いた。古道・大山道を歩くことが、この地区の文化や歴史、更には民俗を学ぶことになる。だから行程のほとんどが日なたを歩く。“正真正銘”最高齢は私、しかも私との年齢差は12以上の人たちばかり。でも、どうやら、完歩するという役目はできた。途中、同級生のKさん宅で、冷たいお茶をご馳走になった。これは学校と地域の交流の一幕。きょうのウオークで先生方が学んだことの一つに「武さんが元気で歩いたこと」があるとしたら、嬉しいことだ。

道祖神に会いに安曇野へ  道しるべの会のSご夫妻
【No.698】 2008年08月14日

『まほら秦野みちしるべの会』の会員であるSご夫妻との会話。
 「皆さんより一足早く、先週初めに夏休みをとり安曇野に行ってきました」。「道祖神巡りをしてきました。自転車で回っている方もたくさんいました。秦野ではあまり見られない握手像が多いですね。どの道祖神も大事にされているようでした。道祖神って、素朴なものと思っていたら、色鮮やかなものもあって驚きました。毎年、子供たちが色を塗り直すのだそうですね」とご主人。
 「このごろ、運転中に信号待ちになると、夫婦で道路脇をきょろきょろ見回してるんです」は奥さん。
 「道祖神にあやかって握手して歩いて回りましたか」と私。
 「はい!」と奥さん。
 「いや、ウソです。車で回ったのですから。それに家内の両親もいっしょでしたから」と“大慌て”のご主人。
 みちしるべの会をつくってよかった。



《新聞三昧》の三日間(8/7,8,9)
【No.697】 2008年08月10日

8月7・8日
 7月1日からずっと最高気温が30℃を切らないという暑い京都。そこでの第51回全国新聞教育研究大会に参加した。第1日の7日、「PTA広報づくり講座」を担当した。翌日8日の朝刊にこの大会のことが報じられていた。記事の中に参加者数も出ていた。1紙は220名、もう1紙は300名だった。開会式での主催者の報告では200名。
 2日の「実践発表」ではPTA分科会に出席。5校のPTA広報委員会の話を聴いた。オレンジ色のオリジナルTシャツで登壇したT広報委員の4人の胸には「われ等広報オタク」というロゴが踊っていた。「広報委員だけはごめんだ」と言われるこの時代、「気がついたら、また広報委員になっていました」と報告する人に、会場に小さな笑いが生まれた。
「今だからこそこの企画を」と思う感性、そして紙面づくりにかけるお母さんたちの心、何よりその意気込みに私自身も励まされた。助言者から「サロン型の編集はできれば避けたい、結構多くなっている」との指摘があった。この会場で提案した5つの広報委員会は、いずれも《広報の意義とその活動》に引かれた人たちの集りで《サロン》ではない。

8月9日
 「誰でもできる新聞づくり」の2回目の講座。きょうの参加は20人。欠席者は事前に「体調不良」と主催者に連絡が入ったそうだ。
 宿題だった(1)題字を決めて書いてくる、(2)作る新聞の資料を集めてくる、は子供たち全員が守ってくれた。13人全員の記事の内容とレイアウトを指導。時間内に完成した新聞は2紙。8月31日までにがんばるように話して終了。
 改めて思ったこと。「教室の生徒が少ないと目が届く」「生徒一人に一人の助手(きょうの場合は母親)が付くことで子供の力は伸びる」。

8月4日
【No.696】 2008年08月05日

 秦野市中学校教育研究会の新聞部会の「パソコン新聞の作り方」講座が開かれた。講師が東京の田村先生なので私も参加。受講生は13名。このくらいの人数だと、講師が受講生一人ひとりの画面を覗き込んで指導ができる。よい講座だったと思う。
 夜は「ゆとりの会」の暑気払いの会。27名中21名の参加。会の活動のメインである「菊作り」を成功させるための“元気付け”の会でもある。十分飲んで、しゃべって、皆さんから元気をもらって帰ってきた。

守山義雄記者
【No.695】 2008年08月02日

 朝顔が今朝は10ほど咲いた。5時半から『農業委員会だより』を配って歩く。薮陰の道は今年竹が勢いよく伸びていて、脱ぎ捨てた皮が道いっぱいに広がっていた。きょうは土曜日だからなのだろう、散歩の人に一人も会わなかった。
 昨日は一日中草取りをがんばり過ぎたので、きょうは完全休養の日。一日遅れでホームページを更新。いつか紹介したいと思っていた朝日新聞の記者守山義雄さんの記事をきょうの高校野球の開幕に合わせてアップした。
 「風雪に耐えるものを書く」のが新聞記者だという。初めて守山記者の文に触れたのは次の記事だった。

「『パリ迄二十六キロ』道端の標識にははつきりさう読まれたが、御者台の兵士達はなんの感興も湧かぬ面持で連日の強行軍の疲れから馬の手綱を握った儘うつらうつらと揺られてゐた。道はサン・ドニのだらだら坂を上り切つて小高い丘の上に出た。その時突然一人の兵士がアツと叫んで前方を指さした儘声を呑んで了つた。あのエツフエル塔が指呼の間に悠然と聳えてゐるではないか」「一八一四年及び一五年ナポレオン一世の末期、一八七〇年ビスマークのパリ攻賂に続く之は近世史に於けるドイツ軍の第四回目のパリ入城である」「家々は殆ど表を閉ざし窓を閉め切り所々に薄汚い老婆や鳥打帽子にネクタイ無しといふ労働者が四、五人づつ固り合つて独兵の入城を見守つてゐる」『独軍パリ入城従軍記』(1940年6月17日・朝日新聞)

【No.694】 2008年07月27日

25日
「みちしるべの会」の横山会長以下6人で鶴巻の「下部の灯篭立て」を見に行った。はるか江戸時代から、大山の夏山詣でをする信者のために、落幡地区の人たちが夜道の道しるべとして、灯篭を立て灯を点してきた。
 毎年、この日に建坪2坪ほどのお堂を組み立て中に灯篭を立てる。この日は地元・落幡下部の有志が20人ほど参加。年配者が指揮を執りながら若い人、と言っても40代? 屋根に上がり汗を流している。
 この灯篭が初めて建てられたのは今から300年ほど前らしい。今は、この灯をたよりに大山に向う人が全くいない大山道だが、今年も地元の人たちの旅人の安全を守る心が温かくともった下部灯篭だった。(詳しくは8月1日更新の「秦野のおはなし」で)

26日
 東公民館で『世界でたった一つの新聞を作ろう』の講座。小・中学生15人、大人10人が参加してくれた。年齢で言えば10歳の男の子から60代後半の熟女まで。まず「新聞っておもしろい!」ということを知ってもらうため、「新聞の値段はどこに書いてあるか」を探してもらうことから始めた。
 9時半から2時間できょうは終り。宿題は「新聞の名前を決め、それを割付用紙に書いてくること」。次回は8月9日。
 この講座の参加の子供たちに「秦野ゆとりの会」からスズムシがプレゼントされた。「秦野ゆとりの会」とは、私も所属している教員OBの会。昨年まで「秦野園芸愛好会」という名称だったが、活動の幅を広げるために「ゆとりの会」と改称した。会員数は29名。
 この日は「行灯作りの朝顔」展示会を同公民館で開いた。私も一鉢で参加。
 酒匂川の鮎が届いた。昨日釣ったものとか。笹の葉が敷かれている皿に20a弱の大物ばかり10匹も。風流なNさん!


トマトでビール
【No.693】 2008年07月22日

 きょうで4日、午前中は畑に出ている。里芋、サツマイモ、キュウリ、ナス、トマト、いずれも雑草に取り囲まれ、覆われ、息絶え絶えだ。ハキダメギク、メヒシバ、オイシバ、カヤツリグサがその中心勢力。
 ハキダメギクの白い花の匂いは鼻に来る。この花粉はどうやら私には花粉症をもたらしているようだ。この花は渡来種だそうで、牧野富太郎博士が掃溜めで見つけて名前を付けたのだそうだ。メヒシバは細い茎だが、穂に何百もの種をつけている。その穂を一本でも落としておけばたちまち…。そしてもっとも手が焼けるのがヤブガラシ。畑を囲んでいるお茶の根元から地下茎を四方八方に伸ばし、放って置けばいたるところに芽を出し、蔓で一面を覆ってしまう。地下茎をじょうずに引き抜くと2bくらいまで取れる。日向に置けば枯れるが、地中に残った数センチの根からまた芽を出す。耕運機で耕し、切り細裂いてもそれらの全てから芽を出す。今、ヤブガラシは花どきでもある。この花が好きだと言う人もいるが、私には迷惑極まりない。
「汗は滴る禾下の土」、その気で草と格闘している。気分は上々である。だが午後はとても務まらない。
 今夜も採りたてのミニトマトでビールを飲む。

迎え火
【No.692】 2008年07月14日

7月13日 きょうは「盆」迎え火の日。8時にお墓の掃除を兼ねての墓参り。墓から山に直行し、今年生えた女竹を50本ほど切った。9時過ぎに帰り、その竹で「ツジ(ご先祖様を家の中に迎え入れる休み処)」を作る。10時から生ゴミの集荷場についての3班での話し合い。10時半ころ戻って来て盆だなを飾る。キュウリの馬とナスの牛を作る。手綱は細いウドン。
 3時少し前、「ツジ」の前にウマとウシを連れて行き迎え火を焚いた。これでご先祖様は一年ぶりのご帰還。近所の6軒の「ツジ」にお線香を上げに回る。昔は子供の“お勤め”だったのに、今は年配者が回る。
 久しぶりに高校野球のテレビ放映を試合終了まで見た。正確に言うと9回裏2アウトで放映は終わってしまったのだが。あとワンアウトなのに…。妻が勤務したI高校が勝っていたのに…。
 父が植えた10数本のヤマユリはほぼ満開、父の今年の来訪を待っていたかのように。

「共生」
【No.691】 2008年07月11日

白眉 進「お父ちゃん、道 間違えなかった?」
白眉森男「間違えてなんかいないよ。昨夜と同じように小学校の校庭の街灯の光もあるじゃないか」
白眉真子「だけど、お父さん、景色が違う。あっ、無い!トウモロコシが一本も立ってない!」
白眉森男「やられた! 人間に先回りされた。今夜がいちばんたくさん食べられるはずだったのに。畜生、やられた!」

 庭続きの畑に昨夜現れたハクビシン一家の会話である。

 忙しさより怠惰から、ずっと畑を見回りしなかった。昨日の朝、久しぶりに畑に入って発見。30本ほどのトウモロコシのうちの10数本が倒れている。そしてようやくふくらみ始めたトウモロコシの実が見事に食い荒らされていた。ハクビシンの仕業。これからが本当の実りになるのだが、防ぎようがない。
 地球温暖化を危惧した今年のサミットのテーマは『エコロジー』だった。だから「自然との、動物との共生」はしなければならないのだが、ことがわが家のトウモロコシになると、ハクビシンとの共生は残念ながら考えられない。いや、もう十分共生した。それで、残っていたトウモロコシは全部引き抜き、実をもぎ取った。
 いちばん大きなもの、と言っても15センチほどの2本を仏壇に供えた。13日から始まるお盆に供えるつもりだったのに。
 残りは全部、昼食として茹でて食べた。もぎたてだから甘かった。そして思った「わが家の夏はもう終わった」と。

七 夕 
【No.690】 2008年07月07日

 秦野市制施行50周年記念の『市民が作る広報はだの』を作った編集委員が旧交を温める会が昨夜開かれた。
 平成16年7月6日に第1回編集会議をもったので、毎年7月6日に集ることにしている。会の名は『夢進会』。
 昨夜の主賓(?)はこの4月から小学校の先生になったCさん。会名の趣旨の通り「教師になる夢」を実現させた彼女に私たちは励まされた。
 
〈乾杯の前の私のあいさつ〉 
 明日は七夕、「一年に一度会う」ということを祭りにしている民族は日本人だけかもしれない。「会う」ことは、嬉しい、楽しいこと。だが、会うということは、また悲しいことや苦しいことでもある。生きていることは「会うこと」。「一期一会」という言葉の趣旨を、瀬戸内寂聴さんは「『心を込めた別れ方をすること』だと思っている」と書いている。寂聴師のこの言葉に強い共感をおぼえるのは年齢のせいか。きょう、一年ぶり集った。心を込めた別れを意識した、楽しい、嬉しい会にしたい。

「新聞づくり」の行脚も一区切り
【No.689】 2008年07月04日

 4月15日から始まった「新聞づくり」の行脚は、昨日の相模原・橋本公民館でのPTA広報講座で一区切り。
 会場に入ったのは9時25分。すると「講座の始まる前に、広報を見てもらいたいと言う学校があるのですが…」と主催者からのお願いで、印刷前のものをクリニックすることになった。パソコンで製版、自校印刷という、手づくりのもの。1面の写真が印象的だから、当然企画や記事もしっかりできている。全ページ繰ってから「第1号としては言うことはありません。よくできています」と言ったら、緊張していただろう三人は、顔を見合わせ「よかった!」と声を弾ませた。
 講座の後、控え室に来た3校から、「学校行事とPTA行事の記事の分量比」「この写真は掲載してよいか」「数字の表記のきまりはあるのか」という質問があった。
 主催者6人と中華で昼食。“教育の世間話”の花が咲いた。母親の心の中を少し覗ぞけたような気がした。
 帰って、4時から6人のお母さんがたちと、明日出稿する『はたのP連だより』の紙面の点検。

文 月
【No.688】 2008年07月02日

昨夜も東中学校の大イチョウから「ほー、ほー」というアオバズクの鳴き声が聞こえてきた。
 ウチから直線距離で500bほど東にある里山から、一日中鳥のさえずりが聞こえてくる。オオルリ、ウグイス、ホトトギス。ことしはホトトギスの鳴き声がよく聞かれる。それと対象的にウグイスのさえずりが少ない、そんな気がする。ホトトギスが増えれば託卵されるウグイスの数は減る。

 昨日10時から『P連だより』の編集会議。7人が集る。市内22校の会員に読まれるのだと思うと、どうしても“力む”し“気取る”。だから見出しも記事も硬い。気軽に手にしてもらえるように、お母さん編集者らしい、柔らかい、温かい見出しづくりをがんばってもらった。
 20年前、市P連の事務局を担当したときの役員で年に2度旧交を温めている。その会の『暑気払い』の連絡が来た。人の一生は“出会い”と“別れ”、会うことは大切なこと。
 3日に相模原で開くP広報講座の担当のお母さんから最終確認の電話が入った。「楽しみにしています」。そう言われ、「私も楽しみにしています」と応えた。

快調 「みちしるべの会」の活動
【No.687】 2008年06月24日

22日
 「まほら秦野みちしるべの会」の6月の定例勉強会の日。17人全員が出席。これはスゴイことだ。きょうは今まで歩いて調べてきた道標を地図に整理することになっていた。
 現地踏査をした折ごとに、横山さん(会長)がイラストを描き、浦田さんがそれに説明を付けることをずっとやってきてくれている。そりで「これで十分、素晴らしいマップができた」とほとんどの会員が賞賛し、更に次の地区へ足を踏み入れる話になった。
 それでも、会長から「次の8月例会までに、それぞれが好きなコースを再度歩き、さらに付け加えることがあるかどうか調べてみたい」と宿題が出た。
鶴巻地区で行なわれる「大山詣でのための灯篭立て」の見学も計画した。

23日
 大山の地元は伊勢原市。もちろん秦野も地元だが…。その伊勢原市の歴史観光アドバイザーのグループ『アド・おおやまみち』の5人が、わが家を訪問してくださった。私たちの『みちしるべの会』は大山道の道標を確認し、地図を作ることをしているが、最終的には「大山道のガイド」になることを目指している。
 こちらから横山会長さんと寺山在住の会員・小泉さんも加わり、2時間ほど活動を披瀝し合いながら、勉強した。 
 大山の足元伊勢原に「大山道」に興味を持つグループがあることが嬉しかった。「いつか、コラボレートできたら」という言葉でこの日はお別れした。


岩倉具視
【No.686】 2008年06月22日

 家電器具の大手量販店に買い物に行った。レジで「岩倉具視」を出した。担当の若い男の店員はじっとお札を見つめ、次におもむろに私に向って「これ、使えますか」と言う。「ええ」と私。
 彼はそのお札を手にしたのだが、レジを打とうとしない。困っているのだ。それで、私「心配なら、調べてきたら」。そうしたら彼、ホントに走ってどこかに。
 3分くらい待たされた。他の三つのレジからは、無関心を装いながら、実はいぶかしがっている視線が何本も。ほどなく走って帰ってきた彼、「失礼しました。使えます」。
 「冗談じゃない」と怒鳴りたかった。だが「この顔相、服装じゃあ…」と思うことにした。せめて“年恰好”から判断してくれればいいのに。
 この500円札、まだ20枚ほど手元にある。母が趣味で? 集めておいた遺産? である。「そのまま遺産として残して置け」との、母の思いがこもっている“岩倉具視”さんたちである。

世田谷区中学校教育研究会新聞部会
【No.685】 2008年06月20日

6月18日 
 世田谷区中学校教育研究会新聞部会で『学級経営と学級新聞』の話をさせてもらった。講座の終わりに、質疑を兼ねて参加された先生方と今の生徒たちについて意見交換、というより中学校の現実を聞かせてもらった。
 子供たちが、文を書くことをひどく苦手にしていることを知った。単語だけで会話が成り立つっている(実は会話になっていないのに)子供たち。メールという便利な意志伝達の手段が、残念なことに逆な効果をもたらしているようだ。30名ほどの参加者の皆さんから、いろいろなことを教えてもらった。
 Kさんに贈られで、8時過ぎに上野毛駅から二子玉川、相模大野経由で秦野に帰ってきた。帰宅ラッシュの時間帯だった。その人たちに混ざって、ちょっぴり“現役”を感じた充実した一日だった。
 この日の講座の詳細は、7月1日更新の『マンスリーエッセイ』のページで。

一二を争う高感度
【No.684】 2008年06月12日

 昨日は渋谷区役所での講座。50名余の参加で、お父さんの顔もいくつか。「依頼原稿をどこまで直していいのか」という質問が出た。講座が終わってからも質問が3件。前年度発行号のクリニックを2紙。講座で例示した参考紙を「よく見たい。参考にしたい」と集ってきた3グループ。そして「こういう内容の特集を私たちもやろうよ」と気合が入った会話が聞こえてきた。その中の一人が「できればコピーさせて欲しい」と言うので講座の担当者に頼んだ。
 「初めての広報、でもどうしたらいいのかが分った。やる気が出た」とわざわざ感想を述べに来てくれた人。発行後のクリニックを約束した委員会。コンクールに挑戦したい、と笑顔で言って帰っていった人もいた。
 4月からの始まったPTA講座の中で、その高感度は一二を争うものだった。「どうしたらいいのか分らない」と戸惑っている、悩んでいる委員たちに少しは役立ったのかもしれない。4時ごろ帰ってきたら受講者からお礼のメールが入っていた。

 留守の間に朝顔と夕顔の苗が届いていた。Mさんからだ。園芸愛好会一番のダメ会員の私なのだが、こうして毎年Mさんからたくましい苗をいただいて、大きな花を咲かせている。

【No.683】 2008年06月10日

「洗濯指数100」の日だった。わが家のベランダも文字通りの満艦飾。
 一週間ぶりに竹薮に行ってみた。わが家の筍はまさに旬だった。40本ほど採る。軽トラなので帰りに数軒に配って回った。熟年層ばかりの家庭なので喜んでもらえた。夕食は竹の子と新ジャガの煮物になりそうだ。
 明日は渋谷区でPTA広報講座。5月の後半からしばらく“空いて”いたので、資料を確認しながら士気を高めた(つもり)。

新聞の秦野
【No.682】 2008年06月07日

 平成19年度の神奈川県PTA広報紙コンクールの結果が昨日発表された。秦野の代表3紙、秦野市立本町中学枚PTAの「丹沢の風」は、トップ賞である県P会長賞。西小学校PTAの「西のいぶき」と西中学校PTAの「西中PTAだより」はともに優良賞。上位6紙の内の3紙が秦野のもの。

 体育館を建て替えている東中で、工事の進行状況を伝える月刊新聞が2年生の有志で発行されている。B4・1ページの第2号を持って、3人が訪ねて来た。全校生徒に読んでもらっているらしい。メンバーは6人で『花軍団』と名乗っている秘密結社だそうで、リーダーは女子のHさん。
 きょう訪ねて来たのは、このHさんと男子2人。「陸上部なので十分協力できないが」と言ったのはOくん。Kくんは「ボクがいちばんサボっている」と笑っていた。
 工事現場に毎日入れてもらい、写真を撮り、現場の人のインタビューも採ってあり、けっこう興味深い紙面になっている。昨年、総合の時間のまとめを個人新聞でしたのだが、その流れがこの新聞になっている。いかにも「新聞の東中」らしい。

きょうは寄り道していいよ
【No.681】 2008年06月06日

 お隣の東小学校6年生の「総合の時間」の授業を頼まれた。朝から夏模様で気温もかなり上がっている中、114名の子どもたちが一生懸命聞いてたくれた。
 東地区の地名の由来を話した後、今日の帰りに訪ねて欲しい場所を帰宅するコース別に紹介した。子どもたちの中から「寄り道していいの」という声が上がった。「いいよ。でもコンビニに寄って涼んで帰るのはダメだからね」と私。どれだけの子が“寄り道”してくれるか、楽しみ。


新緑
【No.680】 2008年06月03日

 雨に打たれ少し葉が垂れ下がっている庭の木々を眺めている。暇に任せて木々の名前を調べてみたら、
 アオキ 青桐 赤松 アケビ アケボノツツジ アラカシ 公孫樹 イトヒバ イヌツゲ ウバメガシ 梅 温州蜜柑 エニシダ エビヅル カイヅカイブキ 柿ノキ ガクアジサイ 柏 キャラボク 金木犀 栗 クロガネモチ 黒松 月桂樹 欅 コムラサキシキブ ザクロ 山茶花 サツキ サルスベリ サンゴジュ サンショウ 紫木蓮 シュロ 杉 セイヨウアジサイ センダン  千両  染井吉野 茶ノキ ツゲ  椿 ツルウメモドキ ドウダンツツジ 夏蜜柑 南天 ニシキギ ニッケイ ネズミモチ 白木蓮 ハナミズキ バラ ヒイラギナンテン ヒサカキ 檜 枇杷  牡丹 マサキ 万両 ミヤマキリシマ モミ モチノキ 桃 ヤツデ 薮椿 ヤマアジサイ ヤマツツジ ヤマフジ  山吹 ヤマモミジ  雪柳 ワビスケ。
 それぞれの新緑は一つとして同じ色ではない。日本人の細やかな感性は緑色を、若芽色、若葉色、若草色、若苗色、若緑色、浅緑色、薄緑色 黄緑色、薄萌葱色、萌黄色、萌葱色などなどと区別し表している。


鶴丸
【No.679】 2008年05月31日

 JALのシンボルマークの「鶴丸」が昨日で消えたとテレビが報じた。それで、二階の袋戸棚を探したら、あった! スカイブルーの地の白の鶴丸マークのJALのバッグが…。
 1975年の秋、ニュージーランド・オークランドにあるルレミューラ小学校を訪ねたときのこと。休み時間、寄って来た子たちに鶴を折ってやった。その一羽を手にした女の子が、「JAPAN AIR LINE!」と歓声を上げた。

念ご冥福
【No.678】 2008年05月27日

 フリーアナウンサーの川田亜子さんが亡くなった。昨年8月17日、新潟市体育館で北桜関と私達夫婦が記念写真に納まったとき、カメラのシャッターを切ってくれたのは川田さんだった。

秦野『P連だより』創刊35周年
【No.677】 2008年05月24日

5月23日
 秦野市の『P連だより』が創刊されて35年になった今年度。その記念号の座談会に出席した。過去に編集に携わった者が私を含め7名。それに今年度のP連の本部3名が加わっての座談会。皆さんが、新聞づくりのエピソードで往時を懐かしんだ。創刊号は手書きだったが、そのときの筆耕者のEさんは、創刊に漕ぎつけるまでの記録を持っていらっしゃった。
 35年間『P連だより』に関わってきたので、この日出席された過去の編集者6名全員存じ上げている。そのことをちょっぴり誇りに感じた。
 『P連だより』、秦野市P連がこれから目指すべき方向について提言がたくさんなされた。

風雨を突いて
【No.676】 2008年05月21日

きのう20日午前8時、大荒れの天候の中を寒川町に向う。電車か車かと迷ったが、車で行ってよかった。1時間10分で到着。相模線は遅延との情報があった。
 小学校の始業が2時間遅れ、ということで出足は今ひとつ。30名余集まったところでスタート。
「昨夜からのこの雨風に、もしかしたら広報委員としてのこれからの活動が“波乱万丈”、いや“泣きの涙”の一年間になるのでは、と不吉な思いに駆られたかもしれません。でも大丈夫です。この講座が終わる2時間後、たぶん空は五月晴れになっています。そして、私の話を聞いた皆さんは『広報 がんばる』と、晴れやかな心になります」。こんな図々しい言葉で講座を始めた。
 講座が終わった12時、薄日が差していた。そのことを会場に告げたら、皆さん笑ってくれた。
 参加された一人がわたしに挨拶をしてくれた。「前にお話を聞きました。今年は広報委員ではないのですが、先生がみえるということで来ました。また広報をやってみたくなりました」。
 寒川町での講座は4年ぶり。この言葉にわたしの心は晴れやかになった。参加された広報委員の心も少しは晴れやかになっただろうか。

この一週間
【No.675】 2008年05月17日

12日 秦野市P連「PTA広報技術講習会」
    本町中学校生徒会「新聞講習会」
13日 中野区教委・P連「PTA委員研修会・広報部会(第2日)」
15日 柏市P連「PTA広報紙の作り方講座」
 

この一週間
【No.674】 2008年05月10日

7日 伊勢原市P連「広報紙づくり講習会」
8日 荒川区教委「PTA広報研修会」
9日 中野区教委・P連「PTA委員研修会・広報部会」
10日 東公民館主催の「世界で一つの新聞を作ろう」講座の打ち合わせ

大型連休終わる
【No.673】 2008年05月06日

 朝から裏の木立でオオルリがさえずる。五月晴れの今朝の空に透きとおる声が響きわたる。その姿を探しに出るが、きょうもまたお目にかかれない。戻ってきてパソコンの席に着き、何気なく目の前のガラス窓に目をやった。窓から1メートルほどの所に立つ月桂樹に鳥の姿がある。ジョウビタキのメスに似ているが、少し大きい。季節からすればジョウビタキはもう北に帰っている。特長の紋付もない。イタズラっぽい大きな黒い目でこちらを見ている感じ。しばらくして飛び去る。裏の茂みからまたひとしきり「ピイーヒィーリリリ」(これは図鑑にある鳴き声の表現・私には文字では表せない)。もしかして、そう思い図鑑を開いた。オオルリのメスだった。今度は鮮やかなルリ色のオスにぜひ会いたいものだ。
 食べ切れなかった東京ネギが百株ほどすっかりトウが立っている。それを整理し管理機で耕す。キュウリやトマトの苗を植えためレーキで整地していると、ハクセキレイが1羽、私の後を着いてくる。耕された地面に現れる餌をとっているのだが、私を慕っているように思え、しばらく手を休め無言の対話をした。
 昨日のNHKの正午のニュース。大型連休のUターンが始まったことを知らせるワンカット。「もうみんな帰っちゃうの」とつぶやいく3歳くらいの女の子の横顔。そして、チラッと映った顔は涙がいっぱい。このカメラマン、いい人だと思った。
 家族でささやかな晩餐。熱燗を二本飲んだ。

5月3日
【No.672】 2008年05月04日

 K大学民俗学研究会の会員Mさんの来訪。Mさんは大学2年生で東中の卒業生。この連休中に、会員はそれぞれふるさとに帰り、伝説や民話を直接地元の人から聴き、その資料・文献を集めるという課題が出されたのだそうだ。既に集録されたものではないものを求められたので「ちょー塚のお婆」を話した。いまどき珍しいくらい礼儀正しい好青年だった。彼から「お寺のない村」を教えられた。東中にいる弟が、昨年、私の話を聞いて『道祖神の新聞」をつくったとのこと。それがきっかけでわが家の訪問になったらしい。2時間ほど過ぎたことを腕時計で確認した彼は「2時間経ちましたので」と立ち上がったのだった。私には楽しい2時間だった。
 晩酌のビールを楽しんでいるとき玄関のチャイムが鳴った。応対に出た妻が「長谷さんよ、来てください」と大きな声で呼ぶ。玄関に立っているのはお隣りのTさんだった。「エッー、帰ってきたんだ。お帰り!」。5年前、高校を終えるとすぐニュージーランドに留学したTさんだった。日本橋のホテルで働いているとのこと。日本の生活のあわただしさ、雑踏に「かなりマイっています」と笑う。「山や緑が眺められる寺山が実家でよかったです」とも言った。両親に代わって、隣組の組長の仕事である集金をして歩いているTさん。いまどき、23歳の女性が休日に実家に帰ったおり、こんなことをすること自体、信じられないことだ。
 素敵な若者二人に出会えた今日は、天候とは逆の爽やかな一日だった。

500回目の新聞講習会
【No.671】 2008年05月01日

 きのう、4月30日の毎日新聞の朝刊に5段抜きの見出し「武さんが500回目の講習会」で、私の活動が紹介された。よい写真も撮ってもらった。(『エコー』のホームページをご覧ください)午後4時から、東中でその500回目の新聞講習会。校長先生と担当の先生から「ウチで500回目の講座をやっていただけるなんて光栄です」という言葉をいただく。私なりに今日の講座も一生懸命努めたつもり。

 今日から5月、昨年一年がんばったN小の広報委員さん二人が年度最終号を持って来訪。「去年の今ごろは…」と、その活動を懐かしんでいる。なんとなく、未練もありそうな言葉もちらほら。指導してきた私としては嬉しい。PTA論など2時間ほど話す。

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