- 寺 山 だ よ り -

Sさんの冬至の日
【No.822】 2009年12月23日

 Sさんの冬至の日

 今日は冬至です。先生の21日の日記に「明日は冬至」とあり、そうなんだあと改めて気づかされました。アトリエの前にある柚子を採ってきてと、今朝、夫に言ってたら夕方忘れずに持ってきました。今、彼は柚子湯にのんびり入ってるようです。かぼちゃを食べて、深谷ねぎをたっぷり入れた鍋物をいただき、幸せ気分です。お陰様であたたかい冬至となりました。
「深谷ねぎ」と言えば、午前中、印刷屋さんと打ち合わせをしていたら、宅急便が届きました。大きな箱にどっさりと、驚くほど大量で「深谷ねぎ」なんです。冬至に深谷ねぎというのもぴったりですね。贈り主も22日に届くように配慮してくれたような気がします。お昼に、一本を長めに切って、焼いて焦げ目をつけ、すき焼のたれをつけながら食べたら、格別の美味しさでした。中に甘味が閉じ込められふっくらととろけるような柔らかさで、ねぎそのものの味わいが楽しめました。みどりの葉っぱもよく焼けて美味しかったです。鍋に入れる場合も先に焼いておくのも風味がありそうです。

明日は冬至
【No.821】 2009年12月21日

 土曜日、50代半ばの教え子たちの忘年会に招かれた。学級新聞づくりの思い出話になったとき、「カゼで学校を休んだら、班の仲間がガリ版と原紙をウチに持って来て、自分の分担のところを書けと言った。そのくらい新聞づくりに燃えていた」とMさん。「怖かったもんねえ」とAさんが笑った。「でも、それで『3Cタイムス』は日本一になったんだから」とYさん。慙愧に耐えない私。許せ!

 食事のときの私の席から見える鈴なりのユズ。(恐らく100は超えているだろう)晩秋の朝日を浴びて輝くその黄の鮮やかさに箸を休める。そして今朝、そのユズは1個を残して全てその姿を消していた。そのユズが5個わが家に届いた。明日は冬至。

「伊勢原市内の大山道と道標」展
【No.820】 2009年12月18日

 伊勢原市教育委員会が「伊勢原市内の大山道と道標」展を開いているので見学に行った。道標の写真が100点あまり展示されていた。道標以外にも、「大山詣で」という民俗行事は文化であるという示す資料をたくさん見ることができた。私たちの会の活動は、その足元にも及ばないが、大きな刺激を受けた。

 今朝の神奈川新聞の「旅の思い出」は武勝美の巻。

花一輪
【No.819】 2009年12月10日

 庭の南端に樹高3bほどのヤブツバキがある。ヤブツバキは、その名のとおり茂るに任せておくほうがよく花が見られる。そのニワツバキの枝を下ろし、葉を梳いてもらい、庭木に作ってもらった。
 二階から出来上がった樹姿を眺めた。天辺に一輪ツバキの花が見える。整枝すれば、残念ながら花も切り落とさなければならない。だが、庭師は天辺の一輪をしっかり残してくれた。庭師という職業意識をその一輪に見た。うれしかった。

ウチの桜も枝下ろし
【No.818】 2009年12月06日

 樹齢100年くらいだろうわが家の桜。きょうその枝下ろしをしてもらった。クレーン車を入れての大仕事。花はいいが落ち葉は近所に迷惑をかける。全体をつめてもらい、今までのサイズの半分くらいになった。この桜の下で宴をもったことも数回あった。昨春は「大山道を歩く」講座の人たちにも眺めてもらった。ベッドに横になることが多かった母のためにライトアップをして眺めさせた桜でもある。ホームページのギャラリーに載せたような桜花が見られようになるには何年必要だろうか。作業の様子をカメラに収めた。
 樹木医の石井さんのレイアウトで見事に整えられた姿は、冬の青空を背に際立つ。

東中学校の大イチョウ
【No.817】 2009年12月04日

 朝からチェーン・ソーの音が大きく伝わってきていた。「どこで」と思い、二階から見渡した。東中学校の大イチョウに青色のクレーンが寄り添っている。既に下から三分の一の枝は切り落とされていた。急いでカメラを持って駆けつけた。
 東中学校がこの地に開校して60年が経つ。樹齢200年以上とも言われているこのイチョウは、校地を提供された武家の裏庭にそびえていた。それがそのまま校庭に残された。東中学校はもちろん地域とってもシンボル的な大樹である。きょう、その大樹が校庭整備のため移転の準備に入った。

初の企画の広報クリニックは成功
【No.816】 2009年11月21日

11月20日
 10時から相模原市でPTA広報講座。春の講義に秋のクリニック、このセットでの企画は今回が初めて。
 公民館の一室を一日借り切り、今年度発行された広報の展示をした。その展示された広報のクリニックと次号に向けての企画の相談を受けるのが私の役割。1校に割り当てられるのは10分だが、どの広報も時間オーバーで、その都度、進行係りから「そろそろ」と声をかけられた。持参した資料・優秀PTA広報紙の全てをコピーしたいとのお願いも出た。午前の部が終ったのは13時近く。
 展示会の盛況ぶり、そしてクリニックや相談に対する各校の広報委員たちの熱心さに、企画したP連の広報委員たちはその成功を感じ、喜んでいた。

ヘリコプターに乗せてもらいました
【No.815】 2009年11月17日

 大学同期の仲間5人で箱根を旅した。現役を離れてから隔年で集っている。今年は私が幹事。
 運転にあまり自信が無いので、無理を言って教え子のYさんに車を出してもらった。15日・日曜日、午後秦野を出たので、箱根に登るのはそんなに混んでいるとは思わなかった。ところが箱根板橋を過ぎたあたりでまったく動けなくなった。
 Yさんは迷わず箱根新道にコースを変えた。その日の宿は強羅だった。Yさんは箱根町に向わず芦ノ湖スカイラインに入った。しばらく走るとヘリポートが見えた。
「間に合った!」とYさんの喜びの声。なんとYさんは私たちにヘリコプターの遊覧飛行をプレゼントしてくれたのだ。「いい思い出になれば、と思い。冥土の土産かな」とにっこりのYさん。
 夕暮れの富士、そして芦ノ湖と周囲の山々の黄葉紅葉を、5人とも初体験のヘリコプターの機上から眺め入った。
「こんなことをしてもらっていいのだろうか。教師冥利に尽きる」と涙がにじんだ。

「ゴンドラの唄」
【No.814】 2009年11月12日

 森繁久彌さんの「ゴンドラの唄」をユーチューブで見つけて聴く。1965年の紅白で歌ったものだった。その森繁さん、間奏の間に詞を吟じている。
 こぼれ松葉をかきあつめ をとめのごとき君なりき、 
 こぼれ松葉に火をはなち わらべのごときわれなりき。
                   (「海辺の恋」佐藤春夫)

 昨年11月27日、信州・中野の中山晋平記念館で、私たち秦野ゆとりの会の19人は「ゴンドラの唄」を歌った。
 ♪いのちひ みじかし こいひせよ おとめー♪
 

150,001
【No.813】 2009年11月11日

10日 
お隣に庭師が入った。「もうお正月を迎える準備が始まったんだ」と思う。ウチの庭は桜の枯葉の吹き溜まり状態。年の瀬のあわただしさが迫ってきていることを実感。
日曜の歌壇でこんな歌を発見。
 庭師来て鋏を鳴らす今朝の秋さえずる如しはさみの音は  今城 保
 
 はさみの音を「さえずり」と聞く今城さんと、「年末」を感じ取ってしまう私。この違いはどこから生ずるのか。


11日
 8時ちょっとすぎホームページを開いたら来訪者のカウンターが150,001。

祭りの後
【No.812】 2009年11月09日

7日
 公民館祭り。8時に行ったら、わが「秦野ゆとりの会」の会員は10名ほど集っていてテントを建てていた。今年の私は「ゆとりの会」から「菊の福助づくり」で。「秦野みちしるべの会」では一年の活動のまとめのイラストマップ第4、5編の公開。そして「夏休みの思い出を壁新聞づくり」の作品の展示、と三部門で参加。マップを見に来た教え子のSさんが、単身赴任の父親に『寺山ものがたり』と『続寺山ものがたり』を読ませたい、と買ってくれた。サインを求められたので「健康第一」と「ふるさとは大事」と記した。
 4時から還暦の教え子の同窓会に出席。「白髪、小じわは勲章」と挨拶。卒業以来という子も数名いた。話に花が咲き、目の前のしゃぶしゃぶの肉の大皿にまったく手をつけなかった。

8日
 公民館祭りの第二日目。「イラストマップ」第4編のために千村地区を案内してくださった相原さんが、お孫さんと激励に来てくださった。「ゆとりの会」も「みちしるべの会」も、後片付けをしながら、来年のことを言葉にし合っている。“祭りの後”は一抹の寂しさを感じるものだが、そこにはそれが無かった。 

学級新聞を読む会
【No.811】 2009年11月05日

4日
 K小学校の5年生の二クラスの「学級新聞を読む会」に招かれた。9月に行なった新聞づくりの授業の続きである。
 新聞づくりがまったく未経験のクラスは、六つの班に別れ壁新聞で運動会特集号を作った。どの号も壁新聞の特徴である見る新聞を意識してカラフルだった。雨の中で始められた運動会について書いている号にクラスの反応が強かった。
 B4判の新聞を週刊で発行しているクラスは既に16号を数えている。こちらも6班がそれぞれ運動会の特集を組んでいたが、一紙だけ「新型インフルエンザ」と「校庭の桜紅葉」の記事も書いていることが話題になった。大勢の子が挙手をして、記事や見出しについて意見を述べる。私への質問もたくさん出た。充実した「読む会」だった。それは当然のことだが 発行回数に依る。


 

文化の日
【No.810】 2009年11月04日

 昨日は「文化の日」、秋の叙勲の受章者が発表された。私も所属している「秦野ゆとりの会」の会員である森下政司先生に、瑞宝双光章が授章された。退職後、学校に行けない子たちの勉強をサポートする会を立ち上げ10数年間その活動を続けていらっしゃる先生にこそ、この章はふさわしい。
 この日は「第30回市民の日」。その行事の一環である秦野市美術展で、20年ほど前一緒にPTA広報づくりをした横森美佐子さんが「市長賞」を受けた。市書道展の「市長賞」は初野正博さん。初野さんは市制50周年記念の「市民が作る広報はだの」を一緒につくった人。お三方のお喜びを、私の喜びにさせていただいた。
 

まもなく「文化の日」
【No.809】 2009年11月01日

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 間もなく「文化の日」。きょう発行の『広報はだの』に平成21年度秦野市教育委員会表彰者の発表が載っていた。今年度は8人と6団体が表彰されるが、その6団体の中の4は新聞教育に関わる団体で、本町中学校PTA、西中学校PTA、東中学校広報委員会、東中学校一学年。「新聞のまち秦野」と言っている私には嬉しいこと。(詳しくはきょう更新の『最新』のページで)

 9月11日に指導した小学校5年生の新聞づくりのこと。学級代表の子から「壁新聞ができたので見に来てください」と電話があった。4日に見せてもらいに行く。がんばってくれた子供たち、先生に感謝したい。

 公民館祭りに展示する菊を持ち込んだ。今年も私の花がいちばん貧弱。他の会員の作品を見ながら、「来年こそ」と≪密かに誓う≫のもいつものこと。

 HP『さをり織』のページも更新したが、このページに取り込んだ「展示会のチラシ」は、私としては満足の出来。

幸福な王子
【No.808】 2009年10月28日

 昨日の夕刊に「ヒヨドリ南へ 神奈川・真鶴岬」という記事があった。岩場の釣り人の上を大挙して南に飛ぶヒヨドリの写真が付いている。 
 そういえば、わが家の周りでに「ヒーヨ ヒーヨ」とぎやかだった鳴き声があまり聞こえなくなっている。それでも、この辺りのヒヨドリの中には“渡り”をしなものもいるようで、《生り年》でない柿の木に数羽がときどきやってくる。
 彼らに「なぜ南下しないの」と尋ねれば、「寺山は住みよいので」、「体力がないので」、「仲間にはぐれたので」などと答えるのだろうか。なぜか、オスカーワイルドの『幸福な王子』のツバメに思いが行った。

還暦祝い歌
【No.807】 2009年10月25日

10月24日
 還暦を迎えた教え子たちのクラス会に招かれた。12年ぶりだそうだが、私は前回は入院中だった。だから私には実に16年ぶりということになる。その3年C組は38名だったが既に5名が他界している。この夜集ったのは15名、亡くなった人たちの冥福を祈り、自分たちの健康を祝って乾杯した。2日前に定年退職をしたという人もいた。ご主人のリタイアで「生活のべースが大きく変わって戸惑っている」、という話で女性陣は盛り上り、男性陣は少々押され気味の宴席。湯河原から参加のNさんが私の湯河原でのPTA講座のことを知っていた。2月にまた湯河原に出かけるので、会場に応援に来てもらうことを約束した。二次会で『還暦祝い歌』を歌ったらとても喜んでくれた。

新聞週間
【No.806】 2009年10月19日

『朝日新聞グローブ』第26号(10月19日)に奥山俊宏記者が書いたコラムのタイトルは「権力を監視するジャーナリズムの危機を権力が心配」。
 このコラムは、オバマ大統領がホワイトハウス担当の記者たちに語った次の言葉で締めくくられている。
「あなたたちが我々(政府)に説明責任を果させ、正直であることを求め、我々が安易に流れることを防ぎ、ひいては人々のために、我々がよりよく仕事ができるように助けてくれている」。「そうした報道は保護に値する。それはあなたたち(記者)のためだけでなく、すべての人々(the public)のために」

星四つと半分の広報紙
【No.805】 2009年10月16日

 運動会が終わったところで作られたPTA広報が届き始めた。「卒業アルバムと同じような運動会特集はやめなさい」と言ってきた私に応えてくれたものが多くなった。
 その中の一紙の『おおた』。「えー、わかんないよ」とキャプションが付けられたダンスの練習の光景の写真。当日の写真は子供たちの輝いている顔、顔、顔。運動会の後片付けをしている先生方の写真のたキャプションは「先生たちの長い一日」。そして「祭りの後で」の見出しの記事は、場所取りに敷いたシートを押さえるためな石を持ち込み、そのまま放置して帰った参観者に、「気がついた方たちが校庭の隅に片付けてくれました」と、さりげなく訴えているのです。
 見事ですねえ、この編集の姿勢。「次号は子供の生活を取り上げる」と便りも添えられていました。「広報ミシュランでは星四つと半分」と書いて、感想を送りました。

煙草煎餅
【No.804】 2009年10月09日

 朝日新聞の金曜日に「街魅シュラン」というページがある。きょう10月9日は秦野市が取り上げられた。見出しは『タバコをやめて正解だった?」。内容は好意的、それは“街魅シュラン”だから当然!  でも「存在感」の評価は★二つ。そうかなあ?
 私の大好きな『煙草煎餅』が写真で紹介されているのは嬉しい。このオセンベイ、新聞関係者の懇親会に持って行って「これ、禁煙効果があるよ」と配ると、ケッコウ信じられる。『煙草煎餅』で私の存在感はかなりあると思う。

サザンカ
【No.803】 2009年10月05日

 サザンカが咲き始めた今朝、“落葉焚き”をした。「風流」に見られるが、今の庭の落ち葉の量は相当なもの。「午後から雨」の予報だから、急いで燃やすのだ。このまま数日雨に打たれれば桜の枯れ葉は腐ってしまう。
 それこそ「風流」を求めて、庭続きの畑からサツマイモを掘り出し、その焚き火で焼き芋を試みた。燃えきった灰の山の中に放り込んで30分、我ながら見事と思うほどの焼き具合。隣りの小学校は運動会で代休日、よかった。
 昼食はこのベニアズマの焼き芋、そして3日の『十五夜』の残りのマンジュウ。老人二人の生活は質素である。
 関歯科医院から電話。患者さんの一人が、待合室に置いてある『春の朝』を読んで「2冊欲しい」とのこと。「読ませたい人がいる」とも。嬉しい。

10月1日 きょう一日だけの晴れ
【No.802】 2009年10月02日

 10月最初の日、「きょう一日だけの晴れ」というのに朝からパソコンに向いホームページの更新。今月は内容はバラエティーに富んでいる? が、実は貼り付けモノが多い。アップが終わったところで畑に出た。
 昨日までの雨で、ダイコン、カブ、ホウレンソウ、小松菜、それに菜花の発芽は見られが、この気候だと成長が気になる。桜の木の落葉がしきり。庭が明るくなった。
 夜、JAの秋の座談会に出席。組合員の参加は11名、主催者側の人数と同じ。作物の鳥獣による被害がこの秋はとくに大きいようだ。「猪が田んぼに入り始めたので、減収は覚悟の上できょう稲刈りをした」とのこと。「里の食べ物が無くなれば山へ帰るだろう」というしかその対策はないのか。
 はだのJAの「秋の旅行会」のパンフレットが資料としてあった。旅先は長野方面で「中山晋平記念館」もコースの中に入っていた。その記念館の紹介に「波浮の港、東京音頭の作曲者」とあった。はだのJAが主催する旅なら、「『秦野煙草音頭』の作曲者・中山晋平記念館を訪れる」と書いたほうが参加者が増えるだろうに。

好 評
【No.801】 2009年09月29日

9月24・25日
 秦野市P連主催の「広報クリニック」を二日。市内22校のPTAから146名の広報委員の参加。
 この日までに発行された広報紙について面談形式で私が感想を述べる紙面クリニック。3校ずつのグループで私と対面する。持ち時間は1校平均10分、自校を含め3校の広報紙を客観的に読むことになる。入室してくる参加者の表情は緊張感でいっぱい。この講座は、「武先生が厳しい批評をされる」との噂が流れているからだ。講座の最中の、皆さんの真剣な表情が嬉しかった。なにより頼もしさを感じた。

9月28日
東公民館の講座『古道大山道を歩く―羽根尾通大山道から矢倉沢往還を歩く』の案内をする。三回シリーズの「古道大山道を歩く」の講座は今年で3年目。
 参加者20名は公募だが、毎回好評で募集当日で満員、キャンセル待ちがたくさん出る。今回、満員を告げられた一人は「当日後から着いて行きますから」などというモーレツな言葉を係りに告げたとのこと。
 初参加のYさんから「失礼な言葉になりますが、思っていた以上に楽しいウオークでした。道や地名にいろいろな話があることを学びました。今度は主人を連れて歩きます」との言葉をもらった。
 東公民館から善波峠の切り通しまで1万1千歩だった。しゃれた山荘で「きのこ料理」の昼食。食後、芝生に腰を下ろしてもらい「善波太郎重氏にまつわる地名付会(弓不引、落幡、鶴巻)説」を聞いてもらい解散。そこから自宅までの歩みにはさすがに疲れが表れた。
 新たに「大山道の常夜灯」を発見したきょうの講座は、私にとっても《好評》である。

亀立ち上がる
【No.800】 2009年09月21日

 きょうは「敬老の日」日本の男性人口の五分の一は65歳以上だとか。私は紛れも無いその一人。


きょうの『朝日歌壇』から

投票所の壁際に亀立ち上りひっくり返ってまた立ち上がる   白石 瑞紀
五十四年少数派に票入れて来て此度やうやく意趣を晴らしつ  押  勇次
恐らくはこれが最後の一票を迷わず決めて投票に行く     岩下 竹由
一票がこんなに力があるんだとつくづく思うまたしも思う   黒沼  智
八月は史実が一つ加わりぬ暴力の無き平成維新        木村 久子
決めたのはわたしたちです覚悟して四年の間観ていきましょう 一ノ渡 啓

広歩(コウホ)ちゃん
【No.799】 2009年09月16日

9月15日
 N町教育委員会主催のPTA広報作りの講座。この町の講座も4月ときょうの二回。
終りを5分早めて3時25分で講座を閉じた。それから「相談タイム」。講座の中での質問には勇気がいるようだから、である。
 最後まで待っていたN中はきょうは6名の参加。それで私を囲んでの委員会というスタイルになった。中学の広報委員としてはかなり明るく、元気が良い。広報づくりを楽しんでいるようで、次号に広報委員会のイメージキャラクターを発表する、と言う。その名は『広歩(コウホ)ちゃん』で、カメラをぶら下げたモンペのお母さん、いま流行の“ユルキャラ”である。
 彼女たちの相談の内容は、「初校を一緒に付き合って」というもの。印刷所は怒り出すだろう、と思うくらいのレイアウトの変更を、私のお墨付きでやりたいようだ。“かなり困る”のは私の立場。「とにかく一生懸命お願いしなさい」と言うと、「それじゃあ明日の朝8時にお願いに行きます」。とにかく元気、楽しそうだ。彼女たちがまだがんばっている中を失礼した。4時半を回っていた。

四つの新聞づくり講座
【No.798】 2009年09月11日

9月8日
 9時30分から広報づくり研修会。この町の講座には幼・小・中のPTA広報委員だけでなく、各種団体の広報担当も参加する。5月に1回目の講座を開いている。
 初めての参加だったボランテイア団体(長寿会が主体)の編集者から「こんなに優れたPTA広報が発行されているとは知らなかった。地域の子供たちを育てることも目指している私たちとしては、とても頼もしく感じた。何か一緒に行動できることがあるかもしれない。これからもがんばって欲しい」との発言があった。

9月9日
 二つの町教委が共催するPTA広報づくり講座。ここの講座も年度第2回目である。午後1時半から4時まで。
 A中の委員会から相談。学校側から「地域の人たちの協力を得て子供たちの生活指導を広げて生きたい。その趣旨を生かした広報を作って欲しい」と頼まれたとのこと。
 私の答え。「開かれた学校」が先、学校や子供たちのようすを地域の人に知ってもらう(情報公開)広報紙をつくろう。PTAの行事にがんばる保護者の姿を地域の人に見せよう、そういう紙面を作ろう。先生方が地域に入っていく努力を促す紙面を作ろう。

9月11日
 市内N小学校5年生の2クラスで学級新聞づくりの授業。一つのクラスは、四月から週刊で新聞が発行されている。今までに発行された9号・各号の感想を述べた。学級新聞の果す役割を担任が理解しているので、どの紙面も学級のことを取り上げている。今の学校生活の実情の中で週刊新聞にがんばっているこのクラスは素晴らしい。できる限り応援したい。
 この週刊学級新聞に刺激されたもう一つのクラスが」「新聞を作りたい」と言うのだ。これは子供たちそして担任・両者の願い。
 きょうの授業で勧めたのは、運動会の壁新聞を班で作ること。6つの班が、編集長を選び、題字を決め、記事の割り当てまで仕事を進めた。10月の終りに「運動会壁新聞展」を開き、私を招待する、という約束が成立。
 

山街道を歩く
【No.797】 2009年09月07日

9月6日 
 みちしるべの会のフィールドワークで大根地区から鶴巻地区を歩く。
 瓜生野はバス停で、この日の講師星野隆夫さんが待っていてくださった。湘南の海を遥かに眺めることができる古道を歩く。陽射しは強いが山中に入ると風はすっかり秋のもの。
 南矢名上部会館で瓜生野百八松明などこの地の話を聞く。ここからは横尾達雄さんの案内で「左十日市場町」への道標を確認。この道は山街道と呼ばれていたとのこと。 
 三人目の講師・三竹正義さんが途中まで迎えに来てくださった。葉タバコの納付は弘法山越えだったという話、偶然通りかかった地元の農家の方からも牛車で越えたという話を聞くことができた。「↑秦野町」の碑がそれを証明していた。
 「弘法の湯」に到着したときは午後1時を回っていた。きょうの参加会員11人。これだけの道のりを歩けた自分に満足。

きょうから二学期
【No.796】 2009年09月01日

 明日都内で行なうPTA広報講座の準備。7月までに発行された10紙を読む。発行号数が2号、1号があった。生徒減から統合が進んでいるのだ。統合する前にPTAの存在の意義を確認し合い、統合校でもPTA広報を発行することを詳しく報じている。頼もしい限り。
 きょうから二学期。隣の小学校から声が響いてくる子供たちの明るい声が、わが家にも元気を与えてくれる。
 午後、「誰にでも」の新聞講座に参加した相原祐美さんが、『HAPPY SUMMER』という題字の新聞を完成させて持って来てくれた。すばらしい出来。うれしい。

とにかく楽しい話を
【No.795】 2009年08月30日

8月29日 
 東婦人会の会員研修会の講演にでかけた。「テーマは先生に一任します。とにかく楽しい話をお願いします」という講演会。会員の年齢層は幅広いし、9時20分スタートも条件としてはキツイ。それで『地名と姓』の話をすることにした。
 話は「四国・阿南市の十八女町」から入った。秦野音頭の囃し言葉「はだのソヤソヤ(曽屋) デエゴ(醍醐)の道で 」を会場ととも確認し、「『曽』の曽は『酥』で、「醍醐」は最高の乳製品のこと」という地名付会説を話した。日本の五大姓、佐藤、鈴木、高橋、田中、渡邊の由来・出自も聞いてもらった。「おもしろかったよ。次の東地区ウオークには参加するから」と同級生の高橋さんがわざわざ言いに来てくれた。

秦野大会『速報OG会』
【No.794】 2009年08月29日

 4年前の第49回全国新聞教育研究大会・秦野大会の速報部会は、それ以降毎年8月に『速報OG会』を開いている。
 昨夜、秦野駅前の料亭に集ったのは16人。今回は東京から秦野大会の会長であった全新研の鈴木伸男先生をお招きした。鈴木先生はこの三月定年退職され、全新研の会長を退かれた。それで、ささやかだが「鈴木先生の退任のお祝いの会」を、OG会に併せて関係者で開くことにした。
 東京からは田村俊雄・全新研事務局長さんも参加してくれた。聞けば、昨日まで就学旅行で京都に行っていたとのこと。疲れている中、ほんとうにありがたいことだった。
 秦野からは大会実行委員長だった地崎利和先生、同事務局長・谷津裕先生。速報編集長の石田崇男大根中教頭先生。それに速報を担当した相原明美、青柳きみ代、石田紀子、笠井麗子、栗山雅子、佐々木朗江、佐藤勝江、関野恵子、中迫ゆかり、水越いち乃のお母さんたち。
 私が持ち込んだ速報を手にしながら、A3判2ページを2日間で4回発行という“離れ業”をやってのけた自分たちのことを、「今は我ながら驚いている」と懐かしく振り返ったのだった。

小学生11人が壁新聞づくりに挑戦
【No.793】 2009年08月27日

 24日ときょう27日の2日間、東公民館で『誰にも出来る新聞づくり講座』を持った。「夏休みの思い出を壁新聞にして残そう」と小学生が11人(1〜5年生)挑戦してくれた。内訳は9家庭18人。
 きょうもインフルエンザのため1家族がリタイア(初日は2家族・3人が感染)だったが、7人のお母さんも一緒に新聞を作って楽しんだ。
 2日間といっても正味は4時間しかないので、24日からきょうまでの間に家でがんばってくれたようだ。きょうの講座のはじめに、途中まで作った紙面をみんなで見せ合った。完成間近のものもあった。
 今回の講座では、5W-1Hを取り入れての記事の書き方を教え、全員に『誰にも出来る新聞づくり講座』を記事にしてもらうことにした。
「むずかしかった新聞づくり」という見出しもあれば、「楽しかった新聞づくり」とつけた見出しもあった。
 講座の終わりに、夏休みの宿題の一つとして学校に提出するように言った。学校からの返却を待って、公民館で展示会を開くつもりでいる。ぜひ皆さんに見てもらいたい、楽しい壁新聞が出来上がるはずだからである。



今夏は「西馬音内盆踊り」
【No.792】 2009年08月21日

8月17日
 安達太良山に連なる薬師岳パノラマパークの展望台(1350b)に「この上の空が ほんとの空です 二本松市」と書かれ木柱があった。そこに立ったとき、今までまったく見えなかった安達太良の山頂と《ほんとうの空》を見ることができた。まさに“僥倖”。
 夜は秋田・羽後町の西馬音内盆踊り。この盆踊りは国の重要無形民俗文化財。その夜の踊り手は600人とのこと。幼稚園児や小学生の男の子も踊っていた。踊り手は編み笠やひこさ頭巾で顔を見せない。歌われる歌詞とはかけ離れた幻想的な踊り。今夏の旅のメインは「西馬音内盆踊り」。

8月18日 
 高村山荘から高村記念館。「南部杜氏の里」にも行ってみた。宮澤賢治記念館と童話の学校を回る。賢治記念館の来館者の感想ノートに書かれているたくさんの子供たちの文を読んだ。童話は子供たちに夢を与える。ついでにあの花巻東高校へ。校門のすぐ前の右脇に二宮金次郎像、台座に「二宮金次郎の歌」が三番まで刻まれていた。「柴かり 縄ない わらじをつくり 親の手をすけ…」、三番まで歌った。校門を入った右手に「選抜準優勝」の記念モニュメント(バット三本の上に球の)があった。
 
8月19日 
 中尊寺、今回はしっかり見た。毛越寺は池の淵の松の木陰で風に吹かれていた。そこから遠刈田こけし館に向った。こけし工人村にも行くが、人影はほとんどない。こけしは忘れられてしまったのだろうか。蔵王お釜を見て飯坂・穴原温泉へ。
8月20日 
 7時半出発。築地場外市場を見学。その後『ライオンキング』を観劇。夏休みなので親子連れ、それと中年の女性で満員。

終戦記念日
【No.791】 2009年08月15日

パラソルの熱きをたたみ黙祷す   山本伊都子

 きょうは64回目の終戦記念日。新聞各紙がさまざまな角度から特集を組み、「戦争を語り継ぐべき」と説く。「戦争を論理で語るのではなく、嫌悪感を刷り込むべきだ」という声が載っていた。

語り継ぐべきこと
【No.790】 2009年08月12日

 東公民館で「戦時下の新聞展」が開かれている。10数紙しか展示されていない小さな新聞展。その会場には次の言葉も掲げられている。

 昭和20年8月15日 
 あの日 あなたは どこで 何をしていましたか。
 そして 何を思い 何を感じましたか。
 私たちに聞かせてください。
 私たちに教えてください。

 その時代を生きた者は、《生きてきたこと》を次の世代に語り継がなければいけない。

夏休みは半分終わり?
【No.789】 2009年08月10日

 きょうは8月10日。現役のころは、「もう夏休みは半分終わった」と少し物憂くなったのもだ。今は? 
 24日から始まる《夏休みの思い出を壁新聞に》講座の準備に入った。小学生が対象なので、レジュメも分りやすく書いた。何を載せるかを見つけ出す質問用紙も作った。レイアウト用紙も用意。
 今回は全員に「講座に参加したこと」を記事にさせる。そこで新聞の記事の書き方の特徴を学んでもらうつもりだ。
 長野で行なわれたNIEの全国大会の報告が各紙でされている。スペース、まとめ方、視点など、まったくさまざま。記者の力量、というよりNIEへの各社の温度差を知る。教師の新聞への関心度が課題であることだけは共通理解されていたが。
 NIEのねらいは「自分で取材 自ら発信」。子供たちが、学校生活の改善のために新聞を作ることだと思っている

廣島平和記念日
【No.788】 2009年08月07日

 8月6日は「廣島平和記念日」 秦野市立渋沢小学校のPTA広報第107号(平成21年7月15日)は、「夏休み、親子で学ぼう」という特集を組んだ。その中で「大人みたいに新聞を広げてみよう。8月6日、9日、15日は何の日なのか気にしてみよう」と提案している。
  

 一本の鉛筆    
            松山善三・詞  佐藤勝・曲

あなたに 聞いてもらいたい あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい あなたに 信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く

あなたに 愛を送りたい あなたに 夢を送りたい
あなたに 春を送りたい あなたに 世界を送りたい
一枚のざら紙があれば 私は 子どもが欲しいと書く
一枚のざら紙があれば あなたを返してと 私は書く

一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く

 この曲を1974(昭和49)年の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った。 昨夜は満月だった。

もう8月です
【No.787】 2009年08月03日

8月1日
 第52回全国新聞教育研究大会に参加。会場は横浜開港記念会館。その講堂でPTA広報講座をもたせてもらった。生涯の思い出になる会場。(大会のようすは「エコー最新号」のページ)

8月2日
 時折激しい雨。昨日使った資料の整理。「みちしるべの会」の横山さん来訪。9月の実地踏査のコースの打ち合わせ。既に講師との打ち合わせをしてくれている。その行動力に感謝するのみ。

8月3日
下のような暑中見舞いをもらった。
 「ご報告がすっかり遅くなってしまいました。この四月から県立の養護学校に転勤いたしました。本校は、知的部門も肢体部門もある学校です。私は知的部門の担任になりました。学校の隣りにあった県の施設跡は、今、庭園(フラワーセンター?)」になる工事中です。年季の入った本校の校舎に対してアチラはずいぶんと立派なものになるそうです」
 総選挙に向けて各政党のマニフェストが出揃った。子供に、教育にお金をかける政治を、本気でしてほしい。
 こんなメールも。「もう8月、子供の宿題が終わるかどうか気になっています」。近畿、東海はきょう梅雨明け。寺山にも陽射しは戻ってきたが、涼しい風も。昼どき、隣りのカボチャ畑の上に30匹ほどの赤とんぼの群れ。まもなく立秋。

8月1日 第52回全国新聞教育研究大会・横浜大会に向けて
【No.786】 2009年07月28日

 7時半から畑に入る。「入る」という表現がぴったりするような、草が繁っている畑。下仁田ネギを植えてあるが、半分くらいは草に飲み込まれてしまっている。11時まで頑張り、なんとかネギの姿が見えるようにした。 
 午後、雨が激しくなった中を床屋に出かけた。駐車場がいっぱい、と言っても3台だが。それでUターン。
 気分を入れ替え、そろそろ8月1日の横浜大会の講座のレジュメを作らなければと、ということで資料を部屋いっぱいに広げた。受講者は既に広報の発行は経験しているはず。年度の始めの講座と同じ内容では意味は無い。今年度に発行された紙面(企画や記事)を紹介しながら講座を進めたい。届いている今年度の広報紙を再読。『たけのこ』『しぶしょう』『陽光』『ほんちょうの森』『丹沢の風』『ひがし』など、視点がしっかりしている。

朝顔 鈴虫 菊 そして大山灯篭
【No.785】 2009年07月26日

7月25日
 梅雨明け宣言を聞いたのに、スッキリしない今夏。そんに気象のせいかアサガオの花が遅い。
 私も加わっている「秦野ゆとりの会」は、きょうから行灯作り朝顔展を東公民館で開く。持ち込まれた作品も花の数は少ない。私の1鉢も花は一つ。この種をくれた人は「エジプトのアサガオ」と言っていた。西洋アサガオの一種で形や大きさはヒルガオに近い。だが、色が濃い紫なので評判はよかった。
 朝顔を並べた後「スズムシの飼育教室」。これも東公民館と「ゆとりの会」の共催で。市広報で募集した参加者にスズムシを一人10匹ほどずつプレゼントした。煮干や餌付きなので喜ばれた。
 会員には、きょうは菊の苗が配られる日。11月を目指して菊・福助づくりをきょうから始めるのだ。「ことしこそ!」と言って10年が過ぎた。ことしこそ!
 午後4時、今度は「まほら秦野みちしるべの会」の会員9人で鶴巻・落幡地区の「大山灯篭立て」(「秦野のおはなし」第82話参照)を見学に行く。昨年より人手が多かった。地元の人が言った。「皆さんのような見学者が来るから、この行事は続けられるんだよ」。
 この日は「大山道の道標」を記録しているOさんの顔があった。Oさんは横浜在住。地元のタウン紙の取材も。私たちの会は二度目の見学。

キュウリ
【No.784】 2009年07月18日

 午後、パソコンに向っていたら、中学生の男の子が五、六人訪ねて来た。 「これ食べてもらえませんか。そこの畑で取れたのですが」とキュウリを4本差し出す。
 わが家の裏は中学校の農園。広さは250平米くらいはあるだろう。落花生、キュウリ、サツマイモ、ナス、里芋、かぼちゃといろいろな物がつくられている。今年から「総合の時間」が減ったので、授業時間だけでの栽培は大変。それで畑仕事の好きな生徒が10人くらい、毎週金曜日の放課後、畑に来ている。 きょう、キュウリを持ってきてくれた子たちは全員三年生。
 「食べる、食べる、いただく。夕食のとき味噌をつけてかじる。それでビールを飲む」と私。 
 彼らの笑顔はもぎたてのキュウリのように新鮮、瑞々しかった。

 『毎日新聞社報』の7月号が送られてきた。6月の行なった「PTA広報紙づくり講座」が記事になっていた。39行の記事で写真付きである。ありがたいこと。もったいないこと。

 きのう、きょうで14のPTA広報の紙面クリニック。

 

線香を上げさせてください
【No.783】 2009年07月14日

7月13日
 きょうは「お盆」の迎え火の日。今年の《ツジ》(この日一年ぶりに帰ってくるご先祖様を家の中に迎え入れる休み処)は「よい出来」と納得。午後《盆棚》を飾る。キュウリの馬とナスの牛も作った。近ごろは、秦野でも藁で作られた「迎え火」用の馬と牛がスーパーで売られている。だが、わが家はまだナスもキュウリも自家製。
 5時過ぎ、迎え火を焚き、ご先祖様を迎えた。組の6軒にお線香を上げに回る。そのときには「線香を上げさせてください」とそのツジにご挨拶する。6軒の家からもわが家に線香を上げにきてくれる。S家は親子孫の三代で回っていた。お孫さんは保育園児。Tさんの中一の女の子も来てくれた。裏のTさんは普段は留守なのだが、このお盆の間は家を離れた子供たちの誰かが滞在する。そして組のツジに線香を上げに回る。きょうは木更津に住むSさんが来てくれた。ツジに線香を上げて回るこの風習は、先祖そして家族を意識する大切なものだと思う。 
 初めてそれぞれの家のツジをカメラに収めた。

日 記
【No.782】 2009年07月11日

 新聞の投書欄で、日記を書いている女子大生の文を読んだ。その日に心で感じたことや、見たり触れたりしたことを漢字一文字や四字熟語などで表し、その文字・語を選んだ理由を書いているという日記のこと。「この世代の人、これはいいセンス」と思った。何よりうらやましさを感じた。
 退職後始めた『新聞の俳壇からの選句(書き抜きをする)』は、途中二年間ほど“お休み”した。選べなくなったのは、生活にリズム感が失われたこと、感性が鈍ってきたことからだ。がんばって今年の二月から復活させた。
 書いている日記の欄外に、その日出会った言葉を記すことを始めたのは今年の正月から。欄外は空白が続く。その日出会った「喜・怒・哀・楽」全てが、「そんなの普通・当たり前でしょ」と私の中を通り過ぎて行く。心に留まらない。

ニイニイゼミ
【No.781】 2009年07月07日

 市制施行50周年記念の『市民が作る広報はだの』を作ったメンバーが旧交を温める会が『夢進会』。毎年7月6日に集る。今年は中華料理店。
 昨夜は10人が集る。何より嬉しいのは当時の市広報室の室長さんたちが毎年出席してくれること。今回も3人が来てくれた。
 一年という時の流れはまごうことなく、それぞれの暮らしに変化をもたらす。10人が囲むテーブルに、この会をもっとも喜んでくれていたYさんの優しい笑顔の遺影があった。
 編集委員だった中学生のA、T、Nさんがいずれも大学生になり、最年少だったUさんは高3で受験準備、そんな報告があった。
 近況報告を聞く。誰もがより充実した生き方を求めて一日を生きていることを知り、そのたくましさを羨んだ。

 きょうは朝から夏の空。私の影響か、野鳥の種類を気にするようになった妻が、セミの抜け殻を庭で見つけ“意気揚々”?。ニイニイゼミが鳴き始めた。

前期の新聞づくり講座 終了
【No.780】 2009年07月04日

7月3日
 相模原市でPTA広報作りの講座。7:35のバスで出発、相模線の橋本駅に9:16着。
 会場は駅前の「サティ」。改札口を出て20bほど歩いた私の目に、サティの入口に立つ女性の姿が映った。その女性は両手で小さなプラカードを掲げている。もしかして…と思った。彼女は早足でこちらに来る。彼女の持っているプラカードには「旭ブロック広報委員会」と書いてあった。
 「武先生ですか。遠い所、ありがとうございます。きょうはよろしくお願いします」。
 「熱海駅の駅頭で見られる歓迎のシーン、いや成田空港で外国からのお客様を安心させようとする心遣い」、そんなふうに思え、嬉しかった。
 10時から2時間の講座。エアコンで快適な室内だったのに、途中で汗をぬぐうことが多かったのは、“歓迎”の心に応えたかったからに違いない。
 きょうで、前期の「新聞づくり」の行脚(22講座)は終了。

利尻島一周遊覧人G
【No.779】 2009年07月02日

 「第9回利尻島一周遊覧人G」とは北海道の利尻島一周マラソンのことらしい。
 午前6時にスタートし、制限時間10時間で55キロメートルを走破するこのレースに、隣りの伊勢原市から参加したのが『エコー』の読者のSさん。
 その記録は6時間7分50秒、女子の部で堂々の18位。総合でも92位。
 この3月、58歳で小学校での教職生活を終えた記念に参加した―こんな嬉しいハガキがきょう届いた。Sさんの生き方を心から祝福したい。

 その日そのときを 自分らしく歩きたい
 自分らしく 咲きたい



期末試験
【No.778】 2009年06月30日


「ゴミ出し」に行った。出会った女子中学生が「お早うございます」と挨拶をしてくれた。嬉しくなり、「お早うございます。そろそろ期末試験?」と聞いた。キョトンとした表情になったその子、しばらくして「期末テスト中です」と答えた。「そう期末テスト、頑張ってね」。「ハイ、ありがとうございます」。
《試験》という言葉は、はるか昔のものと知った。この出来事を妻に話し、《古びた二人》を笑いながら確認し合った。
 昨夜からの雨に力を得て、庭の山百合が一輪咲いた。朝顔の蔓もその伸びが少し速くなったようだ。六月はきょうで終り。

夏は来ぬ 
【No.777】 2009年06月27日

 訪ねて来たYさんが「たいへんだねえ、こんなに草が伸びて」と言う。この一週間の天候で、夏草が見事にその真価を発揮? きょうは朝から草むしり。ツユクサは一週間くらい天日干しをしても枯れることはない。だから引き抜いたものは可燃物として出すようにする。
 午後、また地下足袋を履こうとしたら広報作りの相談の電話。「月曜日に最終校正を出すきょうになって、本部役員から縦組みを横組みに変更、勝手に依頼した原稿を持ち込んで掲載しろ、などと注文がきた、どうしましょう」。「発行権は会長にあるのだから」と強硬らしい。校正に至るまでの流れを聞いてみると、運営委員会ても企画などは了解を得ているらしい。学校側の校正も誤字の訂正だけだ通過しているとのこと。
 「すぐに会長さんに会いなさい―単独ではダメ―そしてそれらの注文が納得できるものだったら、しかも時間的に可能なら、折り合いなさい。納得できなかったら、『この号は発行させてください。次号からは考えますので』と、お願いしなさい」と伝えた。

 昨夜は《武勝美 特別介護・支援隊》7人の皆さんと懇親会。気温のせいもあって生ビールを「駆けつけ三杯」。隊員は全員PTA会員だから、話はおのずから広報づくりに入りこむ。
 広報作り5年の猛者(といってもお母さんなのだが)もいるので、いい話、厳しい指摘も聞けた。その内容を大学ノートに全てメモする広報一年生のお母さん。でも、ジョッキのお代わりもしっかり出来ていた。私の宿題は「講座の中味を持ち帰って他の委員に伝える方法を考えなさい」。これは、もっと具体的で身近な話をしなさいということ。

 明日も、あさっても、草と格闘。


桜 桃
【No.776】 2009年06月19日

 山形・寒河江生まれのKさんが「季節のご挨拶に」と桜桃を持ってきてくれた。
 きょうは桜桃忌で、太宰治の生誕100年の日。東京・三鷹の禅林寺が太宰の菩提寺。この寺の住職木村得玄師とは大学で英語が同じクラス。新宿で3本立て(4本だったかのしれない)50 円の映画を一緒に観た仲間の一人。彼の案内で太宰の墓の前に立たせてもらったのは今から50年も前。この日が来ると、1975年初版の『太宰治集』を手にし、往時を、仲間に思いを馳せる。
 いただいた桜桃のかがやきは、『桜桃』の最後部分「蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう」そのものだった。甘みのあとわずかに残る酸味がこの季節の味だ。 
 
津軽の思い出
五能線 津軽鉄道 太宰治記念館になる前の斜陽館 ねぶた 弘前ねぷた 竜飛岬 津軽中里 鶴の舞橋(鶴田町職員の八木橋連長さん) 十二湖   

みちしるべの会 6月の勉強会
【No.775】 2009年06月13日

10日
「まほら秦野みちしるべの会」の6月例会を東公民館で。2月の例会「矢倉沢往還(千村)を歩く」で作り上げた地図を、最終的にチェックするのがこの日の学習目標。講師として千村にお住まいの石井角蔵先生をお招きした。 現役時代、石井先生からいろいろ教えを受けた。久しぶりに先生の博学ぶりに触れることができ、楽しく充実した2時間だった。
 石井家ではお正月の鏡餅に干し柿を一串載せる。(千村はかつて渋柿の木がたくさんあった。)その一串には左右の端に2個ずつ、中央に6個の柿が刺されている。柿が2、6、2と分かれているのは、「いつもニコニコ(2個2個)、仲ムツ(6ツ・睦)まじく」と、家運隆盛・家内安全を願うからなのだそうだ。


 

『初歩から始めるPTA広報紙づくり講座』のアンケートのまとめ
【No.774】 2009年06月11日

 6月6日の『初歩から始めるPTA広報紙づくり講座』の主催者・毎日新聞から次のようなお知らせが届きました。
 
 先日は、ありがとうございました。毎日新聞社こども環境・文化研究所のHP http://blog.canpan.info/csr_mainichi/で、PTA講習会の報告とアンケート結果の分析その1を載せましたので、ぜひご覧ください。

 
 私からもお願いします。ぜひご覧ください。

 


「初歩から始めるPTA広報紙づくり」講座
【No.773】 2009年06月10日

 6月6日、毎日新聞社で開かれた「初歩から始めるPTA広報紙づくり」の講座。間もなく開会という時間帯になって席を増やすという盛況。担当のHさんは資料の印刷に3階に走る。終了後、Nさんから「途中まで数えていたけど、90人は超えたと思うよ」と聞かされた。
 秦野から市P連の会長さんをはじめとする13人(二人の小学5年生も)が応援に来てくれた。茨城・日立市からは思いもよらない二人が。湯河原町の社会教育指導員さんも。
 4日の渋谷区での講座で出会ったKさんが「先生、来ちゃいました」と笑顔で近づく。柏市のPTA広報のリーダー的存在である『ひろの』と『あかしや』の委員とも言葉を交わすことができた。最前列に私と同年配と思われる男性が席を取っていた。開講の挨拶の中で、山形からの参加も告げられた。こんな雰囲気の中での90分だった。
 講座の中での質問が9。終わってからの相談が4。

他紙・誌を見ることの大切さ
【No.772】 2009年06月05日

 渋谷区のPTA広報誌づくりの講座。会場は区役所の大集会所で70名ほどの参加。
 この区のP広報の特長は写真を中心に構成されたページが多い。フルカラーが主流。都内渋谷、文京、中野、荒川の各区のPTA広報紙・誌を読ませてもらっているが、それぞれ区ごとに特長が表れている。それは「よき伝統」になっているが、注意しないと「独善」に陥る恐れがある。できるだけ他地区(全国規模で)の広報誌を見ることを勧めたい。そのことは、単にPTA広報紙・誌の成熟となるだけでなく、PTA活動、あるいは学校教育そのものへの力になると思うからである。
 この日の講座では、優れた30紙ほどを見てもらった。帰りのエレベーターに乗り合わせたある校が、「企画を考え直します」と話してくれた。

六 月
【No.771】 2009年06月02日

 昨日・六月一日、午後雷雨。夏が来た。秦野のメロディーチャイムも、六月になったので『七つの子』に変わった。「六月」がなぜ「からす なぜなくの」なのか分らない。

 六 月
               茨木のり子

 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
 鍬を立てかけ 籠を置き
 男も女も大きなジョッキをかたむける


 朝、タケノコを取りに行く。夕食のテーブルそのタケノコがのぼるはず。
 朝顔を庭に定植。夕顔の一鉢を知り合いに持っていく。奥さんの名前は「ユウコ」さん。

 きょうの終わりに、わたしも麦酒を傾ける。

五月最後の日
【No.770】 2009年05月31日

 庭の《丑寅》の方位に植えられているヤツデの若葉が、五月最後の日の陽光に輝いている。その葉をつぎつぎに切り落とした。道路に覆いかぶさるようになってしまったから、整理するしかない。サッパリさせ過ぎたか。
 今年はよく芽の出た夕顔の苗を鉢に移した。朝顔はもう少し時間を置くことにする。あまり勢いのよくないインゲンだが50本ほど摘んだ。ナス、キュウリ、そしてそのインゲンにも肥料をやる。
 こんなふうに動いていた私に、6月6日の毎日新聞社での講座に参加したいとKさんから電話。「荷物が多かったらお持ちしますけど」とも。ありがたいこと。
 農事日記で確認したら、例年6月1日ころからタケノコを採っている。明日は竹薮に行こう。

 ホームページのアドレスが変わりました。

速い! うまい!
【No.769】 2009年05月30日

 10時前、Uさんに電話で原稿をお願いした。すると午後3時にはもう2000字の原稿が届いた。電話では「二三日の内に」と言っていたUさん。「速い! うまい!(どこかの牛丼家のキャッチコピーみたいだ…)」とお礼のメールを書いた。自分だけの感想でなく、周囲の人の声が取り入れられている。「 」が使ってある文になっている。私が講座でよく話すこと。「声を集めなさい。その声を記事の中に取り入れなさい。広報の記事は作文ではない。みんなの声を集め、伝えることだ」と。Uさんの文は、広報づくりで身につけた技が書かせた文だ。一気に書き上げた文は、一気に読ませてしまう文になる。
 
 ここ一週間で30数紙のPTA広報のクリニック。きょうも2紙届いた。夕方、Yさんが訪ねて来て、「先生の『日記』を読むと広報の話ばかりだけど」と言いながら、「江戸時代、この辺は家の床は竹だったのではないか」と質問。久しぶりに『寺山ものがたり』の世界に入った。

作物に必要なコヤシは足音
【No.768】 2009年05月23日

5月19日
 伊勢原・竹園小学校でのPTA広報講座。市P連主催の講座は、参加人数の制限があり、「委員全員参加できなかったので」ということで、単独で招かれた。この日の参加は9人。
 いつものように、「ジャンケンで負けて委員になった人?」などと軽口をたたいた私に、「全員が立候補です」との答え。謝った。意欲十分で、質問もたくさん出た。
 会のはじめに校長先生から、新型インフルエンザで修学旅行のことを話し合う緊急の校長会に急きょ出席するので、講座に出られないとお詫びの言葉゛かあった。

5月21日
 寒川町での講座。秦野からだと渋滞が気になる。それで8時に出た。9時に着く。講座の結びに、「PTA広報づくりでもアラフォーの皆さん、元気よく」と話したら、最前列のお母さんかほっぺたをふくらませ、もちろん笑顔だが「違う・違う」とばかり手ぶりで否定する。終わって質問1校、相談が3校。なかなか会場から離れられなかった私。参加は8校で40名超。

5月23日
 気になっていたキュウリの苗に支柱を立て、網を張る。サツマイモの苗も植えた。ナス、トマトも植えてあるが元気がない。コヤシが足りない。「畑の作物にもっとも良い肥料は足音」と言われている。ウチの畑の作物には足音が必要とあらためて実感。里芋の土寄せもし、夏日の一日、畑に《足音』を聞かせた。気分が良い一日。

気力が高まった今週
【No.767】 2009年05月17日

5月15日
 3時15分から本町中学校の生徒会広報委員会の新聞づくり講習会。参加は学校新聞を作る広報委員と各学級からの学級新聞係りで、総勢80人くらいか。PTAの広報委員2名も取材を兼ねての参加。さすが『丹沢の風』! 昨年より集中して聞いてもらえた。
 はるか昔に一緒に仕事をした6人の先生と言葉を交わすことができた。特にY先生は、私の控え室を探し当て、「ああ、ここにいらっしゃった」と笑顔を見せに来てくれた。嬉しかった。

5月16日
 「ゼロ中野」に着いたのは午後6時15分。中野区での第2日目の講座。土曜の夜、小雨交じりの天候なので参加数を主催者は気にしていたが「予定オーバー」だそうだ。4人の父親の姿も見えた。
 今夜の講座のメインは昨年発行された広報紙11紙を、90分かけての「紙面クリニック」。スクリーンに大きく映し出された紙面を、一緒に見てもらいながらの講評。
 質問が3つ、いずれも自校の活動を紹介しながらのもの。それぞれの質問が、私の話をさらに高めてくれるものだった。

 今週は5回の講座。体力的にはもっともきつい一週間だったが、それが私の気力を高めてくれた日々だった。

PTA広報講座は続きます
【No.766】 2009年05月14日

5月12日
 9時30分から柏市P連の「広報紙の作り方」講座。61校から250名を超える参加者。会場のアミュゼ柏まで車で50分もかかる学校もあるとか。そんなに頑張って参加してくれる委員に応える内容でなければ申し訳ないこと。
 スクリーンに広報の紙面を映し出し、話の中身を深める。機器の操作は、今回も新聞教育支援センターのKさんとSさん。
 夕方5時に帰着。この夜、次のようなメールが届いた。「こんばんは。柏のSと申します。今日の広報紙研修会は、とても勉強になりました。この研修会も3度目、参加するたびにモチベーションがあがって頑張ろうという気持になります。PTA広報委員になって3年目です。1年目は、広報紙づくりの大変さと楽しさ、充実感を感じることができました。広報の楽しさがわかり始めた2年目は、なぜか広報委員長になってしまい、いろいろな学校の広報紙を参考にしながら、手探りで5号作ってきました。3年目の広報委員として、さらに『A』を高めていけたらと思います。二年間に発行した『A』の紙面クリニックをお願いしたいと思います」。

5月13日
 文化会館での、きょうの秦野市P連の「広報技術講習会」参加は、150名弱とか。
 昨年度、この講座の主催者だった市Pの情報委員長・石田さんが、今年は単Pから広報副委員長として出席。この3月まで小学校のPTA会長だった武さんの顔が、H中の広報委員たちの中にあった。会場に入ろうとしたら、2年前の全国コンクールにに入賞したS小の広報委員長の多田さんから、「今年もよろしくお願いします」と挨拶された。1年間充電し、「満を持して」の再登板である。
 講座は正午までの2時間。その後、会場内で「市P連だより」の企画会議が開かれた。それにアドバイザーとして参加。編集に携わる10人の意見に、発行されるその号に掛ける期待は大きかった。
 午後2時からN小に出かけ広報講座。この日、N小は午前中が授業参観だったため、広報講座に出られなかったからだ。この“出前講座”の仕掛け人は、六本木校長先生。独断?で、私に講座を開いて欲しいと依頼なさった。
 きょう出会ったいくつかの事から、秦野のPTA広報づくりの充実ぶりを知ることができた。

再開 広報づくり講座
【No.765】 2009年05月09日

5月7日
「連休明け、雨、午後6時半、PTA広報、こう並ぶと足の進みはそう軽やかではなかったろうと思っています」。こんな前フリで始めたのが、中野区中学校PTA連合会の広報講座。参加者は40名強。
 年間3回シリーズで、きょうが第1日。2時間を3回与えてもらっているので、伝えたい事柄は十分話せる。「気力十分」だったので“戦闘モード”に入ってしまった。そのため、少々キツイ言葉を出してしまった。
 終わって質問「PTA活動に全く無関心な父親会員をPTAの方に顔を向けさせたい。広報でできることはないか」。「お父さん、出番ですよ」などいう軽い呼びかけではなく、しっかりとした問いかけ、呼びかけをしたいらしい。PTA活動の衰退に危機感を感じているのだ。

5月8日
 午後1時30分から伊勢原市P連の広報研修会。雨の中、今日の参加は100人弱。投影機の機能がよいので、見本紙を大きく写すことができた。他校のP広報紙を見ること、特に市外の広報紙を見ることは勉強にになる。
 講座が始まるまでの30分間、全国のPTA広報紙に手を触れることができる展示会を開いているのが伊勢原市P連。初心者にとっては《驚異》、経験者にも「目からウロコ」を感じることができる展示会。
 講座の後、主催されたP連の役員の皆さんと「コンクールの審査の観点」について意見交換をした。

大型連休
【No.764】 2009年05月05日

 「夕食時のビール」は、40年間変わることない生活スタイル。大瓶一本とl缶が定量、これが毎晩。一年・365日中で飲まないのは、体調不良で飲みたくない夜、おおよそ5日くらいか。銘柄も変わらず、サッポロとアサヒ。「よく飽きないね」と、呆れ顔の息子。
 だが、このごろ、その質と量に変化の兆し。ビールがときどき焼酎になった。焼酎を初めて口に含んだのは(飲めなかった!)、「向丘遊園」でアルバイトをしていたときだった。当時の焼酎は芋、あの香りはどうしてもなじめなかった。それ以来、焼酎は徹底的に避けた。それが今《麦》をロックで飲む。
 眠るのに体力が必要―これは《真実》である。焼酎のアルコール度の力を借り、その夜は長時間眠る。《爆睡》―この日本語、あまり好きではないが…、そんな表現がぴったりのような眠り(Aさんの言)だそうだ。
 この連休中、庭の草むしり、畑仕事に精を出した。きょうは「午後から雨」との予報だったので、8時過ぎに竹薮に行き、野菜用の支柱にする竹を30本ほど切り出し持ち帰った。2時頃から本降り。その雨に洗い清められたキヌサヤを、今年初めて摘む。先ずは仏壇に備え、今夜のつまみにしてもらおう。
 少しばかりでも野良仕事をすると、すぐに横になりたくなる。こんな俳句が昨日の新聞に出ていた。
 浴衣かけて農夫の午睡死のごとし 能村登四郎 

五月
【No.763】 2009年05月01日

 ホームページ5月の更新に入った。ところが途中でストップ。容量が足りなくなったのだ。他愛もないことを“書き過ぎ”ということ。「今年だから」ということで『新聞教育50年』の連載を始めた。
 きょう、H小の広報委員3人来訪。伊勢原市P連の近藤さん、8日の講座の資料を取りにみえる。

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