- 寺 山 だ よ り -

山百合 姫百合 鬼百合
【No.1171】 2014年07月08日

7月7日 雨の七夕
 庭に生えている十数株の山百合が咲き始めた。今年の花のつき具合は結構良くて、数えたら五つ以上の花をつけているものが6株あった。
 まもなく秦野はお盆。秦野を含め神奈川の西部では、お盆の精霊を迎えるために門口に『ツジ(砂盛り)』を作る。
 ※『ツジ』の画像は、
 2009年8月1日更新 第94話 寺山物語「ご先祖様はマチに買い物 」で見られます。
 『ツジ』には篠竹が必要。竹は毎年ウチの山のものだ。その山にはかっては山百合がたくさん自生していた。
 庭の山百合は父がそこから持ってきたのもだ。山百合の香りは強い。その香りが父を思い起こさせる。
 父は俳句が好きだった。  
  倒れ咲く山百合の蕾多かりき   姫百合
 俳号は「姫百合」。家族は「鬼百合」のほうが合っていると時々軽口たたいたものだった。

 きょうから「広報」再開。午前10時に伊勢原市から市P連の役員二人が来訪。9月の広報クリニックの打ち合わせ。午後2時から市内中学校のP広報委員3人が相談にみえた。

完全休業の6日間 
【No.1170】 2014年07月04日

 6月30日〜7月5日は新聞・広報に関わる事柄は無し。それで今日までは庭の草取りに専念。畑ももちろん手を入れているが、草の生育の速さに追いつけない。
 今年のキュウリはよく生るがハクビシンのイタズラが激しく、手の打ちようがない。丸ごと食べるのなら許しもするが、手当たりしだいかじり散らして終わり! 西瓜、落花生の対策はどうしょう。 
 
 小樽の岩永さんから貴重な資料が送られてきた。伯耆地方の道祖神の本3冊。そして北海道・千歳市の千歳神社に祀られている道祖神の写真も。ますます〈 熱 〉は高じる。
 

「まほらの会」が先生方の地域学習のお手伝い
【No.1169】 2014年06月27日

6月26日
 この夏(7月25日)も東小学校の先生方の地域学習会の講師を頼まれた。昨年は「大山道を歩く―寺山地区」。今年は「富士道を歩く―東田原・西田原地区」で、「まほらの会」がガイド役をする。
 今日午後から「まほらの会」の打ち合わせを東公民館で行った。コースと時間設定をし、説明する場所と担当者を決めた。今回のコースには見所がいっぱいある。波多野城址碑、田原城跡、源実朝公御首塚、道切講、道者に教えられた横堀り井戸の水源地など、先生方には興味を持ってもらえると思っている。 今回は東幼稚園の先生方の参加もあるとのこと。先週18日は東中学校の1年生が「大山道」についての私の話を聞いてくれた。
 地域社会が崩れかけている今、東地区の幼稚園、小・中学校の先生方が地域の歴史や文化、民俗などについて知る・学んでくれることは嬉しい。そして、私たち「まほらの会」がそのお手伝いできることを喜んでいる。

東中学校で授業 導入は小学校の校歌
【No.1168】 2014年06月19日

6月18日
 東中学校1年生(95名)の「総合の時間・地域学習」の授業を今年も担当することになった。全3回で第1回目のきょうは、東地区を通る『古道・大山道を歩く(寺山地区)』。
 授業の冒頭、東小学校の校歌を歌ってもらった。この導入はちょっと心配だったが(大合唱にはならなかったが)、歌詞はしっかり確認できた。「阿夫利の嶺から海から野から」。この「阿夫利」が必要だったから。続いて中学校の校歌も歌う。「阿夫利 丹沢心の友よ」と。もちろん、私も一緒に歌った。
 授業の中で、昭和初期まで存在していた三つの小学校の跡地に立つ記念碑の在り処を聞いた。それぞれの場所について、2、3名だが元気よく手を挙げてくれた。
 自宅に戻る途中、授業で紹介した湧水池の記念碑の前に立っている生徒を発見。少しは関心をもってもらえたのかもしれない、と嬉しかった。


教えられ 励まされ
【No.1167】 2014年06月13日

6月8日
 まほらの会の学習会・9:30〜11:30 会員10名の参加。この日は本町の中野地区の石碑を見て回った。案内は懇意にしているSさん。この日のために資料を準備してくれた。小さな道祖神の銘を騒々しく調べていたら、その碑の後ろの屋敷のTさんが出てきて、その碑にまつわる話をしてくれた。SさんやTさんのような人に教えられ、私たちの会は育っている。

6月11日
午後2時15分から大根中学校の「ふれあい講座」の「新聞づくり講習会」の講師。生徒会広報委員が受講生。「ふれあい講座」とは学区内の人を講師に、生徒、保護者などが一緒に学ぶという趣旨である。私の講座にも4名の保護者、他校の先生も一人参加してくれた。

6月12日
 茅ヶ崎市教委とP連が主催の「PTA指導者研修会・広報部会」の第2回講座。全3回のシリーズの講座なのだが、参加者は毎回入れ替わる。そのわけは会場の広さと全委員が一回は参加するという条件がつくから。
 講座を担当する私としては「前回と同じ・繰り返し」はしたくない。それで冒頭「前回に引き続き参加された方」と挙手を求めた。結果は「引き続き」が半数を超えていた。
 会の後「一回出席はノルマなので前回出た。でもきょうは仲間を誘って来た。三回目も出席します。楽しいし、興味深い話がきけるので」と話してくれた委員がいた。終了後の相談が7校から。50分かかった。嬉しいこと。

今年は私が
【No.1166】 2014年06月07日

6月5日 
午後3時15分から本町中学校で「新聞づくり講習会」。生徒会広報委員と学級新聞係り60名ほどの参加があった。校長先生を含め6名の先生方も聞いてくださった。これには〈緊張〉、でも嬉しいことだった。
 閉会後、1年生のTさんが話しかけきた。彼女のお母さんは昨年度小学校のPTA広報委員を務めた方。「母がよろしくと言っていました。今年は私が広報委員をします」と、少しはにかみながらもしっかりとした言葉で言ってくれた。

充実した一日
【No.1165】 2014年06月04日

6月3日
 午前10時から横須賀市PTA協議会の広報委員会指導者研修会。出席者は160名ほどとか。お父さんの顔もちらほら。これは嬉しいこと。12時に終わったが、質問・相談で会場を出たのは40分後。相談された事の一つは「委員の温度差に悩む委員長」。「PTA会長のPTA通信」を発行している会長さんからも相談。発行の趣旨は「委員になり手がいない現状の中でがんばって活動をしてくれる委員、ボランティアで活動に参加してくれた会員、交通指導をなさる地域の人たち、こうした人たちの活動を紹介する・感謝する」通信。2号まで発行されている。この通信、期待したい。
 せっかく横須賀に来たのだから、と午後は道祖神を見てまわった。ネットで調べると、横須賀には道祖神は数体しか存在しないらしい。
 きょうは須軽谷と芦名の道祖神を訪ねることにした。須軽谷は石祠と丸石、芦名はサルタヒコとアメノウズメが連名で明記されている塔碑。途中、武山中学校前の交差点で双体道祖神を発見。急停車?して調べる。像のスタイル、石材から想像するに比較的新しい造立。銘がないのが残念。
 新聞、道祖神、立ち寄り温泉 と充実した一日。

きょうという一日
【No.1164】 2014年05月21日

5月20日
 湯河原、真鶴、箱根三町合同のPTA広報講座を湯河原町で。会場はサーファーでにぎわう吉浜海岸が目の前の文化福祉会館。
 三町全校からの参加があった。二人のお父さん委員も。「先生の言葉どおり今年からまた広報を出すことになりました」と報告してくれたのはかつての広報委員。数年休んでいた広報紙の復刊である。うれしかった。
 講座の中で「気仙沼の中学生の今の生活」を話した。それを受け止めてくれた一人が、講座の終了後「気仙沼の子どもたちを元気付けるボランティア活動に出かけたい」と相談を持ちかけてきた。彼女はクロスワードパズル・クリエイター
である。

 きょう5月20日は『エコー』創刊30年の日、二人の読者がお祝いを持って訪ねて来てくれた。ありがたいこと、もったいないことだ。

25年度県PTA広報紙コンクール
【No.1163】 2014年05月15日

5月13日 松田町教育委員会の「広報づくり講習会」。

5月14日 秦野市P連の「広報技術講習会」。250名ほどの参加。会の終わりに25年度の県P広報紙コンクールの結果が発表。前日が審査日だったのでまさに速報。25年度も「最優秀」「優秀」「優良」に秦野の3紙が選ばれた。会場にどよめきと拍手が。

5月15日 茅ヶ崎市教委とP連共催の「PTA指導者研修会」。P連会長さんが挨拶の中で、県P広報紙コンクールに茅ヶ崎から入賞があったと披露された。みんなで拍手で祝った。

続“ゴールデンウイーク”
【No.1162】 2014年05月09日

5月7日
 先月25日に東中学校で新聞づくりの講座を開いた。その折「きょう学んだことを活かしてこの連休中に新聞を作ってほしい」と、手書き新聞の用紙を渡した。そして「締め切りは5月9日」とも。
夕方、3人の男子中学生がその“宿題”を提出しに我が家に来た。1年生とのこと。題字は『仲間』。紙面は講座で私が話した「新聞づくりは仲間づくり」であることをで全面が埋められている。私は“手放しの喜びよう”。聞く力、そしてそれを表現する力がこの新聞で発揮された。新聞を一晩預からせてもらい、いっぱい感想を書き、翌朝返した。

5月8日
 放課後、中2の女の子二人が玄関に元気い玄関に姿を見せてくれた。「学級新聞ができました!」と、言葉まで笑顔。『瀬戸根の国』が新聞名。遠足への期待、資源回収で学級が三冠を得たこと、担任の先生のクラスへの願いなど、年度初めの学級新聞としての役割を果たしている新聞だった。感想を書き、届ける。

ゴールデンウイーク
【No.1161】 2014年05月06日

この季節の連休は「大型連休」というのらしいが、私たちの年代の者は「ゴールデンウイーク」のほうが口から出やすい。
 さて、今年の私の「大型連休」は、まさに「ゴールデンウイーク」だった。それは以下の“黄金色の実り”が届いたからだ。

5月3日
 1977〜79年と「朝日中学生ウイークリー」にコラム『職員室』を書いた。その時の担当記者・楊井一滋さんから『茅ヶ崎歴史快道』を贈呈された。この本は、茅ヶ崎市内を通る8つの古道を写真と地図を添えていねいに紹介している。楊井さんの取材力で多くの話を集め茅ヶ崎の歴史書にもなっている。私たちの「まほらの会」のこれから活動への“みちしるべ”になる。

5月4日
 『三陸新報』の渡邉さんのご好意で気仙沼地方のPTA広報誌を読ませていただくことができた。添えられた手紙に「震災から三年が過ぎましたがまた復興途上。気仙沼市は遅れています」とあった。中・高校の広報誌には「三年前・震災直後に入学したこと」が書かれている。

5月5日
 この3月18日に四天王寺庚申堂で出会った北海道の岩永さんから、調査されている『利尻島の碑』の写真集が送られてきた。時間をかけての調査に感嘆。「北海道にも道祖神、庚申塔、五角柱の地神塔など本州由来の民間信仰を確認できます」と教えていただく。何より嬉しかったのは鳥取地方の賽の神の写真を十数枚頂いたこと。この秋「鳥取・大山の道祖神めぐり」に出かけるので、確かな道案内になる。

学ぶことの大切さ
【No.1160】 2014年04月29日

4月27日 「まほら秦野みちしるべの会」の総会。8年目に入るので会の目指すものを再確認。今年度も研修旅行を実施することにした。研修を深めることは欠かせない。終わって懇親会、当然アルコールは入る。夏にバーベキュー。冬に松葉ガニを食べる会を開くことがこの席で決まる。これも研修!

4月25日 東中学校で新聞づくりの講習会。対象は生徒会広報委員会と一年各クラスの新聞係。講座の終わりに「とにかく新聞をつくってみよう。今日のこの勉強会のことを新聞にしてみよう」「ひとりで作ってもいい。クラスの仲間と一緒でもかまわないから」と手書き新聞の用紙を渡した。うれしかったのは全員が複数人で作ると言ったこと。「新聞づくりは仲間づくり」の第一歩を踏み出してくれたのだから。締め切りは5月9日。どんな新聞ができるのか。何紙発行されるのか。、

4月23日 26年度の市P連情報委員会が『市P連だより』発行のための研修会を開いた。内容は第1号の企画会議とパソコンでの紙面づくりの技術学習。企画会議のアドバイザーは私。パソコンの技術講習会の講師は前年度のパソコン担当者6名。この講師たちから「カコミ」「タタミ」「飾りケイ」「キャプション」など新聞づくりの用語がポンポン飛び出すことに驚く。一年前までは新聞編集ソフトなどまったく見たことももないお母さんたちが、見事に変身している。今年度のメンバーもまた一年後には次の委員の前に立地こうして指導するのだろう。学ぶということの大切さを知ることができた。秦野のPTA広報づくりの実力はこうして育てられる。

上大槻ものがたり
【No.1159】 2014年04月22日

4月21日
 「まほら秦野みちしるべの会」の今月の例会は学習会。午前10時から市内の上大槻会館で地元の5名の長老から「上大槻(村)の今昔」を聞かせてもらった。
菅原神社をはじめとする地区の社寺の歴史と祭り、今も通用する屋号―「飛脚屋」という屋号の家がある―、古道、秦野言葉など多岐に亘る話。会員も秦野人がいるので、内容が深まり2時間を超える勉強会になにった。私にとってとりわけ興味があったのは、選挙がらみで地区が二つに分裂していた自治会が、昨年50年ぶりに統合されたという話だった。

シーズン・イン
【No.1158】 2014年04月18日

4月17日
 2014年度の私の『新聞づくり』は、昨日の大井町での広報紙づくり講座でシーズン・イン。
 この町の講座の特色は、幼稚園・小・中学校PTA、社会教育団体、文化団体、そして自治会とさまざまな団体からの参加があること。この講座への参加に見られるように、各団体の発行する広報紙はレベルが高い。
 とりわけ自治会の広報紙は充実していてPTA広報紙の見本になる。例えば『Sだより」はA4判・8ページで年4回の発行。また『Nだより』の最新号はA4判・4ページのカラー版で、会の活動をたくさんの写真で紹介している。この日の講座もPTAのお母さんたちに混じってシニアの男性が10名ほど。
 参加した団体の「共通の願いは『子育てご一緒に』に収斂する」ととらえ、「何を書くのか・何を載せるのか」を考えてもらった。
 講座の受付け場所に教え子・湯川さん(65歳)が私を待っていてくれた。彼女は教師になって初めて担任した子・町の広報で私が来ることを知り、会いに来てくれたのだ。「講座に出てくれるの」と聞いたら「これから体操教室!」と笑う。そして「三平さんと二人で」と地元のお菓子を〈差し入れ〉してくれた。こうして年度第一日目は快調にスタート。

今日はイイ日
【No.1157】 2014年04月10日

4月9日
 今年になって初めて本格的な農作業。サクラの舞い散る中、耕耘機で畑をかき回す。サトイモを植える準備である。
広さは一畝ほどだが、秋から空畑にしておいたのでスギナ、スズメノエンドウ、ハルシオンなどが〈我が物顔〉である。耕すことは根を切り細裂くことて、株分けをするようなもの。今年もまたスギナは“強敵”になるだろう。
 軽いエンジン音とともに、新たなた黒土の畑が私の後ろにできるのは気分のいいもの。その黒土にハクセキレイとムクドリが降りてくる。ひっくり返した土から出る虫を探しているのだ。2メートルくらいの範囲まで近づいてくる。そしてなぜか、隣りの猫も畦にいて私の仕事ぶりを見ている?。この光景をカメラでとらえれば、私の姿もぴったりはまりこんでいることだろう。
 夕方4人の高校一年生が訪ねてきた。昨年の『東中新聞』のメンバーである。「高校の制服を見せにきました」とにぎやか。4人がすべて違う高校に進学したのも彼女たちらしい。こんな来訪を受けられる私は幸せである。

観 桜  
【No.1156】 2014年04月04日

4月1日
 新年度が始まる。秦野市P連の平成25年度広報紙クリニックの原稿完成。
 25年度、市内22校PTAで発行された広報紙は90紙余。その全ページに目を通し、年間活動の講評と紙面クリニックを書く。1校900字くらいたが22校なのでかなりの量。冊子にまとめるので同じようなことは書けない。この冊子が次年度の広報紙づくりに役立つと思いも毎年この時期がんばっている。この作業も今年で10回を数える。

4月3日
 東公民館の事業「大山道を歩く」の日。昼ごろは「降水量ゼロ」の予報を信じ決行。
 この日に設定したのはお花見を兼ねてのウオークにしたかったから。私の住む寺山の道祖神9塔を見て歩くコースだが、桜を楽しめるコースでもある。昼食をとらせてもらった松下家、そして我が家の桜など10数本の満開の桜を眺めた。春雨の中の歩いて眺める桜もまた趣がある。
見ごろの我が家の桜の下で「サクラの語源」と「寺山のお花見」の話を聞いてもらう。「来年はこの下で花見をしたい」との声が。

年度末だけど
【No.1155】 2014年03月29日

3月29日
 市内堀山下(文化会館の向かい)に立つ大山道の道標は堀山下村の造立で寛延4(1751)年。道標には不動明王が塔上に祀られていたが大正12年の関東地方の地震で倒れ、像は行方不明になった。その不動明王像が堀山下地区自治会の皆さんによって90年を経たきょう復元された。
 今日午後1時半から現地でその不動明王開眼落成式が行われたが、式の後の記念講演を頼まれ『富士道を歩く』を話した。

3月25日
「早春の上地区を歩く」を主催:上公民館・協力:まほら秦野みちしるべの会で。
 オリエンテーションで「道祖神の形体」の説明。定員は20名だったが27名を受け入れたので二班に分けて案内。天候にも恵まれ好評だった。
 この日から「秦野市PTA広報紙展示会」が本町公民館で。日刊紙でも取り上げてくれたので見学者が多い。最終日は3月31日で午後3時まで。

 年度末ぎりぎりまで頑張っています。

大阪を学ぶ・楽しむ
【No.1154】 2014年03月25日

3月18日〜20日 『武家の大阪を学ぶ・楽しむツアー』を実施。

 なにわ探検クルーズ・川もからグリコの大看板を見る。

 司馬遼太郎記念館・蔵書2万冊に小説を書くという作業の実態を知る。書斎前の雑木林がうれしかった。館の周りは菜の花が満開。そして町内も菜の花を咲かせていた。2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」である。

 なんばグランド花月で、オール阪神・巨人 今いくよ・くるよ ザ・ぼんち ティーアップなど話術に屈託なく笑う。

 大相撲大阪場所十一日目・遠藤と豪栄道への声援のすごさ。
 
 「ハルカス300」に朝八時半の第一便で登る。エレベーターに乗る順番が最後。300メートルの天空でエレベーターのドアが開いた時、そう、私が一番のりということになった。迎えてくれた案内の女性陣に「一番! 一番!」と左の人差し指を指し出しはしゃぐ。〈左〉は特に意味はない、私は左利きだから。

 四天王寺で彼岸供養の「経木流し」(春秋の彼岸や盆に経木に故人の法名を書いて、金堂わきの亀の井の水に流す行事)を見る。屋外で行われる法要だが「撮影禁止」、当然だろう。

。四天王寺庚申堂は本邦最古の庚申堂。小樽から来たという庚申塔の研究家に出会う。出身は相模原とのことでこれから交流が始まるだろう。

 大阪歴史博物館・ここは「見学した」という程度の関心度。

 住吉大社・「住吉造り」という固有の社殿作りの社。早朝なのに近所の方々が日参されていた。大きな神社だが人々の生活の中に息づく神社。
 
 国立民族学博物館は大阪万博の記念の博物館。日本ゾーンだけに90分滞在。道祖神、山ノ神、田の神などの祭りの展示物に見入る。万祝いも掛けられていた。楽しかった。

 東住吉区の賽の神社に詣でる。大阪にも道祖神があった。だが地域では忘れられそうな雰囲気の神社。
 
 「さをりの森」は妻が趣味としている「さをり織り」の総本山。まったくの偶然、いや奇跡とも言えるだろうことが起こった。「さをり織り」の創始者・城みさを先生に出会えた。先生はまもなく百一歳になられる。今も週六日、機を織っていらっしゃるとのこと。先生を真ん中に記念写真を撮った。神奈川からの来訪を喜ばれ自作の織物をプレゼントして下さった。妻はただただ感激。

 大阪市長選の最中、橋下候補の街頭演説を聞いた(見た?)。

春風駘蕩
【No.1153】 2014年03月17日

3月15日 午前10時〜午後3時まで秦野市PTA広報紙コンクールの審査会。市内22のP広報委員会が今年度発行した広報紙はトータルで90。平均発行回数は4号超。
 P広報紙の年間発行回数は全国的には3回未満。それと比べれば秦野の活動はすごい。「PTA活動がなければ広報紙は発行できない」「良いPTA活動(良い教育活動)があるから良い広報紙が生まれる」。
 夜、招かれてある会の解散会に出席。笑いと涙の5時間強。

3月16日 北公民館の「大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて」の講座の案内を「まほらの会」で担当。オリエンテーションで「道祖神の形体」を講義。25名で春の北地区を歩く。

今年度最後の新聞づくりの講座
【No.1152】 2014年03月13日

 今日が私の今年度最後の新聞づくりの講座。午前10時から秦野市民生・児童委員協議会の会報作り講座を福祉センターで。
 民生児童委員の改選が11月に行われ、新しい広報部会が発足した。その委員のための研修会である。12名の委員のうち10名が「広報づくりは初めて」とのこと。経験者が2人しか残らない、というところに広報作りへの抵抗感があることが分かる。小・中学校でPTA広報を作ったという女性委員、中学校で学級新聞を指導したという元教員(教え子)がいたことは嬉しかった。
 講座の導入の部分で次のような新聞の記事を紹介した。

 12校で三年生 校庭使えぬまま卒業 気仙沼・本吉地方 
 今春、学び舎(や)を巣立つ中学生は震災直後の23年4月に入学した。ほとんどの中学校の校庭に仮設住宅が建つ気仙沼・本吉地方では、3年生がグラウンドを自由に使うことなく卒業を迎えることになった。同地方の中学校16校のうち、敷地内に仮設住宅が建つのは14校。その中の12校は校庭の大半が仮設住宅に充てられている。「卒業までには校庭が本来の姿に戻ると期待していました。仕方ないとは思うが、校舎を出てすぐに部活動ができる学校がうらやましかった」とはある中学の卒業生。野球部の練習のため、放課後に1キロほど離れた小学校の校庭に移動する日々を送った。(『三陸新報』2014年3月6日の「復興へ」の記事の一部)

 市内の中学校はきょう13日が卒業式。11時過ぎの休憩時間のとき、部屋から隣りの南中学校の校庭を見た。雨の中、卒業生を送り出す保護者や在校生の姿が見えた。校庭の桜の木が少し色づいているようだ。春である。

3月11日午後2時46分
【No.1151】 2014年03月11日

 きょうは3月11日、あの東日本大震災から三年が経った。新聞やテレビの報道番組などがきょう訴えていることは「風化させない」こと。私も『エコー』を通して〈忘れない〉努力をしている。20日発行予定の310号には被災地の復興の様子を書いた。
 きょうの神奈川新聞に、秦野市内の9中学校の生徒会が被災地への義捐金の街頭募金活動を昨日・今日と行うとの記事が出ていた。
 隣りの小学校の校庭では、卒業式に向けての鼓笛隊の練習が行われていたが、2時46分に「黙祷」が行われた。みんな忘れていない。忘れてはいけない。

「春はやって来るのではない。自分から春になるのです」
【No.1150】 2014年03月04日

3月3日
 春三月になってからの天候はあまりよくない。きょうは「まほら」の地図つくりの取材にYさんと出かける。
大正11年に街道沿いに店を持たれ、今も営業中の呉服屋さんを訪ねる。関東大震災、洪水、太平洋戦争という大波を潜り抜けての商売の話。店の前の道を通る人たちの変化(車社会に到来)による商売の難しさなども知った。地域社会を支えてきたさまざまな年中行事の衰退を寂しがっておられた。 
 道標や野仏を確認するという作業を進めていく中で、きょうのように、地域のありよう、人のつながりの大切さを教えられることがたびたびある。
 呉服屋さんの近くの酒屋さんに《飛び込み》で取材。経営者の父子お二人(80代と50代)からも話を聞かせてもらえた。その辺りの地名について、資料とはまったく違う面白い由来が聞けた。
 酒屋さんを出て車まで歩いているとき、Yさんが「寒くないですか、コートを着ないで」と気遣う言葉。「うん、大丈夫」と私。確かにコートは着ていない私。気分も体も温まっていたのだ。二軒にはご迷惑をかけたが、良い、楽しい取材ができた。
 好きな言葉「春はやって来るのではない。自分から春になるのです」。春だ、出歩こう。

日向薬師・宝城坊本堂の解体修理
【No.1149】 2014年02月28日

2月27日 
 伊勢原市日向に建つ日向薬師・宝城坊本堂は万治3年・1660年に建てられた名刹で、国重要文化財に指定されている。今その本堂350年ぶりに全解体修理が行われている。
 この修理に関わっている「まほらの会」山口さんの取り計らいで、その修理の現場を会員12名が見学させていただいた。平成22年から始まったこの修理は28年に終わるのだそうだ。
 解体した柱、板、飾り物などの部材が整然と置かれている。「1万点くらいですか」と聞いたら「一桁違うかもしれません」が答え。柱や板などの補修、新しい材料を使う、塗装など気の遠くなるような作業工程がこれから待っているとのこと。作業場にも入れてもらった。三人の職人さんが黙々と作業をしていた。
 文化・歴史を保存する作業に従事する人たちへの畏敬の念を深くした。

表彰式に出席
【No.1148】 2014年02月24日

 毎日新聞と全国新聞教育研究協議会(略称・全新研)が主催する第63回全国小・中学校・PTA新聞コンクールで「文部科学大臣賞」に選ばれた『東中新聞』。その表彰式が、午前10時40分から東中学校の体育館で全生徒出席の元開かれた。
 毎日新聞の「教育と新聞」須藤事業部長、全新研木野村会長が東京から来校。来賓として望月秦野市教育委員長、横溝同窓会長、角田PTA会長など8名も出席。
 『東中新聞』は、文部科学大臣賞とは別に「1000号発行に対して」『特別賞』も毎日新聞・全国新聞教育研究協議会から贈られた。私は主催者として講評を述べた。

長靴がスッポリ
【No.1147】 2014年02月10日

2月9日
 海抜176bの我が家の庭の積雪は「長靴がスッポリ沈んでしまうくらい・40aくらいか」。そんな中、9時半に小泉さんの車で伊勢原文化会館へ。「まほらの会」が招かれている「第2回おおやまみちサミット」に出席するため。
 我が家を出たら隣も前の家も、その横の家も、道の雪掻き。どの顔も嬉々としている、と言ったら叱られそうだが、どの顔も、とりわけそれぞれの家の主が楽しんでいるように見えた。そしてその光景は246号線に出るまで、おおよそ1キロメートル続いた。
 今回のパネルは「大山を観光商品化する」ことがテーマのようで、登壇者には「大山道」への思いはなかった。この日は、東京・世田谷、川崎・高津から「大山道を歩いている」民間団体も招かれていた。招かれた根拠がよくわからなかった。「まほらの会」からは12名が参加。

札幌からソチへ  東中新聞
【No.1146】 2014年02月08日

 昭和47(1972)年2月3日午前10時、私は札幌オリンピックの開会式の会場・真駒内屋外競技場の正面スタンドにいた。和田政子さん(秦野東中3年)、そして市川市・宮久保小学校の大澤和子先生と6年生の鈴木純子さんも一緒だった。
 昭和46年度全国小中学校新聞コンクールで[特選」に選ばれた「東中新聞」と「みやくぼ」は、その副賞として札幌オリンピックの開会式に取材記者として派遣されたのだった。辻村いづみさんが聖火を持って青いリンクをすべる姿を「白鳥のよう。平和のシンボル」と和田さんは記事にした。「東中新聞」はこの年創刊100号を迎えていた。

 今日、平成26(2024)年2月8日、ソチで冬季オリンピックの開幕。2日前の2月6日、東中学校に「東中新聞」が全国学校新聞コンクールで「文部科学大臣賞」と1000号到達と讃える「特別賞」授賞の知らせが届いた。
 札幌からソチ(1972年から2013年)までの41年間に900号を発行した「東中新聞」。
 2018年、次の「平昌オリンピック」は東中新聞に何をもたらすのだろうか。

立春の朝 沢蟹 旅立つ
【No.1145】 2014年02月04日

 昨年の10月25日に再会した沢蟹を、2月4日・立春の日の朝旅立たせた。我が家への逗留は96日だった。
 ゆで卵のほんの一片を与えたら抱え込んで食べた。
 どこに放そうかとおもいを巡らせ、金目川に流れ込む湧水地につれていった。
 節分の昨日とはうってかわり、二月らしい気候の朝。小雨である。
 
   立春の瀬に沢蟹を帰しけり
 
 途方に暮れたのか、あるいは別れを惜しんでくれたのか、放たれた一瞬、浅瀬で動かなかった。そして足早に石の下に。
 
  沢蟹はしたり顔して石陰へ

 はなむけの辞
  沢蟹に我を離るる爽気あり

2月1日
【No.1144】 2014年02月03日

2月1日
 午後2時からの新聞教育の会合に出るため東京へ。5時に会議は終わり居酒屋で懇親会。9時過ぎに帰宅。東京で飲んで秦野に帰ってくる、よく考えれば〈恐ろしいこと〉だが、「新聞もお酒も好きだから」できること。

丹沢湘南観光交流フォーラムに参加
【No.1143】 2014年01月26日

1月25日
 第6回丹沢湘南観光交流フォーラム(主催 東海大学)に「まほら」の会員8人と参加。パネルディスカッション「大山道、その魅力の再発見」の中で、秦野市観光協会が「まほらの会」の活動を実践報告してくれるので応援? ということもあった。定員150の会場は《アクティブ・シルバー世代》で満席に近い入り。
 会を紹介してくれたパネラーへのお礼も兼ね、横山会長と共に会場から発言させてもらった。
 「まほらの会」の活動と観光を結びつけることは難しい一面もあるが、大山道にまつわる歴史や民俗を次世代に伝え、引き継ぐということで言えば『観光』は重要なテーマになる。

Coventry
【No.1142】 2014年01月21日

1月15日
 妻の両親が眠る厚木の飯山観音へ墓参と初詣。飯山観音は坂東三十三観音霊場第6番札所。この日も3台のバスが来ていた。集印帳を抱えた添乗員が先を争うように寺務所に走る。
 午後6時から「まほらの会」の新年会を「万葉の湯」で。幹事をおおせつかったこの日の会。 《仕切る》のは好きなので“ハイ”な私だった。会員は楽しんでくれたのだろうか。

1月18日
 Coventryから訃報。Veraさんが1月5日に倒れ、12 日に亡くなった。27年間のお付き合いだった。合掌。

1月20日
 観光フォーラム「大山道 その魅力の再発見」が25日に開かれる。そこでのパネラーの一人が「まほら秦野みちしるべの会」の活動を紹介してくれる。横山会長にも同席してもらい、パネラーとその内容の確認をする。
 午後4時過ぎにぎやかな声が庭に入って来た。「東中新聞」の子が二人。1004号を持ってきてくれた。17日の発行。阪神大震災19年を迎えたこの日、そのことが取り上げられていた。二人とも受験生「風邪に注意しなよ」と励ました。
 コベェントリーへお悔やみの言葉を送る。

道祖神のまねきにあひて
【No.1141】 2014年01月14日

1月13日
「今日は娘の成人式なのでお赤飯を炊きました。食べてください」と、教え子のMさんがわさわざ本町から持ってきてくれた。いい家庭だなあ、としみじみ思った。

 「まほらの会」の会長Yさんから、「市内の二つの公民館から、三月になったら『大山道を歩く』の講座をもってほしいと依頼がきた」と電話が入った。2公民館の地区は「新東名」の工事が行われる地区。すでに工事は本格的に動きだしていて、野仏などの移転のおこなわれるとのこと。「みちしるべの会」としても現況を確認はぜひおこないたいこと。

 昨年12月に北杜市の道祖神を訪ねた折、話を聞かせてもらった箕輪海道のKさんから「きょうこれからドンドン焼きをする。もっと早く連絡をすれば来ていただけたのに、申し訳ない。写真を撮って後ほど送ります」との電話。感激。

 さて私の地区・寺山清水は明日14日午後2時からダンゴ焼き。今年は組長なので火守をする。我が家は13日の夕食後ダンゴを作るのが慣わし。茹でるのではなく蒸かす。食紅の量を少し多くしてしまったので、鮮やかなダンゴになった。今年は白、赤、緑、三色のダンゴ。

 今日を期して『道祖神のまねきにあひて〜道祖神の里めぐり〜』というタイトルでブログを立ち上げました。まだ1ページしか書いていませんが、訪ねた道祖神の里について書き足していきます。楽しんでいただければうれしいてす。

二つの市P連の講座
【No.1140】 2014年01月11日

1月10日
10時30分から秦野市P連情報委員会のPTA広報講座。情報委員会は各PPTAの代表一人・22名で構成されている。この日の講座は、今年度発行された『市P連だより』の紙面クリニック。この講座での反省が3月に発行される101号の編集に活かされることになる。そんなこともあり少々厳しいことも言った。もちろん、22名は単Pのファーストレディである。どの記事も取材をていねいに行っているのでしっかり書かれている。
 11時からは二つめの講座で「秦野の民俗・道祖神祭りダンゴ焼き」の講話を12時まで。紙芝居「目ひとつ小僧」も上演をした。14日は「ダンゴ焼きの日」。その意義を知ってもらおうと4年前から行っている講座である。

仕事始め?
【No.1139】 2014年01月09日

1月8日
今年最初の仕事? 南公民館との共催で「南地区の道祖神と湧水を訪ねる」講座を持った。14日が道祖神祭り(私は「ダンゴ焼き」と言っているが)なので、グッド・タイミング。オリエンテーションとして30分もらい「道祖神の形体」を画像で見てもらった。かなり興味は持ってもらったと思っている。10時〜14時まで「めぐり」。案内は私たち「まほら秦野みちしるべの会」の会員8名が担当。14時からまとめとして、「道祖神祭りの異称(名称)について」聞いてもらい、最後に「目ひとつ小僧」の紙芝居の上演をした。

年賀状
【No.1138】 2014年01月04日

 穏やかな三が日。元旦に届いた年賀状の中で心に留まった言葉。
 Sさん:「老いてとんがる」です。
 Kさん:「今年も自分をほめられる年にしたい。常に肯定志向で!」
 Oさん:「人間、晩節で、きまる。」
 Hさん:「批判力を育てる教育が必要。どうすればいいいいかと考えさせられます。」
 4人とも私と同世代です。

 Yさん(60代):『昨年は休耕田を利用して仲間四人で米作りに挑戦。収穫期に台風や長雨が重なり、倒れたりぬれたりの連続『嵐も吹けば雨も降る。男の道よ、なぜ険し』 自然への無力を知る。でも、脱穀が終わって、米袋を見て、『ここの幸あり、実りあり』でした。」

 Oさん(50代):「お元気ですか。何十年経っても、あの中学のあの教室で、友達と新聞づくりをした情景が温かく心に浮かぶのは本当に幸せなことと、先生に出会えたことに感謝しています。」

道祖神の本 二冊
【No.1137】 2013年12月20日

 12月4日に「まほら秦野みちしるべの会」で群馬県・高崎市倉渕地区の道祖神を訪ねたとき、案内をして下さった市川光一先生(元倉渕村教育長)から『全国道祖神写真集』をプレゼントされた。
 平成13年に開かれた第16回国民文化祭で「道祖神ヘェスティバル」を企画した旧倉渕村が編集したもの。冊子には北海道から鹿児島までの代表的な道祖神が載せられている。秦野の戸川原に祀られて意僧形道祖神・寛文9(1669)も収められている。
 道祖神の本といえば、11月の初め、20数年前PTA広報委員だったYさんが「本棚の整理をしていたらこんな本が。先生なら読んでもらえるかもしれないので」と、『山梨県の道祖神』中沢厚著を持ってきてくれた。著者はご主人の叔父さんとか。昭和48年に出版されたもので、山梨県下のすべての道祖神を見て歩いた記録集で労作。
 両書とも本当に嬉しいもの。そして貴重な書である。この二冊で私の“道祖神熱”はますます高じ、年の瀬なのに今日もまたページをめくっている。

今年最後の授業
【No.1136】 2013年12月14日

 6月22日、9月30日、そして今日9月13日の三回にわたって担当した東中学校の「総合的な学習の時間」の授業。
 この日は「秦野の民俗 道祖神祭り(ダンゴ焼き)」の話をする。道祖神のご利益とダンゴ焼きの趣意は異なるので、それについて説明。次に「左義長」という言葉の由来を話す。そして道祖神と「目一つ小僧」の紙芝居を上演。
 体育館で全校生徒と保護者、地域の人にも公開された授業。今回も聴講者は300人ほど。これが今年最後の授業。

 週に二回の道祖神めぐりの旅
【No.1135】 2013年12月11日

12月4・5日
 「まほら秦野みちしるべの会」の初めての研修旅行。タイトルは「日本最古の道祖神を訪ねる」で、行く先は群馬県高崎市の倉渕地区、長野県安曇野市穂高地区、そして長野県辰野町沢底地区。
 倉渕はさまざまなスタイルの道祖神が見られる。熊久保の僧形道祖神、落合の抱擁像、坂下と下諏訪神社の男女双体道祖神を見る。
 倉渕の道祖神は野趣溢れるものが多いが、穂高の道祖神はちょっと上品。極彩色の双体神もある。
 沢底では日本最古の「裾まくり道祖神」にお会いできた。
 この研修は私の企画だった。会員の反応が良かったのでホッとしている。

12月8・9日
 山梨・北杜市の道祖神を訪ねる旅。8日は小淵沢地区を回る。山梨の道祖神は丸石が多い。それに見事な石祠の道祖神も散見できる。
 石祠道祖神とは中に丸石や石棒、双体道祖神が祀ってあるもの。二日目は須玉町と高根町を走る。高根町海道の丸石道祖神の近くに住む小林さんから道祖神祭りの話を聞かせてもらった。二日目に出会えた文字碑、双体像、丸石道祖神は納得・満足の出会い。

師 走
【No.1134】 2013年12月02日

 小学校の資源回収に軽トラで協力。「エコー」307号と年賀状の原稿を入稿。クリニックを頼まれたP広報2紙の返信を投函。
 今日のメインは庭の落ち葉の整理(かなりの量)。落ち葉を畑に鋤き込むつもりだった。だが耕耘機が動かない! これは大誤算。
 『東中新聞』1001号が届く。1000号への祝辞や激励の言葉がたくさん届いたので、この号も特別仕様で活版印刷。充実した紙面で読み応え十分。
 4日からの研修旅行の準備。バッグに荷物詰める。天気予報では「降られない」ようだ。

11月は今日で終わり
【No.1133】 2013年11月30日

 11月は今日で終わり。好天の一日。『エコー』308号と年賀状の原版完成。月曜日に出稿したい。
 28日の「大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて(参加(22名)」は好評だったと、横山会長から報告があった。(私は大日堂境内でのオリエンテーションだけ担当)>
秋高天、紅葉は見ごろ。大山阿夫利神社本殿で玉串奉奠。大山寺での護摩焚き見学はめったに経験できることではない。いずれも「阿夫利睦会」の磯崎さんのお力。感謝したい。
 気分高揚の皆さん、予定では伊勢原にバスで出るはずだったが、「まほらの会」も協力し完成した『大山古道の道標』を確かめるということで、全員が『イヨリ越え』で寺山に下りてきたのだそうだ。
 その「まほらの会」だが、12月4・5日に「日本最古の道祖神を訪ねる」という研修会を行う。それでその資料を作成。
 群馬・高崎市倉渕地区、長野・安曇野市穂高地区、長野・辰野町沢底地区の道祖神に会いに行く。倉渕は日本で二番目に古い僧形の道祖神(最古とも言われている)、最古は沢底の「裾まくり道祖神」。安曇野は彩色された道祖神。どれも会員を魅了するにちがいない。私は、倉渕、安曇野に二回、「裾まくり」さんにも今年の正月にお会いしている。
 

自画自賛
【No.1132】 2013年11月22日

11月20日
 あずま荘デイサービスの企画『寺山ものがたり』を4年前から受け持っている。今日のテーマは地図の上で「寺山を歩く」。地図は「まほらの会」のイラストマップを使う。
聴いてくれたのはほとんどが寺山に住む人たち。私にとっても顔見知りなので安心して話すことが出来た。「出征兵士を見送った道永塚の桜の木」や「庚申信仰と名前(キンさん、鎌太郎さんなど)」などの話は特に印象に残ったようだ。
 1時間はあっという間に過ぎ「今日はここまでです」と閉じると、「もっと聞きたい。もう少し話してよ」、「続きはいつですか」、「来月は健康体操だけど、この続きに変更してほしい」という声があがった。「今日の話を本にしてください。聞いてもすぐ忘れるので」と特別な注文もあった。
 寺山を故郷としている者にとって、その地のことをあらためて確認すること、あるいは思い出すことは、今までの生活を振り返り、人生を納得することであると思った。
 「東地区の話を全部するのにはあと10回は必要。10年間お互いに頑張りましょう」と約束して退出した。
今日の話の出来はよかった、と「自画自賛」。

「きのうはありがとうございました」
【No.1131】 2013年11月19日

11月16日
 東中で初めて担任したクラスのクラス会。4年毎に開かれていて今回は14名の参加。30人中14人が出席。64歳になった彼、彼女たちの会だから落ち着いた宴席。東地区での「通過儀礼」の話なども出て、楽しい会だった。
 私は最後に挨拶をさせられた。それでこんな話を。
 「毎朝、仏壇にご飯、お茶、線香を供え、手を合わせている。そして『きのうはありがとうございました』と心の中で唱える。きのうも、我が家の者は皆、周りの人に支えられ一日を過ごすことができました、とご先祖様に報告している。きょうも皆さんのお陰で楽しいときを過ごさせていただきました。だから、明日の朝『きのうはありがとうございました』と報告します」。
 二次会は私も加わって15名。「ラストダンスは私に」を歌ったAちゃんにみんな驚き、聴き入る。

紅葉と雪
【No.1130】 2013年11月16日

 11月13・14日は「秦野ゆとりの会」の研修旅行。2000年から始まったこの研修旅行に13回参加できている私は《健康・元気》ということなのだろう。
 研修地は富岡製糸場、八ッ場ダム、吾妻渓谷、卯三郎こけし館、水沢観音、川越と、バラエテイに富んでいた。日本酒の試飲、温泉饅頭の試食もあった。
 宿泊した草津温泉は「紅葉と雪」。宿から見えた近くのゲレンデはもう滑走が出来そうだった。露天風呂で草津の湯を堪能。そして宴会。一年ぶりのカラオケを楽しむ。「春は桜の夢が咲く」を歌う。今回の参加者16名を高年齢順に並べてみたら私はちょうど真ん中。「ゆとりの会」は元気な会である。

寒くなりました
【No.1129】 2013年11月11日

 東京カントリークラブへの取り付け道路のガードレールがはっきり見えるようになりました。今朝は寒かったです。鍋と熱燗がおいしい季節になりました。11月7日付けの「三陸新報」にこんなエッセイ(部分です)が載っていました。

酒に爛をつけて飲むのは、日本の食文化に育まれた独特の飲酒スタイルで、爛酒が一般的になったのは江戸時代中期以降といわれている。燗によって日本酒が持つ「甘・酸・辛・苦・渋」の「五味」が出てくる。
 日本酒は冷やしても、常温でも、爛でもおいしいのが名酒≠ニいわれるが、これからは、やはり熱爛がいい。
 爛には、人肌爛30〜40度、温(ぬる)爛40〜45度、上欄45〜50度があり、これ以上熱いのが熱爛、さらに熱いのが飛び切り爛で、人肌より温いのは日向爛という。
 日本酒は人肌〜上爛がおいしいといわれる。一応、大吟醸は人肌、純米は温め、本醸造・普通酒は上燗がいいとは通≠フ話。爛は70〜80度のお湯に銚子(ちょうし)を入れてするのが一番だ。

今年最後の広報講座
【No.1128】 2013年11月04日

11月2日
 今年最後のPTA広報づくり講座は中野区中学校PTA連合会主催の広報委員研修会。会場は「なかのZEROホール」。6月に第1回を持っているので、今回は紙面クリニックが中心。年度最終号に向けて活動を再起動させる? きっかけにする研修会である。
 講座の初めに、三連休の土曜日の午後という時間帯に、広報づくりという厄介な活動のための研修に参加された委員の皆さんに心から敬意を表した。対象が中学校PTAなので、取り上げる題材はかなり焦点化できた。終わってからの相談の一つが写真の掲載について。

まだ滞在中
【No.1127】 2013年10月28日

 10月17日の朝、台風で吹き荒らされた道を掃いていた妻が、勝手口の階段で沢蟹を一匹発見。沢蟹は清流に住むのだが、近くに川は流れていない。大雨で流されてきたとしたらタイヘンな“長旅”と思い、しばらく我が家に留まってもらうことにした。カマボコ(と言ってもほんの切れ端)を与え、スーパーで売られている鍋焼きうどんのアルミホイールの鍋に入ってもらった。そして一夜明けて鍋を覗いたら、もう“旅立って”おられた(逃げられた!) 。捜してみたが見あたらない。
 25日、前日は台風27号の影響で大雨だった。その25日の朝、黙って旅立った沢蟹が、なんと母屋の軒先を歩いてる! それで、またしばらく滞在してもらうことにした。今回はハム、油揚げ、そしてご飯粒でもてなす。元気になったら金目川に連れて行くつもり。28日の朝現在、まだ滞在中である。

『東中新聞』 今日1000号に
【No.1126】 2013年10月26日

10月25日
 7月からスタートした『東中新聞』の1000号の新聞づくりが、今日10月25日に予定通り発行された。広報委員長の後藤さんが両の腕で捧げるように大事に大事に持ってきてくれた。
 タブロイド判10ページというこの号のメインテーマ《つなごう心を》」。
 1面は「おはようで始まる一日を」、2面「人とのつながりを考える」「My CLassroom」、3・6面「“歩いて『東』再発見”」、4・5面「祝・1000号到達 ペンのリレー続け64年」、7面「東中生のケ一夕イ事情}、8面「エコのTシャツで燃えた体育祭」、9面「おめでとう がんばったね」、10面「つないでたすき≠」。

 私事を書けば、『東中新聞』が生まれたのは昭和25年。その創刊に関わった生徒の一人に私がいたようだ(東中学校の公式記録に氏名が記載されているので)。たた、残念ながら新聞づくりの記憶はほとんどない。ガリ版用のロウ原紙にヨードチンキのような色の修正液をこぼした記憶は鮮明に残っている。「それが『東中新聞』づくりであったのなら…」と今は願っているだけなのだが…。そしてこの1000号には、少しだが、確かに関わることができた。幸せである。

佐賀からお客さん
【No.1125】 2013年10月22日

10月21日
「箱根で姉弟会が開かれたので」と佐賀に住む谷口さんが突然訪ねてきてくれた。彼女は生まれは秦野の蓑毛。東中時代に担任をした子。早くして両親を亡くした彼女の家は、毎年姉弟三家族が墓参をかねて箱根に集まるのだそうだ。今年、わざわさ彼女が私を訪ねてくれたのは「東中新聞」1000号のお祝いの言葉を私に届けるためのようだった。彼女は昭和48年度の「東中新聞」の新聞委員長。中学時代の思い出をたくさんたくさん話して帰っていった。 今の彼女は地域包括支援センターの主任ケアマネージャー。

にぎわった富士道
【No.1124】 2013年10月20日

10月19日
 9時30分から緑水庵(秦野市蓑毛)で丹沢ドン会と秦野市が企画した「山ろくウオーク+秦野歴史講座」の講演。ドン会は東地区の棚田を保持する活動を積極的に行っているので秦野の水田を潤す金目川の話をした。タイトルは「金目川(かなめがわ)は金楲川(かなひかわ)」。40名ほどの参加者。
 10時半、金目原橋(秦野市寺山地内)のたもとで「ぶらり大山なつかし道」というウオーキングツアー(セブンカルチャーネットワークと秦野市観光協会の企画)を待つ。こちらは都内、川崎、藤沢などからの参加も。秦野には2000を超える石仏・石神が祀られていて、馬頭観音が最も多い。私が待っていた地は95基の馬頭観音碑が立つところ。馬頭観音信仰の話をする。そして「これから皆さんの歩く道は《野仏の道》。野仏との出会いを楽しんで下さい」とツアーを見送った。
 12時30分、再び緑水庵で「なつかし道」ご一行に「(世界文化遺産となった)富士山と大山をつなぐ秦野の富士道」の話を聞いてもらう。
 この日、ドン会は蓑毛から田原に向けて歩き、なつかし道さんは寺山から大日堂に向かった。それで才戸の市内最古の富士道の道標辺りでこの二団体がすれ違う。ふだんは静かで穏やかな富士道だが、この日はかつての白装束の往来をおもわせるにぎやかな道となった。

たちまち反響が
【No.1123】 2013年10月17日

10月15日  
 14日の神奈川新聞が「『東中新聞』の千号到達」のことを記事にしてくれた。1ページのインデックス「きょうの紙面」欄で写真付きの紹介。そして27面では6段組みのカコミという大きな扱い。
 たちまち反響が。かかりつけの歯医者さんと内科の先生、そしてかつて新聞委員として活躍したWさんからは1000字を超えるメール。
 その結びは「中学校で三年間新聞づくりを続けたことは、大人になってからの力になったことをお伝えしたくて」とあった。WさんはH製作所に入社と同時に社内報担当になり六年間頑張った。

真夏日
【No.1122】 2013年10月12日

10月11日
 今日も暑い。そんな中、午後3時に東中に出かけた。「東中新聞」1000号の校正を子供たち20数名で行う。その指導。はじめに校正の大切なことを話し、校正の仕方を教えた。全員の机上に辞書。でも辞書はあまり使っていないらしい。ていねいにページをめくる姿がそれを表していた。こうした作業を通して、子供たちは自分も1000号の制作に関わったことを記憶するはず。

 小田原は真夏日だったそうだ。前日は海老名も。いずれも観測史上最も遅い「真夏日」。
 先週7日まで塗装屋さんが入っていたが、その職人さんの言葉。「10年くらい前は、昼休みになるとサンオイルを塗って屋根の上で体を焼いた。今は休憩になれば、とにかく日陰に飛び込む。歳をとったせいもあるが、夏は厳しい。日本は夏と冬だけで、春秋はなくなったように感じる」。この職人さんは30代半ばである。

来年も
【No.1121】 2013年10月04日

10月3日 
 夏日を思わせるような一日。湯河原町と箱根町のP連と教育委員会が共催する「PTA広報紙づくり講座」が湯河原町教育センターで開かれた。
 両町の7小・中学校の広報委員25名が参加(お父さん1人)。時間は9時半からの2時間。今年度発行された広報紙の紙面クリニックが講座のメイン。最後の20分で次号の企画・編集会議も行った。今年度になって発行された7広報紙はかなりの充実度だった。それで「皆さんが来年も広報委員をされるなら、もう私の出番はなくてもいいでしょう」と話した。講座の後「来年やるかどうか考えてみます。出来ればやりたいですが…」と言い、笑顔で帰っって行った委員が二人いた。
 9月5日から始まった秋のPTA広報講座は今日で9会場目。これで一段落。

フクシマ
【No.1120】 2013年10月02日

今日から10月 

9月30日の「朝日歌壇」

東京ゆ二百五十キロにて汚染水タンクは増えてゆくばかりです 美原 凍子
東京は安全ですと言われれば区別の助詞の「は」がひっかかる 小島 節子
東京は東京にはの「は」と「には」の東京遠く遠く隔たる   小林 武子
東京で痛感加速する風化被災地のある国に思えず       桃 心 地

講座二つ
【No.1119】 2013年09月19日

9月17日 
 「JAはだの」の組合員基礎講座。新たに組合に加わった人たちを対象にしたこの講座。この日の私の講座は「知ろう! 伝えよう! 地域の伝承文化」がタイトル。それで、次の三つを柱にして90分話した。
1 世界文化遺産になった富士山と秦野をつなぐ富士道(遺産に認定された要素の一つ「信仰の対象としての富士山」に関わっている)
2 秦野の民俗「だんご焼き・道祖神祭り」
3 秦野(神奈川)の郷土料理「へらへら団子」
 秦野生まれの女性が「今日の話の事柄は断片的には知っているが、きょう系統だった説明を聞き、さらに関心が深まった」と感想を述べてくれた。

9月18日
 秦野市P連の「広報づくり研修会・紙面クリニック」を東公民館で。11時半前に終わったのだが席を立つ者は無く、そのまま企画会議という形になっていった。
 使用時間から12時に解散になったが、次号の企画についての相談が4校、写真と名前(プライバシー?)の使い方。依頼した原稿があまりにも膨大(頼んだ文字数の3倍もある)。そんな時執筆者にどのように対応したらいいのか(編集権)。など現実の課題についてのアドバイスを求められた。更には私のクリニックへの反論などもあり、会場の熱気は最後まで冷めなかった。

Mさんのフォロー
【No.1118】 2013年09月11日

9月10日
 松田町教委の広報づくり研修会の第2日。6団体15名の参加。クリニックの後、次号の企画を発表し合い意見交換をした。参加人数、顔見知りも多いという好条件だったので《赤裸々》な話も飛び出し、有意義な話し合いができた。
 この研修会の担当のMさんが、前回の研修の内容のまとめ(私の講義のポイントを18項目にまとめたもの)を出席者に配り、「今日のクリニックのことと一緒に次号の発行に役立ててほしい」と話をされた。こんなふうにフォローしてもらうと助かる。ありがたい、嬉しいことだった。
 

「広報 読んだよ」だけでもいい、評価がほしい 
【No.1117】 2013年09月07日

9月6日
 伊勢原市P連の広報研修会。すでに発行された広報紙の紙面クリニックが研修の中身。
 「〈愛〉の反対は〈憎しみ〉ではない。『無関心』である」と言った人がいる。
 頑張って発行したのに何の反応もない。「『読んだよ』の一言でもいいからほしいのに」は、広報委員全員の思いでもある。
 私の紙面クリニックはその反応のひとつと思っている。褒める、記事は全部読むことにしているので、書かれている内容、表現でも気に入ったら取り上げてほめる。写真、レイアウトも褒める、かなり“私好み”になるのだが…。
 今日は9校から40名ほどの参加。クリニックをするページを書画カメラで映す。少々キツイ指摘もした。これは反省している。だが、委員たちにとって自分たち作品(広報・新聞を「作品」と呼ぶことには抵抗があるが、ここではあえて「作品」と書く。なぜなら、委員たちの汗の結晶が紙面になったのだから)を大勢に読んでもらい、評価されることは喜びだと思っている。
 講座のあと相談に来たI中学校の広報委員が「小学校のときも広報を作った。初めてなのでいろいろ苦労した。でも一年間の活動を終えたとき、とても満ち足りた気持ちになった。それで中学校でも広報委員に立候補した。4年ぶりです」と言った。こういうことを私に言えるのが年度中間の研修会の良さだと思っている。
 年度初めと年度中間でという2回の講座をもつことは、委員の意欲をもう一度上向きにさせる。来週も3会場で紙面クリニックを行う。参加者の心に何かが刻まれる講座にしたい。

今日から広報「秋の陣」
【No.1116】 2013年09月05日

 9時30分から大井町教育委員会の広報紙づくり研修会(第2回)。「読みやすく、親しまれる広報づくりの基礎技術の習得ー評価ー」で、今年度発行された各種団体の広報紙クリニックをおこなう。 
 参加団体は幼・小・中のPTAが7、子ども会育成者連絡協議会、青少年指導員協議会、体育協会、文化団体連絡協議会、自治会3、そして地域づくり研究会の15紙。
 前夜から豪雨で幼稚園は臨時休園とか。となれば講座の欠席者が出るはずなのに、逆に参加が増え、託児保育室はにぎやかだったらしい。私の席に届く参加者の会話は全て広報づくりのこと。こんなところにも広報紙づくりへの意欲が感じられた。今日から私には広報「秋の陣」。

夏の終わりは
【No.1115】 2013年08月22日

 8月18日
「まほら秦野みちしるべの会」の月例学習会。
 昨年12月に13図で完了した「みちしるべイラストマップ」の改訂の作業がこの学習会の主題。平成20年に発行した東地区の3図の改訂版が提示された。初版と比べ精度は上がり、しかもすっきりとしたものになっている。描いてくれた横山会長の頑張りにただ感謝するのみ。
会の活動が認められ、市内の5公民館から「大山道を歩く」講座の講師の依頼が新たに舞い込んだ。この会の目標の一つは「『まほら秦野・大山道』の案内人を目指す」ことである。その目標に向かって研鑽しなければならない。
 会報「まほら秦野みちしるべ」の第2号がこの日発行。こちらの内容も充実している。記事を書いた人たちの筆力の賜物。

 8月20日
 「東中新聞」の編集会議に出かける。塾の夏期講座を休んで見出しのレタリングに挑戦している二人。凝り性なのだろう手を休ませない。顧問の先生は少し焦り気味なのに。でも持っていったお菓子を配ったら歓声。

 8月21日 
 茅ヶ崎市香川公民館の「夏休み親子でつくる壁新聞」講座の第2日。親子8組で9新聞が完成。館長さんから「私の予想をはるかに超える新聞。こんなすばらしい新聞を作ってくれた皆さんにお礼を言います」との言葉が贈られた。私も同感! もう一つ嬉しかったのは、講座の担当職員・菅澤さんが『壁新聞新聞』というこの講座の様子を伝える新聞を作ってくれたこと。
  
 8月22日
 「夏休みの思い出をかべ新聞に―かべ新聞をつくろう」の新聞講座(秦野市立東公民館)の第2日。子ども23名・親14名の参加。
 題字(新聞のタイトル)はさまざま。『歌舞伎新聞』『実朝公御首塚新聞』『頼朝の逆さイチョウ新聞』 『(ヒップホップ)ダンス新聞』『亀新聞』『干支新聞』『はじめてはじめて新聞』。もちろん主流は『家族旅行新聞』。
 新聞づくりで楽しかったことは「いろいろなことを調べ、いろいろなことを見つけられたこと」と感想を残していった4年生がいた。「来年も新聞づくりに来る」と言った子も大勢。

清水湧水地跡記念碑建立10周年記念文化講演会
【No.1114】 2013年08月12日

8月10日
 私の住んでいるところは秦野市寺山・小字名は「清水・シミズ」。ここには湧水池があった。水が浸み出すから「シミミズ」⇒「シミズ」⇒「清水・瑞祥名」である。近くでは縄文時代の遺跡が発見されている。ところが2004年の県道改修で最後まで残っていた小さな泉が姿を消した。この「清水」は東小・中学校の校歌にうたわれているもの。
 歌を歌うとき、私たちはその歌詞の情景を思い浮かべる。「清水ケ丘は夢湧くところ(東小学校)」そして「いつも湧き立つ希望の泉(東中学校)」と校歌を歌う子どもたちに、その情景をどうしても与えたいと思った。
 私のこの感慨が、清水庭(自治会)の人たちに伝わり「清水湧水池跡記念碑」を2004年8月に建立した。碑文は私が書かせてもらった。
それから10年が経った。世代が変わった家も多く、新たにこの地をふるさととする家族も10数軒増えた。私の年齢も…。それで、きょう「清水湧水地跡記念碑建立10周年記念文化講演会」が清水自治会の主催で開かれた。講師は私。「清水は浸み水」というタイトルで、清水地区の地名が持つ由来・意味について1時間ほど話した。講演の後は懇親会。冷えビールを飲みながら年寄りが語る昔の清水庭の話でかなり盛り上がり楽しい会だった(年寄りの冷や水!)。中学生から70代までの広い年齢層の参加があり嬉しかった。
 

新聞週間です
【No.1113】 2013年08月09日

 8月5.6.7.9日は、この秋創刊1000号を迎える『東中新聞』の指導で東中学校へ。地域の人へのインタビューにも同行。子供たちの気持ちは徐々に高まっている。嬉しいし、頼もしい。8日は松田町の子ども館でカベ新聞づくりの講座。この町では初めての講座なので参加者の人数が気になっていたが、小学生9人、大人6人。この大人の中の二人は「自分の新聞を作りたい」と単独参加。町外の母子3人の特別参加もあった。松田山山頂の「子どもの館」なのでエアコン無し。会場の気温は33℃超。汗また汗の新聞づくりになった。

大山古道の道標 建立
【No.1112】 2013年08月04日

8月3日
 大山古道の整備・修復をしている伊勢原の「阿夫利睦会」から「秦野側の入り口に道標を立ててほしい」と依頼されていた。その道標をきょう建立した。睦会から磯崎敬三会長さんら二人。「まほらの会」13名、それに地主の山岸勉さんにも立ち合ってもらい、寺山772番地の稲田の角(ここは大山古道・坂本道の入り口)に立てることができた。
 道標の表示板は横95、縦35、厚さ5cmで栗の一枚板。「大山古道出入り口(坂本道)至 イヨリ峠 禊の大滝 大山町 所要時間80分と記されている。柱には「まほらの会」と記入。この道標を含め、大山町まで12基の道標が立てられた。古道の面影が色濃く残っているこの道を12本の道標に導かれ歩いてくれる人が増えることを願っている。
 
 8月4日付け『神奈川新聞』に「道標建て」のことが紹介されています。
 写真は http://mahora-hadano.sblo.jp/を。

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