【No.1831】 2024年09月02日
8月30日 「丹沢ドン会」 棚田学会賞を受賞 おめでとうございます (片桐務さんからのメール) いつも「ECHO」 楽しみに拝読させていただいています。ありがとうございます。先生の「動かなければ出会えない、語らなければ広がらない、聴かなければ深まらない」をこころに、勝手に「楽しくなければ続かない」と自分流を加えて丹沢ドン会の活動を続けて来ました。このたび思いがけず、「第20回石井進記念棚田学会賞」をNPO法人自然塾丹沢ドン会が受賞し、可児理事長と片桐が授賞式に参加しました。さまざまな方々に支えられて今日があります。「感謝」以外のことばは浮かびません。 8月29日 《本好き》のKさん 神奈川新聞の「自由の声」欄にKさんの「図書館ネットに助けられ」が掲載された。《本好き》なKさんらしい文。ふらふらしている《台風》に比べ何と明快な文か。20数年前に広報作り講座で出会ったときから変わらない生き方に敬服。
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HP更新 【No.1830】 2024年08月20日
8月20日 「ECHO」のホームページ更新。
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八月の十八日に生れし吾 【No.1829】 2024年08月20日
八月十八日は八十八回目の誕生日。この日に生んでくれた母に感謝。そして親族やご縁を頂いた皆さんのお陰でこの日を迎えることができた。ありがとうございます。八と十と八だから米寿。「米寿」は私のためにある祝いと思っている。 ・八月の十八日に生れし吾 今日正真の「米寿」迎えり
誕生日を旅先で迎えることもあった。▽能登・禄剛埼灯台 ▽北海道・根室 ▽愛知・伊良湖岬 ▽「郡上八幡盆踊り」 ▽「西馬音内盆踊り」(秋田・羽後町) ▽「東山盆踊り」(会津若松市) ▽飛騨高山の朝市 ▽四国八十八番札所・大窪寺 ▽群馬・敷島球場(中学野球関東大会で準優勝) ▽ナゴヤドーム ▽神奈川病院(腰椎圧迫骨折で入院) 旅先で迎えた誕生日の中で印象深い一つは51回目。1990年の夏、家族三人でイギリス・コベントリー市のグラハム家を訪れた。長男の友人であるバーレーンの青年三人の手によるアラビア料理での誕生会。グラハム夫妻も加わり八人のパーティ。ノーリ君が「クッルアーミン ワ アントゥム ビハイル」と祝ってくれた。 蝉が鳴いている。 ・今生れし声に混じりて今生の別れも聞こゆ夕蝉しぐれ ・父よりも五年永らえ今日「米寿」 九年を経て母に並ばん
8月18日の誕生花は〈百日草〉・花言葉は「友への思い」
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あきあかね 【No.1828】 2024年08月17日
8月17日 台風一過 裏の畑に赤とんぼが舞い、庭にシオカラ蜻蛉が飛んでいる。 いつも一人で赤とんぼ 種田山頭火 とんぼ釣り今日はどこまで行ったやら 加賀千代女 赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする 風天(渥美清)
▽臆面もなく駄句を並べること、お許しください。 蜻 蛉 勝美 山頭火千代女風天赤とんぼ ふるさとの山襞の濃し秋茜 バス停は豆腐屋の横赤とんぼ 噴水の枯れし水面やとんぼ舞う
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夕顔の煮もの 【No.1827】 2024年08月15日
8月13日 「田舎では夏は欠かせない料理」とKさんが夕顔の煮ものをもってきてくれた。Kさんの故郷は山形県大江町。この地方では暑い夏にはよく食べるとのこと。頂いたときは未だ温かかった。「冷蔵庫で冷やして食べて。食べるときにはカマカニを裂いて乗せるとイイ。ホントは鶏肉を使うんだけど、なかったのでカニカマ。唐辛子をちょっと振るのもイイ」カニカマも付いていた。 初めて食べた。ビールにもご飯にも合う! 美味しかった。
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シェイクアウト 【No.1826】 2024年08月12日
防災訓練の実施を知らせるプリントが届いた。目を通したら「午前9時から各家庭でシェイクアウト訓練」とあった。初めて出合った言葉「シェイクアウト訓練」とはどんな訓練なのか。調べたら、「シェイクアウト」とは、地震の際の安全確保行動1-2-3「まず低く、頭を守り、動かない」ということ。この言葉はもう十分認知されていて、知らない私は防災意識の欠如か。横文字・カタカナで表すと緊張感がすこし弱まるように思うのだが。
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地震 【No.1825】 2024年08月11日
9日夜の地震の震源地は秦野とか。我が家の被害は、応接室のこけしが棚から転落。二点の絵画の落下し破損。家具は固定しておいたので転倒はなし。でも、なぜか冷蔵庫の中でコップが倒れていた。飲酒への忠告? 地震見舞いのメールが二通。。ありがたいことです。
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【No.1824】 2024年08月08日
8月8日 相原明美さんからのメール こんにちは ご存じですか! 「煙草煎餅」の亀本さんのが7月31日店じまいしたと、今聞きました。素朴で美味しかったのに残念です。知っていたら、買い占めに行きたかったです。あの形、あの味、他にはなかったのに。秦野の銘品が一つ無くなってしまいました。残念です。
煙草煎餅と私 秦野『亀本』の「煙草煎餅」は、たばこの葉を模した香ばしい卵煎餅である。「道祖神の里めぐり」していた私の必携七つ道具の一つがこの「煙草煎餅」。名刺代わりに「煙草煎餅」を使った。道祖神の話を聞かせてくれた人や出会った方に「煙草が嫌いになる煎餅です」「タバコの代替え品」などと言って差し出す。先方は「煙草煎餅」というそのネーミングに驚き、怪訝な顔つきになる人もあったりしたが、私の話を聞き喜こんでもらえた。 その一人、長岡市上樫出の西片道夫さんの言葉。 武先生は道祖神めぐりの「七ツ道具」の一つ、秦野銘菓「煙草煎餅」をたくさんお持ちになられ、上樫出のちょんぼ道祖神・地蔵尊作りを見学に来てくださいました。道祖神作りのリーダー中村幸さんにいろいろ質問され、途中からはニコニコ顔でちょんぼ作りの仲間に加わられました。栃尾祭りの花火大会でのサプライズ―そのことを『栃尾タイムス』のコラム「街の片々」で読み、感動いたしました。これからもお身体を大切にされ、お元気でご活躍ください。
「亀本の煙草煎餅のこと。わが子三人の結婚式の引き出物にこの煎餅を添えました。我が家にとっては掛け替えのない品物でした。亀本さんのお店がまだ駅前にあったころ、先代のおばあちゃんが着物姿でお店番をしていらっしゃって、煎餅を買いに行くと《訳あり》の煎餅をおまけにくださった嬉しさを今も覚えています。 畠 和子 秦野に嫁いで27年になりますが、「煙草煎餅」を知りませんでした。煎餅に短歌が焼きこまれている、材料にもこだわって蜂蜜も地元産。さっそく「ショッピングセンター」に買いにいこうと思いました。教えていただいてありがとうございました。 浜野すみ江
秦野に嫁継ぐときまってから「煙草煎餅」を手土産にいただくことが多かったです。嫁いでからは私が手土産に実家に持って行ったり。過日の「梅の実会」総会の記念講演の折先生から会員に煙草煎餅をプレゼントしてくださったこと驚きもまた懐かしく嬉しかったです。 三杉 幸子
わが家は私が小学校六年生まで、秦野葉を耕作しておりました。「めど欠き(芽止め)」をすると指先が真黒にヤニだらけとなり、葉タバコ臭いが嫌いになりました。農事試験場の指導員は、訪問先での葉タバコ耕作の指導に、関野作次郎翁の「煙草耕作指導歌」の焼き込まれた煎餅も使われたのではと思います。下ぶくれの秦野葉のようなコゲ茶色を出すのに秦野産の蜂蜜を使用したり、天候の具合にあわせて焼き加減を調整されているので手焼きの感じが伝わってきます。土産物の多くはその地域の名物・名産を形にしていますが、詩歌や農作業の様子を土産物として図案化されている土産品・『煙草煎餅』は珍しいと思います。 大木 伸男
「煙草煎餅」に短歌が書かれていることを初めて知りました。 志村 良江
生家が葉タバコ農家だった平川貞夫さんから「煙草煎餅を買いに亀本を訪れたが、コロナ禍と機械のメンテナンスのため今は焼いていないとのこと。とても残念でした」と便りをもらった。
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本望だろう 【No.1823】 2024年08月02日
8月1日 ガスコンロの交換。取り付けに来た人が、外した器具の製造年を見て言った。「これだけ使ってもらえればコンロも本望でしょう」。どうやら20数年 耐えてくれたらしい。朝食の後片付けの最後にコンロをきれいにすることは欠かさなかった。物持ちがいいのか? しわい屋なのか? 今朝はお礼とお別れの心を込め特別に時間をかけ拭き上げた。「ご苦労さん、 ありがとうよ」
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鈴虫の配布会 【No.1822】 2024年07月30日
7月28日 私も入っている「秦野ゆとりの会」の活動の一つである「鈴虫の配布会」が東公民館で9時半から開かれた。会による鈴虫の配布はもう10年以上続いている。今年の鈴虫はNさん、Fさんが一年かけて育てたもの。配布する前に鈴虫の育て方の勉強会を持つ。Kさんが生物としての鈴虫の解説。Nさん、Fさんからこれからの飼育の方法を学んだ。小学生二人を含め参加者は11人。
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夏の花 【No.1821】 2024年07月25日
7月25日 今朝、行灯づくりの朝顔が紺の花を二つ咲かせた。濃い赤の「蔓無し」は五日前から連日咲いてくれる。二株の桔梗も四つほど蕾をほどいた。濃い紫の星型の花は、その花言葉のごとく「気品」を感じさせる。一日花ではないから楽しめる。「秋の七草」の中の桔梗とは朝顔のことだそうで。薄緑の小さな蕾がたくさんついているのも嬉しい。夜顔の蕾がそれらしい形になってきた。開花は8月になってからか。 夏の花である百日紅が細い枝先に紅く膨れて揺れている。九月ごろまで楽しませてくれる。 ・熱帯びし高枝鋏百日紅
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七月の「道祖神の里めぐり」 【No.1820】 2024年07月20日
七月、四人の方から道祖神についての便りをいただいた。私も「動かなければ」 ◎秦野の双体道祖神全塔を素描した井越基生さんからの便り。「秦野で終わり、と思っていたが、また描きたくなりお隣の中井町を終え、今二宮町に入っています。その内作品を持ってお伺いします」。その作品のコピーもいただいた。 ◎稲葉一郎さんから山梨・北杜市の増富温泉地区に点在する人面付き石祠道祖神の資料が届く。稲葉さんには今までたくさんの文献・資料の提供を受けている。 ◎前橋在住の大野達平さんから「道祖神めぐり」の第三便(写真)が届く。今回は桐生市の双体神。群馬県は道祖神信仰は盛んな地だが、なぜか桐生市は少ない。だから私は訪ねていない。それだけに頂いた写真は嬉しかった。 ◎鈴木真澄さんの故郷は平塚市仲町。漁師町の道祖神祭りの記録と道祖神碑の写真が送られてきた。仲町の道祖神は「稲荷大明神」と並列で「玉串道祖神」と刻まれている珍しいもの。私には初出。
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雨の中 オショロさんはお帰り 【No.1819】 2024年07月16日
6:15amに届いたメール おはようございます。お盆の準備、昨年までは弟がしてくれてたのですが、今年は私が準備をしました。ツジも作りました、と言っても、お父さんが箱を作ってくれていたので、簡単に出来ました。今年も孫とお線香参りをしました。こんなに小さいのに行き先を覚えました。近所の人気者になりました。今日は「送り火」 雨がひどくならないうちに送ってあげたいと思います。IMEKA
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お精霊(オショロ)さんは買い物に 【No.1818】 2024年07月15日
7月15日 お盆の十五日、その朝は茶飯のおにぎりが盆棚に二個供えられる。この日はご 先祖様が『マチ』に買い物に行かれるので、お弁当におにぎりを持たせるのだ。年に一度、大勢の友達や知り合いに会えるマチでの買い物は楽しいだろう。だが、何をお買いになるのかは知らない、だれだれも一緒に行けないのだから。マチとは、江戸時代に「十日市場」と呼ばれていた秦野町(今の本町地区)を指しているようだ。 このご先祖様が里帰りの時にマチに買い物に行くという話は、あちこちにある。寒川町(神奈川)のあたりでは、伊勢に買い物に行くといわれている。豪華な買い物ツアーだ。巻き寿司を持ってカンダノマチに出かけるのというのが御殿場地方の話。カンダノマチとは東京の神田のことだという人もいる。御殿場の人が東京・神田というのは頷ける。御殿場線はかつては東海道道本線だつたから。今なら小田急の特急も乗り入れているし。「戸塚(横浜)ではアズキ飯のおにぎりを持って町田(東京)に行く」と話してくれたのは江戸川に住む鈴木さん(エコーの読者)。
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お盆 【No.1817】 2024年07月14日
7月13日 お盆を迎える準備。午前中は盆棚をしつらえる。盆提灯は別棟のロフトにしまってある。昨年までは何とか下すことができが、腰痛の今年はムリ。それでAさんが頑張ってくれた。午後は「ツジ・砂盛」を作る。ツジはこの地方独特のお盆の風習なのだが、これも9年前の入院を契機に箱になってしまった。 お精霊さん(オショロさん・ご先祖)が乗る馬と牛をつくる。キュウリとナス歯自家製。今年はうまく育照ることが出来たので、見事な馬と牛ができた。そのあと手綱のウドンを茹でる。 4時過ぎ雨が降り出したが、提灯を灯し、「ツジ」の側で迎え火を焚き、先祖を盆棚にご案内した。それから近所6軒の「ツジ」にお線香を持ってお参りするのだが、これもAさんに頼む。
※『ツジ』の写真はエコーのHP・「秦野のおはなし」2009年8月のページ。『盆棚』は「ギャラリー」で見られます。
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七夕 【No.1816】 2024年07月07日
7月7日 七夕 1963年1月から朝日歌壇への投稿を始めた。そしてその年の七夕の日、宮柊二選の「一席」に選ばれた。
1963年7月7日 宮柊二選 (入選第一席) ・梅雨晴れの今宵は星のよく見えて東京の空も親しとおもう 宮先生の評 スモッグで汚れた東京の空が雨に、梅雨の晴れ間の宵に、星がよく見え。そうした気分を受けた下句の「東京の空も親しとおもう」が実に・星恋のような感情であろうか。英国の古い旅行家、中央アジアの星を「砂ばくのかわき澄み切ったを通し、地に親しく迫って驚くばかり鮮麗に輝く星々。ロンドンの濁った空で見る星とはまるで」と書いていたことなどを思いだす」。星と言えば今日は。「天の川白き真下の山あひに我が故郷は眠りてありけり」(佐々木信綱)なども思い出す。
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7月第1週 【No.1815】 2024年07月06日
7月5日 『エコー』を読んでもらっているJAのN課長が所要で来訪。昨日は小麦の刈り取り作業に加わったとのこと。昔ほどではないが秦野では小麦が仕付けらているらしい。415号の「麦踏み」の記事を読んでの話だ。5分ほどの立ち話で帰っていったNさんがしばらくして再び姿を見せた。そして「先生 創刊40周年おめでとうございます。先ほど言うのを忘れてしまって。ごめんなさい」と言う。Nさんは東中の教え子。嬉しかった。感激だった。
7月3日 買い物に出かけたついでに戸川公園に連れて行ってもらった。平日、そしてこの気温なので人影はまばら。私にとって、この公園辺りはとても思い出深い地。@小学5年(?)の遠足でのこと。(なぜ戸沢林道を歩いていたのか。それは今も分からない)。歩きながら水筒の水を飲んだ。その時左足を踏み外し林道から転落。叢に助けられ川原までは落ちなかった。落ちていたら…… A教員になって最初の教え子(玉川中学・37年度卒)の第一回同窓会が滝沢園のキャンプ場で開かれ参加した。B滝沢園の子を担任し家庭訪問で滝沢園を訪ねた。CNHK教育テレビの『中学時代』に「ある日みんなで集まって」というテーマで西中2年9組の学級生活が昭和57年4月5日に放映。校外活動の一コマとして滝沢園の近くの「山の神堰堤」の川原でロケをした。
7月2日 ゆとりの会のTさんがざる菊の苗を持ってきてくれた。数日前はNさんから朝顔、ざる菊の苗を頂いた。《足》が弱くなったので会の活動に参加できない私に心遣いをしてくださる会の皆さんに深謝。
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徐々に 【No.1814】 2024年07月01日
7月1日 「6月27日寺山680番地付近に親子熊出没 注意」との回覧板が回ってきた。6月16日に1200番地付近に現れてから徐々に519番地に近づいてくるようだ。
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同 中 (おなちゅう) 【No.1813】 2024年07月01日
6月29日 12時開会の昭和44年度卒業生の同窓会に出席。幹事が「こんなに大勢の参加があるとは。感激です。ありがとうございます」と開会の挨拶。87名に案内状を発送。そしてこの日集まったのは38名。コロナの影響もあり延び延びになり今日7年ぶりに開催。それにしても驚きの数字。 何人かが近況を聞かせてくれた。Aさんは秦野で7個の小惑星を発見。美星スペースガードセンターで今も研究をしている。Bさんは富士講の筒粥神事の復活に関わってきた。Cさんは2町歩のうち3反だけ耕作。あとは休耕地、その休耕地の草刈りに一年中追われている。未登記の山林保持者に登記を促す森林組合の役員のDさん。Eさんは農林水産大臣賞受賞した足柄茶の生産農家。Fさんは四人兄弟。その四人を担任した。その四人の今を話す。全員元気らしい。「よろしく」と頼んだ。ママさんバレーと卓球に頑張っているGさんに「転ばないで」と励ました。Hさんはゴルフ場の副支配人、「鹿がコースで朝からウオーミングアップしている」と笑っている。 この年度の子たちが『エコー』という題字で学級新聞を発行し、全国学校新聞コンクールで『特選』の栄に輝いた。その流れはGさん・Hさんの東地区自治連の広報委員、。大日堂を護る会の会報を編集しているIさん、そして『ECHO』として今も流れている。
「同中(おなちゅう)」という言葉があるとか。同じ中学校で学んだ仲間を大切にするということ。SNSなどですぐにつながる・友達になることはできる。だがネット上での友人は、その人の発信した情報を得ての繋がり。信頼に足るむすび付ではない。「おなちゅう」は幼少期から同じ環境の中で長い間過ごしてきたのでその人となりは知っている。稀薄になった現代社会の中で安心感が得られるのが「おなちゅう」。年齢相応の容貌にはなってはいるが声、言葉づかい、立ち振る舞いは中学生時代のまま。まさに同中。昔を懐かしむことは老いた証拠、と言うかもしれないが、今日の再会が明日から暮しの活力になることは確か。「元気 貰えた」という言葉はあまり好きになれない私だが、今日であえた子たちの笑顔に、こころから「今日はありがとう」と言う。
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美空ひばり忌 【No.1812】 2024年06月26日
6月24日 「沖縄慰霊の日」の翌日
「戦争はいやだと書く」と歌いたる歌姫逝きて三十五年
「一本の鉛筆」 美空ひばり・歌 松山善三・詞 佐藤勝・曲
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「慰霊の日」 【No.1811】 2024年06月23日
6月23日 六二三八六八九八一五 五三に繋げ我ら今生く 西野 防人 《六二三(ろくにいさん)、八六八九八一五(はちろくはちきゅうはちいちご)五三(ごさん)に繋げ 我ら今生く 》と読みます。六二三は「沖縄慰霊の日」八六八九は広島と長崎の「原爆の日」八一五は「敗戦の日」 そして五三は「憲法記念日」。(222号の「にっきの木」で紹介した田平富実子さんからの便り) 今日六月二十三日は「沖縄慰霊の日」。2010年2月、沖縄県糸満市の平和祈念公園)を訪れた。南の海に向ってなだらかに広がる摩文仁の丘は沖縄戦最大の激地であり終焉地だった。園内に建つ「平和の礎」の碑は沖縄戦で命を落とした24万人余の名前が刻まれている。今年も新たに碑に181人が刻まれた。 6月22日 梅雨入りの発表。里芋畑の草取り、枝下ろし梅の小枝を整理、朝顔の苗を路地植え、と一日中動いた。そして左沢のサクランボとビール。これで倒れたとしても納得。
6月21日・夏至 4時半ころ、東の空に大きい虹が出た。久しぶりの景色に「セキ(赤)トウ(桃) オウ(黄色) リョク(緑) セイ(青) ラン(藍) シ(紫)」が口からでた。いつ、どこで習ってのか、覚えたのか。
6月20日 卒業以来初めて開かれた高校の教え子(58歳)のクラス会に出かけた妻、10時30分着の最終バスで帰宅(これは私の記憶にない!!)。楽しい会だったらしい。
6月16日 「寺山1200番地付近で月の輪熊を目撃・注意を」の放送が流れた。我が家の番地と700番ほどの距離の住宅地。妻はその近くまでウオーキングしている。熊が現れた場所の近くに、我が家の竹藪にしてしまった畑と山に返してしまった蜜柑畑がある。この出来事は、私の心に何か後ろめたいものをもたらした。
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今年のキュウリ 【No.1810】 2024年06月16日
6月16日 昨夜の雨でまたキュウリが採り頃になった。今年の私のキュウリはどれも真っ直ぐ、良品ばかり。今までになかったこと。 「畑の作物にとって最もよい肥料は人の足音」と祖父・力三郎がよく言っていた。畑の見回りを浴すれば、肥料が足りないとか、病害虫の発生なども早く発見できる。それでよい実りが得られる。だから〈足音が最高の肥料なのだ〉。畑を見回りながら作物に声を掛ける。それは作物への思いを伝えていること。すると作物は安心して豊かに育つのだ。
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「ランチの会」の特別会員 【No.1809】 2024年06月12日
6月11日 3月に解散した東婦人会の有志5人が新しい活動を始めた。料理が得意、食べるのが好き、おしゃべりが大、大好きなこの5人が立ち上げたのは「ランチの会」。 そのランチの会の第一回に招かれた。公民館の調理室で10時から調理。だが私は12時少し前に会場入り。そして5人が腕に撚りをかけたランチを一緒に頂く。野菜はすべて朝採りの自家製だから オイシイ! 箸が動く。話が弾む。その話の中で「特別会員だから毎回来てもらいます」との仰せ。もったいない、ありがたい言葉。これからの活動は「デイサービスの昼食づくり」「公民館祭りに出店」など。 皆さんほんとにキレイに完食。私もがんばったが……。我が家の夕食・二人分も持たせてくださった。
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府川幸生さん『秦野あれこれ〜近現代史話〜』を上梓 【No.1808】 2024年06月11日
6月9日 みちしるべの会で一緒に活動している府川幸生さんが『秦野あれこれ〜近現代史話〜』を上梓。その書が届いた。府川さんは「手軽に多くの人たちに読んでもらいたい」と「あとがき」で述べている。目次に目をやると「秦野の明治時代」「秦野の近代遺産」「秦野の近代交通」などの項立て。さっそく「秦野の煙草」「小田急開通」の話を興味深く読んだ。書名に『史話』とあるように話として面白く読める。 「ふるさと秦野を知り ふるさと秦野を愛し ふるさと秦野を育てる」と私は願う。234ページに及ぶ本書はまさに〈ずっしり〉感。
6月8日 大学時代から70年余交流してきた今治の木原利さんが旅立った。
惜別 遠き日の笑顔離れぬ瀬戸夕焼
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芒種 【No.1807】 2024年06月06日
6月5日は「芒種」。芒種は二十四節気の一つで「イネやムギなどの芒(ノギ・ノゲ)のある作物の種を播く時節」、また「穂のつく作物(麦)の取入れ時季」ということ。 50年くらい前のちょうど今頃のこと。勤めていた秦野西中に新採用で来た都会育ちの美術のM先生が、小田急の窓から見えた黄色の畑のことを私に尋ねた。「秋でもないのに黄色の畑の景色、心に残る景色です。初めて見ました。あれは何ですか」。 その頃の秦野盆地はまだ麦畑が広がっていた。作付けする麦は大麦。小麦、そしてビール麦。(ビール麦とはビール醸造用のノギが細くて長い「二条大麦」の別名)。 M先生が魅かれたのは黄金色の穂波のビール麦畑の広がる景色だった。夏の季語の一つに「麦秋」がある。 秦野の景色に魅せられたM先生は結婚を機に秦野に居を構え今も制作に勤しんでいる。麦刈りの季節になったが、黄金色の波打つ麦畑はほとんど目にできない。
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「田植えシーズン」到来 【No.1806】 2024年06月01日
昨日届いた平塚のFさんからのメール
いつもエコーありがとうございます。近況報告です。 いよいよ「田植えシーズン」がきました。金目川から取り入れた用水が水田に入り始めると、「代掻き」をしますが、実際に水が入ってみるとわずかながら傾斜があることがわかります。それをロータリーで均して、水平になるようにしていきます。今年は明日・6月1日に田植えをする予定です。田植え機で水田1枚1枚順に植えていきますが、年に1回限りですので、田植え機の細かな操作を思い出しながら田植え作業です。田植え機での作業ですが、意外とまっすぐに植えていくのが難しいです。昨年から娘夫婦が手伝いをしてくれるようになりました。心強いです。 先日、落花生の「おおまさりネオ」も播種をしました。近年、おおまさりは「ゆでピー」にするとおいしいというのでチャレンジしました。既に発芽してきているので収穫が楽しみです。
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創刊40周年 おめでとうございます! 【No.1805】 2024年05月30日
5月30日 5月20日発行の『エコー』が届きました。創刊40周年、おめでとうございます! 私は13年ほどの読者に過ぎませんが、武先生のモットー「動かなければ出会えない 語らなければ広がらない 聴かなければ深まらない」には多大な影響を受けている1人です。こっそりと私の中で指針とさせて頂いております。 PTA活動の中で出会えたメンバーや子供の担任だった先生方など、『エコー』で毎月のように名前をみて、会ってはいないけども会えているような気持ちでいます。411号にk先生が私の娘の担任をしたこと、私の活躍を応援しているとの文が掲載されていて、覚えて下さっていたことに驚き、とても嬉しかったです。これからも『エコー』を楽しみにしております。くれぐれもお身体に気をつけてお過ごしくださいませ。 yuko
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子ども 【No.1804】 2024年05月28日
「こどもの日」のこの日記に「5月は子どものことを考える月」と書いた。先週から今週にかけて子どもが関わる悲惨な、痛ましい事件・事故が数多く報じられた。国外に目をやれば、ヨーロッパ、中東、アフリカ、東南アジアなどでも子どもたちの命が多く失われている。私たち大人は、今こそ足を止め命について考えなければいけないのだ。 本棚に積んであった『こども俳句の写真絵本』(2015年・小学館)を開いたら、昭和20年代を生き抜く逞しい子どもたちに出会えた。 言葉こそ戦争終わらす武器である 熊谷真由(14) けんかしたアイツがおはょ息白し 土田翔之(12)
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薫風 【No.1803】 2024年05月24日
5月24日 風吹けば来るや隣の鯉のぼり 虚子 「風薫る」は五月の季節感を表す代表的な季語のに、今年の五月の風は「青嵐」。畑のキュウリやトマトの苗がなぎ倒されてしまった。〈落胆〉ではあるが、畑に入り土に触れるとヤル気になるのが不思議。すべての生物は最後は土に還るのだから、土に触れると心が休まるのたろう。私の周りでもリタイア後畑に入る人が多い。 アジサイの蕾にほんの少し色がみえるようになった。うす緑からうす紅色に変わっていくヤマモミジの花は、その色も形(ブーメランのような)も魅力的。
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助けられ、支えられての《生》 【No.1802】 2024年05月13日
5月12日 今年もYさんが来てくれ夏野菜の畑を作ってくれた。ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、サツマイモ、里芋、ショウガ、ネギを植え付け、落花生、小松菜、大根の播種も。 2アールほどのこの畑は、4月の中ほどにMさんが鋤いてくれた。私は石灰と粒肥料を振り撒いただけ。綺麗に整えられた野菜畑を眺めながら、《助けられている》ことのありがたさを噛み締めた。 今日は「母の日」。仏壇にカーネーションを供えた。丈夫に生み育ててくれた母に、そして父に感謝。
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5月5日 こどもの日 【No.1801】 2024年05月06日
5月5日 前隣りと後ろ隣りの庭でバーべーキュー。弾んだ声が聞こえてくる。どちらも就学前の子供が二人いる家庭。 五月は「子どものことを考える月」と思う。今国会に議員立法「子どもの貧困対策法」が上程されたのを機に、1951年5月5日に制定された「児童憲章」を改めて読んでみた。(一部略)
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。 児童は、人として尊ばれる。 児童は、社会の一員として重んぜられる。 児童は、よい環境の中で育てられる。 一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。 三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。 四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。 九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。 十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。 十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。 子 ど も ドロシー・ロー・ノルト
批判ばかりされた子どもは、 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子どもは、 力にたよることをおぼえる 笑いものにされた子どもは、 ものを言わずにいることをおぼえる 皮肉にさらされた子どもは、 鈍い良心のもちぬしとなる しかし、激励をうけた子どもは、自信をおぼえる 寛容にであった子どもは、忍耐をおぼえる 賞賛をうけた子どもは、評価することをおぼえる フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる 友情を知る子どもは、親切をおぼえる 安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる 可愛がられ抱きしめられた子どもは、 世界中の愛情を感じとることをおぼえる
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山笑う 【No.1800】 2024年05月04日
5月3日 大型連休の後半の始まり、我が家には関係ないが蒼天。それで気分よく8時から畑に入り大根と小松菜の種を蒔く。10時過ぎから昨日に引き続き松の目掻き。 庭に黒松3本、赤松1本がある。いずれも樹高は3メートルほどだが、築山の上なので脚立の足場は悪い。高枝鋏を使うしかないが、視力・筋力が弱っているので作業ははかどらない。今日は5時間ほど頑張った。 まだ日の高い午後4時半から缶ビールのタブを引っぱり、タコーチ山に芽吹く緑に目を休める。日本の伝統色の緑は83種あるとか。目にする樹々の緑は一樹として同じ色はない。 一木に一木のみどり山笑う
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大仙市横掘の人形道祖神 【No.1799】 2024年04月29日
4月28日 秋田から思いがけない、そして感激の宅配便が届いた。 武勝美様 ご無沙汰しております、秋田の佐藤でございます。昨年は貴重な書籍をお贈り頂きましてありがとうございました。御礼申し上げます。今年の鍾櫨様建て(衣替え)を今月の初旬に終えたところです。当日は地方紙2社の話者3名が訪れて取材を受けました。その記事と藁細工の講習会の写真をお送りいたしますのでご覧下さい。また、友人が栽培している「古代米」を原料として作られた麺をお送り致します、どうぞご賞味下さいませ。 佐藤隆昭
2015年4月29日、9年前のこの日。大仙市横堀地区の人形道祖神・鍾馗様に会いに行き、佐藤さんからショウキサマについて話を聴かせてもらった。道祖神里めぐりが佐藤さんとの出会いをもたらしてくれた。「邂逅」の喜び。
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回文 【No.1798】 2024年04月27日
子供の頃知った回文「竹藪焼けた・タケヤブヤケタ」。回文を使って「天声人語」子は4月5日に「当世ウラガネ」のことを書いた。そしてその続編が4月25日に。 政治資金規正法の改正案を見て人語子は思った。「磨かぬ鏡・ミガカヌガガミ」、「改正 良い成果・カイセイヨイセイカ」?「空に浮く・クウニウク」、「理解と怒り・リカイトイカリ」。
私の出合った回文で記憶に残るのは「名波奈々・ナナミナナ」という人名。名波さんとはPTA広報講座で知り合いになった。その名波さんたちの作った広報紙は、子供たちの通学の安全のためにカーブミラーの設置が必要と書いた。その記事にスーパーが応え協力の申しでてくれた。スーパーにお礼に出向いたとき、回文の氏名「ナナミナナ」が話題になった。「名波という姓の人を探したんです。ウソ、ウソ、夫・名波とは偶然の出会い」。これで設置はスムーズに運んだ。
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日帰りで女人高野の室生寺へ 【No.1797】 2024年04月24日
21日午後四時半過ぎ、Yさんが訪ねて来た。「室生寺へ行って今帰ってきた。名物だから食べてよ」と柿の葉寿司を差し出す。「えぇ」と驚く私。昨日の午後2時から「みちしるべの会」の年度総会にYさんは出席していた。それなのに奈良から今帰ってきたとは……。 聞けば、総会のあと一休みして午前一時過ぎ室生寺に向け車を走らせ、七時前に到着。八時半の開門を待ち五重塔の前に立った、とのこと。要するに日帰りで室生寺参拝をした、しかも一人で。寺社の建築・修復の用材を取り扱うYさんは寺社そのものの造詣も深い。この日の室生寺行は「五重塔の垂木の付け方が左右同じではない」ことを再確認することだった。こんな行動力がある人が集うのが「まほら秦野みちしるべの会」である。
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春爛漫 【No.1796】 2024年04月20日
4月19日 牡丹がピンクの大輪を四つ開かせた。傍らの真っ赤なキリシマツツジと色のコントラストがいい。藤の花房も伸び紫を濃くしている。 それなのに花粉症あるいは黄砂のお陰(?)か クシャミの連発、そして涙と鼻水。ティッシュボックスは手放せない。加えてこのごろとみに多くなった誤嚥による咳きこみ。秋雄ちゃんが「そろそろ畑 やんだんべよ」とトラクターでナズナに覆われた畑をかき回してくれた。そろそろ夏野菜の苗を買いに行なきゃ。まさに「春爛漫」である。 ※ HP「マンスリーエッセイ」のページに「春爛漫」
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ビューティSEVENS+ONE 【No.1795】 2024年04月16日
4月15日 ホームページ更新。
4月13日 2013年にPTA広報『西のいぶき』をつくった7人の女子会「ビューティSEVENSの会」が今年もいつもの焼き鳥屋で開かれた。今回も7名全員の出席。「二杯の酒は楽しくなる」と言われている。アラフィフの皆さんは正にそれ。それぞれの近況報告から、仕事を持ちながらしっかり子育てしている。だからこの会に出席できるのだと思った。 Mさんが「長男、次男のときは広報をやったけど、Uのときは広報をやらなかった。Uが今年高校生になったので、P広報委員に立候補した。先生が驚いていた。Uの学校生活の写真を一杯撮ってあげるつもり」。「ビューティSEVENS」のこういうステキなお母さんの集まり。
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道祖神の里めぐり 【No.1794】 2024年04月13日
道祖神の里めぐり 山梨・忍野村と神奈川・南足柄市 4月10日 去年の4月以来の「道祖神の里めぐり」。山梨県忍野村忍草で渡邉さん(86)と東圓寺住職鷹野慈誠師から道祖神祭りや縁起物「ヒイチ」の話を聞く。二基の双体像に逢う。そしてこの旅のもう一つの楽しみである桃畑・桃の花見を笛吹市一宮町で。 二度と無き八十七歳桃の花
4月11日 桃の花を眺めるロケとして知られている一つ笛吹市御坂町の花鳥山展望台から桃畑を見下ろす。9:20分ころ、リニアの試走車が桃の花の枝越しに見られた。試走なのでゆっくり? カメラに収めることができた。目を遠くにやれば雪に覆われた南アルプスの峰々が鈍く光っている。花摘みをしている桃農家の人に声を掛け桃栽培のを聞かせてもらう。すべてが手作業なのでたいへんなようだ。 河口湖畔の富士山の写真スポットは外国の人で賑わっていた。その駐車場の脇の大石紬伝統工芸館を訪ねる。昨日に続き忍野八海に寄り、小池邦夫絵手紙美術館(小池氏は「動かなければ出会えない」と絵手紙に書いている)と岡田紅陽写真美術館に入館。富士湧水の里水族館 にも立ち寄る。帰途、静岡県小山町の富士霊園は満開の桜。 秦野から近いのに未だ訪れていなかった南足柄市の道祖神を訪ねた。まず矢倉沢で覆い屋が藁の双体道祖神。竹松の大松寺門前の三基、竹松公民館の敷地の二基、千津島の広がる田んぼ道で五基と見て回る。いずれも男女双体道祖神。個性的な像に逢え嬉しかった。
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4月7日 桜 【No.1793】 2024年04月08日
4月7日 ・宮入りを遅らせてをり夕桜 寺山の氏神・鹿島神社のお祭り。神輿の渡御もあるので妹夫婦を招いて祝宴。久しぶりのことだ。庭の桜は満開。子供の頃の寺山のお祭りは桜の散る中で神輿が練った。 六時過ぎ桜のライトアップ。すると隣の関さんが「お父さん 今年もライトアップ喜んでいると思う。ありがとうございます」とお礼を言いにみえた。 ・夜桜をことのほか愛でし隣人の早世惜しみライトアップす
「四月の神奈川俳壇」入選 ・新しき眼鏡の中の朝桜 (復本先生三席・松尾先生二席の共選) 習作「桜」 花散らす雨の一日や放哉忌(4月7日) 路線バス止めし神輿や落花飛花 カリヨンのある小学校の大桜 空つぽの教室覗く夕桜 夕風と遊ぶブランコ花の滝 園庭を狭しと桜吹雪の児
出征を見送りし塚の桜木は復員待ちて今年も万朶 (道永塚) 濃き紅を蕾に抱きし糸桜ふふめば淡き紅に装ふ 大桜咲かせし里に箱型の家立ち並び離農の増えて 桜蕊散り敷く大樹見上ぐれば新樹の光余すことなく 退院の妻ベランダに佇みて桜の空の光を愛でし
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希望に満ちた四月 【No.1792】 2024年04月04日
4月3日 2時ごろ畑に出ていたら「学童保育」から少し早めに帰る親子の話し声が聞こえた。多分4月から「学童」に通い始めた小1の女の子だろう。「お友達出来たよ」と弾んだ声。「よかったね。どんな子? お名前は?」とお母さんの言葉も明るかった。新しい生活が不安だった親子にとって良いスタートが切れたようだ。四月は希望に満ちた月だ。
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4月1日 新しい年度始まる 【No.1791】 2024年04月02日
曇り空の朝 我が家の桜も二、三輪開花。その梢からオオルリの「ピィーヒィーリリ ピィーヒィーリ ジジッ」。瑠璃色の背中は見えないが数分間さえずる姿は見えた。オオルリはウグイス、コマドリと共に日本三鳴鳥の一つと言われている。我が家の庭木は彼らの夏の宿となっている。だから「帰ってきましたよ。今年もよろしく」との挨拶だろう。 私の新年度は《泥遊び》から。別棟の犬走りに迫って来ている畑からの流土を元に返し、廃材を使って土留めを作った。 『ECHO』413号の記事打ち出し終わる。今年は校正ミスを減らしたい。 森山夫妻から「明日横浜に帰着」とメール。
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東婦人会 74年の活動に終止符 【No.1790】 2024年03月31日
2024年3月31日、この日をもって東婦人会は 74年の歴史に幕を下ろした。会員の高年齢化、加えて「不要不急の外出は避けよう 人との接触は少なく」と求められた《コロナ禍》が、会の解散に大きな影響をもたらした。 1972年に会報の編集の相談を受けたのがきっかけで、以降52年間私は会の活動に少なからず関りを持たせてもらってきた。記憶に深く刻まれているかかわりの一つは、秦野地方の郷土料理「へらへらダンゴ」を復活させ、高齢者にふるまい喜ばれたこと。東中学校の美術部の力を借りて「へらへらダンゴ」の紙芝居も作成した。会員の研修会では「東地区の地名の由来」を聴いてもらい、その地を散策したのも思い出深い。「東地区の古道大山道」を数回に分けて歩いた。 昨日30日、解散総会に招かれ出席。総会終了後、会は地域の関係者を招き「感謝の集い」を開いた。公民館まつり、実朝まつり、敬老会、小・中学校の行事など様々な行事で裏方としてがんばってくれた会の皆さん。今は「婦人会さん ありがとうございました。お疲れさまでした」と申し上げるだけです。
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老いの気概 【No.1789】 2024年03月27日
3月17日の朝日俳壇で「老木に芽吹く気概の見えてきし 齋藤紀子」を読む。齋藤紀子様は今は亡き酒井大岳師の子女。大岳師が東吾妻町の長徳寺住職だったころ、道祖神の里めぐりでお世話になった。そのご縁で紀子様とも交流させてもらっている。掲句は「私への励まし」と、勝手に受け止めこんな歌を詠んだ。
※「ばかやろー」 大枚を懐手で得(え)無言坂行く人の口にせし一言 勝美
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三月 好日 【No.1788】 2024年03月20日
3月19日 森山太一・政子夫妻からのメール第4信はアフリカだより。「南太平洋・アフリカの旅」も帰途に就き、シンガポールまで戻ってきたようだ。 「エコー」412号発信。
3月18日 Aさん、横畑ケの「はるめき桜」を歩いて見に行く。「一片も散っていない。まさに爛漫の桜」だったと弾んだ声で報告。
3月17日 「彼岸の入り」10時過ぎ墓参。門前の駐車場は満杯。穏やかな春の陽差しに墓地は賑やか。妹夫婦も来てくれた。
3月14日 午前10時過ぎ気仙沼から「道祖神の本を読みたい」との電話が入った。今朝の『三陸新報』のコラムが私のこと(「道祖神の落ち穂拾い」)のこと書いてくれたらしい。それを読んでの購読希望。私と同年代の女性。気仙沼のことを語り合い楽しいひと時を持てた。
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答辞 【No.1787】 2024年03月15日
3月14日 ユーチューブで国会中継を観た。「知らない 記憶にない 秘書・事務方が……」途中で止め、ヤフーニュースを読み始めた。そうしたら「T高校の答辞」のヘッドラインにぶつかった。 今は卒業式シーズン。それでそのページを開いたらT高校の答辞があった。読み始めたら文に引き込まれた。3300ほどの文字で綴られた18歳の「未来」への若さに満ちた清々しい内容に心を打たれた。学校で学ぶということの意義を改めて思った。三回読み返した。
「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、巡り巡ってアメリカ・テキサス州のハリケーンの原因となりうるでしょうか」で始まる言葉に〈不意打ち〉を食らった。たぶん式場のだれもが。
78期の六年間の全てを詰め合わせるという思いで、卒業生293名全員の氏名から1文字をとって本文に組み込んだ。最後の一文「数千里の翼を伸ばして校舎の外に尚も広く晴れ渡る大空を悠々と、颯爽と翔いていく我ら大鵬」には、担任の先生方の氏名の1文字ずつが入れてある。
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3月11日 【No.1786】 2024年03月11日
13年前の今日、東日本大震災が発生。亡くなったは人2万2千人を超えた。 ここ30年ほどの間に起きた震災は、「1995年1月17日・阪神淡路大震災」「2004年10月23日・新潟中越地震」「2011年3月11日・東日本大震災」「2016年4月14、16日・熊本地震」「2024年1月1日・能登半島地震」。 地震の国日本。私たちは〈地震・震災の谷間に居る〉という意識を強く持たなければいけない。 昨日、「東北まつり市」で南相馬市にある小高産業技術高校生が考案した弁当を買った。その名は「ほっこり笑顔ホッキ飯弁当」。東日本大震災を忘れないため、そして、ホントにささやかだが復興応援の気持ちをあらわした。
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達平さん&信義さん 【No.1785】 2024年03月09日
3月8日 タッペイちゃんから嬉しい便りをいただいた。高崎市と安中市の道祖神の写真4 枚も添えられていた。 〈先生 こんにちは。仕事の途中でたまたま見つけた道祖神の写真をお送りします。場所は高崎市上並榎町8 2 3辺りの交差点です。道路や街の整備によってでしょうか、道路に囲まれていて、三角州の中に取り残されたように2体並んで建っていました。背面にも文字が刻まれていましたが、劣化のためよく読み取れませんでした。他の2枚は、先生の本を頼りに行ってみた安中市内のものです。また群馬県内の何処かで他の道祖伸を見かけたらお知らせします。大野達平〉 昨日の同窓会の出席者の一人大津信義さんが、葱をどっさり持ってきてくれた。太く長い茎は白くまぶしい。これからイオンに出荷、秦野産の野菜コーナーに並べるもの。昨日は二次会に行かずに帰り、今日の出荷の作業をしたという。リタイア後葱農家に見事に転身した大津さん。昨日の席で「ミロのビーナス」や「ロダンの考える人」について話をしてくれた。
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75歳の同窓会 【No.1784】 2024年03月08日
3月7日 昭和39年度卒業の人達の同窓会に招かれた。7年ぶりの開催とかで30名が集まる。近況報告によれば、男性の多くは仕事を終え農業に回帰。レモン、蜜柑、葱を市場に出荷している本格的な農業人もいた。一人が言った。「農家の長男がこの学年は多いんだよな」。女性からは健康管理の話。現役で企業のトップを務めている人、教壇に立っている人もいた。卒業アルバムを回し見して当時を懐かしんだ。私の一番の思い出はこの子たちと富士山に登ったこと。
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鬱の日 【No.1783】 2024年03月05日
3月4日 顔を寄せ合い一日ががりで確定申告書を作る。20数年間書いてきたが毎年苦しむ。Aさんは「三月はこれがあるから憂鬱」「申告をしなかったらどうなるのか知りたい」などと言いながらの作業。 ところで「鬱」という文字は書くのが難しい(憶えづらい)。それで、私は次の歌を唱えながら「鬱」の字を書く。 ・リンカンはアメリカンコーヒー三杯と唱えつつ飲む今日は鬱の日 「リンカン」→林の間に缶。木と木の間に缶。「は」はワ冠のワ。「アメリカンコーヒー」→※(米国の米)をコで囲み下にヒ。「三杯」→髭が三本。
南アメリカからアフリカに航行中の森山さんから第二便がとどく。
3月3日 三月の「俳壇」三席 下校児に道草させぬ春疾風 AさんとOさん、入選の都度励ましの言葉を届けてくれる。ありがたいことだ。
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如月から弥生へ 【No.1782】 2024年03月02日
3月1日 ミニ講座「富士道を歩く・水の里 東田原」 春の到来だが小雨、少し冷える。「みちしるべの会」がお手伝いする東公民館事業「早春の富士道を歩く(案内・横山会長)」に協力した。 このウオークの参加者は15名、東京の人も! 蓑毛からのスタートなので東公民館で休憩をとる。その休憩時に、私のミニ講座が組み込まれている。それで「水の里 東田原」を20分ほど話した。内容は「金目川、八幡の横掘り井戸、井の城の天ケ瀧」。19名が聴講してくた。 講座が終え渋沢に向かう一行に陽が射し始めてきた。良かった。公民館への往復はエコーの読者・弘美さんがしてくれた。その弘美さんがミニ講座で二つ新しいことを学んだと言う。その二つは、地名の由来『金目川はカナヒカワ』と『井の城は井の尻』。私も少しは役立ったかな。
2月29日 創立35年の「平成会」 平成元年、秦野市P連は二つの新たな事業(@年二回の会員研修会の開催 A「市P連だより」の年二回発行)を行った。新事業は22単P間の交流を図りPTA活動を活性化を目指すものだった。この元年のP連本部役員を務めた人たちは、翌年同期生の集まり「平成会」立ち上げ、年二回集まり旧交を温めてきている。ここ3年はコロナで開かれなかった。 6名の会だが、この日は4名(女性1人)の出席。夜6時から寿司店で三時間ほど歓談。全員70歳オーバーだから健康、と言うより持病のことが話題になるのは当然? それぞれが今も現役で、人とのつながりを大切にしている。かつてはアルコールもたくさん入ったが、今夜は〈ホドホド〉で、おいしいお寿司を味わった。私は晩酌の定量を守る。 小雨の中、Sさんの奥さんが送迎してくださった。ありがたいことだった。
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温かな心で過ごせた一日 【No.1781】 2024年02月23日
2月23日 「もうこれでおつもりに」と思いつゝ盃を重ねる蕗味噌の酒 三橋さん夫妻から〈春の先駆け〉、信州の蕗味噌が届いた。甘味噌、ほろ苦さ、香が好き。晩酌の盃の重なるは必定。411号の中で「カッポ酒」のことを書いたら「カッポ酒ってどんなお酒?」と石垣さんから電話。大野さんが「安中の道祖神を見てきた。コンビニの近くの」と電話で報告してくれた。郷原の文字碑だ。傍らに文化財「妙義道常夜燈」も立っていたはず。 菅原さんが市川市大町の庚申塔の写真をメールで届けてくれた。青面金剛像。傷みはあまり見られない。きちんと護持されていると感心した。 泉さんが「どじょう掬いまんじゅう」を持って「高千穂に旅した折『夜神楽』を見られなかったので、山陰に出かけ『出雲神楽』を観てきました」と話しに来る。
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熱燗やたちまち我ら昭和人 【No.1780】 2024年02月19日
2月16日 20年ほど前、「リタイアしたら『三かく』で生きよう」という言葉に出逢った。『三かく』とは『汗をかく』『恥をかく』『義理を欠く』。 汗をかく・身体を動かして健康を維持しよう。恥をかく・学ぼう、新しいことに挑戦しよう。そのためには判らなかったら恥ずかしがらずに他の人に教えを乞おう。義理を欠く・無理して現役地代と同じ暮しをしない。年齢と経済力で致し方ないではないか。私はこの「三かくに生きる」に「字を書く」を加えている。 教員OB会の新年懇談会に4年ぶりに参加。I会長から「能登地震を思い開催を悩んだ。会として募金活動で応援することにして開催に踏み切った。大勢の参加をいただいた。開いて良かった」との挨拶。参加者24名で再会を喜びあった。 席が近い仲間たちとは足、腰、内臓などで〈同病憐れれむ〉だったが、近況報告でマイクを手にすると、誰もが「三かくに生きる」さまを明るく力強く話す。 ・汗をかく 親の残した150坪の畑を鍬で耕し、野菜を作っているTさん。平塚のブランド米「はるみ」の生産者Kさんはその代表格。卓球の会と朝のラジオ体操会で汗を流しているNさん。土に親しんでいるという報告は多かった。 ・恥をかく 毎回和装で参加の会員のICさんは学び始めた手話を披露。「柄にもないでずが男性コーラスの代表を務めている。6月の発表会にぜひご来場を」とYさんはにこにこ。Yさんは理系の教師。するとISさんもすかさず「水墨画の会をやっているが会員減少。入会大歓迎」と飛び込みの発言。「今年はHPの更新を昨年より多くする」と宣言しているのはNTさん。 圧巻は86歳のKYさん。スマホを手にマイクの前に立ち、これからAIで挨拶をするといい、数分後に完成した言葉をマイクで流した。そして興味のある人は一緒に勉強しましょうとさそう。ガラケーの私には想像もできない学び。 近況報告のトリは、毎秋見事な菊を咲かせるFさん。部屋の掲額の書に近づき「これは先輩の中堂先生の作品」と説明。書は論語の「有朋自遠方来」。この後に続く「不亦樂乎・また楽しからずや」を言葉して、今日の再会を喜び「次回も皆さんにおあいしたい」。見事な〆! 顔を見せなかった仲間をふと思う。楽しい時を作ってくれた役員の皆さんに感謝。
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神吉日 【No.1779】 2024年02月14日
今日は神吉日(神よし)日「神事祭礼・宮参りに良い日」とのこと。それで遅ればせながら寺山の氏神・鹿島神社(祭神はタケミカヅチノカミ・建御雷神)に初詣。数年ぶりに境内の石神にもお逢いした。 社殿の裏に庚申塔が二基。一基は宝暦3(1753)年建立の「青面金剛と三猿」像。他の一基は「青面金剛と日月」で造立は宝暦7(1757)年。二基とも像はそれらしく見えるが摩滅が進んでいる。表庭の西側には「浅間大神」塔・明治15(1882)年と地神の「天社神」塔は享和2(1802)年の二基でいずれも深い彫り文字碑。四基とも寺山村の安寧と繁栄を願い先人たちによって建立された。その心を次の世代に引き継ぎたいと思う。
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地球の裏側からのたより 元「東中新聞」の記者 【No.1778】 2024年02月12日
2月12日 今日は妻の誕生日。誕生日の花は馬酔木・アシビ。花言葉は『二人で旅をしよう』、それで「もう一年旅をしましょう」とのメッセージをケーキに添えた。 リオからメールが届いた。昨年の12月14日に横浜を出で、ハワイでクリスマス、ゴーギャンのタヒチ、イースター島でモアイ像 ペルーではマチュピチュに登り、今からカーニバルに行くとの旅だより。「これから旅は後半に入る」と弾んだ内容。うなやましい!!。bon voyageと返信した。 発信は秦野在住のM夫妻。昨年暮れに「『エコー』はしばらくお休みにしてください。そして4月から再開を」と連絡してきた意味がようやく判った。帰国は3月31日とのこと。 Mさんは「東中新聞」が毎日新聞創刊100年記念の「全国学校新聞コンクール」で最優秀賞を受賞したときの新聞委員長。その副賞は「第11回札幌オリンピック」の特派員として派遣。Mさんと私は1972年2月3日に真駒内屋外スケート競技場での開会式を取材した。
今日は初午。庭続きの畑で正月の注連縄をお焚き上げする。母屋の前の梅は既に散り始めている。毎年見る「メジロと梅」は今年はないらしい。庭や畑のあちこちにナズナが白い小さな花を咲かせている。春は確実に近づいてきている。
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コベントリー ゴディバのチョコ 【No.1777】 2024年02月11日
2月10日 バレンタインデイはチョコレート そのチョコで人気なのは「ゴディバ」。 1987年2月7日 長男が成田からイギリス・コベントリーに旅立った。コベントリーはロンドンから特急列車で北西に約1時間ほどのところにある人口35万の都市。この市は第二次大戦で天井が崩れ落ちたまま残っている旧コベントリー大聖堂、そして街の中心地にあるゴダイヴァ夫人の騎馬像で知られている。この騎馬像には次のような伝説がある。
11世紀の話 領主レオフリックの夫人ゴダイヴァは重税に苦しむ人々の姿を見かね、夫に減税を懇願した。すると領主は「もしおまえが一糸まとわぬ姿で馬に乗り、コベントリーの町中を廻れたなら税を引き下げよう」と言った。翌朝、夫人は一糸まとわぬ姿で町を廻った。領民たちは彼女の姿を見ないように、窓を閉ざし敬意を表しました。それをし知り領主は約束を守り税は引き下げた。 ちなみに、この伝説がベルギーのチョコレート「ゴディバ」の名称の由来になっていて、ゴダイヴァ夫人の騎馬像がロゴマークとして使われている。ゴダイヴァは英語でGodivaと書くが、日本語で「ゴディバ」と書くのはベルギーでの発音に近いから。
1991年夏、コベントリーで「ゴダイヴァ夫人の騎馬像」に出逢っている。そのとき求めたレプリカが目の前にある。
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梅二月 【No.1776】 2024年02月01日
2月1日 まだ暗いうちに家内の神仏に白いご飯を供え「お棚納め」をした。今日で正月行事は終わりということ。納めた正月飾りのしめ縄は「初午」の日に畑でお焚き上げをする。農に携わってきた祖父・父から引き継いている我が家の農事暦の一日である。 能登半島地震が発生して1カ月、9500人ほどが今も一次避難所での暮らしを余儀なくされている。
奥能登輪島の人・故山下すてさんの歌 蕗摘みも飽きて膝抱き沖をみる次の世もこの涯に生まれたし(H7・6・5・朝日歌壇) すてさんを想う ・奥能登に生を尽くしし女(ひと)詠みし〈つぎの世もこの涯に生れたし〉 ・生き甲斐は〈村居〉と言ひし老農の耕す土に春の艶めき 勝美 「立春」は4日。暦どおり早く能登に春が訪れることを願う。 梅二月ひかりは風とともにあり 西嶋麦南 「梅、風、光」は春の先ぶれ。
HP 更新。
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今日は初天神・ツジの天神さん 【No.1775】 2024年01月26日
1月25日 今日は「天神さん」の日。近くの家の屋敷内に「ツジの天神さん」と呼ばれている菅原神社があった。この日は近所の子ども供たちが参拝者に御札をさずける神主さんを務めた。 その夜は「天神講」という子どもたちの食事会が開かれ、双六やトランプ、かるたなどで遊んだ。女の子たちは歌を歌い、踊りを舞ったりもした。「ダンゴ焼き」は男の子、「天神講」は女の子が主役の楽しい集まりだった。 「ツジの天神さん」は東中学校の校庭拡張で、その家と共に東秦野郵便局の隣りに遷宮され、天神さん祭りも天神講も遠いものになっていたが、15年ほど前、当時の子供会の保護者が1月14日のダンゴ焼きの夜、子供会の「道祖神と天神講の会」を復活させた。その会で、私はこの地区で行われてきたダンゴ焼きと天神講のことを子どもたち話してきた。「目一つ小僧の」の紙芝居も上演した。だがコロナ禍で今年もこの集まりは中止。ダンゴ焼き存続のためにも「道祖神と天神講の会」が再開されれば嬉しい。
17時23分 タコオチ山の南稜から満月が昇った。 山並は枯れ高々と月昇る
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大寒の日 【No.1774】 2024年01月21日
1月20日は「大寒」。寺山は未明ミゾレ。でも心も体もホカホカだった一日。 『エコー』410号の発送作業を午前中。午後六時から「みちしるべの会」の新年会兼『道祖神の落ち穂拾い』出版祝賀会が開かれた。出席は11名。「励ましの言葉とお祝い」を皆さんからいただいた。 横山会長から「公民館などの『古道歩き』のガイド役を令和5年度は13回行った」との報告があった。自己研鑽をゆるがせにせぬこの会に加わっていることを誇りに思う。 今朝、届いたメール。「3冊目の出版、おめでとうございます。昨日は出勤日。会社から「おめでとう御座います」していました。寒かったけど、お祝い席は、温かい、熱い、楽しい会だったのでは。道祖神さんの本は3冊目なので、次は自叙伝を楽しみにしています。あー、「エコー」を本にしたら、分厚い本になりそうですね。 寺山は雪ですか。たけジージ、たけバーバ、寒いからお気をつけください。また孫を連れて遊びに行かせてもらいますね。A」
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演歌 【No.1773】 2024年01月18日
1月11日に八代亜紀さんのことを書いたらこんなメールが届いた。 「気仙沼は港町、全国から集まり停泊する漁船のスピーカーから八代亜紀さんの曲が流れ、それはもう賑やかです。更に市場に出入りするトラックの運ちゃん達も八代さんの曲が好きみたいで、8トラで八代さんの歌を流しながら魚箱の積み込みをしているのを見かけます。これは港町・気仙沼の風物詩です。八代亜紀さんは船乗りやトラックドライバーのアイドルだったのです。ご冥福をお祈りいたします。」
私が今ユーチューブで聴いている演歌は作曲家・弦哲也さんのオリジナル「御蔵島唄」と「五島(しま)の母ちゃん」。〈のびのびと〉〈しみじみと〉した島唄です。
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清水のダンゴ焼き 【No.1772】 2024年01月15日
1月14日は「ダンゴ焼き(どんど焼き)の日。ダンゴを吊るした竹竿を杖にして道祖神場に行ったら、既にに大勢が集まっていた。総勢50人くらいか。その半数は子供で、お母さんに連れられてよちよち歩きの子も。これは嬉しかった。 どんど火で身体を炙りながらお神酒を頂き、大勢の人と世間話を楽しんだ。 ダンゴ焼きを執りし切っているのは清水自治会の役員さん。会長のKさん、副のTさん、会計のEさんは私の東中時代の教え子。そういう彼らの動きを眺め自分の老いを改めて実感した。 火勢が落ち始めたので失礼することにした私に、もう一人教え子Tさんが「先生、タウンニュース(1月12日号)で道祖神の本のこと読んだよ」と声をかけてくれた。その声に送られ、焼いたダンゴの杖にすがりながら明るい心で家路についた。
・どんど火を守る昭和の教え子の輪に加わりてカッポ酒酌む
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