- 寺 山 だ よ り -

22校の講評
【No.1019】 2012年03月27日

 パソコンを入れ替えたため、かなり混乱。それがこの「日記」にも影響。 
 市P連は広報コンクールを最後に今年度の事業を終える。そのコンクールの審査に加わっていることもあり、今年も広報のまとめの講評を頼まれた。 現行の締め切りは24日。1校600字ほどの講評を22校分書いた。この講評はは冊子になって今年度の広報委員に読まれる。次年度の活動の支えにもしてもらっているので、それに応える内容でなければならない。最低限「ウチの講評 A小と同じじゃない!」などと言われないように書かなければいけないのだ。
 ところで、その講評のために読んだ(目を通した)広報紙の総ページ数は422。今年度の市内の広報紙の発行ページは17。

 この講評の最後に今年度広報づくにかかわったお母さんの「広報紙づくりを『四字熟語』であらわしたら」という文を載せた。それが次の文。
 
 広報委員になれたのは「千載一遇」のチャンスであり、「一刻千金」だと思っています・信じています。私が思う、広報活動に大切なものは「見聞触感」(オリジナル四字熟語)。そして「興味津々」校内外に常にアンテナを張る。いろいろな角度から。
‘読まれる’ことを信じて、「十人十色」のアイデアを話し合い・出し合い・形にするにが「試行錯誤」。そして「創意工夫」「切磋琢磨」「誠心誠意」。そうやって第1号を発行できたときは「感慨無量」。
 PTA広報紙は「広大無辺」です。広報活動は、子供たちのために、と思う保護者や教師の愛をたくさん詰めて多くの人に広げる活動です。子供たちのために「一致団結」し、限りある貴重な時間を「完全燃焼」。(Y)  

秦野のP広報のレベルは高い
【No.1018】 2012年03月16日

3月15日 
 秦野市P連の平成23年度広報紙コンクールの審査会に参加。審査員は市P連会長、副会長(教職員代表の校長先生)、市P連情報委員7人(「P連だより」の編集責任者)、それに私(広報講座の講師)の10名。
 午前10時から午後3時まで。22校kPTAが発行した全77紙を読む。今年度の特徴は全広報委員会が大震災を自分たちのものとしてとらえ紙面づくりをしていること。したがって年度最終号まで気を抜くことなく作られている。それらを読ませてもらい充実した時を過ごせた一日だった。秦野のP広報のレベルは高い。
 きょう16日から本町公民館でその広報紙展示会が開かれる。

3.11
【No.1017】 2012年03月12日

 「2時46分になりますよ」と家人から声をかけられテレビを点ける。
 政府主催の東日本大震災一周年追悼式が国立劇場で行われ、参列者が黙祷する姿が放映された。式での天皇陛下の追悼の言葉の中に「原発の事故」があった。
 この日の新聞は、さまざまな視点から「一周年」の特集を組んでいた。
 その中の一つ、南三陸町の中学生が卒業前に書いた作文の一部を紹介しながら次のように書いた。
 「津波が起きて『良かった』と思えるようになりたい」。大切な人や家も失い、かなしくて、苦しくて、今はどうにもならないけれど、それをいつか「良かった」と思えるぐらい、自分は大きくなりたい、とその女子生徒は思っている、と記者は書いた。
 「66歳の男性の『被災の真実』」を読んだ。
 防災センターに避難した妻が流されたその夫は「あの建物さえなければ」と言う。だから、そのことで市の責任を追及している。「それが決着して、次のお盆が終わったらもういいかな、俺は。妻ところへ行ってやりたい」

それぞれの人の中に3.11はある。私の3.11はこのことを書いたこと。

 PTA広報づくりも年度末
【No.1016】 2012年03月07日

 PTA広報づくりも年度末。
 2日、N小のお母さんたちが最終号の相談に来た。最後まで手を抜かないのは広報の大切さがわかっているから、そして広報づくりが楽しくなったから。私にはうれしいこと。
 5日は2月29日に発行された年度最後の「はだの市P連だより」をもって8人が来訪。「きちんと叱れる親に」が特集。レイアウトもあか抜けている。「見事な出来!」(これは正真正銘・ぜひ読んでほしい!)と言うと笑顔一杯の皆さん。そして、一年の務めが終わった安堵感、ちょっぴり寂しさも加わったにぎやかな反省会になった。
 6日に届いた広報紙『S』で次のようなコラムを読んだ。

 夫の実家が福島の会津若松にあるため、昨年も例年通り夏休みに帰郷しました。テレビ等の報道ではあまり被害が伝わってこなかった内陸部ですが、土地の隆起があちこちで見られ家の壁などが損壊している光景を多く見ました。
 用事があり、地元のスーパーに買い物に行った時のことでした。(私の目算ですが)野菜コーナーの産地表示が9割方が『福島県産』になっていました。大手スーパーなので、例年ならば全国各地の旬の野菜が並んでいるはずなのに。おそらくは、風評被害で他県に卸しても値がつかないのでは…。気になって、他のスーパーにも行ってみましたが似たような様子でした。私はあの産地表示を見たとき、何か胸に鋭利な物が突き刺さったような感覚を覚えました。
 いつもなら秋には福島の親戚中から山の幸がたくさん届くのに「検査済み」の物でも遠慮されて、今年は誰も送ってきませんでした。そして電話で聞く言葉は「福島産だと送っては悪いと思って…」ばかりです。その言葉を聞くたびにつらい気持ちになります。
 息長く続けられる個人での被災地支援、それは『まごころ』なのではないかと思うのです。

PTA広報よ 永遠なれ
【No.1015】 2012年03月01日

 きょう発行された東中PTAの広報紙『銀杏』が200号に到達。創刊は昭和44年だから43年かけてたどり着いた200号。当時東中に勤務していたのでその創刊にかかわった。そのご縁でこの200号でも発行のお手伝いをした。
 次は私が創刊号に書いた編集後記。
 「いくつかの反省に立って、今年から新たに広報委員会が設けられた。会員のより多くの声をこの広報にひびかせPTA活動を会員のより身近かなものにしたい。数多くの会員の声をこの紙面で聞くことができるのはうれしい。『明日という字は明るい日と書くのね』という歌謡曲の詞がある。子供たちにとって明日よりいっそう明るい日となるようにきようを努力したい』
 
 昭和59年に開校した渋沢中学校でもPTA広報の創刊にもかかわった。その広報「ふれあいの丘」も昨年10月発行号が100を数えた。
 PTA広報よ 永遠なれ

借金
【No.1014】 2012年02月25日

 歯の治療、郵便局で保険料と書籍代の送金、印刷屋さんで「エコー」291号を受け取り、支払い。そして、いつもの米屋さんに行く。 
 缶ビールの大きいのと小さいのを1ケースずつとお米5キロを頼み、日本酒のコーナー行く。「この前、これもらっていったんだよね。うまかったから今日もこれを」。
 そうしてレジ。合計は18000円ほど。財布を開けたら13000円しかない。
 「ごめん お金 足りない 日本酒 取り消し」
 「次でいいですよ」と奥さん。
 「次 来ない。踏み倒すかもしれないよ」。
 ご主人「家を知ってます。取りに行きますから」と笑う。
 「いや、来られなくなるかもしれない。飲みすぎて倒れて̈̈̈̈」。
 「適度のお酒は健康にいいです。飲みすぎないでまた来てください」と奥さん。
 「それじゃあ夏くらいになるね、今度来るのは」
 「それはちょっと空き過ぎじゃないですか。もう少し飲んでください」とご主人。
 こうして5000円借金して帰ってきた。
 この話を妻にしたら「すぐに行ってきて。わたし、そういうことイヤなんです!」。

般若心経
【No.1013】 2012年02月21日

 昨日、菩提寺の寺山円通寺で「般若心経を読み解く」講座が開かれた。講師は宗教学者の正木晃先生。「『色即是空』は大乗仏教の最大のキャッチコピーだが、骨だけだから難解」と、面白い解釈で話が始まった。充実した2時間だった。4回シリーズの第1回。以降の講座が待たれる。

北上から
【No.1012】 2012年02月15日

 岩手の渡辺さん(「北上だより」の筆者)から三陸新報社がまとめた記録集『3・11東日本大震災 巨震激流』をいただいた。書の序は次のように記されている。

 営々と築いてきたすべてを揺るがし、のみ込み、焼き尽くし去った「東日本大震災」。                     
 気仙沼・本吉地方の沿岸部も大きく姿を変えた。数多の命が奪われ、今も避難所に暮らす人がいる。
 「あの時」。ふるさとはどのように津波に襲われ、人々はどのように避難し、町はどのように変わったのか。
 決死のシャッターを押し続けて焼き付けた写真の証言と、尽きせぬ言葉で語られた七十二の証言で、大震災の「今」を綴る。
 跡形もなく流され、あるいはがれきに埋まった無残な町は、しかし、紛れもなく私たちの町であり、ふるさとである。
 立ち上がり、いつか復活を果たしたい。心の拠り所のふるさとを再建したい。悲しみに満ちたこの記憶が、次代の防災の一助になれば幸いである。  震災で犠牲になられた方々の鎮魂を願いながら。
平成二十三年七月 三陸新報社社長 浅倉 眞理

 砂糖で煮詰めたような甘い干し柿も届いた。「北上だよりNO3」にある「この季節、葉はすべて散り、枝先にこげ茶色の曲がった莢(サヤ)がぶら下がっていて、風が吹くたびカシャカシャと音を立てます」という「サイカチ」の莢も入っていた。手にとって振ったらカシャカシャと鳴った。

写真とイラストマップのコラボ
【No.1011】 2012年02月10日

 明日から秦野市桜土手古墳展示館で「大山みち写真展」が始まる。その会場にまほら秦野みちしるべの会の「大山道・イラストマップ」を展示させてもらうことになった。それでその作業を午後2時から行なった。

☆大山みち写真展の紹介。「平成の大山街道」とサブタイトルがあるように、秦野市、厚木市、伊勢原市、愛川町、清川村の“今の大山道”を撮った写真展。主催は広域行政連絡会。
 会 場 秦野市桜土手古墳展示館
 日 時 2月11日(土)〜19日(日)8:30〜17:15
 すばらしい写真をまほらの会のイラストマップに重ね、鑑賞してください。

秦野西中のPTA広報が日本一
【No.1010】 2012年02月09日

 第61回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果が今朝の毎日新聞で発表された。
 PTA新聞の部で「最優秀賞」に秦野市立西中の「西中PTA陽光」が選ばれた。昨年のは第2位から念願の日本一。
 詳しくは全国新聞教育研究協議会のホームペーシで(私のホームページのリンク集から入ってください)。

薪ストーブ
【No.1009】 2012年02月05日

 まほら秦野みちしるべの会の月例会。出席舌会員は10名。今回は上地区を学習。講師は前場芳雄さんと小宮茂平治さんにお願いした。会場は八沢の小宮さん宅。薪ストーブでもてなしていただいた。
 上地区は水無川、四十八瀬川を挟んで波多野庄の対岸にある。今は秦野市だが、かつては足柄上郡に所属していた。それだけに伝説などを含め民俗なとに独自のもを持っている。興味深く楽しい話を聴くことができた。今月末にはお二人の案内できょうの話を確認して歩くことにした。

お酒はぬるめの燗がいい 
【No.1008】 2012年02月03日

 きょうは節分。秦野から見える丹沢の表尾根。東から大山、二ノ塔、三ノ塔、行者ケ岳、新大日、そして主峰塔ノ岳(1491b)と連なる。その峰々の頂は今朝も白く光る。
 昨夜、JAはだのの観劇会「八代亜紀ショー」が市文化会館で開かれた。「演歌大好き」の私だから、寒さなどものともせず喜び勇んで出かけた。彼女が語った人生はまさに昭和だった。フィナーレは『舟歌』。
 歌謡ショーのフィナーレは元気よく追い出す曲が歌われるのだが…、62歳の彼女にしみじみと歌われてしまった。
 ♪ お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶった烏賊でいい ♪

県高P連の広報講座
【No.1007】 2012年01月27日

1月26日
 神奈川県立高等学校PTA連合会が主催する第35回広報紙コンクールの表彰式が、午後2時からかながわ県民センターホールで開かれた。今年は94校の応募があり、17紙が入賞した。金賞は横須賀高校(最優秀)、百合丘高校、小田原高校、そして神奈川総合高校の4校。
 その表彰式の後「初歩から始めるPTA広報紙づくり」と題して講演をした。入賞校の広報委員だけでなく、広く参加を求めたようで300名を超える盛況だった。高校のP広報紙も小・中のそれと同じだと思って、いつものように話した。予想以上に反応してもらえた。それで時間オバー。
 講演のあと、中学校のP広報委員を務めたときに私の講座に出席したという3人が挨拶に来てくれた。「きょうまた先生の話が聞けると楽しみに来ました」と言ってくれた。柳川県高P連会長さんから「妻も先生の講座に出ている」と聞かされた。

キョウヨウ
【No.1006】 2012年01月25日

1月24日
 神奈川新聞の「照明灯」欄に我が名を発見!
 未明からの雪で寺山は薄化粧。桜の細い枝には凍りついた雪。
 小雪がちらついた一日。夜「ゆとりの会」の新年会。参加者は22名。高齢者とって大切なものは「キョウヨウ」。ここで言う「キョウヨウ」とは「教養」ではなく「今日(出かける)用がある」こと。外に出て、仲間に会いオシャベリをすること(お酒を飲みながら)。「ゆとりの会」はその趣旨に合った会。

嬉しい誤算
【No.1005】 2012年01月23日

1月22日
 29日まで南公民館で開かれている「大山道イラストマップ展」に関連する講座を開いた。きょうのテーマは「今泉神社境内の富士講碑について」。知人の窪島義文さんがこの講座のためにわざわざ拓本を採ってくれた。その拓本を掲げ富士講についての話をする。事前に申しこんだ受講者は10名ほどと聞かされていたが30数名が来場、学ぼうとする意欲ある熟年層が大半。平塚市や開成町からも来てもらった。それで小さな会議室は満杯。主催者には嬉しい誤算だった。 
 

きょうはだんご焼き
【No.1004】 2012年01月14日

 暮に終わらなかった庭の手入れが一昨日、昨日の二日間で終わった。6人が入ったので、終日にぎやかだった。そして夕食後、例年どおり「だんご焼き」のだんごを作り、荒神様など4か所に上げた。 
 ところで、今夜は関智子さんが紙芝居「目一つ小僧」の演者としてデビューする。残念ながら、これから外出しなければいけない私は観ることが出来ない。あとでその感想を聞くのが楽しみ。

紙芝居の総仕上げ
【No.1003】 2012年01月12日

 紙芝居「目一つ小僧」の総仕上げとして、伊東さん関さんの三人で、松田町の「こどもの館」を訪ねた。ここには木口さんという紙芝居の先生がいらっしゃる。午前中3時間、絵(観衆が居るということを踏まえての構図など)、脚本(地の文は少なくセリフで勝負など)、さらに演じ方(演者の姿勢、声、絵の抜き方など)指導を受けた。明るく、大きな声で教えてもらった。二人の眼は輝き、たくさんの質問もした。
 とりあえず、今年の公演は試運転、今年の暮に完成度の高いものにしてもう一度見てもらうことにした。
 こどもの館は松田山の西平畑公園の中にある。近年、ここは河津桜でも有名でテレビで良く紹介される。南に足柄平野から相模湾が開け、西には裾野まで見える富士が立つ。冬の陽光を受け、酒匂川の川面が煙るように輝く。

七草粥
【No.1002】 2012年01月07日

 5日、墓参で「遠走り」をした。その夜、胃腸の調子が狂いだし少々苦しむ。6日も不調。好きなビールを飲まないので夕食の時間は15分。そして寝床へ。それでも七草の準備はした。
 そして今朝七草粥を食べた。今朝の「天声人語」に、「腸に春滴るや粥の味」と詠んだ漱石のことが書いてあった。恐れ多いとは思うが「同じ」だった。

箱根駅伝
【No.1001】 2012年01月03日

 Mさんからの年賀状に、「大学駅伝、2日に柏原くんの最後の(箱根での)雄姿を見に行きます」とあった。2日、わが家もまた箱根駅伝を見に小田原に出かけた。
 時間があるので初参りに訪れた報徳二宮神社の境内で、Fさん夫妻に会う。「初詣でのあと、柏原選手の最後の走りを見ます」と笑う先生。ウチと同じだ。
 今年の見学場所は5区の中継点の真向かい。息子が午前9時半ころから陣取ってくれた場所。「ここはベストポジションだよ」は、左隣りに立っていたおばさんの言葉。この人は毎年ここで応援をしているという熱狂的な箱根駅伝ファン。右隣りの女性は午前9時から坐っている、と言った。後から聞こえてくる会話は関西弁。
 柏原選手が控え室からアップに現われる。テレビカメラのクルーやカメラマンがどっと押し寄せ、十重二十重。彼の控えめな笑いに困惑感があるように思えた。そしてリレーゾーンを行き来するアップを始めると「カッシー!」と若い女性たちの斉唱。他にも「柏原!」や「がんばって!」という声が飛ぶ。彼を見るため、応援するためリレーゾーンの先、箱根寄りの沿道に人、人、人。
 田口選手からタスキを受け走り出した柏原選手を見て、なぜか「一期一会」を思った。もう箱根駅伝で彼の姿を見ることはできない。
 彼はこの日のレースの感想を「僕が苦しかったのはたった一時間ちょっと。福島の人たちに比べたら、全然きつくなかった」と言った。彼が言った「一時間ちょっとの苦しみ」は、4年間のすべての苦しみの昇華されたものだ。

おおみそか
【No.1000】 2011年12月31日

12月26・27日 
 庭師が入る(今年は遅い。「前懸かりだけで勘弁して、あとは春に」と“泣き”を入れられた。) 年賀状投函
28日
 大掃除・郷土玩具の埃払いで一日終わる(昭和60年度の野球部の子たちがくれた修学旅行のお土産にくれた「爺さん婆さんのゲートボール人形」を眺めなぜか嬉しくなった) 
29日
 続大掃除 注連飾りなどの買い物 雑煮に使う里芋を洗う   
30日
 続々大掃除・窓ガラス磨き 正月飾りをする(注連飾りを21か所に) のし餅が届く  
31日
 餅を切る まだ大掃除が続く(相談室と庭掃除) 墓参り ヒトガタで大祓 年越しの灯明上げ 除夜 初詣で・鹿島神社と円通寺 

 妻は年の暮はイヤだ、と言う。私の動きに「付き合いきれない」のだそうだ。今年もどうやら元気で暮らせた。ありがたいことだ。

紙芝居チーム・竹の子
【No.999】 2011年12月22日

12月21日
 『あずま荘デイサービス』で“ダンゴ焼き(道祖神祭り)”の話をする。紙芝居を描いた伊東祐子さん、関智子さんにも手伝ってもらった。関さんの紙芝居「目一つ小僧」も上演。忘れていたことを懐かしく思い出し、楽しんでもらえたと思っている。
 この日の昼食は一足早く「年越しそば」。それで年越しそばの由来も話した。きょうの参加者は38名で過去最高、と聞かされた。

 伊東、関さんの作品を1回ずつ私が上演してきのたが、これからはそれぞれ“ひとり立ち”する。1月14日、清水・東の原のだんご焼きの夜、関さんは子供たちに「目一つ小僧」を見せる。伊東さんは1月18日、市PTA連絡協議会情報委員会で「めひとつ小僧」を上演する。一つのことを次代に引き継ぐことができ嬉しい。「これであと50年は“ダンゴ焼き”は存続する」と二人に言った私だった。三人は「紙芝居チーム・竹の子」と名乗り、紙芝居「目一つ小僧」を上演することにしている。
 きょうで今年の講演・講座は終了。

年の暮れらしい一日
【No.998】 2011年12月17日

14日
 JAはだのの組合員基礎講座「地域の伝承文化」の第2回目。
 今回はひと月後(1月14日)に迎える道祖神祭りを主題にした。題して「秦野地方の道祖神祭り(ダンゴ焼き)」。伊東さんの描いた紙芝居「めひとつ小僧」の初上演も。「ダンゴ」といえば、秦野の郷土料理に「へらへらダンゴ」というものがある。(今は、その存在はほとんど忘れられている)。その「へらへらダンゴ」も紹介した。「まほらの会」から6名、紙芝居の伊東さんと関さん、道祖神を調べている友人2人などの特別参加もあった。きょうの講座も好評(自画自賛!)。
 夜は「まほらの会」の忘年会。参加は11名。
 いかにも年の暮れらしい一日。

カラオケは無し
【No.997】 2011年12月12日

12月10日・11日 
 毎年開かれている教え子たちの同期会が箱根で開かれ招かれた。参加者は7名で7時から懇親会。
 50代も半ばを超えた彼ら。親を送ったり、子供の結婚など、人生の岐路に立っている話を聴かされた。二人が私の授業の思い出も語ってくれた。一人は、私がネズミを素手で捕まえた話、もう一人は、私の飛行機の初搭乗のことだった。3時間の宴会のあと、私の部屋で二次会。
 11時過ぎまで歓談は続く。一人が「もう先生を寝かしてやろうよ」と言ってくれてお開き。だが彼らは別室に移り午前2時まで三次会。今回はカラオケは無し。
 強羅までの道筋の紅葉は見ごろだった。

続・紙芝居「目ひとつ小僧」
【No.996】 2011年12月05日

 11月29日にも書いたが、「『目一つ小僧』の紙芝居の完成」が12月3日の『タウンニュース』に取り上げられた。記事を書いたO記者が「反響がある。上演依頼や、貸りたいなどのお願いの電話が編集室に6件入った」と連絡してきた。思いがけないことだったが嬉しいこと。
 HPの「エコー最新号」のページに、その記事と紙芝居の表紙をアップしました。見てください。

柏でラストラン 皆さん ありがとうこざいました
【No.995】 2011年12月03日

12月1日 
 昨日とは打って変わり冷たい雨の朝。きょうは柏市P連の広報紙講座。「PTA広報紙を作ってみて」というタイトルで、9時半から午後3時半まで26校の紙面の講評をする。講座のあとの相談が7校。
 私の“柏通い”は平成17年から始まり、きょうで13回になる。柏市のP広報づくりの実力は、昨年度の千葉県コンクールで柏第一小が「最優秀賞」、「優秀賞」に柏第三小と光ヶ丘中が選ばれるというみごとなもの。この結果を《花道?》に、柏市でのPTA広報紙づくり講座を今回で終わることにした。
 市P連の役員さん、事務局のスタッフの方、毎回、前夜祭を開き元気付けをしてくれた新聞教育関係の仲間。講座の助手を務めてくれたSさん、Kさん、そして、春の講座には毎回300を数えられるくらい参加してくださった広報委員さん。皆さん、ほんとうにありがとうございました。
 昼休みに、考えられないよう失態を演じたことも最終回というこの講座を記憶にとどめるに“ふさわしい”こととしておきます。
 
(なお、この講座のことは2日付け毎日新聞千葉版で報じられています。ウエブでも読むことができます。)

紙芝居『目ひとつ小僧』
【No.994】 2011年11月29日

 二人のお母さんが挑戦していた紙芝居『目ひとつ小僧』の原画が完成。  きのうの午後、わが家にそれぞれが描いた絵をもってきてくれた。中一と中三の子どもがいる伊東さんは、ことしの1月の市P連情報委員会の研修会で私の道祖神祭りの話を聴いた。もう一人は関さんで、中二と小六の子のお母さん。わが家の隣りに住む。関さんは三年前の1月14日、だんご焼き(道祖神祭りのことをこう呼ぶ)の夜、私が地域の子供たちに話した『目ひとつ小僧』を子供たちと一緒に聴いた。
 二人が描いた絵は、私の想像していたものをはるかに超えるすばらしいものだった。面識の全くない二人なのに、打ち合わせをしたかのように時代設定が見事に異なっていた。伊東さんの舞台は江戸時代、関さんは現代版である。
 12月14日JAはだのの組合員講座(伊東版)で、12月21日はあずま荘のデイサービス(関版)で試みの上演を行い、来年1月14日にお披露目となる。

一週間(11月21日〜26日)
【No.993】 2011年11月29日

11月21日 
 相模原市旭ブロックのPTA広報講座。1校ごとに面談し次号の企画やレイアウトなどを一緒に考えた。

11月22日〜26日
 武厚子の「さをり織り展」の会場に常駐。西東京市のYさんなど『エコー』の読者十余名にもご来場いただいた。総来場者は200名超。盛況だった。

鬼門
【No.992】 2011年11月20日

11月19日
 中野区の中学校PTA広報講座の三日目。第一日は5月21日だった。この日記にも書いたが、講座の帰りに乗るはずのロマンスカーがホームに入線したのに動かなくなり運休。もう一つ講座を秦野で持っていたので慌てた一幕があった。 
 そしてきのう、切符を取っておいた「はこね12号」が秦野駅ですでに20分遅れ。開会5分前に会場に滑り込み。帰りの特急も大雨で20分延着。中野はどうやら鬼門(方角から見ても丑寅に近い位置)らしい。
 土曜日の午後、ひどい雨の中、区内の全12校からの参加があった。講座では紙面クリニック、そして年度最終号の企画のヒントを与えた。主催者から「確実に広報の質が上がっています。委員の意識も変わってきています。来年度も」と、申し出があった。中野にとって私が“裏鬼門”にならないことを願う。
 

キャンディー
【No.991】 2011年11月16日

11月15日
 藤沢市民生児童委員編集委員会の広報づくり講座。午後1時半から2時間「広報誌の基本的な作り方」について話をする。
 講座が終わったとき最前列の女性の委員さんが「ありがとうごさいました。お疲れになられたでしょう。これをどうぞ」と笑顔でキャンディーを三粒くださった。

マップ展 好評のうちに終了
【No.990】 2011年11月14日

 大山道マップ展示会は盛況裡?はともかく、来場者には好評のうちに昨日午後5時で終了。
 訪れた人の多くは年配者なので、地図に示された建造物や野仏に子供の頃の思い出をつなげているようだった。中年の健康維持のためにウオーキングをしている人は、この地図を持ち歩くと言っていた。
 昨日のミニ講座には20名程の参加があった。3回の講座すべてに出席してくださった方、終了後1時間ほど生まれた地・蓑毛の話をしてくださった大先輩、多額な活動資金をくださった方など、私たちは大いに勇気付けられた。
こんなメールも今朝届いた。

 昨日はありがとうございました。「へぇ〜」っという話が聞けてとてもよかったです。后土神はそういえば、父から聞いたことのあるなぁ〜と思いながら聞いていました。今川町にあるお観音さんにたくさん置いてある馬頭観音のこともおばあちゃんから聞いた記憶もよみがえってきました。よくお観音さんのところへ行って拝んでいたような、遊んでいたような…。先生のお話を聞いて30数年前のことがいろいろがよみがえってきました。
 神社の造りに出雲系と伊勢系があるなんて知りませんでした。早速、ネットで検索してみてしまいました。ほんとだ!!また「おりこうさん」になってしまいました。
 この「おりこうさん」という言葉はおばあちゃんがよく使っていた言葉でした。なにか一つ知ったり、聞いたり、覚えてりすると、「またひとつおりこうさんになったね」と言ってくれました。もう子どもたちが大きくなってしまったのですが、私も今から「おりこうさんになったね」と言ってあげることにします。
 マップ、ほんとにすばらしいです。本にしてください。 相原

好評? イラストマップ展
【No.989】 2011年11月10日

 大山道のイラストマップ展。昨日の神奈川新聞で報じていただきました。さっそく次のようなメールが届きました。

 おはようございます。今朝の神奈川新聞で「マップ展」の記事読みました。私も昨日、マップを見せていただきました。
 すごい出来ですね。昭和10年の頃の今川町通りの詳細な家並みの図、子どものころの映像を思い描きながら見ていました。すると私の子どもの頃にもあったお店を見つけました。「あった、あった、この家、このお店」と、思わず声が出てしまい、周囲を見まわしてしまいました。「大工」と書いてあったので、「旧道のここにも大工さんがあった(私のおじいちゃんの家)。ここが材木屋でここが駄菓子屋」とつぶやいたりもしました。ご年配のご夫婦も見学されていて感激されていました。置かれていたノートに「マップが欲しい」書かれていました。私も欲しいです。会の皆さんといろいろな場所を見て回りたいです。 明美


イラストマップ展 本町公民館でスタート
【No.988】 2011年11月07日

 本町公民館での「まほら秦野みちしるべの会」のイラストマップ展を昨日から始めた。初日のため、午後1時半から「ミニ講座」と称したマップの説明会を行なった。 
 内藤元教育長先生、市史編纂室、雑誌「風さやぐ」の記者さん、写真家の大山さん、伊勢原の観光ボランティアなど20数名がその説明会に出席したてくださった。説明は当番の会員で行なった。1時間ほどの会だったが充実した会になった。参加してくださった皆さんのお陰です。深謝。

公民館祭りに三部門で参加
【No.987】 2011年11月06日

11月5日
 東公民館祭り。朝八時半から午後四時少し前まで頑張る。「ゆとりの会」の菊花展。今年の私の福助は過去最低(毎年、こう書いている)。それでザル菊一点だけ並べさせてもらった。会として今年初めて「折り紙(恐竜を折る)講座」を開いた。親子連れなど30人ほど参加。会員の田中さんのていねいな指導で落伍者は無し。私も、それこそ《手取り、足取り》の指導で何とか一匹完成。
 「大山道の道標マップ」の展示。その地図をつかって「東地区の道祖神めぐり」のミニ講座をひらく。「ゆとりの会」の皆さんが大勢参加してくれた。ありがたいこと。
 公民館の事業『夏の思い出を壁新聞に』講座の新聞24点を展示。一般来場者にはあまり関心を示してもらえなかったが、どの作品も立派。
折り紙といい、新聞といい、子どもの力は無限と思った。



ご案内
【No.986】 2011年11月02日

◎まほら秦野みちしるべの会
「大山道を歩く」 イラストマップ展
 期日 11月5日(土)
 会場 秦野市立東公民館(公民館祭り参加)  
    ミニ講座5日(土)13時30分〜14時
    「東地区の道祖神めぐり」 武 勝美
 
◎まほら秦野みちしるべの会
「大山道を歩く」 イラストマップ展
 期日 11月6日(日)〜13日(日)
 会場 秦野市立本町公民館  
    ミニ講座
    6日(日)「大山道のイラストマップについて」 横山 信子
    7日(月) &13日(日)「大山道を歩く 路傍の神仏」 武 勝美
    (いずれも13時30分〜14時)

 ご参加 お待ちしています。

子どもがつくった新聞 
【No.985】 2011年11月02日

11月1日
 午後4時過ぎ「夏休みの想い出を壁新聞に」の講座に参加した小学生5人がその新聞を持ってきた。講座の中では完成していなかったのできょう初めて目にした新聞。どれも力作。なによりカラフルで楽しい。夏休みの宿題として提出し「先生に褒められた」との報告も。
 ご褒美に「サツマイモ掘り」を提供。素手で掘らせた。出てきたミミズをつまんでお母さんに写真を撮ってもらう女の子もいた。けっこう野性的な子太刀だった。三家族9人が楽しんでくれた。壁新聞は7日から東公民館に展示する。
 東中学校生徒会が発行する『東中新聞』955号が届いた。一面のトップ見出しは「減り続ける電気使用量 三月以降は大幅ダウン」。3月11日の東日本大震災を教訓に、今までも取り組んできた校内での「エコ活動」をさらに発展させ、続けていこうと呼びかけている。

ドラゴンズ 二連覇
【No.984】 2011年10月19日

10月18日
 秦野市農業協同組合の組合員基礎講座で「地域の伝承文化について」話した。この講座は新規組合員を対象にしたもので全6回出席で修了証が出る。
 冒頭、秦野独特の民俗である《大山への初山参り》をしたかどうかを尋ねた。だが出席者34名全員がNO。ここ秦野を第二のふるさととして生活している人たちということだ。
 秦野を知ることは秦野が好きになること。秦野を好きになり、ふるさととして秦野を育ててほしい。そんな思いで90分間話をした。終わって質問が4つ。質問者の一人は会津出身の女性だった。
 
 プロ野球、今年のセ・リーグはドラゴンズが苦しみながら優勝。打てないチームなのに、今年はさらに中心打者が軒並み不振。今夜もベイスターズを相手に時間切れ・引き分けで優勝。ブランコの一振り、そして浅尾をはじめとする投手陣総動員(これは今年の落合野球の戦法)で逃げきった。昨年は10月1日、試合の無い日、マジック対象のカープが負けて優勝が決まった。今年は「引き分け」で、昨年は「優勝の決まった翌日」の《胴上げ》。
 物心ついてからプロ野球はドラゴンズフアン。ナゴヤドームにも出かけている。だが、スタンドにいると勝った験しがないという貧乏神の私。だから今夜はテレビは観なかった。でもラジオは聴いていたが。


10月19日
 午前10時〜12時で市P連の情報委員会が年4回発行する『たより』の企画会議に招かれた。今年は「防災」をメインテーマにして企画記事を作っている。次号は12月発行。市内22校の校長先生にの防災についてのアンケート調査をお願いしたらしい。この夏、東北の被災地に出かけた先生方のレポートも集められている。充実したものになりそうだ。

豆名月
【No.983】 2011年10月14日

 きのうは10月13日、『十三夜』。ススキを挿し、月見マンジュウを13個、豆腐、この日掘ったサツマイモ、そして生の落花生を供えた。
 この落花生は里芋畑の中に一株だけ生えていたもの。ウチでは落花生は作らない。たぶんカラスがどこかの畑で蒔かれた種を掘り出してきて、落としていったものだろう。その一株に36のサヤが付いていた。思いがけない収穫だった。十三夜は「豆名月」とも言う。ちなみに十五夜は「芋名月」。昼間は曇っていたが夜半には十六夜の良い月が眺められた。

感 謝
【No.982】 2011年10月13日

 こんな励ましのメールをAさんからいただきました。ありがたいことです。このごろ自分がしていることが「継続は惰性」となっているようです。せめて年齢相応のものにしたいです。 

 アクセス数200000突破!。「今日の日記」を読んだら「アクセスはまもなく20万」と書いてあったので、確認したらすでに突破の後でした。『エコー』のホームページ開設12年周年の日に突破、すごいです、おそれいりましたm(_ _)m いつもの言い方ですが「すごい!」 失礼ですが、そのお歳でホームページを開き、更新までこなしてしまう、スーパーKATUMIですね。(お店の名前ではありません) 私が先生と同じ年齢になった時、いったい何をしてるんでしょう? パソコン、ぱちぱちやって老人会の新聞をいつものメンバーで作ってたりして(笑)(笑)
 これからも愛読者としてアクセス増に貢献させていただきます(^O^)

開設12年周年の日
【No.981】 2011年10月08日

 きょうは『エコー』のホームページ開設12年周年の日です。毎月1回の更新を132回出来たことは皆さんの支え・励ましがあったからです。アクセスはまもなく20万になります。

3町合同のPTA広報講座を湯河原町で
【No.980】 2011年10月07日

 季節の変わり目、数日前にカゼをひいた。そんな体調の中、きのうは湯河原町・真鶴町・箱根町合同のPTA広報講座。会場は湯河原町の地域福祉センター。3町の全校・10校の参加があった。
 9月までに発行された全21紙の紙面の講評が中心のこの講座。ここでも昨年までとは違った紙面の高まりが感じられた。
 相模湾に面している湯河原・真鶴両町全6校の広報紙が地震・津波への対応の企画記事を載せていた。中でも「そのときどうする? 登下校中」など3つの問いで、子供たちの災害に備える心づもりを確認させるシートを作成した『そよかぜ』の企画は“出色”。緊迫感が地域にあることを感じさせてくれた。

イラストマップ 9図まで完成
【No.979】 2011年09月30日

 「まほら秦野みちしるべの会」が取り組んでいる『大山道の道標』をメインしたイラストマップづくり。きょう会長の横山さんに拡大地図を2枚渡した。この地図に彩色し仕上げてくれるのが横山さん。これで市内7地区のうち5地区・9図まで完成。残りは2地区ですでに北地区の学習に入っている。
 11月の東公民館祭りに9図を展示し、参観者に手を入れてもらい充実させる。9月になって本町公民館から展示会の話をいただいた。それでその打ち合わせもした。
 イラストマップ展示会は11月7日から13日まで。この間、大山道についてのミニ講座を2回開く(7日と13日)。時間は午後1時半から。私の出番は13日で「路傍の神仏」について話す。よろしかったら本町公民館まで足をお運び下さい。

「納得・満足」の一日
【No.978】 2011年09月26日

 お彼岸の中日、墓参りで寄った菩提寺・円通寺。倉の屋根が半分飛ばされていた。寺の隣りの鹿島神社の「数本の立ち木の枝が折れ、片付けが大変だった」と出会った氏子代表が言った。
 わが家の台風の被害。栗畑のもっとも樹勢の良い2本が折れた。畑のネギが吹きちぎられた、今年は良く出来ていたのに。庭の藤棚が西風にあおられ、棚が壊れた。
 きのうは一日、その藤棚の修理。伸びた弦を半分に詰め、棚をどうやら立ち直らせることが出来た。だがあまりに切り過ぎ少し心配。来年も花を付けてくれることを願うだけ。ついでに庭の芝も刈り込んだ。昨日は「納得・満足」の一日。

道祖神の里からのご案内
【No.977】 2011年09月19日

 この夏訪ねた高崎市の倉渕公民館から「道祖神の里めぐりに参加しませんか」との案内状が届いた。HPを見て下さってのことらしい。
 日時は11月6日午前10時の出発で、道案内から解説まで倉渕中学の生徒さんがするとのこと。地域を大切にする子供たちがいることをすばらしい。どうぞ坂下の「にっこり道祖神さん」、そしてステキな中学生に会いに行ってください。 倉渕公民館の電話は027-378-3113です。

この三日間
【No.976】 2011年09月15日

13日  
 秦野地方のお盆の民俗「砂もり・ツジ」について現地の調査をした「一味ちがう郷づくりの会」が、その結果を堀川公民館で展示・発表しているので見学に行った。明治の大合併(1888−1889年)間では堀山下村だった現堀山下地区。それほど広くないこの地区でも、ツジの作りは小字単位で異なることを知った。

14・15日
 秦野市P連主催の広報づくり講座を持つ。二日間で22校から広報委員が144名参加。22校を7グループにわけ集団面接をする。1校15分程の持ち時間で今年度発行された広報紙の講評をした。昨年度に劣らないしっかりとした紙面づくりされているものがほとんどだった。とりわけ南小が7月に発行した特別号「震災について考える」は力作。私が望んでいた紙面を作ってくれた。私との面接の後、そのグループで交流会を開く。この交流会では意見がたくさん出るのでどのグループも持ち時間をはるかに超えていた。
 きょうは9月15日、帰ってから『十五夜』の仕度をする。

開会30分前から会議
【No.975】 2011年09月13日

9月12日 
 午後1時30分から中井町教育委員会の「PTA広報づくり講座」。
 15分前に会場の入ったら、真ん中の机を囲んで10人ほどが真剣な話し合いをしていた。一瞬「会場を間違えたか」と、あわてて部屋を出た。後で分ったが井ノ口小の広報委員会は、きょうの講座に合わせて次号の企画会議を午後1時から開いていたのだ。お母さん10人、幼児2人が集っていた。
 講座の中身は一学期に発行された広報紙の紙面診断が中心。今年度はこの日までに井ノ口小3回、中村小2回、中井中3回という発行回数。災害への対応、地域との連携など、3紙とも編集姿勢がしっかりしていて内容も充実している。
 講座の後半で、中井町に隣り合う松田町、大井町のPTA広報紙も見てもらった。3町とも足柄上郡内にある。県P連が主催するPTA広報紙コンクールの地区予選で、この3町のP広報紙は競い合う(他に山北町、開成町も加わるが)ことになる。他校・他の町のPTA広報紙を手にすることは勉強になるし、かなり刺激にもなる。
 4時終了だが3校とも次号に向けての話し合いが始まった。それで、各校の話し合いに私も加わった。お父さん委員が一人参加してくれたのはうれしかった。

新聞行脚 再開  伊勢原市・中野区
【No.974】 2011年09月11日

9月4日 まほら秦野みちしるべの会の定例研究会
 持斎信一さん、栗原旭さんを招いて北地区の古道の話を聞く。大山道のメインルートが通る地区ではないが、大山を指す道標はいくつか立っている。それらを確かめるため年明けに歩くことにした。

9月8日 伊勢原市P連 広報クリニック
 今年から始まった伊勢原市P連のこの講座。主催者から10日に手紙が届いた。「参加者に書いてもらったアンケートをざっと読みました。ほとんどが有意義だった、参加してよかった、との答え。感想も『広報の作り方が分かった』『広報紙の大切さがより深く理解できた』など、主催者として実施してよかったと喜んでいます」。広報づくりの志気は高まったと思っている。

9月10日 中野区中学校P連 広報クリニック 
 中野区での講座は今年で4年目。講座の初めに、「今年度発行された第1号は過去三年のものと比べ最高の出来」と感想を述べた。
 読ませてもらった全紙の先生紹介のページのレイアウトは見事。運動会の特集も“アルバム風”から「運動会はこうしてつくられる!」と見出しを付け、ドキュメンタリータッチで紙面構成をした広報紙が出現。3.11を踏まえ3ページにわたって防災の特集を組んだ広報紙。特に印象的だったのは「3.11以降、あなたは何を始めたか」と会員にインタビューをした広報委員会。この広報委員会の視点・感覚はすばらしい。この講座に会長さんが数名参加されたことも特筆されよう。

ギャラリーに道祖神の写真をアップしました
【No.973】 2011年09月03日

 お詫び
 9月1日に更新したhttp://echo-take.sakura.ne.jp/
 今月号はとくに「道祖神の里めぐり」について力を入れた。ところが、肝心の、その道祖神の写真を『ギャラリー』のページにアップしていなかった!
そのことに今気付いた。なんとも情けない。

 あらためてお願いします。
ギャラリーのページでおおらかな神様たちにお会いください。

9月1日
【No.972】 2011年09月02日

 秦野市の小・中学校の二学期の始業式は8月29日。そんなわけでお隣の小学校の校庭で運動会の鼓笛隊の練習が始まった。
 毎年感じるのだが、校庭に初めて出てきたときの音色やリズムは?。ところが練習を重ねるにしたがって見事に《音楽》に変わっていく。子供たちの努力はスゴイ。そして先生方の指導力に感心する。今年もその進歩が楽しみなほど“今”は…。

『広報はだの』の9月1日号を読む。5ページにわたって『食育』を特集している力作号。
 PTA広報を作る指導をしているとき、広報には次の三つの型(編集者の姿勢)があると言っている。
 1 大事なことが書いてあるから、「読みなさい」という「読ませる広報(弘報・公報)」
 2 大事なことが書いてあるので、「読んでもらう」工夫をしている広報
 3 大事なことが書いたので、何が何でも「読ませちゃう」頑張りをしている広報
「読ませる」「読んでもらう」「読ませちゃう」。さて『広報はだの』の9月1日号はどれ?
 どなたか、9月1日号の読後感、手にした感想など聞かせてください。


豪雨の中 歩いて宴会へ
【No.971】 2011年08月27日

8月24日
 松田町の広報紙づくり講座。小・中のPTA広報と町の諸機関の広報紙を投影して紙面クリニック。4月の講座で得たものを紙面づくりに活かして作られてるが嬉しかった。

8月26日
 6年前に開いた全国新聞教育研究大会・秦野大会の速報部会の同窓会。東京・神奈川がゲリラ豪雨に見舞われている中、11人が集った。東京から参加のT先生は小田急の徐行運転で1時間遅れ。私の乗ったバスはイオンの前から全く動かなくなった。「駅の周辺が大渋滞」と運転士の放送。それで、そこで下車。豪雨の中、駅前の会場まで10分歩く。開宴の乾杯は私が着席してからだった。生ビールがおいしかった。「来年は東京で」と言葉を交わし9時半に解散。ご機嫌でご帰還の私。

【No.970】 2011年08月22日

 「夏休みの思い出を壁新聞に」の親子新聞づくり講座の第2日目。子ども28人、母親22人の参加。それで会場をホールに移した。
 きょう、会場で編集後記を書いて完成の子が数名。まだ半分くらいしか進まない子も同数。だが2時間を掛けてほとんどの新聞の紙面は埋まった。後は29日の始業式に間に合わせるため自宅で頑張るだろう。
 「ここに来る前にも新聞、書いた」と言った子もいた。公民館長さんから全員の子どもに賞状が渡された。賞状の表題は『讃』。その文面は新聞づくりを頑張ったことを褒めるもの。どの子も嬉しそうに受け取っていた。
 きょうから私は二学期。

タヌキ
【No.969】 2011年08月15日

 ジャガイモを掘ってから放っておいた畑にスベリヒユがものすごい勢いで繁茂。オヒシバ、メヒシバ、カヤツリ草も負けずに元気。きょう覚悟を決めその畑に入った。草取りである。その畑の北隣は雑木の茂み。西は小学校の校庭の規面でコンクリートの壁。
 畑の東南から手を入れ始め西北の角を目指した。その角地に近づいたら新しい土が一uくらい広がっていて草は生えていない。その土の堆積の向こうに差渡し20センチくらいの穴が見えた。この夏2夜続けて目にしたタヌキの巣、そう思った。土の量からしたらかなり長い穴を掘っている。穴はウチの畑から隣りの籔に延びているらしい。畑に出る楽しみが一つ増えた。
 きょうの「終戦の日」に触れた文を書いて「紙面拝見欄」に送った。

新聞スクラップ講習会
【No.968】 2011年08月12日

 妻の実家の墓参りで厚木の長谷寺へ。長谷寺は坂東33番の札所の一寺だが、猛暑の午後1時、境内には人影はなかった。
 午後2時から厚木文化会館で開かれた新聞スクラップ講習会に参加。講師は全国新聞教育研究協議会の田村先生と香山先生。参加者の数を目で追ってみた。子どもが45人で小学生が大半、母親28人、父親9人、祖父母4人、熟年ご夫妻が一組、そして私。総勢89人。2時間の講座の後半45分を使い実習する。実習の内容は、@ その日の新聞から選んだテーマに沿った記事を選び A記事を要約する B記事の感想を書く Cそしてその記事を切り抜きスクラップ帳に貼って終わる。講師はまとめで「ほとんどの人が作業を終えた」と褒めた。そして継続的にこのスクラップを行なうことを勧めていた。
 

家族新聞 100号
【No.967】 2011年08月07日

 『がたがた新聞』(おもしろい題字!)という家族新聞が7月で100号を迎えた。
 10年ほど前Y中学校の生徒会新聞委員会で新聞づくりの話をした。その講座にGさんがいた。間もなくそのGさんの家に家族新聞が誕生した。お母さんがPTAの広報委員を経験していたこともあって、以降この7月まで毎月新聞の発行は続いている。
 家族新聞は、子供たちが成長すると、特に中学生くらいになると、「わたしのことを勝手に新聞に書かないで!」ということになるからだ。
 パソコンで新聞を作っているのはお母さんの眞由美さん。その眞由美さんからこんなたよりが届いた。
 春美が「続けていて良かったね! もうお母さん新聞 やめられないよ!」と笑いながら言いました。これからも情報提供してくれるそうです! 孫も協力者の一人、写真を撮らせてくれるから(笑) 新聞に載るのが嬉しいみたいです。私だと良いお顔してくれるんです。

  いつか『エコー』を追い越してくれるだろうことを願う。 



相談室で「親子壁新聞づくり」
【No.966】 2011年08月04日

 きのう、きょうと相談室で「親子壁新聞づくり」の講座。きのうは2組の母子、いずれも小学4年生。一人は野球、もう一人は新体操をやっている健康そのものの女の子。
 きょうは3家族・9人がやってきた。小2から6年生までの6人で男の子は4年生の一人。昨年発行された新聞を見本に、新聞の作り方を話した。見本は「旅行記新聞」「家族紹介新聞」「夏休みの研究新聞」など20紙。研究新聞は『なすび新聞(日本各地のナスの紹介やナスの語源など』や『新聞の新聞(日本の新聞の題字、新聞の発行数など)』『かぶと虫新聞』などの力作。さっそく、どんな新聞を作ろうかと親子の話し合いが始まった。22日が楽しみ

「ナス ゲット!」
【No.965】 2011年07月30日

 秦野ゆとりの会の「行灯仕立ての朝顔展」(会場・東公民館)に出展。今朝二つ開いたものを持って行く。30鉢ほど並ぶとなかなかの展示会。朝顔の伝統的な色は紺なのだが、赤やピンクなどの鉢が多い。
 スイカ作りが得意な会員のYさん。今年は果肉が黄色のものを食べさせてくれた。「福助づくり」の菊苗も配られ、育て方の研究会。もう10年も勉強しているのに、咲く花に少しの進歩も見られない私。
 わが家の裏は中学校の農園。夏休みでも、朝の8時ごろから畑で草取りに励む生徒たち。「ナス、ゲット!」と大ハシャギの女の子の声が聞こえた。

親子で新聞づくり
【No.964】 2011年07月28日

7月27日
 「夏休みの思い出を親子で壁新聞に」しようという講座を東公民館で開いた。今年は17家族・38人。子供は幼稚園児から中学生までと幅広い層が参加してきた。講座中の2時間、親子で一つの机を囲みいろいろ相談をする。お母さんを独占できる子供たちの表情は心なしかゆったりと見えた。次回は8月22日、その日まである程度紙面を埋めなければいけないので、親子での行動も例年と違って増えるだろう。「新聞づくりは仲間づくり・家族づくり」になると思っている。きょう参加できなかった5家族は、8月3・4日にわが家で開く講座に出て22日の講座に間に合わせることになっている。

夏だけど
【No.963】 2011年07月25日

 運転免許更新のための高齢者講習に出かけた。最初に認知機能検査、そのあと高齢者講習。
 教室に入ると「耳の遠い人は前に坐ってください。最初の検査は30分くらいかかります。途中でトイレには行ません。今済ませてきてください」。
 実車テストで「後方の注意が足りない」「左折するときふくらみ過ぎ」と注意を受けた。夜間は目をよく慣らせてから運転するように忠告された。認知機能検査は「記憶力・判断力に心配はありません」。
 総合判断は「あなたの機能は同年代との比較では平均的(普通)です」。元気ぶっても、「私は高齢者だ」という、現実を思い切り知らされた。でも何となく納得。

 「今年はセミに異変が」と新聞が書いていた。寺山ではまだアブラゼミの鳴き声が聞かれない。庭でカナカナが鳴いたのは日曜日の午前4時過ぎだった。その一匹だけだった。今朝、ベランダにニイニイセミが横たわっていた。

偉大な娘たち
【No.962】 2011年07月18日

 女子サッカーのワールドカップで日本 優勝。4時過ぎにテレビにスイッチ。アメリカの攻めに防戦一方。「体力、スピード感が違う。これは負け」と観戦を止めた。
 準決勝戦、テレビを点けた瞬間、日本のゴールだった。しばらく観ていたがパスがキレイに通る。なぜか「3−1で勝ち」、そう思った。それでテレビは消した。結果は3−1 予想は的中した。
 アメリカは速い。何とか1ゴールは欲しい、残念だかがそう願った。5時を回って、再度ようすをうかがう。0-1でリードされている。もう観るつもりはない。負けるのを見るのはイヤだから。
 新聞を広げていたら、下りてきた妻が、「追いついて延長戦になったのに、今取られた2−1。間もなく終り」と言う。テレビを点け2分も経たないうちに、澤選手の神がかりのような、いや、“執念”の同点ゴール。
 そしてPK戦。戦いの前、両陣営の様子が映った。アメリカチームは、最後の最後で勝利を逃したという厳しい表情。日本は佐々木監督、そして選手たちの多くが笑顔だった。もしかしたらその笑顔は「120分戦って負けなかった。二度も追いついた。」という満足感からかもしれない。
 その笑顔がGK海堀選手のスーパーセーブを呼んだ。佐々木監督が「小さな娘たち」と言った。澤選手は穂希(ほまれ)という名だそうだ。誉高き「なでしこジャパン」、偉大なる娘たちを私たちは誇りに思う。

7月13日 迎え火
【No.961】 2011年07月14日

 お盆、迎え火の日。8時半にお墓の掃除に出かける。きょうはデッキブラシを持っていき、敷石の汚れを取った。その後『ツジ』のための竹を切る。帰ってから炎天下で『ツジ』作り。(ツジについては「秦野のおはなし94話」を参照)
 午後は盆棚づくり。3時にようやくオショロサン(お精霊様)を迎える準備が完了。5時、迎え火を焚く。そして近所6軒のツジに線香を上げて回る。6時近くなり、6軒の人がわが家のツジにお参りに来てくれた。S家はおばあちゃんと孫二人、孫の一人は中2の男の子。この家の人たちは「お参りさせてください」と言って線香を手向けてくれる。Yさんの家は中学3年生の女の子が参ってくれた。中学生がご近所の家を回って線香を上げる―これは“スゴイこと”だと思う。このことからだけでも、両家の家庭生活が想像できる。
 裏のH家は普段はだれも住んでいない。だがお盆になると、ここを実家とする子供たち4人がきょうから4日間実家で生活をする。「オショロさんが帰ってくるから、迎えてやらなければ」とツジを作る。そして「普段留守にしているから、お盆だけでも昔どおりの近所付き合いをさせてもらう」と線香を上げに回る。ここには寺山のお盆の原風景がある。

朝顔 ヤマユリ
【No.960】 2011年07月12日

 6時過ぎ、ピンクの朝顔が一輪咲いているのをほ発見。こんな早い時期に咲くとは思ってもいなかった。朝顔は、まだ夏の夜が明け切らない時間に蕾を開くともなく開かせる。その開花の様を眺めるのが朝顔を咲かせる人の極上の楽しみなのだそうだ。朝顔は英語でMorning glory、文字通りの花だ。他の鉢の蕾の成長具合をていねいに見た。しばらくは開花はなさそうだ。
 庭には今ヤマユリの香りが漂っている。今まであまり気にしていなかったが、数えたら17株が花をつけている。今朝の神奈川新聞は、弘法山のヤマユリの花が激減していると伝えている。猪が球根を食ってしまうかららしい。日本人は百合根を食べてきた。猪がそれに気付いたとしても仕方がないのだが。ヤマユリは発芽から開花まで5年以上かかるといわれている。庭のヤマユリを増やしたい。

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