- 寺 山 だ よ り -

新しい年
【No.1070】 2013年01月04日

1月3日 
 二宮で箱根駅伝の応援。午後、出雲大社相模分祠で行われた福迎祭に初めて行ってみた。横綱日馬富士など伊勢ケ浜部屋の力士が福餅を撒くのでたいへんな賑わい(きょう4日の新聞は今朝3000人と報じた)。
 祭りのメインの餅撒きが始まった。私が居たところは餅など届くはずのない場所。ところが「あみターン、こっち、こっち、こっちに投げて」と、若い女性の声が後ろから飛ぶと、安美錦関がニコニコ顔でこちらにも投げはじめた。
 その一個が誰かの手に当たり私の足元に落ちた! その一個を求め私を含め4本の手が伸びた。だが餅の落ちたところは私のテリトリー。「そう簡単に侵略はさせない」。こうして、私は今年最初の福を拾い上げた。
 ところが餅撒きのあと、日馬富士、安美錦などにより、並んだ参拝者に餅が手渡されたのだった。全員が幸せになれることは良いこと。
 「あみタン」こと安美錦関には、昨年帯広でサインをもらい写真に入ってもらった。彼に近づき「安美錦関!」と声を掛けると、なんと関取は来てくれた。それでツーショットの写真を見せ、去年十勝場所でのサインのお礼を言い、心ばかりのお土産を渡した。「そういえば秦野から来たと言っていたね」と関取。そしてピンクの福餅をくれた。拾った白と安美錦関のくれた餅とで紅白の餅。今年のスタートは上々である。
 帰り道、遠回りして大山道の道標の写真を撮りに渋沢、堀山下の三カ所を回った。
 家に着いた私を追いかけるようにUさんが「大山阿夫利神社に娘の合格のお願いに行ってきました」と訪ねてきた。蓑毛からの往復だから、登山に等しい。その元気に驚く。私のために「健康祈願」のお守りを受けてきてくれた。もったいないこと。

あと旬日で新年 
【No.1069】 2012年12月23日

12月18日 14日から始まった庭木の手入れ。雨の日もあり予定通りに進まない。それできょうは一挙6人が入った。

20日 「まほらの会」のイラストマップの展示会の案内状を横山会長と関係者の方々に届ける。「行くから」との言葉を何人かの方から頂いた。
 信楽の倉田さんから来年の干支『巳』(信楽焼き)が届く。倉田さんは『ECHO』創刊からの読者の一人。毎年信楽焼きの干支を届けてくださている。

21日 冬至。まほらの会のKさんが柚子を持ってきてくれた。隣屋敷に鈴なりだった柚子も届いた。午後、1月20日の「まほら秦野イラストマップ展」の報告会に使う『秦野市内の大山道の道標』のPPTの編集会議を東公民館で開く。形は出来上がった。私の報告もこれに合ったものにしたい。

今年最後の講座
【No.1068】 2012年12月16日

12月15日
東公民館祭りの日。「まほら秦野みちしるべの会」は『まほら秦野イラストマップ展』で参加。夏休み中に開いた「夏休みの思い出を親子で壁新聞に」の講座の作品20数点も展示した。
 この日は「足柄上郡PTA連絡協議会リーダー研修会」に招かれていた。会に所属する20の単位PTAの会長・副会長さん、教頭先生など70余名参加の研修会。午後2時15分から『私が出会った人』という演題で1時間30分の講演。気仙沼の子どもたちの言葉をメインに「私はいつも子どもに教えられてきた。大人は子どもにいつも負かされる」と話した。
 その後の交流懇親会に誘われるままに参加。現役の先生方、さまざまな職種のPTAの役員の方々から、その生き方・子育てなどのことを学ばせてもらった。
 今年の私の活動はこの講演で終了。

35年ぶりの再会
【No.1067】 2012年12月11日

12月10日

11月26日の朝日新聞の神奈川版「ルポかながわ」に私が登場しているのを見つけたYさんが、遠方から訪ねてきてくれた。Yさんは、私が2年間中学生新聞にコラムを担当したとき担当記者さん。実に35年ぶりの再会である。
 今、Yさんは「大山道」に興味をもち、田村通りのことを調べているとのこと。私たち『まほらの会』の活動を参考にしたいと訪ねてみえたのだ。我が家から見える大山、富士山の大きさに喜んでくれたYさん。1月20日に行う『大山道イラストマップ完成報告会』に出席すると言って帰っていった。
 コラム「職員室」を書いたのは秦野・西中時代。西中の文化祭の記事にしてもらった。スクラップしておいたその記事の写真をみながら「この子といろいろ話した思い出がある」と懐かしんでくれた。
 人の縁は摩訶不思議、「一期一会」を思う。

12月8日
【No.1066】 2012年12月09日

 新聞は連日総選挙の特集や関連記事。だが寺山には選挙カーはまだ一台しか入ってこない。その寺山から見える初冬の里山は、安野光雅さんの描く田園の絵のような暖かな色合いがまだ残っている。
 もうとうに《年》は忘れている年齢なのに、年末になると、こんな私にも忘年会の声がかかる。
 11月30日 厚木の玉川温泉で初めて教壇に立った学校の子どもたちの同窓会。61名中30名の参加。この数はスゴイ。午後2時から始まって帰宅したのは午後9時。こんな言葉なんて無いが、『好飲』。
 12月5日 秦野ゆとりの会の忘年会。この会は全員が還暦を過ぎた者の集まり。32名中25人の参加。《酔えば昭和人》
 12月8日 八八会。毎年5月と12月の八日の日に集まる会。こちらは元教員6人の会。

 今から30年くらい前のこと。「12月8日は何の日?」と授業の初めに尋ねた。私が子どもたちに期待した答えは「太平洋戦争が始まった日」。だが
 「先生の誕生日」「給料日?」。
 それで宿題にした。翌朝、一人の女の子が職員室に答えをもってきた。「12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日。『成道会』の日」。 
 「開戦の日」と「悟りを開いた日」。 

蓑毛越えで豆腐料理を食べに
【No.1065】 2012年12月04日

12月3日
 朝、天候はいかに、と大山に見れば、文字通り「雨降り山」の景色。だが東公民館の事業「大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて NO3」は実施。8時30分に蓑毛バス停には参加申込者全員がそろう。
「まほらの会」が主管のこの日の「ウオーキング」は、現実には登山である。
 コースは「蓑毛越え」と呼ばれている大山登山。大山阿夫利神社下社参拝、雨降山大山寺では紅葉狩り、そして「おおすみ山荘」で豆腐料理の昼食。最後に先導師・佐藤大住さんの大山信仰の話を聞くという人気のツアー。
 私の役割は出発点である大日堂境内に立つ「従是不動石尊道」と記された道標と、「秦野の地名はここより起こる」と書かれている仏名塔の解説をすること。その後の路傍の神仏の説明は横山会長が担当。登山のサポートは小山田、小野、大津会員がした。
 佐藤大住師の話す「大山の先導師(かつては御師と呼ばれていた)と大山名物の豆腐との関わり」は興味深いものだった。

 この一週間
【No.1064】 2012年11月25日

11月19・20日 
 秦野ゆとりの会の研修旅行で日光へ。今年で13回を数えるが、参加20人は過去最高。
2社1寺をガイドさんについてもらって2時間半をかけて見学・参拝。鳴き龍の説明をしている僧が拍子木で龍を鳴かせた。
中学校の修学旅行は日光だった。そのとき詠んだ一句。これは我が生涯の傑作!
拍手に龍鳴かせたる小春かな   勝美

21日 
 武厚子のさをり織り展が伊勢原でスタート。今年で15回、よく続くと思う。それに敬意を表して4日間、私も会場に詰める。

23日
 教職員OBの懇親会。見回せば参加者の中で3番目の高齢。乾杯の発声を頼まれた。古き良き時代の《武勇伝》を披瀝し合う元気に満ちた会だった。 

24日
 さをり織り展 無事終了。ご来場くださった皆さんに心からお礼を申し上げます。

25日
 「まほら秦野みちしるべの会」で作ってきた『大山道の道標・イラストマップ』市内7地区11図が今日完成。来年1月13日から31日まで本町公民館で展示会を行う。

衆議院解散
【No.1063】 2012年11月17日

きのう衆議院の解散。
3年前の2009年9月21日の私の雑メモ帳に、その日の『朝日歌壇』から次の歌を転記したのだった。

投票所の壁際に亀立ち上りひっくり返ってまた立ち上がる   白石 瑞紀

五十四年少数派に票入れて来て此度やうやく意趣を晴らしつ  押  勇次

恐らくはこれが最後の一票を迷わず決めて投票に行く     岩下 竹由

一票がこんなに力があるんだとつくづく思うまたしも思う   黒沼  智

八月は史実が一つ加わりぬ暴力の無き平成維新        木村 久子

決めたのはわたしたちです覚悟して四年の間観ていきましょう 一ノ渡 啓

 

喪中はがき
【No.1062】 2012年11月11日

 この9月にご主人を亡くされたUさんから喪中はがきが届いた。狩野芳崖の「悲母観音」の切手が貼られていた。合掌。
T家の七七回忌の法要に出席。T家は同じ町内(寺山)にあるので参列者の半数は顔なじみ。「お斎」になり、同年代の4、5人で子供のころの生活を懐かしがるような話に花が咲いた。
 話題の一つになった「油屋、醤油屋、屋根屋、点け木屋、鍛冶屋、笊屋、柄杓屋、車屋(水車)、紙漉き屋、石屋(石工)、板屋」のような屋号の家が通じ合ったこと。
 法事は、今は亡き人が近くに居てもあまり会うことはない人たちを一堂に集め、つながりを確かなものにする。別な表現をすれば、法事は地域(集落)を存続させるために大切な役割を担っているのだ。

秋日和 野仏めぐり
【No.1061】 2012年11月08日

 今朝も穏やかな秋日和。久しぶりに一人で蓑毛の野仏めぐりに出かけた。最初に訪ねたのは横畑の双体道祖神。造立日が記されていない僧形の合掌像。形体からすると秦野市内で造立された道祖神の中でもかなり初期のものと思える。
 次に回ったのは大日堂境内の仏名塔。1720年の造立。「秦氏の末裔がこの寺の仏さんを守護するためにこの地に住み着いたので、この地を秦野と呼ぶようになった」ということが刻まれている塔。最後は才戸の道祖神、この像は市内で初出の男女男女双体像。道祖神は、地蔵→ 僧形双体(合掌)→ 僧形双体(拱手)→ 男女双体→ 文字碑、という順で出現したとか。
 男女双体道祖神には色々なスタイルがあって、直立合掌、祝言(ふくべと杯)・握手・肩組み・餅つき像など。ここ才戸のものは合掌像。男性が女性の右に立っている。
 三つの野仏像の汚れを歯ブラシと布でぬぐいカメラに収めた

11月
【No.1060】 2012年11月02日

11月1日
 秋の深まりが感じられる朝。今日から11月>
お願いすることがあってFさんを訪問。軒先に並べられた「福助作りの菊」はまさに“百花繚乱”。80鉢くらいあるとか。「近所や知り合いに届けて喜んでもらっている」とのこと。「菊づくり菊見るときは陰の人」のFさんだった。
 午後、市美術展、菊花展が開かれている文化会館へ出かけた。美術展にはYさん、菊花展にはOさんが出品している。Yさんは今年も100号の大作で「戸隠鏡池」を描いた。Oさんの「福助作り」は入賞していた。F、Y、Oさんは、私も所属している「ゆとりの会」の仲間。
 
 露地植えの夕顔がまだまだつぼみを持っている。そして今日も一つ咲いた。夕方咲くこの花の開くようすは見たことがない。
 今週の初め、図書館で白洲正子さんの本を借りた。なぜ彼女の著書を選んだのかと言えば、白洲ご夫妻の住まい『武相荘』の入り口近くに義弟が居を構えているから。
 本の題にもなっているエッセイの「夕顔」。その中に次のようなことが書かれている。
 「夕方、夕顔の蕾の前に椅子を据え、一つの蕾に集中して目をはなさぬように開花を待っていた。」 4時、5時、7時と咲くのを待ったが「蕾はぴくりともせず、かすかにふるえるような動きをみせたかと思うと、さもくたびれたように首を垂れてしまった。ほかの花はみな元気に咲ききっているのにこれはどうしたことか。もしや息を吹き返してくれはせぬかと、十一時まで見つづけたが、しまいにはまった生きる力を失って、地に落ちた。」「その翌晩も翌々晩もためしたけれども」結果は同じだった。「おもうに夕顔は、花を咲かせるという重大な秘事を凝視されていることが堪えがたかったのではあるまいか。」 
  

「道」 2題
【No.1059】 2012年10月28日

10月27日
 午前9時から渋沢公民館で「矢倉沢往還を歩く」講座。「まほらの会」が主管。歩く前の30分が私の担当で、その日の講座のオリエンテーション。「矢倉沢往還と富士道」「富士山と大山・木花之佐久夜毘売と大山津見神」「往来手形」の話をする。それぞれのテーマで90分くらいはほしい。現地案内は横山会長、田村、磯野、小山田、高橋、小野会員で。
 午後4時から東中学校昭和45年卒の子どもたちの同窓会。32名の出席。還暦間近とあって、生活に変化を求めている子も何人かいた。
 特筆すべきはこの4月から大学生になったという福久美さん。「ここで皆さんに大学生になったことを発表して、退路(挫折)を絶ちたい」と笑顔。日本文学を学んでいるらしい。隆さんは有名ホテルの元シェフ。この春退職。今はドカティの1200ccのバイクを買い(240万とか)、乗り回している。「来年4月に会社を興す。そのときは協力を」と挨拶した。

秋たけなわ
【No.1058】 2012年10月24日

「落花生は畑に立ったままの状態でやられた。一本に二三粒残っているだけ。それを来年の種にする。笑い話にもならない。柿も食べられた」。ハクビシンの被害を50代の農婦が話してくれた。桃もスイカも全滅に近いようだった。
 50本植えたサツマイモは大豊作。夏の暑さのせいなのだろうか大き過ぎる。「ベニアズマだから。おいしいから」と言いながら知り合いに食べてもらっている。
 先日、夏の壁新聞講座に参加した親子10人が訪ねてきたので、イモ掘りをしてもらった。子どもは泥遊びは好きだ。大はしゃぎで、「もっと掘りたい」とせがむ。その光景を眺めながら「焼き芋大会をやろう」と母親たちは相談。でも落ち葉がなさそうだった。
 今朝の寺山の気温は室内で15度。金木犀の香が消えると山茶花が咲き出す。今年のザル菊は昨年よりは大きく育っている。黄色が花を開き始めた。

きょうから新聞週間
【No.1057】 2012年10月15日

 10月4日の日記に「朝7時半、鮮やかな大きな虹をバス停で眺めた」と書いた。そうしたらAさんからメールが届いた。「私も虹を見ました。よく見ると二重の虹! なにかいいことありそう! と朝から写真を撮ってしまいました。先生と同じ虹を見ていたのですね。その時の写真を送ります。会社が昨日引っ越しをしました。それで2トントラックを運転してしまいました。色々な経験ができて楽しい。でも筋肉痛です!」
 今日から新聞週間。数日前の新聞の一面の記事が誤報だったようだ。私たちが現在の新聞に求めるのは速さではない。正確な解説力である。
 「私は紙面に印刷された文字を読むことが大好きです。表紙を見た時やページをめくる時のワクワク感、紙の手ざわり、インクのにおい、それら全部ひっくるめて楽しいのです」。これはあるPTA広報委員の言葉だが、早朝私が新聞を手にしたときの感想と同じだ。
 新聞は今日は休刊日。17日出稿を目前にしたN小広報委員3名が来訪。連日、学校に出かけ、少しでも読みやすいものにしようと編集作業をがんばっているようだ。

時の流れ
【No.1056】 2012年10月10日

 薬をもらいに亀崎医院に行く。血圧は「とてもいいねえ」と言ってくれた。そして、パソコンのカルテを見ながら「きょうは東京オリンピックの日だね」と華家先生。こんな話題が出るのは先生と私も“年齢相応”だから。
 一昨日の10月8日、このホームページも13年目に入った。
 時間の経過、時の流れが、私の中に何かを堆積させてくれたならいいのだが…。
 朝顔の鉢をようやく片付けることができた。広報紙のクリニック4紙を返送する。

御殿場線で湯河原から帰宅
【No.1055】 2012年10月05日

10月4日  
 朝7時半、鮮やかな大きな虹をバス停で眺めた。午前9時30分から湯河原町で足柄下郡三町合同のPTA広報講座。「通学カバンの重さ」「津波への対応の不安」「家庭学習」。いずれのテーマも、学校との意識のずれを感じている広報委員会が「どのように記事したらいいのか」かという、PTA広報の編集権に関わることについての話し合いがなされた。私にとっても充実した講座だった。その高ぶりもあり帰路は沼津に出て御殿場線に乗る。沼津・御殿場間は初めての乗車。駅そばを食べすっかり旅気分。

中野区でP広報講座
【No.1054】 2012年10月01日

9月29日
 中野区での「PTA広報クリニック」を午後1時30分から。この4月に開校した中野中学校PTAが広報「中野NOW」を6月に発行した。すごいと思う。生徒数の減少で併合された二校のPTAが、併合に向けてしっかり準備をしたのだ。だから広報紙の発行もできた。特に「先生紹介」のページはこの学校の生徒・保護者には欠かせないページだった。
参加者の、私の紙面クリニックへの反応はかなりストレートだったので、話し甲斐があった。
講座の中で『ばんえい十勝』の話をしたら、なんと今日の受講生の中にその関係者がいた。ウソは話せない、と思った。

大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて
【No.1053】 2012年09月28日

9月26日
 東公民館主催の「大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて」の講座を「まほら秦野みちしるべの会」で担当。
 この講座での私の仕事はウォークに入る前のオリエンテーション。秦野地方独特の「天社神塔(地神塔)について解説をした。そして、ウォーク後の“まとめ”で「金目川の“金目”とは」の話。参加者の一人から「道祖神と地神の違いは」との質問も出た。
 この日の参加者は26名。「大山道を歩く」というこの講座をはじめてもう9年になるが人気のある講座で『広報はだの』に案内が出ると即日「満員御礼」となるとか。
 ふるさとを知り、ふるさとを愛し、ふるさとを育てる、これが「まほらの会」の目指すものである。
 10月には渋沢公民館で「大山道(富士道)を歩く・大山と富士山」の講座を開く。

「中の中日小豆飯」
【No.1052】 2012年09月22日

9月19・20日
 秦野市P連の「広報クリニック」。二日間で22PTAが今年度発行した広報紙全紙の紙面クリニックを行う。小・中学校ごとに2グループずつを編成し、1グループ90分で集団面接の形式。1紙20分位で紙面の診断をする。このスタイルの紙面クリニックのよいところは、自分たちの広報紙だけでなく同グループの他校の広報紙のクリニックも目にすることができるということ。
 優れたところを最初に挙げ、それに研究してほしいことを加える。異なった条件の中で作られる広報紙。《比較》はしないように心がけた。
 クリニック終了後、質問や相談がたくさんあったことで、この講座の疲れは報われた。
 
 20日の毎日小学生新聞に「『夏休みの思い出を壁新聞に』の講座」の記事が出た。
 今日から開かれる秦野煙草祭りの中の催物の一つに「学習展」がある。そこに《壁新聞》が展示されるという手紙が届いた。

 きょうは秋分の日・お彼岸の中日である。朝ごはんは「中の中日小豆飯」だった。

秦野市P連の広報紙
【No.1051】 2012年09月15日

9月14日
 秦野こども館で秦野市P連情報委員会を対象にした広報づくり講座。
 市情報委員会は『市P連だより』と『情報委員会だより』の2紙を、それぞれ年2回発行している。『P連だより』は会の活動などの情報を会員に知らせることがねらい。一方の『委員会だより』は市内22校のPTA活動や子どもに関する情報を交換し、それを記事にして会員に届けている。会員への問題提起を意識しているとも言える。
 今年度すでに一回ずつ発行しているので、企画、レイアウトを中心に反省(紙面クリニック)をしたのがこの日の講座。「2紙ともに全国的に見ても、かなりハイレベルの広報紙」と評価した。
 このホームページ『秦野の新聞教育』のページ「8月1日更新」にその2紙はアップしてあるので読んでいただければ幸い。

この三日間
【No.1050】 2012年09月14日

9月11日
 夏休みの壁新聞講座に参加しYさんが「修学旅行に行ってきた」とお土産を持ってきてくれた。限られたお小遣いの中で家族などにお土産を買う、その中の一人に私を入れてくれたことに感謝。

9月12日
 伊勢原市P連の「広報紙クリニック」に出かける。閉会後、「2年前、同じようにクリニックを受けました。その後、先生のアドバイスをそのまま取り入れ広報をつくったら、コンクールに入賞しちゃいました。今年もがんばります」と報告にきた委員会があった。

9月13日
 「JAはだの」の組合員基礎講座にでかける。受講者は新しく組合員になった人たち。
「地域の伝承文化について―大山道と里人の暮らし」のタイトルでPPTを使い90分の講演。オープニングに「東小学校校歌」と『秦野たばこ音頭』を歌う(大した度胸!) 今回は特に「だんご焼き」まで話を広げたが定刻3時ぴったりに終了。こういう終わり方は私としては珍しいこと。だが内容はどうだったのだろう。

広報紙づくりが盛んなまち・大井町
【No.1049】 2012年09月07日

 大井町は中学校1校、小学校3校という規模の町。この大井町で今年度第2回目の広報づくり講座がきのう開かれた。「本年度作成した広報紙の中間評価をし、さらに次号のための指導を受ける」ための講座となっている。
 この紙面クリニックに臨んだのは小・中PTA広報紙が4、3幼稚園の3紙、文化団体協議会・青少年指導員協議会・子ども会育成会・体育協会の各機関紙1紙、長寿会の会報2紙、自治会会報3紙、さらに地域ミニコミ紙1、の総計17紙。この数にに驚く。それにもまして内容の充実振りにめを見張る。特に自治会報3紙は内容、紙面構成は見事でこのエネルギーの源はどこにあるのかと思うくらいのもの。  
 聞けば、団塊の世代が自分の住む地域に目を向け、次世代のための「まちづくり」を意識するようになったから、とのこと。この日手にした自治会報3紙のウチの2紙の創刊はいずれも今年度になってからだった。
 それぞれの広報紙が会の発展に役立つことを心から念じたい。
 

今週から本格的始動
【No.1048】 2012年09月05日

 昨日は中井町のPTA広報講座。一学期に発行された号を1ページずつ講評をするのに90分。残りの30分は次号の企画会議。
 秦野の小・中22PTAが昨年度発行した広報紙全紙を参考にして、自分たちの次号の企画について話し合った。私も適宜に参加し少し助言。どのテーブルも前向きに話し合っていた。明るい雰囲気がいい。
 私も今週から本格的に動き出さなければいけない。

九月
【No.1047】 2012年09月01日

九月の歌    詞 広木明美   曲 中原健二

 楽しい楽しい 夏休み 芙蓉の花が もう咲いて
 いつか 九月になりました 海でくらした 子どもらは
 海のかもめに もうします 仲良しかもめよ さようなら

 楽しい楽しい 夏休み かなかなぜみが もう鳴いて
 いつか 九月になりました 山でくらした 子どもらは
 山のこだまに もうします 仲良しこだまよ さようなら

 今日から9月。朝7時半から除草して乾かしておいた枯れ草を燃やす。その後ホームページの更新。ホームページを開いて今月で12年経過。「毎月更新」はなんとか続いている。
 正午頃から8月6日以来の雨・雷雨。農作物や庭木には慈雨となったろうか。

 千葉の野田さんからたよりが届いた。
 『ECHO』296号拝読。十勝・帯広大会にまつわるエピソード。私は釧路湖稜高校の卒業生、両親は長く帯広に暮らしていましたので身近な街の話として楽しみました。8月は香港、ボストンに出かけたため大会に参加できず残念でした。明日から9月、さっそく研究会の案内が届いています。 

スカイツリー
【No.1046】 2012年08月25日

8月23日
 7年前秦野で開いた全国新聞教育研究大会の大会速報を担当した10名のお母さんたちと毎年8月の終わりの頃集まり旧交を温めている。その会を今年は東京で開いた。昼飯にフロウズン生ビールを飲む。待ち時間40分ほどでスカイツリーに登れた。その後隅田川を下り、最後は新宿西口の居酒屋でおしゃべり。暑かった。疲れた。でも楽しかった。

きょうから新聞づくり《秋の陣》
【No.1045】 2012年08月23日

8月22日 明日は「処暑」というのにこの暑さ。
 秦野の小・中学校の夏休みは今週いっぱいで終わり。
「夏休みの思い出を壁新聞に」の講座の第二日目を9時半から東公民館で。すでにできあがっている子もいて、今日の講座を経て25新聞が完成するはず。その新聞は夏休みの自由研究として学校に提出される。終わりに参加者全員で記念写真を撮り、子どもたちには公民館長さんからがんばりを讃える賞状が手渡された。子どもたちは皆うれしそうだった。12月の公民館祭りに展示会を開くことになっている。そのときどんな新聞が見られるのか楽しみ。
 午後は松田町の広報づくり講習会の第2回目。この4月から発行されたPTA広報、体協の会報、町の施設が発行する「お知らせ」の紙面クリニック。PTA広報『かぐの実』は一学期に3回の発行とがんばっている。

松井裕樹投手
【No.1044】 2012年08月21日

 草取りに追われているここ数日。朝8時からから庭続きの畑の周りの草刈り。朝からの騒音は近所迷惑だと思っているが、許してもらおう。11時までがんばり予定の作業は終わった。納得の仕事ができた。

 甲子園のこと。神奈川・桐光学園の松井裕樹投手、スリーアウトを三振で取るとベンチに向かって全力疾走。ベンチを出て彼を迎える野呂監督の胸に飛び込んでいくような疾走。その光景に高校野球の心、そしてスポーツマンのすがすがしさを見た。
 
 2005年の9月の『エコー》で柔道の棟田選手の試合前のおじぎのことをつぎのように書いた。
 「世界一きれいななおじぎ」と言われる棟田選手のおじぎ。「きれい」という言葉では表し切れないものがそこにある。彼の「おじぎ」に普段の生活が見える。その人の心が表れる。
 
 松井選手はきょう敗れた。だが彼の全力疾走は私を魅了した。来年も彼に会いたい。

第55回全国新聞教育研究大会 十勝・帯広大会
【No.1043】 2012年08月07日

8月2日 旭山動物園見学 
8月3日 第55回全国新聞教育研究大会 十勝・帯広大会に参加。 
8月4日 十勝帯広大会のPTA分科会の講師を務める。終わって「ばんえい競馬」に。北海道新聞の記者の取材を受ける。 
8月5日 大相撲十勝場所観戦 大関稀勢の里、把瑠都、鶴竜など関取17力士からサインをもらう。帰りの飛行機、東京に入ってから機内アナウンスが。「夜景が今日は特別きれいなので機内の灯りを落とします」。 

8月に入る
【No.1042】 2012年08月06日

7月28日 千葉・袖ヶ浦市PTA連絡協議会に招かれ広報委員研修交流会に参加。袖ヶ浦には甥がいる。それで交流会の前に叔父・叔母の墓参り。甥と昼食をとり会場の市民会館まで案内してもらった。

7月29日 「夏休みの思い出を壁新聞に」講座・秦野市立東公民館 参加者は19家族42名 子どもは24人(小学生21・中学生1・未就学2) 保護者・親が18人(父2)。

7月30日 昨日出席できなかった3家族8人を対象に「夏休みの思い出を壁新聞に」講座をエコー教育広報相談室(我が家)で。5人の子どもたち(小学生4人・中学生1人)に「かえりの会」の中身を聞く。

7月31日 菊の苗の植え替えをする。毎年のことだが「今年こそ」と思う。今年初めてアブラゼミの鳴き声を聞く。
 
8月 1日 8月に入った。午前中HPの更新。午後、学校新聞づくりの指導。企画は生徒会活動について。硬派の学校新聞である。明日は旭川に飛ぶ。  

カナカナ
【No.1041】 2012年07月20日

「カナカナ」は晩夏の夕陽の木立に似合う。十数年前、高村山荘を訪ねたときのこと。午後3時ごろ、山荘に向かう林の中の道は「カナガナ」の蝉時雨。
今朝、まだ夜が明けきらないのに「カナカナ カナカナ」とヒグラシが鳴く。山間に染み込むようだ。静寂、荘厳な感さえする。
 昨日まで三日続いた猛暑の中、畑のの草取り。サトイモの土寄せもした。
もちろんがんばっても午前中3時間ほど。
 水分補給ということでポカリをがぶ飲みしたら腹痛、などという余計な事態も招いたが、きれいになった畑を眺め 納得!

 秦野市P連の『P連だより』と『情報委員会だより』が届いた。力作、レイアウトもうまい。 

7月13日 大車輪の一日
【No.1040】 2012年07月14日

 13日はお盆を迎える準備で忙しい日。
 8時に家を出て『つじ』の竹を切りに山に入る。その帰りにお墓の掃除。帰ってから午前中いっぱいを使い『つじ』を作る。午後は盆棚を飾る。
お精霊(オショロさん・ご先祖さん)さんが乗る馬と牛をつくるため畑からキュウリとナスを取る。今年はけっこういい形のものが育った。馬と牛の手綱になる素麵をゆでる。
 午後4時、ちょうちんに灯をともし『つじ』の側で迎え火を焚く。これでご先祖さんは無事にお着きになれた。
 それから近所5軒の『つじ』にお線香を持ってお参り。この5軒もウチに線香を上げに来てくれる。S家からは中3の男の子と中1の女の子がお参りに来てくれた。
 
 『つじ』の写真は「秦野のおはなし」2009年8月のページ
 『盆棚』は「ギャラリー」に

夕立が洗つていつた茄子をもぐ  山頭火
【No.1039】 2012年07月05日

 5時起床。だが目覚めは午前4時前。行灯仕立ての朝顔が一輪開いた。濃いピンク! うれしくなってそのまま畑に入る。朝露に濡れ紫色が鮮やかな茄子を一つもぐ。 (夕立が洗つていつた茄子をもぐ  種田山頭火)
 午前H中、午後はN小の広報委員の来訪。どちらも年度第2号を来週中に発行するということで生気がみなぎっている。
 明日から「湘南ひらつか七夕まつり」。その平塚の隣の茅ヶ崎で明日はPTA広報講座。年度2回目なので「紙面クリニック」。《お土産(?)》を持っていく。よろこんでもらえると思っているが……。
 鳥取から「あごちくわ」が届いた。山形のさくらんぼも。

県高P連の広報委員研修会
【No.1038】 2012年07月02日

7月1日 
 昨日、パシフィコ横浜会議センターで開かれた神奈川県立高等学校PTA連合会(148校)の研修大会の第九分科会(広報委員研修)は、「各校から1名の参加」ということだが150名を超える参加があった。7人の父親の姿も確認できた。
 1時間の講話のあと5つの質問を受けた。高校のP広報ならではの悩みを知った。その後8人ずつのテーブルで交流会。そして私の「まとめ」で終了。ちょうど2時間、小・中のPTA広報講座とは異なる高まりが感じられた。この会をきっかけに広報の交換など交流を約束したテーブルもいくつかあった。
 この日は日曜日、その午前10時に集まった1100名・圧倒的に母親が多い・にPTAの力を信じた。企画・運営をした役員の努力に、心から敬意と感謝の念を抱いた。

一日早く更新
【No.1037】 2012年06月30日

 明日は横浜に出かけるので、一日早いが「7月1日更新」を今日のうちにした。
 今夜のテレビの「アド街ック天国」は秦野だそうだ。秦野のどこが、どんなものが登場するのか楽しみ。
「秦野のもの」といえば落花生は秦野の名産品。昨日、夏休みに向けた広報の企画を相談に来たN小P広報委員会。お土産にお手製の「ピーナツ入りコロッケ」をもってきてくれた。出かける前に作ったのでまだ温かかった。コロッケのにおいが漂う中でよい案が出来上がった。
 

糸満市摩文仁の丘
【No.1036】 2012年06月24日

 きのう6月23日 沖縄全戦没者追悼式で首里高校の金城美奈さん(18)が自作の詩を朗読した。

 親族が保管していた古い手紙を見たのは5年前。父母への感謝をつづった大伯父は、旧制中学から海軍へ。南洋で戦死したが、詳細は分からぬままだという。その後、美奈さんは家族で初めて平和の礎(いしじ)を訪れ、大伯父の名前に出会った。


「礎(いしじ)に思いを重ねて」 金城 美奈 

 月桃の花が白くきらめく頃/私はあの手紙と出逢った/それは祖父の兄が家族に宛てた一通の手紙/彼の人生で家族に送った最後の手紙/第三中学校から届いたその手紙に/戦争のことは何一つ書かれていなくて/勉学に励み/家族を思いやる真っ直ぐな青年の心が記されていた/これから迫る黒い影とは対照的に/その手紙は温かく/誠実さで溢れていて/白い光で包まれているようだった

 この手紙と出逢った後/私は初めて彼の礎の前に立った/礎に刻まれたその名前/ぎらぎらと太陽に照りつけられたその名前/指でなぞると一文字一文字が焼けるように熱くて/あなたの思いの強さが伝わってくる/私の心に伝わってくる

 礎に刻まれたあなたの名前は/とても小さくてとても窮屈そうで/この文字では表せないほどの人生があなたにはあった/この文字には抱えきれないほどの未来があなたには待っていた/でも何もかも奪われてしまった

 あなたが過ごしたあの島は/地図に書かれたあの島は/沖縄から遠く離れていて広大な海に囲まれている/あの遠い島からあの広い海からあなたはまだ戻らない/あなたはまだ戻れない

 あの日から時は止まったまま針は動かぬまま/あなたと同じくらいの歳を迎えた今/わたしは考えている/戦争について/平和について/でもあなたと同じくらいの歳を迎えても/私は考えられない/遠い島で過ごすことを/わたしは考えるのが怖い/けど/辛い現実と向き合ったあなたがいるから/私は今安心して一日を迎えられる/明日が来るのを待つことができる

 今年も時を刻む六月二十三日/正午に手を合わせる私の肌/柔らかな風がそっと包み込み/確かな思いが溢れ出す/あの過ちを/二度と起こしてはならない/あの苦しみを二度と蘇らせてはならない

 人々の心に色をそえることができるなら/暗く沈んだ色ではなくて/明るく澄んだ色で彩りたい/人々の未来に橋を築けることができるなら/先の見えない不安定なものではなくて/力強く進める丈夫なもので繋げたい/そして人々の世界を一つの言葉で表すことが出来るなら/戦争ではなくて/平和であると断言したい

 六十七年前を生きた人々の後ろに私たちは続いている/私たちに出来ることは/あの日を二度と呼び戻さないこと/私たちに必要なことはあの日を受け止めて語り継ぐことを/礎に刻まれた人々の届けたかった思い/叶えたかった願いを私たちが届けよう/私たちが叶えよう/礎に思いを重ねて

【No.1035】 2012年06月11日

6月9日
 毎日新聞東京本社でPTA広報講座を午前10時30分から開く。入梅が宣言された関東地方。この日はかなりの雨。それでも群馬、千葉、神奈川からの参加もあった。
 神奈川からは母親と共に中学生も一人きてくれた。講座終了後も十数名から質問を受けた。参加者同士の交流も生まれ、よい講座になったのではないかと思っている。

竹の子掘り
【No.1034】 2012年06月08日

5日
 本町中学校の新聞講習会に招かれた。生徒会広報委員と各クラスの新聞係の講習会で60名くらいか。校長先生と新聞指導の4先生も参加してくれた。 講習会の終わりに広報委員長のIさんが感想を次のように述べた。「『ファイト新聞(気仙沼の避難所で発行された子どもたちの新聞)』の話を聞いて、新聞が大きな力になることを知った。本町中の中でも新聞が力になるよう皆さん新聞作りをがんばりましょう」

 竹の子掘りのシーズン。昨日も日竹藪に入った。今年は鹿が入っているようには思えない。ウチの藪は真竹。竹の子は孟宗竹より真竹のほうがおいしい。知人や妹たちに配って歩く。

広報づくり始まる
【No.1033】 2012年06月04日

 H小のSさんがPTA広報『C』の年度第1号の「紙面クリニックをお願いします」と訪ねてきた。「郵送でいいのに」と言ったら「初めて作った広報だから、第一子の誕生みたいに嬉しい。その子を旅立たせるので付いてきて来てしまった」と笑顔。
 N小の広報委員会の皆さんは第1号からかなりハイテンション。「広報づくりが楽しい」と委員長のIさん。「学生時代に戻ったような気分。新しいこと、知らなかったことを勉強しているみたいで新鮮な気分」と、質問を後から後から。
 今年もこんなお母さんたちにたくさん出会えるだろう。

パソコンを使っての広報づくり講座
【No.1032】 2012年05月31日

5月29日
きょうは秦野市P連が企画した「パソコンを使っての広報づくり講座」。参加者は単Pの広報委員、情報委員など63名。
 新聞編集ソフト、ワード、そしてエクセルを使っての編集のスキルアップを目指すこの講座。講師8人は広報委員OGが務めた。私はレイアウトの相談を受けた。充実した2時間だったようで「できれは夏にもう一度開催を」という声がいくつか聞かれた。秦野のPTA広報の実力がこんなところにも見える。

やっと畑に
【No.1031】 2012年05月29日

5月27日
中野区でのPTA広報講座を午前10時から。対象は中学校の広報委員。日曜日だったが11校から40名を超える参加者。父親が5名も来てくれたのはうれしかった。PTA広報の発行権と編集権、子どもの写真の掲載についての質問があった。
 帰り際、初めて広報委員になったというお父さんから「ボランティアで気仙沼に行きます。そのときのことを載せたいがどのような内容にしたらいいのか」と尋ねられた。
 この日は7時に家を出たのだが、充実した半日を送ることができた。参加者に感謝したい。

5月28日
 「とうとう」なのか、それとも「ようやく」なのか、否“やっと”畑に立つことができた。
 5日も前にもらったサツマイモの苗を植えた。種類は「ベニアズマ」「ベニハヤト」と「ムラサキイモ」。ネギ(「九条」と「下仁田」)も植えた。東京以北の関東地方は豪雨、ヒョウなどで大荒れなのに、こちらはパラっと降っておしまい。雨が欲しい。

二兎は追えない
【No.1030】 2012年05月26日

5月21日 
 寺山は“山”。我が家は海抜176メートル。金環食はまったく無理だった。
5月24日
 すっかり夏模様。寒川町でのPTA広報講座。参加者は40人ほど。昨年度がんばった『ひがし』の広報委員の二人も聴きに来てくれた。そして「23年度の県PTA広報紙コンクールで入賞した」とその喜びを伝えてくれた。今年の委員4人も一緒だった。 
5月25日 
 秦野ライオンズクラブに招かれ『富士道を歩く』の講演。会員に教え子が二人いた。その二人が講演に使う地図の掲示などあれこれ気を使ってくれた。女性会員の一人がPTA広報講座でお世話になった、と挨拶に来た。ほかに顔見知りも数人。それで落ち着いて演壇に上ったのだが……。

5月26日
 市内の西中、西小、南小のPTA広報紙も「県広報紙コンクールで入賞」との連絡をAさんとKさんからもらった。秦野のP広報は健在!
 庭を見回す。スギナの若緑がますます広がっている。夕顔はどうやら発芽したが、朝顔はあまり芳しくない。サツマイモの苗の水につけたまま。田園まさに荒れんとす…。二兎は追えない。

二日続けて東海道本線
【No.1029】 2012年05月19日

5月14日(月)広報づくり講習会  神奈川・中井町教育委員会(20名)
5月17日(木)PTA役員研修会広報部会  鎌倉市教育委員会(40名) 列車の遅延でヒヤヒヤ 初夏の鎌倉駅は修学旅行・遠足の子どもたちでにぎわっていた。質問の時間に、身に余るお礼の言葉をもらった。
5月18日(金)PTA指導者研修会広報委員部会  茅ヶ崎市教育委員会(60名)  二日続けて東海道本線の旅? それで帰途、茅ヶ崎名物の「シラス丼」を食べた。

この一週間
【No.1028】 2012年05月12日

 5月 9日(水) 広報づくり研修会 神奈川・松田町教育委員会(39名)
 5月10日(木) 平成24年度神奈川県立高等学校PTA連合会研修大会(7月1日・パシフィコ横浜)の打ち合わせ
         広報分科会の講座の進行について
 5月11日(金) 湯河原町・真鶴町・箱根町合同PTA広報研修会(40名)

 来週は三会場。がんばろう。

ゴールデンウイーク最後の日
【No.1027】 2012年05月07日

5月6日 
 荒川区のPTA広報講座。主催者は「平日の午前中に出られない委員のために日曜日も」と言うが、ゴールデンウイークの最終日の午前10時開講のPTA広報講座は、といぶかったが…。
 参加申し込みは60名ほどとのことだったが100名をはるかに超えた会場。4月27日の平日の講座には130名が参加。
 そしてこの日の会場の様子を見れば、おのずと闘志が湧いた(?)私。講座は12時に終えたが、ロビーに展示された私の講評つきの他校紙を手にする人でにぎわう。今、たしかに荒川のP広報紙は発展期に入ってきた。
 3時前に帰着。それと同時に雷鳴、雹、豪雨、強風。昼食をとらずに帰ってきたことは《正解』だった。

ゴールデンウイーク
【No.1026】 2012年05月05日

5月2日(水)
 土砂降りの中での「広報づくり研修会」(主催・伊勢原市PTA連絡協議会)。14校から130名の参加。

 昨夜、新聞教育とサッカーに燃えているM先生からメールが届いた。「京都大好きなもんで」というタイトルで私の「冬の京都・近江」の感想をいただいた。「雨のお陰」と感謝!

 「4月1日付で成田空港勤務となりました。新職場は空港第1旅客ターミナルビル6階にあり、眼前の滑走路を世界中の飛行機がひっきりなしに離着陸しています。ビル内を世界各国のCAたちが歩いています。世界中にある支局の中でも、最も華やかできらびやかな職場です」。M新聞のH記者からのメールは転任の挨拶である。
 
 副校長に栄進されたT先生からもメールでいただいた。
 「ゴールデンウイークに入り、やっと清々しい春の陽気になってきました。いつもECHOを送って頂き、ありがとうございます。すぐに返信をと思うのですが、3月末からの異動準備と4月からの職場での仕事に忙殺され、御礼さえお伝えしなかった無礼をお許しください。新しい職場と仕事は新鮮でよいのですが、歳をとってからの異動もあり、仕事がはかどらず毎日9時半近くまで残業、土日は休まず出勤という有り様でした。気持ちが張っているせいか、疲れはあるもののダウンすることなく今日まできました。ダイエットした訳ではありませんが、おなか周りもすっきりし、体重が3キロ近く落とすことに成功しました!?」

 Wさんからの「北上だより」で、今北国は百花繚乱であることを知る。
 K新聞の紙面でF先生の教育長就任を知る。教育委員会に在籍のころ、初めてPTA広報講座を企画され、私を講師に招いてくださった先生。手紙を書いた。

 雨にたたられたゴールデンウイークだったので少しはのんびりされたのではないかと思った。

 今朝は「五月晴れ」そして薫風。明日6日は東京・荒川区教育委員会の「PTA広報研修会NO2」に出かける。   

一週間
【No.1025】 2012年04月28日

23日(月) 校内新聞講習会  神奈川・秦野市立東中学校(参加者35名)
24日(火) PTA広報研修会  東京・文京区教育委員会(60名)
25日(水) 広報づくり研修会  神奈川・大井町教育委員会(40名)
26日(木) 広報技術講習会   神奈川・秦野市PTA連絡協議会(400名)
27日(金) PTA広報研修会  東京・荒川区教育委員会(130名)
 荒川区から帰ってきたらこんなメールが届いていました。

 武さん、本日はありがとうございました。講演会後、「気仙沼に何回か行きました」と“巨震激流”の話をした者です。「気仙沼」の話になってからもうさらに私はぐいぐい引き込まれ、生徒たちの写真がのった3月のPTA広報紙にはもう泣けてしまって・・。震災後、今までになく東北と濃いつながりができた私ですが、5月にまた夫と小6の息子とで気仙沼・陸前高田方面へ行く予定です。三陸新報社さんの話、ありがとうございました。できれば行ってみたいですが、時間のやりくりがどうかな?という感じです。
 さて、本日は貴重なお話をありがとうございました。目からうろこ「あ、こんなに枠(と勝手に思っていたもの)がはずれていいんだ」と思いました。近々ある第1回ミーティングで、ぜひ伝えたいと思います。
 武さんのホームページ、華ざかりで驚きました。積み重ねた業績、広い趣味(私は20歳のころ各地の石仏を訪ね歩いたので道祖神の記事を見て頬がゆるんでしまいました)、アクセス数の多さ・・ファンが多いんだあ・・と感じ入りました。お体に気をつけて、ますます楽しいホームページになりますように。またここに遊びに来ます。  岩 雪

コバルトブルーの海
【No.1024】 2012年04月22日

4月19日
 気仙沼市の三陸新報社を訪ねた。おおよそ1時間、朝倉社長さん、渡辺専務さんが応対してくださった。新聞が地域で果たすべき役割について学んだ。気仙沼市の小・中・高校のPTA広報も読ませてもらった。被災した子供たちが優しく、純粋であることを知った。心が痛む思いだった。
 3月31日、三陸新報社は『気仙沼と南三陸町 震災から一年の記録 故郷永遠(ふるさと とわ)』を発行した。その序に「たとえがれきと化しても、波が洗っても、心の中の故郷まで消すことはできない。麗しの我が故郷、愛しき人々は、私たちと共にこの地に生き続ける。」と記されている。

 南三陸町から気仙沼市に向かっているとき、曇っていた空が急に晴れ渡った。建物も人影もない地の向こうに三陸の海がコバルトブルーに輝いていた。

4月15日 好日
【No.1023】 2012年04月16日

 10時過ぎ、「エコー」の読者野中さんが訪ねてきた。50代前半の彼女は今トレイルランニングにハマッテいる。この日も午前8時に自宅を出て、ヤビツ峠まで上り、帰りは柏木林道を走り下り我が家へ。走行距離は20`くらいとか。
 22日に行われる東丹沢宮ケ瀬トレイルレースに出場するとのこと。「一緒に走る篠本先生は(彼女も「エコー」の読者)どのレースでも入賞圏内。私は、時間切れで強制収用されないことが目標。今回は制限時間が7時間ですから何とかなるでしょう」と笑っていた。

 夜7時過ぎ、テレビを点けた。「へぇーそおか おまえさんも神奈川・秦野か」と千昌夫がしゃべっているシーンが大きく映し出された。千の得意な歌「味噌汁の詩」のセリフ部分だ。この日の「BS日本のうた」は秦野で収録されたものだった。
 千の「君がすべてさ」、森昌子の「哀愁酒場」と聴いて、風呂の湯加減を見に行った。そのとき電話の呼び出し音が。
 四国・今治に住む友人・木原さんからだった。「今、BS日本のうたを見てるよ。秦野での収録だね。秦野高校のチアリーディング部が今出てるね。それだけ伝えたくて」と四国弁で言って電話は早々に切れた。
 あわててテレビの前に戻った。堀江美都子の「キャンディ・キャンディ」(歌手も曲も私にはあまりなじみがない)が流れていた。いかにも秦高生らしいはつらつとした肢体がステージを盛り上げていた。

 

さくら
【No.1022】 2012年04月13日

 どうやら今夜半から雨らしい。それでギャラリーのページに「今年の桜」をアップ。
 森山直太朗が歌う「さくら」。♪さくら さくら 今咲きほこる 刹那に散るゆくさだめと知って♪ 

サクラ
【No.1021】 2012年04月10日

6日 東公民館の「大山道を歩く・東地区の道祖神を訪ねて」の講座を担当。参加者は29名。
8日 寺山・鹿島神社の大祭。兄妹3家族7人で宴。11時から始めて4時まで。いつもなら私が太巻きをまくのだが、今年は風邪気味なので外注。

 秦野は盆地。イオンの屋上駐車場から見回す秦野の景色が好きだ。この季節はうすいピンクに染まった丘や山地が盆地に向かってなだらかに流れ下っている。思いがけないところにソメイヨシノの並木や群落が浮かび上がっている。日本人は桜の花が好きだ。ウチの桜もどうやら満開。
 だが、明日は《花散らし雨》とか。

開花宣言
【No.1020】 2012年04月05日

四 月                金子みすゞ

 新しい御本、新しい鞄に。  薪しい葉っぱ、新しい枝に。 
 新しいお日様、新しい空に。  新しい四月、うれしい四月。

 今日は入学式。我が家の櫻もようやく「開花宣言」。
 年度末の疲れなんて私にあるはずはないのに、昨日まで寝込む。花粉症? 風邪? 
 
 まもなく始まる新年度の広報講座のテキストの準備をしなくてはならない。少しくらいの不調は乗り越えなければいけない。
 明日は「大山道を歩く」の講座。8日は寺山のお祭り。「体力より気力の問題」とは言うが、やはり体!

22校の講評
【No.1019】 2012年03月27日

 パソコンを入れ替えたため、かなり混乱。それがこの「日記」にも影響。 
 市P連は広報コンクールを最後に今年度の事業を終える。そのコンクールの審査に加わっていることもあり、今年も広報のまとめの講評を頼まれた。 現行の締め切りは24日。1校600字ほどの講評を22校分書いた。この講評はは冊子になって今年度の広報委員に読まれる。次年度の活動の支えにもしてもらっているので、それに応える内容でなければならない。最低限「ウチの講評 A小と同じじゃない!」などと言われないように書かなければいけないのだ。
 ところで、その講評のために読んだ(目を通した)広報紙の総ページ数は422。今年度の市内の広報紙の発行ページは17。

 この講評の最後に今年度広報づくにかかわったお母さんの「広報紙づくりを『四字熟語』であらわしたら」という文を載せた。それが次の文。
 
 広報委員になれたのは「千載一遇」のチャンスであり、「一刻千金」だと思っています・信じています。私が思う、広報活動に大切なものは「見聞触感」(オリジナル四字熟語)。そして「興味津々」校内外に常にアンテナを張る。いろいろな角度から。
‘読まれる’ことを信じて、「十人十色」のアイデアを話し合い・出し合い・形にするにが「試行錯誤」。そして「創意工夫」「切磋琢磨」「誠心誠意」。そうやって第1号を発行できたときは「感慨無量」。
 PTA広報紙は「広大無辺」です。広報活動は、子供たちのために、と思う保護者や教師の愛をたくさん詰めて多くの人に広げる活動です。子供たちのために「一致団結」し、限りある貴重な時間を「完全燃焼」。(Y)  

秦野のP広報のレベルは高い
【No.1018】 2012年03月16日

3月15日 
 秦野市P連の平成23年度広報紙コンクールの審査会に参加。審査員は市P連会長、副会長(教職員代表の校長先生)、市P連情報委員7人(「P連だより」の編集責任者)、それに私(広報講座の講師)の10名。
 午前10時から午後3時まで。22校kPTAが発行した全77紙を読む。今年度の特徴は全広報委員会が大震災を自分たちのものとしてとらえ紙面づくりをしていること。したがって年度最終号まで気を抜くことなく作られている。それらを読ませてもらい充実した時を過ごせた一日だった。秦野のP広報のレベルは高い。
 きょう16日から本町公民館でその広報紙展示会が開かれる。

3.11
【No.1017】 2012年03月12日

 「2時46分になりますよ」と家人から声をかけられテレビを点ける。
 政府主催の東日本大震災一周年追悼式が国立劇場で行われ、参列者が黙祷する姿が放映された。式での天皇陛下の追悼の言葉の中に「原発の事故」があった。
 この日の新聞は、さまざまな視点から「一周年」の特集を組んでいた。
 その中の一つ、南三陸町の中学生が卒業前に書いた作文の一部を紹介しながら次のように書いた。
 「津波が起きて『良かった』と思えるようになりたい」。大切な人や家も失い、かなしくて、苦しくて、今はどうにもならないけれど、それをいつか「良かった」と思えるぐらい、自分は大きくなりたい、とその女子生徒は思っている、と記者は書いた。
 「66歳の男性の『被災の真実』」を読んだ。
 防災センターに避難した妻が流されたその夫は「あの建物さえなければ」と言う。だから、そのことで市の責任を追及している。「それが決着して、次のお盆が終わったらもういいかな、俺は。妻ところへ行ってやりたい」

それぞれの人の中に3.11はある。私の3.11はこのことを書いたこと。

 PTA広報づくりも年度末
【No.1016】 2012年03月07日

 PTA広報づくりも年度末。
 2日、N小のお母さんたちが最終号の相談に来た。最後まで手を抜かないのは広報の大切さがわかっているから、そして広報づくりが楽しくなったから。私にはうれしいこと。
 5日は2月29日に発行された年度最後の「はだの市P連だより」をもって8人が来訪。「きちんと叱れる親に」が特集。レイアウトもあか抜けている。「見事な出来!」(これは正真正銘・ぜひ読んでほしい!)と言うと笑顔一杯の皆さん。そして、一年の務めが終わった安堵感、ちょっぴり寂しさも加わったにぎやかな反省会になった。
 6日に届いた広報紙『S』で次のようなコラムを読んだ。

 夫の実家が福島の会津若松にあるため、昨年も例年通り夏休みに帰郷しました。テレビ等の報道ではあまり被害が伝わってこなかった内陸部ですが、土地の隆起があちこちで見られ家の壁などが損壊している光景を多く見ました。
 用事があり、地元のスーパーに買い物に行った時のことでした。(私の目算ですが)野菜コーナーの産地表示が9割方が『福島県産』になっていました。大手スーパーなので、例年ならば全国各地の旬の野菜が並んでいるはずなのに。おそらくは、風評被害で他県に卸しても値がつかないのでは…。気になって、他のスーパーにも行ってみましたが似たような様子でした。私はあの産地表示を見たとき、何か胸に鋭利な物が突き刺さったような感覚を覚えました。
 いつもなら秋には福島の親戚中から山の幸がたくさん届くのに「検査済み」の物でも遠慮されて、今年は誰も送ってきませんでした。そして電話で聞く言葉は「福島産だと送っては悪いと思って…」ばかりです。その言葉を聞くたびにつらい気持ちになります。
 息長く続けられる個人での被災地支援、それは『まごころ』なのではないかと思うのです。

PTA広報よ 永遠なれ
【No.1015】 2012年03月01日

 きょう発行された東中PTAの広報紙『銀杏』が200号に到達。創刊は昭和44年だから43年かけてたどり着いた200号。当時東中に勤務していたのでその創刊にかかわった。そのご縁でこの200号でも発行のお手伝いをした。
 次は私が創刊号に書いた編集後記。
 「いくつかの反省に立って、今年から新たに広報委員会が設けられた。会員のより多くの声をこの広報にひびかせPTA活動を会員のより身近かなものにしたい。数多くの会員の声をこの紙面で聞くことができるのはうれしい。『明日という字は明るい日と書くのね』という歌謡曲の詞がある。子供たちにとって明日よりいっそう明るい日となるようにきようを努力したい』
 
 昭和59年に開校した渋沢中学校でもPTA広報の創刊にもかかわった。その広報「ふれあいの丘」も昨年10月発行号が100を数えた。
 PTA広報よ 永遠なれ

借金
【No.1014】 2012年02月25日

 歯の治療、郵便局で保険料と書籍代の送金、印刷屋さんで「エコー」291号を受け取り、支払い。そして、いつもの米屋さんに行く。 
 缶ビールの大きいのと小さいのを1ケースずつとお米5キロを頼み、日本酒のコーナー行く。「この前、これもらっていったんだよね。うまかったから今日もこれを」。
 そうしてレジ。合計は18000円ほど。財布を開けたら13000円しかない。
 「ごめん お金 足りない 日本酒 取り消し」
 「次でいいですよ」と奥さん。
 「次 来ない。踏み倒すかもしれないよ」。
 ご主人「家を知ってます。取りに行きますから」と笑う。
 「いや、来られなくなるかもしれない。飲みすぎて倒れて̈̈̈̈」。
 「適度のお酒は健康にいいです。飲みすぎないでまた来てください」と奥さん。
 「それじゃあ夏くらいになるね、今度来るのは」
 「それはちょっと空き過ぎじゃないですか。もう少し飲んでください」とご主人。
 こうして5000円借金して帰ってきた。
 この話を妻にしたら「すぐに行ってきて。わたし、そういうことイヤなんです!」。

般若心経
【No.1013】 2012年02月21日

 昨日、菩提寺の寺山円通寺で「般若心経を読み解く」講座が開かれた。講師は宗教学者の正木晃先生。「『色即是空』は大乗仏教の最大のキャッチコピーだが、骨だけだから難解」と、面白い解釈で話が始まった。充実した2時間だった。4回シリーズの第1回。以降の講座が待たれる。

北上から
【No.1012】 2012年02月15日

 岩手の渡辺さん(「北上だより」の筆者)から三陸新報社がまとめた記録集『3・11東日本大震災 巨震激流』をいただいた。書の序は次のように記されている。

 営々と築いてきたすべてを揺るがし、のみ込み、焼き尽くし去った「東日本大震災」。                     
 気仙沼・本吉地方の沿岸部も大きく姿を変えた。数多の命が奪われ、今も避難所に暮らす人がいる。
 「あの時」。ふるさとはどのように津波に襲われ、人々はどのように避難し、町はどのように変わったのか。
 決死のシャッターを押し続けて焼き付けた写真の証言と、尽きせぬ言葉で語られた七十二の証言で、大震災の「今」を綴る。
 跡形もなく流され、あるいはがれきに埋まった無残な町は、しかし、紛れもなく私たちの町であり、ふるさとである。
 立ち上がり、いつか復活を果たしたい。心の拠り所のふるさとを再建したい。悲しみに満ちたこの記憶が、次代の防災の一助になれば幸いである。  震災で犠牲になられた方々の鎮魂を願いながら。
平成二十三年七月 三陸新報社社長 浅倉 眞理

 砂糖で煮詰めたような甘い干し柿も届いた。「北上だよりNO3」にある「この季節、葉はすべて散り、枝先にこげ茶色の曲がった莢(サヤ)がぶら下がっていて、風が吹くたびカシャカシャと音を立てます」という「サイカチ」の莢も入っていた。手にとって振ったらカシャカシャと鳴った。

写真とイラストマップのコラボ
【No.1011】 2012年02月10日

 明日から秦野市桜土手古墳展示館で「大山みち写真展」が始まる。その会場にまほら秦野みちしるべの会の「大山道・イラストマップ」を展示させてもらうことになった。それでその作業を午後2時から行なった。

☆大山みち写真展の紹介。「平成の大山街道」とサブタイトルがあるように、秦野市、厚木市、伊勢原市、愛川町、清川村の“今の大山道”を撮った写真展。主催は広域行政連絡会。
 会 場 秦野市桜土手古墳展示館
 日 時 2月11日(土)〜19日(日)8:30〜17:15
 すばらしい写真をまほらの会のイラストマップに重ね、鑑賞してください。

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