- 寺 山 だ よ り -

夏休みは終り
【No.888】 2010年09月01日

2010年8月31日
・8月24日の壁新聞講座に体調不良で参加できなかったお母さんから「新聞、今できあがりました」と電話。当日「レイアウトの仕方」を電話で質問してくれたTさん。

・7月31日に訪ねてきたAさん母子(小6・女子)が来る。「市内の文化財や史跡巡り」のこの夏の予定は完遂したとの報告。宿題は終わったか、と聞いたら「あとは作品に名前を書くだけ」、そして「これから髪を切りに行く。修学旅行がすぐだから」とにっこり。

・『エコー』の読者のTさん母子(中2・女子)が近況報告に。背丈はお母さんを超えている。制服を着ていた。30日から授業は始まったのだそうな。吹奏楽部でがんばっているらしい。

・夕方、隣りのS家のお嫁さんがお赤飯を持って来てくれた。「何かあるとお母さんが炊いてくれるんです。『明日から学校だから』と夕飯にみんなで食べます。子供たち、元気で夏休みを終えました」。

・岩手・北上市のWさんからフアックス。北上での大会がご縁でWさんが関わっているPTA広報をクリニックした。そのお礼状。そのたよりの中にこんな一文があった「クリニックの中身を拝見し更に興奮致しました」。

・『まほらの会』のUさんが、大根地区を歩いたエッセイをメールで送ってきてくれた。Uさんは“心で風景を見る”人だ。
 添え書きもあった。「まだまだ残暑は続くようです。明日から中学では体育祭の練習が始まります。考えただけでも大変そうで、あと二週間、無事に過ごしてもらいたいと願うばかりです」

 夏休みは終り!

旧交を温め、こどもについて語りあう
【No.887】 2010年08月30日

8月27日
 全国新聞教育研究大会・秦野大会で大会速報を担当したお母さんたちの会。5年前から毎年この時期に集り、旧交を温めている。今年は10名の参加。今年の北上大会の速報を眺めながら、5年前の自分たちの活動の思い出を懐かしく語り合った。秦野大会の速報は、大会史に記録されるほどの完成度の高いものだった。

8月28日
 東中学校に在籍した校長・教頭、PTA会長・情報委員で構成されている東会。今年も、現校長先生、教頭先生、PTA会長さんを囲んで、教育懇談会が開かれた。参加者は21名。

新聞の秋 スタート
【No.886】 2010年08月25日

8月24日
 「夏休みの思い出を壁新聞に」の講座第2日目。子供11人と保護者9人で、お父さんも一人来てくれた。『編集後記』だけは今日ここで書くことにしてある。「ナス新聞」とか「新聞の新聞」など、自由研究としても立派な内容のものも出来た。都合で今日からスタートという子も2人いたが、レイアウトまで終わった。夏休みの作品展には間に合うだろう。
 体調不良で参加できない子のお母さんから、電話でレイアウトの仕方の質問がきた。この講座は「成功」と言っていいだろう。

8月25日
 松田町での広報クリニック。参加は小・中PTA広報委員、体協、社協、こども館、自然館などの広報担当者。町の広報の担当者も。
 今年度発行された各紙を映し出し紙面診断。1学期に3回発行のP広報もあり、どの広報も昨年度より充実している。終わってから次号へのアドバイスも。

きょうから再始動
【No.885】 2010年08月23日

8月22日
 まほら秦野みちしるべの会の月例学習会を東公民館で開いた。今回は、「矢倉沢往還と今川町のくらし」と題して前秦野市教育長の内藤美彦先生の話を聴いた。
 ていねいな資料を作ってくださり、ユーモアあふれる話も提供してもらった。何より魅力的なのは、その軽妙な語り口だった。
 今日の参加は19名、会員が12名、お客様5名で内2名ははるばる東京の世田谷からの参加。雑誌『KAZESAYAGE』の編集部からの紹介だった。
 会の公式ホームページのお披露目もした。

「炎暑」「延暑」だが、きょうから私も再始動。今週は新聞講座が三つ。

それぞれの「あの日」八月十五日
【No.884】 2010年08月15日

 それぞれの「あの日」八月十五日  田辺 彬
 今朝の『NHK俳句』の第一席の作品である。  

妻の「あの日」
 わが家は村の駐在所の巡査だった。あの日の玉音放送はざーざーというような音が混じっていてよく聞こえなかった。放送を聴いた父は、庭に飛び出し「負けたんだ、負けたんだ」と悔しがっていた。なぜか庭で育てていたキユウリもぎ取り、ガリガリとかじっていた。
 その日から何日たったのかわからないが、ある日進駐軍がジープでやってきた。兵隊さんは父にタバコを勧めた。煙草は吸わない父が、親指と人差し指で煙草を掴んだ。そのときの父の顔、そしてその手つきが今もありありとめに浮かぶ。
 ある日、学校から帰ったら居間に一人の男の人がいた。軍服を着ていた。それが復員してきた私の兄だった。兄の顔を見たのはそのとき初めてだった。

第53回全国新聞教育研究大会に参加した秦野の4人のお母さんたち
【No.883】 2010年08月06日

 第53回全国新聞教育研究大会が開かれた岩手・北上市の8月4・5日は猛暑日。第1日の参加者は400名を超え、まさに熱い大会になった。
 PTA広報講座も席が足りず《立ち見》も。私のボルテージも上がったのは言うまでもない。
 2日目の研究発表分科会・PTA広報分科会には、地元岩手の一関・千厩小、秦野・渋沢小と本町小の3広報委員会が招かれ、3紙3様、それぞれの視点にたった実践発表をした。
 渋沢小の多田亜希子さん、米谷知子さんはプロジェクターを使いながら話した。本町小の横溝夕紀子さん、近藤真由美さんはパソコンを持ち込み、パワーポイントで発表。秦野のPTA広報の充実ぶりを全国の参加者に紹介してくれた。会が終わってから質問や賞賛の言葉をたくさんもらっていた4人。お陰で予約していたタクシーを他の人に乗られてしまうというハプニングも。
 発表の素晴らしさもさることながら、この4人のお母さんたちの行動力に私は圧倒された。渋沢小は夜行バスで北上入り、本町小は日帰りの強行軍だった。広報づくりが好き、作った紙面に誇りを持っている4人は「結婚してから友達と旅に出たのは今回が初めて」と笑っていた。この明るさが行動力の源、と思った。


酒匂川の鮎
【No.882】 2010年08月02日

8月1日
 午前中3時間、畑の草取り。広さは十坪ほどだが、数日前の雨で見事に成長。カヤツリクサ、スベリヒユ、イヌビユ、ハキダメギク、メヒシバ。特にスベリヒユの繁殖力はすごい。カヤツリグサが今は文字通り最盛期? ハキダメギクはやや下火。
 【まほらの会】の横山さんが風人社の『KAZESAYAGE』の第6号を持って来てくれた。6月19日の【まほらの会】の例会が掲載されている。
 午後、今月のホームページの更新。『秦野のおはなし』に【まほら秦野みちしるべの会】のブログをリンクした。公式ブログなので、一ページずつ書き足していくことになる。
 夕食、Nさんからいただいた酒匂川の鮎でビール。きょうもいい日。

きょうで7月は終り
【No.881】 2010年07月31日

 所属している秦野ゆとりの会の『行灯作りのアサガオ展』が、きょうから東公民館で。三日前に5つほど咲いた鉢も、今朝は1つしか咲かない(自然は思うようにはならない)。葉は立派なのでそれを持っていく。会が指導した市民の作品も持ち込まれた。私のものより見事なものばかり。川原のヒルガオを鉢で仕立てたものがあった。薄桃の花がたくさん付いていて、目を引いた。玄関に並べられた40数鉢は彩りも鮮やかで、来館者がケータイで撮っている姿も見られた。
 午後1時過ぎ、Aさん母子(小6)の突然の来訪。昨年から始めた『家族の夏休みの課題』で、市内の文化財や史跡を巡り、写真を撮って楽しんでいる。きょうは東地区を歩いているが「東雲小学校跡」「市内最古の大山道の道標」「市内最古の地神塔」が見つからないので、わが家に立ち寄ったのだ。「まほら秦野みちしるべの会」のイラストマップでその地を確認してもらった。1時間ほど“涼み”、マップを手に元気に出かけていった。
 庭の百日紅が赤く燃え上がっている。その脇で、初夏の頃剪定したフジが紫の房を数本付けた。二階からその二色の競い合いを眺めると、清涼感さえ感じる。きょうで7月は終り。


今日の“生きることのまばゆさ”
【No.880】 2010年07月29日

 暑さのせいかもしれない、ナデシコの育ちがあまりよくない。それでも蕾らしきものはいくつか付き、その一つは淡いピンクが見え始めた。 
 ナデシコの株は6、まだ10aにも満たないものもある。周りが芝や雑草で固められているからだ。それを取り除くのが今日の最初の仕事。ついでに芝を刈る。
 次の仕事は、裏の梅林に絡みついたヤブカラシやヤマイモの弦を伐ること。風通しが悪いし、蚊の発生につながっている。終わって生え変わったモチノキの葉を掃き集める。ゴミ袋一袋。この三つの作業で午前中3時間を使う。
 午後1時過ぎに銀行に生活費を下ろしに行く。ガラガラ。待ち時間はほとんどなし。帰ってきてから昼寝?
 4時過ぎ台所に立つ。夕食はウドン。退職直後は手打ちでソバを作ったが今は乾麺。麺類が食べたいときは自分ですべてする。誰にも手伝わせない。手伝い手がいない? 汁を自分の味(言うところの“お袋の味”)にしたいから。今日の具はナス、タマネギ―これは自家製、それに豚肉、ミョウガ。もしこれに里芋を入れればケンチン汁。台所で一汗かき、庭に出た。ようやくアブラゼミの鳴き声をサクラの木から聞く。
 これが、今日の“生きることのまばゆさ”。忘れていた、広報クリニックを2紙した。

壁新聞づくりにお父さんも
【No.879】 2010年07月27日

「夏休みの思い出を壁新聞に」の講座を東公民館で開く。参加者は22名。そのうち大人が7名でお父さんも一人。「妻が申し込んだのに、今日が休みと分ったら私に行けと」とお父さん。二人の女の子がお父さんと一緒で楽しそうだった。帰り際に「良い新聞を待っています」と声をかけたら、「がんばります」とにっこり。
きょうの講座で、次回8月24日までの「新聞づくりの工程表」を渡した。
たぶん楽しい、キレイな新聞が出来上がるだろう。

 異常気候だ。こんなに盛夏なのに、ニイニイゼミとヒグラシは鳴いているのに、まだアブラゼミの鳴き声が聞かれない。

炎暑の中 東京へ
【No.878】 2010年07月25日

7月24日
 午後1時半から中野区のPTA広報クリニックへ。
 今日はこんな話から始めた。「PTAは子育てを一緒にする会。だからPTA広報は子育てを支えるためのものになりたい、と5月の講座で話しました。でも『子育てに休みは無い』とは言え、土曜日のこの時間、この暑さの中、それぞれの時間を持ち寄って集って来られた皆さん。その姿勢にPTA活動の健全さを見ることができます。嬉しいです」
 1学期に発行された広報紙を1紙ずつスクリーンに映し、読後感を述べるのだが、基本は《褒める》こと。事前に読ませてもらっているので、優れている点、研究して欲しいことを箇条書きにし『お土産』として渡す。これはたいへん喜ばれた。
 今日は中学校の会で11校の参加。終わってからの相談が4校。6時半に帰宅。炎暑、人波も味わい、充実感を得た一日。

ミニデイサービスに招かれて
【No.877】 2010年07月21日

 7月17日にアップした「日記」のページの日付が間違っている、とメールで指摘された。まだ7月なのに「8月」と書いていた。ありがたいことだ。
 10時15分から、ミニデイサービスを受けている30人ほどの皆さんに「名字」の話をした。《薬袋》と書いて《みない》と読ませるという名字や、《空》と書いて《きのした》と読ませる名字があることなどを紹介した。けっこう好評だった。
 午後の部はカラオケ、それにも参加を求められ、いい気になって一曲歌う。熟女の皆さん(教え子のお母さんがほとんどなので)の拍手に声が震えた。歌ったのは「江差、追分、風の街」。 

送り火
【No.876】 2010年07月17日

7月16日
 きょうはお精霊さま(オショロさん)がお帰りになる日。2時に送り火を焚いた。こんな明るいうちにお送りをするには、よんどころない事情があるからだ。
 30年くらい前までは、盆棚に供えた物(ナスの牛、キュウリの馬、花など)は、近くの小川に流した。だが、それは環境汚染。今年はゴミ集積所に2時半までに持っていくことになっている。そこに出された物は自治会とお寺の役員さんによって円通寺に集められ、お経を上げてもらい、市の焼却炉に運ばれる。
 この方式になった初めのころは、「もう少し居たいよ」とお精霊さまはご不満だったろうが、今では許してくださっていると思う。牛の背にまたがり、「また来年」と振り返りながら、ゆっくりゆっくりお帰りになったはず。
 お精霊さまが帰られたので、相談室の中を夏座敷に変えた。
 夕方、隣りの朋子さんが赤ちゃんを連れて挨拶に来た。岩手に嫁いではじめての里帰り。「新聞大会で北上に行く」と言ったら「わたしは8月いっぱい実家にいます」とのこと。

「迎え火」の日
【No.875】 2010年07月14日

7月13日 
 《ツジ》を作るための竹を取って帰ってきて、左の手袋を脱いだらヤマヒル。
 梅雨の終りの頃の特徴である「降ったり、止んだり」のなか、午前中掛けてツジを作った。
 午後は先ず、ナス、キュウリ、トマト、カボチャを畑から採った。次は《盆棚》作り。ご本尊、位牌を仏壇から盆棚に移し、祀る。盆提灯を2セット組み立てる。キュウリで《馬》、ナスで《牛》を作り、棚に飾る。
 続いてウドンを茹でる。このウドンは馬と牛の手綱。ツジまで帰ってきたご先祖様は、手綱が無ければ馬に乗れない。ツジから家の中の盆棚までは馬に乗って入るのだから。
 4時半、ツジの入口に馬と牛を置き《迎え火》を焚く。これでご先祖様は無事にご帰還。迎え火の今日はもう一つ大事なことをしなければならない。隣組6軒のツジを回りお線香を上げること。
 わが家のツジに「お線香上げさせてください」と言って、S家の親子三代・4人がお参りに来てしてくれた。中1の男の子も一緒だった。5時半過ぎ、T家の中2の女の子が、短パン、ティーシャツで走ってきて線香を上げてくれた。部活からて帰って、そのままきてくれたのだろう。
 『家・家族』が健在、そう思わせる子供たちだった。

山百合 開く
【No.874】 2010年07月09日

7月8日
 陽光は朝から“夏バージョン”。父が育てた庭の山百合の開花。今年は一本の茎に着く花は5つが最高。数年前に10ほどの花が茎があったが、突然変異と言われた。
 山百合は花の大きさに対して茎があまりにも細い。それでいてそう簡単には折れない。その花を近寄って眺めると豪華、ダイナミック過ぎる感も。
 山百合の匂いは濃い。いつだったか「盆棚」に山百合を盆棚に飾ったら、妻の表情が曇ったことがあった。今はゴルフ場になっているが、その地は50年くらい前までは共有林だった。その共有林の下草刈りの作業が今ごろの行なわれた。刈り進む草むらに山百合がたくさん自生していた。慣れない鎌さばきで急斜面を刈り進むと、雌しべの赤紫、雌しべの濃いオレンジの花粉が否応なしに作業着に付く。この色素は洗ってもなかなか消えなかった。
 山百合は夏の野山にふさわしい花。

七夕前夜祭 『銀色の道』
【No.873】 2010年07月08日

7月6日 
 秦野市制50周年記念の「市民が作る広報はだの」を発行したメンバーが一年に一度、七夕の前夜集る会「夢進会」。第6回の今年は10名が集った。今回は当時の市長だった二宮忠夫さんにも加わってもらった。
当時中学生だったた4人は全員が大学生。目指す世界の中でたくましく生きていることを知った。当夜、参加した教師3年目の鎮西さんは中学生のころから新聞づくりにその力を発揮していた。その彼女が昨年度発行した学級通信が「第6回プリントコミュニケーションコンクール」で新人賞に選ばれた。「広報はだの」を一緒に作った仲間として最高の喜び。
「夢進会」というネーミングは、それぞれが自分の夢を実現するために一年間がんばり、その結果を報告するための会から生まれた。私は『エコー』が26年目に入ったことを報告した。
 お開きの合唱は『銀色の道』。渋い歌、意味ありげな歌、激励の歌(誰の?)。

秦野のPTA広報づくりの実力
【No.872】 2010年07月06日

 秦野市P連情報委員会が、東公民館を借りて開いた「新聞の編集ソフト実習講座」。午前の「初心者コース」に60人余、午後の「スキル・アップコース」は15人。これは予想をはるかに超える人数。秦野のPTA広報づくりへの関心の高さ、そして情熱を表している。特に午後の講座では、ソフトそのものヘの注文もいくつか出るなど、レベルの高さが感じられた。
 市内22校で発行されているPTA広報の大半は新聞編集ソフトを使ってのもの。この日発行された「はだの市P連だより」も同じだ。
 各校とも広報委員は毎年《総取替え》が現実。それでも毎年進化していくPTA広報は、今日参加したようなお母さんたちのがんばりによる。この日の研修がしっかり次号に活かされる。

東中の大イチョウ
【No.871】 2010年07月03日

 7月1日に届いた2通のたより

その1 『東中だより』(秦野市立東中学校:7月1日発行)
「あれから6ケ月 たくましく育ってます 
 昨年の12月にグランド東側から幼稚園側へと引越しをして6ケ月が経過した銀杏の木は、数々の細い枝に緑の葉をつけて、東中のシンボルとしてたくましく生き続けています。グランド整備工事に伴い伐採の危機を乗り越え、さらに枝を切り落とされ、背を低くしての移植という作業にもかかわらず5月には新たな芽吹き、緑の葉が日々に濃くなり、しっかりと根付いたことを実感させます。時を同じくして、強風により倒れた鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が古い根からたくさんの芽を吹き出したたくましさに、東中の銀杏も負けていませんでした。これまでに多くの卒業生、東中生の活動を見守ってきたこの大銀杏は、東中のシンポルとして『命の大切さ』『たくましく生きること』を生徒に訴えかけているようです。」

その2 東中での教え子・O先生から
「東中の大イチョウが芽吹いたことは本当に素晴らしいと思います。私に力をくれたような気がします。学校では今、一年生が育てているアサガオが咲き始めました。」

新聞講座 とりあえずきょうで締め 
【No.870】 2010年06月26日

6月24日
 4月16日からスタートした広報・新聞づくりの講座は、この日の相模原・橋本公民館での講座でとりあえず一段落。
 きょうの講座は講義1時間の後、3校ずつのグループによる紙面クリニック。講義では、1「子育てを一緒にしましょう」を支える広報づくりを。2広報づくりを楽しんじゃいましょう。この二つに力点を置いた。
 クリニックは、年度第一号は発行済み、校正を終えて印刷中、これから編集というような3校が同席というグループもあった。次号に活かすことができるアドバイスを心がけた。
 終わってから、参加者の感想文を読ませてもらった。おおむね好評。「楽しかった」という言葉があった。楽しかったことが広報発行への意欲につながるとしたら嬉しい。「広報、出来たら送ります。いっぱい《赤》を入れてください。期待しています」と元気よく帰って行ったグループもあった。

6月25日
 6月1日のこの日記にビールを買いに行ったことを書いている。その日からきょう・26日目でビールが切れた。コンスタントに1日1本ずつ開栓していることになる。(これは私の健康度のバロメーター)
 きょうは財布の中はしっかり確認していつもの酒店に。「日本が勝ったから」とワールドカップの応援タオルマフラーをもらった。(キリンは買わないのに…)
 夕方、畑で草取りをしていたら、小学校の校庭でサッカーに打ち興じている子供たちの甲高い声。「ボクにキーパーやらせて」「ペナルティーだかフリーキックだ」と、今暁のサムライジャパンの快挙を、興奮気味に再現している子供たち。子どもは素直、おおらかだ。
 「子どもたちよ、子ども時代をしっかり楽しんでください。大人になってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代のあなたです」 石井桃子(児童文学作家)

広報委員の洗礼
【No.869】 2010年06月19日

6月18日
「午後からは雨」の予報なので8地から畑の周りの草刈り。きょうの刈り払い機は絶好調! 思ったとおりの作業ができた。
 昼食後、雨の中を竹の子を採りに行く。小鹿が一匹、数メートル先から飛び出した。猪はいないだろうが、用心のため枯れ竹を無理に踏み砕いて音をたてながら奥に入る。収穫は十分。
  
 荒川区教委に昨日発送したP広報32紙の紙面診断のお礼のメールが入った。各校に直ちに送付したとのこと。少しでも役立てばうれしい。
 
 きょうもP広報紙2紙が届いた。『おおぞら』は年度第2号で10ページという充実ぶり。その紙面に《PTAだいありー》というコラムがあり、こんなことが書かれていた。
 「広報紙作り講習会」今年は130名ほどの参加。PTA広報の在り方から具体的な紙面づくりまで、講師武勝美先生に一挙2時間叩き込んでもらいます。私はこれを『広報委員の洗礼』と呼んでいます。広報委員長

『栗花落』
【No.868】 2010年06月15日

6月14日
 栗の花の匂いの季も終わり、きょう関東地方も梅雨入り。『栗花落』と書いて「ついり・つゆり」と読ませる名字がある。「梅雨入り」はちょうど栗の花が落ちるころにあたるから。
 いかにも梅雨という降り方の雨の中、アサガオとユウガオの苗を鉢に植えた。いずれも「ゆとりの会」の会員からもらったもの。今年はなぜか、自分で蒔いたものの発芽はゼロに近かった。
 合わせて30本ほどを《行灯仕立て》し、残った数本は路地植えに。垣根も作った。一日掛かりの作業。
 夜、カメルーン戦を観戦、だが昼間の疲れでうたた寝。お隣りのE家からの「ワッ」という歓声で目覚め、本田のゴールを知る。

6月13日
 「まほら秦野みちしるべの会」の6月学習会を東公民館で。会員の出席は12名、それに『KAZESAYAGE』(風人社)の編集者・Kさんが取材を兼ねて特別参加。鶴巻、大根地区のマップの校正をし、その後本町地区の地名について私の講義。正味2時間30分の勉強会。

6月12日
 公民館で地域の人を募っての『アサガオの行灯仕立て』の講座。私も加わっている「ゆとりの会」の主催なので出かけていく。

きょうも支えられて
【No.867】 2010年06月11日

 6月5日、東京の毎日ホールで「初歩から始めるPTA広報紙づくり」講座。福島からの参加も。茨城からの二人・FさんKさんは、昨年に引き続きの参加。6月7日は市内本町中学校での学級新聞づくりの講習会、80余の生徒が聴いてくれた。講座の後、校長室で雑談をしていたら、講座を聴いてくれたH先生が感想を書いて持ってきてくれた。
 そして昨日・6月10日、渋谷区教育委員会の事業のPTA広報づくり講座。この講座では思いがけないことに遭遇。主催者として挨拶された生涯学習課長さんは秦野市在住。しかも「子ども三人は鶴巻中にお世話になりました」。年齢的には私が鶴巻中に在職していた時期と年齢的に合うお子さんもいる。2時間の講座に最後まで付き合ってくださった。
 私のボルテージが上がったことは言うまでもない。私の目の前に坐った人は5日の毎日の講座にも出てきた人。これもまた、私を元気付けてくれた。
 

竹の子
【No.866】 2010年06月07日

6月6日
「そろそろ」だろうと竹の子を採りに行った。20aほどの長さのもの、二本しか見つからなかった。竹は密生すると倒れ易い。「傘を差して歩けるほど」に手入れをされた竹薮でないと竹の子はあまり出ない。それに、ウチの竹林は川沿い、大風のときは《風の道》になる。それで倒れている竹が多い。
 二本ばかりの収穫では帰れない。倒れて枯れた竹の整理をすることにした。横たわった竹をバリバリを踏み破る。けっこう快感! 川向こうの家の犬が激しく鳴く。この季節、ここには鹿がやってくる。そして、地面に顔を出したばかりの竹の子の穂先を食べてしまう。近くで犬が吠えると鹿が近づくことが減る。その効果をねらってバリバリと私は竹を踏み砕く。
 昼食のテーブルに竹の子が登場。間もなく梅雨入り、“雨後の竹の子”を待つことにしよう。

幼・小・中のPTA広報づくり講座
【No.865】 2010年06月03日

 渋沢幼・小・中のPTA広報委員会が、合同で広報づくりの研修会を開いた。「幼・小・中の連携」のための会でもある。それに市内3校(小2、中1校)の広報委員会も特別参加。50名ほどの参加者。
 午後4時頃こんなメールが入った。
「先程渋沢で行われた新聞講習会に参加した者です。7日発行の私たちの広報紙にもアドバイスいただきました。ありがとうございました。次号にむけて10日に編集会議が開かれる予定です。昨年まで読者だった私は、学校行事より特集記事に目がいくタイプでした。作る側になった今も、今までにない読者の気をひく記事を書きたいと思います。PTA広報紙という性格上、題材を選びながらも読んで感想を言ってもらえるような新聞が作りたいです。読んでいただいているとおり作文も下手。広報紙がなんであるかも解っていないような私ですが、新聞を作っているときは楽しいです。ご相談にあがる時があるかもしれません。その時はよろしくお願いします。梢」
 陽射しはすっかり《夏》だったが、湿気はなく爽やかな一日だった。

夏来る
【No.864】 2010年06月01日

 Yさんが持って来てくれたネギの苗(植え方まで着いている)を植える。下仁田ネギと九条ネギである。下仁田ネギは普通の植え方でいいとのこと。このネギは冬の鍋料理に欠かせない。九条ネギは20aほど深く掘った畝に植えるのだそうだ。こちらは葉を食べるもので京野菜の流れを汲んでいる。夏を越えなければ食べられないので、草退治が大仕事になるだろう。
 N小P広報の二人が広報を持ってくる。「イイ出来、言うことない」とほめた。仕事を持ちながらの広報づくりは物理的にもたいへん。それでもこうして広報をつくるがんばりに頭が下がる。
「先生方が『ご苦労様です』と言ってくださるのが嬉しい」と言っていた。願わくば、「ご苦労様」だけでなく、企画や記事、写真などを具体的に褒めてくださることを。
 午後からいつもの酒屋にビールを買いに行く。支払いをしようと財布を空けたら一銭も入ってない。「先生、いつでもいいですから」とご主人が笑いながら軽トラに大瓶一ケースを積み込んでくれた。「ゴメン、できるだけ早く飲んで買いに来るから」と私。

母子で広報委員
【No.863】 2010年05月26日

 10時にS小の広報委員3人が来訪。間もなく印刷に入るのだが「表紙のレイアウトが心配で」と相談に。年度第1号、全員が初心者ということで不安は尽きないようだ。使われている写真のトリミングで表紙のイメージを変えることにする。
 相談が終わり少しの時間おしゃべり。一人の委員さんが「中2の娘が立候補でS中の広報委員になった。そのことを聞かされた時『もしかして私、小学校の広報委員になってしまうかもしれない』と怖かった」と言う。そして、その心配は見事的中、母子で新聞づくりをすることになった。「娘は新聞づくりが好きなので、これからいろいろと教えてもらおうと思っている」と笑顔。私は、24日の月曜日そのS中学の新聞づくり講座に行っている。事前にこのことを知っていれば、娘さんと言葉を交わせたのに。何はともあれ私には嬉しい出会いである。
 午後訪ねて来たYさんから聞いた話。小2のお子さんのクラスの懇談会の出席者は28名。これほど参加者が多い理由の一つは、先生の書く週刊の学級通信にあるらしい。「先生のそんながんばりに保護者も応えなければ」と話すYさんは瞳は輝いていた。

二人のお陰で“満点”
【No.862】 2010年05月23日

2010年5月22日 
 講座が終えたのは3時半過ぎ。それからいつものように相談を受けた。2校だけだったが、私が会場を離れたのは4時15分ころだった。
 講座が開かれた建物はストリートダンスの練習場として有名らしい。20人ほどの若者が大きな窓ガラスに全身を写し、軽やかなステップに身を任せていた。
 立ち止まって眺めるほどの時間(実は《勇気》)はなかったが、彼らの後ろ姿に目をやりながら建物の一角を曲がり通りに出た。
 歩道を背にした位置で、建物の壁に一枚の紙を広げている二人の女性が目に入った。見た顔だった。数分前に相談を受けた『W』の二人だった。近寄ってみると、壁に広げられていたのは私がアドバイスした紙面だった。その紙面になにやら書き込みをしている。
「がんばってますね。編集会議ですか」と声をかけた私に、振り向いた二人は驚き、少し恥ずかしそうな笑顔。そしてこんなことを言った。
 「さっき先生からいただいたヒントを、忘れないうちに書き留めておこうとして。聞いたことを整理して紙面に書き込んでいるんです。余韻の残っているうちに…」。
 二人と別れ駅までは7分の道のり。一車線の一方通行の道で行きかう人たちになぜか親近感を覚えたのだった。きょうの講座は、この二人のお陰で“満点”。

支えられている私
【No.861】 2010年05月22日

「『エコー』の創刊記念日にアクセス160,000突破、おめでとうございます。今日はお祝いですね」こんなメールがA.Aさんから届いた。他にも『エコー』発行26年を祝う言葉を5人の方からメールでいただいた。「支えられている」とかみ締める。
 きょうの午後は東京でPTA広報講座。3回シリーズの初日。土曜の午後、広報づくりを学ぼうとするお父さん・お母さんたちを精一杯応援したい。

『ECHO』 26年目に入りました
【No.860】 2010年05月20日

 印刷版『ECHO』の創刊は1985年5月20日。だからきょう発行の273号から26年目に入る。
 25年を経たのだから本来なら301号でなければならない。だがいろいろあって273号である。あいまいな生き方をしている私だからなかなか終りにできない。26年目に入った今もまた、「もう少し行ってみるか」と優柔不断である。

毎日新聞・千葉版に
【No.859】 2010年05月17日

 きのう、市川市のSさんから速達で5月15日の毎日新聞の朝刊が届いた。千葉版に私の記事が載っているからだ。
 14日に柏市P連から招かれ「PTA広報作り講座」を行なった。それを毎日新聞が取材してくれた。2段見出しで写真付き、3段50行の扱い。6月5日の毎日ホールでの「初歩から始めるPTA広報紙づくり講座」の紹介もされている。
 この日の講座は61校から300名ほどの参加。9時20分スタートの講座なので、私は前日に柏市に入っている。今年で5年目。どの会場でも見られる光景だが、閉会後会場内のあちこちで、急遽広報委員会が開かれていた。ロビーに展示された前年度発行のP広報展にも大勢が。

秦野のPTA広報技術講習会
【No.858】 2010年05月12日

5月10日
 秦野市P連の「広報技術講習会」。会場は市文化会館。参加者は130名ほどか。2時間の講座。テキストを準備してもらっているが、すべてを話すことははできない。この日は「できれば避けたいこんな広報」の説明は省いた。秦野のPTA広報は「できれば避けたい」などと指摘しておきたいような類のものはないからだ。
 講座の後、S中の情報委員さんが「お久しぶりです」と挨拶にみえた。どこかで《見た顔》…名札に「K」とあった。中2の時担任したT.Kさんだった。ガリ版で週刊学級新聞を発行した時代の生徒。
 帰宅して当時の学級通信の綴りを取り出した。表紙にはクラス全員の似顔絵が描いてある。先ほど会ったT.Kさんの面影がその似顔絵と重なった。似ている!(当たり前) 変わっていない! 今年一年、彼女は『市P連だより』をつくる。
 夜、こんなメールが届いた。
《今日は、ありがとうございました。一年ぶりに聞く、先生の講習は何度聞いても新しい発見があり、また広報を作りたくなってしまうという麻薬のような効果を持っているようです。(笑)「中学に子どもが入ったら、今日集ったメンバーで、もう一度広報を」「このメンバーで出来るのは、何年先?」「う〜ん5年後かぁ(笑)」「それも下の子が中学に上がったら」、なんてかなり先の話をしましたが、現実にそうなる可能性もありますね。その時まで、これからも先生の講習会に参加させていただけたら、と思っています。AKI》
AKIさんは今年は広報委員ではない。昨年の仲間4人と応援に来てくれたのだ。

大型連休の〆はラーメン
【No.857】 2010年05月05日

5月1日
 9時過ぎにJAの「しばさんず」に。たいへんな人出。野菜はともかく、野菜苗のレジの混みようはすごい。40人ほどの行列が途絶えない。そのつもりで行ったのだがヤメた。午後は『ECHO』273号の制作。創刊26年を迎える号。それらしい紙面にしたつもりだが。「継続は力」と言うが、私の場合は「継続は惰性」かもしれない。『丹沢の風』と『ほんちょうの森』の年度第1号が届く。見事! 天晴れ! 言うこと無し!。妻、庭の蕗を抜いて「きゃらぶき」を作る。これもわが家のこの時期の伝統行事。バアチャン伝授の濃い味。日本酒の肴に合う。
5月2日
 ナス、トマト、キュウリ、カボチャの苗を買ってくる。これでようやく畑に入れる。畦の草を刈ってから植え付け。里芋も再度植える。午前8時から午後3時まで働く。「健康に感謝」などとは思わないが、とにかく太陽の下、土に立つのは好きだ。
5月3日
 。「なぜこんなことをしているのだろう」と思いながら『ECHO』273号完成。HPも更新。昨日の疲れが足にきた。
5月4日
 アサガオとユウガオを蒔く。少し遅いかもしれないが、土をしっかり作ったからなんとかなるだろう。Yさんの絵を見に行く。帰りにキヌサヤをたくさんもらった。
5月5日
 2日に刈った草を燃やしながら、スギナ退治。シャベルを使って徹底的に根を掘り出した。本数で言えば1000本くらいになるだろう。
 「日本三鳴鳥」のオオルリとウグイスの競演がわが家の裏の木立で。寺山に住んでいる者の“特権”。この連休のまとめ?として、昼にラーメンを食べに出かける。妻はチャーハン。

4月は終り
【No.856】 2010年04月29日

 昨日は東中学校での新聞づくりの講座。対象は1年生3クラスの新聞係りと生徒会の広報委員で40名ほど。3時15分から4時35分まで、“おたがい?”にがんばった。新聞づくりが伝統の東中学校、「東中新聞」は新年度になって既に4号を発行されていた。
 今週は荒川区、大井町、そして東中と回った。これで4月の講座は終り。5月6日が再スタートの日。この連休中は畑仕事で英気を養っておこう。

川奈ゴルフ場の《さくら》
【No.855】 2010年04月25日

4月23日
 冷たい雨の久遠寺の境内は人影もまばら。本堂の畳に正座し黙想している3人の姿に、こちらも居住まいを正した。五重塔の脇の満開の赤いシャクナゲが雨を受けて重たく咲いていた。下山の途中、樋之澤坊を訪ねM家の墓参りをする。富士宮の富士山本宮浅間大社を参拝、やきそばが昼食。

4月24日
 川奈ホテルゴルフ場に《さくら》を観に行く。
 「この時期にさくらなんて」と笑われそうだが、さくらはさくらでも「横峯さくら」。 
  寺山にもゴルフ場はあるのだが、生まれて初めてゴルフ場の芝の上を歩いた。ここでは今日が決勝ラウンドになるフジサンケイレディスクラシック大会が開かれている。生涯、ゴルフをすることは無いのは確かだが、観客にはなった。
 1番のコースの100ヤード付近と4番のグリーン、そして5番のティーインググラウンドと動き回り、不動、諸見里、馬場、宮里、古閑選手などを見る。多くのギャラリー・おじさん・を引き連れ、回っていたのは、横峯さくら、申ジエ、飯島茜。この日の入場者は何人くらいなのか全く想像できないが、とにかく人は集っている。スタート脇の露店風の食べ物屋は満席。ときどき雨がぱらつくというのに、ビールを飲みフランクフルトを食べる。PTAバザーの会場みたいな雰囲気。おじさん・おばさんが主役だが。 
 ゴルフそのものの感想。グリーンの勝負を見るのは楽しめる。女子でもボールは飛ぶ。どの選手もティーのスイングはきれいだ。

毎日新聞社で「PTA広報紙の講習会」
【No.854】 2010年04月21日

 今朝の毎日新聞に「PTA広報紙の講習会参加者募集」の社告が出た。その講座の講師を昨年に引き続き務めることになっている。
 日時は6月5日(土)am11:00から。会場は毎日新聞東京本社の毎日ホール。興味のある方はどうぞご参加を。 
 問い合わせは、毎日新聞社こども環境文化研究所・電話03-3212-0267

 先週からスタートしたPTA広報作りの講座、今日で5会場が終わる。明日は6時半のバスで文京シビックセンターへ。

廣子の声が聞こえてくる…
【No.853】 2010年04月17日

 昨年11年24日のこの日記にも書いたが、還暦を祝って開かれた旧3年C組のクラス会に招かれた。昔のままの、明るい廣子に会えた。それなのに12月7日、彼女は帰らぬ人になってしまった。
 きょう、彼女と仲良しだったチャコと妙ちゃんから連絡をもらい、一緒に彼女に会いに行った。乳癌だったとのこと。クラス会には痛み止めの薬を飲んで参加したのだそうだ。二次会で私の隣にずっと坐っていて、中学時代の話をいっぱいしてくれた。今思えば、それは彼女の別れの挨拶だったのかもしれない。
 線香を手向けながら「『来てくれたの』って、廣子の声が聞こえてくる…」と二人。三人で、大きな声で彼女のエピソードを話した。

秦野のPTA広報紙展示会に川崎、伊勢原、真鶴から
【No.852】 2010年04月15日

 3月17日から3月30日まで開催された秦野市PTA広報紙展示会の会場に、参観者用の感想ノートが置かれていた。そのノートを見せてもらった。
 13人がその感想を書いている。市内の人の声のほかに、川崎市、伊勢原市、真鶴町から足を運んでくれた人たち(いずれも広報委員)がいた。神奈川新聞の記事を読み、わざわざ来秦してくれたのだ。その熱意だけでも嬉しいのに、「秦野市のPTA広報が常に全国のトップでいるという由縁を知りました」と500文字ほどの感想を書いてくれた。展示した各単P広報委員会はいうまでもなく、主催の市P連にとっても望外の喜びだった。
 明日から今年度の広報づくり講座の行脚が始まる。きょう「広報委員になって困っていること」というアンケートのまとめが市P連の情報委員会から届いた。その悩みや不安を少しでも解消できるような話をしたい。 

鹿島神社の大祭
【No.851】 2010年04月12日

 きのうは寺山の鹿島神社の大祭。お客を4人迎えるので、いつもの通り太巻き寿司を巻く。炊いたご飯は一升だから、9時から始めて一時間半かかった。
 わが家の正月2日の「お年始」と今日の「お祭り」の祝宴は、私の太巻き寿司がメインディシュ。かれこれ20年くらい巻いているので、形はかなりよく出来たと思っていたが、包丁の切れが悪く崩れた。
 子供の御輿が庭に入ってきて《差し上げ》をしてくれた。

雨の入学式
【No.850】 2010年04月05日

 今日は入学式なのに雨。桜は今満開なのに雨。
 白のハイソックスの男の子が水溜りを除けながら校舎に向う姿が、わが家の二階の窓から見えた。「どんな先生、どんな仲間か」と、不安と期待を胸に雨の中を歩いているのだろう。後には若いお父さんお母さん、そしてお婆ちゃんと思われる人の姿も。
 気分が高揚しているのだろう、まだ雨は降り続いているのに傘をささずに歩いて帰る女の子がいた。いい入学式だったのだろう。

 

さくら
【No.849】 2010年04月03日

 あまり風流ではないが、朝から桜の花の下で「草取り」をしていたら、「桜、残念です」と声がかかった。。熟年のご夫婦が立ち止まり桜を見上げていた。ご主人はどこかで会った人のように思えた。
「去年の今日、お庭で桜を見ながら『お花見』の話を聞きました。それを思い出して家内を連れて来ました。枝を切ってしまわれたのですね。残念です」。
 ちょうと一年前の4月3日、「古道・大山道を歩く」の講座で坂本道を案内した。その帰りに、わが家の桜の下で『お花見』の話を聞いてもらった。その講座に参加された人だった。
 昼食の後、突然「ゴルフ場の桜を見に行ってきます」と妻はと出かけていった。寺山にあるゴルフ場に行くことは《登る》こと。海抜176bにあるわが家。ゴルフ場は544bの高取山の中腹から上にコースを持つ。そのゴルフ場の取り付け道路はこの季節《桜花のトンネル》になる。30分かけて登り、鼻歌で戻ってきた。
 さくらは不思議な花である。

『県民児協だより』
【No.848】 2010年03月27日

 神奈川県民生委員児童委員協議会は『神奈川県民児協だより』を年4回発行(発行部数5200)発行している。
 昨日、横浜の県社会福祉会館で平成22年度の『県民児協だより』担当者の研修会が開かれ、その講師を務めた。編集委員8名と県下31市町村からそれぞれ1名が参加。依頼されたテーマは「『広く伝える』広報〜民児協活動を生き生きと伝える工夫〜」。
 この『神奈川県民児協だより』は次号が101号、リニューアルを意識しての研修会だったので、短冊を使った記事の書き方、写真のキャプションの力、余白の大切さなど具体的なことを中心に1時間30分話を聞いてもらった。終わってからの質問が6。

伊勢原市PTA広報展示会
【No.847】 2010年03月25日

 伊勢原駅前のイトーヨーカドーで「伊勢原市PTA広報展示会」が開かれている(30日まで)。
 この展示会は今年が第1回、伊勢原市Pの情報委員長のMさんの強い思い入れで実現した。ディスプレイがかわいらしいので、立ち止まる人がかなりいる。秦野の3紙『しぶしょう』『ほんちょうの森』『丹沢の風』が参考・優秀紙として掲げられている。こちらにも関心が寄せられていた。相模原の橋本地区でも昨年11月初めて展示会が開かれ、関係者には好評だった。
 他紙を見ること、読むことで次への意欲が湧く。「切磋琢磨」である。

畑に出た
【No.846】 2010年03月22日

 ようやく畑に出た。“ようやく”である。タマネギのキヌサヤも秋に仕付けなかった。だから畑はぺンペン草(ナズナ)、イヌブクリやホトケノザの花が、それぞれ可憐な花を見せ合っている。だが、この三草の繁殖力はものすごい。それにも増して手を焼くのはスギナだ。耕耘機でかき回すと、スギナの根を切り細裂いてしまう。だから、一週間も経つと黄緑色の新芽が畑一面に顔を出すようになる。

 知り合いに聞くと「ジャガイモ? もう遅いよ」「四月だって平気だよ。早く芽を出すと遅霜にやられるから」とそれぞれの経験を語ってくれる。とにかく、きょうジャガイモの種を植え付けた。畑仕事は好きだ、無心でいられるから。

今、市内22校のPTA広報全紙に目を通している。1校あたり600文字程度で広報クリニックを書いている最中である。編集後記を読むと、それぞれの広報委員会の姿勢が分る。こちらもそれに応え、一生懸命講評を書く。

平成21年度秦野市PTA連絡協議会広報コンクール
【No.845】 2010年03月17日

 昨日、秦野市PTA連絡協議会の今年度の広報コンクールの審査会が開かれた。審査員はP連会長、情報委員長、教員代表の校長先生など10名。午前10時から午後3時30分まで、しっかりと読み、話し合い、入賞紙を決めた。
 総合の部の最優秀賞には、遊び心を紙面に見せながら、PTA広報の役割を貫徹していた渋沢小の『しぶしょう』が選ばれた。続いて優秀、優良、佳作の9紙を選ぶ。他に部門賞として企画、写真、レイアウト、コラムの各賞も選出。22PTAの今年度の平均発行回数は4回弱。カラー全盛時代とも言える。自校編集・自校印刷が6紙あった。
なお、このコンクールに参加した全紙が市立本町公民館の1階ロビーに展示されている。(最終日は3月27日)

昭和26年度東中学校卒業生同窓会
【No.844】 2010年03月15日

 昨日今日と箱根湯本で中学校の同窓会。平成17年からは毎年実施で、今回が13回を数える。参加者は35名と昨年より多い。 
 幹事の一人である私の役割は懇親会の司会進行係り。これも17年以降連続で務めている。この係り、外目から《主役》と見られるが、「毎年実施」で「出席者の顔ぶれがほとんど同じ」ということで、プログラムを作るのに苦心している。
 今回は「ふるさと東を思い出す」をテーマにしたクイズを楽しんでもらった。そしてイラストマップ「まほら秦野みちしるべ・東地区編3部作」をお土産にプレゼントした。女性の参加者の大半は住まいが東地区外なので、かなり興味深く見てもらえた。
 同級生123名で物故者は16名。年齢に比して生存率は高い。

広報づくりを一文字で表せば
【No.843】 2010年03月08日

 秦野市P 連情報委員会は、「P連だより」と「情報委員会だより」をそれぞれ年に2回ずつ発行している。きょうその委員会の年度の反省会が開かれた。 編集に携わった23名の委員が広報づくりについて感想を述べた。言葉を伝えることの難しさ、それゆえに言葉の大切さを実感したという内容が多かった。新聞づくりに少し開眼したという声も聞かれた。何人かが「広報づくりの一年を一文字で表すと」言って、次のような漢字を挙げた。
 学、話、和、笑、楽(しい)、会(出会い)、友、結、輪、涙、実(り)
「新聞ソフトの操作ができなくて、不安で、悲しくなって涙。今号では、こんなに立派に出来た、出来るようになったという感激の涙」と、うるうるのHさんだった。
 

まほら東
【No.842】 2010年03月05日

 3月4日 東中学校の三年生に卒業講話をした。生まれ育った東地区から新しい世界に飛び込む125名に贈る言葉を「東中学校の校歌と地名」に求めた。 校歌に詠われている「阿夫利」「波多野城」「希望の泉」「金目川」「煙草の葉」「富士」という地名の由来や事象について話した。
 ふるさと東地区・東中学校はまさに『まほら』である。そのことを心に刻んでたくましく生きていって欲しい。 

講演の感想
【No.841】 2010年03月03日

 湯河原町の家庭教育学級での私の講演についての感想が届いた。59名が書いてくれた。そのいくつかを紹介してみる。
 ( )は子どもの年齢・学年。
・子どもたちを大きく心豊かに育てるのに言葉は大切ですね。親でさえ、毎日子どもの言葉で心を育てられています。「ママ大好き」の一言で、無償の愛をささげられる言葉は、とても大切ですね。(幼稚園)
・先生が生徒に育てられたと感じているように、私も子育てをしながら母親にさせてもらっているなと感じています。先生の大切にされているオ・ア・シ・スの言葉を私も教訓にし、今日、子どもが学校から帰って来たら「おかえり」と言葉がけを実践したいと思います。(中2・中3・高2)
・自分の心に心があると再確認できました。心が震えました。毎日、生活に追われているなか、今日は心が成長した気がします。(保育園)
・言葉の大切さを改めて感じさせていただきました。学校の先生方、心から子どもたちと接してほしい、保護者全ての願いです。その先生方の意識を高めるきっかけとして、保護者から先生への感謝やねぎらいの言葉が大切ではないかと感じています。(小4・小6・高1)
・とても興味深く拝聴しました。先生の正直な体験話が心に響きました。言葉や言い方がとても大切だとは思っているものの、特に家族に対してはなかなかうまく使えていないように感じます。自分の心に正直に、また、大切だよという気持ちを伝えられるようになっていきたいと感じました。(小1・小3)



明日 2月28日
【No.840】 2010年02月27日

 昨日は東婦人会の「矢倉沢往還を歩く」の案内人を務めた。参加者は16名。「雨天中止」など全く考えていない皆さんだから、元気そのもの。降ったりやんだりの中を善波峠まで歩いた。おおよそ8000歩。昼食は山菜とキノコが売りのレストランで。フキノトウ、セリ、ノビル、ハルシメジ、シイタケなどの早春の香りをいただく。ご飯はセリの炊き込みご飯だった。デザートのイチゴは参加者の一人がプレゼントしてくれた。

 明日 2月28日(日) 『東中新聞』創刊60年900号記念回顧展
◇公開座談会 2月28日(日)午後1時半から午後3時半 東公民館2階ホール
○基調提案「東中新聞の60年を振り返つて」  武 勝美
○座談会「私と東中新聞作」 新聞作りに携わった元生徒、指導に当たった先生、さらには現役中学生に新聞作りの体験談を語ってもらいます。
 どうぞお運びください。お待ちいたしております。

第59回全国小・中学校・PTA新聞コンクール
【No.839】 2010年02月24日

 第59回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果が今朝の毎日新聞で発表された。秦野からは四部門で9紙が入賞。
 入賞紙の一覧は、リンクしている全国新聞教育研究協議会のホームページでもご覧になれます。

2月18日 湯河原町家庭教育学級
【No.838】 2010年02月19日

 きょうの天気予報は見事的中。未明から降りだした雪は朝5時には5aほどになっていた。交通機関のことも心配なので7時35分のバスで出発。秦野から湯河原までずっと雪景色。
 早川、根府川、真鶴と海岸線を走る列車の窓から見る景色は、いつもとまったく違い私を“北国を旅する心”にさせた。
 10時から湯河原町教委の家庭教育学級。会場は町役場の大会議室。保育園、幼稚園、小・中学校の保護者を対象のこの学級。今回が年度最後の講座で参加者は88名とか。
 湯河原でも何年ぶりかの雪、あまり記憶にないようで、「子供のように心が躍った今朝でした」と、進行係のSさんの言葉も弾んでいた。
「私が出会った言葉―言葉が心を育む―」がタイトルで90分の話を聴いてもらった。終わってから二人から教育相談。一つは「ご苦労さま」という言葉の使い方。もう一人からは、子供たちを褒めてくれない先生について。
 昼ごはんを魚料理の「U」で。Sさんの顔なじみのお店だそうで、女将さんが「嫁もきょう講演を聴きに行きました」と私に言ってくれた。
 その店の仲居のKさんは、私より8歳年下で、秦野の東地区出身の人。Kさんの妹のNさんは私のクラスの子。彼女も湯河原に嫁いで来ている。昨年10月のクラス会の折「先生が湯河原に来るのを知っている。必ず聴きに行くから」と約束してくれたのだった。だが「隣組の不幸があり行けない」との伝言、そして湯河原のお菓子と海産物をSさんに届けておいてくれた。

きょうから東公民館で 『東中新聞』創刊60年900号記念回顧展
【No.837】 2010年02月15日

 きょうから東公民館で 『東中新聞』創刊60年900号記念回顧展
  2月15日(月)〜2月28日(日)まで東公民館内

 秦野市立東公民館・館報『はるたけ』157号(2010年1月29日発行)は、この展示会のことを次のように書いている。

 変化の時代こそ温故知新 『東中新聞』創刊60年に
 「変化」「激動」、そんな言葉が飛び交った新年の幕開け。確かにこれまでとは何かが違う、そんな感じを抱きながらもあらゆることが行きづまって先が見えない。こんなに通信網が発達したのに、隣にいる人さえ気持ちが伝わらない時代です。そんなときこそ、「故きを温ねて新しきを知る」と言われるように、一度立ち止まって自分の来た道、先人たちの足跡を振り返ってみたいもの。歴史を学ぶことは自分の足元をみつめ、新たな芽吹きを見っけることでもあります。
 ところで、東地区では、戦後出発した中学校で生徒たちが学校生活を綴った新聞「東中新聞」が、60年間連綿と作り続けられ900号を超えています。
 早春のひととき、ふと立ち止まって、中学校の新聞教育が果たした役割を皆で考え、生徒たちの努力の軌跡を振り返ってみるのも「温故知新」の一つになるかもしれません。

◇公開座談会 2月28日(日)午後1時半から午後3時半 東公民館2階ホール
 ○基調提案「東中新聞の60年を振り返つて」  武勝美さん(エコー教育広報相談室)
 ○座談会「新聞作りの思い出と学校生活」 新聞作りに携わった元生徒の方々、指導教諭、現役中学生に新聞作りの体験談を語っていただきます。

 どうぞ足をお運びください。


2010年2月13日
【No.836】 2010年02月14日

 秦野野地形は盆地である。だからお天気具合は、一般的な天気予報にはあまり当てはまらない。小雪の一日、寒い日だった。
 正午から森下先生の叙勲受章のお祝いの会。退職して17年の今も、学習サポートチームの責任者として子供たちと関わっておられる。70名で心からお祝いをした。先生ご夫妻を中心に全参会者で「ふるさと」を合唱し、お開きになった。

 帰ってから、バンクーバーの冬季オリンピックの開会式を観る。
 1972年2月3日、私は札幌オリンピックの開会式の会場真駒内屋外スケート場にいた。
 この年、昭和46年は毎日新聞が創刊100年を迎えた年だった。その記念に、全国小・中学校新聞コンクールで『特選』に選ばれた小・中2校に、副賞として「札幌オリンピックの開会式の取材」がえられた。「東中新聞」の新聞部長和田さんと私は開会式に参加したのだった。
 笠谷、金野、青地選手が70b級ジャンプで金・銀・胴メダルを獲るという快挙の大会だった。テレビでこのジャンプを観ていた長男は、飛んだのは私だと思ったのだそうだ。

動かなければ出会えない
【No.835】 2010年02月07日

2月2日 雪の羽田から亜熱帯の沖縄に飛んだ。
 プロ野球のキャンプ地(中日ドラゴンズ、横浜ベイスターズ、阪神タイガース、そして日本ハムファイターズ)を訪ねた。
中日ではブランコの打撃練習、岩瀬と吉見がバッティングピッチャーを務めていた。森野の三塁守備の特訓も間近で見た。ドラゴンズファンの私には「ラッキー」の一言に尽きる。
シーレックスの筒香が、鈴木尚典コーチから送りバントの指導を受けていた。向上高校出身の安斉には出会えなかった。残念!
 日ハムの稲葉選手からサインをもらい、写真に入ってもらえた。私たちに接する彼の姿勢に“一流のプロ”を見た。
 阪神は屋内体育館でのトレーニングだったので背番号で金本と城島を確認しただけだった。二軍のキャンプ地にも行った。プロの厳しさを感じた。

普天間飛行場、嘉手納飛行場、辺野古を目の当たりにし、沖縄の米軍基地の現実を私なりに考えた。

 亀甲墓という墓所が、山を背に集落を見下ろす地や海を望む丘に点在していた。

 謝名亭で琉球舞踊に加わった。
 
 滞在したホテルで知名度のある(私の範囲で)関東地方の公立高校2校の修学旅行生と同宿だった。知名度どおり好感がもてる立ち振る舞いだった。

2月1日 大年神さまは山にお帰り
【No.834】 2010年02月01日

 きょうは《お棚納め》、正月の大年神さんが山にお帰りになる日。暗いうちから起き、神棚など五カ所に灯明を上げ温かいご飯を供えた。その後、10数カ所に飾ってある注連飾りを下ろす。今年の初午はきょうなので、その注連飾りを庭続きの畑で「お焚き上げ」する。これで正月の祭事は終わる。
 2月のホームページの更新。ギャラリーに南地区の「だんご焼き」をアップ。この写真はAさんからいただいたもの。
 暮から正月にかけて溜まったダンボール類を、自治会のストックハウスに軽トラで運ぶ。幼稚園の資源回ということ。
 午後、T小学校のP広報委員さんが3名、3月発行号の編集の相談のため来訪。充実した内容だが、がんばり過ぎ、記事量が多い。「何を載せないか、何を書かないか」という決断は編集者には難しいことだ。
 予報どおり雨になった。雪になるのだろうか。3時にお医者さんへ。


講座へのお誘い
【No.833】 2010年01月27日

 お知らせ

 まほら秦野みちしるべ(西地区)講座

 日 時  平成22年1月29日(金) 午後1時30分〜3時30分
 場 所  秦野市立西公民館(0463-88-0003) 大会議室
 定 員  30人(先着順)
 講 師  米山 正氏     武 勝美氏
 内 容  大山道と堀四か村の周辺のかつての暮らしを学ぶ。
  ※私は「大山信仰と大山道」について話すことになっています。

ツジの天神さんと大槻の天神さん
【No.832】 2010年01月26日

 1月25日は初天神。町内の武完さんの持社である『ツジの天神さん』にお参りに行く。ツジの天神さんは、昭和39年に始まった東中学校の校庭の拡張整備にともない、武邸と共に今の地に遷宮された。私の子供の頃は、この日は東地区の子供たちのお参りでにぎわったものだ。中学生の親子が一組参拝に来ていた。今年は、昨年より参詣者が多いらしい。「庭(町内・自治会)のオンナシ・女衆(ご婦人)が連れだって来てくれた」と笑顔の完さんだった。午後、当主の武家から「お参りのお返し」と天満天神のお札とお赤飯が届いた。

 夜は菊作りの仲間の新年会。会員の安田さんから大槻の天神さんの「豆板(まめいた)」を出席者全員にプレゼント。豆板は落花生を煮た砂糖で固めたお菓子で、大槻の天神さんの日に露天で売られる名物のお土産。その安田さん、「きょうはまだお祭りの会計の仕事が残っているので」と会に参加せず急いで帰っていった。

 神奈川の公立高校の選抜検査は今日から始まった。

山田義光先生
【No.831】 2010年01月21日

1月20日
 秦野市の「東地区ミニデイサービス」のプログラムの一つとして頼まれていた講話をした。この日の会場は寺山の『あずま荘』なので、寺山と東田原在住の人がほとんどで、ボランティアの方を含め27名。「東秦野物語」というタイトルで、寺山と東田原の地名について話した。古事記の国生みのつながる地名もあるので、その部分の話は興味深く聞いてもらえた。とくに、この地に終の棲家を求められた方たちには、東地区の持つ歴史や民俗の一端を知ることができたとたいへん喜んでくださった。

1月21日
 全新研の第8代会長の山田義光先生の訃報が届いた。
 1972年の5月、当時全新研の事務局長だった山田義光先生は鈴木英男会長と共に、私の勤務している秦野東中学校を訪ねてみえた。「第16回全国新聞教育研究大会を秦野東中学校で開催して欲しい」というお願いのために。そのお願いをいったんは受諾した東中学校だったが、諸般の事情で、結局秦野大会はまぼろしとなってしまった。たいへん山田先生にご迷惑をかけてしまった私だった。
 それから33年後の2006年、第49回全国新聞教育研究大会を秦野で開くことができた。ようやく山田先生との約束を果たすことができた。
 山田先生の指導するガリ版の週刊学校新聞『竹の子』は、私の週刊学級新聞の大きく確かな道標だった。
 夏の全国大会の会場を、半ズボン・ポロシャツ姿で動き回っていらっしゃった山田先生の姿は今も私のまぶたに焼き付いている。
 ご冥福をお祈りいたします。

続ダンゴ焼き
【No.830】 2010年01月19日

 15日の日記を読んだAさんから、次のようなメールが届きました(Aさんの家のダンゴ飾りの写真も添えられていました)。
「子どもが帰って来たらすぐに行けるようにと思い、私一人でだんご作りをしました。子どもが帰って来たのですぐに行きました。でも、行ってみたらすでに、灰は水がかかっていて、おじさんたちが後片付けしていました。時間はまだ4時10分です。なぜ、子どもたちが帰ってくる時間ぐらいまでやらないのか。不思議でしかたなかったです」
 
 ドンド焼きが自治会の事業になっていること(そのこと自体は良いことだと思う)、子供の祭り(民俗的意義)であることをほとんどの人が知らないという社会的背景、加えて地域の人間関係が希薄になっていること、などがAさんの不思議さに対する答えになると思う。
 そのときの心を「不思議」と書き、「不愉快」と書かなかったAさんに、来年の1月14日は、しっかりとダンゴ焼きができることを願う私です。

トッケダンゴ
【No.829】 2010年01月15日

 昨日は“ダンゴ焼き”(道祖神祭りともドンド焼きとも言う)の日。3時半に清水の道祖神の前の会場に行った。自治会長さんを中心に10人ほどの男性が火の番をしていた。
 お母さんと一緒の子供たちが三々五々集ってくる。焼いたダンゴをその場で食べるような光景はほとんど見られない。私の子供の頃はこのダンゴ焼きのことを「とっけダンゴ(取り替えダンゴの秦野弁)」と言い、焼いたダンゴを交換しあって食べた。それが健康の元、厄払いと言われていたからだ。
 4時半からあずま荘(寺山地区の集会場)で清水・東の原・竹の内・二つ沢の4子供会の40人ほとの子供たちに「ダンゴ焼き・道祖神祭り」の話をする。1〜6年生という年齢幅があるので、視覚に訴えるほうが良いだろうと思い、昨夜刺したダンゴの木―その木には煙草の葉も作って刺してある―
を持ち込んだ。一つ目小僧のイラスト、下駄、目籠、道祖神小屋の写真なども準備していった。話の終りは、今は全く聞かれないダンゴ焼きの太鼓の打ち方を紹介した。「トッケダン トッケダン トッケダンゴ ダンゴ ダン」と声を発しながら、畳をたたいた。
 終わって質問が二つ出た。今日の話は成功!

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