- 寺 山 だ よ り -

【No.970】 2011年08月22日

 「夏休みの思い出を壁新聞に」の親子新聞づくり講座の第2日目。子ども28人、母親22人の参加。それで会場をホールに移した。
 きょう、会場で編集後記を書いて完成の子が数名。まだ半分くらいしか進まない子も同数。だが2時間を掛けてほとんどの新聞の紙面は埋まった。後は29日の始業式に間に合わせるため自宅で頑張るだろう。
 「ここに来る前にも新聞、書いた」と言った子もいた。公民館長さんから全員の子どもに賞状が渡された。賞状の表題は『讃』。その文面は新聞づくりを頑張ったことを褒めるもの。どの子も嬉しそうに受け取っていた。
 きょうから私は二学期。

タヌキ
【No.969】 2011年08月15日

 ジャガイモを掘ってから放っておいた畑にスベリヒユがものすごい勢いで繁茂。オヒシバ、メヒシバ、カヤツリ草も負けずに元気。きょう覚悟を決めその畑に入った。草取りである。その畑の北隣は雑木の茂み。西は小学校の校庭の規面でコンクリートの壁。
 畑の東南から手を入れ始め西北の角を目指した。その角地に近づいたら新しい土が一uくらい広がっていて草は生えていない。その土の堆積の向こうに差渡し20センチくらいの穴が見えた。この夏2夜続けて目にしたタヌキの巣、そう思った。土の量からしたらかなり長い穴を掘っている。穴はウチの畑から隣りの籔に延びているらしい。畑に出る楽しみが一つ増えた。
 きょうの「終戦の日」に触れた文を書いて「紙面拝見欄」に送った。

新聞スクラップ講習会
【No.968】 2011年08月12日

 妻の実家の墓参りで厚木の長谷寺へ。長谷寺は坂東33番の札所の一寺だが、猛暑の午後1時、境内には人影はなかった。
 午後2時から厚木文化会館で開かれた新聞スクラップ講習会に参加。講師は全国新聞教育研究協議会の田村先生と香山先生。参加者の数を目で追ってみた。子どもが45人で小学生が大半、母親28人、父親9人、祖父母4人、熟年ご夫妻が一組、そして私。総勢89人。2時間の講座の後半45分を使い実習する。実習の内容は、@ その日の新聞から選んだテーマに沿った記事を選び A記事を要約する B記事の感想を書く Cそしてその記事を切り抜きスクラップ帳に貼って終わる。講師はまとめで「ほとんどの人が作業を終えた」と褒めた。そして継続的にこのスクラップを行なうことを勧めていた。
 

家族新聞 100号
【No.967】 2011年08月07日

 『がたがた新聞』(おもしろい題字!)という家族新聞が7月で100号を迎えた。
 10年ほど前Y中学校の生徒会新聞委員会で新聞づくりの話をした。その講座にGさんがいた。間もなくそのGさんの家に家族新聞が誕生した。お母さんがPTAの広報委員を経験していたこともあって、以降この7月まで毎月新聞の発行は続いている。
 家族新聞は、子供たちが成長すると、特に中学生くらいになると、「わたしのことを勝手に新聞に書かないで!」ということになるからだ。
 パソコンで新聞を作っているのはお母さんの眞由美さん。その眞由美さんからこんなたよりが届いた。
 春美が「続けていて良かったね! もうお母さん新聞 やめられないよ!」と笑いながら言いました。これからも情報提供してくれるそうです! 孫も協力者の一人、写真を撮らせてくれるから(笑) 新聞に載るのが嬉しいみたいです。私だと良いお顔してくれるんです。

  いつか『エコー』を追い越してくれるだろうことを願う。 



相談室で「親子壁新聞づくり」
【No.966】 2011年08月04日

 きのう、きょうと相談室で「親子壁新聞づくり」の講座。きのうは2組の母子、いずれも小学4年生。一人は野球、もう一人は新体操をやっている健康そのものの女の子。
 きょうは3家族・9人がやってきた。小2から6年生までの6人で男の子は4年生の一人。昨年発行された新聞を見本に、新聞の作り方を話した。見本は「旅行記新聞」「家族紹介新聞」「夏休みの研究新聞」など20紙。研究新聞は『なすび新聞(日本各地のナスの紹介やナスの語源など』や『新聞の新聞(日本の新聞の題字、新聞の発行数など)』『かぶと虫新聞』などの力作。さっそく、どんな新聞を作ろうかと親子の話し合いが始まった。22日が楽しみ

「ナス ゲット!」
【No.965】 2011年07月30日

 秦野ゆとりの会の「行灯仕立ての朝顔展」(会場・東公民館)に出展。今朝二つ開いたものを持って行く。30鉢ほど並ぶとなかなかの展示会。朝顔の伝統的な色は紺なのだが、赤やピンクなどの鉢が多い。
 スイカ作りが得意な会員のYさん。今年は果肉が黄色のものを食べさせてくれた。「福助づくり」の菊苗も配られ、育て方の研究会。もう10年も勉強しているのに、咲く花に少しの進歩も見られない私。
 わが家の裏は中学校の農園。夏休みでも、朝の8時ごろから畑で草取りに励む生徒たち。「ナス、ゲット!」と大ハシャギの女の子の声が聞こえた。

親子で新聞づくり
【No.964】 2011年07月28日

7月27日
 「夏休みの思い出を親子で壁新聞に」しようという講座を東公民館で開いた。今年は17家族・38人。子供は幼稚園児から中学生までと幅広い層が参加してきた。講座中の2時間、親子で一つの机を囲みいろいろ相談をする。お母さんを独占できる子供たちの表情は心なしかゆったりと見えた。次回は8月22日、その日まである程度紙面を埋めなければいけないので、親子での行動も例年と違って増えるだろう。「新聞づくりは仲間づくり・家族づくり」になると思っている。きょう参加できなかった5家族は、8月3・4日にわが家で開く講座に出て22日の講座に間に合わせることになっている。

夏だけど
【No.963】 2011年07月25日

 運転免許更新のための高齢者講習に出かけた。最初に認知機能検査、そのあと高齢者講習。
 教室に入ると「耳の遠い人は前に坐ってください。最初の検査は30分くらいかかります。途中でトイレには行ません。今済ませてきてください」。
 実車テストで「後方の注意が足りない」「左折するときふくらみ過ぎ」と注意を受けた。夜間は目をよく慣らせてから運転するように忠告された。認知機能検査は「記憶力・判断力に心配はありません」。
 総合判断は「あなたの機能は同年代との比較では平均的(普通)です」。元気ぶっても、「私は高齢者だ」という、現実を思い切り知らされた。でも何となく納得。

 「今年はセミに異変が」と新聞が書いていた。寺山ではまだアブラゼミの鳴き声が聞かれない。庭でカナカナが鳴いたのは日曜日の午前4時過ぎだった。その一匹だけだった。今朝、ベランダにニイニイセミが横たわっていた。

偉大な娘たち
【No.962】 2011年07月18日

 女子サッカーのワールドカップで日本 優勝。4時過ぎにテレビにスイッチ。アメリカの攻めに防戦一方。「体力、スピード感が違う。これは負け」と観戦を止めた。
 準決勝戦、テレビを点けた瞬間、日本のゴールだった。しばらく観ていたがパスがキレイに通る。なぜか「3−1で勝ち」、そう思った。それでテレビは消した。結果は3−1 予想は的中した。
 アメリカは速い。何とか1ゴールは欲しい、残念だかがそう願った。5時を回って、再度ようすをうかがう。0-1でリードされている。もう観るつもりはない。負けるのを見るのはイヤだから。
 新聞を広げていたら、下りてきた妻が、「追いついて延長戦になったのに、今取られた2−1。間もなく終り」と言う。テレビを点け2分も経たないうちに、澤選手の神がかりのような、いや、“執念”の同点ゴール。
 そしてPK戦。戦いの前、両陣営の様子が映った。アメリカチームは、最後の最後で勝利を逃したという厳しい表情。日本は佐々木監督、そして選手たちの多くが笑顔だった。もしかしたらその笑顔は「120分戦って負けなかった。二度も追いついた。」という満足感からかもしれない。
 その笑顔がGK海堀選手のスーパーセーブを呼んだ。佐々木監督が「小さな娘たち」と言った。澤選手は穂希(ほまれ)という名だそうだ。誉高き「なでしこジャパン」、偉大なる娘たちを私たちは誇りに思う。

7月13日 迎え火
【No.961】 2011年07月14日

 お盆、迎え火の日。8時半にお墓の掃除に出かける。きょうはデッキブラシを持っていき、敷石の汚れを取った。その後『ツジ』のための竹を切る。帰ってから炎天下で『ツジ』作り。(ツジについては「秦野のおはなし94話」を参照)
 午後は盆棚づくり。3時にようやくオショロサン(お精霊様)を迎える準備が完了。5時、迎え火を焚く。そして近所6軒のツジに線香を上げて回る。6時近くなり、6軒の人がわが家のツジにお参りに来てくれた。S家はおばあちゃんと孫二人、孫の一人は中2の男の子。この家の人たちは「お参りさせてください」と言って線香を手向けてくれる。Yさんの家は中学3年生の女の子が参ってくれた。中学生がご近所の家を回って線香を上げる―これは“スゴイこと”だと思う。このことからだけでも、両家の家庭生活が想像できる。
 裏のH家は普段はだれも住んでいない。だがお盆になると、ここを実家とする子供たち4人がきょうから4日間実家で生活をする。「オショロさんが帰ってくるから、迎えてやらなければ」とツジを作る。そして「普段留守にしているから、お盆だけでも昔どおりの近所付き合いをさせてもらう」と線香を上げに回る。ここには寺山のお盆の原風景がある。

朝顔 ヤマユリ
【No.960】 2011年07月12日

 6時過ぎ、ピンクの朝顔が一輪咲いているのをほ発見。こんな早い時期に咲くとは思ってもいなかった。朝顔は、まだ夏の夜が明け切らない時間に蕾を開くともなく開かせる。その開花の様を眺めるのが朝顔を咲かせる人の極上の楽しみなのだそうだ。朝顔は英語でMorning glory、文字通りの花だ。他の鉢の蕾の成長具合をていねいに見た。しばらくは開花はなさそうだ。
 庭には今ヤマユリの香りが漂っている。今まであまり気にしていなかったが、数えたら17株が花をつけている。今朝の神奈川新聞は、弘法山のヤマユリの花が激減していると伝えている。猪が球根を食ってしまうかららしい。日本人は百合根を食べてきた。猪がそれに気付いたとしても仕方がないのだが。ヤマユリは発芽から開花まで5年以上かかるといわれている。庭のヤマユリを増やしたい。

夢進会
【No.959】 2011年07月08日

7月6日
 市P連主催の広報づくり講座が開かれた。新聞編集ソフトを使っての広報づくりの実技講習会である。ソフト作成会社から講師を招いて行なわれたが、今年で4回目。参加者は午前は初心者対象、午後の部は経験者コースで、あわせて60名超のに参加。秦野のPTAの広報づくりへの意欲が感じられる講座だった。
 午後6時から、市制50周年事業『市民が作る広報はだの』の編集に携わったメンバーの会・「夢進会」に出席。9名が集った。当時中学2年生だったAさんが初参加。「お酒が飲める年齢になったので参加しました」と笑うAさん。それを聞いたIさんが「あと3年で60周年か。このメンバーで60周年記念紙をまた作ろうよ」。それぞれがこの一年で成し遂げたことを報告し合うのが「夢進会」。20代二人、40代二人、50代三人、60代一人のそれぞれが報告するこの一年は充実したものだった。それに比べ70代の私の生活は?

7月5日
【No.958】 2011年07月06日

 梅雨は明けないが季節は夏の感。
 9時15分から歯の治療。帰ってきてから壁新聞講座の準備。午後、その気になって畑に出る。「草むしり」という言葉が普通だが「むしる」だけでは気が済まないのが性分だから、根っこから引き抜く。里芋、ナス、キュウリ、ネギの菜園。広さは一畝ほど。草取りの後追肥をする。インゲンとナスをもぐ。小松菜も採った。これらは夕食用。炎天下での3時間の作業を終え、見渡した菜園はいかにも手入れをしたという景色。満足だった。
 

「まほらの会」の総会
【No.957】 2011年06月27日

6月26日
 9時から「まほら秦野みちしるべの会」の総会。発足したのが2007年でその発足会以来の総会。
 スタートしたメンバー17名で、この総会を迎えることができた。必要に応じて集めていた会費を年会費制にした。マップ完成時に備えての資金備蓄も意識し始めた。
 二カ月に一日の活動というのんびりした会だが、目標としているイラストマップは旧東秦野村、西秦野村、大根村分まで7部を完成。これから1年間の活動予定を策定。総会の後、いま作成中の南秦野町と秦野町のマップに手を入れる。楽しく充実した3時間だった。

さすが「まほらの会員」
【No.956】 2011年06月22日

6月21日  
 大井町郷土史研究会の公開講座。午後1時半からおおよそ2時間、「大山道」の話をする。
 大井町は矢倉沢往還につながる小田原道が通る。また富士講が盛んだった地である。
 私たち「まほら秦野みちしるべの会」の綾部、井口、小泉さんが助手として参加してくれた。その綾部、井口さんは松田駅から歩いて会場である大井町中央公民館にたどりついた。まさに“たどり着く”の言葉どおり、かなり高温多湿の中、会場への道を尋ね、尋ねて、ということだつたらしい。
 それでも、道すがら庚申塔などを見かけると立ち止まり、造立日などを調べたとのこと。「公民館の前に大きな碑があって《大神》だけは読めたけど、その他は読めなかった」との報告もあった。その碑こそ、きょうの講座の中で取り上げる富士講の碑だった。さすが我が会の会員、と思った。結局、45分歩いて会場入り。
 お二人、帰りは小泉さんの車に私と同乗。

高校のPTA広報講座
【No.955】 2011年06月20日

6月18日
 県公立高等学校PTA連合会主催の「横浜北地区広報委員研修会」に招かれた。会場は鶴見総合高校。土曜の午後2時から4時という時間帯なのだが17校から50名ほどの参加。
 会場校である鶴見総合高校PTAの「お客様(他校からの参加者)を迎える」心遣いを感じた。校門、玄関に出迎えのお母さんたちが立っていた。会場校として、校長先生、副校長先生、そして先生数名が会場設営に心を配ってくださった。そして研修会にも参加してくださった。
 講演の後、4つのグループに分れ講義の内容などについて意見交換がなされた。話し合いの内容のいくつかは、各グループの代表者から「質問」という形で私に投げかけられた。
 質問の内容はPTA広報の本質に迫るものなどもあり、小・中学校のPTAとは違う『大人のPTA』という感じがした。
 校門で、校長先生、副校長先生、会長、副会長さんに見送られた私だった。

朝顔 タケノコ 
【No.954】 2011年06月17日

 「朝顔のアンドン仕立て」今年は15鉢。例年とちがい少し力を入れている。今年は土も買った。露地植えも20本ほど。“緑のカーテン”も作るつもりで軒先までネットを張る。苗は自前はわずかで『ゆとりの会』の森下さん、田中さんからいただいた。森下さんからは夕顔の苗も。
 ここ数日の天候でタケノコ採りに追われている。妻と一日おきに竹薮へ。蚊に悩まされ、ヤマビルを恐れながら、できるだけ早く引き揚げるようにしている。放置された竹薮では良いタケノコは出ない。少しずつ整理してきた効果が今年のタケノコの姿・形に表れている。
 整理と言っても、毎年この季節になるとタケノコを採りに入るだけ。そのついでに風で倒れ、枯れかけているものを片付ける。「傘を差して歩けるほどの竹薮」が健全な竹薮の姿なのだそうだ。
 採れたタケノコはご近所や知人に届け、喜んで食べてもらっている(?)。きょうも午後、竹薮に入る。
 
 昨16日、午前10時から秦野民生・児童委員協議会の広報部会で「広報誌づくり講座」。民生・児童委員の任期は3年。ここで広報委員も大半が交替したのでこの講座が開かれた。正直に言えば「年三回の発行に三年間かかわるのは大変」だろう。しかも、民生・児童委員の本務を務めながらである。心から「ご苦労様です」と申し上げた。
 一人の方が講座の感想を述べてくれた。「先生が伝えようとする広報の役割を、先生の汗、それをぬぐうタオルから知ることができた」。これ以上の賛辞はない。


梅雨の中休み
【No.953】 2011年06月08日

6月6日
 本町中学校の生徒会広報委員会の新聞づくり講習会に招かれた。本町中の生徒数736名。この日は「ボランテイアの日」という行事ももたれていて、校外の清掃に出かける生徒で正門の近くはごった返していた。中学生の熱気と喧騒に紛れ込んんだ私。少しばかり気分は高揚したのだった。午後3時30分から1時間の講義、特に学校新聞が果たすべき役割について時間を割いた。参加者は70余名とか。よく聴いてくれた。終わってから、学級通信を出しいる先生二人と話をした。

6月7日
 「みちしるべの会」の総会を26日に開く。その会で特別講師としてお招きする亀崎先生を講演の内容について打ち合わせをするために訪ねた。亀崎先生はわが家がお世話になっているは内科の先生。午前の診察がが終わったばかりのようで、ご飯を噛み噛み、という感じて会ってくださった。戦前の秦野の暮らしについて話してもらうことになった。
 PTA広報『カリヨン』が届いた。「地震 その時あなたはどうした」というコーナーで保護者のその時感じたこと、思ったことがストレートに書かれている。読み応えのある『カリヨン』だった。

 この二日間は「梅雨の中休み」。

平成22年度の神奈川県PTA広報紙コンクールの結果
【No.952】 2011年06月04日

 平成22年度の神奈川県PTA広報紙コンクールの結果が昨日発表されました。入賞された各PTA広報委員会のみなさん、おめでとうございます。 その入賞全紙の一覧を「秦野の新聞教育」のページにアップしました。ご覧ください。

6月もPTA広報講座で始まった
【No.951】 2011年06月02日

6月1日
 日本橋、銀座、築地、月島を抱えている中央区。その区役所でのPTA広報づくり講座。
 講座は午後2時半から。29日の運動会がきょうに延びた学校もあったが70名ほどの参加。P連の会長さんの挨拶の中に「最後のリレーを見ないでこの講習会に駆けつけてきた委員さんもいらっしゃる」という一節があった。
 講座の残り30分で、事前に届いた広報の紙面クリニックを行なった。これが良かったようで、講座の後も質問や相談が続いた。その中で「さっき褒めていただいた写真は私が撮った。自分でも傑作だと思う」とか、「子育ての孤立を助けるためにPTA委員になりなさい、という先生の話は同感。私はそうしたから」と感想を述べてくれるお母さんもいた。
 区役所の前で、先ほど質問したお母さんが自転車で帰るところに出会った。「銀座を自転車で走るなんてスゴイですね」と私。そのお母さんは満面の笑みで手を振って走って帰っていった。
 
 千代田線から有楽町線への乗り換えの地下道を初めて歩いた。節電のためだろうが暗くて不安だった。
 午後5時半過ぎ、代々木上原から小田急に乗った。もうこの時間帯で車内はすし詰め。帰宅時間が早まっているのだろう。

横浜で広報づくり講座
【No.950】 2011年05月26日

5月25日
 県民生委員児童委員協議会が発行している「県民児協だより」の通信員の研修会に招かれた。90分の講座で記事の書き方、見出しやキャプションの作り方などが与えられたテーマ。出席者は42名で県下各市町村の代表者だから“アラ還”。おおよそ三分の二強が女性なので反応は良かった。女性特有のうなづきを頼りに話す。質問二つ。

山場は何とか乗り越えた
【No.949】 2011年05月22日

5月21日
 中野区の中学校のPTA広報講座。東京の学校はこの季節、運動会が行なわれているようで12校中4校が欠席。講座は午後1時半から2時間。20数名の参加なので肉声で話すことができた。
 この日は午後7時からもう一つの仕事があったので、めったに乗らないロマンスカー切符を取っていた。列車が入ってきたので乗車口に立った。あと5分で発車なのにドアは開かない。するといきなり「車両故障で運休します」という放送。“怒り”より「どうしよう」という困惑感。乗車予定の人たちが一斉に急行列車のホームに走り出した。立って帰るのを覚悟して並んだそのホームにまたも放送。列車が入れないのでこの急行も運休というのだ。この時点でもう並んで待つ気力は失せた。次を待っても列車は入構しないだろうと思った。何しろ始発駅で列車が立ち往生しているのだから。
 藤沢行きの急行が別のホームから発車するところだったので、それ飛び乗った。何としても秦野に近づかなくては、と思った。この判断は大正解だった。タクシーを使い、会場に7時10分前に入ることができた。
 会場は堀山下児童館。そこで「大山道」についての話を聞いてもらうことになっていたのだ。主催は、変貌し続ける地域が失ってはならない文化や歴史を次代に伝えようとする街づくりを目指す「一味ちがう郷づくりの会」。参加は40名強、年配者がほとんど。地元の議員さん2人が最後まで聞いてくれたのは嬉しかった。
 帰宅は10時過ぎ。きょう一日は確かにハードだったが、なんとかクリアできた。納得した一日といえよう。全然別な感想になるが「帰宅難民」とはどんなものかを少し体験できたような気もする。
 今シーズンの山場は何とか乗り越えられた。

5月19日
 秦野市P連の広報講座。主催者の熱い心もあって、広報委員だけでなく一般会員にも講座を開放することになった。この日、文化会館の小ホールに集った人は320人超とか。昨年度の広報委員の姿もかなり見られた。これでは私も熱くならないはずはない。

5月17日
 寒川町のPTA広報講座。この日の講座のスタートは9:30。通勤の時間帯の道路状況は予測できない。とくに相模川を渡る神川橋の渋滞が怖いので電車で行った。昨年活躍した委員のFさんも参加。そして「Pが終わったので町の環境浄化委員として広報をつくることになった。発行回数を増やすように会にお願いしている」と話してくれた。その活躍を期待したい。

5月16日
 伊勢原市のPTA広報講座。昨年、高部屋小PTAの 『あおぞら』が全国コンクールで「最優秀賞」を受けた。そのため市内の各PTA広報が大きな刺激を受けているようで、終わってからの質問や相談が例年に比べ多かった。

完さんのご冥福をお祈りいたします
【No.948】 2011年05月14日

5月11日
 9時半から柏市P連のPTA広報講座。かなりの雨の中、61校から200名余の参加。

5月12日
 東中学校の校庭にそびえていた大銀杏の持ち主だった武完さんとお別れ。完さんは、東中学校の校地のために、数百年の歴史を持つ自宅の敷地をすべて提供された。そのとき「この銀杏の木だけは切らないで」と約束を取り付け、樹齢二百数十年の木を護られた。一昨年、再度校地の整理をするに際して「邪魔な木」と伐採されそうになった。私は市当局や関係者に「移植」を訴えた。完さんは私の行動に理解を示してくれ、「もし切り倒すことになったら体を銀杏の木に縛り付けて阻止する」と言われた。そんなこともあって伐採は取り止めになった。今、その大銀杏は背丈を三分の一に縮められてはいるが、校庭の西門の脇で新緑を見せている。

5月14日
 来週はいよいよ正念場、週に5回の講座。きょうは鶴巻中学校の卒業生の会に招かれている。飲み過ぎないように、ハシャギ過ぎないようにするつもり。 

大型連休点描
【No.947】 2011年05月09日

4日
 ようやく野菜の苗を植えることができた。玉川中の教え子Kさん夫妻が来訪。所属しているシニアギタークラブの演奏会のCDを持って来てくれた。長寿会やデイサービス施設などで演奏を披露し喜ばれているらしい。CDに収められている演奏は童謡、演歌、フォークソング、ラテン、シャンソン、小学唱歌など「何でもどうぞ」という感じ。理科系の企業人として大成したKさんのイメージとギターを爪弾く姿はなかなか一致しない。

6日
 朝5時少し過ぎたころ、寝間のガラス戸越しに動物の動く姿が見えた。歩き方が猫と違う。タヌキが数メートル先の離れの犬走りをトコトコ歩いている。そして数分後、今度はすぐ目の前を通った。そっとガラス戸を開け姿を追った。裏の茂み中でなにやら食べている。5bとはなれていない。こちらにはまったく気付いていない。今朝でタヌキの目撃は二回目。どこに住んでいるのか、親しみを感じる。

8日
 10時から荒川区でPTA広報講座。開会10分前の会場は40名ほど。「きょうは日曜日、『母の日』、そしてこの時間帯だもの」と納得。ところが開会までの10分間に続々と入場してくるお母さんたち。
 講座の冒頭に「ステキな女性に会いたかったら小・中学生校のPTAの集会に行きなさい。そこに集ってくるお母さんたちは、子育てに情熱を持っている。そして自分のことにも情熱的である。だからステキな女性なのです。これは永六輔さんの言葉です。会場の皆さんを見て、永さんの言葉の通りだと思いました。皆さんはステキな女性です」と話した。
 講座が終わってから主催者からの報告があった。きょうの参加申し込み者は108名、実際の来場者は130名超。
 4月28日の第1回の講座には120余名の出席があった。荒川区のお母さんたちのこの情熱に圧倒された。

鯉のぼり
【No.946】 2011年05月02日

 《五月晴れ》のはずなのに黄砂でどんよりとした空。五月の空には鯉のぼりが似合う。そんなつもりで昨日5月1日に更新したホームページに鯉のぼりの絵を2点載せた。
 今朝の「朝日俳壇」にあった一句
 福島の空こそ泳げ鯉のぼり    原田けいこ

 今年の藤の花はよく咲いている。父が山から持ってきた山藤。その父の23回忌の法要をきょう済ませた。
  鯉のぼり揚げ素晴らしき日となりぬ  武姫百合(父)

清水自治会の心を届けてくれた若いご夫妻
【No.945】 2011年04月30日

 昨日、自治会の回覧板が回ってきた。そこに添付されたのは次のようなのお礼状だった。

清水自治会の皆様へ 「福島へ支壌物資をお届けしたご報告」
 この度は急なお願いにもかかわらず、私たち夫婦の浅はかな考えで始めた今回の行動に、こんなにも多くの方々にご協力頂きありがとうございました。車いっぱいの支援品を集めることができました。
 23日に福島県会津若松市にある福祉センターへ物資を無事に届けることができました。洗剤、ラップ、タオル、食品を中心に300点以上を届けてきました。子供のために折り紙やミニカーまで用意していただいたり、わざわざこのために物資を調達してくださった方も多く、ご負担をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。皆様のお心はしっかりと現地に届いたと思います。
 福島の現状は、高速道路ですら車の通りが少なく、福祉センターによれば、企業からは物が入りにくいので個人からの物資を受け付けないと生活は厳しい状況だとのことでした。私たちの福島滞在中も体に感じる余震が夜も続き、まだまだ不安の中で生活をしている状態でした。
 最後になりましたが、岩手の実家のことを心配してくださり、たくさんのお電話をいただきました。ありがとうございました。福島の滞在後、実家岩手にも行ってきました。実家は津波は免れましたが、久慈市の沿岸部と隣町野田は壊滅状態で絶句してしまいました。
 「こういう時だから何かしたい」そう考えた行動を理解し応援してくださった皆さんが周りにいるあなたたちの環境は宝ですね、と福島で言われ、私たち夫婦は本当に地域の皆様に助けていただき幸せだと思います。今回の事はたいへん貴重な体験となりました。皆様のご協力に感謝いたします。本当にありがとうございました。 金澤竜也・朋子

 金澤さん夫妻は結婚4年でわが家の隣りに住む。ご主人竜也さんは岩手・久慈市の出身、奥さんの朋子さんは寺山生まれ。こんどの大震災で実家を見舞うことにした夫妻は、被災された人たちを支援したいと思い、急きょ自治会の皆さんに物資の提供をお願いした。

文京区の講座
【No.944】 2011年04月26日

 きのうは文京区でのPTA広報講座。6時35分のバスで出発。本厚木から綾瀬行きの準急で。これは座っていけるから。「都内の大学はまだ授業に入っていないから空いているんじゃない?」という言葉をもらっていたが、実際はたいへんな混みよう。
 講座の参加者は60名ほどか。担当の方がプロジェクターの操作をすべてやってくれたので、視覚的には納得のいく話ができたと思っている。質問が二つ、終わってからの相談が4件。
 そのほかに声をかけてくれたお二人。一人はお父さん委員で実家が秦野の駅近くの高橋さんという方。もうひと方は「寺山に古谷という親戚がある。私は伊勢原の高部屋出身」と名乗ったお母さん。二人とも秦野のP広報を手にして一生懸命読んでいた。昨夜遅く講座に出てくれたお母さんからメールが入った。

4月18日
【No.943】 2011年04月19日

 この4月から1年間、神奈川新聞の「紙面拝見欄」を担当することになった。その第1回がきょう掲載。実は平成12(2000)年度にも同紙の「紙面直言欄」を担当したので再登板になる。そのときは紙面「直言」、今回は紙面「拝見」。「紙面に《直言》する」のと、「紙面を《拝見》する」ことの違いにこだわってしまい、1回目から苦闘している。
 10時40分から15分間ほどBSNラジオ「近藤丈靖の独占!ゴキゲンアワー」に電話で出演。「PTAは必要?不要?」についての意見を求められた。もちろん「必要」で話した。
 午後1時半から4時まで中井町教育委員会でPTA広報講座。3校で23名の参加(幼稚園児も2人いた)。中井町の講座の特長は、私の話のあと企画や編集の会議がその会場で開かれるということ。講座には参加できなかった委員も4時を目安に集ってくる。そして、私のアジテイトに乗せられて白熱した話し合いが行なわれる。教委はその会場を、お母さんたちに“気が済むまで?”使わせる。町だからできるのではなく、そういう雰囲気がある町なのだ。
 大地震の際の学校の対応がこの講座でも論じられた。子供の命にかかわることはゆるがせには出来ない、と言う母親たちの言葉を重く受け止めた。今朝、登校中の小学生6人の命が暴走したクレーン車によって奪われた。

シーズン イン
【No.942】 2011年04月16日

「あす職場の久保さんと清水さんが出席いたします。私は子どもの館で留守番です。二人ともやる気満々のようで、どうぞよろしくお願いいたします」14日こんなメールが木口さんから届いた。
 今年度の広報・新聞づくり講座は15日の松田町の広報技術講習会がスタート。PTAが3、体協、そして子ども館で参加者は18名。
 PTAは総会がまだ終わっていないので、正式には動きだせないのだが15名が出てきてくれた。2つのPTAはもう取材が進んでいるようで、具体的な質問も出た。体協の会報は校正の段階のものを見せてもらった。
 木口さんの言葉に元気付けられた2時間の講座。町教委のNさんが「長時間たいへんでしたでしょう」とねぎらいの言葉をかけてくれた。自分では昨年と変わりないと思っているのが、外見からすると、ずいぶんくたびれているように見えたのだろう。来週は3会場。初日から疲れているわけにはいかない。

4月は別れのとき
【No.941】 2011年04月10日

4日 広報コンクールに入賞したという喜びいっぱいのメールが相模原市のM小広報委員会から。
7日 市内のM小学校の広報委員長からお礼の電話「一年間クリニックをありがとうございました」。年間9号発行という充実した活動を終えたのだが今もヤル気十分とみた。  
8日 市内の学校は離任式の日。式の前にK先生が訪ねてきてくれた。K先生が新採用でH中に来たとき一緒に働いた。「両親がだいぶ弱ってきたのでお百姓を手伝わなければ」と笑う。長男が中学生になったのも区切りの一つとも言った。これからは地域で音楽活動をしたいらしい。“旅立ち”するKさんの顔は明るかった。
9日 市広報コンクールの表彰式の後、H小の昨年度のPTAの会長、情報委員、広報委員長さんか受賞の報告にみえた。今年度の会長さんも一緒だった。

きょうは「路傍の神仏を訪ねて」
【No.940】 2011年04月04日

 隣りのHさんが今年のお祭りのことで連絡に来た。
「御輿は出さないけど、復興祈願祭としてのお祭りは行なう」という主旨のお知らせを見せながら、Hさんは「“直会”という文字があったので、質問されると困るから辞書で調べちゃいました。勉強しちゃいました」とにっこり。Hさんは、こういう積極的な生き方かできる40代後半のお母さん。

 きょうは公民館主催「大山道を歩く・路傍の神仏を訪ねて」の日。総勢30名で野仏(路傍の石神、石仏の総称)を見て歩く。
 まほらの会の横山さん、小泉さんが先頭を歩き案内をした。私は軽トラで先回りして、ところどころで話をする、という横着な案内人。きょうは野仏ウオッチングの魅力のポイントを「石碑の型」「異体文字」に置いて話した。
 寺山の里のソメイヨシノは、まだ一分咲き。それで予定のコースからはずれ、「春めき」というう早咲きの桜の下を歩いた。先月25日に訪れた開成町の「瀬戸屋敷」で初めて満開の「春めき」を見た。そのとき「春めき」は「南足柄が原産」と知った。「河津桜」のように「南足柄桜」で通せばいいのに、と思っている。

四月 新しい年度始まる
【No.939】 2011年04月02日

4月1日 
 朝、校長先生に昇進したM先生に祝意を電話で伝えた。公民館に4日の講座に使う資料を持っていったら館長さんが替わっていた。その4日の講座で見せてもらうことになっている屋敷神を待っているT家に挨拶に行く。そのあと頭部を大手術したNさんを見舞う。「見舞う」と言っても、もう自宅に戻っていて以前と変わらぬ明るさで安心した。今年もザル菊の苗をお願いできた。
 午後、ホームページの更新。二つの町、一つの区から依頼されているPTA広報講座の担当者が替わったと挨拶の電話があった。東京のT先生から昨日の読売新聞に「岩手・山田町の大沢小学校の児童が避難先で新聞を作った記事が載っている」と教えてもらった。それでお隣から新聞を借りてきて読む。夕方、東中のT先生が「新聞づくり講座」の依頼状を持ってみえた。「今年は少し頑張ります」といって帰っていった。
 四月、それぞれが新しい一歩を踏み出した。
 
 さて私、四月から神奈川新聞の「紙面拝見」を書くことになった。四月分の締め切りは7日。

北国の春
【No.938】 2011年03月28日

 昨夜の「BS日本のうた」は再放送番組。千昌夫と新沼謙治がスペシャルゲスト。千は陸前高田市、新沼は大船渡市の出身と二人の会話から知った。このたびの大震災の被災地を意識しての再放送と思った。
最後に二人で歌ったのは「北国の春」。

 白樺 青空 南風
 こぶし咲くあの丘 北国の ああ北国の春
 季節が都会ではわらないだろうと 
 届いたおふくろの小さな包み 
 あの故郷へ帰ろうかな 帰ろうかな

 山吹 朝霧 水車小屋
 わらべ唄聞こえる北国の ああ北国の春
 あにきもおやじ似で無口な二人が 
 たまには酒でも飲んでるだろうか
 あの故郷へ帰ろうかな 帰ろうかな

 被災地の皆さん、そしてその地に思いがいった私だった。

大山道と大井みち
【No.937】 2011年03月26日

 昨日は「あしがり学校」の第3日。私が担当する「大山道」の講座の日。「まほらの会」のKさんが車を出してくれた。Yさん、Uさんも同乗し12時半過ぎに会場の「瀬戸屋敷」に。後から会員のOさんも来てくれた。
 この日の受講者は30名ほど。「瀬戸屋敷」の所在地は開成町金井島なので、地名「金井島」についてで話し始めた。その中で「瀬戸屋敷」の当主第18代の瀬戸洋子さんから聞いた話も紹介。予定していた事柄は話すことが出来たのである程度“納得”したのだが、受講者にはどうだったのか。
 パワーポイントを使ったが、そのセッティングや講座の中での操作を担当してくれたのは、地元の歴史研究サークルの大井みちさん。講座の最後に、大井さんのお礼を兼ねて次のように紹介した。
「きょうパソコンを担当してくださったのは《大井みちさん》、《おおやまみち》さんではありません。《大山道・おおやまみち》と《大井みち》さん、とてもご縁を感じました。私たちの会に移籍をお願いしたいくらいです。ありがとうございました」

卒業式
【No.936】 2011年03月19日

昨夜こんなメールが届きました。

 「今の状況の中、いつもと変わらない卒業式を迎えることができました。先生方に感謝です。校庭の国旗・校章旗掲揚は半旗になっていたような気がします。卒業式をできず、後日卒業証書が郵送されるという話を聞きました。それに引き換え、晴天に恵まれ、素晴らしい卒業式ができて、ほんとにうれしいです。親子ともども小学校を卒業しました」

 祐美さん 卒業おめでとう。何かを決意した日になったことでしょう。

セ・リーグ 予定通り開幕
【No.935】 2011年03月18日

 プロ野球のセ・リーグが予定通り来週25日に開幕するらしい。今朝の新聞にその声明書が出ていた。その声明は350字ほどで全文の三分の一がアメリカ大リーグが同時多発テロのときとった対応の文の説明になっている。「野球の力で復興に寄与したい」というのが主旨のようだ。野球で「元気を、勇気を与えたい」というのだ。
 このごろ感じているのだが、テレビのインタビューなどで、何かにつけて「元気もらった」とか「勇気づけられた」などという言葉を使う人が多い。(当人がそう感じるのだから、それはそれでいい。私はそう簡単にこの種の言葉は使えない。)
 被災地の人たちが電力も十分でない中での生活を強いられている夜、一方では煌々と輝くエアコン完備のドームで行なわれる野球を楽しんでいる光景。それが勇気付け、元気付けになるのだろうか。
 「ナイターは電力の消費量が大きい」というのは“俗説”と言いたいらしいWオーナー。
 「野球を通して元気と勇気を被災者に送りたい」と言ったK社長。だがこんな言葉「日程の消化のためにも」(Y球団の役員)を聞くと《経営》も透けて見える。
 「ゴルフもフィギュアスケートも、すべて中止なのに、なぜプロ野球だけが開幕にそんなにこだわるのか。被災者のことを思うと野球開催どころではない」これは阪神の金本選手。彼は仙台の大学で学んだ。
 ヤクルトの宮本選手の言葉、「野球で勇気づけることはいいとは思うが、今勇気づけられると思っているなら思い上がりだと思う」。
 選手が元気でプレーできないで、どうして勇気づけ、元気づけができるのだろうか。コミッショナーは言う「批判は甘んじて受ける」。「受ける」のではなく「受けないようにする」ことが肝要。ファンからそっぽ向かれたらプロ野球は存続できない。被災地を含め、国民の声を聞いているのか。

東北地方太平洋沖地震
【No.934】 2011年03月12日

 初めて体験する揺れにかなり緊張した。東海沖地震が来たと思った。外を眺めていたら石灯籠が崩れ落ちた。額が一枚落ち、ガラスが飛び散った。応接室の郷土玩具はちりぢりに落下。50本ほどのこけしが棚から転げ落ちた。小原庄助人形の徳利が割れた。トロフィーの女神像の両腕が折れた。9時ごろまで停電。被災地の皆さんの心労は想像するに余りある。

きょう 卒業式
【No.933】 2011年03月09日

 学校が年度末を迎えるこの季節。予備校や学習塾の新年度の生徒募集の広告が新聞にたくさん折り込まれる。その中には今年度の合格者の実績を顔写真とメッセージ付きのものもある。それぞれが喜びに満ちた笑顔で新しい学校への思いを言葉にしている。
 次はその一人A高校に合格したBさんの言葉。「A高校の新聞作りに参加したくて、志望校はここに決定☆ 最後まで夢はあきらめない! そう信じて試験会場へ。(以下略)」。
 BさんはH中学の学校新聞の委員長。この学校新聞は通巻930余号を数える伝統ある新聞。
 神奈川県の公立中学校はきょうが卒業式。Bさんの健闘を祈りたい。

3月5日 毎日ホールへ
【No.932】 2011年03月06日

 第60回全国小・中学校・PTA新聞コンクール(毎日新聞社・毎日小学生新聞・全国新聞教育研究協議会主催)の表彰式が昨日毎日新聞東京本社の毎日ホールで開かれた。このコンクールの審査に関わっていることもあって出席した。
 表彰式にはそれぞれの部門の上位入賞34紙(北は北海道、南は鹿児島と文字通り全国から)の編集者が招かれた。新聞づくりが盛んな秦野からは西中と本町小のPTA広報が招かれた。お隣の伊勢原市の高部屋小のPTAも着ていた。表彰式の後の祝賀レセプションでは、入賞の喜びの声とこの一年間の苦労話をたくさん聞かせてもらった。
 会場の後片付け、椅子や机、展示物などの片付けを関係者で行い、そのあとささやかな打ち上げの会をもった。
 このコンクールの最優秀校(小・中各1校)には内閣総理大臣賞が授与される。ここ数年その表彰状の授与者の氏名が違う。「来年は?」など、少し生臭い話も出た。今春で全国新聞教育研究協議会の会長を辞される岡野先生に、小さいけれど心を込めた花束を贈った。
 ビールを少しいただいたので、元気に8時に帰着。

小蓑毛の「大山道」の道標の祠の建て替え
【No.931】 2011年03月04日

 大山道の坂本通りは寺山から小蓑毛を通っている。その小蓑毛235の路傍に「大山道」の道標が立っている。蓑毛村、小蓑毛村、寺山村の講中によって1820年に建立されたもの。
 この道標は不動明王を戴いている。平成2年「お不動さんも野ざらしでは難儀だろう」と心配した近所のお年寄りの言葉を聞いた大工のTさんが、お不動さんのために祠を作ってさしあげた。(このことについての詳しい話は拙書「寺山ものがたり」の巻頭にある)
 その祠が痛んだので、建て替えがきょう行なわれた。23年前にこの祠を作ったTさんが「これは私の責任だから」と、今回も自費で作ってくれた。一坪ほどだが、屋根は切妻で銅版葺き。本体は総ヒノキ作りの見事なもの。Y材木店もこの棟上に協力された。私はお神酒を捧げた。

2月25日 「もうすぐ春ですねえ」
【No.930】 2011年02月26日

 午後5時を知らせるメロディチャイムが流れた。2月は「かあさんの歌」。♪ 木枯らし吹いちゃ冷たかろうって、せっせと編んだだよ ♪。この日、寺山にも『春一番』が吹いた。午後5時の青空、そして気温にはどうしても不似合いなメロディだった。
 「ハルイチバン・その春の一番最初に吹く烈南風…」と、昭和12年(1937)の『旅と伝説』十二月号に出ている。(長崎県の壱岐・郷ノ浦町の目良亀久という人が、壱岐の漁村の言葉を集め気象天文編の中)。「この風が吹き通るとそれからは風が大変柔になると云ふ」とも記している。
 壱岐では、また『春一番』を「カラシバナオトシ」ともいう。盛りのカラシバナ(菜の花)を吹き落とす風である。
 寺山に吹いた風がウチの畑の小松菜(食べきれないでトウが立っている)が黄色い花を散らしていた。
 今を盛りの河津桜。その花の濃いピンクと黄の菜の花の組み合わせが大勢の人を呼び寄せている。そのカラシバナを吹き落とすのも『春一番』。
 そして『春一番』というと「キャンディーズ」。
  
   春一番   穂口雄右 作詞/作曲

  雪がとけて川になって 流れて行きます
  つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します
  もうすぐ春ですねえ ちょっと気どってみませんか
  風が吹いて暖かさを 運んできました

偶 然
【No.929】 2011年02月24日

 掛かりつけのS歯科はお隣である。治療の日、「弘前に行ってきたので」とお土産を持っていった。助手の奥さんが、「ええッ!」。そして「私たちも弘前に行たのでお土産を買ってきたんですけど」と、青森のお土産を差し出したのだった。
 2月10日から始まった「弘前城雪灯籠祭り」を見に行ったとのこと。私は7・8日と弘前市に滞在していた。偶然を驚く。お土産が同じでなくてよかった。
 S先生がもう一つの偶然を披露した。
 青森市の「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に入ったときのこと。入口付近で見かけたの顔に出会った。秦野市長の古谷さんだった。十分知っている仲なので言葉を交わした。10、11日に青森市が開いた『ねぶたサミット』に招かれたとのこと。
 S先生は「夕食の時もまた同じ店で出会った」と笑った。
 世の中 広いようで狭い。

第60回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果
【No.928】 2011年02月22日

 第60回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果が今朝の毎日新聞紙上で発表されています。詳しくはこのホームページのリンク集から「全国新聞教育研究協議会」にアクセスして下さい。全入賞校が見られます。

京都・丹波
【No.927】 2011年02月15日

 寺山の久保にお住まいの古谷さんから電話が入った。「先日いただいた『寺山ものがたり』を読み終えました。我が家のことや久保庭の道祖神のことなどが書いてあり、とても嬉しかったです。たいへんご苦労された本だと思いました。本は今仏壇に供えました。亡くなった主人やお父さんお母さんも読んでいると思います。ありがとうございました」。
 古谷さんが『寺山ものがたり』を買いにみえたのは6日だった。京都・丹波に嫁いだ娘さんが、私のHPから生まれ故郷の「秦野市寺山久保」のことを書いた小書の存在を知り、お母さんに購入をお願いされたのだった。久保のご先祖やご主人様が読まれたあと、小書は丹波に行く。「こちらこそ嬉しい限りです。ありがとうございました」とお礼を申し上げた。

開成町の「瀬戸屋敷」
【No.926】 2011年02月14日

 昨日、開成町のあしがり郷「瀬戸屋敷」に出かけた。「瀬戸屋敷」が開いている『あしがり学級』の特別コース「歴史を刻むふるさとの道」で講師を務めることになり、その打ち合せのため。まほら秦野みちしるべの会のイラストマップの展示も3月16日から27日までおこなうので、会の横山、小泉、浦田さんにも同道をお願いした。
 「瀬戸屋敷」は建坪64坪の藁葺き寄棟の古民家、この日は明日15日から始まる「里のひな祭り」の準備の真っ最中だった。参観者より一足早く雛人形を見ることができ喜んだ私たちだった。
 開成町は矢倉沢往還が通る町。それで町内の円通寺の境内にある富士塚を訪ねた。富士講の碑が数基建っていた。秦野を通る大山道・ふじ道とのつながりを強く感じた。

鬼の宿
【No.925】 2011年02月05日

こんなメールが届きました。

「鬼の宿」のこと、初めて聞きました。そんな宿があったんですね。なんだか昔話を読んでるみたいでした。昨日、我が家から追い出された「鬼さん」もその宿に行ったかなぁ〜。
 うちの豆まきは、窓を開けると隣の家の窓、逆側の部屋の窓を開けると、道路。豆まきをするのに、気を使います。子どもに通行人や車が通らないのを確認してから!さあ!「鬼は外、福は内」でした。
 私たちが、子どもの頃は、気にしないで、おもいっきり豆を投げていたので、鬼は痛かったから宿に泊まったことでしょう。今は、きっと鬼も楽になって、宿に泊まらない鬼もいるかも。 akemi

節分 豆まきの話
【No.924】 2011年02月03日

鬼の宿
 二月三日は節分、『豆まき』の日。この日、私たちは「福は内、鬼は外!」と鬼を追い出します。その追い出された鬼は、いったいどこに行くのでしょうか。ところが、その追い出された鬼に、宿を貸している家があることを知りました。なんだか嬉しくなりました。
 東京・小平市の青梅街道沿いにある小川町の小山家では、昔から節分の日に《鬼の宿》という行事がおこなわれています。 《鬼の宿》とは、節分の日に他家から追い出された鬼を泊めてやるしきたりのある家のこと。今から一三〇年ほど前の、安政年間から始められたようです。
 この家では、お正月のお飾りにオスイゼンサマ(竹を細かく割いてスダレのように編んだもの)を作り、かまどの横に飾ります。これが節分の日の《鬼の宿》です。その日、他家で豆まきが始まる前の夕方五時ごろ、小豆ご飯を炊きサンダワラ(俵の上下に付ける蓋のようなもの)に半紙を十文字に敷き、その小豆ご飯を盛り、オスイゼンサマに供えます。そして、お神酒とお明かりも上げ、鬼を迎える準備は終わります。お明かりは夜中まで絶やすことなく灯してあるのです。やがて方々で追い出された鬼たちがこの宿に逃げ込んできます。そしてオスイゼンサマで休息します。この家では豆まきはしません。
 その夜の丑三つどき(午前二時過ぎ)この宿の年男は、絶対だれにも見られないように用心しながら、鬼を四つ辻まで送って行きます。この時、サンダワラの小豆ご飯にお神酒をかけて持っていき、四つ辻に置いてくるのです。鬼たちのお土産です。帰りは決して振り返ってはいけないのだそうです。
 「寒い夜の真夜中、たった一人で真っ暗な夜道を帰ってくるのは不気味だ。もっとも、近ごろは真夜中でも車が通るので、鬼を送り出すのにはたいへん気を使う。警官に尋問されたり、犬にほえられたりするので、昔とは違う四つ辻に送り出すように変えた」と、小山家のご主人は話しています。「親からの言い伝えで『宿』をやっています。私で四代目です。他家で嫌われ追い出された鬼でも、助けてやらなければと思い、宿を続けている。お陰で、代々幸せに暮らさせてもらっています」とも話されるのです。
 「今晩は豆で打たれて、なんぼかひどかったべす」と、鬼を家に招き入れ暖かくもてなす家が山形市にもあるそうです。奈良・吉野山の釈迦堂では「福は内、鬼も内」と豆をまきます。日本人のやさしい心に、私の心は安らぎます。
 

二 月
【No.923】 2011年02月02日

2月1日 
 昨夕、神棚や仏壇など5カ所に灯明を上げ、温かいご飯を供えた。そしてきょう2月1日は「お棚納め」。 
 屋内の正月のお飾りをすべて下ろした。床の間の『双鶴』の掛け軸も『早春』に掛け変えた。玄関を飾っていた『津軽凧絵』は書の『春の朝』に。
 「風光る二月」風は冷たいが、陽光は春が近づいてきていることを感じさせる。

皆で語ろう台町の今昔
【No.922】 2011年01月24日

 きのう、秦野・本町地区の台町自治会が「皆で語ろう台町の今昔」という会を開いた。私たち「まほらの会」は、進行中の「イラストマップ」づくりの資料にさせてもらおうということで14名が参加。
 長寿会から94歳と90歳のお二人をはじめ10数名の方が出席された。秦野から二宮まで通っていた軽便鉄道のエピソード。昭和20年頃まで台町には秦野座という常設の芝居小屋があり商店街はにぎやかだったことなど、楽しく、興味深い話を聞かせてもらった。自治会の出席者もあわせ50名ほどの会で、9時半から正午近くまで有意義な会だった。この会をきっかけに、さらに語り継ぐことをを発展させたい、と自治会長さんがまとめをされた。
 私の何よりの収穫は「立花屋半兵衛」茶舗が大正12年発行の「秦野二宮間列車時刻表」の実物を現店主・梶山欣哉さんからいただいたこと。そして、高校の同級生Mさんと50数年ぶりに出会えたこと。

だんご焼き
【No.921】 2011年01月16日

1月14日 
 きょうは「だんご焼き(道祖神祭り)」の日。清水と東の原の子どもたちは、だんごを焼いた後、あずま荘で道祖神祭りの夕食会を開いた。その会で今年もその会食会の前に道祖神祭りの民話「目一つ小僧」を話した。きょうの参加は子供が30数人、それに大人が10余名。今年は、私か描いた「寺山地区の道祖神碑」の在り処を示す地図も配り、「家族で道祖神巡りをしてください」と話した。

初雪 凧上げ 成人式
【No.920】 2011年01月11日

1月10日
 未明から雪になったようだ。いつものように5時半に起床。カーテンを開けたら白い世界が暗闇の中から浮かび上がってきた。
 この冬初めての本格的な降雪。こう書いても、このごろは雪が降るのは年に1、2回。昨夜の東京での懇親会で、10年前東京が大雪の日に新聞コンクールの審査会が開かれたことに話がおよび、そのことを懐かしく語り合ったのだが、一日違えばその再現となったのだ。積雪は2.3aほど。2階から大山の雪景色を撮る。
 きょうが冬休み最後の日、未だ雪が残っている小学校の校庭で揚げる凧が数枚、富士山を背景に舞っている。はためくゲイラカイトと一緒に、奴凧が一枚しっぽを振りながらも静止していた。
 夕方Sさん来訪。息子さんか成人式とのこと。そう、きょうは成人式だった。これまた雪に関する思い出。10数年前の成人の日、姪が成人の挨拶にきた。積もった雪の中、振袖で長靴という姿を見せてくれた。

ビッグ『エコー』二つ
【No.919】 2011年01月05日

その1
神奈川新聞がきょうから『ニュースなるほど』というページを新設。NIE(教育に新聞を)活動に本腰を入れてくれたのだ。嬉しいことだ。活字離れ、そして新聞離れがスピードアップしている今の社会。その影響は次代を担う子供たちにも大きい。教室で、茶の間で、新聞を読む子どもが増えることを期待したい。

その2
 お健やかに新年をお迎えの事とお慶び申し上げます。
新年恒例の箱根大学駅伝、初めての応援にお出かけのご様子拝見しました。私もほとんど毎年出かけてます。いつも大磯の国府新宿の所ですが今年は風祭の鈴廣前まで行きました。
 往路の中継所に最近までなっていたのですが、ここは復路だけの中継所になりました。大太鼓が鳴り響き各大学の応援合戦が賑やかでした。順位を確認して家を出ましたがその後の様子を知りたくて、横浜の姉に電話すると「早稲田、東海、東洋・・、でも柏原が東海に追いつくと思うよ」上空にヘリの音と共に歓声と応援旗が振られだし、パトカー、TV中継車、そしてエンジのユニホーム早稲田、続いて東海、ほとんど差がなく東洋、柏原選手。「うわ〜柏原だ〜」思わずシャッターをきりました。はい!私もミーハーです(笑)」沿道の大勢の応援に励まされたと言う選手の話を聞き、感動をもらって嬉しくなるのは私だけではないと思います。沿道で大勢の人が応援している姿にも感動します。
 東京女子マラソンで一位の高橋尚子選手が市ヶ谷の登り坂で追い抜かれた場面を目の前で見、抜かれた高橋選手のうしろ姿がなんとも力なく見えました。Qちゃんの力も落ちてきていると私は感じたので、もうQちゃんの雄姿もここまでと思い東京まで行きました。出発を見て品川、市ヶ谷と追っかけしました。その後のQちゃんは一度復活しかけましたが、やはり限界でした。 
 何度か駅伝(伊勢神宮大学駅伝、横浜女子駅伝)やマラソンの大会を見に行ってますが、実際にみてTVで感じる事の出来ない事を感じる事があります。それは、選手の息使いは感じますが、足音がしない事。これには驚きました。あんなに大勢の選手が一団となって走っていても靴音というか足音がしない。ばたばたした走り方でない(これはランニングの基本なんでしょうが)これは実際みて解りました。最もそんな事当たり前のことかもしれせんが・・・
 とにかく「動かなければ出会えない」です。昨年もこいう経験が沢山ありました。動きたくても動けない、不調の時が多くなってきましたが「動かなければ出会えない」を胆に銘じてこの一年を過ごしたいと思っています。武先生のご多幸とご健康をお祈りいたします。 maki

動かなければ出会えない
【No.918】 2011年01月03日

 今年初めての「動かなければ出会えない」
 箱根駅伝を見に行った。初めてのことである。
 小田原中継所のリレーゾーンの出口に陣取ったのが10時少し前。このリレーゾーンで5区を走る選手はアップする。東洋大の柏原竜二選手が往復するたびに観衆から声援が飛ぶ。大学名ではなく「カシワバラー」と個人名。私の周りのおばさんたちの声。アイドルを見つめる眼だ。中継所の向かい側の二階の窓からも子どもの声「柏原選手 がんばってー」。淡々とアップする選手たちだが、表情は“集中”している。一人だけ観客に向けて手を振りニッコリした選手がいた。たぶん知り合いがいたのだろう。その選手、後で知ったがのだが、登りで失速した。
 襷のリレーの時間が近づくと「そこのおじさん、どいて」と私の後ろのおばさんたちから声が飛ぶ。“おじさん”とは大会運営委員のこと。おじさんは全く聞こえないふり。「背の高いおじょうさん、見えないんだけど」。これもそのおばさんたち。椅子に坐っていた私が「私が立ったら見えないよね」と言ったら「坐ってて!」。そして私の陣地も徐々に攻められ始めた。襷を引き継いだ選手たちはまさに“飛ぶ”ように目の前を走り去る。校名を確認して応援をする、というような余裕は無い。テレビで観れば十分、ともいえるが、小田原中継所での3時間は興味津々の駅伝観戦。柏原選手の写真を3枚撮った《ミーハー》である。 

年の初めに
【No.917】 2011年01月01日

2011年1月1日
 「ゆく年くる年」で午前零時の時報を聞いてから、例年のように鹿島神社と円通寺に初詣でに出かけた。
 円通寺では二人の住持による新年のお勤めが始まるところだった。それで10分間ほど読経を聴くことができた。観音経だった。身も心も清められた。本堂の中に居るのは私たちだけ。たとえとしてはあまり良くないが、年の初めからものすごく“得”をしたような気になった。帰り道、見上げた星座の輝きもまた今年一年に向う心を引き締めてくれた。

 いただいた年賀状の中から心に響いた2通
その1「3年前、H中学校で広報委員長をしていたAです。つい先日、広報メディア科に合格しました。中学校での新聞づくりがきっかけで、もっと新聞のことを勉強しようと思いました。春から大学生、頑張ります! 先生もお体に気をつけて、元気でいてください」
その2「空を見上げることが好きな私です。ノッポなビルが立っていると、“空はみんなのものなのに”と叫びたくなります」この女性、名前は登樹江さんです。

盆地根性丸出し
【No.916】 2010年12月26日

 昨日、Aさんから動画のクリスマスカードをいただいた。付けられたメッセージは、
 「 武先生 まだ、うちの子(娘)は、サンタを信じてます。私『サンタは、信じている子にはいるんだよ。でも、中学生になると、信じていてもこなくなるの。来ても、その家は通過しちゃうそうよ』。 娘『でも、ワタシ、サンタさんに会いたいの』。こんな会話を今年もしました。サンタになりすまして、今年もサンタからのお手紙を私が書きます。手書きだとバレてしいますので、パソコンで。今はサンタもパソコンの時代です」
 
 きょうは全国高校駅伝大会が京都で開かれる。昨日の朝日新聞のスポーツ欄にその展開予想が書かれていた。女子の部での神奈川代表・秦野高校は予選の持ちタイムが全国で5番目。だから優勝にからむ学校の一つに挙げられている。秦野高校は私の母校。「全国紙のスポーツ欄・全国版だぜ!」と私は喜ぶ、胸を張る! 秦野人は「盆地根性丸出し」と、昔はよく言われた。私はその秦野人の典型。

12月20日 JA組合員講座
【No.915】 2010年12月21日

 JAの組合員講座。先週15日にもった講座は組合員“基礎”講座。きょうの“組合員”講座は基礎講座を修了した組合員が受講生、言うなれば上級講座。基礎講座が「おもしろい」と好評とかで、担当のBさんによれば「きょうは過去最高の出席」。
 講座は「地域の伝承文化について・大山道と里人の暮らし」。教え子のM参事がセッティングしてくれた2つの投影機を駆使し?、「富士山の主神・木花之佐久夜毘賣命の火中出産の話」と「道祖神祭りのいわれ」を話す。女性組合員が半数を超えていたので、反応は良好で、「楽しかった」という感想を何人からかもらった。「一役果たした」という安堵感が湧き上がってきた。
「まほら秦野みちしるべの会」の小泉さん、横山さんがサポートのため参加してくれた。感謝!
 これで今年の講演・講座は大団円。帰りにお米屋さんに寄り、伸し餅とお供えを注文。明日から新年を迎える準備に入る。

正月事始
【No.914】 2010年12月16日

12月15日 「JAはだの」の組合員基礎講座、その2『続大山道と里人の暮らし』を午後1時半から。
 いつも時間オーバー、それが私の熱意の表れみたいに思っていた。だが、きょうは意識して3時2分前に終わらせた。私としては納得の講座。少なくとも時間通りに終えたことはよかった。道祖神の話、奪衣婆の話は受けた。終わって数人から質問を受けた。

12月13日 「正月事始」の日だそうで、鶴岡八幡宮のすす払いや破魔矢作りが放映された。わが家もきょうから庭師が入った。だか雨、午前中で引き揚げてもらった。
 「エコー」の読者・信楽の倉田さんから来年の干支の卯(兎)の信楽焼が届いた。今回で25年になる。一足早く新年を迎えたわが家。

12月11日
 佐賀に住む「エコー」の読者Tさんがひょっこり来訪。東中時代の教え子、「東中新聞」の委員を三年間務めた彼女。「先生、変わらない!」。そういう彼女の澄んだ眼は昔のまま。ご主人が側でにこにこ。兄弟会で箱根に一泊の旅、その途中で訪ねてきてくれた。嬉しかった。

12月7日 横浜ウオーカー
【No.913】 2010年12月09日

 関内駅に着いたのは12時半頃。きょうの会場までは徒歩で約5分。1時の開会だから余裕の時間。改札口を出てなんの躊躇もなく海側に歩を進めた。ところが地図で確認したビルが確認できなかった。それでも「こっちだろう」と進む。きょうの会場には数回出かけたことがあるので、そのうちに見つかるだろうとあちこち角を回った。
 目指すビルが見当たらない、時計を見たら1時10分前、慌てて担当のYさんに電話した「Aホテルの近くにいるのだけど」。Yさんは私のいるところが分らない、と言う。「改札口に戻ってください。迎えに行きますから」。
 5分ほどで改札口に戻る。汗が流れた。1時を過ぎてもYさんは現われない。携帯が鳴った「先生。どこにいるんですか。さっきから改札口で待っているんですが」。南口と北口との違い。駅に降り立ったとき、海側と山側の認識が逆だった。それが全て。
 会場に着いたら開会を15分過ぎていた。会議は進められていた。皆さんの視線が痛かった。冷たい汗が背中を流れていた。
 この日の万歩計は1万5千を刻んでいた。普段はせいせい3千歩、迷子の横浜ウオーカーの実態あらわな数値だ。

毎日新聞・千葉版
【No.912】 2010年12月04日

市川市の菅原さんから次のようなメールが入った。

  冬の透きとおった青空の下、わが家の西の窓から東京スカイツリーと富士山の姿(右半分)がくっきりと望め、快適です。ご存知だと思いますが、今朝の毎日・千葉版に柏市での先生の講座のことが掲載されていました。以下がその記事です。

柏・小中PTA研修会:元校長、広報紙作りに助言 季節感、視点など具体的に 
 柏市PTA連絡協議会の研修会「広報紙クリニック」が市中央公民館で開かれ、元中学校長の武勝美さん(74)が、小中学校の広報委員たちが作った広報紙を見ながら改善点をアドバイスした。協議会は5月に研修会「広報紙の作り方」を開催。武さんが委員たちに取材や編集のコツを教え、委員たちはその後、指導を生かして広報紙を発行した。
 今回は武さんが広報紙を「添削」。「夏休み直前に出した第2号の表紙が入学式の写真とは……。もっと季節感のある題材を」「卒業式の日に配る号に、予行演習で撮った写真を載せる方法もある」「『自分たち保護者も卒業』という視点も入れ、わが子へのメッセージを募集して掲載しては」など具体的に助言した。
 

12月 冬の風物詩
【No.911】 2010年12月03日

12月1日
 きょうに合わせたかのようにCoventryのGraham家からクリスマスカードが届く。Graham家とお付き合いが始まったのは20数年前、今年もまた先を越された。Veraさん独特の文字・アルファベットのAが台形のような筆跡・が見られた。Veraさんは80歳半ばのはず、健在のようだ。嬉しい。
「明日は雨」という予報。それで庭の隅にまとめておいた落ち葉を燃やす。ベニアズマを一本火の中に。2時間ほどかけて焼き芋を一本作った。二人だけの生活だから一本で足る。

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