小蓑毛の「大山道」の道標の祠の建て替え 【No.931】 2011年03月04日
大山道の坂本通りは寺山から小蓑毛を通っている。その小蓑毛235の路傍に「大山道」の道標が立っている。蓑毛村、小蓑毛村、寺山村の講中によって1820年に建立されたもの。 この道標は不動明王を戴いている。平成2年「お不動さんも野ざらしでは難儀だろう」と心配した近所のお年寄りの言葉を聞いた大工のTさんが、お不動さんのために祠を作ってさしあげた。(このことについての詳しい話は拙書「寺山ものがたり」の巻頭にある) その祠が痛んだので、建て替えがきょう行なわれた。23年前にこの祠を作ったTさんが「これは私の責任だから」と、今回も自費で作ってくれた。一坪ほどだが、屋根は切妻で銅版葺き。本体は総ヒノキ作りの見事なもの。Y材木店もこの棟上に協力された。私はお神酒を捧げた。
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2月25日 「もうすぐ春ですねえ」 【No.930】 2011年02月26日
午後5時を知らせるメロディチャイムが流れた。2月は「かあさんの歌」。♪ 木枯らし吹いちゃ冷たかろうって、せっせと編んだだよ ♪。この日、寺山にも『春一番』が吹いた。午後5時の青空、そして気温にはどうしても不似合いなメロディだった。 「ハルイチバン・その春の一番最初に吹く烈南風…」と、昭和12年(1937)の『旅と伝説』十二月号に出ている。(長崎県の壱岐・郷ノ浦町の目良亀久という人が、壱岐の漁村の言葉を集め気象天文編の中)。「この風が吹き通るとそれからは風が大変柔になると云ふ」とも記している。 壱岐では、また『春一番』を「カラシバナオトシ」ともいう。盛りのカラシバナ(菜の花)を吹き落とす風である。 寺山に吹いた風がウチの畑の小松菜(食べきれないでトウが立っている)が黄色い花を散らしていた。 今を盛りの河津桜。その花の濃いピンクと黄の菜の花の組み合わせが大勢の人を呼び寄せている。そのカラシバナを吹き落とすのも『春一番』。 そして『春一番』というと「キャンディーズ」。 春一番 穂口雄右 作詞/作曲
雪がとけて川になって 流れて行きます つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します もうすぐ春ですねえ ちょっと気どってみませんか 風が吹いて暖かさを 運んできました
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偶 然 【No.929】 2011年02月24日
掛かりつけのS歯科はお隣である。治療の日、「弘前に行ってきたので」とお土産を持っていった。助手の奥さんが、「ええッ!」。そして「私たちも弘前に行たのでお土産を買ってきたんですけど」と、青森のお土産を差し出したのだった。 2月10日から始まった「弘前城雪灯籠祭り」を見に行ったとのこと。私は7・8日と弘前市に滞在していた。偶然を驚く。お土産が同じでなくてよかった。 S先生がもう一つの偶然を披露した。 青森市の「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に入ったときのこと。入口付近で見かけたの顔に出会った。秦野市長の古谷さんだった。十分知っている仲なので言葉を交わした。10、11日に青森市が開いた『ねぶたサミット』に招かれたとのこと。 S先生は「夕食の時もまた同じ店で出会った」と笑った。 世の中 広いようで狭い。
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第60回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果 【No.928】 2011年02月22日
第60回全国小・中学校・PTA新聞コンクールの結果が今朝の毎日新聞紙上で発表されています。詳しくはこのホームページのリンク集から「全国新聞教育研究協議会」にアクセスして下さい。全入賞校が見られます。
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京都・丹波 【No.927】 2011年02月15日
寺山の久保にお住まいの古谷さんから電話が入った。「先日いただいた『寺山ものがたり』を読み終えました。我が家のことや久保庭の道祖神のことなどが書いてあり、とても嬉しかったです。たいへんご苦労された本だと思いました。本は今仏壇に供えました。亡くなった主人やお父さんお母さんも読んでいると思います。ありがとうございました」。 古谷さんが『寺山ものがたり』を買いにみえたのは6日だった。京都・丹波に嫁いだ娘さんが、私のHPから生まれ故郷の「秦野市寺山久保」のことを書いた小書の存在を知り、お母さんに購入をお願いされたのだった。久保のご先祖やご主人様が読まれたあと、小書は丹波に行く。「こちらこそ嬉しい限りです。ありがとうございました」とお礼を申し上げた。
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開成町の「瀬戸屋敷」 【No.926】 2011年02月14日
昨日、開成町のあしがり郷「瀬戸屋敷」に出かけた。「瀬戸屋敷」が開いている『あしがり学級』の特別コース「歴史を刻むふるさとの道」で講師を務めることになり、その打ち合せのため。まほら秦野みちしるべの会のイラストマップの展示も3月16日から27日までおこなうので、会の横山、小泉、浦田さんにも同道をお願いした。 「瀬戸屋敷」は建坪64坪の藁葺き寄棟の古民家、この日は明日15日から始まる「里のひな祭り」の準備の真っ最中だった。参観者より一足早く雛人形を見ることができ喜んだ私たちだった。 開成町は矢倉沢往還が通る町。それで町内の円通寺の境内にある富士塚を訪ねた。富士講の碑が数基建っていた。秦野を通る大山道・ふじ道とのつながりを強く感じた。
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鬼の宿 【No.925】 2011年02月05日
こんなメールが届きました。
「鬼の宿」のこと、初めて聞きました。そんな宿があったんですね。なんだか昔話を読んでるみたいでした。昨日、我が家から追い出された「鬼さん」もその宿に行ったかなぁ〜。 うちの豆まきは、窓を開けると隣の家の窓、逆側の部屋の窓を開けると、道路。豆まきをするのに、気を使います。子どもに通行人や車が通らないのを確認してから!さあ!「鬼は外、福は内」でした。 私たちが、子どもの頃は、気にしないで、おもいっきり豆を投げていたので、鬼は痛かったから宿に泊まったことでしょう。今は、きっと鬼も楽になって、宿に泊まらない鬼もいるかも。 akemi
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節分 豆まきの話 【No.924】 2011年02月03日
鬼の宿 二月三日は節分、『豆まき』の日。この日、私たちは「福は内、鬼は外!」と鬼を追い出します。その追い出された鬼は、いったいどこに行くのでしょうか。ところが、その追い出された鬼に、宿を貸している家があることを知りました。なんだか嬉しくなりました。 東京・小平市の青梅街道沿いにある小川町の小山家では、昔から節分の日に《鬼の宿》という行事がおこなわれています。 《鬼の宿》とは、節分の日に他家から追い出された鬼を泊めてやるしきたりのある家のこと。今から一三〇年ほど前の、安政年間から始められたようです。 この家では、お正月のお飾りにオスイゼンサマ(竹を細かく割いてスダレのように編んだもの)を作り、かまどの横に飾ります。これが節分の日の《鬼の宿》です。その日、他家で豆まきが始まる前の夕方五時ごろ、小豆ご飯を炊きサンダワラ(俵の上下に付ける蓋のようなもの)に半紙を十文字に敷き、その小豆ご飯を盛り、オスイゼンサマに供えます。そして、お神酒とお明かりも上げ、鬼を迎える準備は終わります。お明かりは夜中まで絶やすことなく灯してあるのです。やがて方々で追い出された鬼たちがこの宿に逃げ込んできます。そしてオスイゼンサマで休息します。この家では豆まきはしません。 その夜の丑三つどき(午前二時過ぎ)この宿の年男は、絶対だれにも見られないように用心しながら、鬼を四つ辻まで送って行きます。この時、サンダワラの小豆ご飯にお神酒をかけて持っていき、四つ辻に置いてくるのです。鬼たちのお土産です。帰りは決して振り返ってはいけないのだそうです。 「寒い夜の真夜中、たった一人で真っ暗な夜道を帰ってくるのは不気味だ。もっとも、近ごろは真夜中でも車が通るので、鬼を送り出すのにはたいへん気を使う。警官に尋問されたり、犬にほえられたりするので、昔とは違う四つ辻に送り出すように変えた」と、小山家のご主人は話しています。「親からの言い伝えで『宿』をやっています。私で四代目です。他家で嫌われ追い出された鬼でも、助けてやらなければと思い、宿を続けている。お陰で、代々幸せに暮らさせてもらっています」とも話されるのです。 「今晩は豆で打たれて、なんぼかひどかったべす」と、鬼を家に招き入れ暖かくもてなす家が山形市にもあるそうです。奈良・吉野山の釈迦堂では「福は内、鬼も内」と豆をまきます。日本人のやさしい心に、私の心は安らぎます。
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二 月 【No.923】 2011年02月02日
2月1日 昨夕、神棚や仏壇など5カ所に灯明を上げ、温かいご飯を供えた。そしてきょう2月1日は「お棚納め」。 屋内の正月のお飾りをすべて下ろした。床の間の『双鶴』の掛け軸も『早春』に掛け変えた。玄関を飾っていた『津軽凧絵』は書の『春の朝』に。 「風光る二月」風は冷たいが、陽光は春が近づいてきていることを感じさせる。
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皆で語ろう台町の今昔 【No.922】 2011年01月24日
きのう、秦野・本町地区の台町自治会が「皆で語ろう台町の今昔」という会を開いた。私たち「まほらの会」は、進行中の「イラストマップ」づくりの資料にさせてもらおうということで14名が参加。 長寿会から94歳と90歳のお二人をはじめ10数名の方が出席された。秦野から二宮まで通っていた軽便鉄道のエピソード。昭和20年頃まで台町には秦野座という常設の芝居小屋があり商店街はにぎやかだったことなど、楽しく、興味深い話を聞かせてもらった。自治会の出席者もあわせ50名ほどの会で、9時半から正午近くまで有意義な会だった。この会をきっかけに、さらに語り継ぐことをを発展させたい、と自治会長さんがまとめをされた。 私の何よりの収穫は「立花屋半兵衛」茶舗が大正12年発行の「秦野二宮間列車時刻表」の実物を現店主・梶山欣哉さんからいただいたこと。そして、高校の同級生Mさんと50数年ぶりに出会えたこと。
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だんご焼き 【No.921】 2011年01月16日
1月14日 きょうは「だんご焼き(道祖神祭り)」の日。清水と東の原の子どもたちは、だんごを焼いた後、あずま荘で道祖神祭りの夕食会を開いた。その会で今年もその会食会の前に道祖神祭りの民話「目一つ小僧」を話した。きょうの参加は子供が30数人、それに大人が10余名。今年は、私か描いた「寺山地区の道祖神碑」の在り処を示す地図も配り、「家族で道祖神巡りをしてください」と話した。
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初雪 凧上げ 成人式 【No.920】 2011年01月11日
1月10日 未明から雪になったようだ。いつものように5時半に起床。カーテンを開けたら白い世界が暗闇の中から浮かび上がってきた。 この冬初めての本格的な降雪。こう書いても、このごろは雪が降るのは年に1、2回。昨夜の東京での懇親会で、10年前東京が大雪の日に新聞コンクールの審査会が開かれたことに話がおよび、そのことを懐かしく語り合ったのだが、一日違えばその再現となったのだ。積雪は2.3aほど。2階から大山の雪景色を撮る。 きょうが冬休み最後の日、未だ雪が残っている小学校の校庭で揚げる凧が数枚、富士山を背景に舞っている。はためくゲイラカイトと一緒に、奴凧が一枚しっぽを振りながらも静止していた。 夕方Sさん来訪。息子さんか成人式とのこと。そう、きょうは成人式だった。これまた雪に関する思い出。10数年前の成人の日、姪が成人の挨拶にきた。積もった雪の中、振袖で長靴という姿を見せてくれた。
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ビッグ『エコー』二つ 【No.919】 2011年01月05日
その1 神奈川新聞がきょうから『ニュースなるほど』というページを新設。NIE(教育に新聞を)活動に本腰を入れてくれたのだ。嬉しいことだ。活字離れ、そして新聞離れがスピードアップしている今の社会。その影響は次代を担う子供たちにも大きい。教室で、茶の間で、新聞を読む子どもが増えることを期待したい。
その2 お健やかに新年をお迎えの事とお慶び申し上げます。 新年恒例の箱根大学駅伝、初めての応援にお出かけのご様子拝見しました。私もほとんど毎年出かけてます。いつも大磯の国府新宿の所ですが今年は風祭の鈴廣前まで行きました。 往路の中継所に最近までなっていたのですが、ここは復路だけの中継所になりました。大太鼓が鳴り響き各大学の応援合戦が賑やかでした。順位を確認して家を出ましたがその後の様子を知りたくて、横浜の姉に電話すると「早稲田、東海、東洋・・、でも柏原が東海に追いつくと思うよ」上空にヘリの音と共に歓声と応援旗が振られだし、パトカー、TV中継車、そしてエンジのユニホーム早稲田、続いて東海、ほとんど差がなく東洋、柏原選手。「うわ〜柏原だ〜」思わずシャッターをきりました。はい!私もミーハーです(笑)」沿道の大勢の応援に励まされたと言う選手の話を聞き、感動をもらって嬉しくなるのは私だけではないと思います。沿道で大勢の人が応援している姿にも感動します。 東京女子マラソンで一位の高橋尚子選手が市ヶ谷の登り坂で追い抜かれた場面を目の前で見、抜かれた高橋選手のうしろ姿がなんとも力なく見えました。Qちゃんの力も落ちてきていると私は感じたので、もうQちゃんの雄姿もここまでと思い東京まで行きました。出発を見て品川、市ヶ谷と追っかけしました。その後のQちゃんは一度復活しかけましたが、やはり限界でした。 何度か駅伝(伊勢神宮大学駅伝、横浜女子駅伝)やマラソンの大会を見に行ってますが、実際にみてTVで感じる事の出来ない事を感じる事があります。それは、選手の息使いは感じますが、足音がしない事。これには驚きました。あんなに大勢の選手が一団となって走っていても靴音というか足音がしない。ばたばたした走り方でない(これはランニングの基本なんでしょうが)これは実際みて解りました。最もそんな事当たり前のことかもしれせんが・・・ とにかく「動かなければ出会えない」です。昨年もこいう経験が沢山ありました。動きたくても動けない、不調の時が多くなってきましたが「動かなければ出会えない」を胆に銘じてこの一年を過ごしたいと思っています。武先生のご多幸とご健康をお祈りいたします。 maki
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動かなければ出会えない 【No.918】 2011年01月03日
今年初めての「動かなければ出会えない」 箱根駅伝を見に行った。初めてのことである。 小田原中継所のリレーゾーンの出口に陣取ったのが10時少し前。このリレーゾーンで5区を走る選手はアップする。東洋大の柏原竜二選手が往復するたびに観衆から声援が飛ぶ。大学名ではなく「カシワバラー」と個人名。私の周りのおばさんたちの声。アイドルを見つめる眼だ。中継所の向かい側の二階の窓からも子どもの声「柏原選手 がんばってー」。淡々とアップする選手たちだが、表情は“集中”している。一人だけ観客に向けて手を振りニッコリした選手がいた。たぶん知り合いがいたのだろう。その選手、後で知ったがのだが、登りで失速した。 襷のリレーの時間が近づくと「そこのおじさん、どいて」と私の後ろのおばさんたちから声が飛ぶ。“おじさん”とは大会運営委員のこと。おじさんは全く聞こえないふり。「背の高いおじょうさん、見えないんだけど」。これもそのおばさんたち。椅子に坐っていた私が「私が立ったら見えないよね」と言ったら「坐ってて!」。そして私の陣地も徐々に攻められ始めた。襷を引き継いだ選手たちはまさに“飛ぶ”ように目の前を走り去る。校名を確認して応援をする、というような余裕は無い。テレビで観れば十分、ともいえるが、小田原中継所での3時間は興味津々の駅伝観戦。柏原選手の写真を3枚撮った《ミーハー》である。
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年の初めに 【No.917】 2011年01月01日
2011年1月1日 「ゆく年くる年」で午前零時の時報を聞いてから、例年のように鹿島神社と円通寺に初詣でに出かけた。 円通寺では二人の住持による新年のお勤めが始まるところだった。それで10分間ほど読経を聴くことができた。観音経だった。身も心も清められた。本堂の中に居るのは私たちだけ。たとえとしてはあまり良くないが、年の初めからものすごく“得”をしたような気になった。帰り道、見上げた星座の輝きもまた今年一年に向う心を引き締めてくれた。
いただいた年賀状の中から心に響いた2通 その1「3年前、H中学校で広報委員長をしていたAです。つい先日、広報メディア科に合格しました。中学校での新聞づくりがきっかけで、もっと新聞のことを勉強しようと思いました。春から大学生、頑張ります! 先生もお体に気をつけて、元気でいてください」 その2「空を見上げることが好きな私です。ノッポなビルが立っていると、“空はみんなのものなのに”と叫びたくなります」この女性、名前は登樹江さんです。
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盆地根性丸出し 【No.916】 2010年12月26日
昨日、Aさんから動画のクリスマスカードをいただいた。付けられたメッセージは、 「 武先生 まだ、うちの子(娘)は、サンタを信じてます。私『サンタは、信じている子にはいるんだよ。でも、中学生になると、信じていてもこなくなるの。来ても、その家は通過しちゃうそうよ』。 娘『でも、ワタシ、サンタさんに会いたいの』。こんな会話を今年もしました。サンタになりすまして、今年もサンタからのお手紙を私が書きます。手書きだとバレてしいますので、パソコンで。今はサンタもパソコンの時代です」 きょうは全国高校駅伝大会が京都で開かれる。昨日の朝日新聞のスポーツ欄にその展開予想が書かれていた。女子の部での神奈川代表・秦野高校は予選の持ちタイムが全国で5番目。だから優勝にからむ学校の一つに挙げられている。秦野高校は私の母校。「全国紙のスポーツ欄・全国版だぜ!」と私は喜ぶ、胸を張る! 秦野人は「盆地根性丸出し」と、昔はよく言われた。私はその秦野人の典型。
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12月20日 JA組合員講座 【No.915】 2010年12月21日
JAの組合員講座。先週15日にもった講座は組合員“基礎”講座。きょうの“組合員”講座は基礎講座を修了した組合員が受講生、言うなれば上級講座。基礎講座が「おもしろい」と好評とかで、担当のBさんによれば「きょうは過去最高の出席」。 講座は「地域の伝承文化について・大山道と里人の暮らし」。教え子のM参事がセッティングしてくれた2つの投影機を駆使し?、「富士山の主神・木花之佐久夜毘賣命の火中出産の話」と「道祖神祭りのいわれ」を話す。女性組合員が半数を超えていたので、反応は良好で、「楽しかった」という感想を何人からかもらった。「一役果たした」という安堵感が湧き上がってきた。 「まほら秦野みちしるべの会」の小泉さん、横山さんがサポートのため参加してくれた。感謝! これで今年の講演・講座は大団円。帰りにお米屋さんに寄り、伸し餅とお供えを注文。明日から新年を迎える準備に入る。
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正月事始 【No.914】 2010年12月16日
12月15日 「JAはだの」の組合員基礎講座、その2『続大山道と里人の暮らし』を午後1時半から。 いつも時間オーバー、それが私の熱意の表れみたいに思っていた。だが、きょうは意識して3時2分前に終わらせた。私としては納得の講座。少なくとも時間通りに終えたことはよかった。道祖神の話、奪衣婆の話は受けた。終わって数人から質問を受けた。
12月13日 「正月事始」の日だそうで、鶴岡八幡宮のすす払いや破魔矢作りが放映された。わが家もきょうから庭師が入った。だか雨、午前中で引き揚げてもらった。 「エコー」の読者・信楽の倉田さんから来年の干支の卯(兎)の信楽焼が届いた。今回で25年になる。一足早く新年を迎えたわが家。
12月11日 佐賀に住む「エコー」の読者Tさんがひょっこり来訪。東中時代の教え子、「東中新聞」の委員を三年間務めた彼女。「先生、変わらない!」。そういう彼女の澄んだ眼は昔のまま。ご主人が側でにこにこ。兄弟会で箱根に一泊の旅、その途中で訪ねてきてくれた。嬉しかった。
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12月7日 横浜ウオーカー 【No.913】 2010年12月09日
関内駅に着いたのは12時半頃。きょうの会場までは徒歩で約5分。1時の開会だから余裕の時間。改札口を出てなんの躊躇もなく海側に歩を進めた。ところが地図で確認したビルが確認できなかった。それでも「こっちだろう」と進む。きょうの会場には数回出かけたことがあるので、そのうちに見つかるだろうとあちこち角を回った。 目指すビルが見当たらない、時計を見たら1時10分前、慌てて担当のYさんに電話した「Aホテルの近くにいるのだけど」。Yさんは私のいるところが分らない、と言う。「改札口に戻ってください。迎えに行きますから」。 5分ほどで改札口に戻る。汗が流れた。1時を過ぎてもYさんは現われない。携帯が鳴った「先生。どこにいるんですか。さっきから改札口で待っているんですが」。南口と北口との違い。駅に降り立ったとき、海側と山側の認識が逆だった。それが全て。 会場に着いたら開会を15分過ぎていた。会議は進められていた。皆さんの視線が痛かった。冷たい汗が背中を流れていた。 この日の万歩計は1万5千を刻んでいた。普段はせいせい3千歩、迷子の横浜ウオーカーの実態あらわな数値だ。
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毎日新聞・千葉版 【No.912】 2010年12月04日
市川市の菅原さんから次のようなメールが入った。
冬の透きとおった青空の下、わが家の西の窓から東京スカイツリーと富士山の姿(右半分)がくっきりと望め、快適です。ご存知だと思いますが、今朝の毎日・千葉版に柏市での先生の講座のことが掲載されていました。以下がその記事です。
柏・小中PTA研修会:元校長、広報紙作りに助言 季節感、視点など具体的に 柏市PTA連絡協議会の研修会「広報紙クリニック」が市中央公民館で開かれ、元中学校長の武勝美さん(74)が、小中学校の広報委員たちが作った広報紙を見ながら改善点をアドバイスした。協議会は5月に研修会「広報紙の作り方」を開催。武さんが委員たちに取材や編集のコツを教え、委員たちはその後、指導を生かして広報紙を発行した。 今回は武さんが広報紙を「添削」。「夏休み直前に出した第2号の表紙が入学式の写真とは……。もっと季節感のある題材を」「卒業式の日に配る号に、予行演習で撮った写真を載せる方法もある」「『自分たち保護者も卒業』という視点も入れ、わが子へのメッセージを募集して掲載しては」など具体的に助言した。
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12月 冬の風物詩 【No.911】 2010年12月03日
12月1日 きょうに合わせたかのようにCoventryのGraham家からクリスマスカードが届く。Graham家とお付き合いが始まったのは20数年前、今年もまた先を越された。Veraさん独特の文字・アルファベットのAが台形のような筆跡・が見られた。Veraさんは80歳半ばのはず、健在のようだ。嬉しい。 「明日は雨」という予報。それで庭の隅にまとめておいた落ち葉を燃やす。ベニアズマを一本火の中に。2時間ほどかけて焼き芋を一本作った。二人だけの生活だから一本で足る。
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山レイディ 【No.910】 2010年12月01日
11月30日 東公民館主催の「古道・大山道を歩く」の講座。大山阿夫利神社奥の院から下りて来た参加者を坂本道の途中にある松下家の古民家で迎えた。 その古民家の板の間で「富士山と主神コノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)」「医者も花嫁も通った坂本道」についての話を聞いてもらう。 きょうの健脚コースを歩いたのは女性20名、男性4名。今「山ガール」ブームとか。まさに実感! この“山レイディ”たちは話もよく聞いてくれた。
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11月22日 今年最後の広報講座 【No.909】 2010年11月24日
今年で6年になった柏市P連の広報講座。きょうの講座のタイトルはそのものズバリの「PTA広報を作って」。内容は今年度発行された広報紙の紙面クリニック、そして年度最終号へのアドバイス。 9時半からが小学校の部で20校の参加。終了は12時15分。13時20分から14時50分までが中学校の部で参加は12校。 過去のものと比べ、今年度発行された各広報紙の充実ぶりが嬉しく、私のボルテージも上がった。この日の講座で今年の広報紙づくりの講座は終了。
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若いまち 若いひと 【No.908】 2010年11月19日
11月18日 9時半から相模原市の橋本公民館で旭ブロックのPTA広報づくりの講座。次号の企画会議に加わってアドバイスをするのがこの日の講座。5月に1度話を聞いてもらっているので、お母さんたちも私もあまり緊張しないで意見や考えを言い合える。 この講座を主催した4人の役員からも、4人で発行しなければいけない広報紙の発行(内容)についての相談があった。いくつかヒントを与えたら、たちまち本格的な話し合いを始め、方向性を出してしまった。 相模原市は文字通り広々としたまち。先ごろ政令都市になったばかりの若いまちだから住む人々も若い。この日集った人たちはみな明るく元気。なにより私の言葉への反応がすばやい。こんな皆さんに会えたきょうは良い日だった。
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きょうは大安 【No.907】 2010年11月15日
11月13日 午後1時30分から中野区のPTA広報講座。今回が年度3回目。この日までに発行された広報誌の紙面クリニックと年度最終号へのアドバイス。まとめに「新聞で学校に三つの声を響かせよう ―子供の声を学校・学級新聞で 保護者の願いをPTA広報紙に、教師の思いを学校・学級だよりで― 」と呼びかけた。閉会の言葉の中で、この三つの言葉が確認された。よかった! 秦野駅に着いたのは6時10分前。駅前のホテル9階のラウンジでの同窓会に駆けつける。昭和45年度の卒業生の会。「40年ぶり・初めての出席」という二人がいた。大坂府警に出向中のHさんは前日までエイペックの警備て横浜に居たとのこと。この日の同窓会の開催を「ラッキー」と喜んでいた。 「二次会へ」という誘いがあったが「きょうはムリ」と断る。きょうの行動時間の長さもあるが、一日に二つの仕事(?)をこなす、というのはこの年齢になると、体力的な“たいへん感”を覚える。 きょうは《大安》。充実した一日を創ってくれた皆さんに心からに感謝したい。
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センチメンタルな秋 【No.906】 2010年11月09日
がまずみの実を噛み砕く阿蘇落暉 伊佐 利子 ここ数日、秋日和が続いている。西に傾いた陽光を受け、ゴルフ場のガードレールが白く光る。そのゴルフ場を囲む山々の落葉樹が少しずつ秋の色を見せ始めている。あの山でもう熟れたと思って真っ赤ながまずみの実をほおばった。渋さの中にわずかな甘味。子供のころの晩秋の思い出。
田の神の去りて一村刈田かな 筑波 啓一 東公民館祭りに「菊」「壁新聞」そして「イラストマップ・みちしるべの会」で参加。疲れたが、充実した2日間だった。 公民館の隣りは緑一杯のヒツジ田。忘れられた案山子の色あせた麦藁帽子に過ぎ去った夏を思う。
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新聞づくりの先生 【No.905】 2010年11月06日
11月4日 鶴見区中学校PTA連絡協議会の広報委員会・中学校部会の研究集会に招かれた。会場は上の宮中学校で区内9中学校の広報委員50名の参加。今回は年度第2回目の集会で「紙面クリニック」と抱えている広報づくりの課題へのアドバイスがメイン。活動上の悩みは実際に活動した会員にしてもらうほうがより適切な回答になるので、小・中の広報委員を4年経験したKさんに同道をお願いした。 会場校の西垣校長先生とは、30年ほど前から県中学校新聞研究協議会を通して知己を得ている。集会の後校長室でお茶をいただいた。その折子供たちと作った学級新聞のファイルを開き、数々のエピソードを熱い心・言葉で語る西垣先生を目にすることができた。久しぶりに出会えた《新聞づくりの先生》だった。嬉しかった。
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深まる秋 【No.904】 2010年11月03日
出会う人と「久しぶりにいい天気になりましね」と言葉を交わす。好日秋天、空の色に秋の深まりを感じる。 「今年は」と、それなりに期待していた菊、開花が遅れ期待に応えてくれない。出展日まであと三日。開花が進むわけではないのに、日当たり場所を求めて鉢を動かしたりして気をもんでいる。 《お知らせ》私が参加する11月6日の東公民館祭り ◇展示で参加する『まほら秦野みちしるべの会』は、展示会場でミニ講座『路傍の神仏 庚申搭』(10分間)を開く。 ◇『夏休みの思い出を壁新聞に』展は充実している。 ◇今年も菊花展は見事(私の作品は?)。
アクセスが17万に到達。
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路傍の神仏を訪ねて 【No.903】 2010年11月01日
10月31日、「まほら秦野みちしるべの会」で南地区の平澤と今泉の集落を歩いた。 昨日からの雨で実行が危ぶまれていただけに、集合時に交わした言葉は「よかったね」で、みんなの顔は明るかった。17名の会員のうちの15名と地元の人も加わり16名(女性7名)。歩いたところは秦野盆地の南側の山裾の集落。まだ農村のたたずまいが感じられた。とは言え、道祖神や庚申搭などは一カ所に集められているのは“開発”の結果なのだろう。だが、そんな路傍の神仏が手厚くあがめられているようすが供えられた花やコップの水からうかがえた。 途中、お饅頭屋に寄ったり(当然食べている!)、柿を食べたり、野菜の無人スタンドではトマトやナスの買い物、と楽しい散策でもあった。昼はこのごろとみに名が通り始めた「白笹うどん」。午後は私はリタイア(足が痛んだ!)。
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特急仕様の列車で広報講座へ 【No.902】 2010年10月30日
10月27日 湯河原町・真鶴町・箱根町合同のPTA広報講座を湯河原町教育センターで。小田原から乗った列車は特急仕様。ホームのアナウンスが「特急仕様だけど普通列車」だと繰り返していた。この列車から高校生がどっと下りてきた。特急での登校は「超ラッキー」だったろう。リクライニングシートで雨の相模湾を眺める21分のデラックスな旅(の気分)だった。かなりの雨脚の中、箱根の森中PTAの会長さんをはじめ9校から40名ほどの参加があった。この日もまた反応が良い人たちに助けられた。
10月28日 ゆとりの会のハイキング。鶴巻温泉駅から吾妻山に登り、弘法の湯で温泉を楽しむ。参加者は15名。ただし5名は最初から温泉へ。私もその一人で、昼間の温泉を心から楽しんだ。宮永岳彦美術館にも寄る。 帰り道、「まほらの会」では確認していない道標のようなものを駅前の美ゆき旅館の脇で発見。横浜、戸塚、藤沢、茅ヶ崎なとが起点で、到達地は大山になっている。道標というより里程表、頭部が欠けているが「道路」までは読み取れる。距離が「リ」とカタカナで表示されているから建立100年は経たものだろう。私には嬉しい発見だった。
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ヤブカラシ 【No.901】 2010年10月25日
10月24日 雨を見越して朝から庭続きの畑の周囲のヤブカラシの除去。除草剤を昨年使ったので地質が変わり、表面はコケが生えるようになった。そのためコケと土の間をヤブカラシの根が縦横に走るようになり、いたるところで太い茎を伸ばしている。 茎から根につながる部分に指を差し込み、根が切れないように引き抜く。だがその繁殖力の割には茎や根は弱いので、途中で切れてしまう。するとそこからまた新芽を伸ばし、更に広範囲に繁殖するのだ。まったく厄介な植物。垣根代わりになっているお茶の木の根元がふかふかなのはヤブカラシの根の張り方のすごさを表している。 ずるずると1メートルくらいの長さの根を引き抜いたときは「勝った!」と思う。だが根先まで完全に抜き取らなければ“負け”。彼らにも子孫繁栄の責務はあるわけだから途中で切れるようになっている。その勝ち負けは来春に見事に現われる。 畑の中は若緑のスギナがあちこち。こいつもまた根を深く張り巡らすので退治は不可能。こういう手強い相手との格闘が春夏秋とずっと続く。 ことし初めて畑に植えたザル菊が黄の花を付け始めた。それに目をやり、しばらく休憩。
数日前の“戦利品・枯れたヤブカラシのこと”を降り始めた雨の中で燃やした。
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こんな一日 【No.900】 2010年10月21日
10月20日 9時15分から歯の治療。長時間パソコンに向うと前歯が浮いてくる。長距離運転も歯に来る。たぶん視力・眼鏡の問題だろう。イヤ、歳のせい! 間もなく一周忌を迎える友人Oさん宅(南魚沼市)に電話を掛ける。コシヒカリをいただいたお礼。Oさんの奥さんの言葉。「主人に『この家で紬を織るから』と約束したので、そろそろ始めようと思うのですが、まだ機の前に坐ることができません」。塩沢紬を織ることができる人。嫁入り道具として持ってきた大きな機が二階に据えつけてあった。間もなく浦佐に初雪が来るだろう。 夏休みに行なった壁新聞講づくりに参加した子供たちの壁新聞展を11月6・7日の公民館祭りの中で行なう。まだ作品が届いていないKさんに参加を要請。「イイのが出来ています。公民館にすぐに届けます」とお母さんの明るい声。 『ECHO』277号発行の準備。宛名のラベルを貼る。 健康診断の結果を聞くために3時に病院へ。コレステロール値が境界ぎりぎり。「学校の周りの道を歩きなさい」と指導される。 今夜は十三夜。帰りにスーパーでマンジュウを買う。庭のススキを飾り、ナス、トマト、サツマイモ、カボチャ、シシトウを供える。これらはすべて自家製。これだけ畑仕事をしているのだからウオーキングは要らないと思うのだが。 留守の間に、全紙判の「まほら秦野 鶴巻・大根編」の地図が届いていた。
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JAはだの組合員基礎講座 【No.899】 2010年10月20日
10月19日 午後1時30分からJAはだの組合員基礎講座の「地域の伝承文化について」を担当。『大山道と里人の暮らし』について話をした。終わってから7人の聴講者と交流。 30数年前PTA広報を一緒に作ったMさん。新採用の厚木・玉川中学校での教え子Oさんが「先生が講師なので主人も連れてきました」。「息子をお願いします」と言って帰っていった女性。「○○の次男です。きょうのような話にとても関心があります」とお礼を述べてくれたIさん。ウオーキングの会を主宰している女性から「ぜひ一緒に歩かせて欲しい。歩きながらお話を聞きたい」とのお願いも。 長野から秦野に嫁いできた女性(熟年?)が次のようなことを聞かせてくれた。「小さいころ、地域で石尊さんのお祭りがあった。その日は甘酒が飲めるので嬉しかった。その『石尊』が大山阿夫利神社のことだときょう知った。いつだったか長野の母が秦野に来たとき、新宿から小田急で来たのだが、途中で阿夫利神社という文字を見つけ(武注・伊勢原駅で)わが家に来てそのことを話したのだが、何のことが分らなかった。この講座に出てよかった。イナカのこと、母のことを思いだした。」
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あと10年は厳しい 【No.898】 2010年10月11日
快晴、まさに秋日和のきょう。「ホームページを開設してから10年ですか。おめでとうございます。いつも先生からすごいパワーを感じます。武先生は広報のパワースポットですね。それで、秦野市の広報は良いものができるのですね。20年を目ざしてがんばってください。開設10周年記念式典をしましょう! (^O^)」Aさんからのメールだ。嬉しい! だけど「あと10年」は厳しい…。
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ECHOのホームページ開設満10年 【No.897】 2010年10月09日
2010年10月8日 きょうでホームページ開設10年が経過。 2000年10月8日の日記「午後4時から6時間掛けてHPの完成。カウンターが作れなかったのだが単純にcounterという単語を記入することで解決した。専門家の書く解説文が、パソコンに対する知識がまったくない人に伝える書き方が一方的であることを知った。もちろん、この機械を駆使できる力にはただただ敬服はするのだが。完成したとき、息子から握手を求められた。親子でこんなにストレートに感情を表しあうのは久しぶり」 私の生活はこのホームページ開設によって一変したと言ってよい。「《頼り過ぎ》かもしれない」と意識しながら、これからも頼っていく。
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お赤飯 似顔絵 ソウメン 【No.896】 2010年10月03日
10月2日 庭続きの東小学校は、秋晴れのきょう運動会。その「運動会だから」と、お隣のS家からお赤飯をいただく。8月31日にも書いたが、何かあると(物日)お母さんがお赤飯を炊くS家。「ことしは娘が応援団で張り切っているので、朝から総出で応援です」と急いで帰っていったお嫁さん。 M中広報委員会から、16日のクリニックのお礼の手紙が届いた。「会員全員に読んでいただけるような広報紙を楽しく作っていきたい」とあり、私の似顔絵が描かれている。私の表情を見事にとらえている傑作(髪の毛は少しオマケしてあるのもイイ)。こんなたよりをもらうと、改めて「がんばらなきゃ」という心になる。というわけで、夕方台所に立ち、ソウメンをゆでた。 大事なことを書き忘れた。記録しておかなければ。「ドラゴンズのセ・リーグ制覇」が昨夜決まった。
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きょうから10月 【No.895】 2010年10月01日
9時に「JAはだの」の本所に行き、19日の講座の打ち合わせをする。担当は組織教育課のベクソニンさん。彼女は秦野市の姉妹都市である韓国の坡州 (パジュ)市出身。JAはだのに就職しまだ2年に満たないとか。講座の資料の印刷、使う機材などのお願いをしたが、見事な日本語で対応、ただただ感心するだけの私。 午後HPの更新。P広報の相談に1校が来訪。 お隣の小学校は明日が運動会。「明日は大事な日だから早く家に帰ってゆっくり休みましょう」という放送で、子供たちの声は全く消えた。
5日前に蒔いた小松菜の芽が黒い土の上にキレイに列をなしている。ダイコンも発芽。「ことしは大丈夫」と、今は思えるのだが。 庭の隅に出ているミョウガの新芽を10ほど取った。かなり“惚け”ていて花が溶けているものもあった。金木犀の香りがかすかに流れてくる。きょうから10月。
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新聞づくり 2題 【No.894】 2010年09月26日
9月25日 K小学校6年4組の学級新聞『チームワーク』が届いた。4月16日が第1号が発行され、9月24日発行号が第14号だから週刊。 第1号のトップ記事は『真剣勝負6年4組』で、「新聞づくりで仲間づくりをする」と書かれている。私の思いを実践していてくれる6−4の子供たちに心から声援をおくりたい。
きょうは秦野は第63回『たばこ祭り』の日。こんな日にH小のPTA広報を作っているお母さんたち7人が訪ねて来た。子供たちも一緒だったので計11人。 後は印刷するだけの号なのだが、どうしても納得いかないレイアウトの相談である。新聞ソフトを使って編集し、印刷も学校でするというまさに手作りの広報紙。「書きたいことは全部書きたい。だから書いた記事を詰められるのはイヤ」というお母さんたち。その情熱が紙面にギッシリ。「小見出しを使い風通しをよくしよう」「しゃべり過ぎ」と少しキツイことを言った。 驚き、うれしかったことは会長さんが同道されたこと。子供たちもお母さんたちを邪魔のすることなくおとなしく遊んでいた2時間だった。
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中秋の名月 【No.893】 2010年09月23日
昨夜は中秋の名月 予報の雨がずれて、十五夜の月を眺めることができた。庭のススキを切り飾る。ススキが生えるということは荒れ果てた庭とも言えるのだが。カボチャ、栗、サツマイモ、トマトを供えた。これはすべて自家製。 今年の十五夜のマンジュウは『袖の下まんじゅう』。日光に修学旅行に行った6年生の家からのお土産のこのおまんじゅう、正式には『おぬしも悪よのう 袖の下まんじゅう』というネーミング。 このマンジュウを私に土産として買ってくれたユーモアの持ち主のために、ぜひとも今夜の月に供えたいと思ったのだった。
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モズの高鳴き 【No.892】 2010年09月20日
モズの高鳴きが秋の到来を告げている。わが家も「実りの秋」。2日ごとに畑に通う。“腰が病める”が、がんばっている。今週一週間はこの栗拾い。初秋のもう一つの収穫は17、18日に行なった秦野市P連の広報クリニック。22校から180人ほとの参加、これは多分過去最高だろう。このクリニックがこれから発行される号に役立てばなお《収穫》ということになる。 今日は彼岸の入り。これから入りぼた餅を買いに行き、そのまま墓参りをする。数日前の新聞で読んだ。「すべての人がいつか必ず無縁仏になる」。 この日記を書いていたら、コゲラが庭の樅の木の幹をたたいている姿が見えた。
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これから子供の送り迎え 【No.891】 2010年09月14日
小学校が2、中学校が1校の中井町は教委主催のPTA広報講座を年2回開催している。その第2回目の講座が昨日開かれた。 この日の講座は(1)1学期に発行された3校5紙の紙面診断、(2)他地区の広報紙から学ぶ、(3)次号の学校別の編集会議(これには随時私も加わる)、というメニュー。 次号に向けての編集会議は、時に明るい笑い声も混じえながら、予定した時間を30分もオバーする充実したものになった。 別れ際、駐車場で会った参加者の一人に「これから夕飯の支度ですね。たいへんだ」と言ったら「いいえ、これから3人の子の送り迎えが始まります」と笑う。聞けば、塾や習い事に通う子を順番に送り迎えするのだそうだ。「PTA広報は子育て支援の一翼を担う」と言っている私。このお母さんは、広報講座のあと子供たちの送り迎え。まさに子育てに一生懸命なのだ、と嬉しくなった。
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9月7日 大井町の広報講座は紙面評価 【No.890】 2010年09月08日
大井町での広報講座。5月の講座をフォローする2回目の講座。今年度になって発行された広報の「評価」ということで、紙面をパワーポイントで表示し、記事、レイアウト、見出しなど紙面づくり全体の反省をしながら、次号に向けてがんばってもらう話をした。 参加団体は、幼・小・中のPTA広報委員会、社会福祉協議会、体育協会、青少年指導員協議会、子供会育成会、福祉の会で計14団体。どの広報紙も、委員たちのガンバリが見える充実したものだった。特に、3地区の「福祉の会(主体は長寿会)」の広報紙は、いずれも情報量も豊富で、しかも読みやすく出来ていた。 質問4件、相談が1件。 事前にS小から「新聞編集ソフトを見たい」という申し出があったので、講座終了後、知人のAさんにお願いしてデモをしてもらった。S小の皆さんの反応は“上々”。新たな挑戦が始まるかもしれない。
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ヒミツの東秦野村ショー 【No.889】 2010年09月05日
9月4日 東公民館での壁新聞づくりのことをタウンニュース紙が取り上げてくれた。写真が大きかったのを何より感謝したい。子供たちの作った新聞の全体像がぼんやりだが見えるからだ。 55歳の教え子たちの同期会が熱海で開かれ、招かれた。参加者は会社経営3 、JA勤務2、産業動物の獣医、自営業、会社員、高校教員と無職の私。宿に着くや否や《うでピー(茹でた落花生)をつまみに、秋ナスの育て方などお百姓の話に花を咲かせた。いずれも出生地・東地区で家を継いでいる者ばかりなので、「〇〇と××が飲み屋でケンカした」とか、「東名の用地買収で支払いが始まった」など、《ヒミツの東秦野村ショー》にもなった。 宴席、カラオケと11時まで付き合い、「お先に」眠らせてもらった。
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夏休みは終り 【No.888】 2010年09月01日
2010年8月31日 ・8月24日の壁新聞講座に体調不良で参加できなかったお母さんから「新聞、今できあがりました」と電話。当日「レイアウトの仕方」を電話で質問してくれたTさん。
・7月31日に訪ねてきたAさん母子(小6・女子)が来る。「市内の文化財や史跡巡り」のこの夏の予定は完遂したとの報告。宿題は終わったか、と聞いたら「あとは作品に名前を書くだけ」、そして「これから髪を切りに行く。修学旅行がすぐだから」とにっこり。
・『エコー』の読者のTさん母子(中2・女子)が近況報告に。背丈はお母さんを超えている。制服を着ていた。30日から授業は始まったのだそうな。吹奏楽部でがんばっているらしい。
・夕方、隣りのS家のお嫁さんがお赤飯を持って来てくれた。「何かあるとお母さんが炊いてくれるんです。『明日から学校だから』と夕飯にみんなで食べます。子供たち、元気で夏休みを終えました」。
・岩手・北上市のWさんからフアックス。北上での大会がご縁でWさんが関わっているPTA広報をクリニックした。そのお礼状。そのたよりの中にこんな一文があった「クリニックの中身を拝見し更に興奮致しました」。
・『まほらの会』のUさんが、大根地区を歩いたエッセイをメールで送ってきてくれた。Uさんは“心で風景を見る”人だ。 添え書きもあった。「まだまだ残暑は続くようです。明日から中学では体育祭の練習が始まります。考えただけでも大変そうで、あと二週間、無事に過ごしてもらいたいと願うばかりです」
夏休みは終り!
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旧交を温め、こどもについて語りあう 【No.887】 2010年08月30日
8月27日 全国新聞教育研究大会・秦野大会で大会速報を担当したお母さんたちの会。5年前から毎年この時期に集り、旧交を温めている。今年は10名の参加。今年の北上大会の速報を眺めながら、5年前の自分たちの活動の思い出を懐かしく語り合った。秦野大会の速報は、大会史に記録されるほどの完成度の高いものだった。
8月28日 東中学校に在籍した校長・教頭、PTA会長・情報委員で構成されている東会。今年も、現校長先生、教頭先生、PTA会長さんを囲んで、教育懇談会が開かれた。参加者は21名。
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新聞の秋 スタート 【No.886】 2010年08月25日
8月24日 「夏休みの思い出を壁新聞に」の講座第2日目。子供11人と保護者9人で、お父さんも一人来てくれた。『編集後記』だけは今日ここで書くことにしてある。「ナス新聞」とか「新聞の新聞」など、自由研究としても立派な内容のものも出来た。都合で今日からスタートという子も2人いたが、レイアウトまで終わった。夏休みの作品展には間に合うだろう。 体調不良で参加できない子のお母さんから、電話でレイアウトの仕方の質問がきた。この講座は「成功」と言っていいだろう。
8月25日 松田町での広報クリニック。参加は小・中PTA広報委員、体協、社協、こども館、自然館などの広報担当者。町の広報の担当者も。 今年度発行された各紙を映し出し紙面診断。1学期に3回発行のP広報もあり、どの広報も昨年度より充実している。終わってから次号へのアドバイスも。
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きょうから再始動 【No.885】 2010年08月23日
8月22日 まほら秦野みちしるべの会の月例学習会を東公民館で開いた。今回は、「矢倉沢往還と今川町のくらし」と題して前秦野市教育長の内藤美彦先生の話を聴いた。 ていねいな資料を作ってくださり、ユーモアあふれる話も提供してもらった。何より魅力的なのは、その軽妙な語り口だった。 今日の参加は19名、会員が12名、お客様5名で内2名ははるばる東京の世田谷からの参加。雑誌『KAZESAYAGE』の編集部からの紹介だった。 会の公式ホームページのお披露目もした。
「炎暑」「延暑」だが、きょうから私も再始動。今週は新聞講座が三つ。
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それぞれの「あの日」八月十五日 【No.884】 2010年08月15日
それぞれの「あの日」八月十五日 田辺 彬 今朝の『NHK俳句』の第一席の作品である。
妻の「あの日」 わが家は村の駐在所の巡査だった。あの日の玉音放送はざーざーというような音が混じっていてよく聞こえなかった。放送を聴いた父は、庭に飛び出し「負けたんだ、負けたんだ」と悔しがっていた。なぜか庭で育てていたキユウリもぎ取り、ガリガリとかじっていた。 その日から何日たったのかわからないが、ある日進駐軍がジープでやってきた。兵隊さんは父にタバコを勧めた。煙草は吸わない父が、親指と人差し指で煙草を掴んだ。そのときの父の顔、そしてその手つきが今もありありとめに浮かぶ。 ある日、学校から帰ったら居間に一人の男の人がいた。軍服を着ていた。それが復員してきた私の兄だった。兄の顔を見たのはそのとき初めてだった。
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第53回全国新聞教育研究大会に参加した秦野の4人のお母さんたち 【No.883】 2010年08月06日
第53回全国新聞教育研究大会が開かれた岩手・北上市の8月4・5日は猛暑日。第1日の参加者は400名を超え、まさに熱い大会になった。 PTA広報講座も席が足りず《立ち見》も。私のボルテージも上がったのは言うまでもない。 2日目の研究発表分科会・PTA広報分科会には、地元岩手の一関・千厩小、秦野・渋沢小と本町小の3広報委員会が招かれ、3紙3様、それぞれの視点にたった実践発表をした。 渋沢小の多田亜希子さん、米谷知子さんはプロジェクターを使いながら話した。本町小の横溝夕紀子さん、近藤真由美さんはパソコンを持ち込み、パワーポイントで発表。秦野のPTA広報の充実ぶりを全国の参加者に紹介してくれた。会が終わってから質問や賞賛の言葉をたくさんもらっていた4人。お陰で予約していたタクシーを他の人に乗られてしまうというハプニングも。 発表の素晴らしさもさることながら、この4人のお母さんたちの行動力に私は圧倒された。渋沢小は夜行バスで北上入り、本町小は日帰りの強行軍だった。広報づくりが好き、作った紙面に誇りを持っている4人は「結婚してから友達と旅に出たのは今回が初めて」と笑っていた。この明るさが行動力の源、と思った。
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酒匂川の鮎 【No.882】 2010年08月02日
8月1日 午前中3時間、畑の草取り。広さは十坪ほどだが、数日前の雨で見事に成長。カヤツリクサ、スベリヒユ、イヌビユ、ハキダメギク、メヒシバ。特にスベリヒユの繁殖力はすごい。カヤツリグサが今は文字通り最盛期? ハキダメギクはやや下火。 【まほらの会】の横山さんが風人社の『KAZESAYAGE』の第6号を持って来てくれた。6月19日の【まほらの会】の例会が掲載されている。 午後、今月のホームページの更新。『秦野のおはなし』に【まほら秦野みちしるべの会】のブログをリンクした。公式ブログなので、一ページずつ書き足していくことになる。 夕食、Nさんからいただいた酒匂川の鮎でビール。きょうもいい日。
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きょうで7月は終り 【No.881】 2010年07月31日
所属している秦野ゆとりの会の『行灯作りのアサガオ展』が、きょうから東公民館で。三日前に5つほど咲いた鉢も、今朝は1つしか咲かない(自然は思うようにはならない)。葉は立派なのでそれを持っていく。会が指導した市民の作品も持ち込まれた。私のものより見事なものばかり。川原のヒルガオを鉢で仕立てたものがあった。薄桃の花がたくさん付いていて、目を引いた。玄関に並べられた40数鉢は彩りも鮮やかで、来館者がケータイで撮っている姿も見られた。 午後1時過ぎ、Aさん母子(小6)の突然の来訪。昨年から始めた『家族の夏休みの課題』で、市内の文化財や史跡を巡り、写真を撮って楽しんでいる。きょうは東地区を歩いているが「東雲小学校跡」「市内最古の大山道の道標」「市内最古の地神塔」が見つからないので、わが家に立ち寄ったのだ。「まほら秦野みちしるべの会」のイラストマップでその地を確認してもらった。1時間ほど“涼み”、マップを手に元気に出かけていった。 庭の百日紅が赤く燃え上がっている。その脇で、初夏の頃剪定したフジが紫の房を数本付けた。二階からその二色の競い合いを眺めると、清涼感さえ感じる。きょうで7月は終り。
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今日の“生きることのまばゆさ” 【No.880】 2010年07月29日
暑さのせいかもしれない、ナデシコの育ちがあまりよくない。それでも蕾らしきものはいくつか付き、その一つは淡いピンクが見え始めた。 ナデシコの株は6、まだ10aにも満たないものもある。周りが芝や雑草で固められているからだ。それを取り除くのが今日の最初の仕事。ついでに芝を刈る。 次の仕事は、裏の梅林に絡みついたヤブカラシやヤマイモの弦を伐ること。風通しが悪いし、蚊の発生につながっている。終わって生え変わったモチノキの葉を掃き集める。ゴミ袋一袋。この三つの作業で午前中3時間を使う。 午後1時過ぎに銀行に生活費を下ろしに行く。ガラガラ。待ち時間はほとんどなし。帰ってきてから昼寝? 4時過ぎ台所に立つ。夕食はウドン。退職直後は手打ちでソバを作ったが今は乾麺。麺類が食べたいときは自分ですべてする。誰にも手伝わせない。手伝い手がいない? 汁を自分の味(言うところの“お袋の味”)にしたいから。今日の具はナス、タマネギ―これは自家製、それに豚肉、ミョウガ。もしこれに里芋を入れればケンチン汁。台所で一汗かき、庭に出た。ようやくアブラゼミの鳴き声をサクラの木から聞く。 これが、今日の“生きることのまばゆさ”。忘れていた、広報クリニックを2紙した。
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壁新聞づくりにお父さんも 【No.879】 2010年07月27日
「夏休みの思い出を壁新聞に」の講座を東公民館で開く。参加者は22名。そのうち大人が7名でお父さんも一人。「妻が申し込んだのに、今日が休みと分ったら私に行けと」とお父さん。二人の女の子がお父さんと一緒で楽しそうだった。帰り際に「良い新聞を待っています」と声をかけたら、「がんばります」とにっこり。 きょうの講座で、次回8月24日までの「新聞づくりの工程表」を渡した。 たぶん楽しい、キレイな新聞が出来上がるだろう。
異常気候だ。こんなに盛夏なのに、ニイニイゼミとヒグラシは鳴いているのに、まだアブラゼミの鳴き声が聞かれない。
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炎暑の中 東京へ 【No.878】 2010年07月25日
7月24日 午後1時半から中野区のPTA広報クリニックへ。 今日はこんな話から始めた。「PTAは子育てを一緒にする会。だからPTA広報は子育てを支えるためのものになりたい、と5月の講座で話しました。でも『子育てに休みは無い』とは言え、土曜日のこの時間、この暑さの中、それぞれの時間を持ち寄って集って来られた皆さん。その姿勢にPTA活動の健全さを見ることができます。嬉しいです」 1学期に発行された広報紙を1紙ずつスクリーンに映し、読後感を述べるのだが、基本は《褒める》こと。事前に読ませてもらっているので、優れている点、研究して欲しいことを箇条書きにし『お土産』として渡す。これはたいへん喜ばれた。 今日は中学校の会で11校の参加。終わってからの相談が4校。6時半に帰宅。炎暑、人波も味わい、充実感を得た一日。
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ミニデイサービスに招かれて 【No.877】 2010年07月21日
7月17日にアップした「日記」のページの日付が間違っている、とメールで指摘された。まだ7月なのに「8月」と書いていた。ありがたいことだ。 10時15分から、ミニデイサービスを受けている30人ほどの皆さんに「名字」の話をした。《薬袋》と書いて《みない》と読ませるという名字や、《空》と書いて《きのした》と読ませる名字があることなどを紹介した。けっこう好評だった。 午後の部はカラオケ、それにも参加を求められ、いい気になって一曲歌う。熟女の皆さん(教え子のお母さんがほとんどなので)の拍手に声が震えた。歌ったのは「江差、追分、風の街」。
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送り火 【No.876】 2010年07月17日
7月16日 きょうはお精霊さま(オショロさん)がお帰りになる日。2時に送り火を焚いた。こんな明るいうちにお送りをするには、よんどころない事情があるからだ。 30年くらい前までは、盆棚に供えた物(ナスの牛、キュウリの馬、花など)は、近くの小川に流した。だが、それは環境汚染。今年はゴミ集積所に2時半までに持っていくことになっている。そこに出された物は自治会とお寺の役員さんによって円通寺に集められ、お経を上げてもらい、市の焼却炉に運ばれる。 この方式になった初めのころは、「もう少し居たいよ」とお精霊さまはご不満だったろうが、今では許してくださっていると思う。牛の背にまたがり、「また来年」と振り返りながら、ゆっくりゆっくりお帰りになったはず。 お精霊さまが帰られたので、相談室の中を夏座敷に変えた。 夕方、隣りの朋子さんが赤ちゃんを連れて挨拶に来た。岩手に嫁いではじめての里帰り。「新聞大会で北上に行く」と言ったら「わたしは8月いっぱい実家にいます」とのこと。
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「迎え火」の日 【No.875】 2010年07月14日
7月13日 《ツジ》を作るための竹を取って帰ってきて、左の手袋を脱いだらヤマヒル。 梅雨の終りの頃の特徴である「降ったり、止んだり」のなか、午前中掛けてツジを作った。 午後は先ず、ナス、キュウリ、トマト、カボチャを畑から採った。次は《盆棚》作り。ご本尊、位牌を仏壇から盆棚に移し、祀る。盆提灯を2セット組み立てる。キュウリで《馬》、ナスで《牛》を作り、棚に飾る。 続いてウドンを茹でる。このウドンは馬と牛の手綱。ツジまで帰ってきたご先祖様は、手綱が無ければ馬に乗れない。ツジから家の中の盆棚までは馬に乗って入るのだから。 4時半、ツジの入口に馬と牛を置き《迎え火》を焚く。これでご先祖様は無事にご帰還。迎え火の今日はもう一つ大事なことをしなければならない。隣組6軒のツジを回りお線香を上げること。 わが家のツジに「お線香上げさせてください」と言って、S家の親子三代・4人がお参りに来てしてくれた。中1の男の子も一緒だった。5時半過ぎ、T家の中2の女の子が、短パン、ティーシャツで走ってきて線香を上げてくれた。部活からて帰って、そのままきてくれたのだろう。 『家・家族』が健在、そう思わせる子供たちだった。
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山百合 開く 【No.874】 2010年07月09日
7月8日 陽光は朝から“夏バージョン”。父が育てた庭の山百合の開花。今年は一本の茎に着く花は5つが最高。数年前に10ほどの花が茎があったが、突然変異と言われた。 山百合は花の大きさに対して茎があまりにも細い。それでいてそう簡単には折れない。その花を近寄って眺めると豪華、ダイナミック過ぎる感も。 山百合の匂いは濃い。いつだったか「盆棚」に山百合を盆棚に飾ったら、妻の表情が曇ったことがあった。今はゴルフ場になっているが、その地は50年くらい前までは共有林だった。その共有林の下草刈りの作業が今ごろの行なわれた。刈り進む草むらに山百合がたくさん自生していた。慣れない鎌さばきで急斜面を刈り進むと、雌しべの赤紫、雌しべの濃いオレンジの花粉が否応なしに作業着に付く。この色素は洗ってもなかなか消えなかった。 山百合は夏の野山にふさわしい花。
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七夕前夜祭 『銀色の道』 【No.873】 2010年07月08日
7月6日 秦野市制50周年記念の「市民が作る広報はだの」を発行したメンバーが一年に一度、七夕の前夜集る会「夢進会」。第6回の今年は10名が集った。今回は当時の市長だった二宮忠夫さんにも加わってもらった。 当時中学生だったた4人は全員が大学生。目指す世界の中でたくましく生きていることを知った。当夜、参加した教師3年目の鎮西さんは中学生のころから新聞づくりにその力を発揮していた。その彼女が昨年度発行した学級通信が「第6回プリントコミュニケーションコンクール」で新人賞に選ばれた。「広報はだの」を一緒に作った仲間として最高の喜び。 「夢進会」というネーミングは、それぞれが自分の夢を実現するために一年間がんばり、その結果を報告するための会から生まれた。私は『エコー』が26年目に入ったことを報告した。 お開きの合唱は『銀色の道』。渋い歌、意味ありげな歌、激励の歌(誰の?)。
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秦野のPTA広報づくりの実力 【No.872】 2010年07月06日
秦野市P連情報委員会が、東公民館を借りて開いた「新聞の編集ソフト実習講座」。午前の「初心者コース」に60人余、午後の「スキル・アップコース」は15人。これは予想をはるかに超える人数。秦野のPTA広報づくりへの関心の高さ、そして情熱を表している。特に午後の講座では、ソフトそのものヘの注文もいくつか出るなど、レベルの高さが感じられた。 市内22校で発行されているPTA広報の大半は新聞編集ソフトを使ってのもの。この日発行された「はだの市P連だより」も同じだ。 各校とも広報委員は毎年《総取替え》が現実。それでも毎年進化していくPTA広報は、今日参加したようなお母さんたちのがんばりによる。この日の研修がしっかり次号に活かされる。
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