「共生」 【No.691】 2008年07月11日
白眉 進「お父ちゃん、道 間違えなかった?」 白眉森男「間違えてなんかいないよ。昨夜と同じように小学校の校庭の街灯の光もあるじゃないか」 白眉真子「だけど、お父さん、景色が違う。あっ、無い!トウモロコシが一本も立ってない!」 白眉森男「やられた! 人間に先回りされた。今夜がいちばんたくさん食べられるはずだったのに。畜生、やられた!」
庭続きの畑に昨夜現れたハクビシン一家の会話である。 忙しさより怠惰から、ずっと畑を見回りしなかった。昨日の朝、久しぶりに畑に入って発見。30本ほどのトウモロコシのうちの10数本が倒れている。そしてようやくふくらみ始めたトウモロコシの実が見事に食い荒らされていた。ハクビシンの仕業。これからが本当の実りになるのだが、防ぎようがない。 地球温暖化を危惧した今年のサミットのテーマは『エコロジー』だった。だから「自然との、動物との共生」はしなければならないのだが、ことがわが家のトウモロコシになると、ハクビシンとの共生は残念ながら考えられない。いや、もう十分共生した。それで、残っていたトウモロコシは全部引き抜き、実をもぎ取った。 いちばん大きなもの、と言っても15センチほどの2本を仏壇に供えた。13日から始まるお盆に供えるつもりだったのに。 残りは全部、昼食として茹でて食べた。もぎたてだから甘かった。そして思った「わが家の夏はもう終わった」と。
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七 夕 【No.690】 2008年07月07日
秦野市制施行50周年記念の『市民が作る広報はだの』を作った編集委員が旧交を温める会が昨夜開かれた。 平成16年7月6日に第1回編集会議をもったので、毎年7月6日に集ることにしている。会の名は『夢進会』。 昨夜の主賓(?)はこの4月から小学校の先生になったCさん。会名の趣旨の通り「教師になる夢」を実現させた彼女に私たちは励まされた。 〈乾杯の前の私のあいさつ〉 明日は七夕、「一年に一度会う」ということを祭りにしている民族は日本人だけかもしれない。「会う」ことは、嬉しい、楽しいこと。だが、会うということは、また悲しいことや苦しいことでもある。生きていることは「会うこと」。「一期一会」という言葉の趣旨を、瀬戸内寂聴さんは「『心を込めた別れ方をすること』だと思っている」と書いている。寂聴師のこの言葉に強い共感をおぼえるのは年齢のせいか。きょう、一年ぶり集った。心を込めた別れを意識した、楽しい、嬉しい会にしたい。
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「新聞づくり」の行脚も一区切り 【No.689】 2008年07月04日
4月15日から始まった「新聞づくり」の行脚は、昨日の相模原・橋本公民館でのPTA広報講座で一区切り。 会場に入ったのは9時25分。すると「講座の始まる前に、広報を見てもらいたいと言う学校があるのですが…」と主催者からのお願いで、印刷前のものをクリニックすることになった。パソコンで製版、自校印刷という、手づくりのもの。1面の写真が印象的だから、当然企画や記事もしっかりできている。全ページ繰ってから「第1号としては言うことはありません。よくできています」と言ったら、緊張していただろう三人は、顔を見合わせ「よかった!」と声を弾ませた。 講座の後、控え室に来た3校から、「学校行事とPTA行事の記事の分量比」「この写真は掲載してよいか」「数字の表記のきまりはあるのか」という質問があった。 主催者6人と中華で昼食。“教育の世間話”の花が咲いた。母親の心の中を少し覗ぞけたような気がした。 帰って、4時から6人のお母さんがたちと、明日出稿する『はたのP連だより』の紙面の点検。
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文 月 【No.688】 2008年07月02日
昨夜も東中学校の大イチョウから「ほー、ほー」というアオバズクの鳴き声が聞こえてきた。 ウチから直線距離で500bほど東にある里山から、一日中鳥のさえずりが聞こえてくる。オオルリ、ウグイス、ホトトギス。ことしはホトトギスの鳴き声がよく聞かれる。それと対象的にウグイスのさえずりが少ない、そんな気がする。ホトトギスが増えれば託卵されるウグイスの数は減る。
昨日10時から『P連だより』の編集会議。7人が集る。市内22校の会員に読まれるのだと思うと、どうしても“力む”し“気取る”。だから見出しも記事も硬い。気軽に手にしてもらえるように、お母さん編集者らしい、柔らかい、温かい見出しづくりをがんばってもらった。 20年前、市P連の事務局を担当したときの役員で年に2度旧交を温めている。その会の『暑気払い』の連絡が来た。人の一生は“出会い”と“別れ”、会うことは大切なこと。 3日に相模原で開くP広報講座の担当のお母さんから最終確認の電話が入った。「楽しみにしています」。そう言われ、「私も楽しみにしています」と応えた。
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快調 「みちしるべの会」の活動 【No.687】 2008年06月24日
22日 「まほら秦野みちしるべの会」の6月の定例勉強会の日。17人全員が出席。これはスゴイことだ。きょうは今まで歩いて調べてきた道標を地図に整理することになっていた。 現地踏査をした折ごとに、横山さん(会長)がイラストを描き、浦田さんがそれに説明を付けることをずっとやってきてくれている。そりで「これで十分、素晴らしいマップができた」とほとんどの会員が賞賛し、更に次の地区へ足を踏み入れる話になった。 それでも、会長から「次の8月例会までに、それぞれが好きなコースを再度歩き、さらに付け加えることがあるかどうか調べてみたい」と宿題が出た。 鶴巻地区で行なわれる「大山詣でのための灯篭立て」の見学も計画した。
23日 大山の地元は伊勢原市。もちろん秦野も地元だが…。その伊勢原市の歴史観光アドバイザーのグループ『アド・おおやまみち』の5人が、わが家を訪問してくださった。私たちの『みちしるべの会』は大山道の道標を確認し、地図を作ることをしているが、最終的には「大山道のガイド」になることを目指している。 こちらから横山会長さんと寺山在住の会員・小泉さんも加わり、2時間ほど活動を披瀝し合いながら、勉強した。 大山の足元伊勢原に「大山道」に興味を持つグループがあることが嬉しかった。「いつか、コラボレートできたら」という言葉でこの日はお別れした。
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岩倉具視 【No.686】 2008年06月22日
家電器具の大手量販店に買い物に行った。レジで「岩倉具視」を出した。担当の若い男の店員はじっとお札を見つめ、次におもむろに私に向って「これ、使えますか」と言う。「ええ」と私。 彼はそのお札を手にしたのだが、レジを打とうとしない。困っているのだ。それで、私「心配なら、調べてきたら」。そうしたら彼、ホントに走ってどこかに。 3分くらい待たされた。他の三つのレジからは、無関心を装いながら、実はいぶかしがっている視線が何本も。ほどなく走って帰ってきた彼、「失礼しました。使えます」。 「冗談じゃない」と怒鳴りたかった。だが「この顔相、服装じゃあ…」と思うことにした。せめて“年恰好”から判断してくれればいいのに。 この500円札、まだ20枚ほど手元にある。母が趣味で? 集めておいた遺産? である。「そのまま遺産として残して置け」との、母の思いがこもっている“岩倉具視”さんたちである。
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世田谷区中学校教育研究会新聞部会 【No.685】 2008年06月20日
6月18日 世田谷区中学校教育研究会新聞部会で『学級経営と学級新聞』の話をさせてもらった。講座の終わりに、質疑を兼ねて参加された先生方と今の生徒たちについて意見交換、というより中学校の現実を聞かせてもらった。 子供たちが、文を書くことをひどく苦手にしていることを知った。単語だけで会話が成り立つっている(実は会話になっていないのに)子供たち。メールという便利な意志伝達の手段が、残念なことに逆な効果をもたらしているようだ。30名ほどの参加者の皆さんから、いろいろなことを教えてもらった。 Kさんに贈られで、8時過ぎに上野毛駅から二子玉川、相模大野経由で秦野に帰ってきた。帰宅ラッシュの時間帯だった。その人たちに混ざって、ちょっぴり“現役”を感じた充実した一日だった。 この日の講座の詳細は、7月1日更新の『マンスリーエッセイ』のページで。
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一二を争う高感度 【No.684】 2008年06月12日
昨日は渋谷区役所での講座。50名余の参加で、お父さんの顔もいくつか。「依頼原稿をどこまで直していいのか」という質問が出た。講座が終わってからも質問が3件。前年度発行号のクリニックを2紙。講座で例示した参考紙を「よく見たい。参考にしたい」と集ってきた3グループ。そして「こういう内容の特集を私たちもやろうよ」と気合が入った会話が聞こえてきた。その中の一人が「できればコピーさせて欲しい」と言うので講座の担当者に頼んだ。 「初めての広報、でもどうしたらいいのかが分った。やる気が出た」とわざわざ感想を述べに来てくれた人。発行後のクリニックを約束した委員会。コンクールに挑戦したい、と笑顔で言って帰っていった人もいた。 4月からの始まったPTA講座の中で、その高感度は一二を争うものだった。「どうしたらいいのか分らない」と戸惑っている、悩んでいる委員たちに少しは役立ったのかもしれない。4時ごろ帰ってきたら受講者からお礼のメールが入っていた。
留守の間に朝顔と夕顔の苗が届いていた。Mさんからだ。園芸愛好会一番のダメ会員の私なのだが、こうして毎年Mさんからたくましい苗をいただいて、大きな花を咲かせている。
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筍 【No.683】 2008年06月10日
「洗濯指数100」の日だった。わが家のベランダも文字通りの満艦飾。 一週間ぶりに竹薮に行ってみた。わが家の筍はまさに旬だった。40本ほど採る。軽トラなので帰りに数軒に配って回った。熟年層ばかりの家庭なので喜んでもらえた。夕食は竹の子と新ジャガの煮物になりそうだ。 明日は渋谷区でPTA広報講座。5月の後半からしばらく“空いて”いたので、資料を確認しながら士気を高めた(つもり)。
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新聞の秦野 【No.682】 2008年06月07日
平成19年度の神奈川県PTA広報紙コンクールの結果が昨日発表された。秦野の代表3紙、秦野市立本町中学枚PTAの「丹沢の風」は、トップ賞である県P会長賞。西小学校PTAの「西のいぶき」と西中学校PTAの「西中PTAだより」はともに優良賞。上位6紙の内の3紙が秦野のもの。
体育館を建て替えている東中で、工事の進行状況を伝える月刊新聞が2年生の有志で発行されている。B4・1ページの第2号を持って、3人が訪ねて来た。全校生徒に読んでもらっているらしい。メンバーは6人で『花軍団』と名乗っている秘密結社だそうで、リーダーは女子のHさん。 きょう訪ねて来たのは、このHさんと男子2人。「陸上部なので十分協力できないが」と言ったのはOくん。Kくんは「ボクがいちばんサボっている」と笑っていた。 工事現場に毎日入れてもらい、写真を撮り、現場の人のインタビューも採ってあり、けっこう興味深い紙面になっている。昨年、総合の時間のまとめを個人新聞でしたのだが、その流れがこの新聞になっている。いかにも「新聞の東中」らしい。
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きょうは寄り道していいよ 【No.681】 2008年06月06日
お隣の東小学校6年生の「総合の時間」の授業を頼まれた。朝から夏模様で気温もかなり上がっている中、114名の子どもたちが一生懸命聞いてたくれた。 東地区の地名の由来を話した後、今日の帰りに訪ねて欲しい場所を帰宅するコース別に紹介した。子どもたちの中から「寄り道していいの」という声が上がった。「いいよ。でもコンビニに寄って涼んで帰るのはダメだからね」と私。どれだけの子が“寄り道”してくれるか、楽しみ。
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新緑 【No.680】 2008年06月03日
雨に打たれ少し葉が垂れ下がっている庭の木々を眺めている。暇に任せて木々の名前を調べてみたら、 アオキ 青桐 赤松 アケビ アケボノツツジ アラカシ 公孫樹 イトヒバ イヌツゲ ウバメガシ 梅 温州蜜柑 エニシダ エビヅル カイヅカイブキ 柿ノキ ガクアジサイ 柏 キャラボク 金木犀 栗 クロガネモチ 黒松 月桂樹 欅 コムラサキシキブ ザクロ 山茶花 サツキ サルスベリ サンゴジュ サンショウ 紫木蓮 シュロ 杉 セイヨウアジサイ センダン 千両 染井吉野 茶ノキ ツゲ 椿 ツルウメモドキ ドウダンツツジ 夏蜜柑 南天 ニシキギ ニッケイ ネズミモチ 白木蓮 ハナミズキ バラ ヒイラギナンテン ヒサカキ 檜 枇杷 牡丹 マサキ 万両 ミヤマキリシマ モミ モチノキ 桃 ヤツデ 薮椿 ヤマアジサイ ヤマツツジ ヤマフジ 山吹 ヤマモミジ 雪柳 ワビスケ。 それぞれの新緑は一つとして同じ色ではない。日本人の細やかな感性は緑色を、若芽色、若葉色、若草色、若苗色、若緑色、浅緑色、薄緑色 黄緑色、薄萌葱色、萌黄色、萌葱色などなどと区別し表している。
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鶴丸 【No.679】 2008年05月31日
JALのシンボルマークの「鶴丸」が昨日で消えたとテレビが報じた。それで、二階の袋戸棚を探したら、あった! スカイブルーの地の白の鶴丸マークのJALのバッグが…。 1975年の秋、ニュージーランド・オークランドにあるルレミューラ小学校を訪ねたときのこと。休み時間、寄って来た子たちに鶴を折ってやった。その一羽を手にした女の子が、「JAPAN AIR LINE!」と歓声を上げた。
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念ご冥福 【No.678】 2008年05月27日
フリーアナウンサーの川田亜子さんが亡くなった。昨年8月17日、新潟市体育館で北桜関と私達夫婦が記念写真に納まったとき、カメラのシャッターを切ってくれたのは川田さんだった。
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秦野『P連だより』創刊35周年 【No.677】 2008年05月24日
5月23日 秦野市の『P連だより』が創刊されて35年になった今年度。その記念号の座談会に出席した。過去に編集に携わった者が私を含め7名。それに今年度のP連の本部3名が加わっての座談会。皆さんが、新聞づくりのエピソードで往時を懐かしんだ。創刊号は手書きだったが、そのときの筆耕者のEさんは、創刊に漕ぎつけるまでの記録を持っていらっしゃった。 35年間『P連だより』に関わってきたので、この日出席された過去の編集者6名全員存じ上げている。そのことをちょっぴり誇りに感じた。 『P連だより』、秦野市P連がこれから目指すべき方向について提言がたくさんなされた。
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風雨を突いて 【No.676】 2008年05月21日
きのう20日午前8時、大荒れの天候の中を寒川町に向う。電車か車かと迷ったが、車で行ってよかった。1時間10分で到着。相模線は遅延との情報があった。 小学校の始業が2時間遅れ、ということで出足は今ひとつ。30名余集まったところでスタート。 「昨夜からのこの雨風に、もしかしたら広報委員としてのこれからの活動が“波乱万丈”、いや“泣きの涙”の一年間になるのでは、と不吉な思いに駆られたかもしれません。でも大丈夫です。この講座が終わる2時間後、たぶん空は五月晴れになっています。そして、私の話を聞いた皆さんは『広報 がんばる』と、晴れやかな心になります」。こんな図々しい言葉で講座を始めた。 講座が終わった12時、薄日が差していた。そのことを会場に告げたら、皆さん笑ってくれた。 参加された一人がわたしに挨拶をしてくれた。「前にお話を聞きました。今年は広報委員ではないのですが、先生がみえるということで来ました。また広報をやってみたくなりました」。 寒川町での講座は4年ぶり。この言葉にわたしの心は晴れやかになった。参加された広報委員の心も少しは晴れやかになっただろうか。
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この一週間 【No.675】 2008年05月17日
12日 秦野市P連「PTA広報技術講習会」 本町中学校生徒会「新聞講習会」 13日 中野区教委・P連「PTA委員研修会・広報部会(第2日)」 15日 柏市P連「PTA広報紙の作り方講座」
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この一週間 【No.674】 2008年05月10日
7日 伊勢原市P連「広報紙づくり講習会」 8日 荒川区教委「PTA広報研修会」 9日 中野区教委・P連「PTA委員研修会・広報部会」 10日 東公民館主催の「世界で一つの新聞を作ろう」講座の打ち合わせ
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大型連休終わる 【No.673】 2008年05月06日
朝から裏の木立でオオルリがさえずる。五月晴れの今朝の空に透きとおる声が響きわたる。その姿を探しに出るが、きょうもまたお目にかかれない。戻ってきてパソコンの席に着き、何気なく目の前のガラス窓に目をやった。窓から1メートルほどの所に立つ月桂樹に鳥の姿がある。ジョウビタキのメスに似ているが、少し大きい。季節からすればジョウビタキはもう北に帰っている。特長の紋付もない。イタズラっぽい大きな黒い目でこちらを見ている感じ。しばらくして飛び去る。裏の茂みからまたひとしきり「ピイーヒィーリリリ」(これは図鑑にある鳴き声の表現・私には文字では表せない)。もしかして、そう思い図鑑を開いた。オオルリのメスだった。今度は鮮やかなルリ色のオスにぜひ会いたいものだ。 食べ切れなかった東京ネギが百株ほどすっかりトウが立っている。それを整理し管理機で耕す。キュウリやトマトの苗を植えためレーキで整地していると、ハクセキレイが1羽、私の後を着いてくる。耕された地面に現れる餌をとっているのだが、私を慕っているように思え、しばらく手を休め無言の対話をした。 昨日のNHKの正午のニュース。大型連休のUターンが始まったことを知らせるワンカット。「もうみんな帰っちゃうの」とつぶやいく3歳くらいの女の子の横顔。そして、チラッと映った顔は涙がいっぱい。このカメラマン、いい人だと思った。 家族でささやかな晩餐。熱燗を二本飲んだ。
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5月3日 【No.672】 2008年05月04日
K大学民俗学研究会の会員Mさんの来訪。Mさんは大学2年生で東中の卒業生。この連休中に、会員はそれぞれふるさとに帰り、伝説や民話を直接地元の人から聴き、その資料・文献を集めるという課題が出されたのだそうだ。既に集録されたものではないものを求められたので「ちょー塚のお婆」を話した。いまどき珍しいくらい礼儀正しい好青年だった。彼から「お寺のない村」を教えられた。東中にいる弟が、昨年、私の話を聞いて『道祖神の新聞」をつくったとのこと。それがきっかけでわが家の訪問になったらしい。2時間ほど過ぎたことを腕時計で確認した彼は「2時間経ちましたので」と立ち上がったのだった。私には楽しい2時間だった。 晩酌のビールを楽しんでいるとき玄関のチャイムが鳴った。応対に出た妻が「長谷さんよ、来てください」と大きな声で呼ぶ。玄関に立っているのはお隣りのTさんだった。「エッー、帰ってきたんだ。お帰り!」。5年前、高校を終えるとすぐニュージーランドに留学したTさんだった。日本橋のホテルで働いているとのこと。日本の生活のあわただしさ、雑踏に「かなりマイっています」と笑う。「山や緑が眺められる寺山が実家でよかったです」とも言った。両親に代わって、隣組の組長の仕事である集金をして歩いているTさん。いまどき、23歳の女性が休日に実家に帰ったおり、こんなことをすること自体、信じられないことだ。 素敵な若者二人に出会えた今日は、天候とは逆の爽やかな一日だった。
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500回目の新聞講習会 【No.671】 2008年05月01日
きのう、4月30日の毎日新聞の朝刊に5段抜きの見出し「武さんが500回目の講習会」で、私の活動が紹介された。よい写真も撮ってもらった。(『エコー』のホームページをご覧ください)午後4時から、東中でその500回目の新聞講習会。校長先生と担当の先生から「ウチで500回目の講座をやっていただけるなんて光栄です」という言葉をいただく。私なりに今日の講座も一生懸命努めたつもり。
今日から5月、昨年一年がんばったN小の広報委員さん二人が年度最終号を持って来訪。「去年の今ごろは…」と、その活動を懐かしんでいる。なんとなく、未練もありそうな言葉もちらほら。指導してきた私としては嬉しい。PTA論など2時間ほど話す。
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今年への熱い思いが伝わります 【No.670】 2008年04月24日
文京区のPTA広報づくりの講座。6時35分のバスで出発。会場の文京シビックホールの入ったのは9時20分。 10時から2時間の講座。参加は80名超。「アミダ、ジャンケンで広報委員になっちゃった人」との問いに、手を挙げた人は数人。「今でもできれば広報委員を降りたいですか」と尋ねる私に、笑いが会場に広がった。8割くらいは立候補で広報委員になったようだ。それだけに意気込みが感じられる雰囲気の講座になった。毎日新聞の「教育と新聞」推進本部の取材があった。 H小のPTA広報の今年度第1号が届いた。「みちしるべの会」のイラストマップ第2弾も届く。どれからも、どなたからも、今年度の活動への熱い思いが伝わってきた。
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この1週間 【No.669】 2008年04月23日
18日 広報づくり研修会 19日 前夜から隣組の葬儀のお手伝い 20日 甥の結婚式 21日 広報づくり研修会 この町の講座は幼・小・中のPTA広報委員だけでなく、自治会、子供会、青少年指導団体、女性クラブ、ボランティア団体など各種団体の広報担当者も参加される。 22日 PTA広報紙づくり講座 参加7校の内、4校のPTA会長さんが参加された。PTA広報論はPTA論でもあるのでうれしかった。 23日 PTA広報づくり研修会
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いよいよスタート 【No.668】 2008年04月16日
4月15日 今年度のスタートとなる講座に、私自身、心の昂ぶりとかなりの不安感があった。教育長さん、課長さんが開会行事に参加された。たぶん受講者にもちょっぴり緊張感があったはず。広報づくりのエピソードにもあまり反応してもらえず焦る。だが、講座が終わると、例示した広報を見せて欲しい、と集ってきたお母さんたちで、ホッとした。「参考にしたいから」と、数紙のコピーを担当の職員に頼む人もでてきた。玄関先で私の車を見送ってくださった教育長さんに、ただただ恐縮するのみ。「本当に今日の話でよかったのだろうか」と深い反省をしながら帰ってきた。
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シーズンイン 【No.667】 2008年04月14日
いよいよ明日からーズンイン、PTA広報づくり講座の行脚が始まる。今年用のレジュメにもう一度目を通す。例年のことだが、いま少しの緊張感と高揚感を味わっている。 今年新たに出かけることになったのは中野区と寒川町。他の十数会場は前年も伺ったところ。受講者の大半は新しい委員だが、主催する教委やP連の関係者は前年、いや二、三年前からわたしの話を聞いている人もいる。その人たちに、同じ話を聞いてもらうのは申し訳ない。それで新しい資料を準備した。 明日は中井町、「伝える技術(テクニック)」はもちろん話すが、「なぜPTA広報は必要なのか」を一生懸命説くつもり。「そうか、PTA広報ってそういうもんなんだ。少し、がんばってみようかな」。そんな気持ちになってもらえたらいいのだが。
雨上がり畑の畦からノビルを掘ってきた。生味噌で食べたい。ツンとした香りとヒリッとした味は冷たい日本酒にぴったりだ。
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小原庄助人形 【No.666】 2008年04月10日
2006/9/1の『マンスリーエッセイ』に、「旅先の東山温泉で《小原庄助人形》を探したがなかった」ことを書いた。地元・会津の人にとって、民謡『会津磐梯山』は遠いものだし、『朝寝・朝酒・朝湯』を好む庄助さんは受け入れられない。だから観光土産からも消えた、とも書いた。
昨日、少しふくらんだ封書が届いた。開けてみると根付けが1本入っている。そして、こんな手紙が。 「『小原庄助人形』のことを読んだとき、たしか福島に旅行したとき、サービスエリアで庄助人形を買ったとおぼえていましたが、どこに行ったのか、どうしてしまったのか分りませんでした。ところが、4月から中学生になった娘と机の中を整理していたら、引き出しからこの人形が見つかりました。2本あったので、先生に1本送ります」。 湯船に、徳利と杯を載せたお盆を浮かべた庄助さんは、目を細めご機嫌です。でも、その庄助さんは“キティ”ちゃんなのです! 根付けのタグに「福島限定 はろうきてぃ」とありました。 この贈り主は、秦野で開かれた全国新聞大会の速報を担当した西小PTAの丸山照美さんです。 パソコンの上の棚に吊り下げられた“小原キティ”ちゃんは、朝からゆらゆらといい気持のようです。
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大山道の道標の発見 【No.665】 2008年04月05日
みちしるべの会のKさんが「道路工事で動かした宝ケ谷の石碑に文字が書いてある」と教えに来てくれた。わが家から30bほどの所、県道の拡幅工事で道祖神と天社神が土台から掘り出されていることは知っていた。だが、私の知識の中にその2基は入っていたので、とくに気にはしなかった。 すぐに見に行った。天社神の土台の石に「右 十日市場」「左 坂本」「庭中」と読むことができる文字が記されている。今までこの土台の部分は土中にあったのだ。市の資料集にこの天社神は載せられているが、道標としての記述はない。みちしるべの会による新たな大山道の道標の発見だ。
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4月1日 富士道を歩く 【No.664】 2008年04月02日
8時半に東公民館に。新しい年度の始まり、館でも人事異動があり館長を含め三人の入れ替わり。その忙しい今日『古道・大山道を歩く』という事業を持った公民館。 新しい空気と少々落ち着かない雰囲気の中で、9時から今日のオリエンテーションに入る。桜が満開、しかも富士道を歩くということなので、「コノハナノサクヤヒメと桜」の話をする。 9時40分からウオーキング。今日の参加は32名。水神祭りをしている大津4軒組の皆さんから、今年も牛乳のテンヨセでもてなされた。水神様の水もいただく。東地区自治会長の加藤誠一さんの庭で、お茶、お菓子などをご馳走になる。昔宿屋を営んでいた野田家の庭もお借りした。地元に住んでいる私だから、こうしていろいろな人のご好意に甘えている。だから、参加者は他の地域巡りでは体験できない、その地域の人情まで味わうことができる。 歩く先々の家の庭に、そして遠景に今が盛りの桜。改めて桜花を愛するわたしたちを知った。
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たえてさくらのなかりせば 【No.663】 2008年03月29日
3月26日 小学館の『日本の歳時記』第1巻は「桜咲く」を買う。わが家も桜の『開花宣言』、予想より一日早かった。桜はほんとうに“気になる花”。業平が詠んだ「世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」、この一首のとおりだ。外に出ては見上げている。 今年はライトアップを復活させる。バアちゃん、ジイちゃんに見てもらいたいから。こんな気持ちになったのは、早朝の『NHK俳句』で、ゲストの落合恵子の介護の話を聞いたから。間もなく最期を迎える母を抱いて、彼女は「もう一度私を生む?」と聞いた、という。
3月27日「先生、前に話していた資料が手に入ったから」と重富さんが、『秦野市の寺社建築』を持って来てくれた。2月2日に書いた「雪中行のご当人がこの重富さん。4月1日の『大山道を歩く・富士道を歩く』に、早速使える。 瑞宝双光章を授賞された相原宗由・美智子ご夫妻が、授賞記念に出版された『出会う旅』をもって来訪。「石」「鳥」「花」「俳句」の4つ旅のエッセイ集。ご夫婦での旅のようだ。
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和田中のPTAの廃止 【No.662】 2008年03月27日
寺山の桜 今日で二部咲き。日記を読んだSさんから次のようなメールが届いた。 1万2千字には驚きました。600字で22校分、全紙に目を通し切り口を変えて書くのですから、どんなにか大変だったことでしょう。しかし、『そのお陰で、今の学校の課題や子供たちの環境を紙面から読み取ることができるし、それらの課題に対してのPTA広報の果たすべき役割のようなものを考えることもできる貴重な機会を与えてもらっている。』との言葉。直ぐ浮かんできたのは3月23日の毎日新聞(朝刊)の下記の記事です。 『公立学校初 PTA廃止』『「地域本部」が支援』の見出しでリードには『進学塾講師による有料受験対策「夜スペシャル」を実施している東京都杉並区立和田中(藤原和博校長)が来年度、PTAを廃止することが分かった。保護者は、地域住民らボランティアで構成している「地域本部」に参加し、「地域全体で生徒を支える仕組みにしたい」(藤原校長)という。公立学校のPTA廃止は全国でも例がなく、新たな論議が起きそうだ。』とあります。PTA活動を見直し、新しい形を模索していくに当たって、先生のお考えを。
「和田中のPTAの廃止」についての私の感想。 細かいことは分からないので、感想を述べるのは難しいが、「保護者は、地域住民らボランティアで構成している地域本部に参加し」という部分を読むと、「子供を育てる権利を放棄させられた親たち」と思ってしまう。PTAは、保護者と教職員が子供のことを考え、話し合い、行動する会です。PTAの活動が鈍っているから他の方策で、はマイナス志向ではないか。
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ウグイス 桜 1万2千字 【No.661】 2008年03月24日
朝飯は6時50分ごろ。数日前から、裏のモチの垣根できれいにさえずるウグイスの声を聞きながら、である。 気になる庭の桜の蕾に目を凝らすと、昨日からの雨で蕾の先端がわずかだが白くなっている。わが家の桜の開花宣言は27日ごろになりそうだ。 今日、秦野市内22PTAの広報紙の講評を書き終えた。 1校600字程度。まとめると1万2千字ほどになる。冊子になるので、同じ切り口では書けない。しかも、年度のまとめだから“甘辛両刀”で…。と言うことで、全紙に目を通すさなければ書けない厳しい仕事。だが、そのお陰で、今の学校の課題や子供たちの環境を紙面から読み取ることができるし、それらの課題に対してのPTA広報の果たすべき役割のようなものを考えることもできる貴重な機会を与えてもらっている。
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今日から「市内PTA広報紙展示会」 【No.660】 2008年03月17日
昨日は9時30分から秦野市PTA広報紙コンクールの審査会。審査員はP連の会長、それに今年P連便りの発行に携わった情報委員など10名。22PTAの今年度の全発行号を読んでの審査。賞が決まったのは午後4時過ぎ。年間13回発行(A4判で総ページ数96)の本町中の『丹沢の風』は圧巻。文句無く「最優秀」に選ばれた。 今年の市内のPTA広報のがんばりを発行回数から見れば、『丹沢の風』の他にも、西小の『西のいぶき』の9回、『西中PTAだより』と鶴巻小の『いっぽ』が7回、渋沢小『しぶしょう』と南が丘小の『南の風』も年間6号を発行している。市内の発行回数の平均は5号をはるかに超える。 審査会の後、ジャスコの催し会場で「市内PTA広報紙展示会」の展示作業をした。この展示会にコンクールの結果も発表されるということで、5時ごろ早くもA小の広報委員長のTさんが姿を見せた。にぎやかに、はなやいだ雰囲気で展示が終わったのは6時過ぎ。
ジャスコでの「PTA広報紙展示会」は20日まで。ご来場をお願いします。そして今年の秦野のPTA広報のがんばりを褒めてあげてください。
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春 間近か 【No.659】 2008年03月15日
59歳にして地方議員になった教え子の一久さんが訪ねて来た。(この日記の07年7月2日参照)発行した『後援会だより』を見せに来てくれたのだ。第2号だった。A4判2ページのオールカラー。新聞ソフトを使っての制作。けっこう“イイ出来”(失礼かな)。基本に沿ったレイアウト。見出しもかなり工夫されている。「写真をもっと大胆に使おうよ」とアドバイス。 実は一久さんを教えた頃の私は、学級新聞は作っていなかった。だから、広報・新聞類の発行は彼にとっては初めてのこと。同級生が催した当選祝いの会の席で、私は「活動報告をしなければダメだよ。後援会報を出しな」と勧めた。「年間3号を目指す」と言って帰っていった。 『みちしるべの会』の横山さんが、ロードマップ「路傍の神仏・田原地区編」の原画を見せに来てくれた。注文すること全く無し。これに浦田さんのシャープな解説文が付く。 4月1日、30名ほどがこのマップに導かれて歩く。たぶん桜も咲き始めるているだろう。案内する私も楽しみ。
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送辞の中に「新聞作り」が 【No.658】 2008年03月11日
東中学校の卒業式に出席した。5.6年前から「学校協力者」として卒業式へのご案内をいただいていた。だがずっと失礼していた。 今から43年前の1965年3月10日、まだできあがっていない体育館で卒業式が行なわれた。その年の卒業生は3クラス、114名。A組の担任は今福浅司先生、B組は奥津心一先生、(お二人とも他界されている)。そしてC組が私だった。「卒業生退場」の言葉と共に重い鉄の扉が開けられた。その瞬間、式場内に小雪が舞いこんできた。その光景が鮮明に残っているこの体育館での第1回の卒業式だった。その体育館での最後の卒業式が今日なのだ。 式中、申し訳ないが体育館の隅々に眼をやった。体育館ができた年から始まった文化祭の演劇コンクール。劇の背景を吊るした木製の美術バトンがまだ残っていた。クラスで上演した劇が浮かんできた。N、T、Y、O、Kなどの笑顔も。 式が進んで「卒業生を送る言葉」が述べられた。「東中新聞、学級新聞作りの伝統を守り、後輩たちに引き継ぐことを約束します」という一節があった。 「日本広し」と言えど、卒業式の送辞の中で「新聞作り」が語られるのは秦野市立東中学校しかない。
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秋田・羽後町の出身のAさん 【No.657】 2008年03月06日
秋田・羽後町の出身のAさんの母校である明治小学校が3月31日で閉校する。その閉校記念式が3月1日に開かれた。家庭や仕事のこともあったのだが、両親にも会いたいので思い切ってその式典に出かけていったAさん。そのAさんが、きのうこんな話をしてくれた。 「故郷があるのに、学んだ母校がなくなってしまうのは寂しい。今まで感じなかったけど、その日の式典や懇親会の中で学校が地域の中でどれほど大きな存在であったのかを知った。PTAの役員も一般会員も、学校のためにならという心は全く同じだということを感じた」。 会場に展示された過去の卒業文集を手にしたとき、突然思い出したことがあった、とAさんは言った。「先生、私、4年生のとき新聞をつくったのを思い出したんです。模造紙に新聞を書いたんです。秦野に来てから新聞をつくるようになったDNAは明治小学校にあったんです」。 「昨年なくなった叔母の葬儀に出られなかったので、実家で西国三十三番の御詠歌を墨で書いて仏壇に供えてきました。実家での一日はそれで終わってしまいました。今年の雪は平年並みかな。軒の高さはあったけど」と微笑んだAさんだった。
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22名の情報委員へ贈る言葉 【No.656】 2008年03月05日
年間4回広報を発行してきた秦野市P連の情報委員会の反省会に出席した。そこでこんな挨拶をした。
家庭、職場そして単Pのトップレディを務め、さらに市P連の情報委員としての一年間、大変厳しい一年間だったことでしょう。だが、大変だったからこそ、この委員会での活動から得たもの大きかったはず。 『情報委員会だより』第9号の発行を通じて、《知る権利》《表現の自由》について大切なことを学んだ。大きな収穫もあった。それは、もし情報委員になっていなければ、ここにいるような素晴らしい21人との出会いなかったということ。 『動かなければ出会えない』は私の生活の基本姿勢の一つ。広報づくりのときどきに話した「記事は足で書く」と同じこと。一年間の広報づくりで、そのことを体験した。 「春はやって来るのではない 自分から春になるのです」。これは20年ほど前の、あるデパートのキャッチコピーだ。 これから始まる新しい一年、何かを待っているのではなく、自分から動き、よい出会いを求め、何かを求め続ける、そんな一年にして欲しい。 ほんとうにご苦労さまでした。お疲れさまでした。
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新聞コンクールの表彰式に出席 【No.655】 2008年03月02日
3月1日 毎日新聞東京本社で開かれた全国小・中学校・PTA新聞コンクールの表彰式に出席。この日招かれたのは北は北海道・苫小牧、南は宮古島と文字通り全国からの37校。秦野からは東中が学校新聞で、そして本町中はPTA新聞で招かれた。 このコンクールは学校、学級、学習、PTA広報の4部門で行なわれ、今年度は28,790点の応募があった。総理大臣賞から奨励賞まで、4部門での入賞総数は204、秦野は4つの全部門で15紙が入賞。とくにPTA広報の部の入賞総数52の内の8紙を占めるという快挙。(詳しくは「秦野の新聞教育」のページで) PTA広報の入賞校の委員と言葉を交わしたが「来年またここに来ます」と元気な言葉が3校から聞かれた。
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古道・大山道を歩く 【No.654】 2008年02月27日
2月26日 東公民館の「団塊世代支援セミナー『古道・大山道を歩く』NO1」の講師を務めた。雨が予報より遅れていたので、予定通り実施。私を含め総勢24名の参加。 9時から1時間「大山信仰と大山道」について話を聴いてもらう。そして10時から歩き始める。 今まで10回ほど今回のような講座をもったが、今日の参加者がもっとも反応が良く、歩きながらの質問や話しかけがたくさんあり、案内し甲斐があった。 「才戸」と呼ばれる場所で「イザナギ・イザナミの国生み」の話をした。「成り成りて 成り合わざる」の一節をちょっとトチッタたら、さっとフォローしてくれた女性がいた。 2時30分に公民館に戻り、それから終りの座学「金目川の金目とは」を30分もつ。万歩計によれば9600歩ほど歩いたらしい。「元気ですね」と褒められたが、それは一緒に歩いてくれた23人のおかげ。 ・第2回『古道・大山道を歩く』は4月1日午前9時〜12時 ・参加希望の方は3月1日午前8時30分から東公民館で電話で受付け
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田原を歩く 【No.653】 2008年02月18日
昨日は『まほら秦野みちしるべの会』の2月例会。フィールドワークで東田原、西田原を3時間歩いた。飛び入りもあって15人の参加。 田原城という、あまり知られていない山城の地形を確認した。今も生活に使われている湧水が3カ所あった。何より嬉しかったのは、江戸時代の大山詣での街道で宿屋を営んでいた野田家、和田家の人が参加してくれたこと。両家にとって、今回のことがそれぞれの家の歴史を見直すことにつながりそうだからた。 天気がよくて、気持ちよく歩けた。1万歩くらい歩いたらしいが、今朝はまだ筋肉痛は出ていない。年寄りには数日後にその影響が出るらしいが。
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2月14日 柏市P連の広報講座 【No.652】 2008年02月16日
柏市のP連に招かれ広報講座を持った。2月中旬、多くのPTA広報は年度最終号の編集の真っ最中、あるいは既に入稿済みだろう。だからこの時期の講座の内容は難しい。「一年の活動を終えて」がテーマで、今年度発行された広報紙を評価することを中心にした講座。次年度の活動に役立ように課題を与えることもしたいのだが、間もなく任期が終わる委員に辛口批評は気が引ける。ご苦労様を込めて褒めることだけで終わりたいのだが、それもまた私の性格からはできない。結局、いつもどおりの姿勢で紙面クリニックをした。 9時半から12時までが小学校で当日参加も含め25紙。中学校の部が13時30分から15時まで。だが、午前の部は終了後45分間質問を受けた。午後も40分オーバー。質問者の何名かに「次年度も広報をやってください」と言うと、かなり前向きな言葉が返ってきた。これだけの時間、PTA広報論を語らせてもらえたのは幸せなこと。 柏駅前でお手伝いしてくださった方々と反省会。快い疲れと冷酒の酔いでうとうとしながら23時近くに帰着。
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西田原を歩く 【No.651】 2008年02月11日
2月10日 朝9時、加藤さんと待ち合わせ西田原を歩く。「歩く」と言っても、加藤さんに案内してもらったということ。 谷戸と池端の湧水が流れ出ている場所を3カ所。そこは今も生活に使われていることが分かる風景を作っていた。途中、猿田彦や男女双体の道祖神も見た。その双体道祖神は、道祖神には似つかわしくないところ、谷戸の集落の裏山に上る坂道に祀られていた。たぶん、道路改修や宅地の整理などでこの地に運ばれてきたのだろう。道祖神がどういう神であるのかが理解されていないことが寂しかった。小さいが、とても品のある地蔵さんに出会えた。今週末、再会できるのが楽しみだ。 西田原には「田原城」があったと推測されている。その地にも立った。「ここに城が在った」といえば、そのように見える地だった。 江戸時代、旅籠を営んでいたという野田家を突然訪問してしまった。家主は東中での教え子。奥さんと大学生の娘さんからも、その家の昔について話を聞かせてもらった。娘さんは高校時代に「わが家の祖先」という社会科のレポートを書いていた。それを貸してもらった。明治14年刊行の田原の地図を所蔵されていたのでそれも借りた。玄関先の古い梅の木が野田家の歴史を物語っていると思った。 野田家を去るとき、「先生、10月は同窓会だから必ず出席してくださいよ」と念を押された。楽しい半日だった。
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Yさんの雪中行 【No.650】 2008年02月05日
午後4時ごろYさんが訪ねてきた。Yさんからは秦野の民家や城郭、地名などの資料をもらっている。今日もまた、2種類のリーフレットを持ってきてくれた。 「仕事中なのに」と恐縮する私に「今、塔ケ岳からやっと下りてきたところ」と笑う。聞いてみると、昨日の丹沢のの雪を見て、急に山に行きたくなり塔ケ岳を目指したらしいが、尾根道は腰までの雪でラッセルもままならず、塔ケ岳で泊まらざるを得なくなったとのこと。それで奥さんに、「今日は下りられないから」と電話したら、ひどく叱られたらしい。ここ二、三日の雪山での事故のことを思えば、家族の心配は当然だろう。 材木店経営のYさんは、学生時代から山歩きが好きで、山小屋の建築も手がけている53歳。月に一回くらいは山登りをしないと気力も体力も鈍ってしまうと言う。「雪化粧の丹沢を眺めたら登りたくなった」と話す笑顔がいい。とにかく無事に下ってこられたのはよかった。煤ケ谷に置いてきた車が地元の人たちの心配の種になっていなければいいのだが。
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節分 【No.649】 2008年02月04日
2月3日 気象とは不思議なものである。テレビでは各地の降雪を映し出しているのに、秦野は冷たい雨。そんな中、『みちしるべの会』の会長の横山さんが訪ねて来てくれた。『みちしるべ』という名のように、会の活動は「大山道」の道標を調べて歩き、そのイラストマップ作ること。その第一弾の「蓑毛・寺山編」の原案を持って来てくれたのだ。2月26日に行なう「古道・大山道を歩く」に間に合うように作ってくれるらしい。京都出身の横山さんが、このように秦野に心を向けてくれることがとても嬉しい。 横山さんが言う。「今日は節分ですね。先生、何か行事をなさるのでしょう?」。「ええ、母の喪が2月1日で明けたので、豆まきだけはします」と私。 夕方、「福は内!」と小声で唱えながら撒いた。「鬼は外」は言わない。 池上本門寺は「福は内」だけだそうだ。自分の心の中にいる鬼を追い出すのではなく、その鬼を修行によって仏に変えることに務めるのが仏教だから、とのこと。 私の心の中にいる無数の鬼を、一匹でも変えることができるのだろうか。いったい何に変えようと努めたらいいのか、それが分からないから、変えようがない私。だから、またこの一年、私は鬼に支配されながら生きていくのだろう。
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初天神・ツジの天神さん 【No.648】 2008年01月25日
今日1月25日は初天神。朝10時にツジの天神さんにお参りに行った。ツジの天神さんは、清水ニワの武完さんの個人持ちの神社。もともとは東中学校の校庭にそびえる樹齢300年といわれている大公孫樹の下に祀られていた。それが、中学校の校庭拡張で今の地に遷宮。私の子どもの頃は、今日は東地区内の子供たちのお参りが多かったが、今は全く忘れられてしまっている。 それでも、武さんは今年も律儀にその祭りを行なっていた。新しい注連縄が張られた社の扉が開かれ、お赤飯が朱塗りの重箱で供えられていた。社前にゴザが一枚敷いてあった。往時はここに近所の子どもたちが坐り、参拝者にお札を手渡していたのだった。 傍らの梅の古木に幟が翻っている。ご開帳だったので棟札を読ませてもらった。享保、安政と読めるものがあった。享保は1700年代の前半だから、300年は経ている。ご神体は木彫で彩色されているが、いかんせん風化がかなり進んでいる。もったいない気がした。 ツジの天神さんの向こうに、雪の富士山が輝いていた。
「天神」とは、天の神だから天変地異を支配する神様、雷がその神だとされていた。ところが、901(延喜元)年1月25日に菅原道真が大宰府に左遷され、そこで亡くなってから京都で雷や天変地異が頻発した。人々はこれを道真のたたりであると恐れ、天神と結びつけ祀られるようになった。また、道真は優れた学者であったことから、天神は学問の神様としてもあがめられるようになった。大宰府に流された日が1月25日、亡くなった日が2年後の2月25日(生まれた日6月25日)であったこともあり、25日が天神様の縁日。
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花菜 【No.647】 2008年01月17日
5時半起床。小雪が舞った。大山から蓑毛は雪に煙っている。だが10時頃から青空が広がり、春のような温かい日差しになる。その日差しに誘われて畑に行ってみる。今週になって、校庭の樹木に植木屋さんが登っているので、畑に陽ががよく入るようになった。 去年の10月12日の日記に書いたナバナ(寒咲花菜・食用は「花菜」と呼ぶのが一般的)が、若い花芽を伸ばしていた。「強い霜にあうと終り」と説明書に書かれていたが、「終り」ではなかった。嬉しくなり昼の食卓に乗せてもらった。鮮やかな、それでいて柔らかな黄緑の色合いはもう春の到来を告げているかのよう。 「みちしるべの会」の横山さんから電話。2月例会の準備をしなければいけない。『忘れられた日本人』を再読。そして歩かなければいけないことを再確認。
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1月14日 だんご焼き 【No.646】 2008年01月15日
1月31日までが喪中のわが家なので、今年はだんご焼き(道祖神祭り)には参加しなかった。だが、気になるので1時過ぎ準備の様子を見に行った。自治会の役員10人ほどで既に準備が進められていた。地域の交流の場でもあるからと、今年から参加者にお汁粉を振舞うことになった。道祖神は厄除け・豊作・健康・交通安全の神、その祭りだから地区民全員で祝いたい。そして、 4時ごろ、7日に寺山の道祖神を案内してあげたHさんが訪ねてきた。お母さんも一緒だった。焼き芋をプレゼントしてもらった。Hさんの自治会ではだんご焼きと一緒に焼き芋大会もするのだそうだ。Hさん母娘の心もこもった温かい焼き芋をいただいた。
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ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる 【No.645】 2008年01月09日
7日 去年は見られた小学校の校庭で凧揚げに興じる親子の光景。そして、大好きなサッカーボールをする少年の姿も見えない。お正月、子供達はどこに行ってしまったのが。 午後、寺山に住む二人の中学一年生と一緒に寺山地区内に祀られている道祖神を見て回った。冬休みの宿題「地域調べ」のお手伝い。7か所を巡り終えたとき、Hさんが「私の近くにも道祖神がある。近所のお年寄りに教えてもらった」と言う。道祖神は小字単位で祀られるもの。彼女の住む宝ケ谷戸地区にもう一基あるとは新発見。それで、急遽その地へ案内してもらった。「新しく家が建ったのでここに動かされています」と彼女。道祖神ではなく、庚申搭だった。だが、彼女のこの発見はとても嬉しい。 夏休みに『寺山の三大湧水新聞』を作った彼女が、今度は近所のお年寄に道祖神を在り処を聞いている。H家は寺山に住いを求めて10年ほど。ふるさとを知ることは、ふるさとが好きになること。そして、好きになればふるさとを更に良い地にしようとする。そんなことを実感させてくれたHさんだった。
8日 午後、東中1年生の「総合の時間」で、14日の「だんご焼き(どんど焼き)」の話をする。東地区10数カ所で行なわれる14日の「だんご焼き」の調査を行なうので、その基礎知識を得てもらった。
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4日 仕事始め 【No.644】 2008年01月05日
三が日が過ぎたので私も動き出す。まず『エコー』の印刷版・254号を午前9時に投函。
午後、昨年12月25日に発行された『政経かながわ』NO1754を、「秦野たばこ祭り」を主催・応援している三カ所に持って行った。この号のコラム『座標軸』に「郷愁の秦野煙草音頭」というエッセイを書かせてもらったからだ。 葉タバコ耕作によって成長してきた秦野盆地ということを知って欲しいという思いで書いたこの文。だが、「時代に逆行している」と、非難めいた言葉さえ聞かれる「秦野たばこ祭り」のテーマソングの「秦野煙草音頭」だから、どれだけ共感を得られるか。 『政経かながわ』の今号の目次に目をやると、「埋蔵金」「福田政権3ヶ月を検証」「建築基準法改正で広がる混乱」「最低賃金、生活保護以上に でも『何か変だ』」「次官4年 守屋全防衛次官転落の背景」「変わりつつある死刑の状況」など。どう見ても私のモノは異質だ。 年末に届いていたPTA広報3紙に講評を書き、夕方ポストに。
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2008年1月1日 【No.643】 2008年01月01日
庭続きの畑にミカンの木が3本ある。いずれも背丈は私の身長程度。だが、どの木も摘花をしなかったから小粒の玉が鈴なり。数えたら100近い実が付いているものもある。だが、実が熟す頃になると陽があまり当たらないので、市販のものと比べるとその味は「しっかりした酸味がある」ものになっている。 子供の頃、「伊勢原の善波がミカンの日本の北限」と聞いたことがあった。だから、わが家の畑から取れるミカンがすっぱいのは当然のことと思っていた。暮に妹の家にこのミカンを持っていった。「こんなにたくさん? ありがとう」と礼は言ってはくれたが、微妙なトーンだった。 こうなると、庭に来るメジロやヒヨドリに食べてもらうしかない。庭のあちこちの木に半分に切ったミカンを刺す。給餌台にはもちろん置く。常緑樹にミカンの黄が映えてなかなかの風景。 仕事部屋の窓の傍らの月桂樹にミカンを刺す。その作業を始めると、ヒヨドリが桜の梢から「ピッピッピーピィ」と縄張り宣言を始める。そんな鳴き声の中をメジロは、モチの垣根からすばやく月桂樹の茂みに飛び込み、小枝伝いにミカンに寄ってきて、周囲に視線を走らせながらすばやくミカンをついばむ。それを見つけたヒヨドリが一直線にメジロを追い払いに来る。 そんな攻防が今日も繰り返されている月桂樹に、コゲラがやってきて幹を叩いて回っていた。コゲラはキツツキ。突然啄木の歌が浮かんで来た。
何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝晴れて風無し。 啄木 今年の元旦はこの歌のとおりだった。
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生きていてよかった一年 【No.642】 2007年12月31日
今、取っている新聞は地方紙1紙、全国紙2紙。読む順は決まっている。先ず地方紙のK新聞、そして最近取り出したB紙、最後に読み始めて60年は経つだろう読み慣れたA新聞。K新聞から開くのは、とにかく身近な情報を先ず得たいから。A新聞が最後になるのは、これで締めないと新聞を読んだ気がしないから。 今朝、K紙の一面の最下段のコラム『照明灯』に目をやったら、私の名前が目に飛び込んできた。わが家の正月を迎える行事が書かれている。『寺山ものがたり』『続寺山ものがたり』から引用され、私の思いを読者に伝えてくれている。一年の終りをこんな幸せな形で終わることができた今年、生きていてよかったしみじみ思った。(08年1月1日更新のホームページ『エコー』最新号のページ参照) 午前10時過ぎ電話がかかってきた。伊勢原市の旅館のご主人からだった。今朝の『照明灯』を共感して読んだと話され、なぜ年越しにそばを食べるのかを教えて欲しいとのこと。今夜、年越しをする客にふるまう年越しそばに、そのいわれ話をしたいと言う。「よく言われている『ソバのように細く長く』のほかに、何か理由があるのかを知りたい」との質問。他の三つのいわれを伝えた。 O先生来訪。「今年もどうやらここまで週刊で学級新聞を発行出来ました。クラスにはいろいろ課題はあるけど、新聞を作ることだけは好きみたいなクラスです」と笑顔。「今年は去年よりしっかり咲いていますから」と香り豊かな蝋梅の枝をもらった。 PTA広報でがんばっているAさんからメール。「今年はいいお正月が迎えられます」がタイトル。お子さんが大学に合格したという連絡が昨日入ったとのこと。絵文字がいっぱいのメールにその喜びが表れていた。
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置いて来しはずの師走の心また 【No.641】 2007年12月27日
置いて来しはずの師走の心また 原 道子 これは12月24日に朝日俳壇に掲載された句。喪中のためお正月はやらないのだから、今年の暮はそれほど動き回らなくてもよいと思っていた。だが、庭木が手入れされると「さあ大掃除」という気持ちになる。正月飾りをしない、という時間的な余裕があるからだろう、いつもにも増してていねいに掃除をしていることに気づく。昨日は天井を掃く用具まで買ってきた。まさに一句のとおりの生活。
さて、「忙中閑あり」として24日の俳壇から気に入った作品を拾った。 足音の駅に集まる冬の朝 斉藤 紀子 眼を閉じて海を見てゐる冬帽子 渡邊 隆 枯れすすむとは明るさを広ぐること 寺川 芙由 うつし世をもう一巡り返り花 牛水 里人
今日が暖かい日の最後とか。一日掛けてガラス窓を磨くことにする。
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続 へらへら団子のこと 【No.640】 2007年12月25日
へらへら団子のことを書いた日記を読んだAさんからこんな便りをもらいました。
おばあちゃんがお盆の送り火の日にへらへら団子を作っていました。お盆に飾ったものと一緒に川へ持って行き、へらへら団子を割り箸にお団子のように刺してもって川へ持って行きました。 おばあちゃんが作ってくれた「へらへら団子」は小麦粉を練って、へらへらにつぶし、湯通しし、砂糖としょうゆで甘辛でした。とってもおいしかったことを覚えてます。お盆でもないのに、よくリクエストして作ってもらった記憶もあります。エコーを見てなつかしくて、メールしてしまいました。久々に作って、子供に食べさせてあげようかなぁ〜!(たぶん、おばあちゃんの味とはほど遠いものになると思うけど…)
Aさん、ありがとうございました。「へらへら団子」は神奈川のあちこちで作られていた郷土料理だったのですね。(ちなみに、Aさんは30歳代です。)
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へらへら団子 【No.639】 2007年12月22日
12月18日、農水省が全国の郷土料理の中から選んだ「農山漁村の郷土料理百選」を発表した。神奈川からは「へらへら団子」と「かんこ焼き」が登場。 「へらへら団子」いう料理―料理と呼べるかどうかは?―は、たしかにあった。子供のころ母が食べさせてくれた。団子と言っても「へらへら団子」は丸い団子ではない。こねた米の粉や小麦粉を掌の指先で押し広げた平たい団子だった。湯通したそれをアズキのアンを絡めて食べる。我が家のものは砂糖をまぶしたもの、そんな記憶がある。物日のものという記憶はない。“お八つ”の物でもな買ったと思う。たぶん、主食の代わりだったのではないか。 神奈川から「へらへら団子」が選ばれたら、その名前の特異さからかけっこう話題になっている。早速ネット上に「横須賀のある神社のお祭りの料理」だと書く人が出てきた。 それも事実だろうが寺山にも「へらへら団子」は存在していた。「へら」は「ひら(平)」の変化した言葉。丸い団子でなく“平べったい”団子。鍋の熱湯にこの平たい団子を入れると、すぐに“ひらひら”と漂いながら浮かび上がってくる。それを挟んで取り出し食べる。だから「ひらひら団子」。そして「へらへら団子」と呼ばれるようになった? さて、農水省が選んだ「百選」だが、実際は「99選」で終わっている。「残りの一つはそれぞれが思い入れの料理を選んで」とのこと。私は「落花生味噌」を100の中に加えようかな。
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電飾街道 【No.638】 2007年12月20日
12月に入ると、国道246号線の名古木交差点から蓑毛に向かう県道秦野清川線の沿線に、家庭のクリスマス・イルミネーションが数多く出現する。 名古木の交差点からのおおよそ2キロの間に、20軒ほどがそれぞれの特長を見せた飾りつけをしている。その中心は寺山地区で、年々その美しさの競い合いが高まっている感がする。 先日乗ったタクシーの運転士さんが、「この道を、私らは電飾街道と呼んでいます。市内ではここら辺りが一番です。寺山を走るのが楽しみです」と話してくれた。少し長家が入っていたので、車を降りてからわざわざ遠回りをしてゆっくり見てまわった。思いがけないところに光の海を発見し、しばらく眺め入った。「省資源やエコロジーから考えて」というような懸念に、うなずかないわけではないが、一年の終りのこの季節の風物詩として、今では楽しんでしまっている私だ。
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師走半ば 【No.637】 2007年12月14日
12日 園芸愛好会の忘年会。会員24人で22人が出席。「宴会の余興に」と、Oさんから「今年の菊作りについて自己評価をしなさい」とプリントが渡された。1項目10点で100点満点。「70点以下は努力を要する」「70点以上の人も気を許すと元に戻るので、なお一層の努力を期待する」と評定欄に書いてあった。自分としては過去最高の花を咲かせたのだが、評定を算定すると40点ちょっと。Oさんから「PTAのおばさんばかりに気を取られ、菊に心がいっていない」と特別の指導を受けた。
13日 午後1時20分から、東中学校の1年生の「総合の時間」で授業。内容は4学級合同で「学習新聞作り」の指導。一年間地域調べを行なってきたまとめを個人新聞で行なうということで講師を頼まれた。話のポイントを次の事柄に絞った。 ・学習新聞になにを書くのか 1みんなが知りたいことを書く(調べたこと・情報を書く) 2みんなに知らせたいことを書く(自分の考えたことを書く まとめは必ず載せる) ・新聞を作るとき心がけること 一目見て、何が書いてあるのかが分かるように作るのが新聞(見出しが大切) 帰ろうとしたら、一人の女生徒がおずおずと近づいて来て「先生、Kって知ってる?」と尋ねる。「K…」、一瞬戸惑ったが思い出した。西中時代のクラスの子、目が丸くて、髪の毛が少し縮れていて、顔はふっくら。そう、似ている」。「お母さん、三者面談のとき泣いちゃったって」「ええ? そんなひどいこと言っちゃったのかな。ごめん。お母さんに謝っておいて。お願い。そう、お母さんと遊びにおいで。待ってるから」。
14日 S小のP広報委員4人来訪。20日発行号へのアドバイスを求められた。「ここまで自分たちでやってきたのだから、このままでいきなさい」と私。レイアウト、見出し、写真、そしてキャプションも納まっている。現実のこととして出稿の前に赤ペンなど入れられたら困るはず。特に記事に“赤ペン”は大混乱になる。やってきた仕事には過程があるのだから、その最終の時点で第三者である私があれこれ言うことは適当ではない。“冷たい”と言われてしまうかもしれないが、これがいつもの私の姿勢。自信をもって出稿して欲しいと思うのだ。
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『心』という字 【No.636】 2007年12月13日
20数年前、学校業務員のAさんから「相撲取りが土俵で懸賞金を受け取るときは『心』という文字を書く」と教えてもらった。そのときから、テレビで懸賞金を受け取る力士の姿を注視している。『心』という字を書く手刀の所作をして賞金を受け取る力士はあまり見られない。特に今話題の横綱のその所作は、カメラアングルによるのだろうが、いただけない。「どうだ、勝ったぞ、だから貰うぞ」、そんな風に見えてしまう。 昨日12月12日の「天声人語」に、「『心』という字を手刀で切るきることについて」書いてあった。このコラムを日本相撲協会の人たちは読んだだろうか。
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大山阿夫利神社から表彰状を 【No.635】 2007年12月09日
12月5日 大山阿夫利神社から表彰状をいただいた。表彰状には「多年身を農業経営にささげ」「敬神報徳の実を昂揚された」と書かれている。 11月の東地区の生産組合長会議で受賞を推薦された。全く不適格なので強く固辞した。だが拍手で決定。 改めて「農業経営の実際や、敬神報徳の心への功績」という言葉に、怖ろしさを感じている。だが受賞してしまったこと。それで受賞の理由を次のことに由ることにした。 @ここ10年ほど東公民館を拠点にして『大山道を歩く』講座を持ってきた。先週の「大山信仰と御師の宿」の講座もその一つ。 A大山道が通る寺山の里のことを2冊著した。 B市制50周年記念の『市民が作る広報はだの』でも大山道の特集を組んだ。 この三つの行為が私への授賞の理由だとすれば、私としては一応“納得”。だが周囲の方は納得してくれるかどうか。
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広報委員が年季明けのTさん 【No.634】 2007年12月06日
今年3月までPTA広報を3年間作ってきたTさん。年季明けのこ4月から休んでいたママさんバレーに復帰。ところがたちまち足の骨折で暑い夏の3カ月を松葉杖で生活。 せっかく戻ったバレーは楽しめず、充実感があった広報づくりはもう無い。そんな悶々とした日々を送っていたTさんが、急に作文が書きたくなった、と昨日訪ねてきた。 文章術などとても話せないが、エッセイの題材になりそうなものくらいは見つけることが出来るかもしれないと、3時間ちょっと彼女の身辺の話を聞く。 二つ、いい話が聞けた。一つは「エンゼルメイク」、そしてもう一つが「秦野の大工さんが北海道に家を建てる」。「あなたの話し方で、何を書きたいかがはっきり私に伝わる。この二つを書いてみたら」と勧めた。
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師走に入る 【No.633】 2007年12月03日
12/1 全国新聞教育研究協議会の会議で毎日新聞社にでかけた。久しぶりの東京行きだから、気持ちはまさに“お上りさん”。会議室は皇居に向けて大きく窓が開けている。午後4時に会議が終わったので、その窓から外を眺めた。赤い大きな夕日がお堀端の桜の紅葉を一層濃く見せている。やがて林立する高層ビルの向こうに夕日が沈んでいく。知人のO先生が盛んにケータイのカメラで撮っている。それで「撮れたら送って」 と頼む。今日はケータイを携帯しなかった私。ほとんど不携帯のケータイの所持者である。
12/2 講師を務める東公民館の『大山道を歩く』のシリーズの最終回は、大山道・蓑毛道を歩き、大山詣でをし、御師の宿で豆腐料理を食べるという内容。9時半に蓑毛大日堂の境内を出発した20名の参加者を見送り、車で大山町に先回りの私。講師がこれでいいのだろうか? 大山寺の紅葉に染まりながら、全員12時50分に、宿坊『おおすみ山荘』に無事到着。「途中の紅葉はどこも最高」だったそうで、この企画の時期は大当たりだった。よかった。私と同じように山越えをせずに直接会場入りの6人を含め総勢26名で、豆腐ハンバークや豆腐の蒲焼などは並ばない、純粋な豆腐料理をいただく。 食事の後、「大山信仰と御師の宿」という演題で、第37代御師佐藤大住さんの興味深く楽しい話を聞く。 山歩き、紅葉狩り、名物の豆腐料理、宿坊での講話、しかも天候にも恵まれたことで、「まとめにふさわしい充実した内容だった」と自画自賛。公民館の向原館長さん、井口さん、浦田さん。佐藤大住師、そしてこの講座に参加された皆さん、ほんとうにありがとうございました。
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もう中は見られませんから 【No.632】 2007年11月29日
「私が死んだらお墓を直して」と母が言っていた。昭和47年に父が墓所をつくり、それから34年が経った。墓所にのぼる大谷石の石段の崩れが目立っていた。それを母は気にしていた。来年1月に母の一周忌の法要を営む。その母の願いでもあるので改修をすることにした。 1週間ほど前のこと、山仕事の帰りに工事の進み具合を見に寄ったら、石屋さんが「ご連絡しようと思ってました。見に来てくださってよかったです。今日、カロートを閉めます。閉めてしまうと、もう中は見られませんから」と言う。 作り直されたそのカロートをのぞいた。「広いですネエ」と私。ここに入るのか、突然そう思った。石屋さんの言ったことを納得した。今日、カロートをメジを使って閉じてしまうと、次にこのメジが剥がされるのは私がここに入るとき。そのときの私は、残念ながら自分の入るべきこの石棺室は見えない。今が見納め。それに、この目で見ておくことは必要なこと。「閉めてしまうと、もう見られません」というのは現実のこと。 今朝9時から、完成した墓所で魂入れの読経をしてもらった。梅川流白師の読経が朗々と流れる。魂抜きをしたのは11月初めだった。じいちゃん、ばあちゃん、リキさん、おシマさん、巽たちは、しばらくの間“千の風”に乗って現世を眺め回っただろう。みんな、今朝の読経を聞いて新居に戻ってきたろうか。
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