- 寺 山 だ よ り -

ビューティSEVENS+ONE
【No.1795】 2024年04月16日

4月15日 ホームページ更新。

4月13日 
 2013年にPTA広報『西のいぶき』をつくった7人の女子会「ビューティSEVENSの会」が今年もいつもの焼き鳥屋で開かれた。今回も7名全員の出席。「二杯の酒は楽しくなる」と言われている。アラフィフの皆さんは正にそれ。それぞれの近況報告から、仕事を持ちながらしっかり子育てしている。だからこの会に出席できるのだと思った。
 Mさんが「長男、次男のときは広報をやったけど、Uのときは広報をやらなかった。Uが今年高校生になったので、P広報委員に立候補した。先生が驚いていた。Uの学校生活の写真を一杯撮ってあげるつもり」。「ビューティSEVENS」のこういうステキなお母さんの集まり。

道祖神の里めぐり
【No.1794】 2024年04月13日

道祖神の里めぐり 山梨・忍野村と神奈川・南足柄市 
4月10日
 去年の4月以来の「道祖神の里めぐり」。山梨県忍野村忍草で渡邉さん(86)と東圓寺住職鷹野慈誠師から道祖神祭りや縁起物「ヒイチ」の話を聞く。二基の双体像に逢う。そしてこの旅のもう一つの楽しみである桃畑・桃の花見を笛吹市一宮町で。
 二度と無き八十七歳桃の花 

4月11日
 桃の花を眺めるロケとして知られている一つ笛吹市御坂町の花鳥山展望台から桃畑を見下ろす。9:20分ころ、リニアの試走車が桃の花の枝越しに見られた。試走なのでゆっくり? カメラに収めることができた。目を遠くにやれば雪に覆われた南アルプスの峰々が鈍く光っている。花摘みをしている桃農家の人に声を掛け桃栽培のを聞かせてもらう。すべてが手作業なのでたいへんなようだ。
河口湖畔の富士山の写真スポットは外国の人で賑わっていた。その駐車場の脇の大石紬伝統工芸館を訪ねる。昨日に続き忍野八海に寄り、小池邦夫絵手紙美術館(小池氏は「動かなければ出会えない」と絵手紙に書いている)と岡田紅陽写真美術館に入館。富士湧水の里水族館 にも立ち寄る。帰途、静岡県小山町の富士霊園は満開の桜。
秦野から近いのに未だ訪れていなかった南足柄市の道祖神を訪ねた。まず矢倉沢で覆い屋が藁の双体道祖神。竹松の大松寺門前の三基、竹松公民館の敷地の二基、千津島の広がる田んぼ道で五基と見て回る。いずれも男女双体道祖神。個性的な像に逢え嬉しかった。
 

4月7日 桜
【No.1793】 2024年04月08日

4月7日
 ・宮入りを遅らせてをり夕桜
 寺山の氏神・鹿島神社のお祭り。神輿の渡御もあるので妹夫婦を招いて祝宴。久しぶりのことだ。庭の桜は満開。子供の頃の寺山のお祭りは桜の散る中で神輿が練った。
 
 六時過ぎ桜のライトアップ。すると隣の関さんが「お父さん 今年もライトアップ喜んでいると思う。ありがとうございます」とお礼を言いにみえた。
 ・夜桜をことのほか愛でし隣人の早世惜しみライトアップす
 

 「四月の神奈川俳壇」入選
 ・新しき眼鏡の中の朝桜 (復本先生三席・松尾先生二席の共選)
 
 習作「桜」
 花散らす雨の一日や放哉忌(4月7日)
 路線バス止めし神輿や落花飛花
 カリヨンのある小学校の大桜
 空つぽの教室覗く夕桜
 夕風と遊ぶブランコ花の滝
 園庭を狭しと桜吹雪の児

 出征を見送りし塚の桜木は復員待ちて今年も万朶 (道永塚)
 濃き紅を蕾に抱きし糸桜ふふめば淡き紅に装ふ
 大桜咲かせし里に箱型の家立ち並び離農の増えて 
 桜蕊散り敷く大樹見上ぐれば新樹の光余すことなく
 退院の妻ベランダに佇みて桜の空の光を愛でし

希望に満ちた四月
【No.1792】 2024年04月04日

4月3日
 2時ごろ畑に出ていたら「学童保育」から少し早めに帰る親子の話し声が聞こえた。多分4月から「学童」に通い始めた小1の女の子だろう。「お友達出来たよ」と弾んだ声。「よかったね。どんな子? お名前は?」とお母さんの言葉も明るかった。新しい生活が不安だった親子にとって良いスタートが切れたようだ。四月は希望に満ちた月だ。

4月1日 新しい年度始まる
【No.1791】 2024年04月02日

 曇り空の朝 我が家の桜も二、三輪開花。その梢からオオルリの「ピィーヒィーリリ ピィーヒィーリ ジジッ」。瑠璃色の背中は見えないが数分間さえずる姿は見えた。オオルリはウグイス、コマドリと共に日本三鳴鳥の一つと言われている。我が家の庭木は彼らの夏の宿となっている。だから「帰ってきましたよ。今年もよろしく」との挨拶だろう。 
 私の新年度は《泥遊び》から。別棟の犬走りに迫って来ている畑からの流土を元に返し、廃材を使って土留めを作った。 
 『ECHO』413号の記事打ち出し終わる。今年は校正ミスを減らしたい。
 森山夫妻から「明日横浜に帰着」とメール。

 東婦人会 74年の活動に終止符
【No.1790】 2024年03月31日

 2024年3月31日、この日をもって東婦人会は 74年の歴史に幕を下ろした。会員の高年齢化、加えて「不要不急の外出は避けよう 人との接触は少なく」と求められた《コロナ禍》が、会の解散に大きな影響をもたらした。
 1972年に会報の編集の相談を受けたのがきっかけで、以降52年間私は会の活動に少なからず関りを持たせてもらってきた。記憶に深く刻まれているかかわりの一つは、秦野地方の郷土料理「へらへらダンゴ」を復活させ、高齢者にふるまい喜ばれたこと。東中学校の美術部の力を借りて「へらへらダンゴ」の紙芝居も作成した。会員の研修会では「東地区の地名の由来」を聴いてもらい、その地を散策したのも思い出深い。「東地区の古道大山道」を数回に分けて歩いた。
 昨日30日、解散総会に招かれ出席。総会終了後、会は地域の関係者を招き「感謝の集い」を開いた。公民館まつり、実朝まつり、敬老会、小・中学校の行事など様々な行事で裏方としてがんばってくれた会の皆さん。今は「婦人会さん ありがとうございました。お疲れさまでした」と申し上げるだけです。

老いの気概
【No.1789】 2024年03月27日

 3月17日の朝日俳壇で「老木に芽吹く気概の見えてきし 齋藤紀子」を読む。齋藤紀子様は今は亡き酒井大岳師の子女。大岳師が東吾妻町の長徳寺住職だったころ、道祖神の里めぐりでお世話になった。そのご縁で紀子様とも交流させてもらっている。掲句は「私への励まし」と、勝手に受け止めこんな歌を詠んだ。

  ※「ばかやろー」
 大枚を懐手で得(え)無言坂行く人の口にせし一言  勝美

三月 好日
【No.1788】 2024年03月20日

3月19日
 森山太一・政子夫妻からのメール第4信はアフリカだより。「南太平洋・アフリカの旅」も帰途に就き、シンガポールまで戻ってきたようだ。
「エコー」412号発信。

3月18日 
 Aさん、横畑ケの「はるめき桜」を歩いて見に行く。「一片も散っていない。まさに爛漫の桜」だったと弾んだ声で報告。

3月17日 
 「彼岸の入り」10時過ぎ墓参。門前の駐車場は満杯。穏やかな春の陽差しに墓地は賑やか。妹夫婦も来てくれた。

3月14日
 午前10時過ぎ気仙沼から「道祖神の本を読みたい」との電話が入った。今朝の『三陸新報』のコラムが私のこと(「道祖神の落ち穂拾い」)のこと書いてくれたらしい。それを読んでの購読希望。私と同年代の女性。気仙沼のことを語り合い楽しいひと時を持てた。

答辞
【No.1787】 2024年03月15日

3月14日
 ユーチューブで国会中継を観た。「知らない 記憶にない 秘書・事務方が……」途中で止め、ヤフーニュースを読み始めた。そうしたら「T高校の答辞」のヘッドラインにぶつかった。
 今は卒業式シーズン。それでそのページを開いたらT高校の答辞があった。読み始めたら文に引き込まれた。3300ほどの文字で綴られた18歳の「未来」への若さに満ちた清々しい内容に心を打たれた。学校で学ぶということの意義を改めて思った。三回読み返した。

 「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきは、巡り巡ってアメリカ・テキサス州のハリケーンの原因となりうるでしょうか」で始まる言葉に〈不意打ち〉を食らった。たぶん式場のだれもが。

 78期の六年間の全てを詰め合わせるという思いで、卒業生293名全員の氏名から1文字をとって本文に組み込んだ。最後の一文「数千里の翼を伸ばして校舎の外に尚も広く晴れ渡る大空を悠々と、颯爽と翔いていく我ら大鵬」には、担任の先生方の氏名の1文字ずつが入れてある。
 

3月11日 
【No.1786】 2024年03月11日

 13年前の今日、東日本大震災が発生。亡くなったは人2万2千人を超えた。
 ここ30年ほどの間に起きた震災は、「1995年1月17日・阪神淡路大震災」「2004年10月23日・新潟中越地震」「2011年3月11日・東日本大震災」「2016年4月14、16日・熊本地震」「2024年1月1日・能登半島地震」。
 地震の国日本。私たちは〈地震・震災の谷間に居る〉という意識を強く持たなければいけない。
 昨日、「東北まつり市」で南相馬市にある小高産業技術高校生が考案した弁当を買った。その名は「ほっこり笑顔ホッキ飯弁当」。東日本大震災を忘れないため、そして、ホントにささやかだが復興応援の気持ちをあらわした。

達平さん&信義さん
【No.1785】 2024年03月09日

3月8日
 タッペイちゃんから嬉しい便りをいただいた。高崎市と安中市の道祖神の写真4 枚も添えられていた。
〈先生 こんにちは。仕事の途中でたまたま見つけた道祖神の写真をお送りします。場所は高崎市上並榎町8 2 3辺りの交差点です。道路や街の整備によってでしょうか、道路に囲まれていて、三角州の中に取り残されたように2体並んで建っていました。背面にも文字が刻まれていましたが、劣化のためよく読み取れませんでした。他の2枚は、先生の本を頼りに行ってみた安中市内のものです。また群馬県内の何処かで他の道祖伸を見かけたらお知らせします。大野達平〉

 昨日の同窓会の出席者の一人大津信義さんが、葱をどっさり持ってきてくれた。太く長い茎は白くまぶしい。これからイオンに出荷、秦野産の野菜コーナーに並べるもの。昨日は二次会に行かずに帰り、今日の出荷の作業をしたという。リタイア後葱農家に見事に転身した大津さん。昨日の席で「ミロのビーナス」や「ロダンの考える人」について話をしてくれた。

75歳の同窓会
【No.1784】 2024年03月08日

3月7日
 昭和39年度卒業の人達の同窓会に招かれた。7年ぶりの開催とかで30名が集まる。近況報告によれば、男性の多くは仕事を終え農業に回帰。レモン、蜜柑、葱を市場に出荷している本格的な農業人もいた。一人が言った。「農家の長男がこの学年は多いんだよな」。女性からは健康管理の話。現役で企業のトップを務めている人、教壇に立っている人もいた。卒業アルバムを回し見して当時を懐かしんだ。私の一番の思い出はこの子たちと富士山に登ったこと。

鬱の日
【No.1783】 2024年03月05日

3月4日
 顔を寄せ合い一日ががりで確定申告書を作る。20数年間書いてきたが毎年苦しむ。Aさんは「三月はこれがあるから憂鬱」「申告をしなかったらどうなるのか知りたい」などと言いながらの作業。
 ところで「鬱」という文字は書くのが難しい(憶えづらい)。それで、私は次の歌を唱えながら「鬱」の字を書く。
・リンカンはアメリカンコーヒー三杯と唱えつつ飲む今日は鬱の日
 「リンカン」→林の間に缶。木と木の間に缶。「は」はワ冠のワ。「アメリカンコーヒー」→※(米国の米)をコで囲み下にヒ。「三杯」→髭が三本。

 南アメリカからアフリカに航行中の森山さんから第二便がとどく。


3月3日 
 三月の「俳壇」三席 
 下校児に道草させぬ春疾風
 AさんとOさん、入選の都度励ましの言葉を届けてくれる。ありがたいことだ。

如月から弥生へ
【No.1782】 2024年03月02日

3月1日 ミニ講座「富士道を歩く・水の里 東田原」
 春の到来だが小雨、少し冷える。「みちしるべの会」がお手伝いする東公民館事業「早春の富士道を歩く(案内・横山会長)」に協力した。
 このウオークの参加者は15名、東京の人も! 蓑毛からのスタートなので東公民館で休憩をとる。その休憩時に、私のミニ講座が組み込まれている。それで「水の里 東田原」を20分ほど話した。内容は「金目川、八幡の横掘り井戸、井の城の天ケ瀧」。19名が聴講してくた。
 講座が終え渋沢に向かう一行に陽が射し始めてきた。良かった。公民館への往復はエコーの読者・弘美さんがしてくれた。その弘美さんがミニ講座で二つ新しいことを学んだと言う。その二つは、地名の由来『金目川はカナヒカワ』と『井の城は井の尻』。私も少しは役立ったかな。 


2月29日 創立35年の「平成会」
 平成元年、秦野市P連は二つの新たな事業(@年二回の会員研修会の開催 A「市P連だより」の年二回発行)を行った。新事業は22単P間の交流を図りPTA活動を活性化を目指すものだった。この元年のP連本部役員を務めた人たちは、翌年同期生の集まり「平成会」立ち上げ、年二回集まり旧交を温めてきている。ここ3年はコロナで開かれなかった。
 6名の会だが、この日は4名(女性1人)の出席。夜6時から寿司店で三時間ほど歓談。全員70歳オーバーだから健康、と言うより持病のことが話題になるのは当然? それぞれが今も現役で、人とのつながりを大切にしている。かつてはアルコールもたくさん入ったが、今夜は〈ホドホド〉で、おいしいお寿司を味わった。私は晩酌の定量を守る。
 小雨の中、Sさんの奥さんが送迎してくださった。ありがたいことだった。

温かな心で過ごせた一日
【No.1781】 2024年02月23日

2月23日
 「もうこれでおつもりに」と思いつゝ盃を重ねる蕗味噌の酒
 三橋さん夫妻から〈春の先駆け〉、信州の蕗味噌が届いた。甘味噌、ほろ苦さ、香が好き。晩酌の盃の重なるは必定。411号の中で「カッポ酒」のことを書いたら「カッポ酒ってどんなお酒?」と石垣さんから電話。大野さんが「安中の道祖神を見てきた。コンビニの近くの」と電話で報告してくれた。郷原の文字碑だ。傍らに文化財「妙義道常夜燈」も立っていたはず。
 菅原さんが市川市大町の庚申塔の写真をメールで届けてくれた。青面金剛像。傷みはあまり見られない。きちんと護持されていると感心した。
 泉さんが「どじょう掬いまんじゅう」を持って「高千穂に旅した折『夜神楽』を見られなかったので、山陰に出かけ『出雲神楽』を観てきました」と話しに来る。

熱燗やたちまち我ら昭和人
【No.1780】 2024年02月19日

2月16日
 20年ほど前、「リタイアしたら『三かく』で生きよう」という言葉に出逢った。『三かく』とは『汗をかく』『恥をかく』『義理を欠く』。
汗をかく・身体を動かして健康を維持しよう。恥をかく・学ぼう、新しいことに挑戦しよう。そのためには判らなかったら恥ずかしがらずに他の人に教えを乞おう。義理を欠く・無理して現役地代と同じ暮しをしない。年齢と経済力で致し方ないではないか。私はこの「三かくに生きる」に「字を書く」を加えている。
 教員OB会の新年懇談会に4年ぶりに参加。I会長から「能登地震を思い開催を悩んだ。会として募金活動で応援することにして開催に踏み切った。大勢の参加をいただいた。開いて良かった」との挨拶。参加者24名で再会を喜びあった。
 席が近い仲間たちとは足、腰、内臓などで〈同病憐れれむ〉だったが、近況報告でマイクを手にすると、誰もが「三かくに生きる」さまを明るく力強く話す。
・汗をかく 親の残した150坪の畑を鍬で耕し、野菜を作っているTさん。平塚のブランド米「はるみ」の生産者Kさんはその代表格。卓球の会と朝のラジオ体操会で汗を流しているNさん。土に親しんでいるという報告は多かった。
・恥をかく 毎回和装で参加の会員のICさんは学び始めた手話を披露。「柄にもないでずが男性コーラスの代表を務めている。6月の発表会にぜひご来場を」とYさんはにこにこ。Yさんは理系の教師。するとISさんもすかさず「水墨画の会をやっているが会員減少。入会大歓迎」と飛び込みの発言。「今年はHPの更新を昨年より多くする」と宣言しているのはNTさん。
 圧巻は86歳のKYさん。スマホを手にマイクの前に立ち、これからAIで挨拶をするといい、数分後に完成した言葉をマイクで流した。そして興味のある人は一緒に勉強しましょうとさそう。ガラケーの私には想像もできない学び。
 近況報告のトリは、毎秋見事な菊を咲かせるFさん。部屋の掲額の書に近づき「これは先輩の中堂先生の作品」と説明。書は論語の「有朋自遠方来」。この後に続く「不亦樂乎・また楽しからずや」を言葉して、今日の再会を喜び「次回も皆さんにおあいしたい」。見事な〆! 顔を見せなかった仲間をふと思う。楽しい時を作ってくれた役員の皆さんに感謝。

神吉日 
【No.1779】 2024年02月14日

 今日は神吉日(神よし)日「神事祭礼・宮参りに良い日」とのこと。それで遅ればせながら寺山の氏神・鹿島神社(祭神はタケミカヅチノカミ・建御雷神)に初詣。数年ぶりに境内の石神にもお逢いした。
 社殿の裏に庚申塔が二基。一基は宝暦3(1753)年建立の「青面金剛と三猿」像。他の一基は「青面金剛と日月」で造立は宝暦7(1757)年。二基とも像はそれらしく見えるが摩滅が進んでいる。表庭の西側には「浅間大神」塔・明治15(1882)年と地神の「天社神」塔は享和2(1802)年の二基でいずれも深い彫り文字碑。四基とも寺山村の安寧と繁栄を願い先人たちによって建立された。その心を次の世代に引き継ぎたいと思う。

地球の裏側からのたより 元「東中新聞」の記者
【No.1778】 2024年02月12日

2月12日 
 今日は妻の誕生日。誕生日の花は馬酔木・アシビ。花言葉は『二人で旅をしよう』、それで「もう一年旅をしましょう」とのメッセージをケーキに添えた。
 
 リオからメールが届いた。昨年の12月14日に横浜を出で、ハワイでクリスマス、ゴーギャンのタヒチ、イースター島でモアイ像 ペルーではマチュピチュに登り、今からカーニバルに行くとの旅だより。「これから旅は後半に入る」と弾んだ内容。うなやましい!!。bon voyageと返信した。
 発信は秦野在住のM夫妻。昨年暮れに「『エコー』はしばらくお休みにしてください。そして4月から再開を」と連絡してきた意味がようやく判った。帰国は3月31日とのこと。
 Mさんは「東中新聞」が毎日新聞創刊100年記念の「全国学校新聞コンクール」で最優秀賞を受賞したときの新聞委員長。その副賞は「第11回札幌オリンピック」の特派員として派遣。Mさんと私は1972年2月3日に真駒内屋外スケート競技場での開会式を取材した。

 今日は初午。庭続きの畑で正月の注連縄をお焚き上げする。母屋の前の梅は既に散り始めている。毎年見る「メジロと梅」は今年はないらしい。庭や畑のあちこちにナズナが白い小さな花を咲かせている。春は確実に近づいてきている。

コベントリー ゴディバのチョコ
【No.1777】 2024年02月11日

2月10日  
バレンタインデイはチョコレート そのチョコで人気なのは「ゴディバ」。

 1987年2月7日 長男が成田からイギリス・コベントリーに旅立った。コベントリーはロンドンから特急列車で北西に約1時間ほどのところにある人口35万の都市。この市は第二次大戦で天井が崩れ落ちたまま残っている旧コベントリー大聖堂、そして街の中心地にあるゴダイヴァ夫人の騎馬像で知られている。この騎馬像には次のような伝説がある。

 11世紀の話 領主レオフリックの夫人ゴダイヴァは重税に苦しむ人々の姿を見かね、夫に減税を懇願した。すると領主は「もしおまえが一糸まとわぬ姿で馬に乗り、コベントリーの町中を廻れたなら税を引き下げよう」と言った。翌朝、夫人は一糸まとわぬ姿で町を廻った。領民たちは彼女の姿を見ないように、窓を閉ざし敬意を表しました。それをし知り領主は約束を守り税は引き下げた。
 ちなみに、この伝説がベルギーのチョコレート「ゴディバ」の名称の由来になっていて、ゴダイヴァ夫人の騎馬像がロゴマークとして使われている。ゴダイヴァは英語でGodivaと書くが、日本語で「ゴディバ」と書くのはベルギーでの発音に近いから。

 1991年夏、コベントリーで「ゴダイヴァ夫人の騎馬像」に出逢っている。そのとき求めたレプリカが目の前にある。

梅二月
【No.1776】 2024年02月01日

2月1日
 まだ暗いうちに家内の神仏に白いご飯を供え「お棚納め」をした。今日で正月行事は終わりということ。納めた正月飾りのしめ縄は「初午」の日に畑でお焚き上げをする。農に携わってきた祖父・父から引き継いている我が家の農事暦の一日である。
 能登半島地震が発生して1カ月、9500人ほどが今も一次避難所での暮らしを余儀なくされている。

 奥能登輪島の人・故山下すてさんの歌
 蕗摘みも飽きて膝抱き沖をみる次の世もこの涯に生まれたし(H7・6・5・朝日歌壇)
 すてさんを想う       
・奥能登に生を尽くしし女(ひと)詠みし〈つぎの世もこの涯に生れたし〉
 ・生き甲斐は〈村居〉と言ひし老農の耕す土に春の艶めき    勝美
 
「立春」は4日。暦どおり早く能登に春が訪れることを願う。
 梅二月ひかりは風とともにあり 西嶋麦南 「梅、風、光」は春の先ぶれ。

 HP 更新。

今日は初天神・ツジの天神さん
【No.1775】 2024年01月26日

1月25日
 今日は「天神さん」の日。近くの家の屋敷内に「ツジの天神さん」と呼ばれている菅原神社があった。この日は近所の子ども供たちが参拝者に御札をさずける神主さんを務めた。 
 その夜は「天神講」という子どもたちの食事会が開かれ、双六やトランプ、かるたなどで遊んだ。女の子たちは歌を歌い、踊りを舞ったりもした。「ダンゴ焼き」は男の子、「天神講」は女の子が主役の楽しい集まりだった。
 「ツジの天神さん」は東中学校の校庭拡張で、その家と共に東秦野郵便局の隣りに遷宮され、天神さん祭りも天神講も遠いものになっていたが、15年ほど前、当時の子供会の保護者が1月14日のダンゴ焼きの夜、子供会の「道祖神と天神講の会」を復活させた。その会で、私はこの地区で行われてきたダンゴ焼きと天神講のことを子どもたち話してきた。「目一つ小僧の」の紙芝居も上演した。だがコロナ禍で今年もこの集まりは中止。ダンゴ焼き存続のためにも「道祖神と天神講の会」が再開されれば嬉しい。

 17時23分 タコオチ山の南稜から満月が昇った。
 山並は枯れ高々と月昇る

大寒の日
【No.1774】 2024年01月21日

 1月20日は「大寒」。寺山は未明ミゾレ。でも心も体もホカホカだった一日。
 『エコー』410号の発送作業を午前中。午後六時から「みちしるべの会」の新年会兼『道祖神の落ち穂拾い』出版祝賀会が開かれた。出席は11名。「励ましの言葉とお祝い」を皆さんからいただいた。
 横山会長から「公民館などの『古道歩き』のガイド役を令和5年度は13回行った」との報告があった。自己研鑽をゆるがせにせぬこの会に加わっていることを誇りに思う。
 
 今朝、届いたメール。「3冊目の出版、おめでとうございます。昨日は出勤日。会社から「おめでとう御座います」していました。寒かったけど、お祝い席は、温かい、熱い、楽しい会だったのでは。道祖神さんの本は3冊目なので、次は自叙伝を楽しみにしています。あー、「エコー」を本にしたら、分厚い本になりそうですね。
 寺山は雪ですか。たけジージ、たけバーバ、寒いからお気をつけください。また孫を連れて遊びに行かせてもらいますね。A」

演歌
【No.1773】 2024年01月18日

 1月11日に八代亜紀さんのことを書いたらこんなメールが届いた。
 「気仙沼は港町、全国から集まり停泊する漁船のスピーカーから八代亜紀さんの曲が流れ、それはもう賑やかです。更に市場に出入りするトラックの運ちゃん達も八代さんの曲が好きみたいで、8トラで八代さんの歌を流しながら魚箱の積み込みをしているのを見かけます。これは港町・気仙沼の風物詩です。八代亜紀さんは船乗りやトラックドライバーのアイドルだったのです。ご冥福をお祈りいたします。」

 私が今ユーチューブで聴いている演歌は作曲家・弦哲也さんのオリジナル「御蔵島唄」と「五島(しま)の母ちゃん」。〈のびのびと〉〈しみじみと〉した島唄です。

清水のダンゴ焼き
【No.1772】 2024年01月15日

 1月14日は「ダンゴ焼き(どんど焼き)の日。ダンゴを吊るした竹竿を杖にして道祖神場に行ったら、既にに大勢が集まっていた。総勢50人くらいか。その半数は子供で、お母さんに連れられてよちよち歩きの子も。これは嬉しかった。
 どんど火で身体を炙りながらお神酒を頂き、大勢の人と世間話を楽しんだ。
ダンゴ焼きを執りし切っているのは清水自治会の役員さん。会長のKさん、副のTさん、会計のEさんは私の東中時代の教え子。そういう彼らの動きを眺め自分の老いを改めて実感した。
 火勢が落ち始めたので失礼することにした私に、もう一人教え子Tさんが「先生、タウンニュース(1月12日号)で道祖神の本のこと読んだよ」と声をかけてくれた。その声に送られ、焼いたダンゴの杖にすがりながら明るい心で家路についた。

 ・どんど火を守る昭和の教え子の輪に加わりてカッポ酒酌む
 

達平ちゃん
【No.1771】 2024年01月14日

1月13日 
 午後1時過ぎ、卒業してから一度も会っていないが、年賀状での交流は続いている達平ちゃんから電話。電話も確か初めてのこと。今年の年賀状には「転勤で前橋にいる」と書いてきた。それで、群馬は道祖神がたくさん祀られている。特に高崎市の倉渕町は道祖神の宝庫だから、見て歩いたらと道祖神の本を送った。その本を手に、今倉渕を歩いているとの報告。驚き感激した。道祖神に護られて前橋での仕事をがんばってほしい。
 明日はどんど焼きなので夕食後ダンゴづくりをする。ダンゴ粉の袋に書かれているレシピは「茹でる」だが我が家は蒸かす。蒸し上がったダンゴに団扇で風を送るとダンゴは照り輝く。

カズさんと八代亜紀さん
【No.1770】 2024年01月11日

1月10日 三年ぶりに妻の実家の墓参りに厚木の飯山観音へ。坂東六番霊場なので、平日だが御朱印を授かろうと訪れる参拝者を多く見かけた。「昔は競馬場だった」と妻が記憶する広場が整備され円形の散策路になっていた。大型バス用の有料駐車場も設けられた。飯山から愛川町の相模メモリアルパークの義兄姉の墓に詣で、最後に嫁ぎ先の屋敷墓地に眠るカズさんに香を手向けた。
 73歳で他界したカズさん。兄弟会の旅行で八代亜紀の「雨の慕情」をフリを付け「雨々ふれふれ もっとふれ」と唄ったシーンを墓前て思い浮かべた。
 八代亜紀さんがカズさんと同じ73歳で亡くなった。きょう11日の朝日川柳に〈ぬる燗や八代亜紀逝く雨の夜〉〈CDよりカセットテープが似合う人〉が掲句。車のカセットで彼女の歌をよく唄っていた私だった。「天声人語」が書いている「歌は誰かの心を表現する代弁者」と。昭和の時代に生きた私はこの言葉に深くうなずく。

子どもたちの「注連縄あつめ」
【No.1769】 2024年01月10日

1月9日 快晴、 
 今日から三学期。朝7時、お隣の小学校の職員室に明りが灯っていた。やる気十分の先生たち。待ち遠しかったのだろう、子供たちの登校も早い。
 午後2時ごろ、小学生10人ほどとお母さん一人が、14日に行われるダンゴ焼きにお焚き上げする正月飾りを集めに来てくれた。子どもたち手作りの道祖神の御札もいただいた。「お礼に」とお菓子とお駄賃を渡すと、全員が丁寧なお辞儀と言葉を返してくれた。そして帰り際、可愛い笑顔で手を振る。温かく嬉しい気分になり、私も手を振る。14日にまた会える。

一日も早く「ふるさとの暮し」が戻ることを
【No.1768】 2024年01月05日

 1月3日の「天声人語」に震災に遭った能登・輪島の朝市ことが書かれ、山下すてさんの短歌が載っていた。〈雪深くなれば葱売る小母さんもいつもの場所にいない朝市〉山下さんは輪島の人である。平成5年2月7日の朝日歌壇で私は初めて山下さんの2首に出逢った。
・遊ぶ処なにもなき町海へゆき鴎とあそぶ女正月
・雪晴れは町より人の来る予感香をたきて猫の匂い消しおく
 2首はその生活ぶりと人となりを余すことなく伝えていると思った。以後、すてさんの作品を追いかけるようになった。
・神にまだ生かさるる身の寒明けにきゅっきゅっきゅっと拭く畳の目
・陸に寄する波藍青の夏来る繰り言などは小さきこと
・瓜苗に萱しきおれば隣人が藁をくれたり藁は尊し
・襖立て潮騒遠くなりたれど朝夕の歌の鐘は伝わる
・町なかにこんな音なき処ある話しかけては墓洗うなり
・厚きもの朝夕の肌に重ねゆく海白くなる風の盆以後
・らいねんは生きているかななど思い土ほろほろと菊の根分けす
・今朝波の華が咲きしと報ありき箪笥にぬくきもの充たすも
・夜詣でに水仕事終えてゆくころは海あかあかと鯖火の燃えて
・蕗摘みも飽きて膝抱き沖をみる次の世もこの涯に生まれたし(H7・6・15)
  《次の世もこの涯に生まれたし》この言葉を今噛み締めている。被災された皆さんに一日も早く「ふるさとの暮し」が戻ることをただただ願う。

道祖神さんと駅伝観戦
【No.1767】 2024年01月05日

1月3日
 四年ぶりに二宮町山西の寛政二年の道祖神さんと一緒に箱根駅伝の応援。今年で17回になる。
 ・押切坂駆け上り来る韋駄天を待つ寛政の双体神と

 帰りに小田原のゲームセンターでクレーンゲームに《再挑戦》、というのは2018年の春、ここで「寝そべりスヌーピー」をゲットしているから。今回もかなりのコインを費やしたが弟君を釣り上げることができた。今、その兄弟は応接室のソファに寄り添い寝そべっている。幸せそうだ。

 

老えば増す承認欲求去年今年
【No.1766】 2024年01月04日

2024年1月1日 老えば増す承認欲求去年今年
 ◇去年の暮し
 2023年元旦  神奈川歌壇「新春詠草」で一席
 2月  『ECHO』400号に到達 (3月12日の「天声人語」が紹介)
 4月  道祖神の里めぐり再開(富士山南麗)
 6月  本町小3年生の「総合の時間」で「秦野の道祖神祭り」の紙芝居をチーム竹の子で上演
 7月8日  『ECHO』のHPへのアクセス50万回に到達
      23年目の「夏休みの親子新聞作り講座」を東公民館で
 8月  運転免許返納
 9月  横浜市P連協の広報づくり講座の講師
 11月 『道祖神の里めぐり』の第三集『道祖神の里 落穂拾い』を上梓     
    「さをり織り」と「日本の道祖神展」 盛況裡に終わる
 12月13日  神奈川新聞が『道祖神の里 落穂拾い』を紹介
    『道祖神ワンダーワールド』の講座を東公民館と鶴巻公民館で
    『日本の道祖神』写真展(12月1日〜23日・東公民館)
 12月 神奈川歌壇 今野寿美先生選で一席。
     ※元旦の「新春詠草」の歌壇一席 (佐々木定綱先生選)で始まり12月も一席で今年を締めくくることができた

大晦日 
【No.1765】 2024年01月01日

12月31日
 午前5時起床。10時まで明日アップする予定のHP更新の作業。迎春の掛け軸「双鶴」を床の間に、玄関には中野啓三郎肉筆の津軽凧絵を掛ける。
 午後、圓通寺へ年末の挨拶に。墓所に輪飾りを供え線香を上げた。帰って人形(ひとがた)を畑でお焚き上げする。昔は川に流した(鹿島流しだから)のだが……。最後に清水の道祖神のしめ飾りをした。
 5時から我が家の年越しの神事。屋内の天津神、国津神、荒神、仏壇に燈明を灯し、年越しそばとお神酒を供える、と書いたが高所は無理なので、ほとんど長男に任せた。いつもより酔ったのは、今日の《動き》の激しさからだろう。年越しそばを食べ、神仏に供えた物をすべて下げ入浴。「紅白」は観ないで「第九」を聴いて就寝。

冬至 柚子 カボチャ
【No.1764】 2023年12月24日

12月22日
 冬至 「ユズ湯に」とAさん、Kさん、Mさんから柚子を頂く。「冬至にはカボチャを食べる」という風習もある。今年も「すくなカボチャ」。これはTさんが栽培したもの。飛騨地方の特産品で甘くてやわらかい。皮まで食べられるから大好き。

12月23日 
 夏の暑さのお陰で柚子は大豊作とか。天辺に取り残されたたくさんの柚が朝日を浴びて黄に輝いている。中天に白砂糖煎餅のような月齢10日の月がぼんやりと懸っている。

好評「日本の道祖神写真展」!
【No.1763】 2023年12月18日

I2月1日〜I5日まで東公民館で開催した武勝美の「道祖神ワンダーワールド・日本の道祖神写真展」。来場者の声 (アンケートまとめ)
@秦野にこんなにたくさん道祖神があることに驚いた。
Aびっくりしました。現地に行ってみたく思いました。
B子供のころのなつかしい風景を思い出した。
C秦野のいたる所に道祖神があることを、はじめて知りました。昔の人の思い(子孫繁栄や安全祈願など)がすごく込められていると感じました。とても興味深いイベントでした。
D昔の古い物がいまだに残り人々に大切にされているというのは、すばらしいことだと思う。道祖神は男女一対の物が多く、仲睦まじい姿はほほえましく優しい気持ちにさせられる。こういう物を研究されている方がいて、私たちに見せてもらえることは、ありがたいと思う。
E見て《福》が現れた様に思えました。
F昔は近くにもありました。最近見かけなくなりました。楽しく昔を思い出しながら拝見しました。ありがとうございました。
G先日武先生の講演を拝聴させていただきました。道祖神の歴史と文化を後世に伝えていきたいです。秦野は道祖神の宝庫です。早速道祖神の里秦野を全国に知らしめたいと思います。道祖神の関心を一人でも多くの人に伝えるべく公民館の努カをご期待申し上げます。歴史に関わる東地区の史跡をこれからもPRして行ってください。
H道祖神にもこれ程多様なものという事を知りました。ウオーキングが楽しくなりそうです。
I道祖神にも色々な形、種類が有るのですね。これからは道端に有る石碑、道祖神にも注意して見て行きたいです。
J日本全国色々な道祖神を知ることができて、まるで全国を街歩きしたような気分になりました。子どもの頃我が家にあったワラの馬、道祖神面も展示で見ましたが、何気なく生活の中に溶け込む道祖神を改めて見つめなおすよい機会になリました。武先生の知識等が今後さらに多くの方に知っていただけることを期待しています。
 
 「好評」ということで急遽12月23日まで延長することになった。

道祖神三昧
【No.1762】 2023年12月16日

12月15日
 午後、東公民館で開催中の「日本の道祖神展」のギャラリートークを行う。

12月14日
 13:30から鶴巻公民館の歴史講座「道祖神の落ち穂拾い・道祖神祭り」。オープニングは「チーム竹の子」の関智子さんによる紙芝居『秦野のどんど焼き・トッケダンゴ』。
 来場者は10名。嬉しかったし、驚いたのは中三の女生徒がお母さんと参加してくれたこと。「進路面談が始まっているので授業は午前中。それで来られた」とお母さん。道祖神に興味があると言うその子は、小学生のころ東公民館の「親子かべ新聞講座」に三年間参加してくれた子だった。平塚市から自転車て参加された方もあった。
 質問もいくつか出た今日の講座。その一つは「目一つ小僧と庚申信仰との関り」。良い質問を貰えた。

 道祖神の落ち穂拾い
【No.1761】 2023年12月13日

2月13日
 神奈川新聞が『道祖神の里 落穂拾い』を紹介。「道祖神研究家」との肩書は怖い!

12月9日
 東公民館の歴史講座「道祖神の落ち穂拾い 道祖神祭り」を午後1時半から。受講者は17人。夏の壁新聞講座で「道祖神新聞」を作った小四の葵さんも来てくれた。
 この講座では「各地の道祖神祭り」の紹介をした。 
(1)大磯の「左義長」(2)長野市大岡丙芦ノ尻の「道祖神祭り」(3)長野の「三九郎」(4)伯耆の「サイノカミ祭り」と藁馬(5)北杜市高根町海道の「どんどん焼き」と藁馬 (6) 長岡市上樫出の「ちょんぼ地蔵(道祖神づくり) 祭り」、そして秦野の「どんど焼き・トッケダンゴ」は「チーム竹の子」の伊東さんの「めひとつ小僧」と関さんの「トッケダンゴ」の紙芝居で。

12月8日
 『道祖神の里 落穂拾い』20冊を図書館、歴史博物館、公民館などに寄贈するため午後3時に秦野市役所市長室へ。出迎えてくださったのは高橋市長、佐藤教育長、原田教育部長、宇佐美スポーツ文化部長、水島同課長。この寄贈に道筋をつけてくれた東公民館長の関野さんも同席。感激の余り饒舌になり道祖神についてあれこれ語ってしまった。すると質問をいくつか頂き、道祖神講座を開いているような気分になっていた。今考えれば、恥ずかしいし本当に申し訳なかった。公務でお忙しい中、歓待してくださった皆様に心からお礼を申し上げなければなりません。
 この日は「目ひとつ小僧」の日。

12月1日
 きょう12月1日から「道祖神ワンダーワールド・日本の道祖神」展を秦野市立東公民館で開く。期間は15日まで。「一般的な写真展だと一通り眺めて退室されるのだが、この道祖神展の鑑賞者は、時間をかけて見ておられる」と館長さんが話してくれた。

嬉しいこと・ありがたいこと 三題
【No.1760】 2023年12月04日

12月3日
 12月の歌壇の発表日、今野寿美先生選で一席、令和5年の元旦の歌壇一席(佐々木定綱先生)で始まり12月も一席で〆ることができた。喜びは一入。
 東公民館で開いている「日本の道祖神展」。公民館のお力で素敵な展示会になった。たぶん参観者もそう感じるだろう。これも嬉しいこと。
 夕方6時から68歳の教え子の懇親会に参加。この会は地元東地区で暮らしている有志が年に一度集まり、旧交を温め現況を報告しこれからの暮しの元気をもらう会。今宵の出席は12名(私もそのメンバーとして認められている)。私の出版を知り「祝出版」を兼ねる宴となった。ありがたいこと、嬉しいことだった。

古道・大山道を歩く
【No.1759】 2023年12月02日

12月1日
 東公民館主催の「古道・大山道を歩く」の案内を「みちしるべの会」の横山、浦田、山口、笠井、大木さんが行う。私は横畑ケで地名「地獄ケ入」にまつわる「テウ塚の婆」について話した。「テウ塚の婆」とは「葬頭河の奪衣婆」のこと。三途川の渡り方の話で、母が「横畑ケのちょう塚に婆がいて、通る人の着物を脱がせる」と私に聞かせた話。
 今日のウオークの参加者は16名。歩けない私は 横畑ケまで小泉さんの車で送り迎えしてもらい務めを果たした。小泉さんには感謝。
 大山の紅葉は今が盛り。皆さん楽しいウオークができたろう。

煤逃げ
【No.1758】 2023年11月30日

11月30日
 明日からあわただしい師走・12月。その忙しい最中に《道祖神》です。
 《煤逃げ》の方 どうぞご来場を!!

 ◇「道祖神ワンダーワールド・日本の道祖神」展 
12月1日(金)〜15日(金)8:30〜17:00 
会場:秦野市立東公民館(0463-82-3232)
    ※ギャラリートーク 12月15日(金)13時30分より

 ◇歴史講座「道祖神の落ち穂拾い 道祖神祭り」
   12月9日(土)13時30分〜15時30分 
会場:秦野市立東公民館(0463-82-3232)
・参加者受付中

 ◇歴史講座「道祖神の落ち穂拾い 道祖神祭り」
   12月14日(木)13時30分〜15時30分 
会場:秦野市立鶴巻公民館(0463-76-0463)
     ・参加者受付中

 ◇『道祖神の里 落穂拾い』(2023年11月22日上梓) 
 購読ご希望の方は武まで電話・メールでご連絡ください。
 

 皆様 ありがとうございました
【No.1757】 2023年11月27日

11月26日
 「さをり&道祖神」展の最終日。21名の方が来てくださった。『落穂拾い』の表紙に使わせてもらった古谷家の関係者が上梓のお祝いに来てくださった。ありがたいことだった。再来訪のKさんOさんは平成23年度の「市P連だより」の正・副編集長。当時の広報作りの思い出話、で花が咲いた。ふらりと立ち寄られた男性から「道祖神展はいい企画」との言葉を貰った。
 妻の「さをり織り」への来場者は教え子が多かった。特に野球部の女子マネージャー6名が誘い合わて初日に来てくれ、開催を晴れやかに祝ってくれたのは嬉しかった。五日間の来場者は100余名。皆様、本当にありがとうございました。
 4時半に解散。静岡・菊川市から5泊6日で会を支えてくれた能子さん(古布リメイク・妻の教え子)は特別に別れを惜しんでくれた。 
 再会を誓ひて秋を惜しみけり

握手
【No.1756】 2023年11月26日

11月25日
 展示会四日目・17名のご来籠。かかりつけの歯科医院の先生夫妻、妹夫婦、鶴巻中時代の保護者夫妻、そしてBeauty7のMさん。通りすがりの来訪者が、私の年齢を知り握手を求めてきた。

11月24日は23名のご来場
【No.1755】 2023年11月25日

11月24日
 展示会第三日は23名のご来場。
 相模原市緑区からHさんご夫妻。厚木市、綾瀬市、小田原市、愛川町からも来てくださった。「みちしるべの会」のOさんとKさんは大山寺の紅葉を楽しんだ後のご来館。その健脚ぶりに驚く。

来館者Yさんと道祖神の話
【No.1754】 2023年11月24日

2023年11月23日
 展示会第二日。13名のご来場。知人のYさんが「鹿沼の道祖神、見てといらっしゃいますよね。私、主人と見てきました。その道祖神の傍のお店で『道祖神まんじゅう』を買いました。餡がいっぱいの大きなおまんじゅうでとてもおいしかった」。
 鹿沼のこの道祖神は抱擁像で市重要文化財。「歓喜天道祖神」と呼ばれているもの。おまんじゅうは私も食べた。2018年4月に訪ねている。

【No.1753】 2023年11月23日

11月22日
 「さをり織り」と「道祖神(写真)}の展示会第一日。30名ほどのご来場いただいた。ありがたいこと。

『道祖神の里 落穂拾い』 今日上梓
【No.1752】 2023年11月22日

11月22日
 今日は「いい夫婦の日」だそうで……、我が家の二人は今日から26日までの日程で「さをり織り」と「日本の道祖神(写真)」の展示会を丹沢美術館で開く。『道祖神の里 落穂拾い』も今日の日付けで上梓できた。22日の上梓は「さをり展」の日程に合わせたためで、特別な意識は無かった。
 展示会開催期間中は努めて会場に居るつもりです。小書『落穂拾い』を会場でご一読ください。ご来場をお待ちいたしております。

霜月なかば
【No.1751】 2023年11月13日

 第42回東公民館祭りに三つの展示部門で参加。@「まほら秦野みちしるべの会」は「古道・大山道」のイラストマップを展示し、会員6名でその解説・説明をした。A「秦野ゆとりの会」は毎年「菊花展」を開いている。今年は八名が30数鉢を出展。「福助づくり」がメインだが、私は「ざる菊」を三鉢。B「夏休み親子新聞作り講座」の6作品も展示した。
 三年ぶりの一日開催となったので来場者数も多く、懐かしい顔にたくさん出会え嬉しかった。だが、参加団体そのものの減少が気になる。コロナ禍でその活動を控えたたことが会の衰退につながり、加えて会員の高齢化、趣味の多様化からか新敷く会員を迎えることが少なくなっている。私の所属するそれぞれの会、家族新聞講座の参加数も《ご多聞に漏れず》という状況。これは地域コミュニティの縮小、稀薄化という現実を表している。
 岩手から「さわし柿」がいっぱい届いた。便りにではもう雪囲いの準備に入っているらしい。そういえば私もダウンのジャンパーを羽織った今日だった。尉鶲が帰ってきたのは一週間ほど前。山茶花が見ごろ。11月の俳壇で共選・三席。「少年の窓開け放つ良夜かな」

 11月13日の7時過ぎ、西の空に大きな虹が掛かっていると妻が声をかけてきた。しばらくして中学校の校舎の向こうに二重虹! ダブル・レインボーは「幸福のサイン」。午後から快晴。

やっさんの来訪
【No.1750】 2023年11月03日

11月3日
 裏のやっさん(静岡・小山町在住)が「道祖神のことが載っているから」と御殿場の地域紙「岳麓新聞(10月1日付け)を持って来てくれた。《やっさん》とは、このホームページで「タバコの花」のことを書いた(2023/9/5更新)、その中に登場してもらった《やっさん》である。嬉しい。「日曜さろん」というコラム欄で富士山東麓(御殿場市・裾野市・小山町・長泉町)の道祖神の紹介がされている。文中の数カ所は訪問しているので懐かしく読んだ。
 ホームページ更新。写真のアップに手こずる。 

二種類のワクチンを同時接種
【No.1749】 2023年10月22日

10月21日
 コロナとインフルエンザのワクチンを同時接種。「メガネの武」でメガネの新調。「エコー」を8人に届ける。『道祖神の里 落穂拾い』の二校を出稿。Tさんから「エコー」のお礼の電話。ワクチン接種のため今夜は断酒、早寝。小松菜と大根が芽を出してくれた。

10月20日
 Kさんがひょっこり現れた。日焼けした顔で「飛行機に乗りたくて、海に入りたくてハワイに行ってきた」三泊五日の旅だそうで「結局三日間、砂浜に寝そべっていただけ」と笑う。Kさんが営んでいる和食店を時々訪れていたのだが、あるとき道祖神の話からKさんの旅好きを知り、以来旅のことを親しく話すようになった。五月は犬吠埼、八月は秋田へバイクを走らせ、今回はハワイへ飛んだKさんだった。開店前の忙しい時間帯の中での来訪だった。嬉しいことだった。
 Yさんがハロウィン飾りを今年も持ってきてくれた。もう十年は続いているだろう。今年の飾りは立体飾り。カボチャランタン、魔女の箒、おばけとお化け城もあしらわれていた。
 工芸の得意なYさんは5月の節句にはミニチュア武者兜、10月はリースのハロウィン飾り、そして12月のクリスマスツリーは松ぼっくり、そし椎の実のトナカイ。リースの蔓などその材料は近くの山のもの。Yさんの心遣いで私の部屋は季節の風物詩を味わうことができる。ありがたいこと。
 朝日新聞編集委員の古谷浩一さんから『天声人語(2023年1月―6月) 朝日新聞出版』が送られてきた。110ページに「手作り新聞400号」のタイトルで3月12日の記事が掲載されていた。感激!
「エコー」407号発送作業。新しい入れ歯の調整。しっかりと噛むことが出来ればうれしいが。

92O5は永遠
【No.1748】 2023年10月10日

10月9日
 18年6か月家族の絆を深めてくれたクラウンとお別れ。 
 クラウンでの最初の遠出は2005年2月3日、「節分祭・豆まき」を行う西伊豆の「ホテルときわや」行だった。大広間で行われた「豆まき大会」の場で、宿の女将さんに「恵方巻は出ないの」と聞いたら、恵方巻はご存じなかった。それで恵方巻の姿や食べ方などを話した。すると女将さんは直ぐに板場に入り、太巻き寿司を《板さん》に巻かせ振る舞ってくれた。
 2009年8月17日 秋田・羽後町の『西馬音内盆踊り』にクラウンで出かけた。長男は言う「今では考えられない強行軍」と。この旅で福島・母畑温泉から猪苗代湖まで私がハンドルを握った。東北自動車道をクラウンで走ったのだ。
 2012年2月7〜9日 京都市内、比叡山から琵琶湖と廻り、帰路鈴鹿の椿大神社、富士宮の人穴神浅間神社の参拝。これもクラウンのお世話になった。この行程の走行距離は1050q。
長野、群馬、静岡、そして千葉の「道祖神の里めぐり」では山道や悪路を走ってくれた。道祖神の本を上梓はクラウンの力《大》である。ありがとう。お疲れ様でした。我が家にとって92O5は永遠である。

忍野村も道祖神の里
【No.1747】 2023年10月09日

10月8日
 Kさんが「道祖神のことを報告したい」と訪ねてきた。
忍野八海を訪ねた折り、家々の玄関に三角形の座布団のようなものが飾られている事に気が付き、地元の人に「これは何?」と尋ねたら《ヒイチ》という縁起物で、小正月のどんど焼きのときに飾る物とのこと。そのヒイチが「忍野土産としてガチャガチャで売られている」とも教えられ、私にそのヒイチを買ってきてくれたのだ。
 「もう《お終い》なんて言ったらダメ。これからも道祖神の里めぐりは続けなきゃ」といつも言っているKさんである。村役場に寄り、「忍野村史」に記されている道祖神に関わる部分をコピーし、それも私にプレゼント。忍野村観光案内のマップには道祖神が10基ほど載っている。「忍野のどんど焼きに行くときはスタッドレスを履かなければ危ないですよ」とも言う。2時間ほど道祖神の世界に居て楽しかった。

本格的な秋
【No.1746】 2023年10月02日

10月1日
 猛暑とはもうお別れしたい、そんな思いで2時間ほどはサツマイモを掘る。今年は「紅はるか」と「安納芋」が中心。どちらも丸い形だが、丸々と太っていて出来がいい。これは炎暑のお陰か。食べてもらおうと6軒に届けた。「歴史おこしの会」の小泉さん、「一味ちがう郷づくりの会」の大木さんがそれぞれの会報を持って来訪。この日発表の「10月の歌壇」の二席に入った。文化の秋である。そして食欲の秋の到来でもある。渡邊さんの「足長きのこ蕎麦」で秋を満喫。


中秋の名月
【No.1745】 2023年09月30日

9月29日
 「中秋の名月」の卓を作る。穂ススキはKさんが持ってきてくれた。こちらが何もしなくてもいいように五本が束ねてあった。それに庭のコムラサキの一枝を添えた。ちょっとした活け花、「なかなかのセンス」と自画自賛。
 「芋名月」なので、サツマイモ、里芋を畑から掘る。近所にもおすそ分けを。我が家は昔から月見団子ではなく「月見饅頭」。その饅頭が今年はアンマン。自家製の「うでピー」、豆腐、蕎麦、そして蒼天伝も供えた。2年前の9月21日の日記を読み返したら、なんと私の暮らしの変りようが著しいこと!
 今年の「中秋の名月」は旧暦の8月15日と重なっているとか。〈名月は満月なりと思い込み 谷口東風〉。残念ながらその名月は寺山では見られなかった。次に重なるのは七年後とか。だが28日の夜半、煌煌とした月を見られた。午前4時から対サモア戦を観戦。その中継映像の一シーンで「フランスの中秋の名月」も見られた。
 

四年ぶりのPTA広報講座を横浜で
【No.1744】 2023年09月27日

9月26日 
 横浜布PTA連絡協議会の令和5年度第1回研修会(広報分科会)が横浜市立二つ橋高等特別支援学校を会場に開かれ、講座を持った。参加は市内特別学校13校の広報委員さんなど40余名、2校の校長先生のご来場もあった。
 テーマ「こうすればできるPTA広報」。サブタイトルは「子育てご一緒に」。4年ぶりの、持ち時間1時間という講座なので「《右往左往》の話になりそう」と思い、資料をたくさん(A4判11ページ)用意した。
会場が瀬谷区の二つ橋高等特別支援学校なので長男に車を出してもらい、妻に助手をしてもらうという《一家総動員》の取り組み。これは初めての記念すべき出来事でもあった。ちなみに妻の助手の仕事は、書画カメラで投影した資料・30数点のPTA広報紙を整理・収納することだった。
 この日の講座をふり返ると「情多くして意伝わらず」だった。それでも、校長先生から「紹介された《メールじゃ会えない レールで会おう》という・JR東日本のキャッチコピーが強く心に残っている」との言葉。そして、参加された委員さんからも「もう少し話を聞きたかった」などの言葉をもらい少し心が安らいだ。

車を降りる
【No.1743】 2023年09月21日

9月19日  
 今日で運転免許証は完全失効。1970年から昨日まで54年間の車生活を終えた。54年間の運転をふりかえってみると、違反切符を切られたのは三回(スピード、追い越し、進行指定標識の読み違え)。人身事故無し。物損事故で保険を使ったのは1回(庭石に触れバンパー損傷)の一件、これは優良運転者の証? 
乗った車はパブリカ(空冷だった)、カローラ、マークU、クラウン、最後がソリオ。8月31日、ソリオで行きつけの食事処に出かけ、終止符を打った。ちなみに、18年前に乗り始めたクラウンは息子が乗っている。
 息子が言う「『免許 返したら』『いやだ』などともめなくてよかった。それも優良運転者だよ。それにしても潔いね、なぜ降りたの」と聞く。理由は視力が落ちたこと。運転後その疲れを実感するから。運転には自信はあったが、体力が止めさせたのだ。また、生活に必要だから乗っていたので、運転が好きというわけでもないのも理由の一つ。
 この日、妻と息子がケーキで私の《卒業》を祝ってくれた。

HP更新
【No.1742】 2023年09月05日

 9月5日 ホームページ更新。11月に刊行予定の「道祖神ワンダーワールド」第三巻の内容の紹介をUP。「タバコの花」の写真もきれいに上がった。


スーパームーン&ブルームーン
【No.1741】 2023年09月01日

8月31日
 今日も猛暑日。今夜の月は「スーパームーン&ブルームーン」と言うのだそうだ。
 8時過ぎ濡れ縁に座り、東南の空のオレンジ色の勝る黄色の満月を眺めた。その月光が隣りの瓦屋根に届くと、露が降りたように光って見える。我が家の夜の室温は26度。少しずつ秋の気配を感じる。

 家並みは古りたかだかと大満月

四年ぶりの懇親会 みちしるべの会
【No.1740】 2023年08月28日

 「みちしるべの会」の懇親会に参加。コロナの影響で4年ぶりの会に10名が集まった。流しソーメンとお弁当、それにアルコールも少しの懇親会。
 この会らしく懇親に入る前に研修会が持たれた。その講師を務める。幹事から懇親会なのでそれにふさわしい話を、と指示されていたので「日本の苗字と地名」で30分ほど話した。
「日本の苗字はおおよそ30万。多い理由は漢字が使われているから。その約85%が地名に由来。日本の苗字の約80%は訓読み、20%が音読み。」から入り、そして「勝間田」「空」「薬袋」「十八女」「鯨」などの苗字の読み方や由来を紹介。
 講話にとり上げた苗字の一例「カツマタ」姓
静岡県駿東郡に多い「カツマタ」姓は勝間田、勝股、勝又、勝俣、勝亦、勝田などがある。その姓の文字が他家と違うことを表すために、地元では次のようにカツマタさんを呼ぶ。
・勝間田(カツカンデン)のカツマタさん ・勝俣(ヒトマタ)のカツマタさん ・勝又(フンバリマタ)のカツマタさん ・勝股(ニクヅキマタ)のカツマタさん ・勝亦(アカマタ)のカツマタさん ・勝田(マヌキ)のカツマタさん
 原発の処理水の放出にも話が及んだのもこの会らしい。11時から四時間。夕立ちにも恵まれ、涼しい山中で充実した会が持てた。会長さん以下企画に携わってくれた皆さんに感謝。差し入れ有り難うございました。

8月24・25日
【No.1739】 2023年08月25日

 降ったり止んだりの24日 
 この日の朝刊は「エンジョイ・ベースボール」の記事満載。ところが夕刊は一変。「ロシアでの飛行機墜落」「北朝鮮の通信衛星の落下」「福島での原発処理水の放出」、それに関わって「中国の日本産水産物の全面輸入禁止」。そして「大谷選手の故障」も。そんな中、私は9月に行うPTA広報講座のテキスト作り。
 25日午前3時20分頃、ラジオ深夜便「みんなの音楽リクエスト」で「あさがお」が流れた。初めて聞く歌だった。なぜか歌詞に魅かれた。それで今朝調べてみた。

 あさがお  あさみちゆき (2008年リリース)
       詞・高田ひろゆき 曲・網倉一や 

 花火見つめる 縁側で ビール片手の 父がいた
 傍らで寄り添う 母の手は そっと団扇を あおいでた

 仕立ておろしの 浴衣着て ひと箸つけた 冷麦の
 妹の つたない箸さばき 思い出します あの夏の日
 鼻緒が切れた 夏祭り ハンカチ裂いて すげ替えた
 妹は 片足立ちをして じっと待ってた あの夏の日

 氷イチゴと 朝顔と 家族そろった 夏休み
 妹も 私も 嫁いでも 忘れられない あの家が
 あの夏は もう帰らない あの夏は もう帰らない
 今年の夏も 庭に朝顔は 咲いているでしょうか
           
ウチの庭のアサガオは紺と青色だけがまだ咲いている。晩夏だ。



楽しんでくれたのかな 家族新聞作り
【No.1738】 2023年08月21日

8月20日
 東公民館の「家族新聞作り講座」の第二日。今日発行された新聞は「いきもの新聞」「震生湖新聞」「道祖神新聞」「夏休み新聞」(2紙)。加えてもう一紙、この講座の担当者の館員が「家族新聞講座新聞」を館報特別号をとして発行。これは今までの講座にはなかったこと。
 新聞を作った子たちの感想は「たいへんだったけどたしかった」「おじいちゃんの家にインタビューに行った。たのしかった」「しゃしんをとったのがたのしかった」「道祖神をたくさん見てまわったのでたのしかったから、またしらべてみたい」「夏休みの思いてを新聞にまとめられたのでうれしかった」「かんたんじゃなかったけどたのしかった」。お父さんが積極的に新聞作りに協力してくれたことを、子供たちが喜んでいたことも話の中から感じられた。
 この日の講座出席者は小3・四人、小一・1人、父3、母3、祖父母2。小学校の先生1人、インターシップの大学生2。
 しっかりとした文、見やすいレイアウトですばらしい新聞が出来上がった。子供たちのが「楽しかった」という言葉が、私には何より嬉しいことだった。

8月18日
【No.1737】 2023年08月18日

 今日・8月18日の「誕生日の花」は百日草。花言葉は「友への思い」。

広島の日
【No.1736】 2023年08月06日


 『天声人語》を通して四十数年ぶりに同僚Tさんと再会(電話とメールと手紙で)。そのTさんから昨日こんなメールが届いた。
 「えこーの大江健三郎さんのメッセージ 初めて読みました。この記事から思い出したことがあります。
 ・六二三八六八九八一五 五三に繋げ我ら今生く  西野防人 
 《六二三(ろくにいさん)、八六八九八一五(はちろくはちきゅうはちいちご)、五三(ごさん)に繋げ 我ら今生く 》と読む。朝日歌壇賞受賞の短歌です。ずっと授業で子供たちに紹介してきました。
 

 今日は「広島・原爆の日」
  梅雨出水山河破れて海の哭く   勝美
  永久に水の星たれ原爆忌
  八月の空にあふれる祈りかな
  ヒロシマの夾竹桃の白きかな
  白もまた燃える色なり雲の峰

 数字ばかりの西野さんの短歌。六二三は「沖縄の日」八六八九は「広島と長崎の「原爆の日」 八一五は「終戦の日」そして 五三は「憲法記念日」。私も夏になると6.23 8.6 8.9 8.15を意識する。

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