- 寺 山 だ よ り -

今日も≪良い一日》を作ってもらった
【No.1928】 2025年08月27日

8月26日
 『エコー』430号に「無念 」という見出しでスイカの栽培の失敗談を載せた。すると岩手のWさんからメール、そして静岡のYさんから電話が届いた。二人共「来年、その時期になったら対応策を教えてあげる」という内容。
 東海大学の人間環境学科のH先生とゼミの学生さんが訪ねてみえた。東地区の自然や文化 歴史などについて話を聞きたいとのこと。東中で担当している環境教育の教材づくりの資料にしたいらしい。おおよそ2時間、思いつくままの、行ったり来たりの話になってしまったが、お二人共東地区への興味・関心を深めてくださった、と思っている。「ふるさとを知り ふるさとを愛し ふるさとを育てる」という言葉に共感してもらった。
 先生は久米島の中学校でも環境教育の授業を持っていらっしゃるとか。「明日久米島に飛びます。帰ってきてらまたお伺いします」と笑顔で席を立たれた。
 今日も四人の方に≪良い一日》を作ってもらった。ありがたいこと。

89
【No.1927】 2025年08月21日

8月18日
 89回目の誕生日 Aさんから6時44分バースデイカードがメールで届く。うれしい。
 老い蝉鳴きしに鳴きぬ持ち時間  勝美 
 命の限り鳴き続ける蝉。与えられた時間を私らしく生き(鳴き)たい。 

 二の腕に赤き斑点あまたあり今日一日を確かに生きて  勝美
 朝の涼しいうちに落花生の収穫。確かに生きたといえるほどの働きではないが・・・

終戦の日
【No.1926】 2025年08月15日

8月15日
 「終戦の日」。今朝のタウンニュース紙の「戦後80年語り継ぐ記憶」は〈続武勝美さんの記憶〉。私なりの「終戦の日」。

平和ボケ
【No.1925】 2025年08月14日

8月13日
 朝から甲子園、10時半になったら大谷へ。「大谷の三重殺や夏の怪」を見る、そして43号も。≪平和ボケ≫の私。
 北上市で「昭和のくらしと道具展」が開かれているが、そこに「青い目の人形」が2点展示されているので見に行ってきた、と渡辺さんからの手紙。「跡呂井田んぼアート」の大谷翔平選手の写真も同封されていた。ホームランボールの行き先をデコピンと見つめている姿―見事な作品だ。

ウインドウズ11
【No.1924】 2025年08月11日

8月8日

 「10月14日でウインドウズ10のサポートは終了」とのことなので11に入れ替え。それほど《使い勝手》は変わらないが、慣れるまでしばらくは苦戦するだろう。

8月6日
【No.1923】 2025年08月06日

 太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり 正田篠枝
 
 礎(いしぶみ)にからむ香煙広島忌  勝美   

暑さに負けない熱い私の夏
【No.1922】 2025年08月04日

8月3日
 午後2時から水自治会の全体集会が開かれ9月の災訓練についての話し合いが行われた。そのあと清水湧水地跡記念碑建立21周年の祝賀の行事が持たれた。始めに30分ほど清水湧水池について私の話(碑建立の意義など)。
この湧水池は新編相模國風土記稿に記録され、東小・中学校の校歌「清水ヶ丘は夢湧くところ(東小)」「いつも沸き立つ希望の泉(東中)」と歌われている。その清水湧水池が道路拡張改修によって消滅することになったとき、私たちの自治会が平成16年7月に建立した。また清水という地域の持つ歴史的な特性などついても少し触れた。
 講演後は祝賀懇親会。数名の子供の参加もあって総勢30人ほどの会になった。ビールを頂きいご機嫌になった私が「それでは」と席を立つと全員が拍手で送ってくれた。そして部屋を出ようと引き戸を開ける私の背に、覆いかぶさるような大きな歌声が突然流れてきた。東小学校の校歌だった。「阿夫利の峰から 海から野から 清い力が集まってくる 清水ヶ丘は夢湧くところ みんなみんな 希望に燃えている われらの誇り東校」。
 驚き振り向くとその席にいた大人、そして子どもたちが立ち上がり歌っているのだ。私は思わず踏み戻り皆さんの歌声に加わった。20年前に記念碑を建立した自治会の思いは、今確かに次世代に引き継がれたと思った。清水という地に暮らす皆さんは素敵な人ばかりだ。

8月2日
 午後4時頃戸口あや子さんの来訪。「エコー」429号の『 平和の使者・青い目の人形』を読み、はだの歴史博物館に青い目の人形に逢いにいったとのこと。そして「小学校4年生の時のクラス写真も掲示してある。探してみてください」という私の問いかけにも反応し、私を見つけ出し、カメラに収めてきたと言う。「これが先生でしょう」と私に確認をもとめる戸口さん。
 この日は農民文学の和田傳さんの書「少年少女に贈る五つの物語」をプレゼントしてくれた。

初蝉
【No.1921】 2025年08月02日

8月1日
 ・初蝉や今日は朝から良きことが
 ・老蝉の鳴きしに鳴くや持ち時間
 今朝の『タウンニュース』紙の特別企画「戦後80年を語り継ぐ」に「寺山からも出征者・武勝美さんの記憶」として登場。

 ・蝉出(いず)る順狂はせし大日照り
 今朝ミンミンのか弱い鳴き声を聞く。すると追いかけるようにニイニイ蝉の声も。なぜか油蝉はまだ聞かれない。カナカナも。

今朝の神奈川新聞
【No.1920】 2025年07月31日

7月30日
 今朝の神奈川新聞が「平和の使者・青い目の人形」を紹介してくれた。その記事のについてメール4、電話1通が届いた。うれしい。
 カムチャッカ半島沖で大地震。津波警報が日本列島の太平洋沿岸に発令。この夏は少し気が引けるが朝からクーラーを使っている。丹波市で41.2度と国内の観測史上最高気温を更新の報。今も蝉の声はまったく聞かれないこの夏。
 手庇(てひさし)で大樹に蝉を探す老

無念
【No.1919】 2025年07月26日

7月25日 
 今年は中玉を4個実らせた西瓜。そろそろ収穫かと、今朝も見回りに行ったらショックに襲われた。一番大きなものが割れ真っ赤な果肉が崩れ散っていた。動物の仕業ではない。収穫する時期を逃してしまっていたのだ。そしてもう一個は水分不足からだろう、尻の部分が裂けている。かなり順調な生育だっただけに後悔の念は強かった。残りの二玉もこの天候では心配なので摘み、仏壇に供えた。ご先祖様は怒ってる? 呆れてる?。それとも「ご苦労さん。しょうがないよね」と慰めの言葉をくれるか?

佐賀の人
【No.1918】 2025年07月21日

 18日から2泊3日の日程で佐賀から帰省したKさん。蓑毛に眠る両親の墓参が今度の帰省の主な理由。その二日目の午後、Kさんが我が家を来訪、二時間ほど交歓。
 38歳の時、頼まれて介護の手伝いを始めたのだが、今は佐賀市の包括支援センターの主任ケアマネージャーを務めている。なぜここまで頑張ることができたのかと聞くと、周囲に自分を知っている人はいない、だから気にすることなく何にでも挑戦できたと言う。それと佐賀という風土が会っているからとも。「どの試験もすべて一回で合格。運動音痴だけど車の実地試験も一発」と笑う。
 今回の帰省の3日間の動き聞いて驚いた。1日目の夜は4月19日の同窓会に参加できなかった友達数人に声をかけランチ会。そして2日目は墓参と我が家の訪問。そして夜は昨日と同じように同窓会で会えなかった友達と会食。最終日は平塚で高校の同級生4人でランチ。彼女は言う「私には帰る場所がある。秦野という地、そして中学時代の良い仲間がいる。だから安心して佐賀で仕事ができる」。茶道も学んでいる彼女、今は月一で保育園児とお茶会を開いている。
 一日が終わり眠りにつくとき「これで明日が迎えられなくても悔いはない」と思える生き方をしていると言う。帰り際、「今日はほんとにたくさん先生とお話しができ大満足。でも先生を疲れさせてしまいました。ごめんなさい」と詫びる66歳のKさんだった。


ご参加 おまちいたしております
【No.1917】 2025年07月15日

 今年も開きます 秦野市立東公民館主催の「家族新聞づくり講座」 
  
 ・家族の夏の思い出をカベ新聞にまとめよう

 日時 7月26日(土)・8月23日(土)の全2回
  いずれも9時30分〜11時30分
 会場 東公民館2階ホール 
 対象 小・中学生とその家族10組 
 持ち物 筆記用具 当日の日刊紙
  ご参加ください!
 ・申し込み先 秦野市立東公民館 0463 (82) 3232

宵盆の線香上げ
【No.1916】 2025年07月15日

7月13日 宵盆
 午後3時頃、お盆のツジ(砂盛り)に線香を上げに来てくれたのは隣りのEKさん。今年二月にお母さんを亡くしたEK家は今年は新盆。お母さんを早く迎え入れたいので迎え火を早く焚いたのだろう。
 EH家からはHさんと3歳の保育園児。バアチャンと一緒に拝みに行くと言ったとのこと。しゃがみこんで拝んでくれた。そのお母さんも一緒だった。
 普段は無住の裏のTY家も宵盆の日は静岡・小山町で生活しているYさんが戻ってきて、ツジを作りご近所のツジ回りをしていた。「人情が薄くなったこの頃、こうしてツジ回りをして、その家の人と言葉を交わすことはとても大事なこと」と言う。小山町のお盆は7月23日から25日。この時期が養蚕の作業の合間に当たるからだそうで「全国的にも珍しい日程」と、Yさんが教えてくれた。
 SY家からは長女のYさんとその娘さんの大学生Kさん。Kさんは「今日は日曜なのでお母さんと回ることができた。たぶん10年ぶりくらい」とにこにこ。そのKさんは私の壁新聞づくり講座に参加して「道祖神新聞」を作った。
 TY家からは会社員の娘さん。中学生の時「私こういうことが好きなんです」と言って部活から帰るとその足で線香上げに来てくれた。それが今も続いている。このTY家のツジ(砂盛り)は女竹を井桁に組んだ伝統的なもの。ずっと作り続けて欲しい見事なツジだ。
 4時半になり暑さも少し柔らんできたので私も動き出す。途中からTKさんと同道。TKさんのお母さんはお盆明けの17日で98歳になる。元気で自宅暮らしが出来ていること。
 今年も30分ほどかけて6軒回る。地域での人々の交流が減っている中、普段あまり顔を合わせられない、言葉を交わせないご近所さんと、線香上げを通して触れ合うことができることは意味あること。

暑中お見舞い
【No.1915】 2025年07月09日

テレビを点ければ暑い暑い💦💦の情報だらけですが、先生のお宅はみどりの木陰も多く、快適にお過ごしのことでしょう。それにしても先生はお若い! なんとこの時期に「わたしの昭和」の原稿募集。私も何かいろいろ浮かんでくることがありますので、そのうち・・・ よろしくお願いします。ご家族共々お元気でお過ごしください。
                2025年7月7日・小暑  Sumi

7月到来
【No.1914】 2025年07月04日

 庭の山百合か開き始めた。花の数えたら8株に咲いた花は17。10年くらい前は、7月のお盆の盆棚に山百合の芳香があふれていた。
 昨日西瓜の子づる切りをしようと畑に入ったら握りこぶし大の着果二つを発見。急いでカラス避けの黄色いネットを被せた。
 7月1、2日の午後夕立ちが来た。どうやら関東も梅雨明けが近いらしい。
 明日から平塚では七夕祭り。
 前橋の大野さんから便り。「群馬の各市町村がしばしばニュースで取り上げられる暑い季節になりました。こちらで四度目の夏です。今年が群馬の最後の夏と思って、楽しく上手に過ごしていくつもりです。先生もどうかお身体ご自愛下さい。」
              

6月の終わりは
【No.1913】 2025年07月01日

6月30日 
 西瓜やカボチャは今が収穫の最盛期なのだが、我が家はこれから実が着くという段階。植えてあるのは西瓜、カボチャそれぞれ二本。今日はその蔓を整えた。すると10センチくらいのカボチャが一個、葉陰に隠れているのを発見し喜んだが、防獣網が三か所食い破られているのも見つかった。この夏は〈酷暑〉だ。

6月28日
 「まほら秦野みちしるべの会」の総会。会員15名のこの会に、この日2名の新会員を迎えての総会になった。そして総会の後、新会員歓迎の懇親会を12名で開いた。会員の年齢層は50歳代から80歳代(最年長は武)と幅広いので自己紹介も多種多彩。新人さんも宴にすっかり溶け込んでくれた。
 2007年8月に設立の「みちしるべの会」は来年で20周年を迎える。

我が家は農家
【No.1912】 2025年06月24日

6月23日
 “朝取り”のキュウリをお隣りへ持って行った妻が帰ってきて言う。「テル子さんが『勝美さんキュウリ作り上手になられたね』だって。よかったね」。野菜作りで褒められた。
 こんなにも真っ直ぐなもの出来るとは今年のキュウリは過去最高! 

 「雨が降らないと農家は困るでしょう」と、お手製の折り紙和傘を三本持ってみち子さん来訪。 “照る照る坊主”ではなく、「雨雨降れ降れ母さんが」の傘。それで神棚と仏壇に供え、もう一本は私の机上に。

燕 椋鳥 雀
【No.1911】 2025年06月22日

6月22日 
 夕食のテーブルに着く。夏至を過ぎたばかりだから、まだ日没まで二時間近くある。テーブルの向こうの大きなガラス障子越しに広がる高取山の遠景。前景には、私の歳は超えているだろう柚の木が樹勢を誇って立つ。そしてその柚の木の下の30坪ほどの野菜畑の上を電線が走っている。庭には桜、イロハモミジ、梅、柿、蜜柑、そしてニッキの木。家を囲むモチノキの生垣。こんなたたずまいだから、飛来する野鳥を数多く確認することができる。妻は電線に休む五羽の燕一家の姿に目を細めている。そして「この頃椋鳥の数が多くなった」と言う。スズメの姿が少なくなっていることも気になっているようだ。
 季節的には合わないが一句
 @羽降り後はこぼれて稲雀
 我が家を訪ねてくれる野鳥(私が識別できる個体)は、カラス、ヒヨドリ、雀、キジバト、鴬、目白、シジュウカラ、モズ、ハクセキレイ、オオルリ、コゲラ、コジュケイ、ホオジロ、アオジ。時どきアオサギ、鳶の姿も小さくだが見ることができる。ホトトギスは10日ほど前、遠くに聞いた。アオバズクが来る家があるがここ数年その「ホッホウ、ホッホウ」は聞いていない。

平和の使者・青い目の人形
【No.1910】 2025年06月17日

 6月10日からはだの歴史博物館で「昭和の子どもたち 〜くらしとあそび〜」展が開かれている。この企画展にちょっぴり関わった。
 会場に「青い目の人形」というコーナーがある。昭和2(1927)年、日本とアメリカの関係が険悪になるのを憂い恐れたアメリカの親日家・ギューウリック博士は、全米各地で集めた12000体の「平和の使者・青い目の人形」を日本の小学校や幼稚園に贈ったo日本の子どもたちはそのお礼として、手紙や市松人形を送った。子どもたちは親善の人形を送りあい交流を行ったのだ。
 東秦野尋常高等小学校も手紙を送った。(手紙のコピーを私は所持)。平成12年 頃、同校の「青い目の人形」について情報を探し求めたが、残念ながら所在は不明。しかし探っているうちに伊勢原市大山小学校に贈られた人形は現存することを知った。その「青い目の人形」が7月20日からこの企画展で公開される。
 なお、私の東秦野村国民学校時代(4年生?)のクラス写真も掲げてあります。今の私と似ても似つかない顔を探してみてください。 この企画展は8月17日まで

粒粒皆辛苦
【No.1909】 2025年06月10日

6月10日
 食する《米》で騒然としている中、米作りに勤しむ人の居ることに思いを致さねば 

憫農(農を憫む) 李紳(中唐の詩人 800年代)
鋤禾日当午 … (稲)を鋤いていると日午(真昼どき太陽が)に当る(照りつける)
汗滴禾下土 … 汗は禾下(稲の根元)の土に滴る(滴り落ちる)
誰知盤中餐 … 誰か知る(ご存じか)、盤中の餐(大皿の飯)
粒粒皆辛苦 … 粒粒(飯の一粒一粒)、皆(全て)辛苦(農民の苦労)の結晶であることを。

6月3日 長嶋茂雄さん逝去 
【No.1908】 2025年06月05日

 「俺の昭和は長嶋さんで終わった」と子が言った。彼にとって高倉健、八代亜紀、長嶋茂雄が昭和という時代をイメージさせる人たちだったようだ。その三人の最後の一人・長嶋茂雄さんが昨日旅立った。
 長嶋さんは独特の言葉遣いができる人で「初めての還暦を迎えました」はよく知られている。次の世界で二度目の還暦を迎えるまで〈ミスタープロ野球〉でいるだろう。

May Stom から June Brideへ
【No.1907】 2025年06月01日

6月1日
 俳句の五月の季語に「青嵐」がある。和製英語だが「May Stom(春の嵐)」という語もある。昨日・五月の最終日は雷も含めた台風並みの風雨。まさに春の嵐(May Stom)の一日だった。
 今日から六月。日本では六月をイメージする言葉は「梅雨」。その梅雨入りは六月の半ばとか。梅雨の末期になると「線状降水帯」が頻繁に発生し「梅雨出水」。これが日本の六月のイメージ。ところが欧州では「六月はJune Bride」。バラの花が咲き雨が少ない六月に結婚する花嫁は最高に幸せなれると言う。今年の日本の六月はJune Brideであってほしい。

合掌
【No.1906】 2025年06月01日

5月31日
 届いた高校の校友会誌の「訃報」欄に同級生I、O、M、 Sさんの名前があった。四人とも教員だった。難関公立高の校長だったIさんには進路指導でお世話になった。Oさんには、私の校長任用試験の面接官として出会った。二人はその出会いに驚き、戸惑った。Sさんとは校長会で年数回顔を合わせていた。母校の教壇に立っていたMさんは校友会の事務局を務めていたので交流があった。今も四人の面影や声が鮮明に浮ぶ。

おめでとう カッちゃん 
【No.1905】 2025年05月27日

5月26日
 午前11時頃 住吉勝美さんと奥さんが訪ねてきた。 春の「危険業務従事者叙勲」で瑞宝双光章を受章した住吉さん。20日にその受章伝達式に出席し陛下に拝謁したことを今日秦野市長に報告しに行った。その帰りに我が家を訪ねてくれたのだ。
 黒のスーツの住吉さんの胸には勲章が碧く光っていた。高校卒業してから42年間、秦野市の消防士として職務を全うし消防指令長で退職。「《江戸火消し》のような気質の消防士」という評価が彼にはあった。その証左の一つは、二人の子息が消防士になっていること。
 「勝美」と言う同じ名、そして奇しくも同じ「瑞宝双光章」を受章。二人の勝美が出会ったのは54年前、東中学校で。
 握った彼の手は暖かかった、そして逞しかった。「先生に喜んでもらえ少し《お返し》が出来たような気がします。長生きしてください」と住吉さん(カッちゃん)は言った。私は幸せ者。

学べる幸せ
【No.1904】 2025年05月17日

5月15日
 Hさんから「『H姓の出自』と『地名Hの由来』を調べているので協力を」との便りが届く。Sさんから「自宅近くに、中に何も祀られていない空洞の石祠がある。道祖神だろうか」と電話での問い。前橋の大野さんから群馬の道祖神の写真第9便が届く。今回は甘楽町と高山村。どちらも訪ねていない地なので嬉しい便り。今もこうして学べるのは幸せ。

峠のアート展
【No.1903】 2025年05月12日

5月10日
 彫刻家・横山徹さん主宰の第9回「峠のアート展」に出かけた。横山さんの野外彫刻をメインに各地から18名のアーティストが出展。
 この日は午後1時からそのギャラリートークが行われた。今回のアート展では「招待アーティストとの地域交流」というサブテーマが設けられ、その地域交流者として「峠漬けの会・峠屋-1976-」「まほら秦野みちしるべの会」「道祖神の里めぐり人」が招かれ参加。私は「巨石・奇岩信仰 異形の神道祖神」の展示で参加。 
 ギャラリートークでは島根、石川、茨城、東京などからの出展者のトークに豊かな感性、そしてそれをさらに高めようとする制作への姿勢に心打たれた。

5月4日 
【No.1902】 2025年05月06日

 鹿が2日連続で畑に現れた。挿したばかりのサツマイモの苗が10本ほど引き抜かれていた。どうやら《単独行》らしい。それで「今のうちに」と鹿よけのネットを張ることにした。
 ネットを買いに長男の車で出かけた。200台は止められるだろうC量販店の駐車場は満車に近い状態。だが何とか入りこめた。30分ほどの買い物を終え車に戻ったら隣に軽トラが止まっていた。その軽トラに持ち主がほとんど同時に車に戻ってきた。顔を見たらなんと『エコー』を読んでもらっている横溝 さん(425号の「にっきの記」の『種子島』の項の横溝さん)だった。
 市内に数店在る量販店の中のCで、そのCの200台入る駐車場での隣り合わせ。しかもたった30分ほどの時間の重なり。さらに言えば5月4日の午後1時頃という時間帯。その《巡り合わせ》に驚ろく。少しの時間雑談。彼も鹿よけネットのポールを買いに来たのだった。売り場で出会わなかったのは求めるポールの長さ違いからだった。(ウチは2b、彼は3bの物。)
 帰ってネットを張り巡らす。黒いポールに黄色のネット。高さ1.8b、長さ20b。経費は1万円弱。 小学校をはじめご近所の目を引くだろう。
 鹿さんよ、突入などしないでくれ。

峠のアート展  ご來廊をお待ちいたしております
【No.1901】 2025年05月05日

5月5日
 第19回丹沢アートフェスティバル・2025の「峠のアート展 〜アートが紡ぐ地域の交流〜」が今日から始まる。このアート展に招かれた「まほら秦野みちしるべの会」がマップを展示しているが、その企画の一つとして私の「異形の神・道祖神」の写真展もとり入れてもらっている。よろしかったらご來廊を。
 
日時は5/5(月) 5/6(火) 5/10(土)ギャラリートーク 5/11(日) 5/17(土) 5/18(日)  5/24(土)  5/25(日)  5/30(金)  10:00〜17:00 ※上記以外の日は休廊
会場: アトリエよこやま(横山徹) (Pあり) 259-1322 秦野市渋沢2962 090-3042-3523
小田急線渋沢駅下車 南口バス系統3「峠」行き 終点「峠」下車 案内板を目印に・徒歩5分 「峠」行バス 9:08 11:58 12:38 14:48 15:28

36回忌
【No.1900】 2025年05月03日

5月2日
 父久雄の36回忌。昭和64年1月7日昭和天皇崩御。昭和天皇が好きだった父はその後を追うように平成元年5月2日に他界。
 今日は雨の予報が出ていたので30日に墓参りをしておいた。妹夫婦はきのう墓参。今夕、私の調理した蕎麦を仏前に供えた。仏壇には祖父母と父久雄・母八重子の四人が祀られているので4人前供えた。今の我が家があるのはこの四人のお陰。

今年の菜園完成 あとは私の管理責任
【No.1899】 2025年05月01日

5月1日
 Yさんが8時半からウチの畑に入ってくれ、サツマイモの苗を植え、落花生を播いてくれた。もう20年近くなるだろう、ウチの菜園はYさんの手で維持されている。ありがたいことだ。傍らで私も野菜苗を植える床作りをした。昨日求めた苗はキュウリ、ナス、トマト、カボチャ、インゲン。ネギは売り切れだった。それで野菜即売所にいたOさんに「何とかならない?」と無理を言ったら「探してやるよ。たぶん明日手に入ると思う。待ってて」と嬉しい言葉。そして今朝、Oさんが立派な長ネギの苗を持ってきてくれた。これで、夏野菜の菜園は完成。後は私の管理責任の遂行。鹿やハクビシンの対策も真剣に考えなくては。
 ホームページを一部更新。ウチの庭の花をアップ。

登校班が行く
【No.1898】 2025年05月01日

4月28日
 隣りのHちゃんが小学校に入ったので、登校班がウチの横を通るようになった。Hちゃんのおばあちゃんが言うには「登校班が通るのは20数年ぶり」だそうだ。我が家の裏が集合場所で8時に集まる。その列を見送りにときどき門口に立つ。するとその日は一日が明るく過ごせる。
 お隣の小学校の校庭に朝から大人の姿がたくさん見えた。どうやら授業参観日らしい。この時期の授業参観はとても大切だ。新学期、新しい担任、新しい仲間と、どの子もとても緊張する毎日。初めてわが子を入学させた若いパパ・ママも心配事が尽きない。そんな不安を少しでも解消させるのがこの時期の授業参観。
 ・よかったね今日も給食おいしくて 仲良ししてる? どう? お勉強は
 ・学童に通い始めた六歳が「兄ちゃん出来た」とはしゃぐキッチン
 ・新学期登校班のみな真顔

 どうしよう
【No.1897】 2025年04月27日

4月25日 
 ついに我が家にも鹿の侵入。庭続きの畑(秋雄ちゃんに耕してもらったばかリの)に大きな足跡。その足跡の大きさと踏み込んだ深さ、そして歩行跡から鹿としか考えられない。隣の学校園から続いている足跡は、ウチの畑でUターンしている。この連休で夏野菜を、と思っていた矢先の事件。どうしよう。

すごい会のすごい仲間
【No.1896】 2025年04月25日

4月23日  
 午後6時から「ゆとりの会」の総会兼懇親会。総会はそそくさと終え懇親会。なんと二時間飲み放題という会。「とりあえずビール(今は宴会でこの言葉は《お蔵入り》とか)」でスタート。
 良き時代に教壇に立った者ばかりだから、現役時代の《悪行?》をつまみにビール、日本酒、ワイン、焼酎と盃を重ねる〈すごい会〉。昨年まで園長先生だったTさん(81)は「テレビを観ていると文句を言いたくなることばかり。それで酒量が増える」と笑う。もちろん菊づくり、菜園の管理、そして米作りなどの情報交換もした〈すごい会〉。
 今夜の出席は9名で5名が80歳代、そして他は70歳代という〈すごい〉歳の集まり。二時間できっちり仕上がり、再会を約して解散。みんな元気、前向き。私もその凄い一人?。イイ会だったなあ。
 
 兩人對酌山花開 両人たいしゃく(対酌)すれば さん(山)か花開く  李白 

お祝いの会に30名
【No.1895】 2025年04月20日

4月19日 
 3時30分から67歳の教え子たちの同窓会が開かれた。私の叙勲を米寿を祝うということで急遽の開催だったが、幹事さんの頑張りで佐賀や静岡から駆けつけてくれた人もあり30名の会になった。全員の近況報告を聞き67歳はまだ現役、若いと感じた。
 彼・彼女らが中学生のころはホークソング全盛の時代。昼休みに、週一で生徒会主催の「歌う会」が中庭の芝生園て開かれていた。その時のリーダーが今日もギターを弾き、全員で「校歌」「戦争を知らない子供たち」「翼をください」「この日のこと」を唄った。当時を思い出し私も精一杯声を張り上げた。感動的な合唱になった。当時の同僚のNさんも来てくれた。今日も私は〈幸せ者〉だ。

今朝の庭
【No.1894】 2025年04月16日

 今朝の庭は花の庭。ソメイヨシノの残り花はまだ十分観られる。枝先に紫の大きな花を着けたモクレン健在。垣根に仕立てたドウダンツツジが小さな白い釣り鐘状の花を無数に付けている。その姿から「灯台躑躅(とうだいつつじ)」または「満天星躑躅(まんてんせいつつじ)」という和名を持つ。ツツジは赤、ピンク、白の三色。早くもアヤメが紫に咲き風に耐えている。同じアヤメ科のシャガも10ほど咲いている。白い花弁に薄い紫と黄色の模様を浮かべて可憐だが花言葉は「反抗」。
 盛りを過ぎたピンクの八重椿の樹下には花弁が打ち重なっていて、いくつかは薄茶色のむくろを見せている。藤は今年も盛大に咲くだろう。花房はもう10pほど伸びていてわずかだが薄紫の色を付けている。
 今年の牡丹は蕾を六つ持った。その内の二つが紅を濃くして膨らんでいる。開花は二、三日後か。赤、ピンク,黄のチュウリップが精一杯背伸びしている。畑の黄色い花は取り残した小松菜の花だ。裏のあぜ道に花大根の紫も見える。

ゆとりの会の4月例会
【No.1893】 2025年04月14日

4月12日
 秦野ゆとりの会の前身は「秦野園芸愛好会」だから、菊や朝顔を咲かせるための活動がメインであるが、花を愛でながら、さらに心豊かな生き方をしようと「ゆとり」と改称した。そのために会員の研究や趣味、特技などを披瀝し合うことも行っている。
 3月例会では「地球温暖化とブルーカーボン」についてKさんの説明を聴いた。そして今日はFさんから「最近マスコミでよく見聞する外来語・105語」をリストアップした資料をもとに「外来語について」の解説は興味深いものだった。
 ※今日Fさんから学んだ外来語の例「(大谷選手の)ボブルヘッド=首振り(人形)」「OTC=医薬品・処方箋不要で薬局の店頭で販売される薬」


伊豆の道祖神の里めぐり&海釣り 4月10・11日
4月10日
 道祖神@ 鳥居持ち伊豆型道祖神3基 ・静岡県熱海市網代384付近
 伊東港で釣り3時間(投げ釣り・サビキ釣り)釣果ゼロ
 池田20世紀美術館(ピカソ・ダリ・マチス・ルノワール・シャガール・モネ 他)
4月11日
 道祖神A 伊豆型道祖神3基  ・伊東市荻65(山神社境内)
 道祖神B 伊豆型道祖神14基 ・伊東市新井2丁目15-1(新井神社参道)
 熱海港海釣り施設で3時間 ・釣果=アイゴ(毒)1 ベラ1  ネンブツダイ9 計11匹 

四月を詠う                 
【No.1892】 2025年04月08日

  四 月                 

 スモックも未来サイズで入園す
 制服の声はじけ飛ぶ四月かな         
 春暑し一年生の帰るころ     
 カリヨンのある小学校の大桜
 下校鞄追ひかけて春の蝶
 下校児のひとり離れて花菜道
 空っぽの教室覗く夕桜  

 ピカピカのランドセルから手足伸び頭もちょこんと乗っかってて
 よかったね今日も給食おいしくて 仲良ししてる? どう? お勉強は
 学童に通い始めた六歳が「ともだちできた」とはしゃぐキッチン
 四月より一人暮しの末っ子に「この車も持っていけ」と父
 届きたる葉書の文に筆跡に回復を期す力の満ちて

今日から新年度
【No.1891】 2025年04月02日

4月1日
 新年度が始まった。この日に合わせて、山アさんから「45年間関わってきた教育の仕事を一区切りすることになりました。これを機会に出会った子供たちや地域の方々、授業のエピソードなどをまとめてみました」と『教えることは共に希望を語ること 学ぶとは誠実を胸に刻むこと―子どもの言葉 私の言葉―』いう冊子(A4判64P)とが届いた。収録されている子どもたちの言葉に惹き付けられた。子どもに学ぼう。
 三嶽さんから便り。創刊から毎号「返ってきたエコー」を頂いている。ただただ深謝,多謝。
 「今年も湘南米『はるみ』を作付ける時期が近づいてきました」と元気なメールは古屋さんから。
 みちしるべの会の事務局柳生さんから会の4・5月の活動予定の連絡メール。
 「郷づくりの会」の大木さんが「牛頭天王と蘇民将来」のことを書いた会報66号を持って来訪。 
 私は終日ホームページの更新作業。アップは明日。
 

年度末
【No.1890】 2025年04月01日

3月31日
 今日は2024年度の最終日。今日をもって東公民館長を退職するSさんにお礼の電話をした。
 道祖神の講演会・写真展、家族カベ新聞つくり講座、「大山道を歩く」でのミニ講座、そして館報に「東地区の地名」の連載と、私にたくさんの活躍の場を与えてくださった東公民館。Sさんは「これからは地元・名古木の良さを次代に伝えたい」と言う。麦をつくっているとも。これからも元気で活躍してください。ありがとうございました。Sさんは東中時代、二年間私のクラスの生徒でした。 

3月30日 
 桜のライトアップの初点灯日。直美さんから「今年もライトアップ ありがとうございます。お父さん、天国から見ているでしょう。喜んでいると思います」と電話をもらう。

桜咲く
【No.1889】 2025年03月28日

3月28日
 未明からの雨が上がり春の空が広がると、我が家の百年桜が一挙に開花。

 ・歌人となり俳人となり画家となり僧侶となりて眺める桜 山仲勉
 
 ・たまご溶く手をやすませて初桜  勝美
 ・残されし時はいかほど夕桜

今年の桜は
【No.1888】 2025年03月24日

3月22日
 桜の幹に吹き出す小枝―〈後生枝〉と言うのだそうな―を切り落とすのをFさんに頼んでいた。そのFさんは友人のKさんを連れて来てくれた。
 Fさんは3年前、庭園管理の専門学校に通い始めた。子供のころからよく木登りをしていた、と言いながらこの日も脚立から桜の幹の中ほどに乗り移り小枝を次々に切り落とす。その枝を下で待ち受け手早く紐で括るKさん。二人ともアラフィーのお母さん。 
 休憩時間にFさんは言う。「バンジージャンプをしたい。スカイダイビングもやってみたい」と。10年後を目安にキャンピングカーでご主人と全国を走り回り、行き先々でその地の料理を作り、主人と食べるのが夢と笑う。Kさんは「あと6年で三人の子育てが終わるので大学に行きたい」と言う。今手伝っている税理の仕事の総仕上げを大学でするのだと。和太鼓集団の代表も務めているKさんの土・日は撥を握る。四月に入ったらお座敷がかかり忙しくなるらしい。二人の願いはきっと達成できると思った。
 二人とのお付き合いは13年前から。PTA広報作りがきっかけ。
来週末ころ開花するだろう。今年はすっきりとした枝ぶりの夜桜も見られる。

雪の丹沢連峰
【No.1887】 2025年03月21日

3月20日
雪景色の丹沢連峰の写真がメールで届いた。春の彼岸に降雪という記憶は無い。3月7日にも「雪の丹沢」を見せてもらった。我が家からは観られない景色。ありがとう 明美さん。

スポーツ大国
【No.1886】 2025年03月17日

3月16日付けの新聞のテレビ欄から
(短歌風に) 
 カーリング 駅伝 バレー 大相撲 競馬 サッカー 大谷ニ試合 
  

年度末 
【No.1885】 2025年03月16日

3月15日
 PTA広報紙『陽光』の年度最終号を持って広報委員長のKさんが来訪。『陽光』は一年間読ませてもらった。そのお礼に読後感をお届けしてきた。今年度の『陽光』は年間4号(A4判・20ページ)と、その活動に頑張りを見せた。しっかりとした記事、それにつけられた見出しは〈出色〉。写真も広報の果たす役割を踏まえたものだった。
コロナ以降コミュニテイの縮小は学校やPTAにも変化をもたらした。その状況下での『陽光』の今年度の活動に心を込めて拍手を送る。
🔷年度第1号の「編集後記」
 初めての広報委員、右も左もわからないまま、慣れない記事を書いてみました。皆さまには、1年間、あただかい目で、どんなことが書いてあるのかと、興味を持っていただければ幸いです。 12人の広報委員会メンバーと、先生方と一緒に、頑張ってみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
🔷年度最終号第4号の「編集後記」
 「今までにとらわれないかたちのPTA広報紙を目指して」という年間目標を掲げ、12人のメンバーは限られた時間を工夫しながら活動しました。年間で4回、広報紙を発行でき、また広報委員として新しいことにも挑戦できた1年でした。取材や原稿作成に協力していただいた皆様には、心より感謝申し上げます。広報紙という後世に残るものの作成に携わることができて、とても貴重な経験となりました。

3月12日
 今年も苦闘した確定申告書の作成。それを今日提出。「チーム竹の子」の反省会。

2011年3月11日
【No.1884】 2025年03月13日

2011年3月11日 東日本大震災発生
「フクシマの今」を十年詠みし人の言う「フクシマは福島に戻らず」 武勝美
  
生きてゆかねばならぬから原発の爆発の日も米を研ぎおり   福島 美原凍子
原発の空のしかかる故郷のここにいるしかなくて水飲む
乳搾るナカレ耕すナカレ種まくナカレふくしまの春悲し
満月は海より上がり原子炉と人無き街と村を照らす
最終はいずこか中間貯蔵施設中間というはてなき長さ
花霞む山里ゆけばおちこちに隠しようなきフレコンバッグ
全村避難の村の桜はさみしかろしいんと咲いてしいんと散って
ほろほろと木通の花のこぼれいて空き家はずっと空き家のまんま
それでも春は巡り来てけぶるがに咲くふくしまのうめももさくら
 

新たな挑戦 
【No.1883】 2025年03月10日

3月8日
 秦野ゆとりの会の三月例会を東公民館で。年度最後の例会なので一年の活動をふり返った。会の創立は1995年で主な活動は三つ。 @朝顔の行灯仕立て講座(6月) A鈴虫の頒布会(8月) B菊づくり。@Aは東公民館の市民対象の講座としてゆとりの会が主管している。この二つの講座は好評のようで次年度も開催される。B菊づくりが会の主たる活動で、「福助仕立て」で菊を栽培し、その成果を公民館祭りに菊花展として発表してきた。
 その菊づくりについて、今日の話し合いで来年度は「福助」の他に「ダルマ仕立て」や「三本仕立て」、「懸崖」などにも挑戦してみようということになった。出席者は全員70歳オーバーだが、探求心旺盛で元気で頼もしい皆さんにあやかりたい。

第三回「ランチの会」
【No.1882】 2025年03月05日

3月4日
 あずま荘で三回目のランチの会。焚き込みご飯、若芽の味噌汁、筑前煮 餃子、天ぷら、揚げ豆腐、サラダなど、すべて四人の会員さんが10時からここの調理室で作ったもの。今回のお客人は東地区自治会連合会の会長さんや役員さんの5名。そして私も加わり総勢10名での会食。大勢で食べるのは楽しい。箸が進み、かなりのボリュームなのに皆さん見事に完食。
 食後の懇談の中で「コロナの影響で個人主義が強くなり地域社会の存続(自治会の存在)が危うくなっている」実態を5人から聞かされた。5人はいずれも今期で退任されサポートに回られるらしい。ご苦労様でした。ありがとうございました。これからも地域づくりの先頭に立ってくださるようお願いいたします。

「てくてく歩き 井の城・田原」のミニ講座
【No.1881】 2025年03月02日

3月1日
 午前9時から東公民館の「てくてく歩き 井の城・田原」のミニ講座。「井の城の地名の由来」について15分ほど話す。このテーマで話すのは初めて。「みちしるべの会」が案内をするので役に立てばと思い資料も印刷物で準備した。
 三月、そして「井の城」という文字に誘われて? 参加者は20名。申し込みは定員オーバーだったそうな。会からは横山、浦田、大木、山口さんと私。妻も助手兼介護士として参加。講座の評価は自分としては「☆三つ」くらいか。春の日差しの中、みなさんは田原を楽しく散策できたことだろう。

今年の雪は
【No.1880】 2025年03月01日

2月28日 
 音更町の宮崎さんから「十勝毎日」の2月4日号が届く。1面の見出しは「帯広の一日の降雪124a 過去最多」「バス、JR終日運休」。15面は「小雪一転突然のドカ雪」「埋まる生活の足」「立往生次々 ぼうぜん」「救急車遅れ、外来診療制限も」。

ただただ深謝、多謝
【No.1879】 2025年02月25日

2月22日
 2月12日、妻が米寿を迎えた。その米寿を祝うということで妻の教え子のKさんが来訪。紙芝居の舞台の箱まで持参で私たち二人を観客に紙芝居「あんもちみっつ」を上演してくれた。そしてお祝いのメッセージ(便箋4枚も)を滔々と読み上げる。驚きと感激。
 これだけで充分、もったいないのに、Kさんは私に「“浪花恋しぐれ“を歌いましょう。セリフのところは私が受け持つから」と言った。そして「はいマイクです」と大きな人参を差し出す。とにかくその整然たる動きと言葉に私は従うだけ。途中までうたったが「アカペラじゃ無理!」と逃げた。Kさんは臆することなく、感情情豊かに「遊びなはれ 酒も飲みなはれ」のセリフを。
 Kさんのお祝いの企画―紙芝居「あんもちみっつ」は『エコー』423号の「にっきの記」の1月1日に載せた短歌「あんまんも〜 半分こ」を踏まえてだった。そして“浪花恋しぐれ“は422号の「にっきの記」の「11月22日はイイ夫婦の日」で「“浪花恋しぐれ“が漏れて残念」と書いたからだだった。飲食無しのおおよそ1時間のこの会。Kさんに、ただただ深謝、多謝。Kさんは間もなく喜寿を迎える。

Kさん 健在 よかった
【No.1878】 2025年02月19日

2月18日 
 昨年8月29日、エコーにたびたび登壇願い時事評論や文明論で健筆を振るってもらったKさんが「脳梗塞(右半身)で倒れた」と奥さん代筆での連絡が来た。
 それから半年ほど経った2月18日、Kさん自筆の葉書が届いた。右手で書いた文面は単語のみで、「脳梗塞(8/7〜1/25) 今はデイケア」「2025.7,1.ZO」「トランプ」「平和主ギ者」「被団協」。「2025.7,1.ZO」とは、お気に入りの居酒屋ZOでの快気祝いをするつもりなのだろう。「トランプ」「平和主ギ者」「被団協」、これらの単語を並べてきたKさんを見て、その健在ぶりを実感。よかった。嬉しい。
 
 届きたる葉書の文に筆跡に回復を期する力の満ちて

最高齢の私が乾杯の音頭
【No.1877】 2025年02月18日

2月15日
 OB会の新年懇親会に参加。30名の出席者の中で最高齢者の私に「乾杯の音頭を」とご指名が。それで「一杯のお酒は健康の素」と発声しグラスを合わせた。近況報告からそれぞれが日々確かな暮しをしていらっしゃると実感。以下はそのいくつか。
ヨルダンに住む子と孫に会いに行ったMさんの報告「日本の自然の豊かさ・緑の多さを知った」。高齢者相談員を務めているKさんは児童の登校の見守り隊員でもある。「アメリカのこの頃のふるまい」に触れたKSさんの憤りに共感。Fさんは、自治会活動の縮小による地域社会の崩壊を危惧している。サクラマスの卵子からの養殖に取り組んでいるIさん。自宅の屋根や壁のメンテナンスは自力で行っているとMKさんはグラスを傾け満面の笑み。「昨日は100を切れなかったよ」と嘆いたSさん。Yさんが演歌歌手の〈追っかけ〉しているなんて! ICさんは今年も和装で。尾花沢出身のKYさんとは20数年ぶりの再会だった。「すっかりお酒は弱くなって」と笑い合う。もちろん自病の現況報告もあったが…。ジョギング・ウオーキング・サイクリング・卓球・ラジオ体操で体調管理をしている人、カラオケ・合唱・料理教室を楽しんでいる人も。「次回も出席したいと思いますが、最年長者として挨拶をするのはイヤです。今日ご出席の先輩の先生方、来年も必ず出席してください」とSTさん。これはプレッシャー!

2月12日
【No.1876】 2025年02月12日

 ラジオ深夜便が紹介した2月12日の「誕生日の花と花言葉」。花は「馬酔木」、花言葉は「二人で旅をしよう」。だが馬酔木の持つ特性と花言葉は乖離しすぎて理解しがたい。
 「次ぎの世までもついて行きたい私です(さだめ川)」とちあきなおみが唄っているように、次の世界への旅は、誰もが一人旅。ならば、現世に居る二人は、精一杯「今を生きる旅」を続けなければ。妻、今日「米寿」。

こと始め 初午
【No.1875】 2025年02月11日

2月8日  こと始め
 今日は「こと始め」の日。この日から農家が畑仕事を本格的に始める日。それで私も畑に入り草削りをした。この寒さなのにナズナはしっかりと根を張り葉をたくましく伸ばしている。深夜便の「誕生日の花(1月17日)」では、ナズナの小さな白い花を愛でていたが、種子を振り撒くので農家には大敵だ。暮れに播いた大根の最後の三本を抜く。そして夕飯に大根おろしでいただく。水分たっぷり、おいしかった。

2月6日  初午
「初午」はお稲荷さんのお祭りの日 稲荷(イナリ)は「稲生り」「稲成り」「稲を荷って来る」で五穀豊穣の神。秦野・今泉の白笹稲荷は関東一円からの参拝者で賑わう。
 我が家は「初午の日」に1月31日に外した正月飾りをお焚き上げする。昔は田んぼでお焚き上げをしたが今は庭続きの畑で行う。初午の日、山から降りてくる田の神をお迎えする迎え火でもある。 
 先月ある席で、かつての同僚Yさんが「初午の日に正月飾りを畑でお焚き上げする」と話してくれた。秦野の風習は平沢でも健在。嬉しかった。

立春の狭庭
【No.1874】 2025年02月04日

2月3日
 立春になったとたん寒波襲来。二日に組まれていた自治会の「健康ウオーク・歩いてみよう寺山」は中止。この季節、雨の中を歩くのは無理なこと。案内役だったので又の機会に。
 暮れに庭を彩っていた南天、千両、万両の実は鵯によってきれいに食べつくされた。蝋梅が先駆け、水仙、梅もいくつか蕾をほどいた。その香がただよう庭の隅にワビスケも薄紅色に咲いているが名前のごとく少しワビシイ花だ。藪椿の赤・大島椿の白の蕾は未だ固いがその色は見せている。ソメイヨシノの花芽がそれらしい形になってきた。ベニシダレはまだまだ。日当たりのよい畑には小さな白い花のナズナがあちこちに。

クズカゴ
【No.1873】 2025年02月02日

2月1日 
 東公民館で開いた講座に参加されたYさんが来訪。その席で質問できなかったことを聞きに来たとのこと。質問の中身は「子供の頃、友達の家の庭に竹竿が立っていて、その先に大きなクズカゴが乗っかっていた。そのクズカゴも『目一つ小僧』と関係あるのか」。それで次のようなことをYさんに話した。
 かつて秦野は葉タバコの大きな生産地。葉タバコの苗場作りには落ち葉が必要で、農家の人たちは冬になると雑木林に入り落ち葉をかき集め(クズカキと呼んでいた)、大きな背負い籠(クズカゴ)に詰めて持ち帰った。その背負い籠の目が粗いので「目一つ小僧」を追い払う効果は大きい。目一つ小僧には、メケーゴ(目籠)よりクズカゴ(背負い籠)のほうが怖いのだ。

実朝忌
【No.1872】 2025年01月28日

1月27日
 午前10時過ぎ、Tさんが訪ねてみえ「鳩サプレー」を頂戴した。それにはメッセージも付いていた。
 「源実朝公は建保七(1219)年正月二十七日 鎌倉鶴岡八幡宮の階段の下のイチョウの根元で倒れ最期を迎えました。今から約八百年前のことです。公の御首は秦野・東田原に祀られていると伝えられています。実朝公をしのびながら召し上がりください」
 たぶん御首塚に詣でられた後、わが家のご来訪だったのだろう。

支えられ 見守られて
【No.1871】 2025年01月27日

1月26日
 妻が足を痛めた。「高砂人形」の尉は熊手、姥は箒。寺山の爺と婆は共に杖を頼りの暮し。二重奏ならぬ「コツコツ」の二重音。年齢相応の足音と思おう。昭和の流行歌・双葉百合子の「九段の母」の〈杖をたよりに一日ががり〉、〈つらいさだめの杖ひとつ(岸壁の母)〉を口づさむか。

1月25日
 秦野市退職公務員連盟の新年賀詞交換会並びに叙勲祝賀会が開かれた。秦野市長をはじめとする来賓各位を含め出席者41名。皆さんからお祝いの言葉を頂き感激ひとしお、美酒が全身に染みわたった。それで帰りはYさんの車のお世話になる。 

今日もイイ日だ
【No.1870】 2025年01月20日

1月18日
 長野・富士見町の下平武さんから「長野県民俗の会会報47号・令和6年12月26日発行」が届いた。その誌に下平さんの「寺社を伝える媒体」と題する論文が掲載されていた。そして、その論文の中で「目一つ小僧」の紙芝居について記されていた。驚きと感激!
下平さんは2020年清水庭のどんど焼きに参加し、子どもたちと「目一つ小僧」の紙芝居を見てくれた。下平さんの取り組んでいる研究のテーマは「長野の民俗信仰に結びつく他県の民俗行事」
 
 午後六時から「みちしるべの会」の新年会と叙勲の祝賀会。乾杯を「熱燗で」と言う猛者が四人もいるという昭和人の会。
・熱燗やすなわち吾ら昭和人
一月、二月に頼まれている「大山道ウオーク」のガイドの分担を決めるなど頼もしい会。私にも一役が回ってきた。会のため、自分のためにも頑張りたい。今日もイイ日だった。

全員七十五歳オーバーの新年会
【No.1869】 2025年01月17日

1月15日
 午後六時から新年会、と言っても小さな集まり。平成元年度に市P連の執行部を務めた四人だが、私だけ飛び抜けての年齢。三人とも七十五歳オーバー。三十数年間毎年一、二回集まれるのは全員健康だから。
 この夜の新年会は私の米寿と叙勲を祝ってくれる会でもあった。インフルやコロナなど気にしないで済む大きな中華の丸テーブル。近況報告に笑いながら、よく食べ、ちょっぴり飲んだ四人。「先生、もうおやすみになる時間でしょう」と八時半前にお開き。今日まで私が生きることができたのは、こうした出会いと繫がりがあったからこそ、と思った。

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