粒粒皆辛苦 【No.1909】 2025年06月10日
6月10日 食する《米》で騒然としている中、米作りに勤しむ人の居ることに思いを致さねば
憫農(農を憫む) 李紳(中唐の詩人 800年代) 鋤禾日当午 … (稲)を鋤いていると日午(真昼どき太陽が)に当る(照りつける) 汗滴禾下土 … 汗は禾下(稲の根元)の土に滴る(滴り落ちる) 誰知盤中餐 … 誰か知る(ご存じか)、盤中の餐(大皿の飯) 粒粒皆辛苦 … 粒粒(飯の一粒一粒)、皆(全て)辛苦(農民の苦労)の結晶であることを。
|
|
6月3日 長嶋茂雄さん逝去 【No.1908】 2025年06月05日
「俺の昭和は長嶋さんで終わった」と子が言った。彼にとって高倉健、八代亜紀、長嶋茂雄が昭和という時代をイメージさせる人たちだったようだ。その三人の最後の一人・長嶋茂雄さんが昨日旅立った。 長嶋さんは独特の言葉遣いができる人で「初めての還暦を迎えました」はよく知られている。次の世界で二度目の還暦を迎えるまで〈ミスタープロ野球〉でいるだろう。
|
|
May Stom から June Brideへ 【No.1907】 2025年06月01日
6月1日 俳句の五月の季語に「青嵐」がある。和製英語だが「May Stom(春の嵐)」という語もある。昨日・五月の最終日は雷も含めた台風並みの風雨。まさに春の嵐(May Stom)の一日だった。 今日から六月。日本では六月をイメージする言葉は「梅雨」。その梅雨入りは六月の半ばとか。梅雨の末期になると「線状降水帯」が頻繁に発生し「梅雨出水」。これが日本の六月のイメージ。ところが欧州では「六月はJune Bride」。バラの花が咲き雨が少ない六月に結婚する花嫁は最高に幸せなれると言う。今年の日本の六月はJune Brideであってほしい。
|
|
合掌 【No.1906】 2025年06月01日
5月31日 届いた高校の校友会誌の「訃報」欄に同級生I、O、M、 Sさんの名前があった。四人とも教員だった。難関公立高の校長だったIさんには進路指導でお世話になった。Oさんには、私の校長任用試験の面接官として出会った。二人はその出会いに驚き、戸惑った。Sさんとは校長会で年数回顔を合わせていた。母校の教壇に立っていたMさんは校友会の事務局を務めていたので交流があった。今も四人の面影や声が鮮明に浮ぶ。
|
|
おめでとう カッちゃん 【No.1905】 2025年05月27日
5月26日 午前11時頃 住吉勝美さんと奥さんが訪ねてきた。 春の「危険業務従事者叙勲」で瑞宝双光章を受章した住吉さん。20日にその受章伝達式に出席し陛下に拝謁したことを今日秦野市長に報告しに行った。その帰りに我が家を訪ねてくれたのだ。 黒のスーツの住吉さんの胸には勲章が碧く光っていた。高校卒業してから42年間、秦野市の消防士として職務を全うし消防指令長で退職。「《江戸火消し》のような気質の消防士」という評価が彼にはあった。その証左の一つは、二人の子息が消防士になっていること。 「勝美」と言う同じ名、そして奇しくも同じ「瑞宝双光章」を受章。二人の勝美が出会ったのは54年前、東中学校で。 握った彼の手は暖かかった、そして逞しかった。「先生に喜んでもらえ少し《お返し》が出来たような気がします。長生きしてください」と住吉さん(カッちゃん)は言った。私は幸せ者。
|
|
学べる幸せ 【No.1904】 2025年05月17日
5月15日 Hさんから「『H姓の出自』と『地名Hの由来』を調べているので協力を」との便りが届く。Sさんから「自宅近くに、中に何も祀られていない空洞の石祠がある。道祖神だろうか」と電話での問い。前橋の大野さんから群馬の道祖神の写真第9便が届く。今回は甘楽町と高山村。どちらも訪ねていない地なので嬉しい便り。今もこうして学べるのは幸せ。
|
|
峠のアート展 【No.1903】 2025年05月12日
5月10日 彫刻家・横山徹さん主宰の第9回「峠のアート展」に出かけた。横山さんの野外彫刻をメインに各地から18名のアーティストが出展。 この日は午後1時からそのギャラリートークが行われた。今回のアート展では「招待アーティストとの地域交流」というサブテーマが設けられ、その地域交流者として「峠漬けの会・峠屋-1976-」「まほら秦野みちしるべの会」「道祖神の里めぐり人」が招かれ参加。私は「巨石・奇岩信仰 異形の神道祖神」の展示で参加。 ギャラリートークでは島根、石川、茨城、東京などからの出展者のトークに豊かな感性、そしてそれをさらに高めようとする制作への姿勢に心打たれた。
|
|
5月4日 【No.1902】 2025年05月06日
鹿が2日連続で畑に現れた。挿したばかりのサツマイモの苗が10本ほど引き抜かれていた。どうやら《単独行》らしい。それで「今のうちに」と鹿よけのネットを張ることにした。 ネットを買いに長男の車で出かけた。200台は止められるだろうC量販店の駐車場は満車に近い状態。だが何とか入りこめた。30分ほどの買い物を終え車に戻ったら隣に軽トラが止まっていた。その軽トラに持ち主がほとんど同時に車に戻ってきた。顔を見たらなんと『エコー』を読んでもらっている横溝 さん(425号の「にっきの記」の『種子島』の項の横溝さん)だった。 市内に数店在る量販店の中のCで、そのCの200台入る駐車場での隣り合わせ。しかもたった30分ほどの時間の重なり。さらに言えば5月4日の午後1時頃という時間帯。その《巡り合わせ》に驚ろく。少しの時間雑談。彼も鹿よけネットのポールを買いに来たのだった。売り場で出会わなかったのは求めるポールの長さ違いからだった。(ウチは2b、彼は3bの物。) 帰ってネットを張り巡らす。黒いポールに黄色のネット。高さ1.8b、長さ20b。経費は1万円弱。 小学校をはじめご近所の目を引くだろう。 鹿さんよ、突入などしないでくれ。
|
|
峠のアート展 ご來廊をお待ちいたしております 【No.1901】 2025年05月05日
5月5日 第19回丹沢アートフェスティバル・2025の「峠のアート展 〜アートが紡ぐ地域の交流〜」が今日から始まる。このアート展に招かれた「まほら秦野みちしるべの会」がマップを展示しているが、その企画の一つとして私の「異形の神・道祖神」の写真展もとり入れてもらっている。よろしかったらご來廊を。 日時は5/5(月) 5/6(火) 5/10(土)ギャラリートーク 5/11(日) 5/17(土) 5/18(日) 5/24(土) 5/25(日) 5/30(金) 10:00〜17:00 ※上記以外の日は休廊 会場: アトリエよこやま(横山徹) (Pあり) 259-1322 秦野市渋沢2962 090-3042-3523 小田急線渋沢駅下車 南口バス系統3「峠」行き 終点「峠」下車 案内板を目印に・徒歩5分 「峠」行バス 9:08 11:58 12:38 14:48 15:28
|
|
36回忌 【No.1900】 2025年05月03日
5月2日 父久雄の36回忌。昭和64年1月7日昭和天皇崩御。昭和天皇が好きだった父はその後を追うように平成元年5月2日に他界。 今日は雨の予報が出ていたので30日に墓参りをしておいた。妹夫婦はきのう墓参。今夕、私の調理した蕎麦を仏前に供えた。仏壇には祖父母と父久雄・母八重子の四人が祀られているので4人前供えた。今の我が家があるのはこの四人のお陰。
|
|
今年の菜園完成 あとは私の管理責任 【No.1899】 2025年05月01日
5月1日 Yさんが8時半からウチの畑に入ってくれ、サツマイモの苗を植え、落花生を播いてくれた。もう20年近くなるだろう、ウチの菜園はYさんの手で維持されている。ありがたいことだ。傍らで私も野菜苗を植える床作りをした。昨日求めた苗はキュウリ、ナス、トマト、カボチャ、インゲン。ネギは売り切れだった。それで野菜即売所にいたOさんに「何とかならない?」と無理を言ったら「探してやるよ。たぶん明日手に入ると思う。待ってて」と嬉しい言葉。そして今朝、Oさんが立派な長ネギの苗を持ってきてくれた。これで、夏野菜の菜園は完成。後は私の管理責任の遂行。鹿やハクビシンの対策も真剣に考えなくては。 ホームページを一部更新。ウチの庭の花をアップ。
|
|
登校班が行く 【No.1898】 2025年05月01日
4月28日 隣りのHちゃんが小学校に入ったので、登校班がウチの横を通るようになった。Hちゃんのおばあちゃんが言うには「登校班が通るのは20数年ぶり」だそうだ。我が家の裏が集合場所で8時に集まる。その列を見送りにときどき門口に立つ。するとその日は一日が明るく過ごせる。 お隣の小学校の校庭に朝から大人の姿がたくさん見えた。どうやら授業参観日らしい。この時期の授業参観はとても大切だ。新学期、新しい担任、新しい仲間と、どの子もとても緊張する毎日。初めてわが子を入学させた若いパパ・ママも心配事が尽きない。そんな不安を少しでも解消させるのがこの時期の授業参観。 ・よかったね今日も給食おいしくて 仲良ししてる? どう? お勉強は ・学童に通い始めた六歳が「兄ちゃん出来た」とはしゃぐキッチン ・新学期登校班のみな真顔
|
|
どうしよう 【No.1897】 2025年04月27日
4月25日 ついに我が家にも鹿の侵入。庭続きの畑(秋雄ちゃんに耕してもらったばかリの)に大きな足跡。その足跡の大きさと踏み込んだ深さ、そして歩行跡から鹿としか考えられない。隣の学校園から続いている足跡は、ウチの畑でUターンしている。この連休で夏野菜を、と思っていた矢先の事件。どうしよう。
|
|
すごい会のすごい仲間 【No.1896】 2025年04月25日
4月23日 午後6時から「ゆとりの会」の総会兼懇親会。総会はそそくさと終え懇親会。なんと二時間飲み放題という会。「とりあえずビール(今は宴会でこの言葉は《お蔵入り》とか)」でスタート。 良き時代に教壇に立った者ばかりだから、現役時代の《悪行?》をつまみにビール、日本酒、ワイン、焼酎と盃を重ねる〈すごい会〉。昨年まで園長先生だったTさん(81)は「テレビを観ていると文句を言いたくなることばかり。それで酒量が増える」と笑う。もちろん菊づくり、菜園の管理、そして米作りなどの情報交換もした〈すごい会〉。 今夜の出席は9名で5名が80歳代、そして他は70歳代という〈すごい〉歳の集まり。二時間できっちり仕上がり、再会を約して解散。みんな元気、前向き。私もその凄い一人?。イイ会だったなあ。 兩人對酌山花開 両人たいしゃく(対酌)すれば さん(山)か花開く 李白
|
|
お祝いの会に30名 【No.1895】 2025年04月20日
4月19日 3時30分から67歳の教え子たちの同窓会が開かれた。私の叙勲を米寿を祝うということで急遽の開催だったが、幹事さんの頑張りで佐賀や静岡から駆けつけてくれた人もあり30名の会になった。全員の近況報告を聞き67歳はまだ現役、若いと感じた。 彼・彼女らが中学生のころはホークソング全盛の時代。昼休みに、週一で生徒会主催の「歌う会」が中庭の芝生園て開かれていた。その時のリーダーが今日もギターを弾き、全員で「校歌」「戦争を知らない子供たち」「翼をください」「この日のこと」を唄った。当時を思い出し私も精一杯声を張り上げた。感動的な合唱になった。当時の同僚のNさんも来てくれた。今日も私は〈幸せ者〉だ。
|
|
今朝の庭 【No.1894】 2025年04月16日
今朝の庭は花の庭。ソメイヨシノの残り花はまだ十分観られる。枝先に紫の大きな花を着けたモクレン健在。垣根に仕立てたドウダンツツジが小さな白い釣り鐘状の花を無数に付けている。その姿から「灯台躑躅(とうだいつつじ)」または「満天星躑躅(まんてんせいつつじ)」という和名を持つ。ツツジは赤、ピンク、白の三色。早くもアヤメが紫に咲き風に耐えている。同じアヤメ科のシャガも10ほど咲いている。白い花弁に薄い紫と黄色の模様を浮かべて可憐だが花言葉は「反抗」。 盛りを過ぎたピンクの八重椿の樹下には花弁が打ち重なっていて、いくつかは薄茶色のむくろを見せている。藤は今年も盛大に咲くだろう。花房はもう10pほど伸びていてわずかだが薄紫の色を付けている。 今年の牡丹は蕾を六つ持った。その内の二つが紅を濃くして膨らんでいる。開花は二、三日後か。赤、ピンク,黄のチュウリップが精一杯背伸びしている。畑の黄色い花は取り残した小松菜の花だ。裏のあぜ道に花大根の紫も見える。
|
|
ゆとりの会の4月例会 【No.1893】 2025年04月14日
4月12日 秦野ゆとりの会の前身は「秦野園芸愛好会」だから、菊や朝顔を咲かせるための活動がメインであるが、花を愛でながら、さらに心豊かな生き方をしようと「ゆとり」と改称した。そのために会員の研究や趣味、特技などを披瀝し合うことも行っている。 3月例会では「地球温暖化とブルーカーボン」についてKさんの説明を聴いた。そして今日はFさんから「最近マスコミでよく見聞する外来語・105語」をリストアップした資料をもとに「外来語について」の解説は興味深いものだった。 ※今日Fさんから学んだ外来語の例「(大谷選手の)ボブルヘッド=首振り(人形)」「OTC=医薬品・処方箋不要で薬局の店頭で販売される薬」
伊豆の道祖神の里めぐり&海釣り 4月10・11日 4月10日 道祖神@ 鳥居持ち伊豆型道祖神3基 ・静岡県熱海市網代384付近 伊東港で釣り3時間(投げ釣り・サビキ釣り)釣果ゼロ 池田20世紀美術館(ピカソ・ダリ・マチス・ルノワール・シャガール・モネ 他) 4月11日 道祖神A 伊豆型道祖神3基 ・伊東市荻65(山神社境内) 道祖神B 伊豆型道祖神14基 ・伊東市新井2丁目15-1(新井神社参道) 熱海港海釣り施設で3時間 ・釣果=アイゴ(毒)1 ベラ1 ネンブツダイ9 計11匹
|
|
四月を詠う 【No.1892】 2025年04月08日
四 月
スモックも未来サイズで入園す 制服の声はじけ飛ぶ四月かな 春暑し一年生の帰るころ カリヨンのある小学校の大桜 下校鞄追ひかけて春の蝶 下校児のひとり離れて花菜道 空っぽの教室覗く夕桜
ピカピカのランドセルから手足伸び頭もちょこんと乗っかってて よかったね今日も給食おいしくて 仲良ししてる? どう? お勉強は 学童に通い始めた六歳が「ともだちできた」とはしゃぐキッチン 四月より一人暮しの末っ子に「この車も持っていけ」と父 届きたる葉書の文に筆跡に回復を期す力の満ちて
|
|
今日から新年度 【No.1891】 2025年04月02日
4月1日 新年度が始まった。この日に合わせて、山アさんから「45年間関わってきた教育の仕事を一区切りすることになりました。これを機会に出会った子供たちや地域の方々、授業のエピソードなどをまとめてみました」と『教えることは共に希望を語ること 学ぶとは誠実を胸に刻むこと―子どもの言葉 私の言葉―』いう冊子(A4判64P)とが届いた。収録されている子どもたちの言葉に惹き付けられた。子どもに学ぼう。 三嶽さんから便り。創刊から毎号「返ってきたエコー」を頂いている。ただただ深謝,多謝。 「今年も湘南米『はるみ』を作付ける時期が近づいてきました」と元気なメールは古屋さんから。 みちしるべの会の事務局柳生さんから会の4・5月の活動予定の連絡メール。 「郷づくりの会」の大木さんが「牛頭天王と蘇民将来」のことを書いた会報66号を持って来訪。 私は終日ホームページの更新作業。アップは明日。
|
|
年度末 【No.1890】 2025年04月01日
3月31日 今日は2024年度の最終日。今日をもって東公民館長を退職するSさんにお礼の電話をした。 道祖神の講演会・写真展、家族カベ新聞つくり講座、「大山道を歩く」でのミニ講座、そして館報に「東地区の地名」の連載と、私にたくさんの活躍の場を与えてくださった東公民館。Sさんは「これからは地元・名古木の良さを次代に伝えたい」と言う。麦をつくっているとも。これからも元気で活躍してください。ありがとうございました。Sさんは東中時代、二年間私のクラスの生徒でした。
3月30日 桜のライトアップの初点灯日。直美さんから「今年もライトアップ ありがとうございます。お父さん、天国から見ているでしょう。喜んでいると思います」と電話をもらう。
|
|
桜咲く 【No.1889】 2025年03月28日
3月28日 未明からの雨が上がり春の空が広がると、我が家の百年桜が一挙に開花。
・歌人となり俳人となり画家となり僧侶となりて眺める桜 山仲勉 ・たまご溶く手をやすませて初桜 勝美 ・残されし時はいかほど夕桜
|
|
今年の桜は 【No.1888】 2025年03月24日
3月22日 桜の幹に吹き出す小枝―〈後生枝〉と言うのだそうな―を切り落とすのをFさんに頼んでいた。そのFさんは友人のKさんを連れて来てくれた。 Fさんは3年前、庭園管理の専門学校に通い始めた。子供のころからよく木登りをしていた、と言いながらこの日も脚立から桜の幹の中ほどに乗り移り小枝を次々に切り落とす。その枝を下で待ち受け手早く紐で括るKさん。二人ともアラフィーのお母さん。 休憩時間にFさんは言う。「バンジージャンプをしたい。スカイダイビングもやってみたい」と。10年後を目安にキャンピングカーでご主人と全国を走り回り、行き先々でその地の料理を作り、主人と食べるのが夢と笑う。Kさんは「あと6年で三人の子育てが終わるので大学に行きたい」と言う。今手伝っている税理の仕事の総仕上げを大学でするのだと。和太鼓集団の代表も務めているKさんの土・日は撥を握る。四月に入ったらお座敷がかかり忙しくなるらしい。二人の願いはきっと達成できると思った。 二人とのお付き合いは13年前から。PTA広報作りがきっかけ。 来週末ころ開花するだろう。今年はすっきりとした枝ぶりの夜桜も見られる。
|
|
雪の丹沢連峰 【No.1887】 2025年03月21日
3月20日 雪景色の丹沢連峰の写真がメールで届いた。春の彼岸に降雪という記憶は無い。3月7日にも「雪の丹沢」を見せてもらった。我が家からは観られない景色。ありがとう 明美さん。
|
|
スポーツ大国 【No.1886】 2025年03月17日
3月16日付けの新聞のテレビ欄から (短歌風に) カーリング 駅伝 バレー 大相撲 競馬 サッカー 大谷ニ試合
|
|
年度末 【No.1885】 2025年03月16日
3月15日 PTA広報紙『陽光』の年度最終号を持って広報委員長のKさんが来訪。『陽光』は一年間読ませてもらった。そのお礼に読後感をお届けしてきた。今年度の『陽光』は年間4号(A4判・20ページ)と、その活動に頑張りを見せた。しっかりとした記事、それにつけられた見出しは〈出色〉。写真も広報の果たす役割を踏まえたものだった。 コロナ以降コミュニテイの縮小は学校やPTAにも変化をもたらした。その状況下での『陽光』の今年度の活動に心を込めて拍手を送る。 🔷年度第1号の「編集後記」 初めての広報委員、右も左もわからないまま、慣れない記事を書いてみました。皆さまには、1年間、あただかい目で、どんなことが書いてあるのかと、興味を持っていただければ幸いです。 12人の広報委員会メンバーと、先生方と一緒に、頑張ってみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 🔷年度最終号第4号の「編集後記」 「今までにとらわれないかたちのPTA広報紙を目指して」という年間目標を掲げ、12人のメンバーは限られた時間を工夫しながら活動しました。年間で4回、広報紙を発行でき、また広報委員として新しいことにも挑戦できた1年でした。取材や原稿作成に協力していただいた皆様には、心より感謝申し上げます。広報紙という後世に残るものの作成に携わることができて、とても貴重な経験となりました。
3月12日 今年も苦闘した確定申告書の作成。それを今日提出。「チーム竹の子」の反省会。
|
|
2011年3月11日 【No.1884】 2025年03月13日
2011年3月11日 東日本大震災発生 「フクシマの今」を十年詠みし人の言う「フクシマは福島に戻らず」 武勝美 生きてゆかねばならぬから原発の爆発の日も米を研ぎおり 福島 美原凍子 原発の空のしかかる故郷のここにいるしかなくて水飲む 乳搾るナカレ耕すナカレ種まくナカレふくしまの春悲し 満月は海より上がり原子炉と人無き街と村を照らす 最終はいずこか中間貯蔵施設中間というはてなき長さ 花霞む山里ゆけばおちこちに隠しようなきフレコンバッグ 全村避難の村の桜はさみしかろしいんと咲いてしいんと散って ほろほろと木通の花のこぼれいて空き家はずっと空き家のまんま それでも春は巡り来てけぶるがに咲くふくしまのうめももさくら
|
|
新たな挑戦 【No.1883】 2025年03月10日
3月8日 秦野ゆとりの会の三月例会を東公民館で。年度最後の例会なので一年の活動をふり返った。会の創立は1995年で主な活動は三つ。 @朝顔の行灯仕立て講座(6月) A鈴虫の頒布会(8月) B菊づくり。@Aは東公民館の市民対象の講座としてゆとりの会が主管している。この二つの講座は好評のようで次年度も開催される。B菊づくりが会の主たる活動で、「福助仕立て」で菊を栽培し、その成果を公民館祭りに菊花展として発表してきた。 その菊づくりについて、今日の話し合いで来年度は「福助」の他に「ダルマ仕立て」や「三本仕立て」、「懸崖」などにも挑戦してみようということになった。出席者は全員70歳オーバーだが、探求心旺盛で元気で頼もしい皆さんにあやかりたい。
|
|
第三回「ランチの会」 【No.1882】 2025年03月05日
3月4日 あずま荘で三回目のランチの会。焚き込みご飯、若芽の味噌汁、筑前煮 餃子、天ぷら、揚げ豆腐、サラダなど、すべて四人の会員さんが10時からここの調理室で作ったもの。今回のお客人は東地区自治会連合会の会長さんや役員さんの5名。そして私も加わり総勢10名での会食。大勢で食べるのは楽しい。箸が進み、かなりのボリュームなのに皆さん見事に完食。 食後の懇談の中で「コロナの影響で個人主義が強くなり地域社会の存続(自治会の存在)が危うくなっている」実態を5人から聞かされた。5人はいずれも今期で退任されサポートに回られるらしい。ご苦労様でした。ありがとうございました。これからも地域づくりの先頭に立ってくださるようお願いいたします。
|
|
「てくてく歩き 井の城・田原」のミニ講座 【No.1881】 2025年03月02日
3月1日 午前9時から東公民館の「てくてく歩き 井の城・田原」のミニ講座。「井の城の地名の由来」について15分ほど話す。このテーマで話すのは初めて。「みちしるべの会」が案内をするので役に立てばと思い資料も印刷物で準備した。 三月、そして「井の城」という文字に誘われて? 参加者は20名。申し込みは定員オーバーだったそうな。会からは横山、浦田、大木、山口さんと私。妻も助手兼介護士として参加。講座の評価は自分としては「☆三つ」くらいか。春の日差しの中、みなさんは田原を楽しく散策できたことだろう。
|
|
今年の雪は 【No.1880】 2025年03月01日
2月28日 音更町の宮崎さんから「十勝毎日」の2月4日号が届く。1面の見出しは「帯広の一日の降雪124a 過去最多」「バス、JR終日運休」。15面は「小雪一転突然のドカ雪」「埋まる生活の足」「立往生次々 ぼうぜん」「救急車遅れ、外来診療制限も」。
|
|
ただただ深謝、多謝 【No.1879】 2025年02月25日
2月22日 2月12日、妻が米寿を迎えた。その米寿を祝うということで妻の教え子のKさんが来訪。紙芝居の舞台の箱まで持参で私たち二人を観客に紙芝居「あんもちみっつ」を上演してくれた。そしてお祝いのメッセージ(便箋4枚も)を滔々と読み上げる。驚きと感激。 これだけで充分、もったいないのに、Kさんは私に「“浪花恋しぐれ“を歌いましょう。セリフのところは私が受け持つから」と言った。そして「はいマイクです」と大きな人参を差し出す。とにかくその整然たる動きと言葉に私は従うだけ。途中までうたったが「アカペラじゃ無理!」と逃げた。Kさんは臆することなく、感情情豊かに「遊びなはれ 酒も飲みなはれ」のセリフを。 Kさんのお祝いの企画―紙芝居「あんもちみっつ」は『エコー』423号の「にっきの記」の1月1日に載せた短歌「あんまんも〜 半分こ」を踏まえてだった。そして“浪花恋しぐれ“は422号の「にっきの記」の「11月22日はイイ夫婦の日」で「“浪花恋しぐれ“が漏れて残念」と書いたからだだった。飲食無しのおおよそ1時間のこの会。Kさんに、ただただ深謝、多謝。Kさんは間もなく喜寿を迎える。
|
|
Kさん 健在 よかった 【No.1878】 2025年02月19日
2月18日 昨年8月29日、エコーにたびたび登壇願い時事評論や文明論で健筆を振るってもらったKさんが「脳梗塞(右半身)で倒れた」と奥さん代筆での連絡が来た。 それから半年ほど経った2月18日、Kさん自筆の葉書が届いた。右手で書いた文面は単語のみで、「脳梗塞(8/7〜1/25) 今はデイケア」「2025.7,1.ZO」「トランプ」「平和主ギ者」「被団協」。「2025.7,1.ZO」とは、お気に入りの居酒屋ZOでの快気祝いをするつもりなのだろう。「トランプ」「平和主ギ者」「被団協」、これらの単語を並べてきたKさんを見て、その健在ぶりを実感。よかった。嬉しい。 届きたる葉書の文に筆跡に回復を期する力の満ちて
|
|
最高齢の私が乾杯の音頭 【No.1877】 2025年02月18日
2月15日 OB会の新年懇親会に参加。30名の出席者の中で最高齢者の私に「乾杯の音頭を」とご指名が。それで「一杯のお酒は健康の素」と発声しグラスを合わせた。近況報告からそれぞれが日々確かな暮しをしていらっしゃると実感。以下はそのいくつか。 ヨルダンに住む子と孫に会いに行ったMさんの報告「日本の自然の豊かさ・緑の多さを知った」。高齢者相談員を務めているKさんは児童の登校の見守り隊員でもある。「アメリカのこの頃のふるまい」に触れたKSさんの憤りに共感。Fさんは、自治会活動の縮小による地域社会の崩壊を危惧している。サクラマスの卵子からの養殖に取り組んでいるIさん。自宅の屋根や壁のメンテナンスは自力で行っているとMKさんはグラスを傾け満面の笑み。「昨日は100を切れなかったよ」と嘆いたSさん。Yさんが演歌歌手の〈追っかけ〉しているなんて! ICさんは今年も和装で。尾花沢出身のKYさんとは20数年ぶりの再会だった。「すっかりお酒は弱くなって」と笑い合う。もちろん自病の現況報告もあったが…。ジョギング・ウオーキング・サイクリング・卓球・ラジオ体操で体調管理をしている人、カラオケ・合唱・料理教室を楽しんでいる人も。「次回も出席したいと思いますが、最年長者として挨拶をするのはイヤです。今日ご出席の先輩の先生方、来年も必ず出席してください」とSTさん。これはプレッシャー!
|
|
2月12日 【No.1876】 2025年02月12日
ラジオ深夜便が紹介した2月12日の「誕生日の花と花言葉」。花は「馬酔木」、花言葉は「二人で旅をしよう」。だが馬酔木の持つ特性と花言葉は乖離しすぎて理解しがたい。 「次ぎの世までもついて行きたい私です(さだめ川)」とちあきなおみが唄っているように、次の世界への旅は、誰もが一人旅。ならば、現世に居る二人は、精一杯「今を生きる旅」を続けなければ。妻、今日「米寿」。
|
|
こと始め 初午 【No.1875】 2025年02月11日
2月8日 こと始め 今日は「こと始め」の日。この日から農家が畑仕事を本格的に始める日。それで私も畑に入り草削りをした。この寒さなのにナズナはしっかりと根を張り葉をたくましく伸ばしている。深夜便の「誕生日の花(1月17日)」では、ナズナの小さな白い花を愛でていたが、種子を振り撒くので農家には大敵だ。暮れに播いた大根の最後の三本を抜く。そして夕飯に大根おろしでいただく。水分たっぷり、おいしかった。
2月6日 初午 「初午」はお稲荷さんのお祭りの日 稲荷(イナリ)は「稲生り」「稲成り」「稲を荷って来る」で五穀豊穣の神。秦野・今泉の白笹稲荷は関東一円からの参拝者で賑わう。 我が家は「初午の日」に1月31日に外した正月飾りをお焚き上げする。昔は田んぼでお焚き上げをしたが今は庭続きの畑で行う。初午の日、山から降りてくる田の神をお迎えする迎え火でもある。 先月ある席で、かつての同僚Yさんが「初午の日に正月飾りを畑でお焚き上げする」と話してくれた。秦野の風習は平沢でも健在。嬉しかった。
|
|
立春の狭庭 【No.1874】 2025年02月04日
2月3日 立春になったとたん寒波襲来。二日に組まれていた自治会の「健康ウオーク・歩いてみよう寺山」は中止。この季節、雨の中を歩くのは無理なこと。案内役だったので又の機会に。 暮れに庭を彩っていた南天、千両、万両の実は鵯によってきれいに食べつくされた。蝋梅が先駆け、水仙、梅もいくつか蕾をほどいた。その香がただよう庭の隅にワビスケも薄紅色に咲いているが名前のごとく少しワビシイ花だ。藪椿の赤・大島椿の白の蕾は未だ固いがその色は見せている。ソメイヨシノの花芽がそれらしい形になってきた。ベニシダレはまだまだ。日当たりのよい畑には小さな白い花のナズナがあちこちに。
|
|
クズカゴ 【No.1873】 2025年02月02日
2月1日 東公民館で開いた講座に参加されたYさんが来訪。その席で質問できなかったことを聞きに来たとのこと。質問の中身は「子供の頃、友達の家の庭に竹竿が立っていて、その先に大きなクズカゴが乗っかっていた。そのクズカゴも『目一つ小僧』と関係あるのか」。それで次のようなことをYさんに話した。 かつて秦野は葉タバコの大きな生産地。葉タバコの苗場作りには落ち葉が必要で、農家の人たちは冬になると雑木林に入り落ち葉をかき集め(クズカキと呼んでいた)、大きな背負い籠(クズカゴ)に詰めて持ち帰った。その背負い籠の目が粗いので「目一つ小僧」を追い払う効果は大きい。目一つ小僧には、メケーゴ(目籠)よりクズカゴ(背負い籠)のほうが怖いのだ。
|
|
実朝忌 【No.1872】 2025年01月28日
1月27日 午前10時過ぎ、Tさんが訪ねてみえ「鳩サプレー」を頂戴した。それにはメッセージも付いていた。 「源実朝公は建保七(1219)年正月二十七日 鎌倉鶴岡八幡宮の階段の下のイチョウの根元で倒れ最期を迎えました。今から約八百年前のことです。公の御首は秦野・東田原に祀られていると伝えられています。実朝公をしのびながら召し上がりください」 たぶん御首塚に詣でられた後、わが家のご来訪だったのだろう。
|
|
支えられ 見守られて 【No.1871】 2025年01月27日
1月26日 妻が足を痛めた。「高砂人形」の尉は熊手、姥は箒。寺山の爺と婆は共に杖を頼りの暮し。二重奏ならぬ「コツコツ」の二重音。年齢相応の足音と思おう。昭和の流行歌・双葉百合子の「九段の母」の〈杖をたよりに一日ががり〉、〈つらいさだめの杖ひとつ(岸壁の母)〉を口づさむか。
1月25日 秦野市退職公務員連盟の新年賀詞交換会並びに叙勲祝賀会が開かれた。秦野市長をはじめとする来賓各位を含め出席者41名。皆さんからお祝いの言葉を頂き感激ひとしお、美酒が全身に染みわたった。それで帰りはYさんの車のお世話になる。
|
|
今日もイイ日だ 【No.1870】 2025年01月20日
1月18日 長野・富士見町の下平武さんから「長野県民俗の会会報47号・令和6年12月26日発行」が届いた。その誌に下平さんの「寺社を伝える媒体」と題する論文が掲載されていた。そして、その論文の中で「目一つ小僧」の紙芝居について記されていた。驚きと感激! 下平さんは2020年清水庭のどんど焼きに参加し、子どもたちと「目一つ小僧」の紙芝居を見てくれた。下平さんの取り組んでいる研究のテーマは「長野の民俗信仰に結びつく他県の民俗行事」 午後六時から「みちしるべの会」の新年会と叙勲の祝賀会。乾杯を「熱燗で」と言う猛者が四人もいるという昭和人の会。 ・熱燗やすなわち吾ら昭和人 一月、二月に頼まれている「大山道ウオーク」のガイドの分担を決めるなど頼もしい会。私にも一役が回ってきた。会のため、自分のためにも頑張りたい。今日もイイ日だった。
|
|
全員七十五歳オーバーの新年会 【No.1869】 2025年01月17日
1月15日 午後六時から新年会、と言っても小さな集まり。平成元年度に市P連の執行部を務めた四人だが、私だけ飛び抜けての年齢。三人とも七十五歳オーバー。三十数年間毎年一、二回集まれるのは全員健康だから。 この夜の新年会は私の米寿と叙勲を祝ってくれる会でもあった。インフルやコロナなど気にしないで済む大きな中華の丸テーブル。近況報告に笑いながら、よく食べ、ちょっぴり飲んだ四人。「先生、もうおやすみになる時間でしょう」と八時半前にお開き。今日まで私が生きることができたのは、こうした出会いと繫がりがあったからこそ、と思った。
|
|
清水庭のだんご焼き(道祖神祭り) 【No.1868】 2025年01月14日
1月12日 今年は今日12日の午後一時半から始まった。二時半頃会場に行ったら既に50人ほどがどんど火を囲んでいた。子供連れの家族がその半数であとは大人。ただ子供は幼児と低学年の子で高学年や中学生の姿は見当たらなかった。大人はこの祭りを執り行う自治会役員さんと過去の役員さんが中心。子供たちにはお菓子、大人は缶ビール、そしてお汁粉も振る舞われた。何人かに勧められカッポ酒をいただきながら庭内の人たちの消息や地域の情報に接することができた。 次年度自治会長のTさんが言った。「先生、これでいいんだよね。清水庭の人が集まって、話しをして交流する。先輩から昔の清水庭のことを聞かせてもらう。それで地域がまとまるから。これも〈とっけだんご〉だよね」。Tさんは昨日の私の講演を聴いてくれた一人だ。もう一人の聴講者Kさんは、私が紹介した道祖神のお札についての別な情報を話してくれた。旧家のMさんが「ウチの裏に角ばった石が五、六個転がっているが、何か訳のある石かね」と聞いてきた。「たぶん五輪の塔を崩したものだろう。今度見させてよ」と私。こんな実のある話ができるのもだんご焼きのご利益。だが熾火に置いていただんごの半分は炭化していた。 土地っ子の守るどんどの火勢かな 初孫を授かり話どんど祭 どんど火の竹爆ぜる如癒へし妻 残り火で小さき宴やどんど祭 悼・敏明さん どんど火を守り来し顔一つ消え
|
|
「日本の道祖神祭り」の講演会 【No.1867】 2025年01月13日
1月11日 午後1時半から東公民館の歴史講座「日本の道祖神祭り」の講演会。定員20名のところ18名の出席を得た。主催者などを含めると22名で満席になった。 プロローグは「秦野の道祖神祭り・とっけだんご」の紙芝居の公演で演者は「チーム竹の子」の関智子さん。 この講演のテーマは、先人たちが願いをこめて造立し、護ってきた道祖神(祭り)を次代に引き継ぐこと。出席者の年齢層は30代から80代。30歳代から70歳代までのご夫婦での参加が5組あった。秦野生まれで東京在住の女性の参加には感激した。みちしるべの会、私が住む自治会からの参加も。質問が一つ「双体道祖神の衣装の変化とその理由について」。思いがけない視点からの「道祖神考」への問いだった。予定時間を5分ほどオバーしてしまったのは、今日の会への私の心の高ぶりからか。 明日は「とっけだんご」なので、夕食後だんご作りをした。差し水の加減がうまくいかなくて〈ゆるゆる〉だんごになってしまった。
|
|
49年ぶりの再会 【No.1866】 2025年01月06日
1月5日 1月の歌壇に今野・谷岡先生の共選で入選。幸先き良し。 ・門松を小さく立てて保育所は遊具・絵本を眠らせてをり
昭和50年度に担任したクラスの子の一人・Aさんが突然の来訪。Aと名乗ったが分からない。それでマスクを外してもらったら49年前の顔が現れた。分かったAさんだ。還暦は過ぎているが、あの頃と同じ可憐な顔のAさんだった。 新聞などで私の動き(健在であること)を知り、どうしても逢いたくなったから、とにっこり。NHKテレビにクラスとして出演したことが最も強い思い出と当時をふり返ってくれた。感慨無量、教師冥利に尽きる再会だった。
|
|
1月3日 恒例の行事 【No.1865】 2025年01月04日
1月3日 九時半ごろから箱根駅伝の応援を二宮で。毎年私が陣取る所は山西の横断歩道脇の道祖神場(文字碑と双体像五基)。応援に出かけたのは86 回大会からで、小田原、大磯、そして二宮と観戦する場は変わり、二宮になってからは10年ほどだと思う。 子どもの頃長鵜距離を早く走る人の走り方を「飛ぶ」と言っていた記憶があるが、どのランナーもまさに「飛ぶ」ように軽やかに走り過ぎて行った。 昼食後、開成町の道祖神めぐり、これも恒例? 6か所で9基にお会いできたが文字碑1基だけだった。何故なのか考えてみたい。 開成町には、かつて秦野西中と東中で一緒に仕事をしたNさんご夫妻がいらっしゃる。『エコー』も応援していただいているのでご挨拶をと思い寄らせてもらった。驚きと喜びの声の三十年ぶりの再会。
|
|
1月1日の「深夜便」 【No.1864】 2025年01月02日
2025年1月1日 金田たつえの『花街の母』 年越しの用意で疲れた一日。九時に就寝。よく眠られたので午前三時に目が覚めたので深夜便へ。正月三が日は特別番組「カラオケ時代のヒットソング集」だそうで、金田たつえの『花街の母』が流れた。私にはこの歌に二つのエピソードがある。 一つは西中時代の書初め展のこと。クラスの男子が『花街の母』と書いてきたこと。その頃の中学生の書初めは『希望の春』とか『挑戦』というような言葉が定番、時に『謹賀新年』などもあるが、『花街の母』とは。 その子に『花街の母』という文字を選んだわけを尋ねた。「ウチのカラオケで、おばあちゃんがよく歌っているから」とのこと。そして「書いてみると書きやすい字だし」とも。言われてみると四文字とも整えやすい字だ。このことがあってからこの歌は私のレパートリーになった。 もう一つの『花街の母』 ♪ 人に聞かれりゃお前のことを 歳の離れた妹と ♪ 2005年12月、私が企画・実施する「秦野園芸愛好会」の恒例の研修旅行は「あんこう鍋と袋田の滝」だった。宿は袋田温泉の「思い出浪漫館」。その夜の懇親会の最中、結城紬の女性が私を訪ねてみえた。遊び心もあって《年の離れた私の妹》と紹介。この《年の離れた私の妹》とは実は大子町に住む茨城の新聞教育を牽引しているY先生だった。私が袋田に行くと言ったら会いに来てくれたのだった。この「年の離れた」私の妹の詮索で会場は盛り上がった。それで私は『花街の母』を唄った。鮟鱇鍋が全く話題にならなかったのは残念だった。 父親を連れて湯治に来ていた北桜関と風呂に一緒に入ったのもこの旅の思い出。
|
|
2025年1月1日 【No.1863】 2025年01月01日
去年今年 待ちをりし勲記届きぬ師走晴れ 妻のゐて八十八歳初明り 眼差しの凍ててはをらず磨崖仏
高齢者叙勲を受けし吾の手を強く握りし妻の手温し 八十路行く吾に「一年の計」難し迎ふ一日に生を尽くさん アンパンも耳遠いのもいさかいも《半分コ》して八十路ゆっくりと
|
|
物価高騰の年越し 【No.1862】 2024年12月31日
12月30日 大年神を迎える飾りをした。注連縄、玄関飾り、輪飾りなどなどを生花店から届けてもらった。店主のEさんが「物価高騰で申し訳ありません」と言う。「しょうがないですよ。すべて値上がりだから」と私。夜、家計簿で調べてみた。去年も今年も品目と数は全く同じ。昨年の支払いは5700円。そして今年は6900円。二割強の値上がり。
|
|
師走晴れ 【No.1861】 2024年12月29日
12月26日 午後1時30分より叙勲の勲記伝達式が我が家で行われました。佐藤直樹秦野市教育長様を始め、中教育事務所職員課課長楠P博之様、秦野市教育委員会教育総務課主事栗飯原里史様のご臨席のもと、神奈川県中教育事務所長福島正敏様より勲記を伝達されました。 待ちをりし勲記届きぬ師走晴れ
|
|
ビッグなクリスマス 【No.1860】 2024年12月26日
12月25日 今日はクリスマス。午前9時半、「ビューティSEVENSの会」の来訪。皆さんから「受章おめでとうごさいます」との言葉と豪華なフラワーアレンジメントを頂いた。感激!! 2013年にPTA広報『西のいぶき』をつくった7人の女子会が「ビューティSEVENSの会」。《アラフィフ》の皆さんがそれぞれ近況報告をしてくれた。「私、職場でケンカしちゃった」と言う言葉に「エエッ?」とみんな。それがきっかけで仕事の話。親子の対話のエピソード。SNSが中心の暮しの中で言葉の貧しさを嘆く声も出た。コンビニに働く人は「物価の値上がり」をまさに実感しているようだ。我が子の仕事での頑張りを誇りとして話す人も。80人を超える趣味の会のリーダーは「会員の声を聞き、活動に生かす」ことに注力しているという言葉に頷く。元旦から勤務という人もいた。 「受験の結果が出たら報告会をいつもの店で」という約束で会はお開き。「よいお年を」と言いながら、自慢の大根? を一本ずつ持って行ってもらった。
|
|
命の繋がり 【No.1859】 2024年12月26日
12月24日 ドウダンツツジの垣根の葉が後から後から舞い散ちる。今朝もその落ち葉を掃き寄せ集めていたら、樹間に白と茶色がまだらの塊が目に入った。スズメバチの巣だ。気が付かなかった巣と居間との間は1bも無い。勝手口に繋がる通路で、近くには外水道もあるから家族はそこを頻繁に歩く。巣の外側は中学生の通学する道。誰も気づかず、被害に遭わなかった。 大きさは20センチほど。この季節だから空巣。切り取って飾り物にしようと思ったが、数片に崩れてしまった。その破片を見て、次の世代に命を届けようとする・命の継続に懸命な生物の姿を垣間見た気がした。
|
|
お時間がございましたら 【No.1858】 2024年12月24日
《ご案内》 ご来場をお待ちいたしております。
◇武勝美の「道祖神の里めぐり」講演会 日 時 令和7年1月11日(土) 午後1時30分〜3時30分 会 場 秦野市立東公民館 演 題 日本の道祖神祭り 《紹介する祭り》・トッケダンゴ(秦野) ・左義長(大磯町) ・道祖神の着替え(大仙市横掘) ・ちょんぼ地蔵尊祭り(長岡市栃尾) ・道祖神の火事見舞い(北杜市高根町) ・道祖神祭りと藁馬(大山町、米子市) ・ヒイチ(忍野村)など 参加費 250円 受 付 12月15日より 参加ご希望の方は東公民館へ рO463(82)3232 ◇同時開催 「日本の道祖神」写真展(写真・武勝美) 日 時 令和7年1月6日(月)〜19日(日) 午前8時30分〜午後5時 会 場 東公民館二階ロビー
|
|
きょう冬至 【No.1857】 2024年12月21日
食卓からの景色がガラッと変わった。昨日まで黄に輝いていた柚子がすべて消えた。きょうは冬至。秋に取ったカボチャを食べ、ユズ湯に浸る、といっても長湯はしない。
退院して自宅療養に努めているKさんから電話。「今『徒然草』を読んでいるが、〈友達にして悪いのは健康な人〉という一文になんとなく頷いている」と笑う。私は彼にとって『悪しき友』なのか。 徒然草第117段「友とするに悪き者、七つあり」。友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。
|
|
大根餅 【No.1856】 2024年12月20日
12月19日 「大根餅」をお隣りの弘美さんが持って来てくれた。初めてお目にかかるものなのでレシピを聞いてみた。大根のすり身、片栗粉、桜エビ、葱などが練り込み、ごま油で焼き上げたとのこと。夕食時に温めて頂いた。餅の食感!! 香ばしくツマミに良い。
|
|
道祖神と新聞で濃密な二日間 【No.1855】 2024年12月14日
12月12日 午後1時半から2時間の「歴史講座・日本の道祖神祭り(鶴巻公民館事業)」を持つ。受講者の中には顔なじみのMさん、Tさん、Mさん夫妻。そしてIさん。 オープニングは「チーム竹の子」による紙芝居「目ひとつ小僧」の公演。そのあとが私の出番。PPTで日本各地の道祖神祭りを紹介。1トッケダンゴ(秦野) 2左義長(大磯町) 3道祖神の着替え(大仙市横掘) 4ちょんぼ地蔵尊祭り(長岡市栃尾) 5道祖神の火事見舞い(北杜市高根町) 6道祖神祭りと藁馬(大山町、米子市) 7ヒイチ(忍野村)など。 講座の終えてから受講者と「道祖神祭りは男の子の祭り」「奇岩・巨石信仰と道祖神塔(石の民俗)」「月待塔の性格」などについて歓談。
12月11日 午後7時から居酒屋で米寿の私を祝う会を「サライの会」が開いてくれた。 「サライの会」は15年前の市P連情報委員さんの有志の会だそうな。(その存在を私は全く知らなかった) 当時市P連は「P連だより」と「情報委員会だより」をそれぞれ年二回発行していた。そしてその発行に私も関わっていた。各単Pのエースである情報委員さんは一年間の活動で強く結ばれた。それで任期明けの折、「別れがたい。一年に一度集まりましょう」と「サライの会」を立ち上げ、今年て15年を迎えた。「サライの会」の存在を知り「新聞づくりは仲間づくり」と言ってきた私の思いを実証してくれたと感慨深いものがあった。 元気な暮らしぶりを報告し合い、笑い合う50代のお母さんたちに私も元気づけられた。再来(サライ)を誓い9時半に閉宴。
|
|
公民館祭りに三部門で参加 【No.1854】 2024年12月10日
12月8日 東公民館祭りに「まほら秦野みちしるべの会」の一員として参加。会は「古道・大山道を歩く」のウオーキングマップの展示。その関連として「チーム竹の子」が「目ひとつ小僧」と「秦野の道祖神祭り・トッケダンゴ」の紙芝居を上演。幼い子どもたち最前列にずらっと座ってくれるなど、二回の興行で80人近くの人が見に来てくれた。それで演者もハッスル。今までの公演の中で最も大きな拍手をもらった。 私が受け持った「トッケダンゴ」の中で、「どんど焼きで焼くダンゴは三つ」と話した。なんと、観客の中に議員の牧島かれんさんがいらっしゃった。上演が終えた私に近づいてみえ「ダンゴは三つ焼くの話、しっかりと受け止めました。ありがとうございました」と挨拶してくださった。 夏休みに行った「親子かべ新聞作り」の作品も4点展示。熱心に読んでいる親子連れが姿が幾つも見られた。私も会員の「秦野ゆとりの会」は、野菜類の販売。定年後畑に入った仲間が野菜農家として成熟。大根、里芋、生姜、落花生などの見事な実りを並べた。主婦には好評。
※焼いた三個のダンゴのひとつは、ダンゴ焼きに来た人と交換(トッケッコ =取り換え)して食べる。ダンゴを取り換えて「うれしいことも悲しいことも分け合って、助け合いながら暮らしましょう」という願いを込めて香ばしいダンゴをほおばる。残りの二個は家に持ち帰る。そして、そのうちの一個は家畜(牛や馬)に食べさせる。「今年も畑仕事 がんばってね。私もがんばるから」と頼む。残りの一つは、ダンゴ焼きに行けなかった家族が分け合って食べる。ダンゴ焼きのダンゴを食べれば一年間風邪を引かないから。
|
|
12月1日 【No.1853】 2024年12月02日
・大小の脚立繰り荒れ庭に庭師はつくる大き日溜まり 火曜日から始まった庭木の手入れが終わった。「一陽来復」はまだ先だが、明るい庭に。新年を迎える準備が始まった。頼んでいた正月用の掛け軸「双鶴」の修復が出来たとの連絡が入ったので受領に。ついでにホームセンターに寄りお掃除シートを買う。竹箒も新調。大掃除をヤル気十分な私に、子が言う「頑張らないで。腰を痛めたらオシマイだよ」。 「神奈川の富士山」というカレンダーをAさんが持ってきてくれた。年賀状の印刷もそろそろお願いしなければ。「ようやく掘れたから」と里芋をNさんが持ってきてくれた。早速夕食のテーブルに。ほくほくで柔らかい。おいしい。冬は「里芋の煮っころがし」だ。 ゜こうして今年の12月は始まった。
|
|
お帰り うれしいよ 【No.1852】 2024年11月28日
11月26日 昼食のとき、妻がガラス窓の方を指差して「野鳥が来ている!」と言う。目をやると窓越しにが茶色の羽に白い紋付きがある「ジョウビタキ」の姿が。 「帰ってきたんだ! その挨拶に顔を見せてくれたんだよ」。そう、旅立ちの挨拶に来た時と同じ所に姿を見せてくれた。お腹の部分が灰色ががっている茶色だからメス。HP「マンスリーエッセイ・2023年4月更新」に載せたものと同じ個体と思いたい、信じたい。「お帰り。うれしいよ」
402号の「にっきの記」3月3日に 「旅立ちの季」と題して書いたのは次の文。 2月27日の午後5時少し前、台所の横の竹垣にジョウビタキが一羽姿を見せた。しばらくして飛び去ったがまた舞い戻ってきた。その繰り返しが4回。3月1日も同じ時間帯に飛んできて羽を休めた。私からは2mほどの近さ。また来るのではないかとカメラを用意していたので、その姿を撮ることができた。 我が家には毎年ジョウビタキが来る。そして、私が畑仕事や庭の草取りをしていると近くに来て私を見守ってくれる。冬鳥はそろそろシベリヤや中国へ渡る季だ。あれは旅立ちの挨拶だったのだ。 ・尾を振りて旅立ちを告げに来しジョウビタキ元気で渡れ帰って来いよ
|
|
11月22日は「いい夫婦の日」 【No.1851】 2024年11月22日
今朝の深夜便の「にっぽんの歌 こころの歌」は、11月22日は「いい夫婦の日(11と22でイイフウフ)」にちなみ「夫婦(めおと)ど演歌」を流してくれた。曲は「喜びも悲しみも幾歳月」「夫婦春秋」「だんな様」「命くれない」「二輪草」など。泥くさい夫婦演歌とアナウンサーは言ったが昭和人の私はこういうど演歌が好き。これらの曲に歌われる夫婦はすべて“イイ夫婦”
|
|
こんにちは 何してるんですか 【No.1850】 2024年11月21日
11月20日 午後、生垣に絡む蔓を取り除いていたら、「こんにちは」とかわいい声が。見ると、小学校の金網のフェンスの向こうに二人の女児。学童保育の子だ。「こんにちは」と返すと、二人は手を振り「こんにちは。私たちを覚えてますか」と明るい声。エーッと? そう、二週間ほど前、畑にいたときフェンス越しに「こんにちは」と声をかけてくれた二人だった。「きょうは何してるんですか」と問いかける。「木に巻き付いた蔓を切っているんだよ。もうすぐお正月が来るから、家の周りを綺麗にしてるんだよ」と言ったら「大変ですね。がんばってください」と明るい大きな声の励まし。 子どもの声が聞える学校の隣はイイ! それこそ〈頑張って〉いい仕事が出来た。
|
|
過去の日記へ|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|13|14|15|16|17|18|19|20|21|22|23|24|25|26|27|28|29|30|31|32| [管理]
-- トップページに戻る --