- 寺 山 だ よ り -

大暑
【No.2006】 2026年07月23日

7月23日
 今日「大暑」。百日紅が花をつけ始めた。桔梗の花の青紫が一日で色あせてしま う。地中の高温に耐えらず地上に逃れたミミズが犬走りのあちこちで干からびている。
 暑さで昨日は見回わらなかった菜園のインゲンの実りの多さ。百本を超える収穫。どうしようこの量、向こう三軒両隣りにはすでに食べてもらっている。キュウリ二本も見事な長さ。だがナスは雨が少ないせいか小ぶり。トマトの色付きは良い。の西瓜の縞模様も見事。実を叩いたら取りごろの音。エアコンを午前中から稼働させそうめんを茹でる。今日の我が家はベジタリアン。

秦野煙草音頭
【No.2005】 2026年07月20日

7月18日
 午後6時から 小学校の校庭で東地区納涼大会。そのプログラムの中の「民謡踊り」で「秦野煙草音頭」が何度も踊られた。秦野の葉煙草は鹿児島の国分葉・茨城の水府葉とともに「日本三銘葉」と言われていた。その秦野の葉煙草づくりを歌にしたのが「秦野煙草音頭」。葉煙草農家でもあった我が家(私)にとってもこの歌は忘れられない生活の風景。

秦野煙草音頭 詞 小島喜一 曲 中山晋平
1うぶなみどりに なさけの露が 濡れていとしや エーなんとしょ煙草苗
「ソレ」秦野葉たばこ 畑つくり ハーみてくれ 秦野のはたらき手(囃子ことば・繰り返し)
2小田急うれしや 丹澤晴れて 煙草畠にや エーなんとしょ青い風
3いじらしいぞえ 煙草の花は 咲かで摘まれる エーなんとしょ恋の色
4弘法山には からすが急ぐ 煙草かく娘の エーなんとしょ手がはずむ
5干した煙草は ぬらしちゃならぬ 阿夫利山から エーなんとしょ雲が出る
6浴衣湯あがり 夕べの納屋にゃ におう葉たばこ エーなんとしょ虫の声
7のしてたばねて いつしか更けて 雁のなく夜の エーなんとしょお月さま
8煙草おさめの うれしい晩は まゝよほろ酔い エーなんとしょ肘まくら
9富士はけだかい 盆地はひろい 秦野煙草は エーなんとしょ味がよい
10秦野よいとこ 嫁御も踊る 煙草音頭の エーなんとしょ唄どころ

19日の朝、Kさんが持ってきてくれた葉煙草の苗に淡いピンクの花を一つ見つけた。


続バンバン
【No.2004】 2026年07月17日

7月16日 《昨日の続き・K家の長女Aさんからのメール》
 
 今日はお盆の「送り火」。昼食の後、へらへら団子を作り、お供えしてお送りしました。ツジをお母さんが片付けようとしたら、ツジにいたんですよ、バンバンが。お父さん、仮屋に帰って来てたんです。
 まだ早いから帰りたくなかったのか、送り火がなかなかな燃えなかったんです。それで「帰りな」ってバンバンをツジから出したんですが、私の手から離れなくて・・・ でも送り火が消えた頃、バンバンの姿は見えなくなっていました。お父さん、お帰りになられたんです。お父さん、来年は新しい家で待ってますよ。

線香上げデビュー
【No.2003】 2026年07月16日

 寺山のお盆は七月十三日から十六日。その十三日から十五日までの三日間は近所の《*ツジ》にお参りする(線香を上げる)慣わしがある。この線香上げは、日ごろあまり顔を合わせることのない生活を送っている私たちにとって、「遠くの親戚より近くの他人」を再確認し、「ふるさと」への愛を深めることに繋がる大事な風習だ。今年もその〈線香上げ〉に隣組6軒が来てくれた。昨日、我が家の息子が“線香上げデビュー”。どの家も驚き喜んでくれた。今日の夕方、送り火の煙の中、名残りを惜しみながら馬と牛に乗りお帰りになった。
 *ツジ 秦野地方では、お精霊さん(オショロさん・ご先祖)が、お盆に帰って来るときの目印になるように門口にランドマークの“ツジ(砂の山・砂盛りとも) ”を作る。お精霊さんは家に入る前にこのツジで一休みなさる。 

バンバン
【No.2002】 2026年07月14日

7月13日 
 ご主人を亡くし一人暮らしをしているKさん。年齢が嵩んできて独り暮らしを解消しなければならない時が来た。それで家族で話し合った結果、長女Aさんの孫さん一家が今の家を建て替え同居することになった。それでKさんは貸家にしばらく独り暮らしをしている。その貸家での出来事。
 7月12日の朝、玄関の三和土に黒い昆虫「バンバン」がいた。その姿を見たときKさんは気付いた。「じいちゃん、明日帰る家を確かめに来たんだ」と。
この話をAさんから聞き、K家一族の暮らしにはご先祖様の存在がしっかり意識していると思った。お盆にはジイちゃんが帰ってみえる。だから家族そろってお帰りを待とうと。  

 「バンバン」という名の昆虫は富山県など北陸地方ではコガネムシの一種を表す方言らしい。初めて聞いたこの名、どうして北村家では使われているのだろうか。興味深い言葉だ。

 K家に現れた「バンバン」のことを私の子供の頃は「ジンジバンバ」と呼んでいた。「バンバン」は「ジンジバンバ」のバンバから出来た言葉か。ジジちゃんがババちゃんの元に「バンバン」と声をかけ、一年ぶりに帰って来るのだ。 お盆という行事を行う豊かな国民性を大切に保持し続けたい。

梅雨明け間近か
【No.2001】 2026年07月09日

7月9日
 快晴の朝。朝飯の前にする農作業を「朝づくり」と言って農家の男衆は暗いうちから田畑に入った。その「朝づくり」まがいのことをした。7時過ぎから畑に入り里芋畑の草取りと土寄せをおおよそ1時間がんばった。けっこう汗が出た。黒々とした土の寄せられた里芋は喜んでいるように思えた。 

7月8日
 雨は降りそうもなかった一日。梅雨明け宣言は近いだろう。大谷の300号に触発され? 午後1時過ぎ畑に出た。生姜とサツマイモの畑の草取りをおよそ2時間。膝を着いての草取りだから立ち上がると眩暈がするようなフラフラ感。やっぱり畑仕事は疲れる。別棟の床に30分ほど横たわる。そのあと熱中症じゃないかとネットで確かめた。 
 ずっと昔、バアちゃんが畑の草むしりをした後、野良着のまま物置に横になっているのを幾度も見たことがあったが、今日の私と同じような状態だったのだろう。

7月7日
 七夕 「たなばた」という言葉はどんな意味があるのだろう。調べたら「災いの種(たね)を田の端(はた)から流し出す」意味の「たねはた」が転訛したらしい。そういえば 子供の頃、我が家では七夕の笹飾りを、8日の朝タノクロに立てていた。松本市郊外の集落の道祖神場に、七夕の笹飾りが立っているのを見て不思議に思ったが、「虫送りの行事」としても七夕は行われているのだ。

山百合
【No.2000】 2026年07月05日

7月4日 
 庭の山百合が18開花。4か所に生えているので、開く日が少しずつずれていて未だ4っほど未開。1茎に4、5輪の花を持つが、花径は20センチにもおよぶ大輪なのでので、それぞれが他の花に背を向けるように咲く。一カ所に集めたら豪華な景色になるだろが、12株がそれぞれの場所でその存在感を誇示している。このままにしておこう。芳香に誘われ黒蜂が現れた。 
 山百合の今年も咲けばひと筋の細き山道新たに生れし

二度登頂
【No.1999】 2026年07月02日

7月1日  
 整形外科の定期健診に出かける。骨密度がほんの僅かだが上昇。今日は富士山の山開きの日。テレビではその様子を伝えていた。東中に勤務したころ、学校行事として夏休みに富士登山を行っていた。その付き添いとして二度登頂。八合目の江戸屋でご来光を拝み、砂走りを豪快に走り下った。「富士山に一度も登らぬ馬鹿 二度登る馬鹿」という格言があるが、二度の登頂は自慢話の種だ。今は杖を頼りの歩行だが、人生の登頂をなんとか成し遂げたい。

菊の福助づくり
【No.1998】 2026年06月30日

6月29日  
 9時から東公民館で「秦野ゆとりの会」のメイン活動の一つ「菊の福助づくり」の本挿し芽をした。
 福助菊の栽培は一年を通して行われる。11月、咲き終えた茎の根元を残し親株とする。4月ごろ親株の新芽を切り一回目の挿し芽。6月の初めに一回目の差し芽から良い穂をとり二回目の挿し芽。そして今日が三回目の本挿し芽。本差し芽用の台木が150本持ち込まれた。
 出席者は8名。私は作業にはほとんど関わらなかった、と言うより関われなかった。歩行不自由、屈めない、視力も・・・。皆さん手分け良く作業されるのを座して眺めているだけの私。130余のポットが作り終わったのは12時半近く。何もしない私も皆さんと同じ数のポットを頂いた。7月の終わりころ鉢に鉢上げをするのだが、それまでの管理をしっかりしなければ皆さんに申し訳ない。

90冊
【No.1997】 2026年06月19日

6月18日
 雨上がりの畑に入ったら、蹄鉄のような曲り方のキュウリが一本ぶら下がっていた。初なりなので仏壇に供える。そして夕食にキュウリ揉みでいただく。形は不細工だが、捥ぎたてなので水分がたっぷり、おいしい。
 1987年2月6日から書き始めた日記が今日で90冊目に入った。間もなく90歳になるが、日記帳も90を積み重ねることが出来た。90という数字に因縁めいたものを感じる。
 
 うたた寝をして夏風邪に罹った。


行灯仕立ての朝顔作り講座
【No.1996】 2026年06月16日

6月14日
 6時ごろホトトギスの初音を近くに聞く。だがたった一声。午後1時半から東公民館の「行灯仕立ての朝顔作り講座」へ。この講座は「秦野ゆとりの会」の主管でもう20年くらいは続いているだろう。ゆとりの会で100本ほどの苗を育て持ってきた。今年の受講者は10名でその内8名が女性。ゆとりの会の7名が助言と手助け。参加の皆さんは熱心、しかも器用、仕上がりは上々だった。「お土産にどうぞ」と余った苗を提供。作り上げた鉢を並べ全員でカメラに収まる。いい花が咲くとイイな。

嵐か去って
【No.1995】 2026年06月04日

6月4日
 昨日の台風6号の影響。我が家の周りの景色は、北は今は何も仕付けてない300uの農地。西は小学校の校庭が畑続きに広がっている、南は三軒と空き地、東は道をはさんで菜園と住宅が二つ並んで立つ。
 長い時間吹き荒れた東風で我が家のちょっとした被害が。カーポートの屋根板が2枚破れて飛んだ。さつまいものマルチが3枚めくられた。トマト、ナス、キュウリ、いんげんの苗はかなり痛められた。1bほどに伸びた西瓜、かぼちゃの蔓も痛々しい。
 今朝8時過ぎから3時間かけてまず畑の手入れ。百日紅、枝垂れ桜、梅、センダン、もみじ、アラカシ、ニッキなどの新枝と葉で庭の角に出来た「吹き溜まり」を午後片づけた。その量は 45 L 入りのポリ袋で 4袋。よく動いたので疲れたが、充実した1日を持てた。

新しい景色の中で
【No.1994】 2026年06月01日

6月1日
 この辺に桜あったねと燕来る  勝美
 「百年桜」を伐った5月が終わった。新しい景色の中、菜園づくりや庭木の刈り込みなどしたひと月だった。
 佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』とその子・杉山響子さんの『憤怒の人』を一気に読む。その『憤怒の人』の中で「母にあるのは目の前の一瞬と過去だけ、その過去の出来事もうつつになっていく」という一文に出合う。今の私の暮らしを振り返ってみると、「老いる」とはそういうことと納得。この5月、14人のECHOの支援者の嬉しい来訪があった。

元気をもらって 私も生きる
【No.1993】 2026年05月27日

5月25日
昨夜、岩手の渡辺さんからメールが届いていたのを今朝知る。そのメールは「今『チコちゃんに𠮟られる』で塞の神のことが話されている」。昨夜着信に気付けば見られたのに。
それでネットで番組のことを調べたら次のようなことが取り上げられたらしい。
掛け声の「せえの」の語源は、塞の神の「セエノ」で塞の神さんを呼んで力を貸してもらうこと

5月24日 
 根倉さん母子が、今朝掘ったじゃがいもと玉ねぎ、それにスナップえんどう、ソラマメを持ってきてくれた。ソラマメは茹でたてのもので温かかった。「柔らかいから」というのですぐに口に。ホクホクして美味しかった。二人はわたしの菜園を眺め「いろいろやってるね。それに畑、きれいになってるじゃない、エライ!」とほめてくれた。

5月21日
 水越さん、新茶と共に来訪来る。まだ五十代だが民生委員を二期6年務め上げたとのこと。丹沢山系の登山、保育園での仕事、サッカーの応援など多忙だが、生き生きとした暮らしを告げる眼は輝いていた。

5月20日 
 谷さんが実家の新茶を持ってきてくれた。久しぶりに会ったので近況報告をし合った。月一程度であちこちに出かけているとか。先ごろは別府に四泊の旅をしたと話す。別府温泉巡り、熊本・黒川温泉郷の町並み、臼杵の武家屋敷、そして摩崖仏。九重高原ウオークという旅。凄いねと言ったら「先生ほどではないですよ」。

さつまいもの苗
【No.1992】 2026年05月20日

5月20日
 17日、Nさんに頼んでおいたさつまいもの苗が届いた。紅はるかと紅まさりの二種。しっかりとした苗だ。Nさんが帰ってしばらくして電話が鳴った。「真弓です」と少し戸惑った様子の女性の声。さっき苗を持ってきてくれたNさんのお母さん・真弓さんからだった。東中に転任してきた時に教えた子だから年齢はたぶん70代。N姓を名乗らず「真弓」と告げてくれたことが嬉しかった。教師はいくつになっても教師なのだと思った。
 真弓さんは「自家用の苗だから不揃いで」と言い、「二、三日水に漬けて細根を出させ植えるといい」と教えてくれた。「着かなかったら連絡して」とも言ってくれた。
 
 今夜から雨ということなので7時半から畑に入る。今年の菜園は今日のさつまいもの苗挿しで完成。しばらくは得意然として畑を見渡している私だった。

五月晴れ
【No.1991】 2026年05月18日

5月17日
 市民体育祭開催の花火が午前7時に揚がる。五月晴れ、今日は真夏日になりそう。それで衣服を夏物に入れ替えた。タンスの引き出しに着る機会があまりないがワイシャツが十数枚。首回りは今の私にはまったく合わないタートルの半袖のものは、もう10年以上も眠ったままだ。でもなぜか処分できない。
 衣替えのついでに「炬燵を上げよう」と言ったらも妻は「NO!」。今朝のNHK俳句の特選は「暑がりと寒がりが住み更衣 竹内美代子」。ウチのことだと笑った二人。
 庭はサツキが見ごろ。松の新芽が大きく伸びている。山百合も小さな蕾を付けた。今のところ野菜の苗は順調。だがユウガオとアサガオの芽は未だ見えない、だいじょうぶかな。

今までどおり
【No.1990】 2026年05月14日

5月11日
 心臓血管外科の三カ月検診の日。結果は「異常なし」との言葉に安堵。それで無駄口を。「お酒 減らした方がいいでしょうか」と聞く。「どこかおかしいの?」と問われたので、「特に無いですけど」と応えると、「お酒は健康にいいよ。今までどおりの生活をしなさい。外に出ている? 道祖神 見に行ってる? この夏はどこに行くの?」と先生。「今までの暮らしを突然変えると、何かが起こるかもしれない。それが怖いですよね」と、付き添いの長男も言う。 
 晩酌を始めて60年くらい経つ。この間、飲まなかった日は100日に満たないだろう。 
 「酒は百薬の長」、主治医は長(ちょう)先生。長先生との出会いは9年前。これからも今まで通り《規則正しく》飲もう。

百年桜とお別れ
【No.1989】 2026年05月09日

5月8日
 樹齢はおそらく100歳に近いだろう、我が家の主・自称「百年桜(ソメイヨシノ)」と昨日お別れをした。樹高は10bを優に超えていたろう。ゴンドラ付のクレーン車が入り、庭師4人で一日で終わった。根元の切り口を計ったら110aほど、そして差し渡し60aほど空洞が地茎に伸びてした。この春も見事な花を見せてくれ樹勢に勢いはあると思っていたが・・・。倒木の恐れがあったのだ。それにしても、チエーンソーやクレーン車がない時代だったらどのくらいの日数を要しただろうか。
 庭の景色がすっかり変わった。立体感の無いのっぺりした庭になった。「日陰がなくなって困るでしょう」と庭師さん。そう、この夏が思いやられる。

明日 出掛ける?
【No.1988】 2026年05月05日

5月4日
 電話が掛かってきた。出るといきなり「厚子さん居る? 」と男性の声。それで妻に替わると「昨日ウチに居た?」、そして「明日 出掛ける?」と聞いてきたという。まったく聞き覚えの無い声。それで「どちら様ですか」と尋ねるとガチャン。ゴールデンウイークの空き巣狙いの偵察電話だ。〈厚子〉という名を出してきたのは、既に我が家を下見して表札から得た情報だろう。   
 ガス給湯器の定期点検やブレーカーの点検の電話も何回か掛かってきている。防犯機能を設定していない固定電話だから狙われるのだろう。とにかく〈電話用心〉!

ゴールデンウイーク
【No.1987】 2026年05月04日

5月2日 
 今年も立派な菜園ができた。キュウリ、ナス、トマト、里芋、いんげん、葱、生姜、西瓜、かぼちゃ、小松菜、大根の播種。勢いのままに朝顔と夕顔も播種。体がふらついて危ないので作業は這いつくばって・・・。
 「そんなにまでしてやらなくても」と思われるだろうが、畑はきれいにしておきたい。とにかく、土に触れるのが好きなのだ。
 前さんに耕してもらい、里芋、生姜、葱は山口さんが持ってきてくれた。苗や種、肥料など買い物は長男の車で。支えられているから日々を送ることができていることを実感。
 今年喜寿を迎える賢二さん来訪。9月に喜寿と卒寿の祝いの会(同窓会)を計画しているとのこと。「昼と夜、どちらがいいか」を聞きに来たと言う。「エコー」439号を読んだ賢二さんは、厚木市玉川の黄金井酒造の大吟醸『盛升』を私に差し出したのだった。 

5月3日 
 午前はさつまいも植える畝づくり。午後、横山徹氏の「峠のアート展」に長男の車で出かける。私たち「みちしるべの会(横山信子会長)」も『古道・大山道』のイラストマップを展示している。
 横山徹氏の作品『環』について、モチーフや制作過程、作品のイメージなどを聞かせてもらった。会場には秦野市の「第6回秦野丹沢野外彫刻展」で最高賞の70周年記念賞(作品《巨石に就て》は「はだの丹沢クライミングパーク」に設置)を受賞した彫刻家松岡圭介さんの小品も展示されていた。その松岡さんは大分から車で来秦とのこと。驚いた。居合わせた「みちしるべ」の柳生さんご夫妻、大木さん、松岡さん、そして横山家の皆さんと楽しい語らいの時を持てた。
 さつまいもの苗が届いた。

日曜日
【No.1986】 2026年04月27日

4月26日
 明日は雨という予報なので、朝のうちに畑へ石灰を撒いておく。その後「峠のアート展」の準備。「まほら秦野みちしるべの会」の展示品である『相州の凧』を4枚用意した。午後2時からは、みちしるべの会の年度総会。当会も8月で創立20周年。来年1月に記念事業を行うことが決まった。
 夕方4時半ごろ、愛川町のKちゃんから宅配便が届く。中身はなんと「名水秦野の豆乳ばあむ」。先週19日放送の『小さな旅(名水の里 復活の物語)』で紹介された豆腐屋さんが、愛川町でも移動販売をしているそうで、わざわざ送ってくださったのだ。「逆輸入ですよね(笑)」とKちゃん。秦野に住んでいながらそのお店のことを詳しく知らなかったので、思いかけない嬉しい贈り物となった。

ゴミ出し
【No.1985】 2026年04月24日

4月24日 
 7時少し前、台車に生ゴミを乗せて庭を出たところ、裏のHさんがゴミ袋を手にしているのに出会った。すると「ゴミ、持っていきますよ」と声をかけてくれ、「今日はうちは少ないから」と台車に載せていた三袋を軽々と手にして運んでくれた。先週もゴミ出しに向かう途中、帰りのHさんに会ったとき、「出してきましょう」と言い私のゴミ袋を手に集積所に逆戻りしてくれた。嬉しかった。

せんみ凧 ウチにあるよ
【No.1984】 2026年04月20日

 4月15日の日記で「子供の頃の秦野は、五月の節句前後は凧揚げのシーズンでせんみ凧を揚げていた。秦野でも40年くらい前まで、観光用のせんみ凧が見られたが今は消えてしまった」と書いたら市内に住むAさんから「玄関にせんみ凧が飾ってある」と写真を添えたメールが届いた。お孫さんのためにお父さんが作られてとのこと。嬉しいたよりだった。ありがとうございますAさん。大事にしてください。

せんみ凧
【No.1983】 2026年04月17日

4月15日
 玉川中での教え子・三橋敬司さんの案内で、「玉川せんみ凧保存会」の会長・前場政行さんを訪ねる。「玉川せんみ凧保存会」は平成17年に前場さんたちによって設立された。地元の小学校や公民館などでせんみ凧作りの講座を開いている。この4月25日の講座では七沢郵便局裏でせんみ凧揚げが開かれる。前場さんは年間150枚ほどのせんみ凧を制作されているとのこと。
その制作の過程を実際に見せてもらった。そして赤・紫・黄・桃色・黒・白と鮮やかに彩色されたせんみ凧三枚と一組のキットを頂いた。
 私の子供の頃の秦野は、五月の節句前後は凧揚げのシーズンでせんみ凧を揚げていた。秦野でも40年くらい前まで、観光用のせんみ凧が見られたが今は消えてしまった。
 ※せんみ凧の「せんみ」とは「蝉」のこの地方の方言。

千紫万紅
【No.1982】 2026年04月12日

4月12日
 一株の牡丹が今年は蕾を9つ持った。その内の二つが紅を濃くしている。数日後に開花か。それで蛇の目傘を雨除けに立てた。
新芽を吹きだした老い梅の下に群生の射干。4月12日・今日の花は射干。花言葉は「私を認めて」。白い花弁に薄い紫と黄色の模様を浮かべて可憐。
 樹高1bに満たない紫木蓮が大きな花を咲かせた。数えてみたら14。ツツジは濃紅、赤紫、赤、橙、ピンク、白と《色の競演》。ドウダンツツジも小さな白い釣鐘状の花を無数に付けている。数本のアヤメが風に押され紫の花を地面に置いていたので支柱を立てる。ケシが橙色の小さな花を庭のあちこち見せている。赤、ピンク,黄のチュウリップが精一杯背伸びしている。
 今年も藤はたくさんの花房を付けた。もう10aほど伸びていて薄紫に染まっているやまゆりの芽吹きも早い。今のところ8株。
◇庭桜を詠む
遠富士を脇役に据え大桜
散る花の白きわまりて透き通る
昨日でも明日でもなし桜散る
飛花落花一会の旅の果つる夕

春のたより
【No.1981】 2026年04月09日

4月5日  
 朝7時頃、雨が止みそうなのでFamilyMartへ向かいました。花壇のハート型に植えられた葉ボタンが雨で輝いています。雨に濡れた桜もしっとり。夕方いつもの青果店に行くと、「燕がいい日に来てくれたよ。3日の大安に戻って来て、店内をくるくる周り『みんな元気だね、今年もよろしくね』と言ってるんだよ」と小母さんが嬉しそうでした。 澄子

 おはようございます 紙面でお名前発見しました。今週は平沢のお祭り(毎年雨)、来週は今泉のお祭り、再来週は丹沢まつり、そして5月は自治会祭り。お嫁ちゃんが、「秦野はお祭りやイベントが多くて楽しい」と言っています。 明美

お花見
【No.1980】 2026年04月07日

4月4日
 昭和20年代、寺山の子どもたちは四月三日・四日は「お花見」をしていた。近所のお兄さんに連れられての「向山」に行った。このお花見は「喧嘩ごと」する男だけの花見。このお花見の弁当は、ほんとうに楽しみだった。三日と四日は、それぞれ弁当の内容がちがう。三日はお寿司。外を卵やきで巻き、中にはのり巻きが入っている太巻き寿司が朱ぬりの大きな重箱にぎっしり。四日は、あずき飯のオムスビ。牛乳のテン寄せは甘く、冷たくおいしかった。そして、好物のタニシがほんのわずかだが入っている。このお花見には白酒も持っていった。かわいたのどを甘く冷たく通り過ぎる白酒のおいしさ。うすい水色の四合びんと共に今も忘れられない。
 レンゲ田が広がっている谷あいを眺めると、女の子たちがレンゲの花の中にゴザを敷き重箱をひろげている。女の子たちのお花見は、レンゲの花で作った首飾りをかけ、スミレの花を松ぼっくりに挿した飾り物を作って楽しむ「お花見」だった。
 2014年4月3日に訪れた山梨・中央市豊富郷土資料館の女性学芸員から、「この辺 では四月三日がひな祭り」で、女の子は小高い丘に登り、お重に詰めたご馳走を食べる「お花見」という年中行事があったことを知った。

明日お弁当あり
【No.1979】 2026年04月03日

4月2日
 Iさんの次男Sさんは、この春大学を卒業し高校教師として動き始めました。そのことをIさんがメールで知らせてきました。嬉しいメールでした。 

次男は今日初出勤しました。何故か新任なのに3年の進学クラスの担任を任されたみたいです。部活は男子バスケ部だそうです。いろいろと心配ですが頑張ってほしいと思います。そのSから「明日お弁当あり」ってメールがきました。それで「ありじゃないよ、お願いしますだろー」って言ってやりました。 (笑)  明日から4人分のお弁当づくりです。私も頑張ります。

騒の日
【No.1978】 2026年03月30日

3月29日
 桜はまだ満開にはなっていない今宵。子供から「お花見の酒」と言って「麒麟山」という新潟の日本酒をもらう。うれしさもあり、少し酔った。それで「麒麟」という書くのが難しい文字は、「其の鹿も隣の鹿も麒麟です」と覚えて書くなどと余計なことを語ってしまった。そしてこんな短歌も紹介。
 「リンカンはアメリカンコーヒー三杯と唱えつつ書く今日は鬱の日」安藤智明(朝日歌壇) この歌は「鬱(29画)」という文字を分解してその書き方を示している。「リンカン」=林(リン)の字の間に缶(カン)、「は」は冖(わかんむり)、アメリカン=米(米国)、「コーヒー」=凵(うけばこ)とヒ、「三杯」=彡(さんづくり)。
 今日は「鬱」はなく、「躁」の日。家族には「騒」。

オイちゃん
【No.1977】 2026年03月26日

3月25日3時
 深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」は「花の歌」の特集。滝廉太郎の「花」から始まり川中美幸の「二輪草」が流れた。この歌はオイちゃんの愛唱歌だった。オイちゃんは高校の同級生、校長職として市内で一緒。旅先のカラオケで ♪ 二人は二輪草 ♪と、よく歌った。そのオイちゃんが22日に逝った。「花の歌」の最後は森山直太朗の「さくら」。
♪ さくら さくら いつか生まれ変わる瞬間を信じ 泣くな友よ いま惜別の時 飾らない笑顔で さあ ♪
 
※深夜便アンカーの須磨佳津江さんもこの日が最終回だった。

明け団子
【No.1976】 2026年03月23日

3月22日
 春の彼岸の明けの日。彼岸の行事食は「入り牡丹餅に明け団子中の中日小豆飯(いりボタモチにあけダンゴなかのちゅうにちアズキメシ)」なのでミタラシとアンコの串団子を供えた。この団子はご先祖様が持ち帰るお土産とのこと。ボタモチは牡丹の咲く季節にちなんで。アズキメシはアズキの赤が吉兆の色だから。
 墓参りに行く。三組の知り合いと立ち話。Tさん夫妻が「先生痩せたね。大丈 夫? 私たちは相変わらず太ってます」と声をかけてくれた。隣県から墓参のYさんとは駐車場で。「先生 顔色いいですね」に「酒焼け」と応えた。Kさん一家のお孫さんが大きな声で「こんにちは」と挨拶してくれた。気持ちよかった。

【No.1975】 2026年03月16日

3月15日
 午後1時半から西公民館で「まほら秦野みちしるべの会」の役員会。今年8月26日に「みちしるべの会」は創設20周年を迎える。その記念事業について話し合い、記念展示会の実施、会報・特別号の発行を次年度の総会に提案することにした。 集まった役員6人の心意気が嬉しかった。

3月14日
 九時過ぎ、寺山から引っ越したシゲちゃんが「寺山の水を汲みに来た。向こうの と違う、寺山のはうまいよ。」と寄ってくれた。朝早いのに驚いた私に、朝一番で魚市場に行きマグロの大トロを買ってきてくれたのだ。「うまいよ」と自信ありげな笑顔。晩酌の肴にいただいた。口に入れると溶ける、やわらかい、甘い、ほんとにうまかった! 
 
 午後、教師として初めて担任した生徒・敬司さんが奥さん同道で訪ねてみえた。敬司さんの連れ合い藤代さんは妻・厚子の高校時代の教え子。
 訪ねて見えた理由は、厚子の父(佐藤武男)が玉川駐在所勤務時代(S16年)に起きた玉川の大氾濫(亡くなった人も出ている)の折、地区民の救助・避難活動を献身的に行ったという詳細な記録が見つかったので、それを見せに来てくれたのだ。その文を読み厚子は「兄妹に読ませたかった」としみじみ。ただただ感謝。ありがとうございました。

      昭和16年7月15日の『読売新聞・神奈川読売版』
決死の濁流突破行 玉川部落民救った佐藤巡査
十二日夜折柄の豪雨で刻々に増水する玉川のほとり愛甲郡玉川村駐在所勤務の佐藤武男(四四)巡査はただならぬ濁流の気配に危険を感じ同村小野部落民にリレー式に避難勧告を発しまた警防団の出動を手配を整えて刻々の状況を本署厚木警察に報告したが、完成したばかりの堤防へ部落民は絶対信頼をかけて避難する者は少ない有様、かくするうち堤防は次第に侵食されて遂に六ヶ所決壊、獨流は部落内に怒涛のごとく流れ込んだ。唯一の通信機関だった電話線も不通になっていまは救援を頼む方法もなくなったので十三日未明佐藤巡査は警防団員の制止をふり払って敢然濁流に飛び込み百米余の対岸まで決死の抜き手をきって泳ぎつき隣村南毛利村の駐在所へ駆けつけてから厚木署へ救援の手配した後再び濁流を渡って部落に戻り途中受けた足の負傷もかまわず応余の処置に奔走した。急を聞いた厚木署でも田畑署長の指揮下全署員集合厚木町警防団の応援を得て医師看護婦から炊き出し、渡河船の用意まで整えてトラックで出動ここに救援布陣が成った訳で罹災民の激賞からことの次第を知った田畑署長も警察官精神の発露として真に勇敢なその行動に感激近く実情調査のうへ上申手続きを取ることになったが、佐藤巡査は危険を冒して渡河中家屋と者流れる一家六名を綱で救助したことも目撃者から伝えられ重なる賞賛を浴びている。(このことで警察功労記章受章)

東日本大震災から15年
【No.1974】 2026年03月11日

 東日本大震災から15年 2012、13年と二度訪れた気仙沼の風景を思い出している。
 気仙沼の三陸新報社を訪れた折、浅倉社長、渡邉専務さんから聞かせていただいた話(下)は、災害に対する不断の心構えに通じるものだった。
「災害発生後、石巻日日新聞(石巻市)は手書きで新聞を発行された。東海新報(陸前高田市)は非常用電源の発電機を備えていたので平常発行が出来た。わが社は車のバッテリーを集めコピー機で新聞を発行した。非常事態に対する心構えが緩かった。」
 ささやかな仮設の飾りどんと火へ   熊谷志穂
 空の青海の青のその間福来旗なびかせて船が出てゆく  及川睦美
 
 ・復興の橋の掛かりて鳥帰る     勝美
 ・「福来旗を立て出漁」と詠みし歌 歌壇に接し嬉しくなりぬ
  ※三陸沿岸では大漁旗を「福来旗(ふらいき)」と呼ぶ。語源は英語の「フラッグ=旗」とか。
 ・遠洋の夫の帰りを待つ浜に舞う女衆の「七福神舞」
  ※気仙沼市唐桑の「七福神舞」   

昨日はありがとうございました
【No.1973】 2026年03月09日

3月9日
 六時に仏壇に朝食を供え,香を焚き、手を合わせる。そして「昨日はありがとうございました」とご先祖にお礼を申し上げる。すると「今日は何をするの」と問いかけの言葉が頭の中に。そう、何かをしなければ「昨日はありがとうございました」と報告はできない。 
 今日は3月9日・《サンキュー・ありがとう》の日。「エコー」の次号は439号。皆さんのご支援に心から感謝《サンキュー》。「エコー」439号の編集を始める。

『よせばいいのに』
【No.1972】 2026年03月04日

3月4日 
 昨夜からの「ラジオ深夜便」。午前4時5分からは「五木寛之のラジオ千夜一話」で「昭和の名曲ムードコーラスA」。その一曲目に流れたのが「三浦弘とハニーシックス」の 『よせばいいのに』。――久しぶりに聴いた私のテーマソング。ただ「敏いとうとハッピー&ブルー」じゃなかった、ちょっとビックリ!
 「よせばいいのに」と自虐的な言葉を口にしているのは女性。男性優位の昭和時代の歌だと五木さんは言う。しばし私の昭和50年代をたどった。

おついたち
【No.1971】 2026年03月03日

3月1日 菅原澄子さんからのメール

 行きつけの青果店のお母さんが「明日はお朔日(オツイタチ)だね。昔は、みなさんたくさん買い物して馳走作りお供えしてたのに今はやらないね」と寂しそうでした。お朔日 心に響くいい言葉ですね。自然を大切にし感謝したいものです。💚♪ そんなわけで、朔日は朝早くから庭の榊を切り神棚に供え、仏壇や他の花々もきれいに活けたりしました。料理の下ごしらえもかなりやりました。路地ものの小松菜、まさに旬の味。冬の寒さで甘みが増す。ふっくらと柔らかい美味しいおひたしとなりました。四季の恵みに感謝です。先生これからもお元気でお過ごしください。

・・・ ・・・
【No.1970】 2026年03月02日

3月1日 
 ミサイルによる狙った建物の爆破の映像。建物の中の人間は死傷している……。そして「作戦は成功、『力による平和』を続ける」と言う人の顔。

揃い踏み
【No.1969】 2026年02月25日

2月24日
 明日は本格的な雨の予報。それで午後2時頃から畑のむしった草の寄せ集めを始めた。するといつの間にか雌のジョウビタキが後ろに来ている。そして尾を振りお辞儀をするような動作。昨日のこの日記を読み、来てくれた? そして左前方にはツグミも。「両者が一緒に来てくれたらと」とも書いたので「揃い踏み」をしてくれたのだ。嬉しかった。
  耕せば冬鳥の二羽寄りて来る

春陽差す
【No.1968】 2026年02月23日

2月22日
 春のような気候に誘われて畑仕事を2時間ほど。取り残した大根を抜き、里芋を掘る。するとどこからともなくツグミが飛来。畑に黒い土が見えると地中から出た小虫を拾いに来るのだ。
 ツグミは尉鶲と同じで人を恐れない「人懐こい」鳥だ。今日も2mくらいまで近寄ってくる。体長は20pくらいか。近くだからよく観察できる。翼は赤茶色、胸に黒い斑紋、白い眉が目立つ。同じ行動する尉鶲は現れない。両者が一緒に来てくれたらと思うが、体の大きさからすればそれは無理だろうな。
  引き抜きし大根の穴春陽差す

【No.1967】 2026年02月19日

2月18日
 オリンピック・フィギュアスケートのペア「りくりゅう」を観た。ショートでの失敗に涙の「りゅう」。そして、5位から大逆転で金に男泣き。何度もそのシーンを見ながら思ったことがある。彼のあの涙は何の涙なんだろうと。安堵感、「りく」を始め今まで支えてくれた人たちへの思い、演技完遂の喜び、金メダルへの感涙など、それら全てがあの涙なのだと思った。去年の大谷選手、そして今年は「りくりゅう」の活躍を見ることができた。生きていて良かった。

【No.1966】 2026年02月10日

2月9日
 積もった雪はほとんど消えたが道路は凍結。今日は三か月定期検診の日。道の混雑を予想して1時間早く出た。病院は246を使わなければ行けない。その246に何とか乗れたのだがのろのろ運転。対向車線の渋滞は悲惨な状況。完全に止まっている。大型車が多いのは東名と新東名が走れないからだ。高知ナンバーのトララックを見た。
 勝手知った裏通りを走り何とかたどり着いた病院は、普段のその時間帯にしては異様に空いている。渋滞で来られない?  雪の影響でキャンセル? いつもならば、採血X線検査など終え問診を待つ時間は 2時間ほどだが、今日は30分で呼ばれた。担当のN先生が「よく来たね。ご苦労様」と慰めてくれた。
 帰りの道は246を避け「ちょっと冒険だが弘法山越えで」と子は言う。路面の雪はほとんど消えていたが、ところどころ凍結していた。 登っている間は対向車は一台もなかった。道の最高地点で西に目をやると、秦野の市街の奥に富士が見えた。雪道のドライブを楽しんだ?  定期検診。
 裏の畑からに子供たちのはしゃいだ声が届く。日陰にまだかなり残っている雪で遊んでいるのだ。そっと覗いてみたら五、六人いた。雪と遊ぶ子供たち姿は大人を喜ばせる。たまには雪もイイのでは。

「竹の子」創設16周年 寺山の積雪は10p 
【No.1965】 2026年02月08日

2月8日
 昼少し前、神奈川県西部に大雪警報の発令。ウチの庭の積雪量は10pほど。期日前投票をしていてよかった。子から、家から出るな、転倒に気をつけよ、と警告の電話。
 こんな雪は何年ぶりだろう。その雪景色に触発され?大学同期の尾花沢のSさんに電話をした。今の雪は2メートルほどとか。片流れの屋根だから雪下ろしはしないらしい。だが「《雪掘り》が大変。オレ、腰を痛くして。家内が頑張ってくれているが… よその人の力がなくてはとても無理。だけど周りも年寄りばかり。なかなか頼めないよ」。
 彼の言う《雪掘り》という言葉は新潟や山形で使われる生活言葉。文字通り《家を掘り起こす》で、雪に埋もれた玄関や道を「掘り進める」こと。彼の家は一階がガレージ、二階に玄関がある三階建て。雪が積もってもダイジョーブと言っていたが、玄関から道に降りるためには《雪掘り》をしなければいけないのだろう。だが昔と変わらぬ土地言葉で、明るく話すSさんに雪国の人のたくましさを感じた。
雪しまく最上の山河飲み込みて

2月7日
 秦野地方に伝わる民話「目一つ小僧」と秦野の民俗行事「トッケダンゴ」を紙芝居で後世に伝えようとする「チーム竹の子(会員はIさん、Sさんと私の3人)」が創設16周年を迎えた。それでささやかな祝賀会を和食料理店で開いた。
 「竹の子」の紙芝居はどんど焼きに関わるものなので出番は12月から1月の半ばに限られる。子供会、小学校、自治会、婦人会、長寿会、公民館などからの依頼で年間5回程度公演してきた。上演の思い出は2017年12月に秦野市表丹沢野外活動センターで行われた一市四町一村(秦野市・二宮町・大井町・松田町・中井町・清川村)の青少年交流キャンプでの公演。観客を3グループに分け45分の公演を三回行ったこと。紙芝居について、紙芝居文化推進協議会副会長木口さんに紙芝居絵の特徴や読み方のコツなどを学んだことも記憶に残っている。
 これからの課題は、紙芝居の第三編「道祖神さんって誰? 道祖神の源流は」の完成とその上演。絵はすでに描きあがった。後はストーリーの構成。この第三編は少し学術的に語らなければいけなくなるので、そのことについてこの席でも話し合った。
 会が終わり店を出たら銀世界、「雪は豊年の瑞」とか。「チーム竹の子」はこれからも皮を一枚ずつ脱いで伸びる。
 ほんとは、この会は明日8日に持ちたかった。2月8日は「こと始め」の日だから。

鬼の宿
【No.1964】 2026年02月03日

 二月三日、今日は「節分」、豆まきの日、私たちは「福は内 鬼は外」と鬼を追い出す。追い出された鬼はどこに行くのだろうか。その追い出された鬼たちに宿を貸す家がある。              
 
 東京の小平市の青梅街道沿いにある小川町の小山家では,昔から節分の日に《鬼の宿》という行事が行われている。《鬼の宿》とは,節分の日に他家から追い出された鬼を泊めてやるという行事。
 今から百三十年ほど前の安政年間から始められたようだ。小山家では、お正月のお飾りに“オスイゼンサマ(竹を細かく割いてすだれのように編んだもの)”を作り、かまどの横に飾る。このオスイゼンサマが節分の日の《鬼の宿》になる。
 節分の日、他家で豆まきが始まる前の夕方五時ごろ,小豆ご飯を桟俵(サンダワラ)に盛りオスイゼンサマに供え、お神酒とお灯明も上げる。やがて、方々から追い出された鬼たちがこの宿に逃げ込んで来る。そしてオスイゼンサマで休む。夜の丑三つ時、この宿の年男は,絶対に誰にも見られないように用心しながら鬼を四辻まで送っていく。そのとき、桟俵の小豆のご飯にお神酒をかけて持っていき四つ辻においてくる。鬼たちに持たせるお土産だ。帰るときは決して振り返ってはいけない。
 小川家の当主の言葉「真夜中でも車が走っているので、お送りするのに大変気を使います。親からの言い伝えで宿をやって私で四代目。追い出された鬼でも助けてやらなければ…。お蔭で代々幸せに暮らさせてもらっています」。(新聞教育の仲間・田村敏雄さんが話してくれた話です) 

年越しの行事終了
【No.1963】 2026年02月02日

1月31日 我が家ではこの日が正月の神具を下ろす「お棚納め」。夕方、家の中の六カ所の神仏に燈明を灯しご飯を供える。これで年越しの行事は終了。

 今年の我が家の年越し行事
12月30日 「一夜(いちや)飾りはいけない」と子供のころから言い聞かされていたで、この日は“松飾り”と掃除で暮れた。輪飾りを、神棚、仏壇、ガステーブル、水道、風呂、トイレ、物置、車庫など20カ所に飾る。墓所にも、清水の久奈斗大神にも飾る。
12月31日 庭の片づけがすべて済んだら、畑で「ひとがた」のをお焚き上げ。年越しの夜は、家の中の六カ所の神仏に燈明を灯し、お神酒と年越し蕎麦を供える。
1月1日 午前5時、「開きの方(今年は南南東)」である玄関を開ける。そして燈明と雑煮とを前夜と同じ神仏えるのが年男(私)の勤め。朝食の後、神棚、仏壇など三カ所に鏡餅を供える。三箇日の夕食は炊きたてのご飯になる。
1月2日 父母が達者な頃は親戚が集まり“お年始”を開いていた。その日は女性が全員台所に立ち太巻き寿司を巻いた。私も太巻きは巻ける。
1月7日 七草 6日の夕方、神棚に七草を供える。そして「七草なずな唐土の鳥が」と唱える。翌朝、餅の入った七草粥を神棚や仏壇に供える。
1月11日 蔵開き 鏡餅を割っておしるこで食べる。
1月14日 ダンゴ焼キ

実朝忌
【No.1962】 2026年01月28日

1月27日
 源実朝公の忌日(1297年1月27日没)。
 実朝公の御首の菩提寺である金剛寺(秦野市東田原)に詣でられた戸口さんの来訪。この日だけ売られる笹竜胆の焼き印のある「実朝まんじゅう」(北原堂)を頂く。実朝公の歌「時により すぐれば民の なげきなり 八大龍王 雨やめたまへ」を記したお手製の栞も添えられていた。

 香煙のからむ公孫樹や実朝忌  勝美

なづな
【No.1961】 2026年01月27日

1月27日 
 畑に取り残していた大根を抜きに行った。畑のあちこちにナズナが背伸びして、もう小さな白い花をつけていた。さらにホトケノザの紅紫の花も。春は近い。

 くさのなは なづなよなづな はなのさく 野出園蜩 
   回文(上から読んでも下から読んでも) の名作

bigエコー
【No.1960】 2026年01月26日

 Iさんから電話で「返ってきたbigエコー」。426号を読みどうしても声で「エコー」をしたくなったから、とのこと。「道祖神ワンダーワールドの講座、これからも続けて欲しい、止めちゃあ駄目です」と、ありがたい言葉。
 そして「働いて働いて」から、戦時中の歌「月月火水木金金」とその替え歌のことを書いた「にっきの記」の中で替え歌の歌詞が思い出せない言った。Iさんはその替え歌を電話で聞かせてくれた。さらに「めんこい仔馬」替え歌も歌ってくれた。朗々と歌うIさんに合わせ私も…。

嬉しいメール 「大磯の左義長」に行って来ました
【No.1959】 2026年01月19日

1月18日に届いた嬉しいメール

 こんにちは。先生が道祖神講座でお話されていた「大磯の左義長」に行って来ました。圧倒的な火のパワーを存分に浴びてきました。始まる前、地元ベテランガイドさんが2時間かけ周辺地区の案内をしてくれて予備知識を深くすることができました。先生が教えてくださった「目ひとつ小僧」の話や道祖神はこの祭りのときは浜に運ばれご不在なこと知りました。その後セエトバレエを一望できるタワーから9つの大きな斎灯を眺めました。 
 6時半 いよいよ点火です。火は徐々に大きくなって火の粉を上に上に舞い上がらせます。風がなく比較的暖かな日でしたが、それでも火の周りは暖かくほっとします。火が収まってくると、団子を持った人たちは火の恵みで団子を焼いていました。
 楽しみにしていたヤンナゴッコ。長老の唄を聞きました。裸の若者が御輿のような橇に乗り沢山の人に曳かれていきました。
 道の神様 海の神様 火の神様 地の神様 沢山の神様に護られているから、小さな小さな人間は頑張れるのだ、そんなことを感じた日でした。 TM

今朝の庭
【No.1958】 2026年01月18日

1月18日
 陽だまりの梅の古木はかなり開花。十カ所ほどある水仙の群落は芳香を豊かに漂わせている。侘助は薄紅、深紅の藪椿、大島椿は一輪だけ白い花を葉陰に。蕾がいっぱいの山茶花はまだまだ咲き続けるだろう。ヒヨドリは南天、万両の赤い実をまだついばまない。千両の実はほとんど消えている。ヤツデの白い花も目を引く。畑には摘み残したナバナすっと背伸びして黄の花を咲かせている。
・蝋梅は隣家にありて吾に咲く
 訪れる野鳥はメジロ、ヒヨドリ、キジバト、シジュウカラ、モズ、スズメ。そして好奇心の強いジョウビタキ、人怖じしないハクセキレイ。この冬は餌を求め庭を歩き回るツグミを身近に見ることができている。    

どんど焼き 
【No.1957】 2026年01月12日

1月10日
 東公民館事業の「日本の道祖神祭り」の講座。定員20名のところ28名もの受講者。東京からの出席は西中時代の教え子。40年ぶりの再会! 感激だった。「目一つ小僧」「トッケダンゴ」紙芝居を見たいと3名の小学生の参加に上演者の伊東さんと関さんのボルテージが上がり上々の出来。
 講座の冒頭
 新しき(あらたしき)年の初めに思ふどち 
 い群れて居れば嬉しくもあるか 道祖王(ふなどのおほきみ) (万葉集19巻)
を引用し、受講者の皆さんに感謝と喜びを伝えた。
 この講座の資料はA4判・26Pのオールカラー版。過去10数回「道祖神の講座」を開いてきたがカラー版資料は初めて。東公民館さん ありがとうございました。
 私の話はこの日も《尻切れトンボ》。用意した「道」の字源に触れられなかった。この日は妻も助手として登壇。
 夜8時から明日のどんど焼き・トッケダンゴのダンゴづくり。

1月11日
 「丹沢の大倉尾根で山火事が発生した」との情報をもって自治会長さんが「ダンゴ焼きはこの強風のため中止。しょうがねえよね」と伝えに来てくれた。夕食前ダンゴをレンジで焼き、神仏へ供え家族で食べた。

松引き
【No.1956】 2026年01月09日

1月8日
 「松引の日」。神棚の松飾りを下ろす。午後二時過ぎ、10人ほどの子どもたちが飾りを集めに来てくれた。二人の若いお母さんが付き添い。この子どもたちの行事を「松引き」という。集められた正月飾りは、11日のどんど焼きでお焚き上げされる。松引きに併せ子どもたちから「道祖神 清水」の御札を頂く。御札は子どもたちが木版刷りで作ったもの。
 この版木は100年ほどの歴史あるだろう。というのは、御札に押されている御朱印は「秦野自動車印」とある。「秦野自動車」は大正9年(1920年)に設立された乗合自動車会社。道祖神(道の神)に乗合自動車会社を組み合わせた御札こそまさに「道祖神」だ。
1月7日
 七草粥を天津神・国津神(大国さん・恵比寿さん)・荒神・道祖神、ご先祖さんに供える。
1月6日  
明日は「七草」。我が家では七草を燈明を灯し年神様に一晩お預けする。

去年今年
【No.1955】 2026年01月04日

 生かされて89年去年今年 

令和7年12月31日 大晦日
・明日のお雑煮に使う里芋を掘る。そして《芋コジ》
・年越しそばを食べ、「年寄りは早く寝ろよと歌合戦」
令和8年1月1日
・5時起床。まず玄関のドアを大きく開ける。今年の《歳徳神・明きの方》は南南東。
・そして今年も年男を務める。三が日の朝夕の食事を家内神と仏壇の6カ所に供える。
・7時41分にメールの賀状「新年そうそうおめでたいことです。広報はだの1月1日号に武先生のお名前を発見。おめでとうございます」明美
・「エコー」435号発行。ホームページ更新 AIで作った富士山の写真をアップ。フミフミさんが描い私の似顔絵など 見てもらいたい。
1月2日 
・3位で受けたタスキを19番で渡さなければならなかった選手の心を思う。
・年賀状の返信を書く
1月3日
・今年も二宮町山西の道祖神さんと駅伝の応援。箱根駅伝の応援に出かけるようになったのは《カッシー》と呼ばれる選手が現れてからだ。


目白
【No.1954】 2025年12月29日

12月28日 
 初秋、ひっそりと旅立っていったYさんの霊に線香を手向けた。
 祭壇のまわりには十点ほどの絵画が安置されており、そのうちの一点は、生前に私が評を求められた作品だった。その絵を前に立つと、Yさんとのやり取りがふっとよみがえり、懐かしさが広がった。
 帰宅して別棟へ向かうと、軒下に一羽の目白が横たわっていた。そっと触れてみたが、もう動かない。温もりを失った小さな体に触れ、なぜか胸がきゅっと締めつけられた。磨き上げたガラス戸に映る季節の光。その透明な壁に気づかず、飛び込んでしまった命。この出来事をYさんが訪ねてきてくれた、と受け止めた。

新聞づくり 修了
【No.1953】 2025年12月21日

12月20日
 秦野市教育委員会による「令和7年度教育功労者等表彰式」で感謝状を受賞。
 会場で受賞者、野田学・大森智・武政志前校長先生、北中学校田中理絵子校長先生、山田吉郎さん、長谷川敏子さんさんらと親しく言葉を交わすことが出来嬉しかった。野田さんは鶴巻中での同僚、大森さんは西中、武さんは東中での教え子。前田夕暮の研究者であり歌人でもある山田さんも東中での教え子。田中さんは『東中新聞』の指導でお付き合いさせてもらった。長谷川さんは東中のPTA広報委員としてで活躍された方。
◇感謝状の文面 
 武勝美殿 あなたは多年にわたり秦野市立東公民館において家族新聞作り講座の指導にあたり生活文化の向上のために尽力されました よってここに深くその感謝の意を表します
 令和七年十二月二十日   秦野市教育委員会  

 平成13年から令和6年まで22年間(途中コロナ禍で2年休み) 家族新聞作り講座を開いてきた。この受賞で私の「新聞づくり」は《修了》。

幕引き
【No.1952】 2025年12月15日

12月13日
 1;30pm〜3;30pmで鶴巻公民館の「日本の道祖神祭り」講座。受講者は6人。今年で7回を数える道祖神ワンダーワールド講座だが過去最小の講座。鶴巻は水田の広がる地域だったが今はベッドタウン。どんど焼きの煙もあまり上がらない町になった。
 講座参加者のアンケートを読ませてもらった。「小学校3年の孫がいる。ぜひ小学校で紙芝居を披露してほしい」「まさに古事記からワンダーワールドの世界でした」「大磯の左義長を見に行きたくなりました。漢字の語源の話、興味深かったです」「毎回 新しい話が聴ける。すばらしい」など嬉しい、励ましの言葉を散見。これらの言葉をはなむけとして頂き《幕引き》をする。

12月8日
【No.1951】 2025年12月09日

 12月8日は太平洋戦争開戦の日。それにまつわる話。(11月30日の講演「私の昭和愛唱歌」の一曲「里の秋」の話)

 唱歌「里の秋」の元歌は「星月夜」。星月夜は昭和16年12月の太平洋戦争の勃発直後に斎藤信夫によって作られた詩。抒情的な1、2番と3、4番の詩の乖離。この詩は戦意高揚の「少年軍歌」だった。
 星月夜
 1 しずかなしずかな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は
 ああ かあさんとただ二人 栗の実煮てますいろりばた
 2 明るい明るい星の空  鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
 ああ とうさんのあの笑顔 栗の実食べてはおもいだす
 3 きれいなきれいな椰子の島 しっかり守ってくださいと
 ああ とうさんのご武運を 今夜もひとりで祈ります
 4 大きく大きくなったなら 兵隊さんだようれしいな
 ねえ かあさんよ僕だって かならずお国をまもります
 この「星月夜」は、昭和20年作曲家海沼實によって次の詞が補作され、そして「里の秋」と改題された。(星月夜の3、4番は消える) 
 3 さよならさよなら椰子の島 お船に揺られて帰えられる
 ああ とうさんよ御無事でと 今夜もかあさんと祈ります
 
 「里の秋」は小学校の音楽の教科書に採り入れられ、2007年(平成19年)に 「親子で歌いつごう 日本の歌百選」に選定された楽曲の一つ。

流行語大賞
【No.1950】 2025年12月02日

 今年の流行語大賞は高市総理の「働いて働いて働いて働いてまいります」。この言葉に出合った時、戦時中の軍歌が浮かんできた。「働いて働いて」は総理としての覚悟らしいが、『月月火水木金金』と重なる私には過労社会・休みのない国づくりを連想させる言葉だった。「働く」は「はた(周り)を楽にすること」だと言う人がいる。だが「働いて働いて」だけでは、休むこと・楽しむこと・支え合うことが軽視され、結果的には不安定な社会になってしまう恐れがある。
 「働いて働いて働いて」は流行語大賞であって、現実の生活の中で〈流行させたい語〉にならないことを願う。
 
 『月月火水木金金』の歌詞「朝だ夜明けだ 潮の息吹き うんと吸い込む あかがね色の 胸に若さの漲る誇り 海の男の艦隊勤務 月月火水木金金」。
 子供のころ(戦時中)の記憶に、この歌の替え歌がある。「朝だ四時半だ お弁当持って (この後の詞は記憶にない。そして) 月月火水木金金」 

昭和愛唱歌
【No.1949】 2025年12月01日

11月30日
 本町公民館で開かれた40人ほどの女性の集まりで講演をした。 演題は「戦後80年・戦争と平和を考える」。サブタイトルは「私の昭和愛唱歌」。次の歌をアカペラで歌いながら、太平洋戦争と戦中・戦後の暮らしについて話した。
 もずが枯れ木で(S10) めんこい仔馬(S15) 船頭さん(S16) 星月夜(S16) 里の秋 (S20) かえり船(S21) 岸壁の母(S29) 原爆許すまじ(S29) 高校三年生(S38) 戦争を知らない子供たち(S45) 一本の鉛筆(S49) 美空ひばり
 音痴な歌声に耐え兼ねた何人かが、途中から唱和してくれた。それで良い講演会になった?と思った。

これが「アラフィー」ビュゥティ7
【No.1948】 2025年11月24日

11月22日
 「ビュゥティ7」の一足早い忘年会?に参加。その席での7人の近況報告は、
 「50歳になっちゃった。10年で還暦、怖い。」とIMさん。Tさんも同じ歳だから同感だった。「還暦なんて意識しないでアラフィーを意識して生きたら」と私。すると二人は「還暦の年に先生は百寿、一緒にお祝いをしましょう」と言う。IMさんは誕生日に二人の息子から貰った50本のアイスバーをスマホで見せた。Tさんの誕生日は「この日一日は全く一人の一日」。日帰り温泉に行き湯上りの生ビール、そのあとは一人カラオケ。パートで入った職場での必要性から簿記の検定試験を受け合格したとも報告。
I Tさんは娘さんの転職のことで少し苦労したようだった。自分も新たな生き方をしたいと市のスポーツ審議会委員に立候補して就任。
 Nさんがスマホにアップしている高校生の娘さんに持たせるお弁当の写真を見せてくれた。娘さんは陸上競技をしているので、栄養摂取も考えながらも可愛らしいきれいな弁当を毎朝作っている。Snow Man の「推し活」を始め 来年一月に東京ドームで開かれるコンサートのチケットが幸運にも手に入った。今からその日のために体調を整えているとニコニコ。推し活と言えばIMさんはK - POP 。狭山で行われたのコンサートに出かけたと言う。推し活にはまったのはコロナで外出ができなくなり YouTubeで出合ったことが始まりらしい。
 HMさんは相変わらずトリプルワーク。娘さんのAOでの大学受験の結果が気になっていると言う。
 職場で中間管理職的な立ち位置になり人との関わりに心を砕いているらしいMさん。和太鼓の会の代表としても会の運営に関わっているで24日に横浜で行われる「かながわの太鼓」に出演と《元気印》は健在。
 出席できなかったHFさんはイラストレイターを目指して頑張っているらしい。
 この夜の宴は、アラフィー(around fifty)の7人がそれぞれの勤労(暮らし)に感謝する会でもあった。

午前五時から楽しいことが
【No.1947】 2025年11月21日

11月20日
 「今日一日、何か楽しいことがあればいいですね」。これはラジオ深夜便のアンカーが番組のシメに用いるフレーズ。
 毎朝午前五時に起床、そして靴下を履くのだが、右足の腰と膝が不自由で難行。妻も同じ。それを知った長男が「ソックスエイド」という靴下を座ったまま履ける介護補助具を持ってきた。早速試してみる。靴下をその器具にセッティングし紐を引くと、瞬時に靴下はふくらはぎまで上がってくる。面白い、楽しい、ありがたい。普通に履ける左足でも楽しんだ。
 これからは、毎日午前五時に楽しいことに出合える。考案した人に感謝。そして長男にも。

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