- 寺 山 だ よ り -

武・切手コレクション
【No.1849】 2024年11月13日

Nさんからのメール(11月12日)
 
 ご無沙汰いたしております。急に寒くなりましたが、お変わりなくお過ごしですか? 私は変わりなくセブンで頑張っています。早いもので勤め始めて7年目になりました。
 長女は就職先が決まり4月からホットヨガのインストラクターとして働きます。四大出てヨガ講師?と思いましたが本人曰く、給料が違うらしいです(笑) 現在高3の次女は4月から歯科衛生士の学校に通うことが決まりました。進路が決まったので今はマックでのバイトに励んでいます。三女は相変わらず陸上部で頑張っています。今年は自己ベストを出すことができなかったので、冬季の練習を励み来年に向けて力をつけるそうです。
 本当ならお電話で…と思ったのですが、先生に画像を送りたかったのでメールで失礼します。「エコー」毎号楽しみに拝読していますが、私の楽しみは他にもあるんです。それは毎回違う切手! 初めの頃は気にも止めず(すみません)ふとした時に「あれ? 毎回違うのかも」と気付き切り取っておくようにしました。郵便料金、昔は62円。それから80円→82円→84円。今は110円。それが確認できる私の「武・切手コレクション」をお見せしたくメールさせていただきました。また仲間と先生とで集まることを楽しみにしています。

新制中学
【No.1848】 2024年11月07日

11月6日
 青竹を炙り熊手の爪作る授業もあった新制中学  
  ↑ 11月3日の神奈川歌壇に掲載された私の作品。
 この歌にお三方から感想を頂いた。これは滅多にないこと。
 昨日の会で出合った87歳のKさんが「遠い遠い昔の新制中学の光景が次々に浮かんできた」と言葉をかけてくれた。「〈新制中学〉を詠んだ武さんと急に話をしたくなった」と午前8時に電話くれたのは高校時代の後輩Īさん86歳。80歳のOさんは「〈新制中学〉という言葉から浮かぶのは〈物が無かった〉ということ」と手紙をくれた。どなたも〈新制中学〉という言葉に強い郷愁を感じたようだ。

 熊手を持って
【No.1847】 2024年11月04日

11月3日 文化の日 
 今年もモンツキ(尉鶲・ジヨウビタキ)が「帰ってきたよ」と姿を見せてくれた。よかった。ドウダンツツジが少し色づき始めた。隣りの柚が黄色に輝いている。お茶の花がふっくらとした花を咲かせている。明日から「ゆとりの会」は菊花展を開く。私もざる菊で参加する。梅の木はすべて落葉。桜の葉が絶え間なく散る。
「高砂」の“おまえ百く(掃く)まで わしゃ九十九まで(熊手)”にあやかろう。わしゃ、まだ“八十八”だから、熊手をもって庭に立つ。
 今日は「文化の日」。神奈川歌壇で谷岡・今野先生共選の栄。
 ・青竹を炙り熊手の爪作る授業もあった新制中学 

寺山文化講演会
【No.1846】 2024年10月28日

10月27日
 寺山自治会連合会による第27回寺山文化講演会で講演。選挙の投票日と重なったので参加者の数が気になっていた主催者。だが来場者は30名を超えた。そのため用意した資料が足りなくなり受付係は少し慌てていた。東中時代の教え子、みちしるべの会、チーム竹の子、隣組の三軒、「エコー」の読者の顔もあった。
 そんな喜びと緊張で興奮の中でスタートして二時間。「歩いてみよう寺山」が演題だがパワーポイントを使っての映像によるウオーク。
 この講演会は今回で6回目の登壇、88年間私を育んでくれた寺山だから「思いの丈」を話したつもりだったが、終わってみると相変わらず話し残しが多かった。情けない。それでも、参加者の一人が「寺山に人がもっと寺山という地のことを知ってほしいと思った」と感想を述べてくれた。すこし救われた気持ちになれた。

さわし柿 道祖神の御朱印
【No.1845】 2024年10月25日

10月24日    
今年も岩手の渡辺知子さんからさわし柿の第一便が届いた。例年より一週間くらい早い。「〈暑すぎた夏〉のための異変。実は大き目ですが、早く熟してポタポタ落ちてしまいます。高温障害でしょう、〈日焼け〉と〈煮え果〉です」との便りを読む。知子さんのご苦労の成果だから、甘い!
 さわし柿と共にもう一つ感激したことは、道祖神の御朱印が同封されていたこと。知子さんは22日に平泉中尊寺を参詣、中尊寺地蔵堂の御朱印を頂かれた。その御朱印は「道祖神」。御朱印所の裏に小さな社があり男女双体坐像と金精様の二基が祀られているとのこと。

小山町に住む《隣の安雄さん》から電話
【No.1844】 2024年10月17日

10月16日
 朝8時前に静岡・小山町に住む山ア安雄さんから電話。「岳麓新聞の《日曜さろん》欄(10月13日号)に先生の本『道祖神の里めぐり』のことが書いてある。その記事をフアックスで送るから」とのこと。山崎さんは教え子、生家は我が家の隣。今朝の電話も「お早うございます。隣の安雄だけど」で始まった。

秋天好日
【No.1843】 2024年10月14日

10月13日  「ふるさと再発見ウオーク」に参加
 東地区体育協会と東公民館共催の「ふるさと再発見ウオーク・寺山地区編」の日。午前8時30分の開会。
 協力「みちしるべの会」ということで横山、浦田、笠井、大木さんがガイド。私は30分のミニ講座(波多野城の在り処)を担当した。参加の17名は、秋晴れの下楽しく歩けただろう。

10月10日  第2回「ランチの会」 
 第2回「ランチの会」があずま荘で開かれた。今回は東地区自治会の本部の役員がお客さんだった。豆ごはん、そば、手巻き寿司、煮物、サラダと豪勢な昼食。
 食後の懇談で昭和時代の暮しに話がおよび、マムシ捕りのことで座は盛り上がった。私は東区の地名の由来や参加者の名字(加藤、渡邊、橋本、根倉など)の意味を語らせてもらった。気が付いたら1時間ほどの民俗懇話会になっていた。

10月10日 エコーのHPを更新 
【No.1842】 2024年10月11日

内容
1最新のページ ・道祖神の里めぐり(山梨県北杜市 長野県富士見町) ・十五夜
2 教育コラム『エコー』 ・新採用のときの出会いが今も生きている
                   エコー教育広相談報室の活動  
3 返ってきたエコー ・若い人の表現力にリスペクト ・一生懸命動いてくれる身体に感謝 ・祝創刊40年 ・ハピイバースデイ
4 秦野のおはなし ・消えた秦野銘菓「煙草煎餅」
5マンスリーエッセイ ・鼓笛隊 校庭に現れる ・敬老の日 ・人面付石祠道祖神 ・55-55
6 秦野の新聞教育 ・家族新聞づくりのまとめ

 ※最新のページに「人面付石祠道祖神」と「十五夜」の写真をアップ。

10月6日
【No.1841】 2024年10月07日

 朝10時前、雨の中、Aさんと4歳の孫が合羽、長靴の完全装備で現れた。今日は約束のサツマイモ掘りの日。だが雨では無理かと思っていたが「やる」という4歳。尻もちをついたり、転がったりしながら5株を掘り出し、ご機嫌で帰っていった。
 「お昼に食べて」とWさんが炊き立ての五目御飯を持ってきてくれた。Fさんがリンゴとナシを手に「お元気ですか」と訪ねてみえた。夕方、「お祝いです」と愛川町の銘菓を持ってかTさんが玄関に立ってくれた。このお三方の来訪は叙勲と米寿のお祝い。感激、もったいない。他の来訪者、子どもの結婚報告のSさん。自治会のKさんは講演会の講師招請状を持って。自治会費の集金に組長さん。
 大根と小松菜の育ちは順調、追肥をする。長男と庭の落ち葉掻き。これからは桜の大樹から大量の落ち葉が……どうしよう。「10月の歌壇」入選。

10月1日
【No.1840】 2024年10月02日

 隣りの小学校の校庭で鼓笛隊の練習が始まった。9月中は昼休みはもちろん中休みの時間も校庭に子供たちの人影はほとんど見られなかった。
今日10月1日、「暑さもそろそろ」と言うことだろう、今まで室内で練習してきた鼓笛隊がようやく校庭に出られるようになったのだ。ドラムの音がリコーダーや鍵盤ピアノが奏でるメロディを圧倒しているのは、外で思い切りドラムを叩ける喜びだと思った。
 本番に向けて日を追うごとにメロデ―が洗練されていくのを妻と共に感心しながら聞いている。

道祖神の里めぐり 山梨・長野へ
【No.1839】 2024年09月28日

9月25・26日
 石祠道祖神は山梨県で多く見られる。その石祠道祖神に人面(猿田彦大神)が付いているものに初めて出合ったのは山梨・中央市豊富で2014年の4月。今回の「里めぐり」は、彩色された人面付きの石祠道祖神が北杜市須玉町に2基あることを知り逢いに出かけた。
・山梨県北杜市須玉町の比志神社境内 @赤く彩られた人面付き(猿田彦大神)石祠道祖神
・須玉町小尾 A人面付き(赤鬼)の石祠道祖神 B人面付き(彩色無し)石祠道祖神 
・山梨県韮崎市藤井の当麻戸神社境内 C双体道祖神3基 D石祠道祖神5基  
・長野県富士見町 E線彫り双体道祖神 F石祠道祖神
・そして2020年1月、私の地区のどんど焼きに富士見町から参加してくれた下平武さんを訪ねた。

動画二本
【No.1838】 2024年09月23日

9月22日
 長男が大谷選手の50号メモリアルアーチの動画2本をパソコン上にアップしてくれた。一本は私が観たテレビの映像だったが、もう一本はユーチューブにアップされたレフトスタンドから撮影されたもの。大谷選手が50号を放ったその瞬間からベンチに戻るまでの様子が映されている。ドジャーズのベンチの喜びよう、そしてスタンドの人たちの興奮ぶりが映されている。このアングルからの光景は普段の野球中継の映像と大きく異なり新鮮そのもの。大谷選手の偉業を讃えているアメリカ人の気質を見ることができた。

2024年9月20日 51-51
【No.1837】 2024年09月20日

 歯医者に行く日なので、出かける前に大リーグの試合を観戦。この試合で大谷翔平選手は三打席連続のホームラン。この一試合で51-51を成し遂げた。大谷選手と同じ時代に生きていたからこそ・88歳まで生きてきたから、彼のこの偉業を目の当たりにすることができたのだ。私は幸せ者だとしみじみ思った。ありがとう大谷さん。

2009年8月18日 花巻東高校を表敬訪問
 高村山荘から高村記念館。南部杜氏伝承館で朝から試飲。宮澤賢治記念館の来館者の感想ノートに書かれているたくさんの子供たちの文を読んだ。童話は子供たちに夢を与える。宮澤賢治童話村の「賢治の学校」を見学。賢治の動植物に対する造詣の深さを知る。
 昨日、横浜隼人高校を破った花巻東高校に敬意を表しに?行った。花巻東高校は大リーグで活躍している大谷翔平選手と菊池雄星選手の母校。
正門の右脇に二宮金次郎像、台座に「二宮金次郎の歌」が三番まで刻まれていた。「柴かり 縄ない わらじをつくり 親の手をすけ…」、小声で三番まで歌った。心が爽やかになった。校門を入った右手に「選抜準優勝」の記念モニュメント(バット三本の上に球)があった。 ※「ECHO」267号(2009年9月発行)より

十五夜
【No.1836】 2024年09月19日

9月17日
 朝の二時間で大根と小松菜を蒔いた。この日照りだと発芽が少し心配。そのあと、里芋とサツマイモを掘る。十五夜は「芋名月」ともいわれているが里芋はまだ小粒。だがサツマイモは十分な太り。
 西瓜、カボチャ、落花生、里芋、サツマイモと、すべて自家製の野菜を供えた今年の「十五夜」。ススキは近くのTさんが採ってきてくれた。妻はバスでダンゴを買いに行った。
 月見飾りの棚の横に信楽からやって来た狸さんが鎮座。「しょう しょう しょうじょうじ しょうじょうじのにわは つ つ つきよだ みんなでて こいこいこい おいらのともだちゃ ぽんぽこぽんのぽん」(しょうじょうじのたぬきばやし)。 今年の「中秋の名月」は綺麗に晴れ渡った空に見事に輝いた。

敬老の日
【No.1835】 2024年09月17日

9月16日
 今日は《敬老の日》。あまり盛り上がりが感じられない祝日だと思う。誰が誰をどのように敬うのか。2003年から毎年9月の第3月曜日が 「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う敬老の日」と書かれている。だが老人の私は、誕生日は素直に喜べるが、この日は何の感慨もない。
 そんなことを思いながらユーチューブで、お気に入りの浜松湖東高校吹奏楽部の「ど演歌えくすぶれす1〜3番」を聴いた。そして他の高校の演奏を探していたら大阪桐蔭高校の吹奏楽部が、この日9月16日・敬老の日に合わせてアップした動画に行き当たった。その内容は、美空ひばりの「川の流れのように」をバックミュ―ジックに、11人の部員が楽器を手に祖父母に「好きだよ」「長生きしてね」「じいじの野菜美味しい」「ばあばの作るご飯食べに行くね」などそれぞれが《敬老の日》のメッセージを届けている。私まで感激したこの企画は吹奏楽部OB会。  ※17日午後1時のアクセスは1.4万回。

「暑さ寒さも彼岸まで」は死語になるか
【No.1834】 2024年09月12日

9月12日
 前橋の大野さんから道祖神の写真・第4信が届く。
 「こんにちは。猛暑と腰痛でしばらく活動を休んでおりましたが、 7日(土)に撮った写真をお送りします。場所は前回と同じ町のアクセスする道幅も狭い山あいの小さな集落付近(桐生市黒保根町宿廻)です。元は黒保根村といって今は桐生市に編入されていますが、市役所がある中心エリアとの問にみどり市を挟んだ飛び地となっています。これも双体道祖神です。狙ったわけではないのですが、双体道祖神に絞って探してみるのも面白いかもしれません。前回の場所からも近く、この地域には探せば他にもありそうな感じがしました。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、温暖化の進行でこの言葉も近いうちに死語となってしまいそうに真夏日が続くようです。引き続きお身体ご自愛ください。」大野さん 道祖神にはまったかな?


9月10日
 5日の日記に「今年の落花生は難を逃れそうだ」と書いた。ところが今朝見回ったら、隅の方がやられた。それで急遽「豆ぶち」。白い鞘が土から出てくると嬉しくなる。採れた量からすれば被害は最小限に抑えることができたようでよかった。ついでに西瓜もカボチャも摘んだ。三品を仏壇に供え実りを報告した。褒めてくれたかな。

【No.1833】 2024年09月06日

9月5日
 朝夕はもう秋の風。8時から二時間畑に降りた。ネギ、生姜、里芋の畝の草取り。オヒシバ、メヒシバ、そしてクルマバザクロソウ(図鑑で調べ初めて知った)。若者言葉でいえば「ハンパナイ」茂り具合。ある程度頑張り退却。
 ついでに他の作物を見て回る。今年のカボチャは三個、いい出来。そろそろ収穫期か。カボチャの蔓と絡んでしまった西瓜の蔓を持ち上げて見たら、隠れていた西瓜を一個発見。20センチくらいの中玉。縞模様もしっかりついている。驚きと喜び。カラス、ムジナに襲われていなかった。17日の十五夜さんに供えると決め、プラスチックの籠で覆い、黄色のネットをかけた。落花生も今まところ無事。

台風10号
【No.1832】 2024年09月03日

9月3日
 迷走台風の影響が大きかった秦野の様子がテレビや新聞で報じられている。私の住む寺山の道も崩れて通れなくなった。我が家への影響は? 今日届いた手紙の消印は「秦野 8月29日12〜18」。

【No.1831】 2024年09月02日

8月30日
「丹沢ドン会」 棚田学会賞を受賞 おめでとうございます
 (片桐務さんからのメール)  いつも「ECHO」 楽しみに拝読させていただいています。ありがとうございます。先生の「動かなければ出会えない、語らなければ広がらない、聴かなければ深まらない」をこころに、勝手に「楽しくなければ続かない」と自分流を加えて丹沢ドン会の活動を続けて来ました。このたび思いがけず、「第20回石井進記念棚田学会賞」をNPO法人自然塾丹沢ドン会が受賞し、可児理事長と片桐が授賞式に参加しました。さまざまな方々に支えられて今日があります。「感謝」以外のことばは浮かびません。
  
8月29日 
 《本好き》のKさん
 神奈川新聞の「自由の声」欄にKさんの「図書館ネットに助けられ」が掲載された。《本好き》なKさんらしい文。ふらふらしている《台風》に比べ何と明快な文か。20数年前に広報作り講座で出会ったときから変わらない生き方に敬服。

HP更新
【No.1830】 2024年08月20日

8月20日 「ECHO」のホームページ更新。

八月の十八日に生れし吾
【No.1829】 2024年08月20日

  
 八月十八日は八十八回目の誕生日。この日に生んでくれた母に感謝。そして親族やご縁を頂いた皆さんのお陰でこの日を迎えることができた。ありがとうございます。八と十と八だから米寿。「米寿」は私のためにある祝いと思っている。
 ・八月の十八日に生れし吾 今日正真の「米寿」迎えり 

 誕生日を旅先で迎えることもあった。▽能登・禄剛埼灯台 ▽北海道・根室 ▽愛知・伊良湖岬 ▽「郡上八幡盆踊り」 ▽「西馬音内盆踊り」(秋田・羽後町) ▽「東山盆踊り」(会津若松市)  ▽飛騨高山の朝市 ▽四国八十八番札所・大窪寺 ▽群馬・敷島球場(中学野球関東大会で準優勝) ▽ナゴヤドーム ▽神奈川病院(腰椎圧迫骨折で入院)
 旅先で迎えた誕生日の中で印象深い一つは51回目。1990年の夏、家族三人でイギリス・コベントリー市のグラハム家を訪れた。長男の友人であるバーレーンの青年三人の手によるアラビア料理での誕生会。グラハム夫妻も加わり八人のパーティ。ノーリ君が「クッルアーミン ワ アントゥム ビハイル」と祝ってくれた。

 蝉が鳴いている。
 ・今生れし声に混じりて今生の別れも聞こゆ夕蝉しぐれ  
 ・父よりも五年永らえ今日「米寿」 九年を経て母に並ばん

8月18日の誕生花は〈百日草〉・花言葉は「友への思い」

あきあかね
【No.1828】 2024年08月17日

8月17日
 台風一過 裏の畑に赤とんぼが舞い、庭にシオカラ蜻蛉が飛んでいる。
 いつも一人で赤とんぼ  種田山頭火
 とんぼ釣り今日はどこまで行ったやら  加賀千代女
 赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする  風天(渥美清)

▽臆面もなく駄句を並べること、お許しください。 
 蜻 蛉     勝美
 山頭火千代女風天赤とんぼ  
 ふるさとの山襞の濃し秋茜
 バス停は豆腐屋の横赤とんぼ
 噴水の枯れし水面やとんぼ舞う

夕顔の煮もの
【No.1827】 2024年08月15日

8月13日
 「田舎では夏は欠かせない料理」とKさんが夕顔の煮ものをもってきてくれた。Kさんの故郷は山形県大江町。この地方では暑い夏にはよく食べるとのこと。頂いたときは未だ温かかった。「冷蔵庫で冷やして食べて。食べるときにはカマカニを裂いて乗せるとイイ。ホントは鶏肉を使うんだけど、なかったのでカニカマ。唐辛子をちょっと振るのもイイ」カニカマも付いていた。
 初めて食べた。ビールにもご飯にも合う!  美味しかった。

シェイクアウト
【No.1826】 2024年08月12日

 防災訓練の実施を知らせるプリントが届いた。目を通したら「午前9時から各家庭でシェイクアウト訓練」とあった。初めて出合った言葉「シェイクアウト訓練」とはどんな訓練なのか。調べたら、「シェイクアウト」とは、地震の際の安全確保行動1-2-3「まず低く、頭を守り、動かない」ということ。この言葉はもう十分認知されていて、知らない私は防災意識の欠如か。横文字・カタカナで表すと緊張感がすこし弱まるように思うのだが。

地震
【No.1825】 2024年08月11日

 9日夜の地震の震源地は秦野とか。我が家の被害は、応接室のこけしが棚から転落。二点の絵画の落下し破損。家具は固定しておいたので転倒はなし。でも、なぜか冷蔵庫の中でコップが倒れていた。飲酒への忠告? 地震見舞いのメールが二通。。ありがたいことです。

【No.1824】 2024年08月08日

8月8日 
相原明美さんからのメール
 こんにちは ご存じですか! 「煙草煎餅」の亀本さんのが7月31日店じまいしたと、今聞きました。素朴で美味しかったのに残念です。知っていたら、買い占めに行きたかったです。あの形、あの味、他にはなかったのに。秦野の銘品が一つ無くなってしまいました。残念です。

煙草煎餅と私
 秦野『亀本』の「煙草煎餅」は、たばこの葉を模した香ばしい卵煎餅である。「道祖神の里めぐり」していた私の必携七つ道具の一つがこの「煙草煎餅」。名刺代わりに「煙草煎餅」を使った。道祖神の話を聞かせてくれた人や出会った方に「煙草が嫌いになる煎餅です」「タバコの代替え品」などと言って差し出す。先方は「煙草煎餅」というそのネーミングに驚き、怪訝な顔つきになる人もあったりしたが、私の話を聞き喜こんでもらえた。
その一人、長岡市上樫出の西片道夫さんの言葉。
武先生は道祖神めぐりの「七ツ道具」の一つ、秦野銘菓「煙草煎餅」をたくさんお持ちになられ、上樫出のちょんぼ道祖神・地蔵尊作りを見学に来てくださいました。道祖神作りのリーダー中村幸さんにいろいろ質問され、途中からはニコニコ顔でちょんぼ作りの仲間に加わられました。栃尾祭りの花火大会でのサプライズ―そのことを『栃尾タイムス』のコラム「街の片々」で読み、感動いたしました。これからもお身体を大切にされ、お元気でご活躍ください。

 「亀本の煙草煎餅のこと。わが子三人の結婚式の引き出物にこの煎餅を添えました。我が家にとっては掛け替えのない品物でした。亀本さんのお店がまだ駅前にあったころ、先代のおばあちゃんが着物姿でお店番をしていらっしゃって、煎餅を買いに行くと《訳あり》の煎餅をおまけにくださった嬉しさを今も覚えています。  畠 和子 
                  
 秦野に嫁いで27年になりますが、「煙草煎餅」を知りませんでした。煎餅に短歌が焼きこまれている、材料にもこだわって蜂蜜も地元産。さっそく「ショッピングセンター」に買いにいこうと思いました。教えていただいてありがとうございました。  浜野すみ江

秦野に嫁継ぐときまってから「煙草煎餅」を手土産にいただくことが多かったです。嫁いでからは私が手土産に実家に持って行ったり。過日の「梅の実会」総会の記念講演の折先生から会員に煙草煎餅をプレゼントしてくださったこと驚きもまた懐かしく嬉しかったです。  三杉 幸子

 わが家は私が小学校六年生まで、秦野葉を耕作しておりました。「めど欠き(芽止め)」をすると指先が真黒にヤニだらけとなり、葉タバコ臭いが嫌いになりました。農事試験場の指導員は、訪問先での葉タバコ耕作の指導に、関野作次郎翁の「煙草耕作指導歌」の焼き込まれた煎餅も使われたのではと思います。下ぶくれの秦野葉のようなコゲ茶色を出すのに秦野産の蜂蜜を使用したり、天候の具合にあわせて焼き加減を調整されているので手焼きの感じが伝わってきます。土産物の多くはその地域の名物・名産を形にしていますが、詩歌や農作業の様子を土産物として図案化されている土産品・『煙草煎餅』は珍しいと思います。  大木 伸男

 「煙草煎餅」に短歌が書かれていることを初めて知りました。  志村 良江

 生家が葉タバコ農家だった平川貞夫さんから「煙草煎餅を買いに亀本を訪れたが、コロナ禍と機械のメンテナンスのため今は焼いていないとのこと。とても残念でした」と便りをもらった。 
            

本望だろう
【No.1823】 2024年08月02日

8月1日
 ガスコンロの交換。取り付けに来た人が、外した器具の製造年を見て言った。「これだけ使ってもらえればコンロも本望でしょう」。どうやら20数年 耐えてくれたらしい。朝食の後片付けの最後にコンロをきれいにすることは欠かさなかった。物持ちがいいのか? しわい屋なのか? 今朝はお礼とお別れの心を込め特別に時間をかけ拭き上げた。「ご苦労さん、 ありがとうよ」

鈴虫の配布会
【No.1822】 2024年07月30日

7月28日
 私も入っている「秦野ゆとりの会」の活動の一つである「鈴虫の配布会」が東公民館で9時半から開かれた。会による鈴虫の配布はもう10年以上続いている。今年の鈴虫はNさん、Fさんが一年かけて育てたもの。配布する前に鈴虫の育て方の勉強会を持つ。Kさんが生物としての鈴虫の解説。Nさん、Fさんからこれからの飼育の方法を学んだ。小学生二人を含め参加者は11人。 

夏の花
【No.1821】 2024年07月25日

7月25日
 今朝、行灯づくりの朝顔が紺の花を二つ咲かせた。濃い赤の「蔓無し」は五日前から連日咲いてくれる。二株の桔梗も四つほど蕾をほどいた。濃い紫の星型の花は、その花言葉のごとく「気品」を感じさせる。一日花ではないから楽しめる。「秋の七草」の中の桔梗とは朝顔のことだそうで。薄緑の小さな蕾がたくさんついているのも嬉しい。夜顔の蕾がそれらしい形になってきた。開花は8月になってからか。
 夏の花である百日紅が細い枝先に紅く膨れて揺れている。九月ごろまで楽しませてくれる。
 
 ・熱帯びし高枝鋏百日紅 

七月の「道祖神の里めぐり」
【No.1820】 2024年07月20日

 七月、四人の方から道祖神についての便りをいただいた。私も「動かなければ」
◎秦野の双体道祖神全塔を素描した井越基生さんからの便り。「秦野で終わり、と思っていたが、また描きたくなりお隣の中井町を終え、今二宮町に入っています。その内作品を持ってお伺いします」。その作品のコピーもいただいた。
◎稲葉一郎さんから山梨・北杜市の増富温泉地区に点在する人面付き石祠道祖神の資料が届く。稲葉さんには今までたくさんの文献・資料の提供を受けている。
◎前橋在住の大野達平さんから「道祖神めぐり」の第三便(写真)が届く。今回は桐生市の双体神。群馬県は道祖神信仰は盛んな地だが、なぜか桐生市は少ない。だから私は訪ねていない。それだけに頂いた写真は嬉しかった。
◎鈴木真澄さんの故郷は平塚市仲町。漁師町の道祖神祭りの記録と道祖神碑の写真が送られてきた。仲町の道祖神は「稲荷大明神」と並列で「玉串道祖神」と刻まれている珍しいもの。私には初出。
 

雨の中 オショロさんはお帰り
【No.1819】 2024年07月16日

6:15amに届いたメール
 おはようございます。お盆の準備、昨年までは弟がしてくれてたのですが、今年は私が準備をしました。ツジも作りました、と言っても、お父さんが箱を作ってくれていたので、簡単に出来ました。今年も孫とお線香参りをしました。こんなに小さいのに行き先を覚えました。近所の人気者になりました。今日は「送り火」 雨がひどくならないうちに送ってあげたいと思います。IMEKA

お精霊(オショロ)さんは買い物に
【No.1818】 2024年07月15日

7月15日 
 お盆の十五日、その朝は茶飯のおにぎりが盆棚に二個供えられる。この日はご 先祖様が『マチ』に買い物に行かれるので、お弁当におにぎりを持たせるのだ。年に一度、大勢の友達や知り合いに会えるマチでの買い物は楽しいだろう。だが、何をお買いになるのかは知らない、だれだれも一緒に行けないのだから。マチとは、江戸時代に「十日市場」と呼ばれていた秦野町(今の本町地区)を指しているようだ。
 このご先祖様が里帰りの時にマチに買い物に行くという話は、あちこちにある。寒川町(神奈川)のあたりでは、伊勢に買い物に行くといわれている。豪華な買い物ツアーだ。巻き寿司を持ってカンダノマチに出かけるのというのが御殿場地方の話。カンダノマチとは東京の神田のことだという人もいる。御殿場の人が東京・神田というのは頷ける。御殿場線はかつては東海道道本線だつたから。今なら小田急の特急も乗り入れているし。「戸塚(横浜)ではアズキ飯のおにぎりを持って町田(東京)に行く」と話してくれたのは江戸川に住む鈴木さん(エコーの読者)。

お盆
【No.1817】 2024年07月14日

7月13日 
 お盆を迎える準備。午前中は盆棚をしつらえる。盆提灯は別棟のロフトにしまってある。昨年までは何とか下すことができが、腰痛の今年はムリ。それでAさんが頑張ってくれた。午後は「ツジ・砂盛」を作る。ツジはこの地方独特のお盆の風習なのだが、これも9年前の入院を契機に箱になってしまった。
お精霊さん(オショロさん・ご先祖)が乗る馬と牛をつくる。キュウリとナス歯自家製。今年はうまく育照ることが出来たので、見事な馬と牛ができた。そのあと手綱のウドンを茹でる。
 4時過ぎ雨が降り出したが、提灯を灯し、「ツジ」の側で迎え火を焚き、先祖を盆棚にご案内した。それから近所6軒の「ツジ」にお線香を持ってお参りするのだが、これもAさんに頼む。 

 ※『ツジ』の写真はエコーのHP・「秦野のおはなし」2009年8月のページ。『盆棚』は「ギャラリー」で見られます。

七夕
【No.1816】 2024年07月07日

7月7日 七夕
 1963年1月から朝日歌壇への投稿を始めた。そしてその年の七夕の日、宮柊二選の「一席」に選ばれた。

1963年7月7日 宮柊二選 (入選第一席)
・梅雨晴れの今宵は星のよく見えて東京の空も親しとおもう 
 宮先生の評 
 スモッグで汚れた東京の空が雨に、梅雨の晴れ間の宵に、星がよく見え。そうした気分を受けた下句の「東京の空も親しとおもう」が実に・星恋のような感情であろうか。英国の古い旅行家、中央アジアの星を「砂ばくのかわき澄み切ったを通し、地に親しく迫って驚くばかり鮮麗に輝く星々。ロンドンの濁った空で見る星とはまるで」と書いていたことなどを思いだす」。星と言えば今日は。「天の川白き真下の山あひに我が故郷は眠りてありけり」(佐々木信綱)なども思い出す。

7月第1週
【No.1815】 2024年07月06日

7月5日
 『エコー』を読んでもらっているJAのN課長が所要で来訪。昨日は小麦の刈り取り作業に加わったとのこと。昔ほどではないが秦野では小麦が仕付けらているらしい。415号の「麦踏み」の記事を読んでの話だ。5分ほどの立ち話で帰っていったNさんがしばらくして再び姿を見せた。そして「先生 創刊40周年おめでとうございます。先ほど言うのを忘れてしまって。ごめんなさい」と言う。Nさんは東中の教え子。嬉しかった。感激だった。

7月3日
 買い物に出かけたついでに戸川公園に連れて行ってもらった。平日、そしてこの気温なので人影はまばら。私にとって、この公園辺りはとても思い出深い地。@小学5年(?)の遠足でのこと。(なぜ戸沢林道を歩いていたのか。それは今も分からない)。歩きながら水筒の水を飲んだ。その時左足を踏み外し林道から転落。叢に助けられ川原までは落ちなかった。落ちていたら…… A教員になって最初の教え子(玉川中学・37年度卒)の第一回同窓会が滝沢園のキャンプ場で開かれ参加した。B滝沢園の子を担任し家庭訪問で滝沢園を訪ねた。CNHK教育テレビの『中学時代』に「ある日みんなで集まって」というテーマで西中2年9組の学級生活が昭和57年4月5日に放映。校外活動の一コマとして滝沢園の近くの「山の神堰堤」の川原でロケをした。

7月2日 
 ゆとりの会のTさんがざる菊の苗を持ってきてくれた。数日前はNさんから朝顔、ざる菊の苗を頂いた。《足》が弱くなったので会の活動に参加できない私に心遣いをしてくださる会の皆さんに深謝。

徐々に
【No.1814】 2024年07月01日

7月1日 「6月27日寺山680番地付近に親子熊出没 注意」との回覧板が回ってきた。6月16日に1200番地付近に現れてから徐々に519番地に近づいてくるようだ。

同 中 (おなちゅう) 
【No.1813】 2024年07月01日

6月29日  
 12時開会の昭和44年度卒業生の同窓会に出席。幹事が「こんなに大勢の参加があるとは。感激です。ありがとうございます」と開会の挨拶。87名に案内状を発送。そしてこの日集まったのは38名。コロナの影響もあり延び延びになり今日7年ぶりに開催。それにしても驚きの数字。
 何人かが近況を聞かせてくれた。Aさんは秦野で7個の小惑星を発見。美星スペースガードセンターで今も研究をしている。Bさんは富士講の筒粥神事の復活に関わってきた。Cさんは2町歩のうち3反だけ耕作。あとは休耕地、その休耕地の草刈りに一年中追われている。未登記の山林保持者に登記を促す森林組合の役員のDさん。Eさんは農林水産大臣賞受賞した足柄茶の生産農家。Fさんは四人兄弟。その四人を担任した。その四人の今を話す。全員元気らしい。「よろしく」と頼んだ。ママさんバレーと卓球に頑張っているGさんに「転ばないで」と励ました。Hさんはゴルフ場の副支配人、「鹿がコースで朝からウオーミングアップしている」と笑っている。
 この年度の子たちが『エコー』という題字で学級新聞を発行し、全国学校新聞コンクールで『特選』の栄に輝いた。その流れはGさん・Hさんの東地区自治連の広報委員、。大日堂を護る会の会報を編集しているIさん、そして『ECHO』として今も流れている。

 「同中(おなちゅう)」という言葉があるとか。同じ中学校で学んだ仲間を大切にするということ。SNSなどですぐにつながる・友達になることはできる。だがネット上での友人は、その人の発信した情報を得ての繋がり。信頼に足るむすび付ではない。「おなちゅう」は幼少期から同じ環境の中で長い間過ごしてきたのでその人となりは知っている。稀薄になった現代社会の中で安心感が得られるのが「おなちゅう」。年齢相応の容貌にはなってはいるが声、言葉づかい、立ち振る舞いは中学生時代のまま。まさに同中。昔を懐かしむことは老いた証拠、と言うかもしれないが、今日の再会が明日から暮しの活力になることは確か。「元気 貰えた」という言葉はあまり好きになれない私だが、今日であえた子たちの笑顔に、こころから「今日はありがとう」と言う。

美空ひばり忌
【No.1812】 2024年06月26日

6月24日 「沖縄慰霊の日」の翌日

 「戦争はいやだと書く」と歌いたる歌姫逝きて三十五年

 「一本の鉛筆」 美空ひばり・歌 松山善三・詞 佐藤勝・曲 

「慰霊の日」
【No.1811】 2024年06月23日

6月23日  六二三八六八九八一五 五三に繋げ我ら今生く  西野 防人
《六二三(ろくにいさん)、八六八九八一五(はちろくはちきゅうはちいちご)五三(ごさん)に繋げ 我ら今生く 》と読みます。六二三は「沖縄慰霊の日」八六八九は広島と長崎の「原爆の日」八一五は「敗戦の日」 そして五三は「憲法記念日」。(222号の「にっきの木」で紹介した田平富実子さんからの便り)
今日六月二十三日は「沖縄慰霊の日」。2010年2月、沖縄県糸満市の平和祈念公園)を訪れた。南の海に向ってなだらかに広がる摩文仁の丘は沖縄戦最大の激地であり終焉地だった。園内に建つ「平和の礎」の碑は沖縄戦で命を落とした24万人余の名前が刻まれている。今年も新たに碑に181人が刻まれた。
 
6月22日  梅雨入りの発表。里芋畑の草取り、枝下ろし梅の小枝を整理、朝顔の苗を路地植え、と一日中動いた。そして左沢のサクランボとビール。これで倒れたとしても納得。

6月21日・夏至  4時半ころ、東の空に大きい虹が出た。久しぶりの景色に「セキ(赤)トウ(桃) オウ(黄色) リョク(緑) セイ(青) ラン(藍) シ(紫)」が口からでた。いつ、どこで習ってのか、覚えたのか。

6月20日  卒業以来初めて開かれた高校の教え子(58歳)のクラス会に出かけた妻、10時30分着の最終バスで帰宅(これは私の記憶にない!!)。楽しい会だったらしい。

6月16日  「寺山1200番地付近で月の輪熊を目撃・注意を」の放送が流れた。我が家の番地と700番ほどの距離の住宅地。妻はその近くまでウオーキングしている。熊が現れた場所の近くに、我が家の竹藪にしてしまった畑と山に返してしまった蜜柑畑がある。この出来事は、私の心に何か後ろめたいものをもたらした。

今年のキュウリ
【No.1810】 2024年06月16日

6月16日 
 昨夜の雨でまたキュウリが採り頃になった。今年の私のキュウリはどれも真っ直ぐ、良品ばかり。今までになかったこと。
 「畑の作物にとって最もよい肥料は人の足音」と祖父・力三郎がよく言っていた。畑の見回りを浴すれば、肥料が足りないとか、病害虫の発生なども早く発見できる。それでよい実りが得られる。だから〈足音が最高の肥料なのだ〉。畑を見回りながら作物に声を掛ける。それは作物への思いを伝えていること。すると作物は安心して豊かに育つのだ。 

「ランチの会」の特別会員
【No.1809】 2024年06月12日

6月11日
 3月に解散した東婦人会の有志5人が新しい活動を始めた。料理が得意、食べるのが好き、おしゃべりが大、大好きなこの5人が立ち上げたのは「ランチの会」。
 そのランチの会の第一回に招かれた。公民館の調理室で10時から調理。だが私は12時少し前に会場入り。そして5人が腕に撚りをかけたランチを一緒に頂く。野菜はすべて朝採りの自家製だから オイシイ! 箸が動く。話が弾む。その話の中で「特別会員だから毎回来てもらいます」との仰せ。もったいない、ありがたい言葉。これからの活動は「デイサービスの昼食づくり」「公民館祭りに出店」など。
 皆さんほんとにキレイに完食。私もがんばったが……。我が家の夕食・二人分も持たせてくださった。

府川幸生さん『秦野あれこれ〜近現代史話〜』を上梓
【No.1808】 2024年06月11日

6月9日
 みちしるべの会で一緒に活動している府川幸生さんが『秦野あれこれ〜近現代史話〜』を上梓。その書が届いた。府川さんは「手軽に多くの人たちに読んでもらいたい」と「あとがき」で述べている。目次に目をやると「秦野の明治時代」「秦野の近代遺産」「秦野の近代交通」などの項立て。さっそく「秦野の煙草」「小田急開通」の話を興味深く読んだ。書名に『史話』とあるように話として面白く読める。
 「ふるさと秦野を知り ふるさと秦野を愛し ふるさと秦野を育てる」と私は願う。234ページに及ぶ本書はまさに〈ずっしり〉感。
 

6月8日
 大学時代から70年余交流してきた今治の木原利さんが旅立った。

 惜別  遠き日の笑顔離れぬ瀬戸夕焼

芒種
【No.1807】 2024年06月06日

6月5日は「芒種」。芒種は二十四節気の一つで「イネやムギなどの芒(ノギ・ノゲ)のある作物の種を播く時節」、また「穂のつく作物(麦)の取入れ時季」ということ。
 50年くらい前のちょうど今頃のこと。勤めていた秦野西中に新採用で来た都会育ちの美術のM先生が、小田急の窓から見えた黄色の畑のことを私に尋ねた。「秋でもないのに黄色の畑の景色、心に残る景色です。初めて見ました。あれは何ですか」。
 その頃の秦野盆地はまだ麦畑が広がっていた。作付けする麦は大麦。小麦、そしてビール麦。(ビール麦とはビール醸造用のノギが細くて長い「二条大麦」の別名)。 M先生が魅かれたのは黄金色の穂波のビール麦畑の広がる景色だった。夏の季語の一つに「麦秋」がある。
 秦野の景色に魅せられたM先生は結婚を機に秦野に居を構え今も制作に勤しんでいる。麦刈りの季節になったが、黄金色の波打つ麦畑はほとんど目にできない。

「田植えシーズン」到来
【No.1806】 2024年06月01日

 昨日届いた平塚のFさんからのメール

 いつもエコーありがとうございます。近況報告です。
 いよいよ「田植えシーズン」がきました。金目川から取り入れた用水が水田に入り始めると、「代掻き」をしますが、実際に水が入ってみるとわずかながら傾斜があることがわかります。それをロータリーで均して、水平になるようにしていきます。今年は明日・6月1日に田植えをする予定です。田植え機で水田1枚1枚順に植えていきますが、年に1回限りですので、田植え機の細かな操作を思い出しながら田植え作業です。田植え機での作業ですが、意外とまっすぐに植えていくのが難しいです。昨年から娘夫婦が手伝いをしてくれるようになりました。心強いです。
 先日、落花生の「おおまさりネオ」も播種をしました。近年、おおまさりは「ゆでピー」にするとおいしいというのでチャレンジしました。既に発芽してきているので収穫が楽しみです。  

創刊40周年 おめでとうございます! 
【No.1805】 2024年05月30日

5月30日
 5月20日発行の『エコー』が届きました。創刊40周年、おめでとうございます! 私は13年ほどの読者に過ぎませんが、武先生のモットー「動かなければ出会えない 語らなければ広がらない 聴かなければ深まらない」には多大な影響を受けている1人です。こっそりと私の中で指針とさせて頂いております。
PTA活動の中で出会えたメンバーや子供の担任だった先生方など、『エコー』で毎月のように名前をみて、会ってはいないけども会えているような気持ちでいます。411号にk先生が私の娘の担任をしたこと、私の活躍を応援しているとの文が掲載されていて、覚えて下さっていたことに驚き、とても嬉しかったです。これからも『エコー』を楽しみにしております。くれぐれもお身体に気をつけてお過ごしくださいませ。 yuko

 子ども
【No.1804】 2024年05月28日

 「こどもの日」のこの日記に「5月は子どものことを考える月」と書いた。先週から今週にかけて子どもが関わる悲惨な、痛ましい事件・事故が数多く報じられた。国外に目をやれば、ヨーロッパ、中東、アフリカ、東南アジアなどでも子どもたちの命が多く失われている。私たち大人は、今こそ足を止め命について考えなければいけないのだ。
 本棚に積んであった『こども俳句の写真絵本』(2015年・小学館)を開いたら、昭和20年代を生き抜く逞しい子どもたちに出会えた。
  言葉こそ戦争終わらす武器である  熊谷真由(14)
  けんかしたアイツがおはょ息白し  土田翔之(12)

薫風
【No.1803】 2024年05月24日

5月24日 
 風吹けば来るや隣の鯉のぼり 虚子 
 「風薫る」は五月の季節感を表す代表的な季語のに、今年の五月の風は「青嵐」。畑のキュウリやトマトの苗がなぎ倒されてしまった。〈落胆〉ではあるが、畑に入り土に触れるとヤル気になるのが不思議。すべての生物は最後は土に還るのだから、土に触れると心が休まるのたろう。私の周りでもリタイア後畑に入る人が多い。
 アジサイの蕾にほんの少し色がみえるようになった。うす緑からうす紅色に変わっていくヤマモミジの花は、その色も形(ブーメランのような)も魅力的。

助けられ、支えられての《生》
【No.1802】 2024年05月13日

5月12日 
 今年もYさんが来てくれ夏野菜の畑を作ってくれた。ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、サツマイモ、里芋、ショウガ、ネギを植え付け、落花生、小松菜、大根の播種も。
 2アールほどのこの畑は、4月の中ほどにMさんが鋤いてくれた。私は石灰と粒肥料を振り撒いただけ。綺麗に整えられた野菜畑を眺めながら、《助けられている》ことのありがたさを噛み締めた。
 今日は「母の日」。仏壇にカーネーションを供えた。丈夫に生み育ててくれた母に、そして父に感謝。

5月5日 こどもの日
【No.1801】 2024年05月06日

5月5日
 前隣りと後ろ隣りの庭でバーべーキュー。弾んだ声が聞こえてくる。どちらも就学前の子供が二人いる家庭。
 五月は「子どものことを考える月」と思う。今国会に議員立法「子どもの貧困対策法」が上程されたのを機に、1951年5月5日に制定された「児童憲章」を改めて読んでみた。(一部略)

われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。

 
 子 ど も
            ドロシー・ロー・ノルト

 批判ばかりされた子どもは、
 非難することをおぼえる
 殴られて大きくなった子どもは、
 力にたよることをおぼえる
 笑いものにされた子どもは、
 ものを言わずにいることをおぼえる
 皮肉にさらされた子どもは、
 鈍い良心のもちぬしとなる
 しかし、激励をうけた子どもは、自信をおぼえる
 寛容にであった子どもは、忍耐をおぼえる
 賞賛をうけた子どもは、評価することをおぼえる
 フェアプレーを経験した子どもは、公正をおぼえる
 友情を知る子どもは、親切をおぼえる
 安心を経験した子どもは、信頼をおぼえる
 可愛がられ抱きしめられた子どもは、
 世界中の愛情を感じとることをおぼえる 

山笑う
【No.1800】 2024年05月04日

5月3日 
 大型連休の後半の始まり、我が家には関係ないが蒼天。それで気分よく8時から畑に入り大根と小松菜の種を蒔く。10時過ぎから昨日に引き続き松の目掻き。
 庭に黒松3本、赤松1本がある。いずれも樹高は3メートルほどだが、築山の上なので脚立の足場は悪い。高枝鋏を使うしかないが、視力・筋力が弱っているので作業ははかどらない。今日は5時間ほど頑張った。
 まだ日の高い午後4時半から缶ビールのタブを引っぱり、タコーチ山に芽吹く緑に目を休める。日本の伝統色の緑は83種あるとか。目にする樹々の緑は一樹として同じ色はない。
 一木に一木のみどり山笑う

大仙市横掘の人形道祖神
【No.1799】 2024年04月29日

 4月28日 
 秋田から思いがけない、そして感激の宅配便が届いた。
武勝美様 ご無沙汰しております、秋田の佐藤でございます。昨年は貴重な書籍をお贈り頂きましてありがとうございました。御礼申し上げます。今年の鍾櫨様建て(衣替え)を今月の初旬に終えたところです。当日は地方紙2社の話者3名が訪れて取材を受けました。その記事と藁細工の講習会の写真をお送りいたしますのでご覧下さい。また、友人が栽培している「古代米」を原料として作られた麺をお送り致します、どうぞご賞味下さいませ。 佐藤隆昭

 2015年4月29日、9年前のこの日。大仙市横堀地区の人形道祖神・鍾馗様に会いに行き、佐藤さんからショウキサマについて話を聴かせてもらった。道祖神里めぐりが佐藤さんとの出会いをもたらしてくれた。「邂逅」の喜び。

回文
【No.1798】 2024年04月27日

 子供の頃知った回文「竹藪焼けた・タケヤブヤケタ」。回文を使って「天声人語」子は4月5日に「当世ウラガネ」のことを書いた。そしてその続編が4月25日に。
政治資金規正法の改正案を見て人語子は思った。「磨かぬ鏡・ミガカヌガガミ」、「改正 良い成果・カイセイヨイセイカ」?「空に浮く・クウニウク」、「理解と怒り・リカイトイカリ」。

 私の出合った回文で記憶に残るのは「名波奈々・ナナミナナ」という人名。名波さんとはPTA広報講座で知り合いになった。その名波さんたちの作った広報紙は、子供たちの通学の安全のためにカーブミラーの設置が必要と書いた。その記事にスーパーが応え協力の申しでてくれた。スーパーにお礼に出向いたとき、回文の氏名「ナナミナナ」が話題になった。「名波という姓の人を探したんです。ウソ、ウソ、夫・名波とは偶然の出会い」。これで設置はスムーズに運んだ。

日帰りで女人高野の室生寺へ
【No.1797】 2024年04月24日

 21日午後四時半過ぎ、Yさんが訪ねて来た。「室生寺へ行って今帰ってきた。名物だから食べてよ」と柿の葉寿司を差し出す。「えぇ」と驚く私。昨日の午後2時から「みちしるべの会」の年度総会にYさんは出席していた。それなのに奈良から今帰ってきたとは……。
 聞けば、総会のあと一休みして午前一時過ぎ室生寺に向け車を走らせ、七時前に到着。八時半の開門を待ち五重塔の前に立った、とのこと。要するに日帰りで室生寺参拝をした、しかも一人で。寺社の建築・修復の用材を取り扱うYさんは寺社そのものの造詣も深い。この日の室生寺行は「五重塔の垂木の付け方が左右同じではない」ことを再確認することだった。こんな行動力がある人が集うのが「まほら秦野みちしるべの会」である。

春爛漫
【No.1796】 2024年04月20日

4月19日 
 牡丹がピンクの大輪を四つ開かせた。傍らの真っ赤なキリシマツツジと色のコントラストがいい。藤の花房も伸び紫を濃くしている。
 それなのに花粉症あるいは黄砂のお陰(?)か クシャミの連発、そして涙と鼻水。ティッシュボックスは手放せない。加えてこのごろとみに多くなった誤嚥による咳きこみ。秋雄ちゃんが「そろそろ畑 やんだんべよ」とトラクターでナズナに覆われた畑をかき回してくれた。そろそろ夏野菜の苗を買いに行なきゃ。まさに「春爛漫」である。
※ HP「マンスリーエッセイ」のページに「春爛漫」

ビューティSEVENS+ONE
【No.1795】 2024年04月16日

4月15日 ホームページ更新。

4月13日 
 2013年にPTA広報『西のいぶき』をつくった7人の女子会「ビューティSEVENSの会」が今年もいつもの焼き鳥屋で開かれた。今回も7名全員の出席。「二杯の酒は楽しくなる」と言われている。アラフィフの皆さんは正にそれ。それぞれの近況報告から、仕事を持ちながらしっかり子育てしている。だからこの会に出席できるのだと思った。
 Mさんが「長男、次男のときは広報をやったけど、Uのときは広報をやらなかった。Uが今年高校生になったので、P広報委員に立候補した。先生が驚いていた。Uの学校生活の写真を一杯撮ってあげるつもり」。「ビューティSEVENS」のこういうステキなお母さんの集まり。

道祖神の里めぐり
【No.1794】 2024年04月13日

道祖神の里めぐり 山梨・忍野村と神奈川・南足柄市 
4月10日
 去年の4月以来の「道祖神の里めぐり」。山梨県忍野村忍草で渡邉さん(86)と東圓寺住職鷹野慈誠師から道祖神祭りや縁起物「ヒイチ」の話を聞く。二基の双体像に逢う。そしてこの旅のもう一つの楽しみである桃畑・桃の花見を笛吹市一宮町で。
 二度と無き八十七歳桃の花 

4月11日
 桃の花を眺めるロケとして知られている一つ笛吹市御坂町の花鳥山展望台から桃畑を見下ろす。9:20分ころ、リニアの試走車が桃の花の枝越しに見られた。試走なのでゆっくり? カメラに収めることができた。目を遠くにやれば雪に覆われた南アルプスの峰々が鈍く光っている。花摘みをしている桃農家の人に声を掛け桃栽培のを聞かせてもらう。すべてが手作業なのでたいへんなようだ。
河口湖畔の富士山の写真スポットは外国の人で賑わっていた。その駐車場の脇の大石紬伝統工芸館を訪ねる。昨日に続き忍野八海に寄り、小池邦夫絵手紙美術館(小池氏は「動かなければ出会えない」と絵手紙に書いている)と岡田紅陽写真美術館に入館。富士湧水の里水族館 にも立ち寄る。帰途、静岡県小山町の富士霊園は満開の桜。
秦野から近いのに未だ訪れていなかった南足柄市の道祖神を訪ねた。まず矢倉沢で覆い屋が藁の双体道祖神。竹松の大松寺門前の三基、竹松公民館の敷地の二基、千津島の広がる田んぼ道で五基と見て回る。いずれも男女双体道祖神。個性的な像に逢え嬉しかった。
 

4月7日 桜
【No.1793】 2024年04月08日

4月7日
 ・宮入りを遅らせてをり夕桜
 寺山の氏神・鹿島神社のお祭り。神輿の渡御もあるので妹夫婦を招いて祝宴。久しぶりのことだ。庭の桜は満開。子供の頃の寺山のお祭りは桜の散る中で神輿が練った。
 
 六時過ぎ桜のライトアップ。すると隣の関さんが「お父さん 今年もライトアップ喜んでいると思う。ありがとうございます」とお礼を言いにみえた。
 ・夜桜をことのほか愛でし隣人の早世惜しみライトアップす
 

 「四月の神奈川俳壇」入選
 ・新しき眼鏡の中の朝桜 (復本先生三席・松尾先生二席の共選)
 
 習作「桜」
 花散らす雨の一日や放哉忌(4月7日)
 路線バス止めし神輿や落花飛花
 カリヨンのある小学校の大桜
 空つぽの教室覗く夕桜
 夕風と遊ぶブランコ花の滝
 園庭を狭しと桜吹雪の児

 出征を見送りし塚の桜木は復員待ちて今年も万朶 (道永塚)
 濃き紅を蕾に抱きし糸桜ふふめば淡き紅に装ふ
 大桜咲かせし里に箱型の家立ち並び離農の増えて 
 桜蕊散り敷く大樹見上ぐれば新樹の光余すことなく
 退院の妻ベランダに佇みて桜の空の光を愛でし

希望に満ちた四月
【No.1792】 2024年04月04日

4月3日
 2時ごろ畑に出ていたら「学童保育」から少し早めに帰る親子の話し声が聞こえた。多分4月から「学童」に通い始めた小1の女の子だろう。「お友達出来たよ」と弾んだ声。「よかったね。どんな子? お名前は?」とお母さんの言葉も明るかった。新しい生活が不安だった親子にとって良いスタートが切れたようだ。四月は希望に満ちた月だ。

4月1日 新しい年度始まる
【No.1791】 2024年04月02日

 曇り空の朝 我が家の桜も二、三輪開花。その梢からオオルリの「ピィーヒィーリリ ピィーヒィーリ ジジッ」。瑠璃色の背中は見えないが数分間さえずる姿は見えた。オオルリはウグイス、コマドリと共に日本三鳴鳥の一つと言われている。我が家の庭木は彼らの夏の宿となっている。だから「帰ってきましたよ。今年もよろしく」との挨拶だろう。 
 私の新年度は《泥遊び》から。別棟の犬走りに迫って来ている畑からの流土を元に返し、廃材を使って土留めを作った。 
 『ECHO』413号の記事打ち出し終わる。今年は校正ミスを減らしたい。
 森山夫妻から「明日横浜に帰着」とメール。

 東婦人会 74年の活動に終止符
【No.1790】 2024年03月31日

 2024年3月31日、この日をもって東婦人会は 74年の歴史に幕を下ろした。会員の高年齢化、加えて「不要不急の外出は避けよう 人との接触は少なく」と求められた《コロナ禍》が、会の解散に大きな影響をもたらした。
 1972年に会報の編集の相談を受けたのがきっかけで、以降52年間私は会の活動に少なからず関りを持たせてもらってきた。記憶に深く刻まれているかかわりの一つは、秦野地方の郷土料理「へらへらダンゴ」を復活させ、高齢者にふるまい喜ばれたこと。東中学校の美術部の力を借りて「へらへらダンゴ」の紙芝居も作成した。会員の研修会では「東地区の地名の由来」を聴いてもらい、その地を散策したのも思い出深い。「東地区の古道大山道」を数回に分けて歩いた。
 昨日30日、解散総会に招かれ出席。総会終了後、会は地域の関係者を招き「感謝の集い」を開いた。公民館まつり、実朝まつり、敬老会、小・中学校の行事など様々な行事で裏方としてがんばってくれた会の皆さん。今は「婦人会さん ありがとうございました。お疲れさまでした」と申し上げるだけです。

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