10月の終りに 【No.8】 2002年10月31日
10月の終りに 石井さんのはがきエッセイ『であい』は10月号で190号、まもなく追いつかれる。このごろ贅肉が取れた文になった。 昨年6月からスタートした家族新聞、水野さんちの『らんどせる』が18号、大塚家の『O sole mio』は17号、どちらも充実した家庭生活が営まれている様子がうかがえる。三人とも書くことを楽しんでいる。本を読むのが好きな彼女たち。 「いい年になってからジョギングなんかを始めるよりは、いい年になったらちゃんと本を読み、若いときにジョギングをしたほうがずっといい」−コラム欄にあった詩人の長田弘さんの言葉。 10月27日から11月9日まで読書週間。私には「本を読んでいない、と思うだけの週間」。本の匂いをかすかに「図書」と「本の窓」から嗅いでいるだけ。だから、そのことをしきりに反省する週間。「反省だけなら猿でも出来る」
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60歳からの生き方 【No.7】 2002年10月30日
新聞の仲間の菅原澄子さんから、ご主人・尚先生の著書『パリ10年』をいただいた。御書にはこんなあいさつ文がつけられていた。
1991.5.30 成田発12:05 JAL405 晴れた初夏の日差は強い。「元気でね」「元気で頑張ってきてね」 見送りの人たちの振っていた手が視界から断たれた。 ああ、これで過去の一切から そしてまた肉親のしがらみとも訣別して 六十男が一人でこれから開かれるであろう未知の人生に向かって出発するのだ。 六十路を越して何がどれだけできるか…。自分が選び 自分から決めたレールにもう乗ってしまった。 菅原 尚
小学校の校長を定年退職したその年、尚先生はパリに一人旅立った。パリで絵を描きたいと思っていた願いをかなえるために。そして昨年の夏帰国、この本は著された。書に納められた作品に、尚先生の生き方を見ることができた。
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【No.6】 2002年10月29日
28日の『朝日俳壇・歌壇』 兜太 九十年生きて縮んで天高し 岸本真智子 秋の詩を走らせ給ふ空の山 豊原 清明 展宏 容赦なき月日の中の破芭蕉 川村 敏夫 孤独とはかくあるものよ秋の蜂 伊藤 啓泉 櫂 土曜が来てまた日曜日秋が行く 森住 霞人 汀子 山国の秋冷俄かなる旅路 井上 満子
修二 自分史の内なる荒野ひろがれり貫き得しは加齢のみにて 水野 恭平
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昨日の選挙 【No.5】 2002年10月28日
年金のお世話になっているから、と思うのだが、やっぱりこのことだけは言いたい。 昨日行われた国政の補欠選挙。投票率は全選挙区で過去最低だそうな。きょうの記者会見で福田官房長官は、与党の勝利で小泉内閣の構造改革路線は国民に認めたられたという内容の発言。政治がもたらした今の絶望的な社会情勢の中、選挙に行く気力さえ失ってしまった国民、そのことを感じとれないのが今の政党、政治家。 今まで行われた各種の選挙で一度だけ棄権したことがあった。ある時、政党が信じられなくなった。期待できる候補者が見当たらなかった。だから投票に行かなかった。行けなかった。(今は次善を心がけているが…。)昨日の選挙は、あのときの私の心理状態と似ていると思う。官房長官の言葉をはじめ「好い天気だったので投票率が落ちた」「低い投票率がわがほうに有利に働いた」など、なんと能天気な発言よ。
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【No.4】 2002年10月27日
昨日のこと バアちゃんをリハビリの車が迎えに来たのが8:45。シロアリ駆除屋さん、大工さんなど5人が仕事を始めたのが9時半過ぎ。4時に戻ってくるバアちゃんに間に合わせなければいけない工事。大工さんは昼休みなし。シロアリ屋さんの昼食は午後2時だった。畳が入るのと同時にバアちゃんのご帰還。「シロアリもいなければ困るんですよ。こうして木材をかじって土を作ってくれるのだから」と元受けのSさんは言うのだが。それにしても、さらに被害個所が広がっているようで、応接室、台所、トイレも土台から変えなければいけないとは。築30年、今までに玄関、トイレ、浴室、ベランダ、応接室と直してきた。屋根も葺きなおしている。そして今回は和室2間。そう、トイレは三か月前に車椅子で使えるようにしたばかりだ。今は家のリフォームが流行らしいが、かけた費用を合計すれば…これじゃあ建て直した方がよかった。
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秋想 【No.3】 2002年10月25日
ゴルフ場への取り付け道路の桜並木が、遠目にもに色づきはじめているのが分かる。きょうの空は澄み切ってはいなかったが、秋の深まりは日の輝きの中にあった。庭の柿をもごうとするとヒヨドリが騒ぐ。下腹ばかり膨らませた蟷螂が菊の鉢の下で動かない。少し赤みを帯びてきた千両の実をデジカメに納めた。満開のお茶の花にまだ蜂が集まっている。丸く刈り込まれた山茶花は、薄桃の花を見せるのに苦労しているようだ。「冬が来た 八ツ手の白い花も消え 公孫樹の木も箒になった−光太郎」八ツ手が黄白色の小玉の花を見せ始めた。やがて冬が来る。出かけた妻が、中学の同級生の病が重いらしいと聞いてきた。
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修学旅行新聞がとどく 【No.2】 2002年10月24日
今朝、お隣りの小学校の小澤先生が訪ねてみえた。「遅くなりましたけど」と個人新聞『修学旅行版』を預けていかれた。6年生116人一人ひとりが書いた手書き新聞。5月の遠足新聞に続いての第2号。三学期にはもう一回出るらしい。新聞週間が終わる頃から秦野の中学校は学級新聞コンクールに向けて新聞づくりがピークを迎える。五日制になって「新聞教育は危機」なのだが“頼もしい限り”。H中P広報の読後感をNさんにmailで送る。 床屋に行った。「お出かけですか」と聞かれた。そういえば、父はどこかに出かける前は必ず調髪に行っていた。20分で終わり!寂しい…。
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たいへんだ 【No.1】 2002年10月23日
「不定期更新日記」に換えて今日からこんなページを開きました。 茶の間の畳の踏み具合が柔らかすぎるということで、シロアリ退治の人に調べてもらったら大変。台所、奥の間も畳を揚げてみると、数か所にかじられた跡。床板はもちろん畳まで換えなくてはいけないようだ。庭の花壇の縁取りに栗の木の丸太を使っているが、そこにもシロアリが巣くっているらしい。年金生活に入ってから家のあちこちの傷みが表面化するようになった。たいへんだ。
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